田中勝春

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テンプレート:騎手 田中 勝春(たなか かつはる、1971年2月25日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) に所属している騎手北海道三石郡三石町(現・日高郡新ひだか町)出身。愛称は「カッチー」。シンクバンク所属。

来歴

初騎乗は1989年3月4日中京競馬場の第2競走でチャンピオンミナミに騎乗し6着。その年にデビューした新人騎手の中で初勝利はもっとも遅く、10月21日東京競馬場の第6競走、セキテイボーイだった。なお同馬の勝利が、大種牡馬テスコボーイ産駒の最後の勝利ともなった。

同期に佐藤哲三角田晃一らがいる。

重賞初勝利は1990年9月9日京王杯オータムハンデキャップでオラトリオに騎乗しての勝利だった。GI初勝利は1992年安田記念ヤマニンゼファーに騎乗し、大外枠を苦にせず優勝。ゴール前では派手なガッツポーズを見せた。その後もコンスタントに勝ち続け、関東リーディングでは毎年上位につけている。

そして2004年9月11日には中山競馬場第10競走でヒシフェアレディに騎乗し1着、中央競馬通算1000勝を達成した。当時、中央競馬史上20人目で現役では9人目の記録達成であった。

2007年皐月賞ヴィクトリーに騎乗し勝利。ヤマニンゼファー以来となる15年ぶり(騎乗機会では140戦ぶり)の中央競馬でのGI(表記はJpnIである)制覇となった。さらにはシャドウゲイトに騎乗し、シンガポール航空インターナショナルカップに挑戦し、日本国外でもGIを制覇した。夏の新潟開催では17勝し、2年ぶり5度目のリーディングを獲得した。さらに10月28日までに関東所属騎手の中で1位となる中央で99勝を挙げたことから11月8日第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズへの出場が発表された。なお、同シリーズには初出場となる。そして11月11日に自身初のJRA年間100勝を達成した。

エピソード

好不調の波が激しく、まったく勝てない日も多いが、勝つ時は一日に何勝もする。

新潟競馬場や東京競馬場を得意とする。関西圏では長らく重賞を勝てず、2010年中京記念をシャドウゲイトで制したのが関西圏での初重賞勝ちだった。2010年3月現在、函館・京都・阪神・小倉では重賞未勝利である。1999年バイオマスターに騎乗して阪神競馬場アーリントンカップで1位入線はしているが、進路妨害により2着降着となっている。

エッセイストの安西美穂子と親しく、安西とともに書店などで安西の本を買うと田中勝春がサインをするサイン会を開催したことがある。

実家は競走馬の生産牧場を経営している。父の田中春美[1]は生産牧場を経営するかたわら、日本中央競馬会の馬主登録もしており、"幻の関西重賞初制覇"を演出したバイオマスターや、北海道の静内農業高等学校高校生が生産を手がけたユメロマンなどを所有している。また地方競馬の馬主として所有馬に「カツハル」という名前を付けて走らせたことがある[1]

後輩数人と新宿ボッタクリ店に意図的に(=知りながら)入ったことがある。席に着くなり店で一番の高級を注文、大量に飲んではいたが、会計は200万円という法外なものだった。後輩の表情が凍り付く中、田中はポケットから200万円分の札束を出し、涼しい顔で店を去っていったという(高崎武大著・東邦出版『こんな騎手』より)。

田中勝春とGI

2011年現在で通算1500勝以上していながら、近年の西高東低と言われる全体的な関東馬不振の流れの影響などを受けたのか、1992年の安田記念での初勝利からは、長期間GIを勝てずにいた。2004年の優駿牝馬(オークス)ではウイングレットに騎乗し7着。このレースでGI・100連敗という不名誉な記録を達成。2005年になってもなお勝てず、朝日杯フューチュリティステークスでも4着に敗れ、GI競走125連敗(内訳は中央競馬が121、地方競馬開催の統一GIが4)となっていた。その間、2着9回3着7回。

しかし、2005年12月21日川崎競馬第10競走の全日本2歳優駿グレイスティアラで制し、およそ13年ぶりにGIを制覇した。なお、全日本2歳優駿は「全日本3歳優駿」という名称だった1998年にもアドマイヤマンボで勝っているが、当時は統一GIIだった。

中央競馬のGIに限ればその後も連敗が続いたが、2007年に第67回皐月賞ヴィクトリーに騎乗し勝利、15年ぶりに中央競馬のGI競走制覇を果たして連敗記録を139でストップした。さらには、同年挑戦したシンガポール航空インターナショナルカップシャドウゲイトに騎乗し日本国外の国際GIでも勝利している。

長く連敗が続いた原因の一つとして有力馬の騎乗が少なかったという事情もある。ヤマニンゼファーセキテイリュウオーにまつわるエピソードも、もとはといえばセキテイリュウオーが所属厩舎(当時)の馬であり、自厩舎の馬を優先させたという事情があった。また、1番人気での騎乗は日本で2回・日本国外で1回(2000年安田記念:スティンガー2002年朝日杯フューチュリティステークス:サクラプレジデント2007年シンガポール航空インターナショナルカップ:シャドウゲイト)で、2番人気での騎乗も4回(2003年皐月賞・東京優駿(日本ダービー):サクラプレジデント、2004年宝塚記念ゼンノロブロイ2007年日本ダービー:ヴィクトリー)しかなかった。また、岡部幸雄の騎手引退後に田中を主戦騎手の一人にしていた藤沢和雄厩舎もGIになると有力馬の騎乗を外国人騎手に乗り替わらせることが多かった。

もっとも悔しい敗戦は1993年天皇賞(秋)でセキテイリュウオーに騎乗しハナ差に敗れたことだと語っている(レース後に悔し涙にくれたエピソードがある)。このときの優勝馬は、前年の安田記念で自身が騎乗して優勝したヤマニンゼファーであった。1997年の安田記念でもジェニュインに騎乗し同馬をかつてお手馬にしていた岡部騎乗のタイキブリザードハナ差まで迫ったことがある。

なお、GI戦線では不振続きであったが、GIIやGIIIに限れば2001年以降は毎年勝利を挙げており、2002年には重賞6勝(GII2勝、GIII4勝)という好成績を残した。GII最多勝馬バランスオブゲーム主戦騎手だった。

おもな騎乗馬

騎乗成績

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1989年3月4日 1回中京1日2R アラ3歳上700万下 チャンピオンミナミ 11頭 7 6着
初勝利 1989年10月21日 4回東京5日6R 3歳上400万下 セキテイボーイ 9頭 6 1着
重賞初騎乗 1990年4月29日 2回東京4日11R 4歳牝馬特別 エイシンキャロル 16頭 16 9着
重賞初勝利 1990年9月9日 4回中山2日11R 京王杯AH オラトリオ 12頭 9 1着
GI初騎乗 1990年11月18日 4回京都6日10R マイルCS オラトリオ 18頭 13 13着
GI初勝利 1992年5月17日 2回東京8日10R 安田記念 ヤマニンゼファー 18頭 11 1着
障害初騎乗 1989年3月26日 3回中山2日5R 障害400万下 コッレオーニ 11頭 11 5着
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1989年 5 3 10 63 .079 .127 .286
1990年 41 40 41 436 .094 .186 .280
1991年 63 61 45 505 .125 .246 .335
1992年 64 62 43 563 .114 .224 .300
1993年 67 69 64 622 .108 .219 .322
1994年 74 67 66 646 .115 .218 .320
1995年 62 59 70 641 .097 .189 .298
1996年 63 68 52 609 .103 .215 .300
1997年 64 47 56 570 .112 .195 .293
1998年 63 72 61 644 .098 .210 .304
1999年 50 54 38 591 .085 .176 .240
2000年 81 69 51 735 .110 .204 .273
2001年 93 88 83 839 .111 .216 .315
2002年 84 70 70 808 .104 .191 .277
2003年 79 79 40 757 .104 .209 .262
2004年 64 62 68 782 .082 .161 .248
2005年 96 91 75 901 .107 .208 .291
2006年 60 78 60 811 .074 .170 .244
2007年 108 73 71 823 .131 .220 .306
2008年 51 58 65 748 .068 .146 .233
2009年 65 61 53 753 .086 .167 .238
2010年 56 54 49 685 .082 .161 .232
2011年 50 49 45 722 .069 .137 .199
中央 1503 1434 1276 15254 .099 .193 .276
地方 36 37 27 283 .127 .258 .353

※他に障害2戦0勝

テレビ出演

脚注

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関連項目

外部リンク

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