天北線
|} テンプレート:Sound 天北線(てんぽくせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運輸営業していた鉄道路線(地方交通線)である。北海道中川郡音威子府村の音威子府駅で宗谷本線から分岐し、枝幸郡浜頓別町等を経て稚内市の南稚内駅で再び宗谷本線に接続した。
国鉄再建法により第2次特定地方交通線に指定され、北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承後の1989年(平成元年)5月1日 に廃止された[1][2]。
線名は、敷設されていた地域の旧国名、「天塩国」と「北見国」から採られている。
路線データ(廃止時)
- 管轄:北海道旅客鉄道(第一種鉄道事業)
- 路線距離(営業キロ):音威子府 - 浜頓別 - 南稚内 148.9km
- 駅数:30(起終点駅を含む)
- 軌間:1067mm
- 全線単線
- 電化方式:全線非電化
- 閉塞方式:タブレット閉塞式(併合閉塞は票券閉塞式)
- 交換可能駅数:7(小頓別、敏音知、中頓別、浜頓別、鬼志別、曲淵、声問)
- 1986年10月31日まで猿払、樺岡は交換設備があったが撤去。また、小石には交換設備がなかったが、1986年10月31日までは閉塞の取り扱いを行っていた。
- 声問は路線廃止まで運転扱いの駅員が配置されていたが、乗車券発売は行っていなかった。
- 交換可能駅数:7(小頓別、敏音知、中頓別、浜頓別、鬼志別、曲淵、声問)
歴史
日本統治下の南樺太への連絡鉄道として建設された宗谷本線の当初のルートである。1922年に稚内まで全通した。1926年、音威子府 - 南稚内間に、より距離の短い天塩線が幌延経由のルートで開通すると、1930年に天塩線が宗谷本線に編入され、音威子府 - 浜頓別経由 - 稚内の旧来のルートは北見線(きたみせん)として分離された。
音威子府から稚内へは天塩線ルートの方が短距離であるにも関わらず、大きく迂回する北見線ルートが相前後して先行開通し、複数の経路を持つに至った背景には、当時、オホーツク海沿岸地主による我田引鉄の意図があり、稚内連絡と同時にオホーツク海沿岸の地域開発が建設の名目にされたと言われている。
1961年10月1日の全国的な白紙ダイヤ改正(サンロクトオ)を機に、北見線は天北線に改称された[3]。
1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定されたが、冬季の代替輸送に問題があるとして他の長大3線(名寄本線、池北線、標津線)とともに一時、廃止承認が留保された。しかし、結局1985年に問題がなくなったとして追加廃止承認され、国鉄分割民営化後の1989年に廃止された。国鉄の廃止路線としては最長の営業キロを持つ路線だった。
廃止の時点まで急行「天北」が運行されていた。第三セクター鉄道など他の事業者に運営を引き継ぐことなく、優等列車が運行された状態で全線廃止となった路線は、国鉄・JRの歴史上当線が初めてである。
年表
- 1914年(大正3年)11月7日 宗谷線の音威子府 - 小頓別間 (15.6km) を延伸開業。上音威子府駅・小頓別駅を新設。
- 1916年(大正5年)10月1日 小頓別 - 中頓別間 (26.8km) を延伸開業。上頓別駅・敏音知駅・松音知駅・中頓別駅を新設。
- 1918年(大正7年)8月25日 中頓別 - 浜頓別間 (19.0km) を延伸開業。下頓別駅・浜頓別駅を新設。
- 1919年(大正8年)
- 1920年(大正9年)11月1日 浅茅野 - 鬼志別間 (17.1km) を延伸開業。猿払駅・芦野駅・鬼志別駅を新設。
- 1921年(大正10年)10月5日 宗谷本線を宗谷線に改称
- 1922年(大正11年)
- 11月1日 鬼志別 - 稚内(現在の南稚内)間 (56.2km) を延伸開業。小石駅・曲淵駅・沼川駅・樺岡駅・幕別駅・声問駅・稚内駅(初代)を新設。
- 11月4日 宗谷線を宗谷本線に改称
- 1926年(大正15年)9月25日 天塩線(音威子府 - 幌延 - 稚内間)全通。
- 1928年(昭和3年)12月26日 稚内 - 稚内港(現在の稚内)間を延伸開業。
- 1930年(昭和5年)4月1日 天塩線を宗谷本線に編入し、音威子府 - 浜頓別 - 稚内間 (149.9km) を分離し、北見線に改称。
- 1939年(昭和14年)2月1日 稚内駅を南稚内駅に改称(同時に稚内港駅を稚内駅に改称)。
- 1952年(昭和27年)11月6日 南稚内駅を移転、これにより声問 - 南稚内間を改キロ (-1.0km)。
- 1955年(昭和30年)12月2日 上駒仮乗降場・寿仮乗降場・常盤仮乗降場・飛行場前仮乗降場・宇遠内仮乗降場を新設。
- 1956年(昭和31年)
- 1959年(昭和34年)11月1日 新弥生仮乗降場を新設。
- 1961年(昭和36年)
- 4月1日 北見線を天北線に改称。
- 11月1日 札幌 - 稚内間を当線経由で運行する急行列車「天北」を設定。
- 1963年(昭和38年)10月1日 幕別駅を恵北駅に改称。
- 1965年(昭和40年)10月 天北栄仮乗降場を廃止(新設日不明)。
- 1967年(昭和42年)10月1日 北頓別仮乗降場を廃止(新設日不明)。
- 1969年(昭和44年)2月1日 山軽駅を無人化。
- 1973年(昭和48年)9月17日 上音威子府駅・上頓別駅・松音知駅・芦野駅・小石駅・樺岡駅・恵北駅・声問駅を無人化、出札・改札を中止。小石駅・樺岡駅・声問駅は閉塞扱いの運転要員のみに。
- 1982年(昭和57年)6月1日 下頓別駅・浅茅野駅を無人化。
- 1984年(昭和59年)2月1日 全線の貨物営業を廃止。
- 1985年(昭和60年)8月2日 第2次特定地方交通線として廃止承認。
- 1986年(昭和61年)11月1日 猿払駅・沼川駅を無人化。猿払駅・樺岡駅の交換設備を廃止。小石駅の閉塞扱いを廃止。
- 1987年(昭和62年)
- 1989年(平成元年)5月1日 全線廃止[1][2]。宗谷バスに転換。急行「天北」は宗谷本線経由に変更し「宗谷」に統合。
運転
テンプレート:Main2 1989年3月11日改正時点の列車運転本数[4]
- 急行「天北」札幌駅 - 音威子府駅 - 浜頓別駅 - 稚内駅間1往復
- 普通列車
- 音威子府駅 - 稚内駅間(全線直通) 下り6本、上り5本
- 音威子府駅 - 浜頓別駅間 1往復 (朝上り1本、夜下り1本)
- 稚内駅 → 曲淵駅間 夕方上り1本
- 稚内駅 - 声問駅間 朝1往復(休日運休、ただし上り稚内駅→南稚内駅間は毎日運転)
- 興浜北線廃止前は、興浜北線用の車両を併結した音威子府駅からの下り初列車を浜頓別駅で分割し、夜に上り終列車に併結して音威子府駅に戻るという興浜北線と一体化した運用がなされていた。
駅一覧
全駅北海道に所在。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
音威子府駅 | - | 0.0 | 北海道旅客鉄道:宗谷本線 | 中川郡音威子府村 |
(臨)上音威子府駅 | 5.4 | 5.4 | ||
小頓別駅 | 10.2 | 15.6 | 歌登町営軌道 (1970年11月1日廃止) |
枝幸郡中頓別町 |
上頓別駅 | 5.0 | 20.6 | ||
恵野駅 | 2.6 | (23.2) | ||
敏音知駅 | 3.9 | 27.1 | ||
周磨駅 | 4.1 | (31.2) | ||
松音知駅 | 3.3 | 34.5 | ||
上駒駅 | 2.9 | (37.4) | ||
中頓別駅 | 5.1 | 42.5 | ||
寿駅 | 4.1 | (46.6) | ||
新弥生駅 | 1.4 | (48.0) | ||
下頓別駅 | 3.6 | 51.6 | 枝幸郡浜頓別町 | |
常盤駅 | 3.2 | (54.8) | ||
浜頓別駅 | 6.7 | 61.5 | 日本国有鉄道:興浜北線 (1985年7月1日廃止) | |
山軽駅 | 6.2 | 67.7 | ||
安別駅 | 2.7 | (70.4) | 宗谷郡猿払村 | |
飛行場前駅 | 2.4 | (72.8) | ||
浅茅野駅 | 3.9 | 76.7 | ||
猿払駅 | 6.2 | 82.9 | ||
芦野駅 | 4.5 | 87.4 | ||
鬼志別駅 | 6.3 | 93.7 | ||
小石駅 | 5.3 | 99.0 | ||
曲淵駅 | 17.7 | 116.7 | 稚内市 | |
沼川駅 | 4.3 | 121.0 | ||
樺岡駅 | 6.2 | 127.2 | ||
恵北駅 | 9.1 | 136.3 | ||
(臨)東声問駅 | - | - | ||
声問駅 | 5.5 | 141.8 | ||
宇遠内駅 | 5.0 | (146.8) | ||
南稚内駅 | 2.1 | 148.9 | 北海道旅客鉄道:宗谷本線 |
脚注
外部リンク
- 椎野吾一の鐡道博物舘 - 天北線「さようなら列車」、スタフなどを見ることができる。