サンパウロ

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サンパウロSão Pauloブラジルポルトガル語発音:[sɐ̃w̃ ˈpawlu])は、ブラジル南東部に位置するサンパウロ州の首府。

人口は1,100万人以上でブラジル最大かつ南半球最大のメガシティである。2011年の近郊を含む都市圏人口では2,039万人であり、世界第8位、南半球では第1位である[1]2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界34位の都市と評価されており、特にビジネス部門で高評価を得た。同国ではリオデジャネイロを上回り第1位である[2]

略称としてSPS.Pauloと表記される(「SP」は「サンパウロ州」の略称でもある)。住人の呼称は「パウリスターノ (paulistano)」、女性形は「パウリスターナ (paulistana)」。

概要

市街地には高層ビルが、郊外には多くの工場が立ち並ぶ大都会で、ブラジルのみならず南米の経済、文化の中心地の一つである。平均収入もブラジルで最も高く、2009年には個人所有のヘリコプターヘリポートの数が世界一になった。

イタリア系やポルトガル系、スペイン系、ドイツ系、シリア系、レバノン系、ユダヤ系、日系の人口が特に多い他、最近では韓国などのアジア諸国からの移民が増えている。内陸に位置するため、南方60kmの位置に在るサントスを外港とする。

なお、「サンパウロ (Sao Paulo)」は、ポルトガル語キリスト教における聖人の1人である「聖パウロ」の意味。漢字では、「聖市」と表記される。

データ

  • 創設:1554年1月25日
  • 人口:11,150,249人(2008年)
  • 市長:Fernando Haddad

歴史

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ファイル:Antônio Parreiras - Fundação de São Paulo, 1913.jpg
サンパウロの創設(1913年、アントニオ・パレイアス画)

サンパウロの起源はインディオに対する布教のためポルトガル王ドン・ジョアン3世(在位1521年1557年)の依頼で派遣されたイエズス会宣教師団の一人ジョゼ・デ・アンシエタ (José de Anchieta) が1554年にとして創設した宣教村である。その後人口はゆっくりと増大し、1565年にはサンパウロ市が創設された。しかしサンパウロは内陸に位置し、本国ポルトガルとの連絡に不便であったため、当時のブラジル開発の主力産業であったサトウキビ農園なども立地せず、開発が遅れていた。

サンパウロが成長をはじめるのは17世紀中頃に奥地探検隊テンプレート:仮リンク (Bandeirantes) の根拠地となってからである。バンデイランテスはサンパウロの奥地に建設されつつあったイエズス会の教化集落を襲撃し、住民であるインディオ奴隷として海岸部のサトウキビ農園へと売却して行ったが、その過程で奥地の開発が進められ、拠点としてサンパウロの重要性は徐々に上昇していった。また、イエズス会はスペインの支援を受けていたが、バンデイランテスによって撤退を余儀なくされ、その土地にバンデイランテスが進出することによってポルトガルの勢力圏がトルデシリャス条約線を大きく越えて西へ伸びるきっかけとなった。その後もバンデイランテスの活動は続き、1693年には現在のミナスジェライス州で金鉱を発見し、これがブラジルの発展のきっかけとなった。しかし、金を求めてやってきた山師(靴を履き脛あてをしている姿から、サンパウロ人からは足が羽毛に覆われている鳥にたとえエンボアーバと呼ばれた)たちと、金鉱を発見したサンパウロ市民との対立は悪化し、1708年にはエンボアーバ戦争が勃発。サンパウロは敗れ、ミナスジェライス地方の開発権を失った。しかし、サンパウロの開発方向は西へと向かい、ゴイアス州マトグロッソ州方面の開発拠点となっていった。1711年には正式に市に昇格した。

1800年ごろにはサンパウロは国内でも大きな都市となっていたものの、この時期のサンパウロは未だ一地方都市に過ぎず、首都リオデジャネイロとは比べ物にならない小さな都市であった。この状況が一変するのは、1830年ごろにサンパウロ州内でのコーヒー栽培が始まってからである。当初リオデジャネイロ周辺で行われていたコーヒー栽培が、地力の消耗などにより衰退し、適地を求めたコーヒー農家がサンパウロ州北部や西部に入植し、コーヒー栽培を開始した。サンパウロの気候と土地にコーヒーは大変適しており、折からの産業革命によってヨーロッパでコーヒーの需要が爆発的に増加したことを受け、サンパウロはコーヒーの集散地として急速に発展を遂げた。1867年にはサンパウロと外港サントスとの間に鉄道が開通し、コーヒー経済はさらに拡大していった。1872年にはサンパウロの人口は26000人であったが、1920年には58万人まで増加した。

コーヒーブームに沸くサンパウロでは、しかし労働力が不足していた。奴隷制は未だ存続していたものの国内から厳しい批判に晒されていたし、奴隷労働は生産性が低く収益向上の足かせとなっていた。そこで他国からの移民の導入が検討され、1881年にはイタリアなどから移民が始まった。移民は船が着くサントスから列車でサンパウロまで移動し、ここで各地の農場へと割り振られていった。移民の中にはこの街にとどまるものもおり、また農場へ入植した者たちもいくらかはふたたびサンパウロへと移住してきた。こうして、サンパウロは移民が世界中から集まる街となり、国際化が進む。

1889年に奴隷解放からブラジル帝国が崩壊すると、新しく成立した政府は地方分権的なものとなり、各州中で最も経済的に有力なサンパウロ州の発言権は非常に増大した。1894年にはサンパウロ出身のプルデンテ・デ・モライス大統領が就任し、この年から1930年まで、サンパウロ州とミナスジェライス州が交互に大統領を出す「カフェ・コン・レイテ」期が続く。これにより政治力をも得たサンパウロの経済はさらに発展していった。1908年には、最初の日本からの正式移民が笠戸丸サントス港に到着する。日本人移民はサンパウロ州を中心に定着し、やがてサンパウロに日本人街を形成した。

カフェ・コン・レイテ期は1930年のジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス政権成立によって崩壊するが、それを不満としたサンパウロは1932年護憲革命を起こしたものの、サンパウロ以外の諸州の賛同を得られず失敗した。この時期には世界恐慌の影響によりコーヒー価格も暴落し、コーヒー・ブームは終息したものの、開発路線をとるヴァルガス政権以後歴代の政府によって経済開発がおこなわれ、ブラジル最大の産業都市としてのサンパウロの地位は揺らがなかった。1960年には首都リオデジャネイロの人口を超え、ブラジル最大の都市となった。1974年には地下鉄1号線が開通し、1985年にはグアルーリョス国際空港が開港した。

地理

ファイル:Pico do jaragua aerial 2010.JPG
サンパウロ一高い山(Pico do Jaraguá Mountain、標高1,135m)

ブラジル南部に位置し、標高は約800m。人口の増加に併せ郊外が拡張を続けている他、近隣都市からの通勤者も増加している。なお、ブラジル第2の都市であるリオデジャネイロからは約450km、外港であるサントスから約60kmの距離にある。

市の中心はセー広場とその周辺のセントロ地区であり、そのすぐ南に東洋人街(旧日本人街)であるリベルダーデが広がる。中心部より南西にはビジネスと金融の中心であるパウリスタ通りがある。

  • 面積:1522.989km²
  • 標高:約760m

気候

気候は1年を通じて変化に富み、12月から2月ごろのは気温が摂氏30℃を越えることもある反面、6月から8月頃のは10℃以下に下がり霜がおりることもある。ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候 (Cfa) に属する。 テンプレート:Weather box

風景

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経済

経済・流通の中心

プライスウォーターハウスクーパースが公表した調査によると、サンパウロの2008年の都市GDPは3880億ドルであり、世界第10位、南米では第1位である[3]

ブラジル最大の都市で南アメリカの経済・流通の中心地であるサンパウロには、日本アメリカスペインドイツなどの世界中の大企業や金融機関などが古くから多数進出しており、パウリスタ通り近辺や新ビジネスエリアにはこれらの企業のオフィスが集中している。

また、郊外に点在する工業団地には、内外の大企業の自動車やコンピュータ、家電製品の工場が立ち並び、メルコスール加盟後の好調なブラジル経済を反映して活況を呈している。また、市内には数多くのショッピングセンターや大規模スーパー、コンビニエンスストアなどが立ち並び、消費トレンドの面でもブラジルのみならず中南米の経済をリードする存在である。

サンパウロ証券取引所

サンパウロ証券取引所 (Bovespa) は中南米最大の取引高を誇っており、特に2000年代以降の海外からの投資の増加を反映して活況を呈している。2013年9月、アメリカのダウ・ジョーンズらの調査によると、世界第36位の金融センターと評価されており、南米では第1位である[4]

社会問題

その反面、市内を流れるピニェイロス川チエテ川の汚染や、自動車の排気ガスや工場の排気による公害、100万人以上が市内に点在する貧民街に住んでいるといわれる都市型貧困とそれに起因する犯罪の増加、市内中心部の慢性的な交通渋滞などが深刻な社会問題となっている。

交通

サンパウロ市内やその近郊には、路線バス地下鉄鉄道の路線網が密接に張り巡らされており、加えて、タクシーもポピュラーな移動手段である。他の都市との移動は、高速道路を使った長距離バスや旅客機での移動が主流である。

鉄道と地下鉄

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ファイル:Estação Luz.jpg
サンパウロ地下鉄及びCPTMのターミナル駅として機能するルス駅

地下鉄と郊外電車があり、サンパウロ・メトロがサンパウロ地下鉄を、郊外電車はサンパウロ都市圏鉄道会社 (CPTM) によって運営されており、両者が一体となった都市鉄道網を形成している。

市内バス

サンパウロ市内には市内および市内と郊外を結ぶバスの路線が縦横に張り巡らされている。市内バスは前扉から乗り、車内の車掌に運賃(均一)を支払った後、後扉から降車する。1990年代最初までは逆に「後乗り前降り」であったが、後扉から降車する客もいたため変更された。

路線によっては運転席側にも前後の扉があり、鉄道のように停留所の位置によって右側・左側と乗降扉が変化するブラジルでも比較的珍しい扉配置である。通常のバスに加えてトロリーバスや連接バスの運行もある。

現在ではBilhete Unicoと呼ばれる地下鉄と連携したICカードシステムが導入されており、他のバスや地下鉄に乗り継ぐ際に限り通常料金より安い運賃で利用できる。ただし、市内を走るバスのうち、扉が1つしかない観光バスや、Metropolitanoと書かれた郊外バスは運賃が異なる。

行先や経由地に地下鉄のマーク(上下の矢印を組み合わせたマーク)を描くことで地下鉄駅に行くことを示している。

長距離バス

ファイル:Terminal Rodoviário Tietê.jpg
チエテバスターミナル

市内のチエテ (Tietê) にはニューヨークのものに次いで世界で2番目の規模という遠距離バス用の巨大なターミナルがある。1982年に営業開始したもので、一階には港の桟橋を思わせる櫛の歯状の多数の乗り場があり、2階には待合室や売店の他に何十という国内線・国際線のバス会社のブースが並び、警察 (Policia Civil) の出張所もある。地下鉄のチエテ駅(かつてはポルトゲーザ・チエテPortuguesa-Tietêという名称だった)に直結している。

リオデジャネイロとの間には多い時間帯には5 - 10分に1本の割合でバスが運行されている他、グアルーリョス国際空港との間やブラジルのほとんどの都市の間を結ぶだけでなく、モンテビデオブエノスアイレスアスンシオンサンティアゴ・デ・チレへの国際線も運行されている。

チエテの他にも、行先はサンパウロ州内各都市に限られるが、バハフンダ (Barra Funda)、ブレッセル (Bresser)、ジャバクアラ (Jabaquara) の3か所にもバスターミナルがある。いずれも同名の地下鉄駅に直結している。

空港

サンパウロ市内の国内・近距離国際線専用空港であるコンゴニャス国際空港とブラジル第2の都市であるリオデジャネイロ市内にあるサントス・デュモン空港の間には、「ポンチ・アエーレア」(Ponte Aérea、空の架け橋)と呼ばれるシャトル便が、TAM航空ゴル航空ヴァリグブラジル航空によって、日中の時間帯には10分に1便程度の頻度で運行されており、世界でも有数の搭乗者数を誇る路線となっている。

近郊にあるグアルーリョス国際空港は、中南米南部の空の玄関口となっているハブ空港である。また、郊外のカンピーナスヴィラコッポス国際空港があり、主に国内線と国際貨物便に使用されている。

観光

サンパウロには、多くの観光名所がある。しかし、一方でサンパウロはほぼ全地域が犯罪多発地域とも言える危険な都市でもある。訪問には十分な注意が必要である[5]

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文化

南米を代表する文化発信地

人口の多さのみならず、様々な人種が交わりあうブラジルの中でも特に多彩な人種構成となっていることから、ブラジルのみならず南米における最大の文化の中心、発信地として注目を浴びる存在である。

国際美術展覧会「サンパウロ・ビエンナーレ」や各種展覧会が定期的に行われるほか、市内にはサンパウロ美術館をはじめとする多数の美術館が点在する。また、テアトロ・ムニシパルやイビラプエラ公会堂をはじめとする多数の劇場やコンサートホールがあり、ブラジル最大の人口を持つ都市であることや、新聞テレビ雑誌などのマスコミの多くが本拠を構えることもあり、ブラジルのみならず世界各国のアーティストが公演に訪れる。

また市内には、パヴィリオン・ダ・ビエンナールやコパン・コンプレックス、サンパウロ美術館をはじめとする、オスカー・ニーマイヤーなどの内外の著名な建築家が設計した建造物が多数存在する。

音楽

ファイル:SalaSaoPaulo.jpg
古い駅舎を利用した音楽ホールのサーラ・サンパウロ

1999年に、音楽ホール「サーラ・サンパウロ (Sala São Paulo)」がオープンした。歴史的建造物であるジュリオ・プレステス駅を改築利用したもので、1498席を持つ壮麗で美しいホールになっている。

スポーツ

サンパウロFCやパルメイラスをはじめとするいくつかの名門サッカークラブが本拠地を構える他、F1などの世界的なスポーツ大会も多数開催されている。またアジア系住民が多数住むことから柔道空手テコンドーの道場も多く存在するほか、少数ではあるが野球場も複数存在する。

サッカー

市内にあるモルンビー・スタジアムパカエンブースタジアムなどのスタジアムには、サッカークラブ世界一を決めるトヨタカップで過去3回優勝するなど、世界有数の強豪チームとして知られるサンパウロFCや、同じく強豪のコリンチャンスパルメイラスなどの名門サッカークラブが本拠地を構えており、シーズン中に毎週行われる試合には数万人のサポーターが詰め掛ける。

なお、サンパウロ州選手権は、ブラジル国内でも屈指の高レベルの州選手権として世界中で高い人気を誇る。

モータースポーツ

郊外のインテルラゴスにあるインテルラゴス・サーキットでは、1970年代初頭より毎年F1世界選手権ブラジルGPが開催されている他、国内選手権のレースが定期的に開催されている。また、日本でも有名な伝説的レーシングドライバーアイルトン・セナや人気レーシングドライバー、ルーベンス・バリチェロの故郷でもある。

サンパウロ出身の人物

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サンパウロにゆかりのある日本人

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日本とのつながり

100万人の日系人口

日系ブラジル人の約70%、約100万人が在住しているサンパウロは、トヨタ自動車東京海上日動コマツ日本航空東芝ヤマハ発動機など、様々な業種の日本企業が数百社進出しており、郊外には世界でも有数の規模の日本人学校サンパウロ日本人学校があるなど、日本との縁が非常に深い都市である。

リベルダージ

サンパウロ市の中心地にある東洋人街「リベルダージ (Liberdade)」地区(「リベルダーデ」とも発音され、邦字紙の正規表現とされている。いずれもポルトガル語の発音では誤りではない)は、ガルボン・ブエノ街の入口に鳥居大阪橋があり、また、中心部にも小さな日本式庭園が設置され、地区全体の街灯が鈴蘭の形をしているなど随所に日本らしさを取り入れた街づくりがされている。

同地区には日系団体御三家と呼ばれ、代表機関となっているブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ日伯援護協会、ブラジル都道府県人会連合会の各事務所がある他、各県人会、日系福祉団体、日系文化団体の事務所が集中している。日系人が経営するホテルや日本食レストラン、日本語書籍の本屋や土産物店などが立ち並び活況を見せているほか、近年では中国系や韓国系など、他のアジア系住民の数も多い。日系の医療機関としてサンパウロ日伯援護協会のリベルダーデ医療センターがあり、日系医師による日本語での診察が受けられる。

なお、ブラジル日本文化福祉協会内に設置されている移民資料館では、当時の生活を再現した展示コーナーや日系人移民の旅券、当時使用していた生活用具などさまざまな文物が展示されており、日系ブラジル人の歴史を知る上で貴重な存在となっている。地下鉄のリベルダージ駅前の広場では一年の節々に、サンパウロ仙台七夕祭り茅の輪くぐり、甘茶の振る舞いなど日本の年中行事が再現され、また秋田犬の品評会など日本に関わる行事が開催される。

サンパウロでは日本語による新聞も発行されている。主にサンパウロ新聞 (Jornal de São Paulo) とニッケイ新聞 (Jornal do Nikkey) の2社があり、日本やブラジルのサンパウロニュースを日本語で読むことができる。また、これら日系紙では「サンパウロ市」のことを「聖市」と表記する。

姉妹都市

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脚注

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外部リンク

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公式
日本政府
観光
その他

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  1. Demographia: World Urban Areas & Population Projections
  2. 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook(2014年4月公表)
  3. プライスウォーターハウスクーパースによる都市のGDP
  4. Xinhua-Dow Jones International Financial Centers Development Index(2013) 2013年9月15日閲覧。
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