藤井秀悟
テンプレート:Infobox baseball player 藤井 秀悟(ふじい しゅうご、1977年5月12日 - )は、愛媛県伊予市出身の横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(投手)。
目次
経歴
プロ入り前
テンプレート:Byに愛媛県立今治西高等学校へ入学する。「伊予の怪腕」と呼ばれ、同年夏の全国高等学校野球選手権愛媛大会決勝で、平井正史を擁する宇和島東と対戦するが3-5で敗れる。テンプレート:Byの第67回選抜高等学校野球大会には4番・エース・主将として臨んだ。準々決勝、鶴岡一成を擁する神港学園戦で、1点リードしている9回表の投球中に左肘内側側副靭帯を損傷し降板。その試合は逆転を許した後の9回裏2アウトでの藤井の同点タイムリーもあり延長13回サヨナラで勝つが、準決勝は登板出来ず澤井良輔を擁する銚子商業の前に敗退した。同年夏の県大会も怪我で登板出来ず、松山商業に4-5で敗れた。この時は一塁手として出場していた。
テンプレート:By、早稲田大学人間科学部に進学。エースとして活躍し、東京六大学リーグでは通算48試合登板で24勝10敗、防御率1.91、249奪三振の好成績を残す。2年生春にはベストナインに選ばれた。当時、日本生命硬式野球部で活躍していた福留孝介とは高校2年の冬休みに第1回AAAアジア野球選手権大会日本代表選出され渡辺元智監督の期待に応え第1回AAAアジア野球選手権大会優勝に貢献して以来の親友。1999年のドラフト会議で、ヤクルトスワローズから2位指名(逆指名)を受けて入団。
ヤクルト時代
プロ1年目のテンプレート:Byは全てリリーフで31試合に登板。4月29日、対読売ジャイアンツ戦でプロ入り初勝利。
テンプレート:Byは開幕前に山部太、高木晃次が相次いで故障したこともあって先発に転向。開幕から先発ローテーションに定着した。6月17日の対広島東洋カープ戦で初完封勝利。その後も好調を維持した。セントラル・リーグ最多勝利を獲得、ベストナインにも選ばれた。
5月22日の対巨人戦において、ヤクルトが8対1と大量リードして迎えた9回表2死3塁の場面で遊ゴロを打ち全力疾走した。「自軍の大量リードの場面で、投手は打ってはならない」という球界の暗黙のルールを破ったとして、9回裏のマウンドに上がった藤井は巨人ベンチから野次を浴び涙ぐんだ。この後3連続死四球を与えるなどして降板、ヒーローインタビューも拒否した。この件については、大学時代から交友関係にある乙武洋匡に「ルールを知らなくてさ」と涙ながらに漏らしている。
テンプレート:Byから背番号を23から18に変更。開幕投手を務め、11月の日米野球では2試合に登板し打者28人に対して5安打自責点1(1敗)の成績を残す。
テンプレート:Byは開幕前から左肘の違和感を訴え、4月2日の対中日ドラゴンズ戦で先発登板したものの3回途中で降板、翌日に左肘内側側副靭帯断裂が判明した。高校・大学時代は周辺の筋肉を鍛えることで克服してきたが、3度目となる故障で手術に踏み切り、この年は1試合の登板に終わった。
テンプレート:By4月28日に交通事故で頸椎を捻挫するが、5月26日の対中日戦で420日ぶりの登板。6月30日には復帰後初の勝ち星を挙げるが、8月19日に左膝靭帯を損傷し登録抹消。オフには扁桃腺除去手術を受ける。
テンプレート:By4月6日の対中日戦で14奪三振を奪い、前半戦は防御率・奪三振でリーグトップを独走するが、白星に恵まれなかった。監督推薦で出場したオールスターでは第1戦に登板、打者12人に対して6安打自責点4の成績だった。しかし9月だけで防御率を1点以上悪化させ大きく失速、3年ぶりの2桁勝利を上げたが獲得タイトル無しに終わる。5月5日の対中日戦では、タイロン・ウッズに顔付近へ投球したためウッズが抗議したが、藤井が両手を横に広げ当ててないだろう?とジェスチャー、激怒したウッズに右頬を殴打されて軽症を負った。藤井には舌を出す癖があり、これをウッズが挑発と誤解したことが暴行の原因とされている(ウッズは退場処分)。後年、この件に関してウッズと藤井は和解している[1]。
テンプレート:By4月16日の対中日戦(松山坊っちゃんスタジアム)で地元初勝利を飾ったが、勝ち負け数が並んだまま、8月10日に不振のため二軍落ち。
テンプレート:By7月4日の対阪神タイガース戦でプロ通算50勝を挙げるが、防御率5.05など自己ワーストに迫る成績に終わる。メジャーリーグ志向が強いことと、若手の積極起用の構想から、2008年1月11日に川島慶三・橋本義隆・押本健彦とのトレードで坂元弥太郎・三木肇とともに北海道日本ハムファイターズへ移籍。背番号はヤクルト時代と同じ18。
日本ハム時代
テンプレート:By4月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦で移籍後初勝利を挙げた[2]。先発ローテーションの一翼を担うが、打線の援護に恵まれず、レギュラーシーズンは3勝8敗と負け越して終わった。しかし、先発したクライマックスシリーズ第1ステージ第2戦では、この年15勝を挙げた小松聖との投手戦を制し、チームの第2ステージ進出に貢献した。
テンプレート:Byは交流戦後半に一時離脱した以外は先発ローテを守り、22試合に先発して7勝を挙げた。巨人との日本シリーズでは第5戦に先発し7回無失点と好投した。しかし、監督の方針で5回または6回で降板した試合がほとんどで規定投球回に達していないこともあり、11月9日に「新しい場所で成長したい」として移籍を前提としたFA権の行使を表明した[3]。前年から導入された国内FA権を行使したのは藤井が初めてである[4]。阪神が興味を示したものの具体的なオファーはなく、日本ハムも再契約を否定したことで、一時は所属先がないまま来季を迎える可能性もあったが[5]、12月8日に巨人への入団が決定した。背番号は99[6]。
巨人時代
テンプレート:By、5月3日の対ヤクルト戦で勝利投手となり、史上8人目の12球団勝利を達成した[7]。この年は1年間ローテーションを守り、前年と同じ7勝を挙げた。
テンプレート:Byは中継ぎで1試合の登板に終わり、25%の減額制限を超える半額の3500万円で更改した。
DeNA時代
テンプレート:By1月11日、巨人へFA移籍した村田修一の人的補償により横浜DeNAベイスターズへ移籍[8]。背番号は00[9]。開幕は2軍で迎えたが5月14日に一軍に昇格すると、2試合目の先発となった5月28日のオリックス・バファローズ戦で今季初勝利となる605日ぶりの勝利を挙げた[10]。10月1日には1000奪三振を記録するが、この試合は6イニングで降板し先発無完投が103試合連続となり、西口文也の102試合連続を抜き、先発無完投連続試合の日本記録を更新した。一時先発で6連勝を記録。8月15日の7勝目を最後にシーズン中に白星をあげることはできなかった。オフの11月には、ストーカー被害に遭っている事を自身のブログで明かした。
テンプレート:By、開幕戦の3月29日の対中日戦で2002年以来11年ぶりの開幕投手を務め、6回2失点内容で勝利投手にはならなかったもののチームは勝利[11]。4月27日の対阪神戦(横浜)でヤクルト時代の2002年5月29日の対巨人戦以来、11年ぶりの完投勝利を記録し、自ら持っていた連続先発無完投の日本プロ野球記録を107で止めている[12]。7月13日の対阪神戦(甲子園)では6対0で11年ぶりの完封勝利を挙げる[13]など、開幕から先発ローテーションに定着するも、8月24日の対巨人戦で先発した際に左肘の違和感を訴え1回途中、わずか17球で降板[14]。翌日には1軍登録を抹消され、復帰することなくシーズンを終えた。
選手としての特徴
平均球速約137km/h[15]のストレートや縦・横のスライダー、サークルチェンジ、カーブなどの持ち球を低めに集める[16]。2001年、2002年は2年連続でリーグ最多の被本塁打を記録するなど被本塁打が多い。2001年以降先発で起用されているが、近年は100球程度やそれ以下で降板する事が多く、通算完封回数は3度だけである。また、完投も2006年9月10日に記録して以来、長年記録されていなかったが、2013年4月27日に記録、先発無完投連続試合記録を107試合でストップさせた(完投勝利に限定すれば2002年以来となる)。
人物
シーズン中を含めてブログをほぼ毎日更新している。2008年10月には月間更新回数222回を記録するなど、1ヶ月の更新数をぞろ目にするこだわりがあり、ほぼ毎月ぞろ目を達成していた。内容のユニークさもあって「球界No.1ブロガー」として取り上げられることもある[17]。愛犬家でチワワを3匹飼っていることに、ブログでたびたび触れていた。ところが、2013年1月5日の更新で通算5000回目の更新となった際に、突然ブログの休止を宣言した[18]。ただし、その翌日にブログの継続を宣言している。
登場曲は、「名探偵コナン」のメインテーマ(作曲:大野克夫)である。アニメもよく見ているようで、ブログでも紹介される。原作者の青山剛昌やアニメの声優陣とも交流が深い。
日本テレビアナウンサーの藤井恒久とは、はとこ(父方の祖父が兄弟)であることが「ズームイン!!サタデー」のプロ野球熱ケツ情報のコーナーで判明した。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | ヤクルト | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 137 | 32.1 | 23 | 5 | 18 | 1 | 2 | 36 | 3 | 1 | 18 | 17 | 4.73 | 1.27 |
テンプレート:By2 | 27 | 26 | 2 | 1 | 0 | 14 | 8 | 0 | -- | .636 | 707 | 173.1 | 145 | 24 | 64 | 2 | 3 | 124 | 4 | 0 | 62 | 61 | 3.17 | 1.21 | |
テンプレート:By2 | 28 | 28 | 5 | 1 | 3 | 10 | 9 | 0 | -- | .526 | 789 | 195.2 | 167 | 25 | 44 | 1 | 5 | 171 | 6 | 0 | 72 | 67 | 3.08 | 1.08 | |
テンプレート:By2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | .000 | 12 | 2.2 | 3 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3.38 | 1.50 | |
テンプレート:By2 | 15 | 15 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 0 | -- | .400 | 356 | 78.1 | 91 | 16 | 28 | 2 | 7 | 73 | 0 | 0 | 53 | 48 | 5.51 | 1.52 | |
テンプレート:By2 | 28 | 27 | 0 | 0 | 0 | 10 | 12 | 0 | 0 | .455 | 740 | 176.0 | 156 | 24 | 64 | 2 | 2 | 143 | 5 | 0 | 70 | 67 | 3.43 | 1.25 | |
テンプレート:By2 | 27 | 20 | 1 | 0 | 0 | 7 | 8 | 0 | 1 | .467 | 553 | 128.2 | 124 | 15 | 45 | 1 | 6 | 88 | 4 | 1 | 64 | 63 | 4.41 | 1.31 | |
テンプレート:By2 | 25 | 23 | 0 | 0 | 0 | 7 | 10 | 0 | 1 | .412 | 539 | 123.0 | 123 | 18 | 53 | 6 | 3 | 96 | 2 | 0 | 71 | 69 | 5.05 | 1.43 | |
テンプレート:By2 | 日本ハム | 19 | 19 | 0 | 0 | 0 | 3 | 8 | 0 | 0 | .273 | 488 | 110.2 | 115 | 11 | 41 | 0 | 5 | 76 | 2 | 0 | 46 | 40 | 3.25 | 1.41 |
テンプレート:By2 | 22 | 22 | 0 | 0 | 0 | 7 | 5 | 0 | 0 | .583 | 498 | 114.2 | 120 | 11 | 48 | 0 | 6 | 63 | 3 | 0 | 45 | 45 | 3.53 | 1.47 | |
テンプレート:By2 | 巨人 | 23 | 22 | 0 | 0 | 0 | 7 | 3 | 0 | 0 | .700 | 501 | 122.0 | 107 | 16 | 34 | 2 | 6 | 91 | 4 | 3 | 53 | 51 | 3.76 | 1.16 |
テンプレート:By2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 22 | 5.0 | 6 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 3 | 5.40 | 1.40 | |
テンプレート:By2 | DeNA | 16 | 16 | 0 | 0 | 0 | 7 | 7 | 0 | 0 | .500 | 358 | 84.0 | 83 | 7 | 37 | 1 | 1 | 40 | 1 | 0 | 36 | 35 | 3.75 | 1.43 |
テンプレート:By2 | 21 | 21 | 3 | 1 | 0 | 6 | 5 | 0 | 0 | .545 | 510 | 117.0 | 114 | 14 | 58 | 2 | 4 | 61 | 3 | 0 | 51 | 46 | 3.54 | 1.47 | |
通算:14年 | 284 | 240 | 11 | 3 | 3 | 83 | 81 | 0 | 2 | .506 | 6210 | 1463.1 | 1377 | 188 | 536 | 20 | 51 | 1064 | 37 | 5 | 645 | 613 | 3.77 | 1.31 |
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- 2013年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- 最多勝:1回 (2001年)
表彰
記録
- 投手記録
- 初登板:2000年4月1日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、8回裏1死に4番手として救援登板・完了、2/3回無失点、初対戦打者:関川浩一[19]
- 初奪三振:2000年4月6日、対阪神タイガース2回戦(明治神宮野球場)、8回表1死に大豊泰昭から[20]
- 初勝利:2000年4月29日、対読売ジャイアンツ4回戦(明治神宮野球場)、9回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点[21]
- 初先発:2001年4月4日、対読売ジャイアンツ2回戦(明治神宮野球場)、6回1/3を3失点(自責点2)[22]
- 初先発勝利:2001年4月11日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、7回2失点[23]
- 初完投勝利:2001年4月25日、対中日ドラゴンズ5回戦(ナゴヤドーム)、9回2失点[24]
- 初完封勝利:2001年6月17日、対広島東洋カープ14回戦(福岡ドーム)[25]
- 初ホールド:2006年9月27日、対読売ジャイアンツ20回戦(明治神宮野球場)、5回表に4番手で救援登板、4回無失点[26]
- 打撃記録
- 節目の記録
- 1000投球回数:2008年8月28日、対千葉ロッテマリーンズ22回戦(千葉マリンスタジアム)、6回裏3死目に里崎智也を右直併殺で達成 ※史上315人目
- 1000奪三振:2012年10月1日、対中日ドラゴンズ24回戦(横浜スタジアム)、1回表に荒木雅博から空振り三振に打ち取り達成 ※史上133人目
- その他記録
- オールスターゲーム出場:2回 (2001年・2005年)
- 先発登板し107試合連続完投なし:2006年9月17日 - 2013年4月20日 ※日本記録
背番号
- 23 (2000年 - 2001年)
- 18 (2002年 - 2009年)
- 99 (2010年 - 2011年)
- 00 (2012年 - )
登場曲
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:横浜DeNAベイスターズ テンプレート:Navboxes
テンプレート:ヤクルトスワローズ1999年ドラフト指名選手- ↑ 仲直り 公式ブログ 2008年3月5日
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 「日本ハム藤井がFA宣言 移籍希望、球団慰留せず」47NEWS 2009年11月9日
- ↑ 国内FA権は2008年は行使者がなく、2009年に藤井と藤本敦士が行使した。入団先が決まったのは藤本が先である(阪神からヤクルトに移籍)。
- ↑ FA藤井、念願叶い3日に巨人と交渉 日刊スポーツ 2009年12月3日
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 「99」→「00」は、支配下選手では史上最大タイの変更幅である。
- ↑ 「横浜ベイスターズの藤井です」初お立ち台で“うっかり”スポニチAnnex 2012年5月28日付記事より。
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 藤井 “女房”に助けられ11年ぶり完封 阪神 イケイケが裏目にスポーツニッポン2013年7月13日配信
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ えのきどいちろう「注目の藤井秀悟 「エース級」の仕事期待」どうしんウェブ、2008年3月25日、2010年2月14日閲覧。
- ↑ 球界No.1ブロガー! 藤井秀悟の自主トレをのぞき見 スポーツナビ 2010年1月12日
- ↑ DeNA藤井 ブログ5000回更新で終了「キリ良く、やめよう」 スポーツニッポン 2013年1月6日
- ↑ 神奈川新聞、2001年4月2日。
- ↑ 神奈川新聞、2001年4月7日。
- ↑ 神奈川新聞、2001年4月29日。
- ↑ 神奈川新聞、2001年4月5日。
- ↑ 23.0 23.1 神奈川新聞、2001年4月12日。
- ↑ 神奈川新聞、2001年4月25日。
- ↑ 神奈川新聞、2001年6月18日。
- ↑ 神奈川新聞、2006年9月28日。