ノーラン・ライアン

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テンプレート:Infobox baseball player リン・ノーラン・ライアンLynn Nolan Ryan, 1947年1月31日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手アメリカ合衆国テキサス州レフュージオ出身。ニックネームは「Ryan Express」。現在はヒューストン・アストロズのエグゼクティブ・アドバイザーを務めている。

経歴

プロ入り前

6人兄弟の末っ子として生まれ、生後6週間でヒューストン郊外のアルヴィンに引っ越す。家庭は貧しく、父は早朝の新聞配達と石油会社勤務を兼業していた。このような家庭環境からかライアンは早熟で、12歳の頃には自ら貯めた金で子牛を買って育ててそれを売り、その金で新しい子牛を買いまた育てて売る、を繰り返して牛を増やし、高校入学時には自分の牧場を借りるまでになっていた。また中学1年にして自分の車も所有していた[1]。高校時代に7回19奪三振を記録するなど速球派投手として有名だったが、制球難のため評価は低く、1965年のMLBドラフトニューヨーク・メッツから12巡目に指名を受け入団。

ニューヨーク・メッツ

テンプレート:ByはA級で17勝2敗・防御率2.51・272奪三振・127四球を記録。奪三振・四球・勝利数は当時のリーグ新記録となった[2]。最優秀投手に選出され、AAA級ウィリアムスポートに昇格。ポータケット戦で9.1イニングで21奪三振を記録した。活躍が評価されてメジャーに昇格し、9月11日アトランタ・ブレーブス戦でメジャーデビュー。9月18日ヒューストン・アストロズ戦で初先発するが1回4失点で降板し敗戦投手となるなど1敗・防御率15.00に終わった。テンプレート:Byは前半陸軍予備兵として過ごし後半に復帰したが、右肘の腱を断裂したためリハビリに徹さざるを得ず、メジャーでの出場はなかった。テンプレート:Byは開幕から先発ローテーションに入り、5月14日シンシナティ・レッズ戦で球団記録(当時)の14奪三振。後半は故障で離脱するが6勝9敗・防御率3.09、134イニングで133奪三振を記録した。テンプレート:By4月9日モントリオール・エクスポズ戦で、同年から公式記録となったセーブを球団史上初めて記録した。主にリリーフとして登板し6勝3敗・防御率3.53の成績で、チームの地区優勝に貢献。ブレーヴスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦で3回途中から登板し、そのまま最後まで投げ切って勝利投手となり、球団創設以来初のリーグ優勝を果たす。ボルティモア・オリオールズとのワールドシリーズでは第3戦で7回途中からリリーフし、2.1イニングを無失点に抑えてセーブを記録。チームは下馬評を覆し、4勝1敗でワールドチャンピオンに輝いた。結果的に自身にとってこれが最初で最後のワールドシリーズとなった。テンプレート:By4月18日フィラデルフィア・フィリーズ戦では初回先頭打者に安打を打たれるが、その後無安打に抑えて15奪三振でメジャー初完封。終盤はリリーフに回ることが多くなり、7勝11敗・防御率3.42ながら131.2イニングで97四球。テンプレート:Byは前半戦で8勝6敗・防御率2.24を記録するが、後半戦で2勝8敗・防御率7.74と大きく失速。10勝14敗・防御率3.97、152イニングで116四球と制球に苦しんだ。12月10日ジム・フレゴシとの交換トレードでリロイ・スタントン(後阪神)他2選手と共にカリフォルニア・エンゼルスに移籍。

カリフォルニア・エンゼルス

移籍1年目のテンプレート:Byはスプリングトレーニングで捕手のジェフ・トーボーグと共にフォーム改造に取り組む。トーボーグは「モーションを急ぐために足の踏み出しに腕の振りが追い付いていない。だからボールが左右ではなく高く逸れる」とフォームを分析し、欠点を指摘した。その後選手会は年金問題を掲げて史上初のストライキに入る。後年彼は当時を振り返り「あの状況が後1週間でも続いたら、私はアルヴィンに戻り、二度と戻るつもりなどなかった。労働者としての職を得て、それで過ごしていくつもりだった」と語っている[3]。ストライキ収拾後はデル・ライス監督やトム・モーガン投手コーチも一致協力し、時間をかけて改造を行う。ライアンは後年「機械的でうんざりすることもあったが、結局はこの作業が私のピッチングを変えることになった」と振り返っている[1]。同年は前半戦で11勝を挙げ、自身初のオールスターゲームに選出される。後半戦は防御率1.41と安定感が増し、19勝16敗・防御率2.28、いずれもリーグ最多の329奪三振・9完封・157四球・18暴投を記録し、最多奪三振のタイトルを獲得した。テンプレート:By5月15日カンザスシティ・ロイヤルズ戦でノーヒットノーランを達成。7月15日デトロイト・タイガース戦では17奪三振でテンプレート:Byジョニー・ヴァンダーミーア以来史上2人目の年間2度目のノーヒットノーラン。最後の打者ノーム・キャッシュはクラブハウスにあったテーブルの脚を持って打席に立った。球審ロン・ルチアーノに制止され渋々バットに持ち替えたが、その際「バットじゃ奴の球は打てない。これを使わせてくれ」と言ったという。シーズン最終登板を前に367奪三振で、サンディ・コーファックステンプレート:Byに記録したメジャー記録382の更新は難しいと思われたが、9月27日ミネソタ・ツインズ戦で延長11回を完投して16三振を奪い新記録を達成[2]。終盤に7連勝を記録するなど21勝16敗・防御率2.87・383奪三振、メジャー記録の2桁奪三振23試合、リーグ最多の162四球を記録したが、サイ・ヤング賞の投票ではジム・パーマーに次ぐ2位に終わった。

テンプレート:By8月12日ボストン・レッドソックス戦でメジャータイ記録(当時)の19奪三振。8月20日のタイガース戦で、球団の企画で赤外線レーダーによる球速の測定が行われ、そこで記録されたのが100.9mph(162.4㎞/h)で、ギネス世界記録に認定された[4]。しかし全ての球を計測したわけではなく、その1球は9回に記録された。本人も「あれ以上に速いと思ったボールもあった」と語っている。9月28日のツインズ戦では15奪三振で3度目のノーヒットノーランを達成。キャリアハイの22勝(16敗)・防御率2.89、いずれもリーグ最多の367奪三振・332.2イニング・202四球を記録。200四球は1938年のボブ・フェラー以来36年ぶりだった。テンプレート:By6月1日のオリオールズ戦で3年連続4度目のノーヒットノーランを達成し、コーファックスに並ぶ。6月6日までに10勝を挙げるが、その後8連敗。8月に故障で戦線離脱し、14勝に留まった。テンプレート:By8月28日まで10勝17敗だったがその後7勝1敗と巻き返し、いずれもリーグ最多の18敗(17勝)・327奪三振・7完封・183四球を記録した。テンプレート:By5月19日から6月16日にかけて7試合連続2桁奪三振を記録。19勝16敗・防御率2.77、いずれもリーグ最多の341奪三振・22完投・204四球・21暴投の成績だった。テンプレート:Byはシーズン初登板で打ち込まれたがその後復調。終盤失速したが16勝14敗・防御率3.60、共にリーグ最多の223奪三振・5完封を記録し、チーム創設以来初の地区優勝に貢献。オリオールズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発したが7回3失点(自責点1)で勝敗付かず、チームは1勝3敗で敗退した。オフにGMのバジー・バベシに「勝率5割の投手」と見切りをつけられて[5]フリーエージェントとなり、11月19日にアストロズと4年450万ドルで契約し、史上初の100万ドルプレーヤーとなった[6]

ヒューストン・アストロズ

テンプレート:Byは11勝10敗に留まるが、チームは創設以来初の地区優勝を果たす。フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦に先発し、7回途中2失点も勝敗付かず。最終第5戦では7回を終わって5-2とリードしていたが、8回に捕まり降板。延長の末チームは敗れ、リーグ優勝はならなかった。50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮され、前後期制の変則日程となったテンプレート:By9月26日ロサンゼルス・ドジャース戦で史上最多5度目のノーヒットノーランを達成。11勝5敗・防御率1.69の成績で自身初の最優秀防御率のタイトルを獲得し、チームは後期優勝。ドジャースとのディヴィジョンシリーズでは第1戦に先発してフェルナンド・バレンズエラと投手戦を演じ、2安打1失点完投勝利。第5戦では6回自責点2の好投も敗戦投手となり、2勝3敗で敗退した。テンプレート:Byは開幕から4連敗を喫するなど前半戦は不調だったが、後半戦で防御率2.11を記録するなど復調し、16勝12敗・防御率3.16・245奪三振の成績。テンプレート:By5月2日の古巣メッツ戦で通算3510個目の三振を奪い、ウォルター・ジョンソンが持つ通算奪三振のメジャー記録を更新[7]。その後故障で1ヶ月離脱するものの、前半戦で防御率1.94を記録。後半戦でやや数字を落としたが、14勝9敗・防御率2.98を記録した。テンプレート:Byは途中8連敗を喫するなど10勝12敗に終わる。テンプレート:Byは後半戦で防御率2.27を記録し、チームは6年ぶりの地区優勝を果たす。古巣メッツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦に先発するが5回5失点で敗戦投手。第5戦ではドワイト・グッデンと投手戦を演じ、9回を2安打12奪三振1失点と好投するが延長の末敗れ、チームも2勝4敗で敗退した。テンプレート:Byは好投しながら打線の援護に恵まれず、途中8連敗を喫するなど8勝16敗と大きく負け越して連続2桁勝利が16年で途切れたが、共にリーグトップの防御率2.76・270奪三振を記録し、移籍後初の最多奪三振を獲得。サイ・ヤング賞の投票では5位に終わる。最優秀防御率と最多奪三振を獲得しながら受賞を逃したのは現在でも唯一人である。テンプレート:Byは12勝11敗・228奪三振で2年連続の最多奪三振を獲得。オフにフリーエージェントとなり、12月7日テキサス・レンジャーズと契約。

テキサス・レンジャーズ

テンプレート:Byは前半戦で10勝を挙げる。8月22日オークランド・アスレティックス戦で5回にリッキー・ヘンダーソンから三振を奪い、空前絶後の通算5000奪三振を達成。16勝10敗・防御率3.20、12年ぶりの300奪三振となる301奪三振で3年連続の最多奪三振を獲得し、サイ・ヤング賞の投票で5位に入る。テンプレート:Byは43歳にして開幕投手を務め、5回を無安打に抑える。4月26日シカゴ・ホワイトソックス戦で球団記録の16奪三振で1安打完封勝利を挙げ、6月11日のアスレティックス戦で自身6度目のノーヒットノーランを達成。3球団での達成は史上初だった。7月31日ミルウォーキー・ブルワーズ戦で史上20人目の通算300勝を達成。13勝9敗・232奪三振で4年連続の最多奪三振を獲得した。テンプレート:By5月1日トロント・ブルージェイズ戦は体調が悪く、「5回まで持たないかもしれないから、代わりの投手を用意しておいてくれ」と言い残しての登板だったが[6]、16奪三振で7度目のノーヒットノーランを達成。44歳3ヶ月での達成は現在でも史上最年長記録である。12勝6敗・防御率2.91・203奪三振、リーグトップのWHIP1.01を記録した。テンプレート:Byは故障もあって6月まで1勝に留まるが、7月4日ニューヨーク・ヤンキース戦で13奪三振完投勝利を挙げるなど7月に4勝・防御率1.96を記録。しかしその後は援護に恵まれず6連敗を喫し、5勝9敗に終わる。同年エンゼルス時代の背番号30永久欠番に指定された。テンプレート:By9月22日シアトル・マリナーズ戦で1死も取れずに2安打4四球5失点で降板。これが現役最後の登板となった。46歳にして速球は94mph(約151.2km/h)を記録した[5]

引退後

テンプレート:Byにアストロズとレンジャーズでの背番号34が、それぞれ永久欠番に指定された。3球団での永久欠番は史上初だった。テンプレート:Byに資格取得1年目で野球殿堂入りを果たす。殿堂入りは記者投票で決まるが、ライアンの得票数491票は歴代1位(当時)、得票率98.79%は歴代2位だった。「レンジャーズに在籍した時、私のキャリアと試合における存在感は一段上のレベルになった。あの何年かは、私にとって特別なものだ」と[5]殿堂プレートのライアンはレンジャーズの帽子を被っており、レンジャーズの選手として初の殿堂入りとなった。また同年MLBオールセンチュリー・チームの右投手部門で1位に選ばれている。テンプレート:Byにはアストロズで特別アドバイザーを務め、後進の指導を行った。アストロズ在籍時のロジャー・クレメンスと撮影したツーショット写真もある[6]

レンジャーズ時代の監督でNPB千葉ロッテマリーンズでも監督を務めたボビー・バレンタインとは旧知の間柄であり、その縁もあってテンプレート:By7月18日千葉マリンスタジアムで行われたオリックス・バファローズ戦で始球式を行った。2008年2月6日にレンジャーズの球団社長に就任。1925年以来初めての、殿堂入り選手によるメジャーリーグ球団社長就任となった[8]テンプレート:By3月11日にはCEOに就任した[9]

テンプレート:By10月17日にレンジャーズのCEOを10月31日限りで辞任することを発表した[10]

テンプレート:By2月11日に古巣・アストロズのエグゼクティブ・アドバイザーに就任した[11]

選手としての特徴

テンプレート:スポーツ選手の出典明記 最速101mph(約162.5km/h)のフォーシーム、大きく縦に割れるカーブサークルチェンジを持ち球にした。球速は非公式ながら103mph(約165.8km/h)を記録したこともある。

通算投球回数2000回以上の投手が対象である、投球回数9回に対する通算の奪三振率が9.0以上の投手4人のうちの1人であり、投球回数9回に対する通算の奪三振率9.55は、ランディ・ジョンソンペドロ・マルチネスに次いでMLB史上3位である[12]

当時異端児と言われた投手コーチのトム・ハウスと二人三脚で編み出した独特のトレーニング法・調整法は後年の投手に多大な影響を与えた。その徹底された健康管理とトレーニング方法は著書「ピッチャーズ・バイブル」に詳細に書かれている。当時投手には一般的でないどころか、害になるとさえ言われていたウエイトトレーニングを取り入れ、また肩周辺のローテーターカフ(いわゆるインナーマッスル。当時はこれらの言葉も一般的ではなかった)もアウターマッスル同様に鍛えるエクササイズを取り入れていたことは、驚くべきことである。「投手は若い内はより多くのイニングを投げて肩を作るべきだ」という独自の理論を持っており、現在のメジャーでスタンダードとなっている「先発投手は1試合100球・1シーズン200イニング」という考え方に疑問を持っているとのコメントが「ピッチャーズ・バイブル」の中において、ある研究者へ寄せられている。

詳細情報

年度別投手成績

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獲得タイトル・表彰・記録

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:Sister テンプレート:MLBstats

テンプレート:アメリカ野球殿堂表彰者 (投手) テンプレート:Navboxes テンプレート:300勝クラブ テンプレート:3000奪三振クラブ テンプレート:MLBACT テンプレート:1969 ニューヨーク・メッツ テンプレート:Houston Astros テンプレート:Texas Rangers

テンプレート:Los Angeles Angels of Anaheim
  1. 1.0 1.1 武田薫 「ノーラン・ライアン 「永遠の奪三振王」──その揺るぎなき本質」 『スポーツ・スピリット21 No.20 メジャーリーグ 栄光の「大記録」』、ベースボール・マガジン社、2004年、ISBN 4-583-61303-2、32-35頁。
  2. 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
  3. "That was the year of the first [players']strike and if it had gone on another week I would have quit and gone back to Alvin. And once I would have done that, I wouldn't have come back. I would have gotten a job as a laborer, and that would have been it," Baseball the Biographical encyclopedia, ISBN: 0-681-20016-2
  4. テンプレート:Cite web
  5. 5.0 5.1 5.2 「1999 HALL OF FAMERS 伝説となったヒーローたち ノーラン・ライアン&ジョージ・ブレットロビン・ヨーント」『月刊メジャー・リーグ』1999年3月号、ベースボールマガジン社、1999年、雑誌 08625-3、6 - 8項。
  6. 6.0 6.1 6.2 出野哲也「歴史が動いた日第15回1991年5月1日 44歳のノーラン・ライアンが7度目のノーヒッターを達成」『スラッガー』2006年9月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-8、88-90頁
  7. テンプレート:Cite web
  8. http://texas.rangers.mlb.com/news/press_releases/press_release.jsp?ymd=20080206&content_id=2366206&vkey=pr_tex&fext=.jsp&c_id=tex
  9. テンプレート:Cite web
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  12. MLB>Stats>All-Time Totals>MLB>Pitching>9_K