イエメン
- イエメン共和国
- الجمهورية اليمنية
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イエメンの国旗 イエメンの国章 (国旗) (国章) - 国の標語:なし
- 国歌:United Republic
- イエメンの位置
公用語 アラビア語 首都 サナア 最大の都市 サナア 通貨 イエメン・リアル(YER) 時間帯 UTC +3(DST:なし) ISO 3166-1 YE / YEM ccTLD .ye 国際電話番号 967 </dd> </dl> イエメン共和国(イエメンきょうわこく)、通称イエメンは、中東・アラビア半島にある共和制国家である。正式名称は、الجمهورية اليمنية(ラテン文字転写は、al-Jumhūrīya al-Yamanīya)。アラビア語略称はاليمن(al-Yaman, アル=ヤマン)。公式の英語表記は、Republic of Yemen。通称Yemen。
目次
国名
国名はアラビア語で右を意味するヤミン (yamin) から由来する。アラビア半島の南部に位置するため、朝日が上る東に向かって南側の地域と考えられた。一方、大部分が砂漠地域の中にあってイエメンの肥沃さを表すユムン (yumn) に由来するという説もある。古代ローマ人は幸福のアラビアと呼んでいた。
歴史
- 古代 - 交易の中心地、および物資集散地として繁栄。古代ギリシャや古代ローマの時代には「幸福のアラビア (Arabia a Felix)」として知られる(Sabaean Kingdom、early 1st millennium BC)。
- 紀元前8世紀頃 - テンプレート:仮リンク(紀元前8世紀 - 3世紀)が繁栄。
- 紀元前7世紀頃 - シバ王国が、農耕の発達や、インド産香料の中継貿易によって繁栄。en:Kingdom of Awsanの都市がSabaeansに破壊された。
- 紀元前110年 - テンプレート:仮リンク(紀元前110年 - 525年)が建国される。
- 350年 - ヒムヤル王国がアクスム王国(110年 - 940年)から侵入を受ける。
- 525年 - ヒムヤル王国のDhu Nuwas王の治世に、ユスティニアヌス1世から侵入を受ける。
- 531年 - Abraha率いるエチオピアの勢力がイエメンに侵攻し、King of Sabaを宣言。
- 575年 - サーサーン朝ペルシャの支配を受ける。
- 7世紀 - イスラム教が流入。
- 9世紀 - テンプレート:仮リンクが成立。
- 11世紀 - テンプレート:仮リンク(1047-1138年)
- 12世紀- ズライ朝(1138-74年)をテンプレート:仮リンク(1174年-1180年)が滅ぼし、彼と父テンプレート:仮リンクを同じくする弟サラーフッディーンを始祖とするアイユーブ朝の支配を受ける(1174-1229年)
- 13世紀 - テンプレート:仮リンク(シーア派の一派)のイマームを祖とする(en:Imams of Yemen)が成立。
- 14世紀 - Al Kathiri (Hadhramaut) 王家は近年まで存続。
- 15世紀 - ラスール朝(1229-1454年)が紅海・アラビア海・インド交易の拠点として繁栄する。同王朝に鄭和の艦隊が来航
- 16世紀 - オスマン帝国の支配下に入るが、イエメン人はオスマン帝国に対し抵抗。1世紀後にオスマン勢力を駆逐し、テンプレート:仮リンク勢力による支配を再び受ける。
- 19世紀初頭 - エジプトの勢力下に置かれる。
- 1839年 - イギリスがアデンを始めとする南イエメンを占領。以後、南イエメンはイギリスの植民地となる。
- 1849年 - オスマン帝国が北イエメンを再占領。
- 1869年 - イギリスが南イエメンにテンプレート:仮リンク(1869年 - 1963年)を設置。
- 1918年 - オスマン帝国の第一次世界大戦敗北にともない、イエメン王国が独立。
- 1934年 - テンプレート:仮リンク、en:Idrisid Emirate of Asirがサウジアラビアに併合される。
- 1962年 - 軍事クーデターにより、イエメン王国が崩壊。イエメン・アラブ共和国が成立するも、北イエメン内戦が勃発(~1970年)。
- 1963年 - アデン保護領をテンプレート:仮リンク(1963年 - 1967年)に改称。
- 1965年 テンプレート:仮リンクに隣接するオマーンのドファール地方で、南イエメンが支援するDhofar Liberation Front(DLF)によるテンプレート:仮リンク(1962年-1976年)が激化。
- 1967年 - 英領南アラビア保護領(南イエメン)が、南イエメン人民共和国(1967年 - 1990年)として独立。後にイエメン人民民主共和国へ改称。
- 1990年5月22日 - 北イエメン、南イエメンが合併し、現在のイエメン共和国が成立。成立したイエメン共和国の初代の大統領として北イエメン大統領を務めていたアリー・アブドッラー・サーレハが務めることになる。
- 1994年5月4日 - 旧南側勢力が再独立を求め、イエメン内戦が勃発。しかし、南側勢力は国際的な支持を得られず、約2ヶ月で鎮圧される(~7月7日)。
- 1999年9月23日 - 国民の直接投票による初めての大統領選挙が行われる。サーレハ大統領が再選する。
- 2000年6月12日 - サウジアラビアとの国境線が画定し、領土面積が正式なものとなる。
- 2000年10月 - 旧南イエメンの首都であったアデンにあるアデン港で、イスラム原理主義勢力アルカーイダによる米艦コール襲撃事件が起こる。なお、ハドラマウト(イエメンのテンプレート:仮リンク、オマーンのドファール地方を含む)はアルカーイダの指導者だったウサーマ・ビン・ラーディンの父親の出身地。
- 2011年1月 - チュニジアでのジャスミン革命、エジプトでの民衆革命に影響を受けて市民による反政府デモが発生(アラブの春、2011年イエメン騒乱)。この結果、サーレハ大統領は退陣し、ハーディ副大統領が翌年2月の暫定大統領選挙で当選。
政治
イエメンは、アラビア半島諸国において唯一共和制をとる立憲国家である。現行憲法は1991年に発布され、1994年および2001年に改正されたものである。民主化に強い意欲があり、言論の自由も認められているとされるが、サーレハ政権下ではサーレハ個人や一族に対する批判は認められておらず、厳しい取締りを受けていた。
国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出される。任期は7年で、3選禁止。その権限は強大で、形式上も事実上も国家の最高指導者である。副大統領と首相は大統領により任命される。
内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、首相の助言に基づき大統領が任命する。
議会は二院制で、諮問評議会(111議席)と代議院(301議席)から構成される。諮問評議会議員は全員が大統領による任命制。代議院議員は国民の直接選挙で選出され、任期は6年。ただし、諮問評議会に立法権は無く、大統領の政策に対する助言機関に過ぎないことから、イエメン議会は実質的に立法権を行使しうる代議院人民代表院のみの一院制であるとする説もある。
主要政党には旧北イエメン与党でアリー・アブドッラー・サーレハ大統領率いる国民全体会議、旧南イエメンの政権党であったイエメン社会党、そしてイエメン改革連合の3党がある。
人権
他のアラビア半島の諸国に比して近代化が進んでいるとはいえ、イエメンもまたイスラームの保守的解釈から来る人権侵害と無縁ではない。イエメンは女児の結婚最低年齢に関する法律がない。これはイエメンは女子の結婚最低年齢に関して、イスラーム法上一般的な9歳という解釈を取っていない為である。そのため、イランやサウジアラビアなど、シャリーアを施行する他のイスラーム国家でさえ不可能な9歳未満の女児との結婚・セックスも可能であり、問題視されている[2][3]。イスラム国家としては、極めて強い特色があり、サウジ・イランなどと同様飲酒・レイプなどをした場合、公開鞭打ちを執行された事例もある。
2009年には、17歳未満の結婚を禁止する法案が提案されたが、保守派の反対にあって不成立となっている。2013年9月、40歳の男性と結婚した8歳の少女が、新婚初夜の性行為の最中に子宮破裂などの臓器損傷を負い、死亡したと報道された。現地警察などの調査では、関係者はこの報道について否定したが、イエメンの人権担当大臣は未成年の結婚を禁止すると明言した[4]。
軍事
地理
アラビア半島の南西、北緯12度から20度に位置する。紅海、アデン湾、アラビア海に面し、北でサウジアラビア、東でオマーンと国境を接し、アデン湾、紅海を挟んでソマリア、ジブチ、エリトリアに対面する。本土以外にソマリアの沖にあるインド洋のソコトラ島 (3625km²) なども領有している。面積は約52万8000km²。首都はサナア。地理学的には4つの地域に分けられる。紅海沿岸、西部山地、東部山地、北のルブアルハリ砂漠である。ティハーマと呼ばれる紅海沿岸部は非常に乾燥しており、山地から流れる川は見られずワジあるいは地下水になっている。西部山地は降水量が大きいため段々畑で農業が営まれる。ソルガムが主で、綿花とマンゴーなど果実も栽培される。昼夜の気温差が大きい。東部は標高2000mで、さらに気温差が大きく昼間30℃、夜間0℃となる。大麦や小麦が栽培される。ルブアルハリ砂漠ではベドウィンがラクダの遊牧を行っているだけである。
- Sana.jpg
サナア
地方行政区分
- アデン県 ('Adan)
- テンプレート:仮リンク ('Amran)
- テンプレート:仮リンク (Abyan)
- テンプレート:仮リンク (Ad Dali')
- テンプレート:仮リンク (Al Bayda')
- テンプレート:仮リンク (Al Hudaydah)
- テンプレート:仮リンク (Al Jawf)
- マフラ県 (Al Mahrah)
- テンプレート:仮リンク (Al Mahwit)
- サナア (首都) (Sana'a) ※2004年1月に設置。地図には未記載。
- テンプレート:仮リンク (Dhamar)
- ハドラマウト県 (Hadramaout)
- テンプレート:仮リンク (Hajjah)
- テンプレート:仮リンク (Ibb)
- テンプレート:仮リンク (Lahj)
- テンプレート:仮リンク (Ma'rib)
- テンプレート:仮リンク (Raymah) ※2004年1月に設置。地図には未記載。
- テンプレート:仮リンク (Sa'dah)
- テンプレート:仮リンク (Sanaa)
- テンプレート:仮リンク (Shabwah)
- タイズ県 (Ta'izz)
経済
一人当たりの国内総生産は2003年に800米ドルと産油国が多い周辺のアラブ諸国に比べても著しく低く、失敗国家や後発発展途上国にも挙げられている。2007年の失業率は40%。1980年代から石油を産出し、貿易収入は漸増傾向にはあるものの、そのほとんどは食料品や機械類などの輸入で帳消しとなる。また2007年に天然ガス田が発見され、2009年10月に生産を開始し、LNGを輸出している。
コーヒー豆の生産は有名で、モカコーヒーのモカとは、この国の南部にある港湾都市ムハーに由来する。しかし国が砂漠地帯に位置するため農業は振るわず、昔ながらの遊牧生活を営むものも多い。漁業も比較的盛ん。失業率は35%(2003年推計)と高い。近年は石油開発で発展する隣国のサウジアラビアに出稼ぎに行く労働者も多く、その家族の多くは出稼ぎ者の送金で暮らしている。
南部の都市アデンは古来、交易で賑わったが1967年に英軍が撤退してから衰退し、最近は石油基地として復活している。内戦後にイエメンはIMFや世界銀行の支援を受け、経済発展に取り組んでいる。
国民
人口は1994年で1267万人、アラブ人が98%でアラビア語を話す(但し出生届が十分に整備されていないため概算となる)。
言語
現代標準アラビア語がイエメンの公用語である。各地域の言語としてアラビア語の各方言(北イエメン方言、南イエメン方言、ハドラマウト方言)および南アラビア諸語(マフラ語、ソコトラ語、ホビョト語、バトハリ語)、ラジフ語がある。
宗教
テンプレート:Bar box 国民ほぼ全てがイスラム教信者で、スンナ派が5割強、シーア派が4割弱である。シーア派の大半はスンナ派とほぼ同じ教義を持つザイド派であるが、十二イマーム派も少数派ながら一定の勢力を持つ。
文化
テンプレート:See also 国民の殆どがイスラム教徒であるため、生活様式にもイスラムの影響が強い。但し、イスラムの教えよりも部族内のルールを優先することがある。
一般的な成人男性は腰帯にジャンビーヤと呼ばれる半月形をした短剣を差している。この短剣は、所有者の家柄や部族、貧富といった属性を表している。実用面よりもシンボルとしての性格が強いため、刃が研がれていないことも多く、日常的に使用することはない。都市部ではスラックスにYシャツ姿の男性も多く見かけるが、その場合でも多くの男性は自宅に自分のジャンビーアを持っている。女性は宗教的な慣習から髪や顔を隠すためのスカーフや体を覆う布を着用しているが、サウジアラビアのように全体を隠すことが義務付けられている訳ではない。また、スカーフの色も比較的自由である。これは個人やその家族の信仰の深さによって判断されるためで、信仰が深くなればそれだけ肌を隠す面積も多くなる。女性のイスラム服の着用の程度はイスラム復興等の社会傾向の影響も受けるが、一般的にイエメンの女性は他イスラム国と比較した場合、着用率が非常に高い。女性の社会進出は、主に都市部で少しずつ進みつつある。
イスラム教で禁じられている酒の代わりに、カートと呼ばれる葉を噛む習慣が広く行われている。カートはイエメン人の社交になくてはならないものであり、街中や個人宅で何人かで寄り集まり、カートを噛みながら談笑にふける姿がよく見られる。
児童の就学率は約50%程度であり、学校に行けない子供のために、テレビ(衛星放送)による教育も試みられている。
現存する最古の都市とされるサナア旧市街は、世界遺産に登録されている。
祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考 1月1日 元日 5月22日 国家統一記念日 1990年の同日に南北イエメン統一 7月7日 Unity Factory Day 9月26日 1962年革命記念日 10月14日 国家の日 ヒジュラ暦第1月1日 イスラム正月 Muharram 変動あり ヒジュラ暦第10月1日 イード・アル=フィトル(断食月明けの祭) Eid al-Fit 変動あり ヒジュラ暦第12月10日 イード・アル=アドハー(犠牲祭) Eid al-Adha 変動あり 著名なイエメン人
脚注
関連項目
外部リンク
- 政府
- 日本政府
- 観光
- その他
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])
- ↑ イエメンの裁判所、8歳の少女の離婚を認める
- ↑ 強制結婚させられた8歳の少女、離婚が成立
- ↑ テンプレート:Cite news