ジブチ
- ジブチ共和国
- République de Djibouti(フランス語)
جمهورية جيبوتي (アラビア語) -
ジブチの国旗 ジブチの国章 (国旗) (国章) - 国の標語:なし
- 国歌:ジブチ
- ジブチの位置
公用語 アラビア語、フランス語 首都 ジブチ 最大の都市 ジブチ 通貨 ジブチ・フラン(DJF) 時間帯 UTC (+3)(DST:なし) ISO 3166-1 DJ / DJI ccTLD .dj 国際電話番号 253 </dd> </dl> ジブチ共和国(ジブチきょうわこく)、通称ジブチは、アフリカ北東部に位置する共和制国家。首都はジブチ市。中東に含まれる場合もある。エリトリア、エチオピア、ソマリアと接し、紅海、アデン湾に面する。
目次
国名
正式名称はフランス語で、République de Djibouti(レピュブリク・ドゥ・ヂブティ)。通称、Djibouti(ヂブティ)。アラビア語で、جمهورية جيبوتي(テンプレート:Transl; ジュムフーリーヤ・ジーブーティー)。
公式の英語表記は、Republic of Djibouti(リパブリック・オヴ・ヂブーティ)。通称、Djibouti(ヂブーティ)。
日本語の表記は、ジブチ共和国。通称、ジブチ。
歴史
19世紀後半にスエズ運河の建設が始まった後、1859年にフランス第二帝政はタジュラ湾のオボック港を租借し、1862年にダナキル族からオボック港を購入し、1881年にオボックにフランス・エチオピア通商会社を設立した[2]。更に、エチオピア帝国の皇帝メネリク2世は1889年にイタリア王国とウッチャリ条約を締結した後、イタリア離れと軍事力増強のためにフランスに接近を試み、1894年にジブチ市からエチオピアのハラールまでの鉄道敷設権をフランス企業に与えた[3]。こうしてフランスはタジュラ湾周辺に勢力を拡大しフランス領ソマリランド(en)としてこの地を植民地化した。ジブチからエチオピアのアディスアベバと結ぶ鉄道(現在のジブチ・エチオピア鉄道)が建設されるとジブチ港の重要性は高まった。
1947年の時点でフランス領ソマリランドの総人口は96,100人であり、内24,500人がアファル人であった[4]。1945年の第二次世界大戦終結後、「アフリカの年」こと1960年頃を境に、アフリカ諸国の独立が進んだが、フランス領ソマリランドにはソマリ系のイッサ人とエチオピア系のアファル人の対立のために複雑を極めた独立問題は進まず、フランスの海外県に留まっていた。
隣国ソマリアの汎ソマリ主義がフランス領ソマリランドのイッサ人に波及することが懸念される中、1967年の住民投票によって引き続きフランス領であることを選択した後、フランス領アファル・イッサと改称された[5]。その後、議会選挙でアファル人の進歩党が圧勝。また、イッサ人を基盤とする独立アフリカ人民同盟も勢力をのばし独立を要求した。
独立
その結果、1977年にジブチ共和国として独立し、イッサ人出身のグレドが大統領に就任した。しかし、民族対立はおさまらず、1991年にテンプレート:仮リンクが勃発。グレド大統領は脱部族政策を打ち出すとともに大統領の直接選挙制をも導入し、1993年に4選された。
その後、グレド大統領の後継ゲレが1999年に大統領に当選、2001年に内戦が終結した。
国境を巡って隣国エリトリアと対立しており、1990年には二度の軍事衝突が起きている。停戦が成立したが、国境線を巡る緊張は続いた。2008年6月10日、テンプレート:仮リンクで再び両軍の間で戦闘が起きた。ジブチ政府はエリトリアが再び国境線に軍を増強しているとして非難し、国際社会の介入を求めた。
政治
ジブチは共和制、大統領制をとる立憲国家である。現行憲法は1992年9月4日に制定されたもの。
国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、かつては任期は6年で3選が禁止されていたが、2010年に大統領の任期を5年に短縮する代わりに再選制限が撤廃された。首相と閣僚は大統領が任命する。
議会は一院制で、定数65議席(イッサ人議員33議席、アファル人32議席)。議員は国民の直接選挙で選出され、任期は5年である。
ジブチは1992年の新憲法制定以来、複数政党制を導入しているが、進歩人民連合 (RPP) が事実上の一党支配を続けている。その他の政党には親RPP派の統一民主回復戦線 (FRUD) 、国民民主党 (PND) 、反RPP派の民主共和同盟 (ARD) 、民主改革開発運動 (MRDD) など。
地方行政区分
ジブチは、5つの州と1つの市に分かれている。そして、さらに15の地区に区分される。
主要都市
テンプレート:Main 主要な都市はジブチ市(首都)、アリ・サビエ、タジュラがある。
地理
テンプレート:Main 狭義のアフリカ大地溝帯の北端に位置する。アデン湾に望み、海沿いは平野が広がり、西部には高原が広がる。最高地点は北部のエリトリアおよびエチオピアとの国境三重会合点に位置するムーサ・アリ山 (標高2028m) である。最低地点はアッサル湖の標高マイナス153mで、アフリカで最も低い。 国土中央部にはバラ砂漠と呼ばれる砂漠が、標高1,500mほどの地帯にはダイの森(Forêt de Day)と呼ばれる森林地帯が、タジュラ湾沿いの海岸にはマングローブ林が存在する。
1991年11月から東京農業大学がジブチ農業省と共にジブチ国内で砂漠緑化事業を行っていた[6]。
軍事
テンプレート:Main 現在もフランス軍が駐留している[7]。ジブチ港にフランス海軍基地を設けるとともに、フランス陸軍は、第5海外混成連隊及び第13外人准旅団の2個連隊を派遣し、フランス空軍はミラージュ2000戦闘機を派遣することによりジブチの防空任務を行っている。
対テロ戦争の一環として、ドイツのシュトゥットガルトに司令部を持つアメリカ地域統合軍であるアメリカアフリカ軍隷下のCJTF HOA(アフリカの角共同統合任務部隊 (Combined Joint Task Force - Horn of Africa)) の司令部及び隷下の各部隊が駐留している。また、第150合同任務部隊の拠点の一つになっている。
海賊問題と自衛隊海外基地
近年、ソマリア沖・アデン湾で急増・多発している「ソマリア沖の海賊」問題は国際社会にとって重大な脅威となっている。海賊行為の対処のための活動では、自衛隊も「海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律」に基づき哨戒機2機を派遣している。当初は米軍、EU部隊の協力を得て活動していたが、2011年7月7日、自衛隊の海外拠点が開設された。海賊対策の強化が目的で、自衛隊にとっては事実上初の海外基地となる。
経済
ジブチ港の貿易とジブチ・エチオピア鉄道の収益に依存する典型的な中継貿易国家。ジブチ港はエチオピアの海上貿易のほとんどを担っている。その他フランス軍等の駐留による利益。ソマリア沖の海賊の影響で中継貿易が半減し、船舶保険の高騰で経済的打撃をもっとも受けていた。近年、ジブチが海賊に対応する各国の拠点となったため、船舶保険の掛け金は低下している。
第一次産業の従事者は多いものの、自然環境の厳しさなどの要因から、農業は未発達で食料自給率は極めて低い。農業人口は約12万人、国民の25%程を占めるものの、可耕地面積は国土の0.5%に当たる100,60ヘクタールほどであり、食料自給率も約3%しかない[8]。
国民
民族
構成民族は、ソマリ人系のイッサ人が60%、エチオピア系のアファル人が35%であり、フランス人、アラブ人、イタリア人やアファル人以外のエチオピアの民族など、その他が5%となっている[9]。イッサ人とアファル人の対立から、1990年代に内戦が起こった。
宗教
人口の94%がムスリム(イスラム教)、6%がキリスト教となっている[9]。
言語
フランス語とアラビア語が公用語であるが、ソマリ語とアファル語が広く使われている。
教育
テンプレート:Main 2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は67.9%(男性:78%、女性:58.4%)である[9]。2007年の教育支出はGDPの8.4%だった[9]。2007年のジブチの就学率は男性が29.0パーセント、女性が21.9パーセントと世界的に見ても低い水準である[10]。
また、高等教育機関は近年まで存在していなかったが、2006年にジブチ大学が開学した。
文化
ソマリア系のイッサ人やエチオピア系のアファル人等各民族にそれぞれ独自の文化や習慣がある。
食文化
街のレストランではフランスパンが出される[12]。食料自給率が低いため、農産物や青果のほとんどをエチオピアやソマリアから輸入している[13]。
祝祭日
西暦に基づく祝祭日 日付 日本語表記 現地語表記 備考 1月1日 元日 5月1日 メーデー Fête du Travail 6月27日 独立記念日 Fête de l'Indépendance イスラム暦に基づく祝祭日 日付 日本語表記 現地語表記 備考 ムハッラム1日 ヒジュラ暦新年 ラビーウ=ル=アウワル12日 ムハンマド生誕祭 ラジャブ27日 ムハンマド昇天祭 シャウワール1日 断食明けの祭り ズー=ル=ヒッジャ10日 犠牲祭 官公庁はこれらの祝日のほか毎週金曜日が休日となる[14]。
著名な出身者
- アーメド・サラ - 男子マラソン選手
- アヤンレ・スレイマン - 男子中距離走選手
脚注
参考文献
関連項目
- ジブチ関係記事の一覧
- ジブチの通信
- ジブチの交通
- 刈谷市 - フレンドシップ相手国に指定されている
外部リンク
テンプレート:DJI-stubテンプレート:Link GA- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 IMF Data and Statistics 2009年7月19日閲覧([1])
- ↑ 吉田昌夫『アフリカ現代史II──東アフリカ』山川出版社〈世界現代史14〉、東京、1990年2月10日、2版1刷発行、55頁。
- ↑ 吉田昌夫『アフリカ現代史II──東アフリカ』山川出版社〈世界現代史14〉、東京、1990年2月10日、2版1刷発行、64-65頁。
- ↑ 岡倉登志「第49章 内戦回避のための独立――ジブチの独立とアファル人」『エチオピアを知るための50章』岡倉登志編著、明石書店〈エリア・スタディーズ68〉、東京、2007年12月25日、初版第1刷、352頁。
- ↑ 岡倉登志「第49章 内戦回避のための独立――ジブチの独立とアファル人」『エチオピアを知るための50章』岡倉登志編著、明石書店〈エリア・スタディーズ68〉、東京、2007年12月25日、初版第1刷、352-354頁。
- ↑ 東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000:2-3)
- ↑ 陸海空軍は部隊として駐留、ジャンダルムリ(Gendarmerie)は連絡要員を置く。
- ↑ 高橋(2000:32-33)
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 CIA World Factbook "Djibouti"2013年7月3日閲覧。
- ↑ 国連開発計画・人間開発報告書2009年版テンプレート:En icon,2009-11-14閲覧。
- ↑ 東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000:68)
- ↑ 東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000:69)
- ↑ 東京農大 砂漠に緑を育てる会(2000:66)
- ↑ JICA基本情報(PDF),2009-06-28閲覧。