山崎勝己

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テンプレート:Infobox baseball player 山崎 勝己(やまざき かつき、1982年8月16日 - )は、オリックス・バファローズに所属する兵庫県伊丹市出身のプロ野球選手捕手)。

経歴

プロ入り前

小学生時代には、中島裕之とのバッテリーで全国大会に出場。報徳学園高等学校へ進学した後に、2000年のドラフト会議福岡ダイエーホークス(当時)の4位指名を受けて入団した。ちなみに、このドラフトでは、兵庫県立伊丹北高等学校に進んでいた中島も西武ライオンズから4位指名を受けて入団している。

ダイエー・ソフトバンク時代

福岡ダイエーホークス時代のテンプレート:Byからテンプレート:Byまでは二軍生活に終始。球団が現在の福岡ソフトバンクホークスになったテンプレート:Byに、初めて一軍の公式戦へ出場するとともに、2打数1安打でプロ初安打を記録した。この年のシーズン終了後には、ダイエー時代の後期(1990年代後半)から不動のレギュラー捕手であった城島健司が、FA権の行使によってシアトル・マリナーズへ移籍している。

テンプレート:Byには、城島の抜けた正捕手の座をめぐって、先輩の的場直樹と競い合う格好で一軍に定着。5月9日広島東洋カープ戦では、栗原健太の打ったファウルチップを顔面に受けた衝撃で、3本の前歯が折れた。応急処置したチームトレーナーは病院へ行くように告げるが山崎は、痛み止めを服用せずに止血処置だけで再びグラウンドに登場。この試合で決勝打を放つとともに、捕手としても先発・新垣渚の完封劇を演出した。また、同月20日東京ヤクルトスワローズ戦では、一軍公式戦での初本塁打を記録。シーズン通算では、公式戦105試合に出場した。

テンプレート:Byには、2年続けて一軍公式戦に100試合以上出場。その一方で、盗塁阻止率では、12球団ワーストの.145を記録した。

テンプレート:Byには、打撃が振るわなかったことなどから、公式戦の出場は60試合にとどまった。後半戦には、入団2年目の高谷裕亮にレギュラーの座を明け渡している。

テンプレート:Byには、一軍の公式戦で自身初の三塁打を記録。しかし、山崎より打撃で勝る田上秀則が正捕手に定着したため、シーズン通算では30試合の出場に終わった。

テンプレート:Byは、開幕スタメンこそ逃すが、田上の不調からスタメンで出場する試合が増加。4月16日東北楽天ゴールデンイーグルス戦で3安打4打点と活躍したり、プロ10年目で福岡Yahoo! JAPANドームでの初本塁打を放ったりするなど、打撃面での好調を受けて正捕手の座を奪還する。6月には、左膝内側半月板損傷で戦線を離脱。この離脱を受けて、球団では中日ドラゴンズからベテラン捕手・清水将海を急遽獲得した[1]が、山崎は8月に一軍への復帰を果たした。シーズン通算では、打撃面で打率.210、打点18と、2006年に次ぐ好成績を記録。一軍公式戦ではシーズン自己最多となる2本塁打(いずれも福岡Yahoo! JAPANドーム)を放ったほか、盗塁阻止率も過去最高の.314(リーグ4位)を記録した。

テンプレート:Byには、背番号を62から29に変更。一軍の公式戦では、シーズンを通じて、この年に西武からFA権の行使で移籍した細川亨との併用策が執られた。

テンプレート:Byには、前年に続いて開幕から細川と併用されたが、スタメンマスクを任された6月6日横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で3年振りの本塁打を記録[2]。シーズン中の6月24日には、国内FA権を取得した[3]。しかし、91試合に出場しながら先発出場が42試合にとどまったことから、「一野球選手として他球団の評価も聞いてみたい。試合に出たい。先発でも出たい」という理由でシーズン終了後に国内FA権の行使を表明した[4]

オリックス時代

FA権の行使を宣言してからは、ソフトバンクに加えて、捕手陣の強化を求める地元・関西のオリックス・バファローズと交渉。その結果、11月29日にオリックスが山崎の獲得を発表した[5]。なお、背番号は山崎の希望で、ホークスへの入団から2011年まで付けていた62を再び付けることになった[6]

人物

  • 愛称は「カツオ」。由来は諸説あり「中島くん(中島裕之)の友達だから」「本名の勝己のもじりから」など。
  • 兵庫県伊丹市出身のスポーツ選手で結成されているNPO法人「伊丹アスリートクラブ」に所属しており、シーズンオフにはイベントを行っている。伊丹アスリートクラブのHPに『「サザエさん」のカツオ君を大人にしたような風貌とにこやかでソフトなイメージ』と記載されたことがある。
  • また、地元「阪神タイガース」のファンで、2006年の鷹の祭典用のユニフォームが黄色の部分が多く、また帽子のつばの部分が黄色くなったため、「タイガースのユニフォームを着たみたい」と喜んでいた。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 ダイエー
ソフトバンク
3 2 2 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .500 .500 .500 1.000
テンプレート:By2 105 284 245 17 56 7 0 1 66 19 1 0 19 2 17 0 1 72 3 .229 .279 .269 .549
テンプレート:By2 100 213 184 15 34 2 0 0 36 6 2 0 21 0 7 0 1 53 3 .185 .219 .196 .414
テンプレート:By2 60 111 97 5 13 3 0 0 16 7 0 0 8 1 5 0 0 21 0 .134 .175 .165 .340
テンプレート:By2 30 33 27 4 5 3 1 0 10 2 0 0 6 0 0 0 0 5 0 .185 .185 .370 .556
テンプレート:By2 77 236 205 12 43 9 0 2 58 18 0 0 16 1 11 2 2 71 2 .210 .256 .283 .539
テンプレート:By2 86 168 148 6 28 7 0 0 35 13 0 0 14 1 5 0 0 45 4 .189 .214 .236 .451
テンプレート:By2 85 98 86 6 17 6 0 0 23 2 0 0 6 0 6 0 0 22 0 .198 .250 .267 .517
テンプレート:By2 91 168 139 14 35 8 1 1 48 20 0 0 12 3 10 1 4 30 0 .252 .314 .345 .659
通算:9年 637 1313 1133 79 232 45 2 4 293 87 3 0 102 8 61 3 8 320 12 .205 .250 .259 .508
  • 2013年度シーズン終了時

年度別守備成績

捕手
守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
2005 1.000 3 4 0 0 0 0 0 0 0 -
2006 .997 103 620 49 2 4 4 66 48 18 .273
2007 .983 99 533 34 10 2 0 62 53 9 .145
2008 1.000 58 311 18 0 2 1 24 16 8 .333
2009 1.000 29 101 9 0 1 0 13 9 4 .308
2010 .991 77 599 51 6 2 0 70 48 22 .314
2011 .988 86 468 33 6 2 0 59 52 7 .119
2012 1.000 85 252 10 0 3 2 36 26 10 .278
2013 1.000 91 333 39 4 4 1 58 45 13 .224
通算 .992 631 3221 243 28 20 8 388 297 91 .234
  • 2013年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 65 (2001年 - 2004年)
  • 62 (2005年 - 2011年、2014年 -)
  • 29 (2012年 - 2013年)

登場曲

関連情報

CM出演

公共広告機構(現ACジャパン)「川崎選手、キーパーになる」(2008年、九州限定) - 川崎宗則大場翔太松田宣浩と共演。

注釈

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関連項目

外部リンク

テンプレート:オリックス・バファローズ

テンプレート:福岡ダイエーホークス2000年ドラフト指名選手
  1. テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite web