エルコンドルパサー

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テンプレート:Infobox エルコンドルパサー[1]英語表記:El Condor Pasa 西語表記:El Cóndor Pasa 漢字表記:神鷹)はアメリカ合衆国で生産され、日本調教された競走馬外国産馬)。馬名の由来は馬主の渡邊隆が好きだったというサイモン&ガーファンクルの『コンドルは飛んでいく』より。4歳(旧5歳)時に国外遠征を行い、フランスのG1競走サンクルー大賞を勝ち、凱旋門賞で2着になるなど、日本競馬界に大きな足跡を残した。1998年JRA賞最優秀4歳牡馬、1999年年度代表馬JRA賞最優秀5歳以上牡馬(部門名は、いずれも当時のもの)、2014年JRA顕彰馬

競走馬時代

1997年

デビューは1997年11月8日の東京競馬場ダート1600mの新馬戦であった。スタートは悪く、出遅れるものの、直線に入ると1頭だけ次元の違う脚を見せ、最後はのちに京成杯を勝つマンダリンスターに7馬身差をつけての圧勝だった。

1998年

年明けの1月11日、2戦目の中山競馬場500万条件レースも9馬身差で圧勝。この頃から同期の外国産馬で当時無敵を誇っていたグラスワンダーに対抗できる大物として認識されるようになる。これまでダートコースしか走っていなかったため、陣営は芝コースを経験させるべく共同通信杯4歳ステークスに出走させるが、のため東京競馬場芝コースが使えず、皮肉にもダートに変更となってしまった。レースは同じくダート2戦2勝のハイパーナカヤマとの一騎打ちムードであったが、直線に入り初めて鞭を入れられると必死で食い下がるハイパーナカヤマをあっさり突き放し、力の違いを見せ付けて重賞(ただしダート変更のため格付け無し)初制覇を飾った。

2か月後にはニュージーランドトロフィー4歳ステークスに出走、これが初めての芝のレースで朝日杯3歳ステークス2着のマイネルラヴなどメンバーもそれなりに揃っていたが、出遅れをものともせず一番人気に応え圧勝した。

4戦無傷で迎えた春の大目標であるNHKマイルカップにはトキオパーフェクトやロードアックスなど本馬のほか3頭の無敗馬も駒を進めてきたが、圧倒的1番人気に支持される。レースは中団を進み、3角から進出を開始すると、手前を変えず外へ寄れながらも、早めに抜け出し、最後にシンコウエドワードが詰め寄ってくるも余裕の勝利。無傷の5連勝で初のGIタイトルを手中にした。二ノ宮調教師としても開業10年目にして初のGI勝利であった。

毎日王冠

秋は第49回毎日王冠から始動。このレースにはサイレンススズカと、骨折でNHKマイルカップには出走できなかったグラスワンダーが出走してきた。当時外国産馬には天皇賞への出走権がなく、これが最初で最後の対決になるかもしれないと、当日の東京競馬場にはGIIとしては異例の13万人が詰めかけ、異様な盛り上がりを見せていた(事実、前述2頭との対戦はこれが唯一となった)。グラスワンダーとエルコンドルパサーは共に的場均(現調教師)がデビュー以来騎乗しており、同騎手がどちらに騎乗するか注目されたが、結局グラスワンダーに騎乗することになった。的場によると、当初からエルコンドルパサーの騎乗はグラスワンダーが復帰するまでということは決まっており、調教師の二ノ宮も理解していたという。しかしこれは苦渋の選択であり、『体がふたつあったら、どちらにも騎乗したかった』と語っている[2]

このためエルコンドルパサー陣営は蛯名正義に騎乗を依頼、このコンビは引退まで続くことになる。レースは4コーナーで逃げるサイレンススズカに詰め寄るが、直線で突き放されて2馬身半の2着。

ジャパンカップ

毎日王冠後、マイルチャンピオンシップジャパンカップのどちらに出走するかということで注目された。その際、馬主の渡邊が調教師の二ノ宮に「ジャパンカップに出走したい。マイルチャンピオンシップなら勝てるかもしれないのに、負けに行くようで悪いね」と述べたところ、二ノ宮からは「いや、こっちでも勝っちゃいますからいいですよ」と返ってきたらしい[3]。こうしてジャパンカップに出走。当時は血統背景や戦歴から距離適性はマイルから中距離までという見方が一般的で、2400mという距離に対する不安から3番人気に留まったものの、レースでは抜群のスタートから4番手を進み、直線持ったまま先頭に立つという力強い競馬で2着エアグルーヴに2馬身半差の快勝を収めた。これはジャパンカップにおける最大着差(当時)であり、また日本の3歳(旧4歳)馬がジャパンカップを制するのも初めてである。同期の日本ダービー優勝馬スペシャルウィークが3着だったため、前走でグラスワンダーに先着したこともあり、世代最強馬との評価を得た。年度代表馬は逃すものの、この年の二冠馬セイウンスカイを抑えこの年の最優秀4歳牡馬に選ばれた。

なお、この最優秀4歳牡馬選出について、皐月賞菊花賞という伝統と権威あるクラシック二冠を制したセイウンスカイを差し置いて、エルコンドルパサーが選出されるとは如何なものかという声もあった。これに関するエピソードとして、杉本清は「これではクラシックとは一体何なのかと言われてしまう」とドリーム競馬内で嘆いた。

1999年

ジャパンカップを優勝したこと、またサイレンススズカ、タイキシャトルという1世代上の実力馬がいなくなったことで、国内での勝負付けは済んだと判断した陣営は海外遠征を決断。現地ではトニー・クラウト厩舎が預かることになったが、馬が環境の変化に戸惑うことが無いように飲料水、食べ物(飼葉)まで共にコンテナで運んだ。なお、エルコンドルパサーはフランスに向け輸送された後、凱旋門賞を戦い終えるまで、一度として日本に戻されること無く現地で調教が施されている。帯同馬として、同じく二ノ宮厩舎所属で、同じく渡邊オーナーの所有馬だったハッピーウッドマンが同行した。

初戦のイスパーン賞ではクロコルージュにゴール直前に交わされ4分の3馬身差で敗れる。このレースの結果で、ヨーロッパに残ることを陣営は決断し、次走はブリガディアジェラードステークスかサンクルー大賞のどちらかに出走という予定であったが、サンクルー大賞に出走した。なお、イスパーン賞の後に、帯同していた厩務員の根来邦雄は持病が悪化したため長期滞在を断念して帰国。その後は凱旋門賞まで、調教助手の佐々木幸二がいわゆる「持ち乗り」の形で担当した。

サンクルー大賞は前年の凱旋門賞馬サガミックスや、フランスとアイルランドのダービー馬でヨーロッパ年度代表馬ドリームウェル、前年のバーデン大賞タイガーヒルなどヨーロッパの一線級の古馬が揃った。61kgという近年日本の平地競走では殆ど見かけなくなった重い斤量を背負っての戦いとなった。レースは縦長の隊列を4番手で追走、直線では早目先頭に立ったタイガーヒルに持ったままで並びかけ、最後は2馬身半の差をつけ勝利した。ヨーロッパのチャンピオンディスタンスのG1での初の日本調教馬による優勝となった。現地メディアのParis Turfはこの勝利を名馬シーバード(1965年第57回同レースに勝利)になぞらえ、ヨーロッパの競馬界でも凱旋門賞の有力候補と認識されるようになる。本馬はソエや疾病とは無縁な健康な馬であり、二ノ宮調教師は順調に予定を消化できるのが強みのひとつと語っているが、レース中、ドリームウェルに蹴られるアクシデントがあり、それが原因でフレグモーネを発症している。

2ヶ月休養した後の次走フォワ賞はサガミックスが直前に回避し、3頭立てという日本ではまず見かけない少頭数となったが、同時にG2レースながら出走馬は全てG1馬であった。レースでは押し出される格好で先頭に立ち他の2頭(ボルジアと、一度敗れているクロコルージュ)にマークされるという状況で、直線ではインを突いたボルジアが一旦先頭に立つも差し返して勝利し、いよいよ大目標である凱旋門賞に向かう。

凱旋門賞

凱旋門賞ではその年のジョッケクルブ賞アイリッシュダービーを制し、ヨーロッパの3歳最強馬と評価されていたモンジュー、当年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス及びアイリッシュチャンピオンステークスをそれぞれ圧勝していたヨーロッパ古馬チャンピオンであるデイラミが出走した。

当日レースの舞台となるロンシャン競馬場はペネトロメーター5.1というレース史上類を見ないほど大量に水分を含んだ状態の不良馬場だったため、道悪を苦としないエルコンドルパサーとモンジューの一騎打ちというのが戦前の評判であった(優勝候補の一角だったデイラミの陣営は直前まで出走を躊躇していた)。

レースはモンジュー陣営のペースメーカーであるジンギスカンが先頭に立つ予定だったが、ジンギスカンが出遅れ、エルコンドルパサーが押し出されるような格好で先頭を進み、エルコンドルパサーをモンジューが後方から見る格好となった。これが功を奏し、単騎逃げで折り合った本馬は、最後の直線まで脚を溜めながら抜群の手応えでレースを進め、直線半ばでは更に後続を突き放した。モンジューはまだ馬群の中にあり、日本競馬の悲願がついに達成かと思われた。しかし残り200mでようやく馬群をこじ開けたモンジューが一気に追い込み、ゴール前でついにエルコンドルパサーを捉えた。結局半馬身差でモンジューが優勝、エルコンドルパサーは2着となった。

2着に敗れはしたものの凱旋門賞の3歳と古馬の斤量差(エルコンドルパサーが59.5キロであるのに対し、モンジューは56キロ)や、3着馬との間につけた6馬身差(4着はさらに5馬身差)により、テンプレート:誰範囲から「2頭チャンピオンが存在した」という評価を受けた。日本国内でもシンボリルドルフサクラローレルなど歴代の強豪馬が海外遠征で敗れており、歴史的快挙と評された。現在においても、2着は日本調教馬による凱旋門賞の最高着順記録(タイ記録)[4]であり、これはニュージーランド調教馬Balmerino(バルメリーノ)と並んでヨーロッパ以外での調教馬による最上位着順記録でもある[5]

このレースを最後に引退[6]。奇しくも死闘の相手であるモンジューやタイガーヒル、ボルジアといった顔ぶれが集まったジャパンカップ当日の昼休み「コンドルは飛んで行く」が流れる中、引退式が行われた。なお、この日のジャパンカップはスペシャルウィークがモンジュー他に勝利している。

上記のような半年に及ぶ海外遠征での成績が評価され、1999年の年度代表馬にも選ばれたが、この年の国内GIをスペシャルウィークが3勝、またグラスワンダーがこのスペシャルウィークを2度下す形で2勝していたために、両馬を差し置いて国内のレースに一度も出走していないエルコンドルパサーが選ばれるのは不適当ではないかという意見も相次いだ。また、記者投票の結果、一旦はスペシャルウィークが首位に立ったにも関わらず、審議委員による決定でこれを覆し、エルコンドルパサーを年度代表馬に決定したために、1993年にビワハヤヒデが選ばれた時以上の大論争となった(詳細については1999年度JRA賞年度代表馬選考を参照)。

引退後の顕彰馬の選出においては長らく落選が続いていたが、本馬は平成26年(2014年)度顕彰馬に選定された。

なおエルコンドルパサーのヨーロッパ長期キャンペーンは、日本はもとよりフランスにおいても極めて高い評価を受け、渡邊はその年もっとも活躍した競馬関係者に贈られるランセル・ゴールド賞を現在に至るまで外国人としてただ1人受賞している。毎年凱旋門賞を取材しているカメラマンの白田敏行は、現地のファンや関係者の間でも2006年に凱旋門賞だけ出走して日本に帰国したディープインパクトよりも、凱旋門賞に照準を絞り1年がかりでヨーロッパに遠征したエルコンドルパサーのほうが認知されているという見解を示している[7]。「20世紀世界の平地競走馬トップ200」では日本馬として唯一86位にランクインしている。

また生涯で一度も連対を外さなかったが、11戦連続連対は生涯戦績で連対を外さなかった中央競馬所属馬の中ではシンザンの19戦連続、ダイワスカーレットの12戦連続に次ぐもので、グレード制導入以降では2番目の記録となっている(なお、生涯戦績で連対を外した中央競馬所属馬には15戦連続連対のビワハヤヒデや12戦連続連対のタイキシャトルなど、地方競馬所属馬には生涯戦績23戦23連続連対のゴールドレットや15戦全勝のツルマルサンデーなどがいる)。

競走成績

年月日 競馬場 競走名 人気 倍率 着順 距離 タイム 3F 着差 騎手 勝ち馬/(2着馬)
1997 11. 8 東京 3歳新馬 1人 2.5 テンプレート:Color ダ1600m(良) 1:39.3 (37.2) 7身 的場均 (マンダリンスター)
1998 1. 11 中山 4歳500万下 1人 1.3 テンプレート:Color ダ1800m(不) 1:52.3 (37.5) 9身 的場均 (タイホウウンリュウ)
2. 15 東京 共同通信杯4歳S 重賞 1人 1.2 テンプレート:Color ダ1600m(不) 1:36.9 (35.6) 2身 的場均 (ハイパーナカヤマ)
4. 26 東京 NZT4歳S テンプレート:Color 1人 2.0 テンプレート:Color 芝1400m(重) 1:22.2 (35.8) 2身 的場均 (スギノキューティー)
5. 17 東京 NHKマイルC テンプレート:Color 1人 1.8 テンプレート:Color 芝1600m(稍) 1:33.7 (34.9) 1 3/4身 的場均 (シンコウエドワード)
10. 11 東京 毎日王冠 テンプレート:Color 3人 5.3 2着 芝1800m(良) 1:45.3 (35.0) (2 1/2身) 蛯名正義 サイレンススズカ
11. 29 東京 ジャパンC テンプレート:Color 3人 6.0 テンプレート:Color 芝2400m(良) 2:25.9 (35.0) 2 1/2身 蛯名正義 エアグルーヴ
1999 5. 23 ロンシャン イスパーン賞 テンプレート:Color 2着 芝1850m(重) 1:53.8 (3/4身) 蛯名正義 Croco Rouge
7. 4 サンクルー サンクルー大賞 テンプレート:Color テンプレート:Color 芝2400m(稍) 2:28.8 2 1/2身 蛯名正義 (Tiger Hill)
9. 12 ロンシャン フォワ賞 テンプレート:Color テンプレート:Color 芝2400m(稍) 2:31.4 アタマ 蛯名正義 Borgia
10. 3 ロンシャン 凱旋門賞 テンプレート:Color 2着 芝2400m(不) 2:38.6 (1/2身) 蛯名正義 Montjeu
  • 共同通信杯4歳ステークスは、本来、芝1800mで行われる重賞(GIII)競走であるが、1998年は積雪の影響のためグレード格付け無し(重賞)のダート1600mで施行された。

国際クラシフィケイション 126-T/L (1998年), 134-T/L (1999年)
1999年の134ポンドというレートは日本調教馬としては最高レート。1998年の126ポンドは日本国内で記録されたレートとしてはオルフェーヴルが2013年に記録した129ポンド、ディープインパクトが2006年に記録した127ポンドに次ぐ歴代3位の記録で、3歳馬が記録したレートでは現在でも1位である。

種牡馬時代

ジャパンカップ後に総額18億円のシンジケートが組まれ、イスパーン賞後に社台スタリオンステーションで繋養されることが発表された。渡邊オーナーはサンクルー大賞を勝って凱旋門賞で2着になった後でも(ヨーロッパ遠征の)リスクを引き受けてくれたシンジケート会員のために、シンジケート価格の値上げは行わないとして、シンジケート総額は18億円のまま据え置かれた。 種牡馬生活に入った3年目の2002年7月16日、腸捻転を発症し死亡。本馬が残した血は3世代の産駒だけとなった。

初年度の産駒が期待通りに走らず、種牡馬として心配されたが、2年目のヴァーミリアンラジオたんぱ杯2歳ステークスローゼンクロイツアドマイヤジャパンシックスセンスなどのクラシックを賑わす評判馬を相手に勝つと、市場セールの取引価格が急騰した。さらに、ラストクロップとなった2003年産のソングオブウインド菊花賞を優勝、これに続いてアロンダイトとヴァーミリアンがGI(JpnI)競走を勝っている。既にソングオブウインドは2007年より種牡馬入りして200頭近くの繁殖牝馬を集めた。また、2011年よりヴァーミリアン、サクラオリオン、ルースリンド(南関東重賞4勝)が後継種牡馬に加わっている。

2014年2月8日トウカイトリックがJRAの競走馬登録を抹消したことにより、全ての産駒が中央競馬から姿を消した。

産駒の傾向

本馬はデビューから3戦をダートで圧勝し、ヨーロッパのチャンピオンディスタンスでも活躍しただけあって、パワーとスタミナに優れ、ヨーロッパから日本に輸入されたチャンピオン級の種牡馬が示す傾向と同じように、産駒にはスピードよりもパワーを要求されるダートで活躍する馬や中距離以上でその真価を発揮する馬が多い傾向にある。

全体として極端な早熟や晩成傾向は見られないが、2歳夏から息の長い活躍をするトウカイトリックや条件戦で頭打ちと見られていたサクラオリオンが7歳で重賞を2勝するなど、成長力を備えた産駒も多い。古馬の重賞においては極端な長距離戦や短距離戦を勝利する産駒ばかり出ていたが、サクラオリオンが重馬場の中京記念と洋芝の函館記念というパワーを必要とする条件で中距離重賞に勝った。

牡馬に比べると牝馬の成績が極めて劣るという傾向が顕著であり、殆ど活躍馬が出ていなかったが、ラストクロップ世代のラピッドオレンジが2008年のTCK女王盃を制し、初の牝馬重賞勝ち馬となった。

なお、本馬はレコードとは無縁だったが、産駒はソングオブウインドの菊花賞(京都芝3000m)、ヴァーミリアンのジャパンカップダート(東京ダート2100m)・JBCクラシック(2008年、園田ダート1870m)、アイルラヴァゲインのクリスマスローズステークス(中山芝1200m・2歳)、コンドルクエストのきんもくせい特別(福島芝1700m・2歳)、ブラックコンドルの中京2歳ステークス(中京ダート1700m・2歳)、トウカイポリシーの障害オープン(中山芝3210m)と多くのレコードタイムを記録している。特に2005年の葉牡丹賞を勝ったナイトレセプションは、1分59秒9と日本で初めて2歳馬が2000mで2分を切るものであった。

2008年のメイショウサムソンの凱旋門賞出走にともない、産駒のファンドリコンドルが帯同馬を務めた。同馬はロンシャン競馬場で行われたダニエルウィルデンシュタイン賞(フランスG2・芝1600m)への出走も果たしている(結果は6着)。ファンドリコンドルはその後高知に移籍し9連勝を果たしている。

おもな産駒

ファイル:Vermilion 20071229P1.jpg
ヴァーミリアン(2002年産)
ファイル:Alondite horse.jpg
アロンダイト(2003年産)

ブルードメアサイアーとしての主な産駒

特徴

本馬の特徴に挙げられるのがその万能性である。ダートと芝の両方に適性を示し、日本とフランスの芝の違いにも対応した。また、マイルからクラシックディスタンスまで幅広い距離をこなし、馬場の状態に左右される事もなかった。レース中は先行して早めに抜け出し、そのままゴール板を駆け抜けるということが多かった。本馬はマイル戦においても楽に先行できるスピード、そして早めに抜け出してからも余裕を持って押し切る競馬ができる非常に優れたスタミナを備えており、総合的に高い身体能力を持ち合わせていた。しかし、上がり3ハロンは35秒程度で目を見張るような末脚を芝で繰り出すことはなかった。また、当初はヨーロッパ特有の馬場に足を取られていたというが、徐々にこなせるようになり、サンクルー大賞のころにはヨーロッパ調教馬と変わらぬ走法になっていた(『王者の飛翔』(ポニーキャニオン)より)。

なお、本馬の誕生には馬主である渡邊隆の思い入れを欠かすことはできない。当時外国産馬といえば著名なセールで購入する馬が多かった中、渡邊はラフショッドの血を引く肌馬を探し続け、アイルランドで行われるタタソールズ社の繁殖牝馬セールに出場予定だったサドラーズギャルに注目。その後サドラーズギャルは体調不良のためセールへの上場を取消したが、どうしても同馬の欲しかった渡邊は現地のエージェントを通じて牧場と直接交渉し、ようやく購入に漕ぎ着けた。初年度はエーピーインディと配合、2年目の種付け相手としてサイヤーデビューシーズンでまだ実績のなかったキングマンボを選び、誕生したのがエルコンドルパサーというオーナーブリーダースタイルの馬である。

血統表

エルコンドルパサー血統ミスタープロスペクター系
/Special(Lisadell) 4×3・4=25% Northern Dancer4×3=18.75% Native Dancer4×5=9.38%)

Kingmambo
1990 鹿毛
Mr.Prospector
1970 鹿毛
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
Miesque
1984 鹿毛
Nureyev Northern Dancer
Special
Pasadoble Prove Out
Santa Quilla

*サドラーズギャル
Saddlers Gal
1989 鹿毛
Sadler's Wells
1981 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fairy Bridge Bold Reason
Special
Glenveagh
1986 鹿毛
Seattle Slew Bold Reasoning
My Charmer
Lisadell Forli
Thong F-No.5-h

本馬は距離に融通が利く馬であり、マイラーである父Kingmamboのスピードに、母父Sadler's Wellsのスタミナを補った配合となっている。エルコンドルパサーの血統で特徴的なのがSpecialとLisadellの全姉妹による近親牝馬クロスであり、これはオーナーである渡邊の意図による交配である。Kingmamboの配合を考えていた渡邊は常に繁殖牝馬のセリをチェックしており、その末に父の母方と母の母方にSpecialとLisadellの全姉妹クロスを持つSaddler's Galを発見した。この配合ではさらに全姉妹クロスが重なるのみならず、NureyevとSadler's Wellsの4分の3同血クロス[8]が発生し、極めて近親度の高い配合となる。この配合意図に関しては当馬の現役初期に激論が戦わされたが、本馬の活躍により結果的には目標を達成した形となっている。

父Kingmambo×母父Sadler's WellsというNorthern Dancer3×4とSpecial4×4が発生する配合自体、近親度が高めの配合であるが(母母母父ForliはSpecialの父でありForli4×5×5でもある)、本馬の活躍はヨーロッパの生産界にも影響を与えており、近年になって同様の配合でDivine ProportionsWhipper(父のMiesque's Son=Kingmambo)、Virginia WatersThewayyouareHenrythenavigatorといった活躍馬が出ている。

半弟のナイスベンゲルも中央競馬で1戦1勝という成績[9]ながら、引退後の2004年から種牡馬となり[9]、2009年まで供用された[10]

兄弟

  • Gal From Seattle(1996、不出走、父A.P. Indy)
  • メモリーズオブユー(1997、3戦1勝、父Gulch)
  • ナイスベンゲル(1999、1戦1勝、父Seeking The Gold、種牡馬)[9]
  • システィンチャペル(2000、3戦1勝、父サンデーサイレンス)

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:日本中央競馬会・顕彰馬

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  1. 同じ渡邊の所有馬でエルコンドルパサーという同名の競走馬が1990年代の前半に存在したことがある(1989年産 父スリルショー・母トウコウボレロ。渡邊隆の父喜八郎の代表所有馬であるノボルトウコウ・プレストウコウ兄弟の甥にあたる)。こちらは調教中に故障し未出走のまま死亡している。渡邊にとって「エルコンドルパサー」という馬名は思い入れがあるようで、“初代”のエルコンドルパサーが引退した後に「これはと思う馬に出会うことが出来たらその時はまたエルコンドルパサーと名付けたい」と語った。
  2. 『夢無限』(的場均 著)より
  3. 『王者の飛翔』(ポニーキャニオン)より
  4. 2010年のナカヤマフェスタ(エルコンドルパサーと同じく二ノ宮厩舎所属)、2012年および2013年のオルフェーヴルも同着順を記録している。
  5. ヨーロッパの調教師によるUAE調教馬を除く。
  6. ブリーダーズカップクラシックに出走するプランもあったが既に4戦消化しており、しかもいずれも激走であったことから消耗が激しく、受け入れ先の問題等もあり、実現しなかった。
  7. 【最強ヒストリー】 エルコンドルパサー 第10話
  8. NureyevとSadler's Wellsはともに父がNorthern Dancerであり、またNureyevの母SpecialはSadler's Wellsの祖母でもある。
  9. 9.0 9.1 9.2 テンプレート:Cite web
  10. テンプレート:Cite web