猿払村
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猿払村(さるふつむら)は、北海道宗谷地方北部に位置する村である。 北海道を代表するホタテの水揚げ地として有名。
村名の由来は、アイヌ語の「サラ・プツ(葦原の河口)」から。
目次
[非表示]地理
宗谷管内のオホーツク海側に位置する。 東部はオホーツク海に接する海岸が続き、国道238号が南北に縦貫する。 西部は丘陵・山岳地帯。村総面積の8割が森林。
日本一北にある村。離島を除けば、北海道一面積の大きい村でもある。
隣接している自治体
歴史
- 江戸時代中期頃より、松前藩管理の場所請負制による漁場が開設される。1878年(明治11年)、北見国宗谷郡に6か村が設定される。1882年(明治15年)、廃使置県にともない札幌県に移管。
- 1919年(大正8年)11月、浜頓別~浅茅野に鉄道敷設。1920年(大正9年)11月、浅茅野~鬼志別、1922年(大正11年)11月、鬼志別~稚内が開通し、宗谷本線(後の天北線)となる。
- 1924年(大正13年)10月 宗谷村(現稚内市の一部)から分村し、猿払村として二級町村制を施行。
- 1934年(昭和9年)12月、樺太との間に海底ケーブルの敷設及び中継所が設置され、電話が本州と開通した。
- 1939年(昭和14年)12月12日、ソ連船「インディギルカ号」が浜鬼志別沖合いで座礁。多数の死傷者を出すものの、村民により多くの人命が救助される。
- 1942年(昭和17年)6月、大日本帝国陸軍航空本部浅茅野飛行場建設工事開始。第一、第二飛行場共に1944年末完成。勤労奉仕の村民が多数動員される。
- 1947年(昭和22年)、終戦後の引揚者の入植などにより、内陸地の戦後開拓がすすむ。産業では炭鉱、林業(王子製紙)、酪農が中心。
- 1954年(昭和29年)、この頃よりニシン水揚が激減。沖合のホタテ漁も乱獲により衰退し、漁民の多くが経済的困窮により離村を余儀なくされる。
- 1963年(昭和38年)、及び1967年(昭和42年)にかけて相次いで炭鉱閉山。林業も衰退し、僅かに酪農を除いた村内の産業経済が完全に停滞。当時は「貧乏見たけりゃ猿払へ行きな」と言われるほどの有り様であり、住民の生活は困窮を極める。
- 1971年(昭和46年)、猿払村漁業協同組合10年計画による初のホタテ稚貝放流事業を実施。以降、巨額を投じてホタテ放流事業に村の復興を賭ける。
- 1974年(昭和49年)11月9日、 猿払事件の最高裁判決が下される。
- 1981年(昭和56年)、ホタテ漁業造成事業を終了。以後、計画的な稚貝放流と徹底した資源管理により驚異的なホタテ水揚を維持することとなる。これにより、道内で最も貧しいといわれた村は、支庁内高所得者の6割、全国でも上位に位置する高所得自治体となっている。
- 1983年(昭和58年)、大韓航空機撃墜事件により、村内海岸に遺体や漂流物など多数漂着。
- 1989年(平成元年)5月1日、 天北線廃止。同日バスに転換。
- 1994年(平成6年)7月10日、開村70周年記念式典挙行。
行政
村長
- 笠井 勝雄(1969年(昭和44年)12月~2001年(平成13年)11月~8期)
- 森 和正(2001年(平成13年)12月~2009年(平成21年)11月~2期)
- 巽 昭(2009年(平成21年)12月~2013年(平成25年)11月~1期) - 村政初の民間出身首長
- 伊藤 浩一(2013年(平成25年)12月~1期目)
村議会
- 定数は9人
経済
産業
漁業と酪農が盛ん。 特にホタテの水揚げ地として知られ、漁獲量は日本一である。古くからホタテの好漁場であり、明治時代にも香港に輸出されるなどしたが濫獲により資源が消滅。戦後まもなくは天北炭田の採炭と林業によって栄えたが、後に衰退すると村は疲弊、一部の権力者による密漁が横行し、道内管区から目を付けられる事態であった。そこで村の興亡を賭けて、元来の産業であったホタテ漁の再興に取り組むことになるが、これが軌道に乗り、加工業も盛んになった。現在も稚貝を育て放流、害敵の駆除など、徹底した資源管理を行っている。
農協・漁協
- 東宗谷農業協同組合(JAひがし宗谷)猿払支所
- 猿払村漁業協同組合
金融機関
- 稚内信用金庫鬼志別支店
郵便局
- 鬼志別郵便局(集配局)
- 浅茅野郵便局(集配局)
- 浜鬼志別郵便局
- 知来別郵便局
- 猿払簡易郵便局
- 小石簡易郵便局
公共機関
警察
- 稚内警察署鬼志別駐在所
- 稚内警察署知来別駐在所
姉妹都市・提携都市
海外
地域
人口
教育
- 中学校
- 拓心中学校
- 小学校
- 浅茅野
- 芦野小学校
- 鬼志別小学校
- 知来別小学校
- 浜鬼志別小学校
- 浜猿払小学校
すべて公立(猿払村立)の小学校および中学校である。
交通
空港
鉄道路線
かつては天北線が通っていたが、現在は廃止されている。
バス
- 宗谷バス
- 天北宗谷岬線 - JR天北線廃止代替
- 苗太路 - 知来別学校前 - 鬼志別ターミナル - 浜鬼志別 - 芦野 - 猿払 - 浜猿払 - 浅茅野 - 飛行場前 - 安別
- 特急天北号 - 名寄・旭川方面
- 天北宗谷岬線 - JR天北線廃止代替
- 猿払村乗合タクシー:鬼志別~小石地区
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
祭事
- インディギルカ号遭難者慰霊祭
- さるふつ観光祭り(7月)
観光
その他
- 憲法学上の重要事件である猿払事件が起こったことでも知られる。
- 自衛隊日本最北端の演習場である鬼志別演習場が設置されている。規模は上富良野演習場の約半分程度の広さ。
- かつて、村内浅茅野地区に日本陸軍浅茅野飛行場が設置された。現在はバス停車場に「飛行場前」の名をとどめている。
- 横浜崎陽軒のシウマイは猿払産の干貝柱を使っている。
- 樺太と北海道の間の海底ケーブルの中継所が戦前に当地にあった。このため真岡郵便電信局事件の一文が跡地記念碑に刻まれている。
- 猿払村沖で、ラズエズノイ号事件が起こった。