ジブチ市
ジブチ(テンプレート:Lang-ar、テンプレート:Lang-fr-short)は、ジブチ共和国の首都であり、同国最大の人口と港湾を擁する都市である。国名と同一名称のため、特に首都を指す場合はジブチ市あるいはジブチシティ(テンプレート:Lang-en-short)のように呼ばれる[1]。
タジュラ湾の南岸に位置する海上交通の要衝であり、紅海の入り口にあたるバブ・エル・マンデブ海峡にも近い。人口56万人(2009年)。フランスの植民地であったという歴史的な経緯から、ジブチ駐留フランス軍の統合司令部が置かれている。
概要
ジブチ市はアフリカの角に位置するジブチ共和国の首都であり、人口の3分の2が市内に住む同国最大の都市である。アラビア半島のイエメンに海を挟んで相対するタジュラ湾の海港である。市の特徴として東部の海岸と大中央市場、国立競技場スタッドデュヴィル、大統領宮殿沿いのビーチが有名である。数多くのエキゾチックな建物、建造物を擁する都市は、ヨーロッパ人の入植を受けた経験もあって、"紅海のフランス香港テンプレート:要出典"と評されることもある。
歴史
1862年から1894年までタジュラ湾の北にある土地はオボックと呼ばれていた。
フランスはジブチでの足掛かりを得るためにソマリアとアファールのスルターンに対して1883年と1887年の間に様々な条約を結び、1888年にジブチ市の建設を開始する。1896年にフランス人はジブチ市をフランス領ソマリランドの首都として位置付けた。
1940年にナチス・ドイツがフランスへ侵攻すると、ジブチ市はヴィシー政権による支配へと移行したが、イギリスはこれに対応するために港を一時閉港した。1942年12月にイギリス軍はフランス領ソマリランドの占領を完了した。
1977年のジブチ共和国独立以来、同国の行政及び商業資本の中心的都市として機能している。 テンプレート:Clearleft
気候
ジブチ市の周囲は沿岸低地となっており、砂漠や半砂漠地帯の美しい景観である。年間を通して一般的に非常に暑くて乾燥しており、市の年間降雨量は平均131ミリメートルと少ない。12月から2月にかけては非常に暖かいが、夏季は日常的に気温が40°Cを超える。 テンプレート:Weather box
経済
東アフリカトップクラスの近代的港湾施設を持つジブチ港があり、中継貿易に利用される。かつては奴隷貿易の中継拠点でもあったテンプレート:要出典。また、エチオピアの首都アディスアベバと結ばれるジブチ鉄道があり、主に同国の鉄道輸送に利用される。ジブチの港湾と鉄道は、1993年にエリトリアが独立し内陸国となったエチオピアにとって非常に重要であり、エチオピアの対外貿易は目下、ジブチ港とジブチ鉄道により支えられている。ジブチにとっても貿易と陸上・海上運輸産業は、ジブチの国庫収入の大半を占める最大産業であり、同国全体が自由貿易地帯に指定されていることもあって、サービス業も盛んである。
市内にはジブチ国際空港が在り、エチオピアを始めケニア・ソマリア・アラブ首長国連邦・イエメン・フランスなどを結んでいる。 テンプレート:Clearleft
人口動態
ジブチ市は多民族都市かつ同国最大の人口を擁する都市である。主要言語はソマリ語とアファール語であり、地理的な要因と過去に植民地支配を受けたこともあってアラビア語とフランス語も広く話されている。
文化
ジブチはソマリア、アファール、アラブ語とフランス語などの多くの異なる民族と文明の影響を受けて発展してきた。
脚注
テンプレート:ジブチの地方行政区画- ↑ ジブチ市が対外的に使用している英語名は"Djibouti City"でなく"City of Djibouti"である。