ニセコライナー

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テンプレート:列車名 ニセコライナーとは、北海道旅客鉄道(JR北海道)が蘭越駅倶知安駅 - 札幌駅間を函館本線を経由して運行する快速列車

本項では、冬季に運転される臨時特急ニセコスキーエクスプレス」、夏季に運転される臨時特急「ヌプリ」・「ワッカ」についても記述する。

運行概要

2011年3月12日現在、朝に蘭越駅札幌駅間で、夕方に札幌駅倶知安駅間でそれぞれ1本のみ運転されている(列車番号は、札幌行き3925D、倶知安行き3952D)[1]

停車駅

蘭越駅 … この区間は各駅に停車 … 小樽駅 - 南小樽駅 - 小樽築港駅 - 手稲駅 - 琴似駅 - 札幌駅

小樽駅 - 札幌駅間は快速運転を行うが、実質的には快速列車(「エアポート」も含む)は小樽駅 - 小樽築港駅の各駅に停車するため、蘭越駅 - 小樽築港駅間は各駅に停車する。小樽駅以西の停車駅は函館本線の駅一覧を参照。

使用車両

苗穂運転所に所属するキハ201系気動車が使用されている。朝の3925Dは3両編成、夕方の3952Dは小樽まで6両編成・小樽以降は3両編成で運転される。3952Dは倶知安到着後に同駅で夜間滞泊した後、翌早朝に3両が蘭越まで回送のうえ蘭越始発の 3925D として運転され、残りの3両は倶知安始発の普通列車 963D(小樽から731系電車と併結し963M、札幌でキハ201系を切り離し、731系のみ2738Mとして苫小牧まで直通)となる。

臨時列車

「ニセコスキーエクスプレス」

ファイル:JRH-Niseko-Express 2010Winter.jpg
キハ183系5000番台(函館本線稲積公園駅、2010年12月25日)

1988年12月より、ニセコ駅 - 札幌駅間(一部は新千歳空港駅まで運転)に、スキー客向けの臨時特急「ニセコエクスプレス」が設定され、以後毎年冬に運転されている。現在は「ニセコスキーエクスプレス」の名称で、ニセコ駅 - 札幌駅間、ニセコ駅 - 小樽駅間の系統が存続している。

車両は「ニセコエクスプレス」の愛称を持つキハ183系5000番台が使用されている。2004年 - 2008年まではニセコ駅 - 札幌駅間で2往復設定されており、うち1往復は余市駅にも停車していた。2009年からは1往復の設定となったものの、2011年の運転では新たにニセコ駅 - 小樽駅間の1往復が追加された。

  • 停車駅:ニセコ駅 - 倶知安駅 - 小樽駅 - 小樽築港駅 - 手稲駅 - 札幌駅

テンプレート:-

「ヌプリ」・「ワッカ」

ファイル:WAKKA NUPURI.jpg
特急ワッカ号と特急ヌプリ号(函館本線倶知安駅、2013年8月13日)
ファイル:WAKKA.jpg
特急ワッカ号(函館本線倶知安駅、2013年8月13日)
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特急ヌプリ号(函館本線倶知安駅、2013年8月13日)
ファイル:Kutchan board.jpeg
特急ワッカ号と特急ヌプリ号の発車時刻案内(函館本線倶知安駅、2013年8月13日)

北海道新幹線札幌延伸時の実証実験として運行されている臨時特急。それぞれ函館と札幌から、ニセコ方面に向けて運転される。

2012年(平成24年)に函館駅 - 長万部駅 - ニセコ駅 - 小樽駅 - 札幌駅間を結ぶ特急「ヌプリ」として運転を開始し、同年8月6日 - 8月31日にかけて1日1往復が運転された。運行時間は上りが札幌発8:04・函館着14:00、下りが函館発11:43・札幌着18:29であった。

2013年(平成25年)は「ヌプリ」の運行区間を函館駅 - 長万部駅 - ニセコ駅 - 小樽駅間に縮小し、長万部駅 - ニセコ駅 - 小樽駅 - 札幌駅間に特急「ワッカ」を新設。8月10日 - 8月25日にかけて、それぞれを1日1往復ずつ運行する。なお、停車駅は2012年度と同じである。また2013年7月6日に発生した「北斗」14号の車両火災の影響で減便した「北斗」をカバーするため、「ワッカ」に連絡する「ワッカ函館アクセスバス」を函館 - 長万部間で運行する[2]

2014年(平成26年)は、運行区間を函館駅 - 長万部駅 - ニセコ駅 - 小樽駅 - 札幌駅間に拡大し、函館行きを「ヌプリ」、札幌行を「ワッカ」として運転。8月19日 - 31日の毎日と9月5日 - 15日の金 - 日曜・祝日に1日1本運行する。なお、停車駅については、前年度の停車駅に加えて、昆布駅・小樽築港駅が追加されている[3]

「ヌプリ」と「ワッカ」はアイヌ語でそれぞれ「」と「」を意味する言葉であり、前者は羊蹄山駒ヶ岳、後者は神仙沼尻別川などに由来する[4]

車両は函館運輸所および苗穂運転所に所属するキハ183系気動車(JR北海道色)の4両編成(1号車 - 3号車が指定席、4号車が自由席)が使用されているが、2013年は「北斗」車両火災の影響で、「ヌプリ」の使用車両がキハ183系5000番台(ニセコエクスプレス車両)に変更となる[5]

「ニセコライナー」およびその前身となる快速列車の沿革

1970年代、札幌駅 - 旭川駅間の急行「かむい」の大半とノンストップ急行「さちかぜ」、札幌駅 - 名寄駅間の急行「なよろ」の一部、札幌駅 - 稚内駅天北線経由)の急行「天北」は、小樽駅 - 札幌駅間を普通あるいは快速列車として乗り入れ運転されていた。快速の停車駅は、南小樽駅銭函駅手稲駅琴似駅である。また、特別快速も存在し、南小樽駅・手稲駅・琴似駅のみに停車した。なお、それらの快速列車・特別快速列車は1978年10月2日のダイヤ改正ですべて各駅停車に変更された。

  • 1984年(昭和59年)2月1日:急行「らいでん」廃止の代替として、小樽駅 - 札幌駅間に快速列車(当時は列車名なし)が運転開始。倶知安方面へ直通する列車を中心に設定され、小樽駅以西は各駅停車で運転されていた。停車駅は、「らいでん」を踏襲して南小樽駅のみであった。
  • 1986年(昭和61年)11月1日:特急「北海」、急行「ニセコ」廃止の代替として、札幌駅 - 長万部駅間で快速列車が運転開始。
  • 1988年(昭和63年)3月13日:快速「マリンライナー」が運転開始[6]
    • 函館本線の札幌駅以東および千歳線に直通する列車も多く設定されていた。なお、これらの区間では各駅停車。ただし、当時の千歳空港駅発着列車の一部は、快速「空港ライナー」の補完として全区間快速運転していた。
    • 快速区間は小樽駅 - 札幌駅で、停車駅は南小樽駅・小樽築港駅、南小樽駅・小樽築港駅・手稲駅、南小樽駅・小樽築港駅・琴似駅・桑園駅などのパターンがあったが、のちに「南小樽駅・小樽築港駅・手稲駅のパターンのみとなる(夏季に臨時的に小樽発のみ銭函停車)。
      • ただし、1997年3月以前(キハ201系導入前)では、朝の通勤時間の1本については南小樽駅・小樽築港駅・銭函駅・手稲駅・琴似駅・桑園駅に停車していた。
    • また、長万部駅の始発列車の1本は、札幌駅まで全区間で快速運転されていた。この列車に関してはかつて、青函連絡船夜行便を受けて早朝4時台に函館駅を発車する「北斗」(津軽海峡線開業後は「北斗星1号(当時)」[7])と長万部で接続しており、長万部 - 小樽 - 札幌間の速達列車維持を考慮したダイヤとなっていた。
      • 小樽駅以西の停車駅は黒松内駅・蘭越駅・ニセコ駅・倶知安駅・小沢駅・余市駅・塩谷駅(1996年12月時点)。急行「ニセコ」の停車駅に塩谷駅が加わるで、急行時代の停車駅を概ね踏襲していた。
      • この列車はキハ201系導入に伴う1997年3月のダイヤ改正で運転区間が長万部駅 → 小樽駅間と縮小され、列車名のない快速列車となった(同時に然別駅 - 小樽駅間は各駅停車となる)。そして1998年12月のダイヤ改正にて、長万部駅を30分後に発車する普通列車と統合される形で各駅停車になり、長万部 - 小樽駅間を快速運転する列車は消滅した。
  • 2000年(平成12年)3月11日:「マリンライナー」が廃止。快速「エアポート」の小樽駅乗り入れを毎時1本から2本へ増発、快速(当時)「いしかりライナー」の快速区間が札幌駅 - 江別駅間から手稲駅 - 札幌駅 - 江別駅間に拡大され、小樽駅発着の「マリンライナー」が統合され、倶知安駅方面へ直通する列車は「ニセコライナー」と改称し、停車駅に琴似駅が追加される。
  • 2006年(平成18年)3月18日:キハ201系によって運行される3925Dと3952Dを除く、2往復の札幌駅乗り入れが廃止され、1往復になる。それと同時にキハ150形が「ニセコライナー」の運用から離脱(キハ150形の札幌乗り入れは普通列車として1往復のみ存続)。

函館本線小樽駅経由優等列車の沿革

テンプレート:See also 函館本線では本線という格付けや、青函連絡船を介して函館駅より、北海道開発の歴史の中で歴史が古く日本銀行の支店や小樽商科大学が置かれた小樽や、北海道庁所在地である札幌とを直接結び且つ北海道各地へ直通する運行体系が取られていた。そのため、本節では主に函館本線の長万部駅 - 小樽駅間(通称「山線」)を経由・発着しあるいは函館本線内で完結する列車についての沿革について記述する。

小樽駅経由の特急の運転開始まで

  • 1946年昭和21年)
  • 1947年(昭和22年)
  • 1948年(昭和23年)7月1日:7・8列車の列車番号1・2列車に変更される。
  • 1949年(昭和24年)9月15日:1・2列車の運行区間が石北本線網走駅まで延長される(旭川駅以東は普通列車)。また、急行「まりも」の前身となる列車が函館駅 - 釧路駅間で運転開始(札幌駅 - 釧路駅間は準急列車)。函館駅 - 網走駅・稚内駅間で準急が運転開始(準急区間は旭川駅 - 北見駅間)。
  • 1950年(昭和25年)10月1日:上記の準急が全区間急行列車に格上げ。函館駅 - 釧路駅間でも準急列車が運転開始(準急区間は函館駅 - 小樽駅のみ)。函館駅 - 網走駅・稚内駅間の準急列車の準急区間を札幌駅 - 北見駅間へ変更。
  • 1951年(昭和26年)4月:1・2列車に「大雪」(たいせつ)、函館駅 - 釧路駅間の急行列車に「まりも」の列車愛称が与えられる。
  • 1952年(昭和27年)
    • 4月16日:急行「まりも」が根室駅まで延長(釧路駅 - 根室駅間は普通列車)。
  • 1953年(昭和28年)4月5日:函館駅 - 札幌駅間で「あかしや」が運転開始。なお、この列車は臨時列車の扱いであるが毎日運転された。
  • 1954年(昭和29年)
    • 5月1日:「あかしや」の運行区間が旭川駅まで延長される。
      • 1951年(昭和26年)4月1日に定期列車化された小樽駅 - 名寄駅間運行(旭川駅 - 名寄駅間は普通列車)の準急石狩」と小樽駅 - 札幌駅間で重複することから、「石狩」の札幌駅以東を「あかしや」に併合し、「あかしや」の運行区間を函館駅 - 小樽駅 - 旭川駅間とした。小樽駅 - 旭川駅間は「石狩」のダイヤを踏襲して準急列車としたため、函館駅 - 旭川駅間など、小樽駅をまたいで乗車する際には「急行・準急券」が発行された。また、毎日運転でも小樽駅以東の臨時列車扱いに変更はなかった。
    • 10月1日:1950年運行開始の準急列車が全区間準急に格上げ。急行「大雪」の運行区間を網走駅まで延長。(旭川駅以東は普通列車
  • 1955年(昭和30年)6月1日:函館駅 - 網走駅間を函館本線・石北本線経由で運行する準急列車「はまなす」が運行開始。これに伴い、「大雪」の旭川駅 - 網走駅間が分離され、運転区間が函館駅 - 旭川駅間に変更される。
  • 1956年(昭和31年)

また、「大雪」の運行区間を再び函館駅 - 網走駅間に変更(石北本線内は普通列車)。

    • 12月1日:「アカシヤ」の運行区間が札幌駅までに戻される。
  • 1958年(昭和33年)10月1日:1950年誕生の準急列車に狩勝列車愛称が与えられる。
  • 1959年(昭和34年)9月22日:「アカシヤ」を急行列車へ変更。旭川駅 - 網走駅間で準急「オホーツク」が運行開始。「大雪」の旭川駅以東への乗り入れが廃止。
  • 1961年(昭和36年)
    • 4月15日:「狩勝」が急行列車に格上げ。函館駅 - 札幌駅間廃止。
    • 10月1日:「アカシヤ」が廃止。「大雪」の運行区間を函館駅 - 札幌駅間へ変更。「まりも」の運行区間も函館駅 - 釧路駅間へ変更。
  • 1962年(昭和37年)
  • 1963年(昭和38年)
    • 6月1日:「大雪」の名称を石北本線急行列車に譲り、従来の「大雪」の名称が「ライラック」に変更される。
      • なお、「ライラック」にはこの運行区間初となるキハ56系気動車が用いられた。
    • 10月1日:「いぶり」札幌駅→伊達紋別駅→倶知安駅→札幌駅間(右回り)の列車を増発。同年12月から倶知安駅 - 札幌駅間が「ニセコ」と併結運転となる。
  • 1964年(昭和39年)10月1日:急行「宗谷」が小樽駅経由に変更。1等車の連結を開始。
  • 1965年(昭和40年)10月1日:函館駅 - 釧路駅間の急行「まりも」を札幌駅で系統分割。「まりも」は札幌駅 - 釧路駅間の夜行急行列車となり、昼行の函館駅 - 札幌駅間は急行「ていね」として運転を開始。
  • 1966年(昭和41年)
    • 3月25日:準急制度の変更に伴い、「いぶり」と併結していた「ニセコ」を急行列車へ変更。
      • 運転距離が100 km を超え、「いぶり」を併結していた「ニセコ」は急行列車に変更されたが、併結しない「らいでん」は準急列車のまま残された。
    • 10月1日:ダイヤ改正に伴い、以下のように変更。
      1. 「いぶり」の併結相手を「ニセコ」から「らいでん」へ変更。このため「らいでん」は急行列車に変更。
      2. 「ニセコ」を準急列車に変更、1往復増発されて2往復となる。

小樽駅経由の特急の運転開始

ファイル:JNR Kiha80 Hokkai.jpg
キハ80系特急「北海」
(1986年)
ファイル:JNR-PC14-Express Niseko.jpg
ED76 500番台けん引
14系急行「ニセコ」
(1983年)
ファイル:JNR 14 PCseries suhahu14 niseko sapporo.jpg
14系急行「ニセコ」
(1986年)
  • 1967年(昭和42年)3月1日:函館駅 - 旭川駅間(小樽駅経由)で初めて特急「北海」(ほっかい)が運転開始。「北海」はその後、夏季には網走駅まで延長運転されることもあった。
  • 1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正により、以下のように変更。
    1. 従来、「ライラック」「ていね」として運行されていた函館駅直通急行列車の列車名が「ニセコ」に統一。
      • なお、このうち上り「ニセコ3号」は根室本線根室駅→函館駅間の運行であった。これは今日に至るまで、気動車急行の運行距離としては最長記録となっている。また、臨時列車として夜行列車1往復を含め4往復が設定されたが、旧「ていね」に相当する「ニセコ(下り)3号・(上り)1号」は客車での運行となった。旧「ていね」には食堂車が連結されていたが、この改正に際して中止となっている。
    2. 従来、倶知安駅 - 札幌駅間を運行する準急列車であった「ニセコ」を急行列車に昇格し、「らいでん」に愛称を統合する。
  • 1971年(昭和46年)
    • 7月:臨時夜行列車であった「ニセコ(上り・下り)4号」運行廃止。
    • 9月15日:「ニセコ(下り)3号・(上り)1号」のC62形牽引が終了。同列車が"(定期列車として)国鉄最後のSL牽引急行列車"となる。後継はDD51形
  • 1972年(昭和47年)3月15日:下り「ニセコ3号」の運行区間を釧路駅まで延長する。
  • 1973年(昭和48年)10月1日:臨時列車である「ニセコ(上り・下り)2号」を廃止。定期列車2往復のみとなる。また、下りの釧路駅乗り入れを終了する。
  • 1978年(昭和53年)10月2日:「ニセコ」全列車函館駅 - 札幌駅間の運行となる。
  • 1980年(昭和55年)10月1日:ダイヤ改正により、次のように変更(1980年10月1日国鉄ダイヤ改正)。
    1. 「ニセコ」の気動車列車が廃止され、客車列車のみ存続になる。
    2. 「らいでん」の岩内線岩内駅乗り入れ廃止。
    3. いぶり」が廃止。
  • 1981年(昭和56年)
    • 2月7日:「ニセコ」に使用する客車が在来型車両から14系客車に変更。「ニセコ」には本州直通の郵便車荷物車が連結されていた。
    • 10月1日:「北海」の運転区間が函館駅 - 札幌駅間に短縮されるが、従来函館駅 - 稚内駅間の急行「宗谷」の系統分割により1往復増発され、「北海」は2往復になる。同時に1往復がキハ183系気動車に変更。
  • 1984年(昭和59年)2月1日:急行「らいでん」が廃止。代替として小樽駅 - 札幌駅間に快速列車(当時は列車名なし)が設定される(快速列車の歴史を参照)。
  • 1986年(昭和61年)11月1日:特急「北海」廃止。急行「ニセコ」は夏季のみ運転の臨時列車に変更され、小樽駅を経由する定期の優等列車が消滅。なお、臨時「ニセコ」はキハ56系気動車で1993年夏まで運転。

リバイバルトレイン「北海」

  • 2001年平成13年)9月2日:函館駅 - 札幌駅間で特急「北海」(キハ183系JR北海道色)がリバイバル運転された。
  • 2006年(平成18年)12月3日:函館駅 - 旭川駅間で特急「北海」(キハ183系国鉄色4両)がリバイバル運転された。

北海道一周「ニセコ号」

  • 2012年(平成24年)7月1日:北海道デスティネーションキャンペーン(心にくるたび。キュンと北海道)の一環として函館駅 - 長万部駅 - ニセコ駅 - 小樽駅 - 札幌駅の区間で運行された。牽引は北斗星色のDD51形ディーゼル機関車が担当した。客車は5両編成で、機関車側2両が24系の寝台車、後部3両が14系座席車であった。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

  1. 『JR時刻表』2011年3月号、交通新聞社
  2. テンプレート:PDFlink - 北海道旅客鉄道プレスリリース 2013年8月6日
  3. テンプレート:PDFlink - 北海道旅客鉄道プレスリリース 2014年5月23日
  4. 特急ワッカ&ヌプリ|GOTTON JR北海道
  5. テンプレート:PDFlink - 北海道旅客鉄道プレスリリース 2013年7月26日
  6. 同名の岡山駅 - 高松駅間の快速列車「マリンライナー」とは異なる。ちなみに、後者は1988年4月10日に登場しており、北海道の「マリンライナー」のほうが先に設定された。
  7. 津軽海峡線開業当初は下り「北斗星」の函館 - 札幌間の立席特急券利用が認められていた。また、函館駅を早朝4時台に発車する「北斗星」のダイヤも、かつての青函連絡船時代の伝統を踏襲するものとなっていた。