左大臣

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左大臣(さだいじん)は、朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」。定員1名。官位相当は従二位太政大臣と左・右大臣(後に左・右大臣と内大臣)とを総称して、三公・三槐と呼ぶ。

一上」の別称が示すとおり、太政官の職務を統べる議政官の首座として朝議を主催した。左大臣の上位の太政大臣は功労者を待遇する名誉職としての意味が強いために具体的職掌が伴わず、また「則闕(そっけつ)の官」と呼ばれたように常設職ではなかったことから、左大臣が太政官における事実上の最高位であった。事実、摂関政治の最盛期に位置する藤原道長藤原頼通も長期にわたって左大臣の地位を保持し続けており、太政大臣であった期間はごく短い。

この他、弾正台が不当な糾弾や摘発を行った案件がある場合には、代わって弾劾する権限を持った。

六国史」や『公卿補任』の記録を見ると、律令制初期には適任者不在のために闕官となっていた時期も少なくないが、その場合は右大臣が政務を代行した。10世紀前半の藤原忠平からほぼ常設職となる。明治維新以降も天皇を輔佐して大政を統理する職として存続したが、明治18年(1885年内閣制度の発足に伴い廃止。

左大臣の一覧

就任 辞任
*印は死没による辞任)
在職時の天皇 号・備考
大宝令以前の左大臣
阿倍内麻呂 皇極天皇4年6月14日
645年7月12日
大化5年3月17日*
649年5月3日
孝徳 大鳥大臣
巨勢徳多 大化5年4月20日
(649年6月5日
斉明天皇4年1月13日*
658年2月20日
孝徳、斉明  
蘇我赤兄 天智天皇10年1月5日
671年2月19日
天武天皇元年8月25日*
672年9月22日
天智弘文 蔵大臣
多治比島 文武天皇4年8月26日
700年10月12日
大宝元年7月21日*
701年8月29日
文武  
大宝令養老令に基づく左大臣
石上麻呂 和銅元年3月13日
708年4月8日
霊亀3年3月3日*
717年4月18日
元明元正 物部大臣
長屋王 神亀元年2月4日
724年3月3日
神亀6年2月12日*
729年3月16日
聖武 佐保左大臣
藤原武智麻呂 天平9年7月25日*
737年8月25日
聖武  
橘諸兄 天平15年5月5日
743年6月1日
天平勝宝8歳2月2日
756年3月7日
聖武、孝謙 西院大臣
藤原永手 天平神護2年10月20日
766年11月26日
宝亀2年2月22日*
771年3月12日
称徳光仁 長岡大臣
藤原魚名 天応元年6月27日
781年7月22日
天応2年6月14日
782年7月28日
光仁、桓武 川辺大臣
藤原田麻呂[1] 延暦2年
783年
延暦2年3月19日*
(783年4月25日
桓武 蜷淵大臣
藤原冬嗣 天長2年4月5日
825年4月26日
天長3年7月24日*
826年8月30日
淳和 閑院大臣
藤原緒嗣 天長9年11月2日
832年11月27日
承和10年1月18日
843年2月20日
淳和、仁明 山本大臣
源常 承和11年7月2日
844年7月20日
仁寿4年6月13日*
854年7月11日
仁明、文徳 東三条左大臣
源信 斉衡4年2月19日
857年3月18日
貞観10年閏12月28日*
869年2月13日
文徳、清和 北辺大臣
源融 貞観14年8月25日
872年10月1日
寛平7年8月25日*
895年9月17日
清和、陽成光孝宇多 河原左大臣
藤原良世 寛平8年7月16日
896年8月28日
寛平8年12月25日[2]
897年1月31日
宇多 致仕大臣
藤原時平 昌泰2年2月14日
899年3月29日
延喜9年4月4日*
909年4月26日
醍醐 本院大臣
藤原忠平 延長2年1月22日
924年2月29日
承平6年8月19日
936年9月7日
醍醐、朱雀 小一条
藤原仲平 承平7年1月22日
937年3月6日
天慶8年9月1日
945年10月9日
朱雀 枇杷大臣
藤原実頼 天暦元年4月26日
947年5月19日
康保4年12月13日
968年1月15日
村上冷泉 小野宮
源高明 康保4年12月13日
(968年1月15日)
安和2年3月26日
969年4月15日
冷泉 西宮
藤原師尹 安和2年3月26日
(969年4月15日)
安和2年10月15日*
(969年11月27日
冷泉、円融 小一条
藤原在衡 安和3年1月27日
970年3月7日
天禄元年10月10日*
(970年11月11日
円融 粟田
源兼明 天禄2年11月2日
971年11月22日
貞元2年4月21日
977年5月11日
円融 御子左
藤原頼忠 貞元2年4月24日
(977年5月14日
天元元年10月2日
978年11月5日
円融 三条
源雅信 天元元年10月2日
(978年11月5日)
正暦4年7月26日
993年8月16日
円融、花山一条 一条、鷹司
源重信 正暦5年8月28日
994年10月5日
長徳元年5月8日*
995年6月8日
一条 六条
藤原道長 長徳2年7月20日
996年8月6日
長和5年12月7日
1017年1月7日
一条、三条後一条 法成寺、御堂
藤原顕光 長和6年3月4日
(1017年4月3日
治安元年5月25日*
1021年7月7日
後一条 堀河
藤原頼通 治安元年7月25日
(1021年9月4日
康平3年7月17日
1061年8月15日
後一条、後朱雀後冷泉 宇治
藤原教通 康平3年7月17日
(1061年8月15日)
延久元年8月13日
1069年9月1日
後冷泉、後三条 大二条
藤原師実 延久元年8月22日
(1069年9月10日
永保3年1月19日
1083年2月8日
後三条、白河 京極、後宇治
源俊房 永保3年1月26日
(1083年2月15日
保安2年2月26日
1121年3月16日
白河、堀河鳥羽 堀川
藤原忠通 保安3年12月17日
1123年1月16日
大治3年12月17日
1129年1月9日
鳥羽、崇徳 法性寺
藤原家忠 天承元年12月22日
1132年1月12日
保延2年5月12日
1136年6月13日
崇徳 花山院
源有仁 保延2年12月9日
1137年1月2日
久安3年2月3日
1147年3月6日
崇徳、近衛 花園
藤原頼長 久安5年7月28日
1149年9月1日
保元元年7月14日*
1156年8月1日
近衛、後白河 宇治
徳大寺実能 保元元年9月13日
(1156年9月29日
保元2年5月30日
1157年7月8日
後白河 徳大寺
藤原伊通 保元2年8月19日
(1157年9月24日
永暦元年8月11日
1160年9月12日
後白河、二条 九条
近衛基実 永暦元年8月11日
(1160年9月12日)
長寛2年閏10月17日
1164年12月2日
二条 六条、中殿
近衛家
松殿基房 長寛2年閏10月23日
(1164年12月8日
仁安元年11月4日
1166年11月28日
二条、六条 中山、菩提院
藤原経宗 仁安元年11月11日
(1166年12月5日
文治5年2月13日
1189年3月1日
六条、高倉安徳後鳥羽 中御門、大炊御門
阿波大臣
徳大寺実定 文治5年7月10日
(1189年8月23日
建久元年7月17日
1190年8月19日
後鳥羽 後徳大寺
三条実房 建久元年7月17日
(1190年8月19日)
建久7年3月23日
1196年4月23日
後鳥羽 三条
花山院兼雅 建久9年11月14日
1198年12月13日
正治元年6月22日
1199年7月16日
後鳥羽、土御門 花山院
九条良経 正治元年6月22日
(1199年7月16日)
元久元年11月16日
1204年12月8日
土御門 中御門、後京極
近衛家実 元久元年12月14日
1205年1月5日
建永2年1月30日
1207年2月28日
土御門 猪隈
藤原隆忠 建永2年2月10日
(1207年3月10日
建暦元年9月22日
1211年10月30日
土御門、順徳 大覚寺
九条良輔 建暦元年10月4日
(1211年11月10日
建保6年11月11日*
1218年11月30日
順徳 八条
九条道家 建保6年12月2日
(1218年12月21日
承久3年10月
1221年10月
順徳、仲恭後堀河 光明峰寺、東山
近衛家通 承久3年閏10月10日
(1221年11月25日
貞応3年8月11日*
1224年9月25日
後堀河 近衛
徳大寺公継 元仁元年12月25日
1225年2月4日
嘉禄3年1月21日
1227年2月8日
後堀河 野宮
九条良平 嘉禄3年4月9日
(1227年5月25日
寛喜3年4月18日
1231年5月21日
後堀河 醍醐
九条教実 寛喜3年4月26日
(1231年5月29日
文暦2年3月4日
1235年3月24日
後堀河、四条 洞院
近衛兼経 嘉禎元年10月2日
(1235年11月13日
嘉禎4年6月18日
1238年7月30日
四条 岡屋
二条良実 嘉禎4年7月20日
(1238年8月31日
寛元2年6月1日
1244年7月7日
四条、後嵯峨 普光園院
二条家
一条実経 寛元2年6月13日
(1244年7月19日
寛元4年12月14日
1247年1月22日
後嵯峨、後深草 円明寺
一条家
鷹司兼平 寛元4年12月24日
(1247年2月1日
建長4年11月3日
1252年12月5日
後深草 照念院
鷹司家
二条道良 建長4年11月3日
(1252年12月5日)
正元元年11月8日*
1259年12月22日
後深草 九条
西園寺公相 正元元年11月14日
(1259年12月28日
弘長元年2月27日
1261年3月29日
後深草、亀山 冷泉、今出川
山階実雄 弘長元年3月27日
(1261年4月28日
弘長3年3月20日
1263年4月29日
亀山 山階
一条実経
(還任)
弘長3年8月12日
(1263年9月15日
文永2年9月12日
1265年10月22日
亀山 円明寺
近衛基平 文永2年10月5日
(1265年11月14日
文永5年11月9日
1268年12月14日
亀山 深心院
鷹司基忠 文永5年12月2日
1269年1月5日
文永6年3月1日
(1269年4月3日
亀山 円光院
一条家経 文永6年4月23日
(1269年5月25日
建治元年10月21日
1275年11月10日
亀山、後宇多 後光明峰寺
二条師忠 建治元年12月22日
1276年1月9日
正応元年6月26日
1288年7月25日
後宇多、伏見 香園院
九条忠教 正応元年7月11日
(1288年8月9日
正応4年12月21日
1292年1月12日
伏見 浄土寺、報恩院
鷹司兼忠 正応4年12月25日
(1292年1月16日
永仁4年12月25日
1297年1月19日
伏見 猪隈、歓喜園院
二条兼基 永仁4年12月27日
(1297年1月21日
永仁7年4月14日
1299年5月14日
伏見、後伏見 中院、光明照院
九条師教 正安元年4月26日
(1299年5月26日
嘉元3年閏12月17日
1306年2月1日
後伏見、後二条 浄土寺、己心院
鷹司冬平 嘉元3年閏12月21日
(1306年2月5日
延慶2年3月14日
1309年4月24日
後二条、花園 後照念院
西園寺公衡 延慶2年3月19日
(1309年4月29日
延慶2年6月15日
(1309年7月22日
花園 竹林院
近衛家平 延慶2年10月15日
(1309年11月17日
正和2年12月20日
1314年1月6日
花園 岡本
二条道平 正和2年12月26日
(1314年1月12日
正和5年10月21日
1316年11月6日
花園 後光明照院
近衛経平 正和5年10月22日
(1316年11月7日
文保2年6月24日*
1318年7月22日
花園、後醍醐 後浄妙寺
洞院実泰 文保2年8月24日
(1318年9月19日
元亨2年8月11日
1322年9月22日
後醍醐 後山本
九条房実 元亨2年8月11日
(1322年9月22日)
元亨3年6月14日
1323年7月17日
後醍醐 後一音院
洞院実泰
(還任)
元亨3年6月15日
(1323年7月18日
元亨4年4月23日
1324年5月16日
後醍醐 後山本
鷹司冬教 元亨4年4月27日
(1324年5月20日
元徳3年1月30日
1331年3月9日
後醍醐 後円光院
近衛基嗣 元徳3年2月1日
(1331年3月10日
正慶2年5月17日
1333年6月29日
後醍醐、光厳 後岡屋
二条道平
(還任)
元弘3年5月17日
(1333年6月29日)
建武2年2月4日*
1335年2月27日
後醍醐 後光明照院
鷹司冬教
(還任)
建武2年2月16日
(1335年3月11日
建武2年11月19日
1336年1月2日
後醍醐 後円光院
近衛経忠 建武2年11月19日
(1336年1月2日)
建武4年4月5日
1337年5月5日
後醍醐、光明 後猪熊、堀河
一条経通 建武4年7月12日
(1337年8月8日
暦応2年12月27日
1340年1月26日
光明 後芬陀利花院
九条道教 暦応2年12月27日
(1340年1月26日)
康永元年11月1日
1342年11月29日
光明 三縁院
洞院公賢 康永2年4月10日
1343年5月4日
貞和2年6月11日
1346年6月30日
光明 中園
二条良基 貞和3年9月16日
1347年10月20日
貞和5年9月13日
1349年10月25日
光明、崇光 後福光園院
九条経教 貞和5年9月13日
(1349年10月25日)
延文5年9月30日
1360年11月9日
崇光、後光厳 後報恩院
近衛道嗣 延文5年9月30日
(1360年11月9日)
貞治元年10月4日
1362年10月22日
後光厳 後深心院
鷹司冬通 貞治元年12月27日
1363年1月12日
応安2年11月4日
1369年12月3日
後光厳 一心院
二条師良 応安3年3月16日
1370年4月12日
永和元年11月18日
1375年12月11日
後光厳、後円融 是心院
九条忠基 永和元年11月18日
(1375年12月11日)
永和4年8月27日
1378年9月19日
後円融 後己心院
二条師嗣 永和4年8月27日
(1378年9月19日)
永徳2年1月26日
1382年2月9日
後円融 後香園院
足利義満 永徳2年1月26日
(1382年2月9日)
嘉慶2年5月26日
1388年6月30日
後円融、後小松 鹿苑院
室町幕府3代将軍
徳大寺実時 嘉慶2年5月26日
(1388年6月30日)
明徳3年12月26日
1393年2月7日
後小松 野宮
足利義満
(還任)
明徳3年12月26日
(1393年2月7日)
明徳4年9月17日
(1393年10月22日
後小松 鹿苑院
室町幕府3代将軍
一条経嗣 明徳5年6月5日
1394年7月3日
応永2年4月7日
1395年4月26日
後小松 成恩寺
今出川公直 応永2年4月7日
(1395年4月26日)
応永2年6月6日
(1395年6月23日
後小松 今出川
四辻善成 応永2年7月20日[3]
(1395年8月6日
応永2年8月29日
(1395年10月12日
後小松 四辻、松岩寺
洞院公定 応永3年7月24日
1396年8月27日
応永5年12月
1399年1月
後小松 後中園
三条実冬 応永6年2月22日
(1399年3月29日
応永9年8月22日
1402年9月19日
後小松 後三条
近衛忠嗣 応永9年8月22日
(1402年9月19日)
応永16年1月19日
1409年2月4日
後小松 後普賢寺
二条満基 応永16年3月21日
(1409年4月6日
応永17年12月27日*
1411年1月21日
後小松 福照院
今出川公行 応永18年4月11日
(1411年5月3日
応永25年12月2日
1418年12月29日
後小松、称光 後今出河
九条満教 応永25年12月2日
(1418年12月29日)
応永26年9月
1419年-月)
称光 後三縁院
徳大寺公俊 応永26年12月5日
(1419年12月21日
応永27年閏1月13日
1420年2月26日
称光 後野宮
二条持基 応永27年閏1月13日
(1420年2月26日)
応永32年
1425年
称光 後福照院
二条持基
(還任)
応永34年
1427年
正長2年8月4日
1429年9月2日
称光、後花園 後福照院
一条兼良 正長2年8月4日
(1429年9月2日)
永享4年8月28日
1432年9月22日
後花園 後成恩寺
足利義教 永享4年8月28日
(1432年9月22日)
永享10年8月28日
1438年9月17日
後花園 普広院
室町幕府6代将軍
近衛房嗣 永享10年9月4日
(1438年9月23日
文安3年4月13日
1446年5月8日
後花園 後知足院
鷹司房平 文安3年4月29日
(1446年5月24日
享徳4年3月4日
1455年3月21日
後花園 後照光院
洞院実熙 康正元年8月27日
(1455年10月8日
康正3年4月11日
1457年5月4日
後花園 東山
一条教房 康正3年6月17日
(1457年7月8日
長禄3年12月8日
1460年1月1日
後花園 妙華寺
三条実量 長禄3年12月8日
(1460年1月1日)
長禄4年7月27日
(1460年8月13日
後花園 後三条
足利義政 長禄4年8月27日
(1460年9月12日
応仁元年9月2日
1467年9月30日
後花園、後土御門 慈照院
室町幕府8代将軍
二条政嗣 応仁2年1月11日
1468年2月4日
文明7年2月11日
1475年3月18日
後土御門 如法寿院
九条政基 文明7年3月10日
(1475年4月15日
文明8年5月16日
1476年6月7日
後土御門 慈眼院
日野勝光 文明8年5月16日
(1476年6月7日)
文明8年6月14日
(1476年7月5日
後土御門 唯称院
鷹司政平 文明8年8月28日
(1476年9月16日
文明11年3月26日
1479年4月18日
後土御門 専称院
近衛政家 文明11年4月19日
(1479年5月10日
文明13年12月10日
1481年12月30日
後土御門 後法興院
今出川教季 文明13年12月28日
1482年1月17日
文明14年12月
(1482年-月)
後土御門 法雲院
西園寺実遠 文明15年1月1日
1483年2月8日
長享元年8月23日
1487年9月10日
後土御門 後竹林院
徳大寺実淳 長享元年8月29日
(1487年9月16日
明応2年4月26日
1493年5月11日
後土御門 禅光院
花山院政長 明応2年4月30日
(1493年5月15日
明応5年11月15日
1496年12月19日
後土御門 鳳栖院
近衛尚通 明応5年12月3日
1497年1月6日
明応6年4月26日
(1497年5月28日
後土御門 後法成寺
今出川公興 明応6年4月27日
(1497年5月29日
永正2年2月23日
1505年3月28日
後土御門、後柏原 後法雲院
九条尚経 永正3年2月5日
1506年2月27日
永正10年10月5日
1513年11月2日
後柏原 後慈眼院
鷹司兼輔 永正12年4月16日
1515年5月29日
永正15年4月21日
1518年5月30日
後柏原 法音院
三条実香 永正15年5月28日
(1518年7月5日
永正18年7月1日
1521年8月3日
後柏原 後浄土寺
二条尹房 永正18年7月1日
(1521年8月3日)
大永3年3月2日
1523年3月18日
後柏原 後大染金剛院
徳大寺公胤 大永3年3月9日
(1523年3月25日
大永6年9月
1526年10月
後柏原、後奈良 後野宮
近衛稙家 享禄元年8月20日
1528年9月3日
天文4年12月10日
1535年1月3日
後奈良 恵雲院
西園寺実宣 天文6年12月21日
1538年1月21日
天文9年11月23日
1540年12月21日
後奈良 後観音寺
鷹司忠冬 天文10年1月12日
1541年2月7日
天文11年閏3月2日
1542年4月16日
後奈良 後専称院
一条房通 天文11年閏3月3日
(1542年4月17日
天文15年1月28日
1546年2月28日
後奈良 唯心院
三条公頼 天文15年1月30日
(1546年3月2日
天文15年3月25日
(1546年4月25日
後奈良 後竜翔院
今出川公彦 天文15年3月26日
(1546年4月26日
天文16年2月14日
1547年3月5日
後奈良 上善院
二条晴良 天文16年2月17日
(1547年3月8日
天文21年12月28日
1553年1月12日
後奈良 浄明珠院
一条兼冬 天文22年1月26日
(1553年2月8日
天文23年2月1日*
1554年3月4日
後奈良 後円明寺
近衛前嗣 天文23年4月11日
(1554年5月12日
弘治3年9月2日
1557年9月24日
後奈良、正親町 東求院
西園寺公朝 弘治3年9月2日
(1557年9月24日)
天正4年3月10日
1576年4月8日
正親町 慈光院
九条兼孝 天正4年11月21日
(1576年12月11日
天正5年11月20日
1577年12月29日
正親町 後月輪
一条内基 天正5年11月20日
(1577年12月29日)
天正12年12月
1585年1月)
正親町 自浄心院
二条昭実[4] 天正12年12月
(1585年1月)
天正13年3月10日
1585年4月9日
正親町 後中院
近衛信輔 天正13年3月10日
(1585年4月9日)
天正20年1月28日
1592年3月11日
正親町、後陽成 三藐院
豊臣秀次 天正20年1月29日
(1592年3月12日
文禄4年7月8日
1595年8月13日
後陽成 瑞泉寺
九条兼孝
(還任)
慶長5年12月19日
1601年1月23日
慶長6年1月27日
(1601年3月1日
後陽成 後月輪
近衛信尹
(還任)
慶長6年1月28日
(1601年3月2日
慶長10年7月24日
1605年9月7日
後陽成 三藐院
信輔から改名
鷹司信房 慶長11年11月10日
1606年12月9日
慶長13年12月26日
1609年1月31日
後陽成 後法音院
九条忠栄 慶長17年3月13日
1612年4月13日
慶長19年1月14日
1614年2月22日
後水尾 惟忖院
鷹司信尚 慶長19年1月14日
(1614年2月22日)
元和6年1月13日
1620年2月16日
後水尾 景皓院
近衛信尋 元和6年1月13日
(1620年2月16日)
寛永6年9月2日
1629年10月18日
後水尾 本源自性院
一条兼遐 寛永6年9月11日
(1629年10月27日
寛永9年12月24日
1633年2月2日
後水尾、明正 智徳院
花山院定熙 寛永9年12月24日
(1633年2月2日)
寛永9年12月28日
(1633年2月6日
明正 霜松院
二条康道 寛永9年12月28日
(1633年2月6日)
寛永14年12月24日
1637年2月7日
明正 後浄明珠院
鷹司教平 寛永17年3月21日
1640年5月11日
寛永18年12月1日
1642年1月1日
明正 一致院
九条道房 寛永18年12月2日
(1642年1月2日
正保4年1月10日
1647年2月14日
明正、後光明 後浄土寺
近衛尚嗣 正保4年7月3日
(1647年8月3日
慶安5年8月3日
1652年9月5日
後光明 妙有真空院
二条光平 慶安5年9月15日
(1652年10月17日
明暦4年4月27日
1658年5月29日
後光明、後西 後是心院
三条実秀 万治3年1月13日
1660年2月23日
万治4年4月1日
1661年4月29日
後西 己心院
花山院定好 寛文元年5月24日
(1661年6月20日
寛文3年1月12日
1663年2月19日
後西 淳貞院
鷹司房輔 寛文3年1月12日
(1663年2月19日)
寛文7年閏2月18日
1667年4月11日
後西、霊元 後景皓院
西園寺実晴 寛文7年4月8日
(1667年5月30日
寛文8年5月27日
1668年7月6日
霊元 大忠院
徳大寺公信 寛文8年9月1日
(1668年10月6日
寛文9年12月12日
1670年2月2日
霊元 正桂院
大炊御門経孝 寛文10年4月7日
(1670年5月25日
寛文11年5月4日
1671年6月10日
霊元 後光福寺
九条兼晴 寛文11年5月7日
(1671年6月13日
延宝5年11月12日*
1677年12月6日
霊元 後往生院
近衛基熙 延宝5年12月8日
1678年1月1日
元禄3年12月26日
1691年1月24日
霊元、東山 応円満院
鷹司兼熙 元禄3年12月26日
(1691年1月24日)
元禄17年1月10日
1704年2月14日
東山 心空華院
大炊御門経光 元禄17年1月10日
(1704年2月14日)
元禄17年1月11日
(1704年2月15日
東山 後香隆寺
近衛家熙 元禄17年1月11日
(1704年2月15日)
宝永5年1月21日
1708年2月12日
東山 予楽院
九条輔実 宝永5年1月21日
(1708年2月12日)
正徳5年3月11日
1715年4月14日
東山、中御門 後洞院
三条実治 正徳5年3月12日
(1715年4月15日
正徳5年8月12日
(1715年9月9日
中御門 暁心院
二条綱平 正徳5年8月12日
(1715年9月9日)
享保7年5月3日
1722年6月16日
中御門 敬信院
近衛家久 享保7年5月3日
(1722年6月16日)
享保11年9月15日
1726年10月10日
中御門 如是観院
二条吉忠 享保11年9月15日
(1726年10月10日)
元文2年8月3日
1737年8月28日
中御門、桜町 安祥院
一条兼香 元文2年11月7日
(1737年11月28日
延享2年2月13日
1745年3月15日
桜町 後円成寺
西園寺致季 延享2年2月29日
(1745年3月31日
延享2年3月22日
(1745年4月23日
桜町 円寿光院
一条道香 延享2年3月23日
(1745年4月24日
寛延元年12月12日
1749年1月30日
桜町、桃園 得成寺
醍醐冬熙 寛延元年12月27日
(1749年2月14日
寛延2年2月2日
(1749年3月20日
桃園 後信性普明寺
近衛内前 寛延2年2月8日
(1749年3月26日
宝暦9年11月26日
1760年1月13日
桃園 大解脱院
九条尚実 宝暦9年11月26日
(1760年1月13日)
安永7年12月10日
1779年1月27日
桃園、後桜町後桃園 遍照金剛寺
鷹司輔平 安永7年12月10日
(1779年1月27日)
天明7年5月26日
1787年7月11日
後桃園、光格 後心空院
一条輝良 天明7年5月26日
(1787年7月11日)
寛政3年11月28日
1791年12月23日
光格 後得成寺
鷹司政熙 寛政3年11月28日
(1791年12月23日)
寛政8年4月24日
1796年5月30日
光格 文思恭院
二条治孝 寛政8年4月24日
(1796年5月30日)
文化11年4月2日
1814年5月21日
光格 法寿金剛院
一条忠良 文化11年4月2日
(1814年5月21日)
文化12年1月4日
1815年2月12日
光格 大勝寺
近衛基前 文化12年1月4日
(1815年2月12日)
文政3年4月18日
1820年5月29日
光格、仁孝 証常楽院
鷹司政通 文政3年6月1日
(1820年7月10日
文政7年1月5日
1824年2月4日
仁孝 真誠院
二条斉信 文政7年1月5日
(1824年2月4日)
弘化4年4月26日*
1847年6月9日
仁孝、孝明 成徳院
九条尚忠 弘化4年6月15日
(1847年7月26日
安政4年1月4日
1857年1月29日
孝明 後遍照金剛寺
近衛忠熙 安政4年1月4日
(1857年1月29日)
安政6年3月28日
1859年4月30日
孝明  
一条忠香 安政6年3月28日
(1859年4月30日)
文久3年11月7日
1863年12月17日
孝明  
二条斉敬 文久3年12月23日
1864年1月31日
慶応3年9月27日
1867年10月24日
孝明、明治  
近衛忠房 慶応3年9月27日
(1867年10月24日)
慶応3年11月30日
(1867年12月25日
明治  
九条道孝 慶応3年11月30日
(1867年12月25日)
明治2年6月5日
1869年7月13日
明治  
南朝(吉野朝廷)の左大臣  ※史料によって判明している人物のみ
近衛経忠 - 延元4年8月1339年9月)見 - 後醍醐、後村上
二条師基   後村上 光明台院
洞院公賢 正平6年11月13日1351年12月2日)任 - 後村上 正平一統に伴う任官
洞院実世 - 正平13年8月19日1358年9月22日)辞* 後村上 与喜
西園寺公重   後村上 北山、遍照光院
二条教基   後村上  
二条教頼 - 弘和元年12月1381年12月)見 - 長慶
二条冬実   後亀山  
武家官位としての左大臣
徳川家光 寛永3年8月19日
1626年10月9日
慶安4年4月20日*
1651年6月8日
後水尾、明正、後光明 江戸幕府3代将軍
徳川家斉 文政5年2月6日
1822年3月28日
文政10年2月16日
1827年3月13日
仁孝 江戸幕府11代将軍
徳川家慶 天保8年8月5日
1837年9月4日
嘉永6年6月22日*
1853年7月27日
仁孝、孝明 江戸幕府12代将軍
明治時代の太政官制における左大臣
島津久光 明治7年(1874年4月27日 明治8年(1875年10月27日 明治  
熾仁親王 明治13年(1880年2月28日 明治18年(1885年12月22日 明治 有栖川宮家9代

贈左大臣の一覧

没後に左大臣を追贈された人物の一覧。 テンプレート:節stub

追贈 生前の官位 典拠・備考
藤原房前 天平9年10月7日737年11月3日 参議正三位 続日本紀
藤原種継 延暦4年9月24日785年10月31日 中納言・正三位
藤原内麻呂 弘仁3年10月6日812年11月13日 右大臣従二位 日本後紀
藤原園人 弘仁9年12月19日819年1月18日 右大臣・従二位 日本紀略
藤原長良 貞観19年1月29日877年2月15日 権中納言・従二位 日本三代実録
菅原道真 正暦4年6月26日993年7月18日 右大臣・従二位 小右記
藤原長実 久安2年10月4日1146年11月9日 権中納言正三位 台記
平時信 仁安3年6月29日1168年8月4日 兵部権大輔正五位下 兵範記
藤原信隆 (年月日不明) 修理大夫・正三位 師守記
藤原範季 建暦元年5月26日1211年7月8日 非参議・従二位 玉蘂
平親範 (年月日不明) 参議・正三位 尊卑分脈
源通宗 仁治3年7月11日1242年8月8日 参議・正四位下 百練抄
(京極贈左大臣[5] (年月日不明) 新葉和歌集』 南朝による追贈
四条隆資 正平11年(1356年)? 権大納言従一位
足利尊氏 延文3年6月3日1358年7月9日 権大納言・正二位 愚管記』 室町幕府初代将軍
足利義詮 貞治6年12月30日1368年1月20日 権大納言・正二位 『愚管記』 室町幕府2代将軍
勘解由小路兼綱 応永16年10月14日1409年11月21日 准大臣・従一位 諸家伝
足利満詮 応永25年5月14日1418年6月18日 権大納言・従二位 看聞日記
日野西資国 (年月日不明) 准大臣・正三位 押小路文書
足利義勝 嘉吉3年7月23日1443年8月18日 左中将従四位下 『看聞日記』 室町幕府7代将軍
庭田経有 文安元年5月6日1444年5月23日 右少将・従四位下 益長卿記
日野重光 文安2年3月9日1445年4月16日 大納言従一位 公卿補任
万里小路宣房 享徳2年10月20日1453年11月20日 大納言・従一位 康富記
足利義量 康正3年2月27日1457年3月22日 参議・従四位下 宗賢卿記』 室町幕府5代将軍
足利義澄 永正18年8月12日1521年9月12日 参議・従三位 資定卿記』 室町幕府11代将軍
勧修寺教秀 大永8年7月4日1528年7月20日 准大臣従一位 実隆公記
足利義晴 天文19年5月7日1550年5月23日 権大納言・従三位 言継卿記』 室町幕府12代将軍
日野内光 永禄2年2月11日1559年3月19日 権大納言・正三位 瑞光院記
足利義輝 永禄8年6月7日1565年7月4日 参議・従四位下 『言継卿記』 室町幕府13代将軍
勧修寺晴右 慶長4年12月13日1600年1月28日 権大納言・従一位 続史愚抄
園基任 正保2年1月13日1645年2月9日 参議・従三位 諸家伝
園基音 寛文7年7月5日1667年8月24日 権大納言・正二位 重房宿禰記
櫛笥隆致 寛文7年7月28日(1667年9月16日 左権中将従四位上 『諸家伝』
正親町実光 嘉永3年3月5日1850年4月16日 権大納言・正二位 言成卿記

脚注

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参考文献

  • 『新訂増補国史大系公卿補任 第1篇』 吉川弘文館 黒板勝美(編) ISBN 4642003568
  • 『新訂増補国史大系・公卿補任 第2篇』 吉川弘文館 黒板勝美(編) ISBN 4642003576
  • 『新訂増補国史大系・公卿補任 第3篇』 吉川弘文館 黒板勝美(編) ISBN 4642003584
  • 『新訂増補国史大系・公卿補任 第4篇』 吉川弘文館 黒板勝美(編) ISBN 4642003592
  • 『新訂増補国史大系・公卿補任 第5篇』 吉川弘文館 黒板勝美(編) ISBN 4642003606

関連項目

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  1. 公卿補任』は田麻呂の左大臣転任のことを載せるが、『続日本紀』にはこれに当該する記事がなく、延暦2年(783年)3月に現職右大臣のまま薨去したとする。
  2. 異説として、同年12月28日897年2月3日)説や翌29日説がある。
  3. 異説として、同年6月20日(1395年7月7日)説がある。
  4. 公卿補任』『諸家伝』ともに昭実の左大臣転任のことを載せるが、『二条家譜』にはこの記事がなく、右大臣のまま留任したとされる。しかるに、天正13年2月12日1585年3月13日)の関白宣下の際に昭実は右大臣としてこれを受け、左大臣一条内基の上に列せられているので(『関白宣下一会』)、『家譜』の説を採用すべきであろう。
  5. 新葉和歌集作者。近世以来、阿野公廉中院光忠日野資朝などに比定する見解が出されているが、何れも根拠に乏しく、定説には至っていない。