マイネルレコルト

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テンプレート:Infobox マイネルレコルト日本の元競走馬2004年中央競馬GI朝日杯フューチュリティステークスを制した。主戦騎手後藤浩輝。馬名は冠名の「マイネル」と、収穫を意味するフランス語の「レコルト」に由来する。

戦績

2004年6月20日福島競馬第5競走の2歳新馬戦でデビュー。芝1200mを1分8秒8という2歳コースレコードタイムをマーク。続くオープン競走のダリア賞8月14日)も制し、重賞新潟2歳ステークス9月5日)にも優勝した。ちなみにこの時の2着が後にGI阪神ジュベナイルフィリーズを勝利したショウナンパントルで、3着はGIII東京スポーツ杯2歳ステークスの優勝馬スムースバリトン、4着はGIIIフェアリーステークスを制したフェリシア、さらに5着のアイルラヴァゲインオーシャンステークス (GIII) 優勝、6着インティライミ京都新聞杯京都大賞典(ともにGII)優勝と、活躍馬が多く出たレースでもあった。

11月13日京王杯2歳ステークス (GII) はスタートの出遅れが響きスキップジャックの5着と敗れたが、12月12日の朝日杯フューチュリティステークスでは1分33秒4の2歳コースレコードをマークした。これは2002年の同競走でエイシンチャンプが出した1分33秒5を0.1秒上回るタイムで、同時に1996年10月26日にアサカホマレが出した中央競馬芝1600mレコードタイムと並ぶタイムとなった。これらの活躍により、2004年のJRA賞最優秀2歳牡馬のタイトルを獲得した。

明けて2005年は、3月6日中山競馬場で行なわれた弥生賞 (GII) から始動。後のクラシック三冠馬ディープインパクトの3着に敗れる。続く皐月賞でも2番人気に支持されたが4着、日本ダービー(東京優駿)も5着に終わった。

秋はセントライト記念で9着に敗れた後はマイル路線へ矛先が向けられ、富士ステークス (GIII) に出走するも敗戦。その後主戦騎手の後藤浩輝からクリストフ・ルメール柴田善臣などに乗り変わるも勝ちきれず、さらに2006年中山記念の直前の調教で浅屈腱炎を発症して休養を余儀なくされた。

長期休養の後、翌年2007年の東風ステークスで復帰する。1年以上の休養のため、人気もあまりなかったが、直線では鋭く追い込み3着に入った。続いてのマイラーズカップでも、相手が揃ったメンバーながら8着となった。続いての新潟大賞典では5着に入った。しかし、エプソムカップでは13着に、休養後の京成杯オータムハンデキャップでは7着に敗れた。しかし9月20日に左前浅屈腱炎を発症したことを発表された。療養期間は概ね9ヶ月の見込みと診断されオーナーサイドが協議した結果、引退が決まり、9月21日付けでJRA競走馬登録を抹消された。現在は馬事公苑乗馬となっている。

デビュー戦から短距離で出走しマイルのGIを制覇しているが、皐月賞4着、日本ダービー5着ときっちり掲示板は確保しており、距離が伸びても支障がない走りを見せているレースもある。

年度別競走成績

血統表

マイネルレコルト血統ダンジグ系ノーザンダンサー系) / Ribot4×4=12.5% Bold Ruler4×5=9.38%

*チーフベアハート
Chief Bearhart
1993 栗毛
Chief's Crown
1982 鹿毛
Danzig Northern Dancer
Pas de Nom
Six Crowns Secretariat
Chris Evert
Amelia Bearhart
1983 栗毛
Bold Hour Bold Ruler
Seven Thirty
Myrtlewood Lass Ribot
Gold Digger

ミヤギミノル
1985 青鹿毛
タイテエム
1969 鹿毛
*セントクレスピン
Saint Crespin
Aureole
Neocracy
*テーシルダ
Tehsilda
*ヴェンチア
Temoignage
タサノシユホー
1972 鹿毛
*フジオンワード
Fuji Onward
Ribot
Fiji
トサイズミ トサミドリ
ヒロノボリ F-No.16

母親の系統を見ると祖母タサノシユホーの産駒に東京新聞杯を制したカイラスアモン(父キタノカチドキ)がいる。

外部リンク

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