高井雄平
テンプレート:Infobox baseball player 高井 雄平(たかい ゆうへい、1984年6月25日 - )は東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(外野手)。2011年シーズンからの登録名は雄平。
目次
経歴
プロ入り前
東北高等学校時代には、「高校ナンバー1の左腕投手」として、日本はもとよりメジャーリーグ球団のスカウトからも注目。高校時代の監督からは、「投げて後藤伸也以上、打って嶋重宣以上」という表現でプロ入りした先輩2人と比較されるほど、潜在能力の高さを評された。現に、投手としてストレートで最速151km/h[1]を計測された一方で、打者として高校通算36本塁打を記録している[2]。
2002年のドラフト会議で大阪近鉄バファローズととヤクルトスワローズからドラフト1位指名され、ヤクルトが交渉権を獲得し入団。
プロ入り後
テンプレート:By、4月22日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で一軍公式戦初登板。6月11日の同カードで一軍初勝利。6月28日の対広島東洋カープ(広島市民球場)戦では、5回4失点10奪三振で勝利投手になった。この年、セントラル・リーグ最多の12暴投を記録した。
テンプレート:By、シーズン前半を二軍で過ごした。一軍での登板数は前年より減ったものの、後半に一軍へ昇格すると、先発で4勝を挙げた。
テンプレート:By、開幕を初めて一軍で迎えるとともに、前年後半に続いて先発陣の一角を担った、しかし、与四死球が多いことから、6月には二軍へ降格している。
テンプレート:By、石井一久がヤクルトに復帰したため、背番号を22に変更。この年からリリーフに回り36試合に登板したが、防御率は自己ワーストの6点台と結果を残せなかった。6月17日の対千葉ロッテマリーンズ戦mp7回表二死一、二塁で3番手で登板したが、打者の福浦和也に投じた初球が側頭部を直撃し、わずか1球で危険球により退場している。10月12日、この年初めて先発登板した試合であったが、1イニングに3個の暴投を記録。
テンプレート:By、高津が背番号を22番に変更したことにより、高井は背番号41に変更。また制球力を上げるため、投球フォームもノーワインドアップからセットポジションに変更した。7月16日の対中日ドラゴンズ戦では9回裏二死から5番手で登板し、プロ入り初セーブを記録。この年はチーム唯一の左の中継ぎとして、チーム・自身ともに最多の52試合に登板したが、ショートリリーフ中心ながら防御率5点台で6敗を記録し、シーズン終盤に二軍落ちした。
テンプレート:By、新監督の高田繁に先発復帰を示唆され、増渕竜義・由規・加藤幹典らなど若手と先発ローテーション争いを目指すこととなった。結果はコントロールが悪い上、ストレートも140km/hを超えず、結局1試合(2/3回)のみの登板に終わった。9月27日に開幕したハワイ・ウィンターリーグに鬼崎裕司とともに派遣され、ワイキキ・ビーチボーイズに所属した。
テンプレート:By、大幅なフォーム改造をおこなうも一軍登板は1試合のみに終わり、二軍でも結果を残せなかった。9月30日、フェニックスリーグからの野手転向を首脳陣から打診される。一度はそれを了承しながらも撤回し、サイドスロー転向による投手継続を直訴したが、結局、シーズン終了後の秋季キャンプ中に本格的に野手として専念する事を決めた。
テンプレート:By、一軍公式戦への出場機会はなかった。二軍ではイースタン・リーグの公式戦で規定打席に到達。、打率.283、4本塁打、35打点という結果を残した。
テンプレート:Byシーズンから登録名を「雄平」に変更することが発表された。二軍で打率.348、5本塁打R、24打点と首位打者をキープするなど、好調を維持し7月17日にオールスターゲーム前で登板機会のなくなる投手に代わって初の野手としての一軍登録を果たした。最終的には、一軍での出場機会は無かったものの、二軍では、規定打席に到達した打者ではトップの打率.330をマークした(首位打者は、規定打席に到達しなかったものの、首位打者の例外規定により楽天の銀次が獲得)。
テンプレート:By、野手として初めて開幕を一軍で迎えると、開幕2戦目の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)に代打で出場し、で野手転向後の一軍初安打を記録。5月に一軍出場登録を抹消され、9月に一軍へ再昇格、シーズン終了まで1番中堅手に定着した[2]。なお、開幕前には野手登録のまま、いわゆる「二刀流」の起用で救援投手を兼ねる可能性があることが一部で報じられた。公式戦では投手として起用される機会はなかったが、シーズン終了後には、延長戦での投手不足対策として再び「二刀流」の可能性が伝えられている[3]。
テンプレート:By、3月30日の対阪神タイガース戦(明治神宮野球場)で藤浪晋太郎から6回裏の打席で野手転向後初本塁打を放つなど、開幕から外野手のレギュラーとして一軍で活躍[4]。しかし、13試合目の出場になった4月17日の対中日戦(神宮)で、外野守備中にジャンピングキャッチ後の着地で右膝を負傷。その後の診断で右膝前十字靱帯を断裂していることが判明した[5]ため、5月10日に靱帯の再建手術を受けた[6]うえで、残りのシーズンをリハビリに費やした。
テンプレート:By、開幕から一軍に復帰。当初は「2番・右翼手」として起用されていた[7]が、5月28日の対北海道日本ハムファイターズ戦(神宮)で大谷翔平から自身初の二桁本塁打となる10号本塁打を含む2本塁打を記録[8]。5月は打率.364、8本塁打、19打点、長打率.646の成績で月間MVPを初めて受賞[9]。投手として同リーグの一軍公式戦へ登板した後に野手へ転向した選手の受賞は、1993年9月の仁村徹(中日)以来2人目である[10]。7月には、故障で戦線を離脱したウラディミール・バレンティンに代わって4番をつとめた[11]。オールスターゲームには、セントラル・リーグの監督推薦選手として、投手時代を含めて初めて選出[12]。
プレースタイル・人物
- 投手時代には、左腕からストレートで最速154km/h[13]を計測した速球派投手で、スライダー、カーブ、フォークといった変化球も投げていた。その剛球には周囲から一線級の期待が集まっていたが、プロ入り後は制球難に悩まされた。一軍公式戦での登板試合では、1試合平均の与四球率が5.0を上回ったほか、死球・暴投・悪送球を連発することが多かった。ちなみに、高井自身は、打者転向後に「プロに入って驚いたのが、ストライクゾーン(が極端に狭くなったように感じられること)」と述懐。投手時代の晩年には、得意のスライダーまで思うように曲がらなくなるほど、投球の感覚が鈍っていたという[2]。
- 野手としての能力も非常に高く、公式戦で本塁打を放つなど非凡な打撃センスを持ち合わせていることから、2009年フェニックスリーグで外野手として出場し、秋季キャンプから正式に転向した。もっとも、7年間のブランクは想像以上に大きく、転向当初は「ど真ん中(のストレート)を普通に振っているのに(バットに)当たらなかったので、とにかく(練習でバットを)振りまくった」という[2]。
- 50m走5秒8の俊足も持ち合わせている[14]。
- 父親は中学校の、母親は小学校の教師をしている。タレントのベッキーとは同じ小学校、中学校で高井は1学年下にあたる[15]。
- 妻は元モデルの篠田奈王子。2008年5月18日に結婚し、同年自らの誕生日でもある6月25日に入籍を発表した。
- BREATHEの宮田慧とは中学時代のリトルリーグが一緒で、共に神奈川から東北高校へ行った。2014年、BREATHEの『Tomorrows』を登場曲にした。
- 非常に練習熱心な選手で、オールスターに出場した際、解説の古田敦也に「練習熱心の選手だったので出場してくれて本当に嬉しい」と言われたほどである。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | ヤクルト | 30 | 35 | 30 | 2 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 4 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 15 | 1 | .200 | .200 | .267 | .467 |
テンプレート:By2 | 10 | 17 | 16 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | .313 | .313 | .313 | .626 | |
テンプレート:By2 | 18 | 18 | 13 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 5 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 9 | 1 | .154 | .214 | .385 | .599 | |
テンプレート:By2 | 36 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
テンプレート:By2 | 52 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
テンプレート:By2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
テンプレート:By2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
テンプレート:By2 | 47 | 153 | 143 | 14 | 40 | 4 | 0 | 0 | 44 | 8 | 2 | 3 | 3 | 0 | 7 | 0 | 0 | 19 | 0 | .280 | .313 | .308 | .621 | |
テンプレート:By2 | 13 | 43 | 37 | 6 | 11 | 4 | 1 | 2 | 23 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 10 | 0 | .297 | .395 | .622 | 1.017 | |
通算:9年 | 208 | 269 | 241 | 24 | 64 | 10 | 1 | 3 | 85 | 17 | 2 | 3 | 14 | 0 | 14 | 0 | 0 | 60 | 2 | .266 | .306 | .353 | .659 |
---|
- 2013年度シーズン終了時
年度別投手成績
テンプレート:By2 | ヤクルト | 27 | 17 | 0 | 0 | 0 | 5 | 6 | 0 | -- | .455 | 458 | 102.0 | 99 | 14 | 56 | 2 | 7 | 80 | 12 | 0 | 62 | 57 | 5.03 | 1.52 |
テンプレート:By2 | 9 | 8 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | -- | .667 | 223 | 49.0 | 48 | 7 | 29 | 1 | 3 | 54 | 8 | 0 | 26 | 24 | 4.41 | 1.57 | |
テンプレート:By2 | 18 | 11 | 1 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | 0 | .500 | 330 | 73.2 | 70 | 7 | 42 | 1 | 2 | 74 | 8 | 0 | 37 | 37 | 4.52 | 1.52 | |
テンプレート:By2 | 36 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 5 | .667 | 143 | 27.2 | 29 | 3 | 21 | 0 | 4 | 27 | 8 | 0 | 27 | 20 | 6.51 | 1.81 | |
テンプレート:By2 | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 6 | 1 | 12 | .333 | 188 | 43.1 | 39 | 3 | 24 | 3 | 0 | 30 | 3 | 0 | 26 | 25 | 5.19 | 1.45 | |
テンプレート:By2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 5 | 0.2 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 13.50 | 4.50 | |
テンプレート:By2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 4 | 1.0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 | |
通算:7年 | 144 | 37 | 1 | 0 | 0 | 18 | 19 | 1 | 17 | .486 | 1351 | 297.1 | 287 | 35 | 174 | 7 | 16 | 265 | 39 | 0 | 179 | 164 | 4.96 | 1.55 |
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- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- 月間MVP:1回 (2014年5月)
記録
- 投手記録
- 初登板:2003年4月22日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、8回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に斉藤宜之から空振り三振
- 初先発:2003年5月1日、対横浜ベイスターズ6回戦(明治神宮野球場)、3回5失点で敗戦投手
- 初勝利:2003年6月11日、対読売ジャイアンツ12回戦(東京ドーム)、4回裏に2番手で救援登板、3回無失点
- 初先発勝利:2003年6月28日、対広島東洋カープ14回戦(広島市民球場)、5回4失点
- 初完投:2005年5月27日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(札幌ドーム)、8回6失点で敗戦投手
- 初ホールド:2006年4月1日、対阪神タイガース2回戦(明治神宮野球場)、8回表に3番手で救援登板、1回1/3を無失点
- 初セーブ:2007年7月16日、対中日ドラゴンズ12回戦(ナゴヤドーム)、9回裏2死に5番手で救援登板・完了、1/3回無失点
- 打撃記録
- 初打席:2003年4月24日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)、5回表にマシュー・ランデルから左邪飛
- 初安打・初打点:2003年5月7日、対読売ジャイアンツ7回戦(明治神宮野球場)、4回裏に高橋尚成から右中間へ3点適時二塁打
- 初本塁打:2005年4月3日、対阪神タイガース3回戦(大阪ドーム)、3回表に能見篤史から中越ソロ
- 初盗塁:2012年5月16日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(明治神宮野球場)、2回裏1死に二盗(投手:山田大樹、捕手:山崎勝己)
- その他記録
- オールスターゲーム出場:1回 (2014年)
背番号
- 16 (2003年 - 2005年)
- 22 (2006年)
- 41 (2007年 - )
登録名
- 高井 雄平 (たかい ゆうへい、2003年 - 2010年)
- 雄平 (ゆうへい、2011年 - )
脚注
関連項目
外部リンク
- 高井雄平 オフィシャルブログ Powered by Ameba(2012年3月30日 - )
- 高井雄平 オフィシャルブログ(2008年10月1日 - 2012年3月29日)
- 高校野球情報.com 独占インタビュー 第44回 高井 雄平選手(2010年2月28日)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 テンプレート:Cite web
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- ↑ 高井のヤクルト入団決定時にはベッキーから直筆サイン色紙が贈られている。