死球
死球(しきゅう、テンプレート:Lang-en-short)とは、野球において投手の投げたボールが打者に当たった結果、打者に一塁が与えられることである。日本ではデッドボール(和製英語)とも呼ばれる[1]。
目次
概説
投手の投球が打者に触れた場合、球審はボールデッドのジェスチャー(両手を上方に広げる、ファウルボールと同じジェスチャー。デッドボールとは主旨が異なる)をしてプレイを停止する(公認野球規則5.09(a))。ここで「投球が打者に触れる」とは、適正に着用された打者のユニフォームをかすった場合や、バウンドした投球が打者に触れた場合も含まれる。
そのうえで、球審が次のいずれにも該当しないと判断した場合、死球が宣告され打者に一塁が与えられる(公認野球規則2.73(e)および6.08(b))。
- 打者がバットを振っている(バントも含まれる)場合。ストライクが宣告される。
- バウンドしない投球がストライクゾーンを通過している場合。ストライクが宣告される。
- 打者が避けようとせずにボールに当たった場合。ボールが宣告される。ただし、球審が避けられないと判断した場合は除く。
死球が認められる場合、球審はボールデッドのジェスチャーをし、必要に応じてボールが当たった箇所を示す(ノーボイス)。これにより打者は一塁への安全進塁権を得る。また、打者が一塁に進んだことで押し出される走者に限り、次の塁へ進む権利を得る(満塁の場合、三塁走者は本塁へ進む。いわゆる「押し出し」)。なお、投球が打者に触れた時点でボールデッドとなるため、次の塁を与えられた走者以外は進塁を試みることは認められず、盗塁を試みていても元の塁に戻される。
ビーンボール
死球のリスクをともなう一方で、投手が打者に近いコースを狙って投球することは野球における戦術のひとつである(内角攻め)[2]。アメリカ合衆国では打者の頭部を狙う投球を「ビーンボール(beanball)」と呼び(beanは古い英語のスラングで頭を指す)、打者を仰け反らせることを意図した投球である「ブラッシュバック・ピッチ(brush-back pitch)」とは区別している。しばしばビーンボールを投じる投手は「ヘッドハンター(head hunter)」と呼ばれる。日本ではこれらを区別せず、打者を狙った投球を一般にビーンボールと呼んでいる。
また、野球の不文律を破った選手に対して制裁として故意に死球が投じられることがある。この場合は頭部ではなく、より危険の少ない背中や足(アキレス腱以外)などが狙われる[3]。
事故例
日本プロ野球
- テンプレート:By8月26日に行われた阪神タイガース対広島東洋カープ戦で、左こめかみに死球を受けた阪神の田淵幸一が耳から血を流しながら昏倒。ただちに救急車で病院に搬送されたが後遺症で難聴になったという事例があり、このことがきっかけで打者は耳当てつきヘルメットの着用が義務付けられた。
- テンプレート:By6月9日に行われた近鉄バファローズ対ロッテオリオンズ戦で、八木沢荘六の投球を顔面に受けた近鉄のチャーリー・マニエルが顎を複雑骨折する大怪我を負っている。マニエルは約2か月後に復帰した際、フェイスガード付きヘルメットをかぶって打席に立った[4]。
メジャーリーグベースボール
- テンプレート:By8月16日に行われたニューヨーク・ヤンキース対クリーブランド・インディアンス戦で、インディアンスのレイ・チャップマンがヤンキースのカール・メイズの投球を頭部の左側こめかみ部分に受け、翌日死亡するという悲劇が起きた[5]。MLBにおいて、2013年シーズン終了時点で試合中に他選手から傷害を受けて死亡した唯一の例[6]。
- テンプレート:By5月25日に行われたデトロイト・タイガース対ニューヨーク・ヤンキース戦で、タイガースのミッキー・カクレーンが投球を頭部の右側こめかみ部分に受けて10日間意識不明となる損傷を負った[7][8]。カクレーンはそのまま現役を引退。その後も後遺症と言われる頭痛に絶えず悩まされ続けた[8]。
- テンプレート:By8月18日に行われたボストン・レッドソックス対カリフォルニア・エンゼルス戦で、レッドソックスのトニー・コニグリアロがエンゼルスのジャック・ハミルトンの投球を左目の下に受けて頬骨を粉砕骨折し、網膜の損傷で失明の危機に陥った[9]。コニグリアロはテンプレート:Byにアメリカンリーグ史上最年少の20歳で最多本塁打のタイトルに輝き、将来のアメリカ野球殿堂入りが有望視されていたほどの選手だった[7]。死球による怪我から復帰後のテンプレート:Byにはカムバック賞を受賞したが、後遺症に苦しみ、若くして引退した。
日本プロ野球における危険球
公認野球規則では8.02(d)において、投手は打者を狙って投球することが禁じられており、「これを投球した投手およびそのチームの監督には、審判員により退場を宣告もしくは同様の行為をもう一度行った場合は即刻退場させる旨の警告が発せられる」と定められている。この場合、打者に投球が当たったか否かは問わず、審判は自身の判断で投手(または投手と監督)を退場させることができる。
日本野球機構ではこれとは別に、セ・パ両リーグのアグリーメント39条に危険球についての規定を置いている[10][11]。これによれば、「投手の投球が打者の顔面、頭部、ヘルメット等に直接当たり、審判員がその投球を危険球と判断したとき、その投手は即退場となる」とされている。また、「危険球」とは「打者の選手生命に影響を与える、と審判員が判断したものをいう」と定義されている。なお、頭部に投球が当たった場合でも緩い変化球などでそれが危険球ではないと判断された場合は、投手は即退場にはならず、警告が発せられる。この場合、次にいずれかのチームの投手が頭部付近への投球を行えば退場を命じられる。退場の記録はその試合が雨などでノーゲームになっても残る[12]。
危険球制度が導入されたきっかけは、テンプレート:By5月11日にヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツ(巨人)戦で発生した死球合戦と乱闘騒ぎである。事態を重く見たセントラル・リーグは緊急理事会を開き、さしあたって「故意・過失を問わず頭部に死球を与えた投手は退場」というアグリーメントを新規に設けた(最初の適用者は中日ドラゴンズの郭源治)。一方でパシフィック・リーグでは、審判がそれまで以上に厳しいルールの運用をするという見解にとどめた。両リーグの違いの一例として、1999年4月9日に巨人・村田真一が横浜ベイスターズ・斎藤隆から顔面に死球を受けた際、斎藤は即退場となったが、同年の9月8日に福岡ダイエーホークス・秋山幸二が西武ライオンズ・松坂大輔から顔面に死球を受けた際は、松坂は警告処分のみ発せられた。セ・パ共通の現行のルールになったのはテンプレート:Byからである(最初の適用者はセでは巨人・三浦貴、パではテンプレート:Byのダイエー・吉武真太郎)。
前述のとおり、最初の危険球で警告となるか即退場となるかは球審の裁量に委ねられるが、従来から一度でも危険球を投げた場合は即退場としていたセ・リーグでは現在でも即退場となる場合が多く、対照的に警告後退場のルールを運用していたパ・リーグでは即退場処分が少ない傾向にあるテンプレート:要出典。2005年5月13・14日に行われた西武ライオンズ対巨人(インボイスSEIBUドーム)の試合では、両日2戦合わせて6個の死球が出たことから、審判団が15日の第3回戦を「パ・リーグ アグリーメント」に基づいて「警告試合」とし、この試合で死球を与えた投手は即刻退場、また意図的にぶつけたなど悪質な場合はそのチームの監督も退場にするという警告を両チームに発した。
なお、テンプレート:Byシーズン終了時点で、危険球による退場の最多記録は桑田真澄と浅尾拓也の3度である。桑田は1995年、1999年、2005年に1度ずつ記録したものに対し、浅尾は全て2008年の記録である。
プロ初登板で危険球退場になったのは、テンプレート:By9月1日の小林正人(中日)、テンプレート:By4月18日の矢地健人(中日)である。また1球で危険球退場になった投手として、テンプレート:By6月17日の高井雄平(東京ヤクルトスワローズ)、テンプレート:By4月30日の岩瀬仁紀(中日)[13]、テンプレート:By8月2日の有銘兼久(東北楽天ゴールデンイーグルス)、テンプレート:By9月16日の甲藤啓介(ソフトバンク)、テンプレート:By4月24日の松井光介(ヤクルト)等がいる。2012年の日本シリーズ第5戦では多田野数人(北海道日本ハムファイターズ)が日本シリーズでは初めてとなる危険球退場の処分を受けている(ただし、これは危険球の基準からしても誤審であった可能性が極めて高い)[14]。 また、渡辺俊介(千葉ロッテマリーンズ)は2006年4月29日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、6回までノーヒットノーランピッチングを続けていたものの、7回先頭の鉄平に2打席連続の死球となる頭部に死球を与えてしまい、危険球による退場処分を受け、アクシデント以外では非常に珍しい被安打0での降板かつ退場処分ながら勝利投手という珍記録を樹立した。
与死球
与死球(よしきゅう)は、投手が打者に死球を与えることで、投手に付けられる記録である。
上記の要領で打者に死球が記録されると同時に、投手には与死球が記録される。対戦打者の死球と対戦投手の与死球は必ず同数になる。
死球数に関する記録
日本プロ野球
通算記録
順位 | 選手名 | 死球 | 順位 | 選手名 | 死球 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 清原和博 | 196 | 11 | 松中信彦 | 117 |
2 | 竹之内雅史 | 166 | 12 | 加藤俊夫 | 116 |
3 | 衣笠祥雄 | 161 | 13 | 王貞治 | 114 |
4 | 井上弘昭 | 137 | 14 | 城島健司 | 113 |
5 | 稲葉篤紀 | 136 | 15 | 谷繁元信 | 112 |
6 | 井口資仁 | 134 | 16 | 古田敦也 | 111 |
7 | 田淵幸一 | 128 | 17 | グレッグ・ラロッカ | 109 |
8 | 野村克也 | 122 | 18 | 中島裕之 | 108 |
9 | 阿部慎之助 | 119 | 19 | 田宮謙次郎 | 104 |
10 | 村田修一 | 118 | 高橋由伸 |
- 記録は2013年シーズン終了時点[15]
シーズン記録
順位 | 選手名 | 所属球団 | 死球 | 記録年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | グレッグ・ラロッカ | オリックス・バファローズ | 28 | 2007年 | パ・リーグ記録 |
2 | 岩本義行 | 大洋ホエールズ | 24 | 1952年 | セ・リーグ記録 |
3 | グレッグ・ラロッカ | 広島東洋カープ | 23 | 2004年 | |
アーロン・ガイエル | 東京ヤクルトスワローズ | 2007年 | |||
5 | 城島健司 | 福岡ダイエーホークス | 22 | 2004年 | |
渡辺直人 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 2008年 | |||
7 | グレッグ・ラロッカ | 東京ヤクルトスワローズ | 20 | 2006年 | |
8 | 三村敏之 | 広島東洋カープ | 19 | 1972年 | |
フリオ・ズレータ | 福岡ダイエーホークス | 2004年 | |||
飯原誉士 | 東京ヤクルトスワローズ | 2010年 | |||
糸井嘉男 | 北海道日本ハムファイターズ | 2011年 | |||
アーロム・バルディリス | オリックス・バファローズ | 2011年 |
- 記録は2013年シーズン終了時点[16]
その他の記録
チーム | 死球数 | 記録日 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
日本ハムファイターズ | 7 | 1979年5月12日 | ロッテオリオンズ |
選手名 | 所属球団 | 死球数 | 記録日 | 対戦相手 |
---|---|---|---|---|
竹之内雅史 | 西鉄ライオンズ | 3 | 1970年5月24日 | 阪急ブレーブス |
関本賢太郎 | 阪神タイガース | 2008年9月10日 | 東京ヤクルトスワローズ |
選手名 | 所属球団 | 死球数 | 記録日 | 対戦相手 | イニング |
---|---|---|---|---|---|
衣笠祥雄 | 広島東洋カープ | 2 | 1976年8月31日 | 中日ドラゴンズ | 3回表 |
アーロン・ガイエル | 東京ヤクルトスワローズ | 2007年8月1日 | 阪神タイガース | 5回表 | |
平野恵一 | 阪神タイガース | 2010年8月25日 | 広島東洋カープ | 7回裏 |
メジャーリーグベースボール
通算記録
順位 | 選手名 | 死球 | 順位 | 選手名 | 死球 |
---|---|---|---|---|---|
1 | ヒューイー・ジェニングス | 287 | 11 | アンドレス・ガララーガ | 178 |
2 | クレイグ・ビジオ | 285 | 12 | ジェイソン・ジアンビ | 175 |
3 | トミー・タッカー | 272 | 13 | カート・ウェルチ | 173 |
4 | ドン・ベイラー | 267 | 14 | カルロス・デルガド | 172 |
5 | ジェイソン・ケンドール | 254 | 15 | アレックス・ロドリゲス | 167 |
6 | ロン・ハント | 243 | 16 | キッド・エルバーフェルト | 165 |
7 | ダン・マッギャン | 230 | 17 | デレク・ジーター | 163 |
8 | フランク・ロビンソン | 198 | 18 | フェルナンド・ビーニャ | 157 |
9 | ミニー・ミノーソ | 192 | 19 | ブラディ・アンダーソン | 154 |
10 | ジェイク・ベックリー | 183 | フレッド・クラーク |
- 記録は2013年シーズン終了時点[17]
シーズン記録
順位 | 選手名 | 所属球団 | 死球 | 記録年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | ヒューイー・ジェニングス | ボルチモア・オリオールズ | 51 | 1896年 | |
2 | ロン・ハント | モントリオール・エクスポズ | 50 | 1971年 | ナ・リーグ記録 |
3 | ヒューイー・ジェニングス | ボルチモア・オリオールズ | 46 | 1897年 | |
ヒューイー・ジェニングス | ボルチモア・オリオールズ | 1898年 | |||
5 | ダン・マッギャン | ボルチモア・オリオールズ | 39 | 1898年 | |
6 | ダン・マッギャン | スーパーバス→セネタース | 37 | 1899年 | |
7 | カート・ウェルチ | ボルチモア・オリオールズ | 36 | 1891年 | |
8 | ドン・ベイラー | ボストン・レッドソックス | 35 | 1986年 | ア・リーグ記録 |
9 | カート・ウェルチ | アスレチックス→オリオールズ | 34 | 1890年 | |
クレイグ・ビジオ | ヒューストン・アストロズ | 1997年 |
- 記録は2013年シーズン終了時点[18]
与死球数に関する記録
日本プロ野球
通算記録
順位 | 選手名 | 与死球 | 順位 | 選手名 | 与死球 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 東尾修 | 165 | 11 | 村上雅則 | 113 |
2 | 渡辺秀武 | 144 | 12 | 小林繁 | 111 |
3 | 米田哲也 | 143 | 13 | 高橋一三 | 110 |
坂井勝二 | 14 | 小山正明 | 109 | ||
5 | 仁科時成 | 142 | 15 | 今井雄太郎 | 102 |
6 | 山田久志 | 135 | 16 | 若生忠泰 | 100 |
7 | 足立光宏 | 130 | 石井一久 | ||
8 | 村田兆治 | 124 | 18 | 野村収 | 99 |
9 | 佐々木宏一郎 | 122 | 北別府学 | ||
10 | 平松政次 | 120 | 20 | 高橋重行 | 98 |
- 記録は2013年シーズン終了時点[19]
シーズン記録
順位 | 選手名 | 所属球団 | 与死球 | 記録年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 森安敏明 | 東映フライヤーズ | 22 | 1968年 | パ・リーグ記録 |
2 | ジェレミー・パウエル | 大阪近鉄バファローズ | 21 | 2002年 | |
3 | 河原明 | 西鉄ライオンズ | 20 | 1970年 | |
村上雅則 | 南海ホークス | 1972年 | |||
小林繁 | 阪神タイガース | 1980年 | セ・リーグ記録 | ||
6 | 秋山登 | 大洋ホエールズ | 19 | 1956年 | |
渋谷幸春 | 中日ドラゴンズ | 1971年 | |||
河原明 | 西鉄ライオンズ | 1972年 | |||
仁科時成 | ロッテオリオンズ | 1979年 | |||
10 | 河原明 | 西鉄ライオンズ | 18 | 1971年 | |
高橋一三 | 日本ハムファイターズ | 1976年 | |||
仁科時成 | ロッテオリオンズ | 1980年 | |||
仁科時成 | ロッテオリオンズ | 1981年 | |||
深沢恵雄 | ロッテオリオンズ | 1982年 | |||
ブライアン・バリントン | 広島東洋カープ | 2011年 |
- 記録は2012年シーズン終了時点[20]
1試合記録
選手名 | 所属球団 | 与死球数 | 記録日 | 対戦相手 |
---|---|---|---|---|
村上雅則 | 南海ホークス | 5 | 1972年8月29日 | 西鉄ライオンズ |
メジャーリーグベースボール
通算記録
順位 | 選手名 | 与死球 | 順位 | 選手名 | 与死球 |
---|---|---|---|---|---|
1 | ガス・ウェイング | 277 | 11 | クラーク・グリフィス | 171 |
2 | チック・フレーザー | 219 | 12 | サイ・ヤング | 163 |
3 | ピンク・ホーリー | 210 | 13 | ジム・バニング | 160 |
4 | ウォルター・ジョンソン | 205 | 14 | ロジャー・クレメンス | 159 |
5 | エディ・プランク | 190 | 15 | ノーラン・ライアン | 158 |
ランディ・ジョンソン | 16 | ビック・ウィリス | 157 | ||
7 | ティム・ウェイクフィールド | 186 | 17 | バート・ブライレブン | 155 |
8 | トニー・マレーン | 185 | 18 | ドン・ドライスデール | 154 |
9 | ジョー・マクギニティ | 179 | 19 | アドニス・テリー | 148 |
10 | チャーリー・ハフ | 174 | バート・カンニンガム |
- 記録は2013年シーズン終了時点[21]
シーズン記録
順位 | 選手名 | 所属球団 | 与死球 | 記録年 |
---|---|---|---|---|
1 | フィル・ネル | コロンバス・ソロンズ | 54 | 1891年 |
2 | フランク・フォアマン | ワシントン・ステイツメン | 43 | 1891年 |
3 | ガス・ウェイング | フィラデルフィア・アスレチックス | 42 | 1888年 |
4 | フランク・フォアマン | ボルチモア・オリオールズ | 40 | 1889年 |
ジョー・マクギニティ | ブルックリン・スーパーバス | 1900年 | ||
6 | ダニー・フレンド | シカゴ・コルツ | 39 | 1896年 |
7 | ガス・ウェイング | フィラデルフィア・アスレチックス | 37 | 1887年 |
エド・ヘイニー | ニューヨーク・ジャイアンツ | 1899年 | ||
9 | ウィル・ホワイト | シンシナティ・レッドストッキングス | 35 | 1884年 |
10 | ガス・ウェイング | フィラデルフィア・アスレチックス | 34 | 1889年 |
- ア・リーグ記録はチック・フレーザー(フィラデルフィア・アスレチックス)の32(1901年)
- ナ・リーグ記録はジェイク・ウェイマー(シンシナティ・レッズ)の23(1907年)
- 記録は2013年シーズン終了時点[22]
脚注
関連項目
テンプレート:野球- ↑ なお、アメリカで「デッドボール」といえば1900年代〜1910年代に広く用いられていた「飛ばないボール」のことを指し、実際この時代は「デッドボール時代」と呼ばれている。
- ↑ 内角攻めた!危険球ショック払しょく山口 nikkansports.com 2012年8月5日
- ↑ 新井良ガッツポーズに“報復死球” 東スポweb 2012年08月03日
- ↑ 【8月4日】1979年(昭54) “赤鬼”マニエル、“アメフット”スタイルで復活 nikkansports.com
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 7.0 7.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 8.0 8.1 テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ Q&A 危険球についての定義を教えて下さい。 npb.or.jp
- ↑ 多田野“危険球”で退場…加藤にはハムファンからブーイング Sponichi Annex 2012年11月1日
- ↑ 【ソフトB】試合不成立でも大場退場成立 nikkansports.com 2011年9月19日
- ↑ あ!危険球 中日岩瀬1球で退場 nikkansports.com 2009年5月1日
- ↑ 【日本ハム】多田野日本S初の危険球退場」 nikkansports.com 2012年11月1日
- ↑ 歴代最高記録 死球 【通算記録】
- ↑ 歴代最高記録 死球 【シーズン記録】
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 歴代最高記録 与死球 【通算記録】
- ↑ 歴代最高記録 与死球 【シーズン記録】
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web