ヤマニンゼファー

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テンプレート:Infobox ヤマニンゼファー日本競走馬種牡馬中央競馬にて短距離から2000メートルまで幅広い距離で活躍し、2度の安田記念天皇賞(秋)に優勝した。1993年度JRA賞最優秀5歳以上牡馬 最優秀短距離馬および最優秀父内国産馬

馬名の「ヤマニン」は馬主の一族が使用する冠名、「ゼファー」はギリシャ神話に登場する西風の神ゼピュロスの英語読み。生産者である土井睦秋の妻が、自宅にあった化粧品の名前から借用したものである[1]

馬齢は当時の表記とする。

出生 - デビュー

ニホンピロウイナーは競走馬時代に3度の最優秀短距離馬に選出され、日本における「短距離路線の開拓者」とされたGI3勝馬。母は1勝馬であったが、優れたスピード能力を示したブラッシンググルームを父に持っていた。生産者の土井睦秋はスプリンターを指向して両馬を配合し[2]、翌1988年5月、北海道錦岡牧場で本馬が誕生した。幼駒の頃から胴が詰まり、前後躯が発達した短距離馬に特有の馬体をしており、土井が意図した通りの体型で生まれた[3]

競走年齢の3歳に達した1990年8月、茨城県美浦トレーニングセンター栗田博憲厩舎に入った。しかし直後に骨膜炎を生じて放牧に出され、12月に再度入厩。しかし骨膜炎が尾を引いて調整が滞り、デビューは翌年まで遅れた[1]

戦績

4-5歳時(1991-1992年)

1991年3月9日、中山開催の新馬戦でデビューした。2週間後には当世代における新馬戦が終了するため、調整不足を押しての出走となった[4]。脚への負担も考慮したダート競走で、当日は16頭立て12番人気と低評価であった。しかし後方待機策から短い直線で先行勢を一気に捉え、初戦勝利を挙げた。続く条件戦も連勝すると、栗田は本馬の高い能力を認め、次走には芝のGIII競走クリスタルカップを選択[5]、3着と好走した。

続いては6月のラジオたんぱ賞が予定されていたが、骨膜炎が再発して休養を余儀なくされた[6]。10月に復帰し、休養明け2戦目の900万下条件戦で3勝目を挙げた。この後、準オープン馬の身ながらGI競走のスプリンターズステークスに出走、結果は7着に終わるも、栗田は一流馬を相手に一定の走りを見せたことで自信を深め、翌年の安田記念を最大目標とした[6]

翌年2戦目の準オープン戦で勝利を挙げ、オープンクラスに昇格した。安田記念への前哨戦・京王杯スプリングカップを僅差の3着として、5月17日、安田記念に出走した。前走の好走がフロックと見られたこと、さらに大外18番枠からの発走という不安点もあり[7]、11番人気と低評価であった。レースは1000m通過56秒9というハイペースの中を中団に控えると、最終コーナー手前からスパートを掛け直線半ばで先頭に立ち、最後は追い込んだカミノクレッセを3/4馬身抑えて優勝した。重賞初勝利をGI競走で挙げ、同時に父ニホンピロウイナーとの父子制覇も達成した。騎乗した田中勝春にとっても、初のGI制覇であった。

春シーズンの出走はこれが最後となり、休養に入ることとなった。秋はマイルチャンピオンシップを目標に関西入りしたが、輸送の影響による食欲不振などもあり[8]、緒戦のセントウルステークスで2着、マイルチャンピオンシップはダイタクヘリオスのレコード優勝の前に5着と敗れた。その後関東に戻り、体調を戻してスプリンターズステークスに出走、直線で先頭に立ったが、追い込んだニシノフラワーにゴール直前で交わされ、クビ差の2着に敗れた。

6歳時(1993年)

休養の後、3月に阪神マイラーズカップで復帰。栗田はヤマニンゼファーの将来の種牡馬入りに備え、当年秋に中距離競走である天皇賞(秋)への出走を計画しており、その距離適性を見極めるため、鞍上には相馬眼に評価の高かった田原成貴を据えた[9]。この競走は前走に続きニシノフラワーに敗れて2着だった。関東に戻っての中山記念も田原騎乗で4着に終わったが、本競走では初経験の1800mを速いペースで先行しながら、勝ち馬から0.3秒という僅差で、田原は天皇賞の2000mをこなせるという見解を示した[9]。これを受け、当年の最大目標は天皇賞(秋)に定められた[9]

次走、京王杯スプリングカップでは田中勝春が騎乗停止中であったため、柴田善臣が騎乗[10]シンコウラブリイを1馬身半退けて勝利した。柴田の騎乗は本競走のみの予定であったが、同時期に田中が所属する藤原敏文厩舎からセキテイリュウオーが台頭し、田中は同馬への騎乗を余儀なくされた[10]ため、次走の安田記念も引き続き柴田が騎手を務めた。

迎えた安田記念[注 1]では、ニシノフラワーに次ぐ2番人気の支持を受けた。レースでは先行勢を見ながら中団でレースを運び、直線半ばで抜け出して優勝、本競走のGI格付け後、初の連覇を達成した。前年優勝した田中勝春に続き、柴田もデビュー9年目で初めてのGI勝利であった。

夏を休養に充てると、秋は目標の天皇賞へ向けて1800m戦の毎日王冠から始動した。しかし当日は2番人気に支持されながら、先行策から直線で失速して6着に終わった。しかし栗田は天皇賞挑戦の意志を変えず、当日までにスタミナの向上を図り、ヤマニンゼファーに厳しい調教を課した[11]

10月31日の天皇賞では、大本命と目されていたメジロマックイーンが競走4日前に故障、競走生活から退き、一転して混戦模様を呈した。毎日王冠でのレース振りから、当日は5番人気の評価となった。レースはツインターボの大逃げの後方で3番手を進むと、最終コーナーで早々に先頭に立ち、最後の直線では、直後に中団から抜け出したセキテイリュウオーが外から並び掛け、 ここから300mに渡る競り合いとなった。残り100m地点でセキテイリュウオーが一旦前に出たが、柴田はこれに再度競りに行き、最後は両馬が馬体を接して入線した。写真判定の結果、ヤマニンゼファーがハナ差で優勝した。

年末にはスプリンターズステークスに出走し、サクラバクシンオーの2着となって引退した。翌1月には、当年の年度表彰において最優秀5歳以上牡馬、最優秀短距離馬、最優秀父内国産馬と3つのタイトルを獲得した。年度代表馬選出も有力視されていたが、こちらは菊花賞優勝、ほかGI競走で3度の2着となっていた4歳馬ビワハヤヒデが受賞。この結果については批判もあった。

同月30日に東京競馬場で引退式が行われた後、種牡馬入りのため北海道へ戻った。

全成績

年月日 競馬場 レース名 頭数 人気 着順 距離状態 タイム 着差 騎手 斤量 馬体重 勝ち馬/(2着馬)
1991 3. 9 中山 4歳新馬 16 12 テンプレート:Color 1200m(重) 1:11.9 -0.3秒 横田雅博 53 464 (ネヴァーソング)
3. 30 中山 4歳500万下 11 2 テンプレート:Color ダ1200m(稍) 1:12.0 0.0秒 横田雅博 53 466 (メイセイハート)
4. 13 中山 クリスタルC テンプレート:Color 14 4 3着 芝1200m(良) 1:09.0 0.4秒 横山典弘 55 454 カリスタグローリ
10. 16 東京 4歳上900万下 12 3 7着 ダ1200m(重) 1:12.0 1.1秒 横山典弘 55 466 キョウエイブランド
12. 1 中山 4歳上900万下 12 2 テンプレート:Color ダ1200m(良) 1:11.8 0.0秒 蛯沢誠治 55 462 オンワードウッド
12. 15 中山 スプリンターズS テンプレート:Color 16 10 7着 芝1200m(良) 1:08.8 1.0秒 蛯沢誠治 55 464 ダイイチルビー
1992 1. 6 中山 サンライズS 16 1 2着 ダ1200m(良) 1:10.9 0.1秒 蛯沢誠治 56 470 シンボリガルーダ
2. 2 京都 羅生門S 13 2 テンプレート:Color ダ1200m(稍) 1:10.8 -0.1秒 田原成貴 56 462 メイショウホムラ
4. 25 東京 京王杯SC テンプレート:Color 13 8 3着 芝1400m(良) 1:21.7 0.1秒 田中勝春 56 452 ダイナマイトダディ
5. 17 東京 安田記念 テンプレート:Color 18 11 テンプレート:Color 芝1600m(良) 1:33.8 -0.1秒 田中勝春 56 454 カミノクレッセ
9. 13 阪神 セントウルS テンプレート:Color 14 2 2着 芝1400m(良) 1:23.2 0.4秒 田中勝春 58 446 マイスーパーマン
11. 22 京都 マイルCS テンプレート:Color 18 3 5着 芝1600m(良) 1:34.0 0.7秒 田中勝春 56 450 ダイタクヘリオス
12. 20 中山 スプリンターズS テンプレート:Color 16 4 2着 芝1200m(良) 1:07.8 0.1秒 田中勝春 56 460 ニシノフラワー
1993 2. 28 阪神 マイラーズC テンプレート:Color 12 2 2着 芝1600m(良) 1:37.0 0.6秒 田原成貴 58 462 ニシノフラワー
3. 14 中山 中山記念 テンプレート:Color 14 2 4着 芝1800m(良) 1:47.3 0.3秒 田原成貴 58 464 ムービースター
4. 24 東京 京王杯SC テンプレート:Color 12 2 テンプレート:Color 芝1400m(良) 1:21.0 -0.2秒 柴田善臣 59 460 シンコウラブリイ
5. 16 東京 安田記念 テンプレート:Color 16 2 テンプレート:Color 芝1600m(良) 1:33.5 -0.2秒 柴田善臣 56 460 イクノディクタス
10. 10 東京 毎日王冠 テンプレート:Color 13 2 6着 芝1800m(良) 1:46.4 0.9秒 柴田善臣 59 454 シンコウラブリイ
10. 31 東京 天皇賞(秋) テンプレート:Color 18 5 テンプレート:Color 芝2000m(良) 1:58.9 0.0秒 柴田善臣 58 456 セキテイリュウオー
12. 19 中山 スプリンターズS テンプレート:Color 14 1 2着 芝1200m(良) 1:08.3 0.4秒 柴田善臣 56 466 サクラバクシンオー

引退後

1994年より北海道日高郡レックススタッド種牡馬となった。1997年に初年度産駒がデビューし、当年のJRA新種牡馬ランキングで3位に付けた。この中から、翌1998年の武蔵野ステークスを勝ち、続く第1回ジャパンカップダートで2着したサンフォードシチーを送り出した。代表産駒でもある同馬は、引退後に世田谷の馬事公苑で乗馬となっていたが、高崎競馬場を舞台としたNHK連続テレビ小説ファイト』にタロウ役でレギュラー出演した。ヤマニンゼファー産駒や母の父がヤマニンゼファーの馬が出走する日は、ファンによりパドックに「ゼファー魂」という横断幕が掲げられている。

2009年シーズンを最後に種牡馬からも引退。以後は故郷の錦岡牧場功労馬として余生を送っている。

主な産駒

主なブルードメアサイアー産駒

母の父としての産駒。

評価・特徴

ゼファーの姉2頭は気性が荒く、栗田は当初「ポリシーの仔を預かるのはこれが最後に願いますよ」と釘を刺していた[1]。しかしゼファーは非常に素直な性格をしており、柴田は「とにかく素直で、飲み込みが早かった」と回想している[12]。一方で「根性のある、勝負強い馬」とも評しており[13]、特に天皇賞ではセキテイリュウオーが前に出た瞬間、ゼファーが自ら差し返しに行ったといい、柴田は「俺の勝利というより、ゼファーの完璧な勝利だったよ。あんなレース、もう一度できるかどうか分からない」と称えている[10]

血統表

ヤマニンゼファー血統ハビタット系 / 5代までアウトブリード

ニホンピロウイナー
1980 黒鹿毛
*スティールハート
Steel Heart
1972 鹿毛
Habitat Sir Gaylord
Little Hut
A.1. Abernant
Asti Spumante
ニホンピロエバート
1974 鹿毛
*チャイナロック
China Rock
Rockefella
May Wong
ライトフレーム *ライジングフレーム
グリンライト

ヤマニンポリシー
1981 鹿毛
Blushing Groom
1974 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
ヤマホウユウ
1968 黒鹿毛
*ガーサント
Guersant
Bubbles
Montagnana
ミスタルマエ ハクリョウ
*バドミントン F-No.1-m

父ニホンピロウイナーは、本馬のほかにフラワーパークなど短距離の活躍馬を数々輩出している。母の父ブラッシンググルームは1989年のイギリスアイルランドリーディングサイアー。本馬の祖母ヤマホウユウをアメリカに連れて行って種付けしたものであったが、当時まだブラッシンググルームの産駒は走っておらず、また兄・ベイラーンが日本で供用されており、土井は周囲から「わざわざベイラーンの弟を付けに行ったのか」と笑われたという[14]

脚注

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注釈

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出典

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参考文献

  • 木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1997年)ISBN 978-4896912982
  • 『優駿』1992年8月号(日本中央競馬会、1992年)畠山直毅「ヤマニンゼファーの故郷 錦岡牧場」
  • 『優駿』2002年7月号(日本中央競馬会、2002年)井口民樹「ヤマニンゼファー - 父子二代のマイル王」
  • 『優駿』1997年11-12月号(日本中央競馬会、1997年)阿部珠樹「ゼネラリストへの道 - 父子二代の名マイラー、ヤマニンゼファー」上/下

外部リンク

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  1. 1.0 1.1 1.2 『優駿』2002年7月号 p.53
  2. 『優駿』1997年11月号 p.88
  3. 『優駿』1997年11月号 pp.88-89
  4. 『優駿』1997年11月号 p.89
  5. 『優駿』pp.89-90
  6. 6.0 6.1 『優駿』2002年7月号 p.54
  7. 『優駿』1997年11月号 p.90
  8. 『優駿』1997年11月号 p.91
  9. 9.0 9.1 9.2 『優駿』1997年12月号 p.88
  10. 10.0 10.1 10.2 木村 p.62
  11. 『優駿』1997年12月号 p.90
  12. 『Sports graphic Number PLUS』p.23
  13. 『優駿』2002年7月号 p.57
  14. 『優駿』1992年8月号 pp.24-25


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