小林幸子

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テンプレート:Infobox Musician 小林 幸子(こばやし さちこ、1953年(昭和28年)12月5日 - )は、新潟県新潟市中央区出身の演歌歌手女優タレント。本名、林 幸子(はやし さちこ)。旧姓、小林血液型A型身長165cm。

漫画家小林まこととは親戚である。

来歴

1963年、9歳の小学4年生の時にTBS『歌まね読本[1]でグランドチャンピオンとなり、審査委員長の古賀政男にスカウトされる。当時はテレビの音楽番組などは生放送であり、夜7:30のテレビ出演というのは、当時の子供にとっては遅い時間帯であった。この9歳の少女ということも「美空ひばり」を彷彿させ、その「ひばり」のものまねも他の大人の出場者を圧倒する抜群の歌唱力と非常に似ているものまねの出来で、後に「第二のひばり」と言わせるものであった。これが古賀を唸らせ文句なくグランドチャンピオンを獲らせたのである。

1964年には新潟市内で肉屋を営んでいた家族とともに上京して古賀事務所に所属し、古賀作曲の『ウソツキ鴎』でデビューする。デビュー曲がいきなり20万枚のヒット曲となる。「天才少女歌手・ひばり二世」として、大映映画では子役としても活躍した。当時まだ9歳の子供だったために都はるみと楽屋内でワイワイ騒いでいたところをある先輩歌手が激怒し、島倉千代子にすぐに注意して来いといわれて島倉が嫌々仕方なしに小林と都の元へ注意にいったとNHKふたりのビッグショー』のトークで語った。「お幸、楽屋というところはお仕事をする場所でもあるし、ステージに立つ前の神聖な場所なのだから騒いだりするところじゃないのよ」と注意したそう。その当時から島倉のことを「母さん」と呼び慕い、島倉も「幸」と呼び、亡くなるまでの50年間実娘のように可愛がられて大変親交が深かったという。

1966年7月30日から1968年1月27日まで日本テレビ九ちゃん!』に『チビッコトリオ』としてレギュラー出演している[2][3]

1968年にはNET(現:テレビ朝日)で放映された青春ドラマ『青い太陽』に主演、背泳ぎでオリンピック出場を目指す女学生を演じ、同作の主題歌(エンディング曲)と挿入歌も歌う。しかし、歌手業ではヒット曲が続かず、お手本としていたはずの美空ひばりの母親から、あまりにもひばりを模倣されているとの嫌悪感から敬遠され、徐々にスケジュールが空白になって仕事が激減していき15年の長い不遇が続く。当時、興行の世界を牛耳っていた山口組三代目に娘同然に可愛がられているひばりに嫌われることは致命的なことであった。後年、NHK総合テレビNHK歌謡コンサート』の美空ひばり特集に出演時、司会の小田切千(NHKアナウンサー)から生前のひばりとのエピソードを尋ねられると、『おもいで酒』が大ヒット後に音楽番組共演やドラマ共演などが縁で、後にとても可愛がっていただいたと語っている。ドラマ撮影時はスタジオ以外に街中や繁華街などでも撮影したが、万一ひばりの身に何かあれば大変だと思い、周囲を気にしながら演技をしていたところ、ひばりに感付かれてしまい「幸子ありがとう。私の心配をしなくても全然大丈夫よ!」と言われて、逆に気遣わせてしまったという。

低迷期には15年間に渡って一人で全国各地を行脚し、地方興行の中で人に言われぬ苦労を経験した。昼間は各地の興行を行いながらも地元のレコード店やラジオ局、有線放送局などへ一人でキャンペーン廻りをして、夜になると毎晩深夜遅くまで飲み屋やキャバレーなどの繁華街を泥酔客に絡まれたりしながらも歌い廻っていたという。未成年だった時は20歳といって年齢をごまかして深夜の営業を行っていたと小林本人が日本テレビ『いつみても波乱万丈』で語った。

その間には小林幸子(日本コロムビア)→小林さち子(ビクターエンタテインメント)→岡真由美(テイチク)→小林幸子(ワーナー・パイオニア)と幾度も改名したりレコード会社を移籍した。過去にはサンミュージックプロダクションにも所属していた。

1974年には第一プロダクションに移籍する。低迷時の1977年には雑誌平凡パンチのグラビア内でセミヌードを披露した。1979年に『おもいで酒』が有線放送から徐々に火がついてついにミリオンセラー(200万枚)に輝く大ヒットをする。この年の暮れ『第30回NHK紅白歌合戦』に出場、紅白初出場を果たす。『全日本有線放送大賞』グランプリ、『第21回日本レコード大賞』の最優秀歌唱賞に輝く(『おもいで酒』のレコード売り上げ枚数は大賞曲『魅せられて』を上回る。この年の『ザ・ベストテン』(TBS系)年間1位は『おもいで酒』である)。1978年の大晦日は熱海へ興行に来ていて、終了後に小林のマネージャーやスタッフと一緒に紅白を見ながら「来年こそは絶対にヒット曲を出して紅白へ出たいな!」と話したところ、スタッフ達に「幸っちゃん、絶対無理だよ!!」と笑われてしまったが、翌年にまさか本当にヒット曲を出せて初出場できたのが夢のようだったと『いつみても波瀾万丈』内で語っていた。

1980年にはシングル『とまり木』も大ヒットした。その後も『ふたりはひとり』、『もしかしてPartII』(美樹克彦とのデュエット曲)、『雪椿』などの大ヒット作に恵まれ、紅白への連続出場も果たし、1992年 - 2009年まで紅白での美川憲一との派手な衣装対決は紅白恒例の話題作りとなっていた(美川は2010年以降は出場していない)。美川とは古賀政男の元で2人がデビュー前後から一緒にレッスン指導を受けていたことで、互いの年齢は離れているが50年前からプライベートでも親交が深くて、現在も「憲ちゃん」「幸ちゃん」と呼び合い、音楽番組以外にも一緒にバラエティ番組などに仲良く出演するなどデビュー当時からお互いの低迷時の苦労等を全て知り尽くしている。

1983年5月にはロサンゼルスブラジルなどで初めての海外公演を行い、新宿コマ劇場で初の単独座長公演を行った。

1987年には、第一プロダクションから違約金2億円で独立、個人事務所の幸子プロモーションを設立する。

1988年、紅白に10回連続出場。自身初となる紅組トリを務める。

1993年、歌手生活30周年を迎えNHKホールにて記念リサイタルを行う。同年12月、紅白に15回連続出場を果たす。

1996年ワーナーミュージック・ジャパンが演歌部門を撤退したのに伴い、古巣の日本コロムビアに移籍。

1997年、第9回日本ジュエリーベストドレッサー賞受賞。同年にテレビ東京系アニメ『ポケットモンスター』のエンディングテーマソング『ポケットにファンタジー』を歌い、以後何度かポケモン関連の活動を行っている。『ポケットにファンタジー』がテレビ初放映されたのはポケモンショックの回であった。同年にはイマクニ?レイモンド・ジョンソンとのユニット・スズキサンとしてシングルとりかえっこプリーズ』を発売。ポケモンカードゲームのCMソングとして流れた。

1998年、芸能生活35周年を迎える。ジャズの殿堂ブルーノート東京にて、演歌歌手としては初のライブ「35th ANNIVERSARY Boogie&Blues」を開催。『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』のエンディングテーマソング『風といっしょに』を担当。そして、同年の『第49回NHK紅白歌合戦』では『風といっしょに』を熱唱。また、この翌年正月に放送されたポケモンの音楽を紹介するSPでこの時着た衣装の前で同曲を熱唱した。

1999年、覆面歌手『Satchomo(サッチョモ)』としてアイフルのCMソング『お地蔵サンバ』を“お自動さん”キーホルダーつきで発売、暫く正体が明かされなかった。新宿コマ劇場にて「華麗なる幸子の世界」シリーズがスタート。紅白に20年連続出場を果たす。

2000年、日本レコード大賞 美空ひばりメモリアル選奨受賞。

2001年、博多座で女性歌手初の座長公演を行う。『夢の涯て〜子午線の夢』で、日本レコード大賞編曲賞受賞。

2003年、芸能生活40周年を迎える。親友の美川憲一とともに、京楽産業のCR「華王」のキャラクターを務める。新潟県加茂市に「雪椿」の歌碑が建立。藤田まさと賞大賞受賞。紅白に25回連続出場を果たす。

2004年第55回NHK紅白歌合戦で自身2度目の紅組トリ、初の大トリを務める。

2005年、新潟市、長岡市より特別感謝状を授与。日本レコード大賞特別表彰。

2006年、第27回松尾芸能賞大賞受賞。国土交通大臣より感謝状を授与。紺綬褒章を受章。名古屋・御園座にて初座長公演。

2007年、長岡市に『越後絶唱』の歌碑が建立。新潟市より、「新潟市観光大使」に任命。

2008年、芸能生活45周年を迎え、全国3劇場で座長公演を行う(御園座博多座明治座初座長)。文化庁芸術祭の大衆芸能部門で優秀賞を受賞。『第59回紅白歌合戦』で45周年記念曲『楼蘭』を熱唱、紅白に30回連続出場を果たす。

2009年1月1日国立競技場にて開催された、第88回天皇杯全日本サッカー選手権大会の開会式で国歌君が代を歌唱した。伊東四朗・熱海五郎一座合同公演「日本映画頂上決戦」にゲスト出演、劇中には大婦人と呼ばれる小林幸子の顔をした高さ7メートルの大人形が登場、大婦人は公演終了後、新潟市のNEXT21に展示されている。『第60回NHK紅白歌合戦』に紅組歌手初の31回連続出場を果たす。

2010年1月16日と翌17日には、台北市の台北国際会議中心でコンサートを行い、1993年2006年のNHK紅白歌合戦で披露された衣装を台湾の観客に披露した。

2011年4月7日には、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)で被災して避難所生活を送る被災者を激励するために福島県相馬市を訪問して、自ら用意した無洗米10トンとまんじゅう1万2千個を豪華衣装や舞台装置運搬用でもある自己所有の大型トラックに載せて市内8カ所の避難所へ救援物資を届けた。5月27日にも以前から交流があった大槌町の避難所を訪れて、救援物資などを持参して地元のボランティアと一緒に自ら炊き出しを行い、被災者のために『おもいで酒』などの代表曲を数曲熱唱して激励した。

2011年11月15日、再生医療などを手掛ける株式会社TESホールディングス代表取締役社長の林明男と電撃結婚[4][5]。 2011年11月20日には東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手・陸前高田市と宮城・気仙沼市を慰問して2004年に中越地震で被災した故郷、新潟・長岡市(旧山古志村)に所有する田んぼ「幸子田」で10月に収穫した新米「幸子の復興米」2トンを所有する大型トラックに積んで贈呈した。陸前高田市立高田小学校と気仙沼市立唐桑小学校で開かれたイベントを訪れてミニコンサートを開催した。

2012年5月1日日本財団主催の「被災地で活動した芸能人ベストサポート」[6]で表彰される。

2012年4月、小林は長年のビジネスパートナーであった幸子プロモーションの女性社長と専務を解雇した。主な原因の一つは小林の夫・林と元女性社長の口論だと考えられている。この騒動で新曲『絆坂』は発売が無期限延期となった。

2012年8月20日レコード会社・日本コロムビアと契約解除に合意[7]。10月予定で当初小林自身の作詞・作曲による新曲をインディーズから発売することを考えていたが、10月17日に来年のデビュー50周年記念曲としてさだまさしに製作依頼していた『茨の木』を新曲として急遽発売した。「新曲は演歌ではない」と新路線で臨むことを明かし、売り上げの一部は東日本大震災復興基金へ寄付に充てられた。レコチョク先行配信日の9月27日には都内で新曲発表と新レーベル『Sachiko Premium Records(サチコプレミアレコード)』発足の会見を涙ながらに開いた。発売翌日の18日には、代官山TSUTAYA書店で発売記念イベントを行ない、約200人のファンが駆け付けた店内をスケスケの豪華衣装で登場した小林は「歌い手として、こうして歌えること、新曲を出せたということ、これが一番幸せです」と笑顔で語った。同曲や代表曲「雪椿」「もしかして」なども披露したが、涙を流すファンの姿を見て「泣かないでください。私も一緒に泣いちゃった」と涙ぐむ場面もあった。34年ぶりに各地をキャンペーン廻りするなどして、2012年末までに自主製作では異例の2万枚を売り上げている。

2013年2月24日には台湾で開催される伝統行事「台湾ランタンフェスティバル 2013」の開幕式典に、国賓級の待遇で日本人歌手としては初めて招かれた。また2月22日、23日には2回目となる台湾コンサートを開催した。

前作『茨の木』に続き、さだのプロデュースで50周年記念曲『蛍前線』を、デビュー記念日の6月5日に発売して、前日の6月4日には都内で発売記念イベントを行ないウエディングドレスのような真っ白なドレスで登場して、歌唱中にステージがせり上がると衣装が蛍の光のように2万個のLED電球で輝き出し、高さ3.5mのド派手衣装に変身した。 6月13日には神奈川県横須賀市文化会館を皮切りにデビュー50周年記念コンサートツアーを開催した。

11月1日には横浜赤レンガ倉庫で「小林幸子&ソノダバンド LIVE~岩谷時子を歌う」を開催してニコニコ動画生中継された。12月31日から2014年の1月1日にかけて東京・ニコファーレ内からニコニコ生放送で「ラスボス小林幸子による年越しライブ&カウントダウン」が生放送配信された。「幸子城」と銘打った衣装やさまざまな映像演出で視聴者を驚かせ、番組終了時点で番組の総来場者数は85万4946人、総コメント数は26万7167コメントを記録した。

2014年8月17日、個人サークル「5884組」として第86回コミックマーケットに参加した。小林自らブースに立ってミニアルバムCD「さちさちにしてあげる♪」を手売り販売すると直ぐに長い行列ができ、スタートから約2時間40分で用意していた限定1500枚のCDが完売した。完売後も1000人以上のファンが列を作っていて、小林がCDを買えなかった全てのファン一人一人に握手しながら謝罪した[8]

紅白歌合戦におけるエピソード

小林は基本的にその年に発表した楽曲を歌唱していた。2000年代後半以降の紅白にて、演歌歌手はその年の楽曲ではなく過去の楽曲を歌唱することが多くなってきているが、小林は数少ない例外派でもあった。

2000年の紅白に出場した際、「豪華衣装での出演は今回が最後」と公言したが、翌2001年も花をテーマに『Flower of dream』と題し、小林自身が花弁に扮し、自身の下に大人数を据えた豪華衣装を披露した。これは大型舞台装置を止めて人力に替えたというのが真相である。さらに、その次の2002年には大型舞台装置も復活した。

  • この時の小林の発言が「豪華衣装封印」とも取れるものであったため、「何故、豪華衣装を止めると言ったのに止めないのか?」「演歌歌手は嘘吐きが多い」と2001年の紅白のリハーサル終了後に記者会見を行った和田アキ子がその場で小林を批判し話題を集めた。この時は数多くの演歌歌手仲間の他に松山千春さだまさしらの大物も小林に同情的な発言をした。
  • 和田は続けて「出場歌手が発表されていないにも関わらず、どうして衣装制作ができるのか?」「もし、出場できなかったら、あの衣装はどうするのか?」「あれは衣装じゃなくて舞台装置」などと、豪華衣装があるが故に事実上小林の紅白出場が確約状態にあることに不満を示し批判しているが、それに対しては小林本人曰く「(紅白の衣装は)見ている人に楽しんでもらおうと思ってやっている」「(紅白に)もし出場できなかったらコンサートで着ます」「アッコちゃんは私よりも年上だけど、芸能界では私が先輩なんですから、陰でコソコソ言わないで何か意見を言いたいのならば直にはっきりと私に言いに来たらいいのに」などと反論している。小林の個人事務所・幸子プロモーション関係者も一部週刊誌の取材時に、小林が豪華衣装を準備した状態で紅白落選した場合について「こちらが勝手に用意したものなので文句は言えない」とコメントしていた。
  • 実際には2010年の紅白において、両軍ともにトリにポップスのグループ歌手を起用するなど「前年に60回のメモリアルを終えたので、新しい紅白は新しい時代の雰囲気で」と、NHKがそれまでとは違う構成にする方針をとり「豪華な衣装対決」を否定される形で美川憲一とも出場内定枠から漏れた際、美川はそのまま落選したが、小林は出場枠にくい込めた。

新潟で発生した新潟県中越地震2004年)および新潟県中越沖地震2007年)に心を痛め、被災者のもとを激励に訪れた。2004年の紅白出場に当たっては「辛く悲しい地震で苦労している方々の気持ちを思うと、自分が煌びやかな衣裳で歌を歌うわけにはいかない」として豪華衣装を着用せずシンプルな和服に身を包み、新潟を舞台にした歌『雪椿』を歌い初の大トリを務めた。この時は先述の確執の相手である和田からも激励されたという。ちなみに紅白において、同年の小林を最後に紅組歌手の大トリ起用はされておらず、且つ2000年代で紅組歌手の大トリは小林のこの回のみ。その後、この紅白で使用する予定にしていた豪華衣装は2005年1月25日の『NHK歌謡コンサート』で披露した。また、新潟県中越地震の義捐活動を評価された小林は、日本国政府から紺綬褒章を贈られている。

2007年の新潟県中越沖地震の時は、当初はやはり2004年の場合のように封印も考えたそうだが、被災者から小林の元へ「こんな時だからこそ被災地の住民に華麗な姿を見せて楽しませてほしい」という意見も多数あったそうで、その要望を受け豪華衣装で出演した。

紅白で使用した豪華衣装と大型舞台装置は、後になって地方のコンサートなどでも度々使っている。ただ、規模がNHKホールほど広くはないので、紅白使用時のままのサイズでは入りきらないため、若干小さめに改修した上で使っている。

「紅白で小林さんの豪華衣装をみると試験に落ちない」という噂がネット上などで頻出。受験生の孫や子供を持つ幸子ファンからもマスコットの発売を望まれ、プレ歌手生活40周年と紅白出場25周年にあたる(2003年)商品化された。地方のコンサート会場から販売し始めたところ、300個があっという間に完売。流行に敏感な女子高生が集まるキディランド原宿店に『「幸せを呼ぶ」サッちゃん神社』を作ったことから、小林ファンだけでなく、高校生にまで人気が飛び火した。

2011年も当初は震災の影響から豪華衣装は封印自粛を検討していたそうだが、被災者からの『私達を元気付けるつもりなら紅白出場決定時にはぜひ豪華衣装をやってください』との声により、急遽10月1日より製作を開始し12月30日のリハーサル当日の朝に何とか完成したという。

2012年、33回連続出場を果たしてきた紅白に落選した。 NHKは主な原因として新曲『茨の木』の発売がずれ込んだことなどを挙げている。 2013年も紅白に落選したが、紅白出場時の衣装の構想や準備をしていたとインタビューで語っている。

その他のエピソード

先述の通り、「小林幸子」は結婚前の当時の本名であるが、デビュー当時、古賀は『歌まね読本』での小林を知らない層を考慮して「夕波千鳥」という芸名を準備していた。

姉御肌であり演歌やポップスなどの後輩歌手への世話や面倒見などがとてもよいそうで、中でも後輩歌手の柏原芳恵を実妹の様に可愛がっており、柏原も小林を姉のように慕っている。柏原は『ザ・ベストテン2002』など様々な番組の中で「幸子姉さんには落ち込んでいる時に精神的に助けて頂いた」と感謝の念を述べている。また小林も「芳恵ちゃんはデビュー当時から変わらぬ初々しさで、とても可愛く、本当の妹の様に思っている」と返した。泉ピン子美川憲一と同じく、互いの低迷時の苦労を知りつくしている親友であり、後輩のグッチ裕三コロッケはプライベートでも仲良しの親友でもある。

『おもいで酒』がロングヒットになり、『ザ・ベストテン』でも常連出場に成りかけた頃に、視聴者からの葉書で、いつもマイクを持つ人差し指が立っている(他の指は握っているが)という事の指摘があり、本人も何となく以前からそうやっていたという話であったが、今はその握り方ではなく人差し指でも握っている。イケメン合衆国に出たとき、高田純次によって紅白でつかった衣装が被害をくらった。

音楽番組だけでなくフジテレビドリフの大爆笑』などのバラエティー番組にも過去に何度か出演しており、清掃員のおばちゃん役など非常にコミカルな中年女性役をこなしている。

さだまさしとはプライベートでもたいへん親交が深く、1993年の『約束』、2012年の『茨の木』、2013年の『蛍前線』はさだの制作曲である。芸能界では小林が先輩だが年下のためにさだのことを『お兄ちゃん』と呼び慕っている仲でもあり、さいたまスーパーアリーナで行われた「さだまさし還暦バースデーコンサート」には総勢60人のゲストの中の1人として出演した。

「さっちゃん」との愛称がある。また、2010年代より紅白でのあまりの衣装の派手さが「まるでラスボス(ゲーム等における最大の敵、最終ボスキャラクター)のようだ」として、ニコニコ動画ユーザーを中心とする若年層ファンから「ラスボス」と呼ばれることがあり、本人は「いいじゃん! ラスボス小林幸子」と面白がっているという[9]。「デビュー50周年全国コンサートには若年層ファンの方も多く訪れてくれるようになってとてもありがたくて嬉しい」とインタビューで語っている。

2013年9月6日には、ニコニコ動画に「【初投稿】ぼくとわたしとニコニコ動画を夏感満載で歌ってみた【幸子】」のタイトルで動画を初投稿した[10][11]。これ以外にも動画を投稿しているが、動画の制作にプロダクションではなくニコニコ動画でいわゆる「絵師」として活躍する人などに依頼を行い、コラボレーションの形を取っている。ニコニコ動画との関係は投稿以外にも「ニコニコ超パーティー」への出演がある他、「ニコニコ町会議」への出演を行っている。

ディスコグラフィ

シングル

No. タイトル 発売日 C/W曲 備考
1 ウソツキ鴎 1964年6月5日 チビッコ三度笠 10歳で歌手デビュー。「第二の(美空)ひばり」として注目を集めるが、その後約15年の間ヒット曲に恵まれず不遇の時期が続いた
2 母恋いおけさ 1964年9月 チビッコ天使
3 私しゃみなしご角兵ヱ獅子 1964年11月 裏町の幸福
4 花笠むすめ 1965年1月 さみしがりやのマドロスさん
5 小楠公 1965年3月 チビッコ船頭さん
6 ちびっ子数え唄 1965年5月 母恋い三度笠
7 ちびっ子役者 1965年7月 むすめ大漁歌い込み
8 夕焼け小僧 1965年9月 汐鳴り三里
9 サヨナラ波止場は午后三時 1965年11月 つんつん燕が来る波止場
10 出稼ぎ父ちゃんの歌 1966年2月 烏がカアカア雀がチュン
11 山びこ少女 1966年6月 親なし雀
12 潮来十三夜 1966年11月 海が真赤に泣いている
13 太陽は教える 1967年1月
14 たんぽぽの丘 1967年8月 兄ちゃんは東京へ
15 青い太陽 1968年4月 若い生命
16 お好きな時に 1969年11月 髪をほどいて 小林さち子名義
17 わがままな貴方 1970年2月 指輪を返しましょう 小林さち子名義
18 こまらせたいの 1970年8月 なぜか淋しいの 小林さち子名義
19 なぜか恋しくて 1971年4月 帰ってほしいの 小林さち子名義
20 やがて二十才になる女 1971年9月 月見草の女 小林さち子名義
21 気まぐれなわたし 1972年7月 霧雨の夜 小林さち子名義
22 恋地獄未練ばなし/ふるさともんめ 1973年6月 小林さち子名義
23 1976年8月 ねんね 岡真由美名義
24 恋文列車 1977年8月 おりおりの雨
25 男と女の曲がり角 1977年10月25日 姉様人形
26 春待ちれんげ草 1978年1月25日 燃え尽きるまで
27 お嫁に行くわ 1978年6月21日 失恋模様
28 六時、七時、八時あなたは… 1979年1月25日 おもいで酒 「六時、七時、八時あなたは…」はTBS系ドラマ『母子草』主題歌。「おもいで酒」の方が有線放送などで注目されるようになったため、ジャケットを変更の上「おもいで酒」をA面として販売するようになった。
おもいで酒 六時、七時、八時あなたは…
29 とまり木 1980年1月1日 わかれの港
* DELUXE 4 DELUXE とまり木/春待ちれんげ草/おもいで酒/男と女の曲り角 発売日不明
30 ふたりはひとり 1980年6月1日 めぐり逢い
31 あれから一年たちました 1980年9月25日 ひとり片隅で
32 うしろかげ 1981年2月10日 夢よさめないで
33 迷い鳥 1981年6月11日 愛していながら
34 泣かせやがってこのやろう 1982年1月1日 愛愁
35 もう一度だけ 1982年6月25日 ひとり旅中山道
36 ふたたびの 1983年1月25日 忘れましょうか
37 もしかして 1984年1月25日 みれんというのじゃないのです
38 もしかしてPARTII 1984年7月10日 もしかして 「もしかしてPARTII」は小林幸子・美樹克彦名義
39 矢車日記 1984年9月25日 止まり木の片すみで
40 ひと晩泊めてね/夫婦しぐれ 1985年2月25日
41 別離 1986年2月25日 想い出っていうものは
42 女の円舞曲/別離 1986年9月10日
43 雪椿 1987年6月25日 むちゃくちゃ惚れでござります 1988年2月25日にCDで再発、NHK紅白歌合戦にてトリ・大トリ
44 恋の曼珠沙華 1988年2月25日 北夜行 「雪椿」の再発盤と本シングルは初のCDでのリリース
45 不断草 1988年6月25日 こころうた
46 福寿草 1989年2月25日 嫁姑
47 メランコリック・ママ 1989年9月25日 男なんて青い鳥 小林幸子・木の実ナナ名義
48 故郷 1990年4月10日 しおどき
49 天命燃ゆ 1990年11月15日 七夕慕情
50 冬化粧 1991年8月25日 華の舞
51 恋螢 1992年6月21日 心…誘われて 作詞・作曲 小林幸子
52 涙の数だけ着飾って〜こんな私じゃあるまーに〜 1992年7月10日 涙の数だけ着飾って SACHIKO de KOBAYASHI名義
53 一夜かぎり 1993年2月22日 ハイヒール
54 日本列島花はな音頭/心は花のように 1993年4月10日 「心は花のように」は下成佐登子の曲
55 別れて…そして 1993年6月25日 愛の振り子 小林幸子&北大路欣也名義
56 約束 1993年10月10日 ねむり歌 「約束」はさだまさしの作詩・作曲
57 雨の屋台酒 1994年3月25日 二輪草
58 母ひとり 1995年6月25日 一人心中
59 越後情話 1996年8月30日 脇役
60 幸せ 1997年8月30日 イチマディン〜永遠に… 「幸せ」は中島みゆきの作詞・作曲
* スーパー・セレクトシリーズ おもいで酒/とまり木 1997年12月10日 両曲とも新録音バージョンで収録
* スーパー・セレクトシリーズ 雪椿/母ひとり 1997年12月10日 両曲とも新録音バージョンで収録
* スーパー・セレクトシリーズ 夫婦しぐれ/矢車日記 1997年12月10日 両曲とも新録音バージョンで収録
* スーパー・セレクトシリーズ 福寿草/雨の屋台酒 1997年12月10日 両曲とも新録音バージョンで収録
* スーパー・セレクトシリーズ もしかしてPARTII/ふたたびの 1997年12月10日 両曲とも新録音バージョンで収録
61 とりかえっこプリーズ 1998年2月10日 ポケットにファンタジー
ポケモン音頭
「とりかえっこプリーズ」はスズキサン名義、「ポケットにファンタジー」はさち&じゅり名義、「ポケモン音頭」はがルーラ小林名義
62 雨月伝説 1998年2月21日 心のままに
63 風といっしょに 1998年9月3日 すてきなコレクション M-1 映画『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』エンディングテーマ
64 やんちゃ酒 1999年1月1日 時代屋の女房 「やんちゃ酒」は、アルバムにはセリフ入りバージョンが収録されることが多い
65 二都物語/蒼のなかへ 1999年9月10日 「二都物語」は小林幸子・平尾昌晃名義、「蒼のなかへ」は小沢亜貴子・田村武也の曲
66 お地蔵サンバ 1999年9月22日 お地蔵さんロマンチカ サッチョモ名義
67 泣かせ雨 2000年1月1日 百花繚乱
68 さよならありがとう 2000年4月21日 ドシラそファミレス! M-1 映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル』主題歌
「さよならありがとう」はこばやしさちこ名義、「ドシラそファミレス!」はさっちゃんしんちゃん名義
69 流氷哀歌 2001年1月1日 恋文
70 命しらずの渡り鳥 2001年1月1日 命知らずの渡り鳥〜次郎長風雲編〜
71 元気でいてね 2001年4月21日 オラタチはにんきもの M-1 映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』主題歌
「元気でいてね」はこばやしさちこ名義、「オラタチはにんきもの」はさっちゃんしんちゃん名義
72 夢の涯て〜子午線の夢〜 2001年9月1日 さよならをする前に
73 雪泣夜 2002年1月1日 雪・月・花
74 雪泣夜 (SEセリフ入り)/誰かがそばにいる〜「ほんまもん」より〜 2002年6月21日
75 待ちわびて〜華王〜 2002年12月5日 小林幸子&美川憲一名義
76 Ribbon 2003年1月1日 あなたの声に触れたい夜は 芸能生活40周年記念曲
77 孔雀 2003年1月1日 HA-HA-HA 芸能生活40周年記念曲
78 春蝉 2003年8月20日 愛ひと重 初の12cmシングルでのリリース、星野哲郎作詞家生活50周年記念曲
* ベスト&ベスト 雪泣夜 (SEセリフ入り)/泣かせ雨 2003年9月25日
* ベスト&ベスト やんちゃ酒 (セリフ入り)/越後情話 2003年9月25日
* ベスト&ベスト おもいで酒/雪椿 2003年11月19日
79 いそしぎ 2004年3月3日 道化師のボレロ
影を慕いて
「影を慕いて」はボーナストラック
80 越後絶唱 2005年2月16日 四季の新潟
81 大江戸喧嘩花 2006年6月21日 くれない草紙
82 恋桜 2007年6月21日 ほら、ひとりじゃないよ
83 悲しみの帳 2008年2月20日 男と女のタンゴ 槇原敬之プロデュース 芸能生活45周年記念曲
84 楼蘭 2008年8月20日 この地球に生まれて 小林幸子 WITH 女子十二楽坊名義
85 万葉恋歌 ああ、君待つと 2009年6月24日 万葉恋歌 ああ、君待つと (自由訳・朗読バージョン)
86 白いゆげの歌/母ちゃんのひとり言 2010年1月27日
87 おんなの酒場/恋のかけひき 2011年6月1日
88 茨の木 2012年10月17日 道 (はないちもんめ)
茨の木 (プレミアバージョン)
さだまさしプロデュース
89 蛍前線 2013年6月5日 おかあさんへ さだまさしプロデュース 芸能生活50周年記念曲
90 越後に眠る 2014年6月4日 星に抱かれて

アルバム

タイトル 発売日 備考
小林幸子のヒット・ショー 1964年11月
春待ちれんげ草 1978年6月
おもいで酒 1979年7月
幸子抄 1979年11月
とまり木 発売日不明
ふたりはひとり 発売日不明
幸子、懐メロを唄う 発売日不明
あれから一年たちました 発売日不明
古賀政男メロディー集 発売日不明
うしろかげ 発売日不明
「迷い鳥」有線スタンダードヒット 発売日不明
オリジナル・ヒット全曲集〜おもいで酒から迷い鳥まで〜 発売日不明
泣かせやがってこのやろう -星野哲郎オリジナル-" 発売日不明
演歌ミリオンヒットを唄う 発売日不明
'82ベストヒット 小林幸子全曲集 発売日不明
ふたたびの 発売日不明
'77〜'83小林幸子大全集 発売日不明
もしかして 発売日不明
もしかしてPARTII 幸子ベストセレクション 1984年11月28日
ひと晩泊めてね 小林幸子全曲集 1985年4月25日
演歌の花道 1985年11月28日
別離 1986年4月25日
艶華抄 小林幸子オン・ステージ 1986年12月10日 ライブ盤、ビデオ版と同時発売
雪椿・演歌ヒット集 1987年11月10日
芸能生活25周年記念 飛翔 1988年9月10日
艶華撩乱 〜最新ベスト・ヒット〜 1989年9月10日
故郷 〜オリジナル・ベスト〜 1990年6月25日
小林幸子'90ライヴイン中野プラザ 〜花から華へ〜 1990年12月21日
天命燃ゆ 〜'91幸子選曲ヒット集〜 1991年6月25日
冬化粧 〜オリジナルベスト〜 1991年12月10日 翌92年にシングルリリースされた「恋螢」のオリジナルバージョンを収録
小林幸子全曲集パートI 1992年10月25日
小林幸子全曲集パートII 1992年12月5日
芸能生活三十周年記念大全集 幸 1993年6月25日
時間をかさねて 小林幸子30周年記念リサイタル 1993年10月21日
小林幸子全曲集 雨の屋台酒 1994年6月25日 「約束」のロングバージョンを収録
母ひとり 〜愛情の玉手箱〜 1995年12月21日
小林幸子オリジナル ニュー・ベスト 越後情話 1996年10月19日
小林幸子ベストセレクション 1996年10月25日
小林幸子特選集 越後情話 1997年5月21日 一部の曲を新録音バージョンで収録
小林幸子全曲集 幸せ 1997年10月4日 一部の曲を新録音バージョンで収録
小林幸子特選集 雨月伝説 1998年4月21日
小林幸子ブギを唄う 〜音楽プロデュース:宮川泰〜 1998年6月5日
歌手生活35周年記念ツイン・パック小林幸子 雨月伝説 1998年8月1日
小林幸子全曲集 雨月伝説 1998年11月21日
小林幸子ゴールデンベスト 1999年2月20日
小林幸子特選集 やんちゃ酒 1999年5月1日 表題曲「やんちゃ酒」はセリフ入りバージョンでの収録
小林幸子全曲集'99 やんちゃ酒 1999年8月21日 一部の曲を新録音バージョンで収録
演歌名曲選 -泣かせ雨- 2000年2月19日
小林幸子全曲集2000 泣かせ雨 2000年9月1日
特選ベスト小林幸子 流氷哀歌 2001年1月20日
ツイン・パック小林幸子 流氷哀歌 2001年4月21日
小林幸子全曲集 夢の涯て 〜子午線の夢〜 2001年11月21日
小林幸子ゴールデンベスト 2002年4月20日
小林幸子全曲集 雪泣夜 2002年10月19日 表題曲「雪泣夜」はSEセリフ入りバージョンでの収録
コロムビア音得盤シリーズ 小林幸子 2002年12月4日
芸能生活40周年記念アルバム 孔雀 2003年6月5日
小林幸子全曲集 春蝉 2003年10月22日
小林幸子特選集 いそしぎ 2004年5月19日
小林幸子全曲集 いそしぎ 2004年10月20日
小林幸子スペシャルベスト 2005年7月20日
小林幸子全曲集 越後絶唱 2005年10月19日
小林幸子ゴールデンベスト 2006年6月21日
小林幸子全曲集 大江戸喧嘩花 2006年10月18日
小林幸子名曲選 恋桜 2007年7月4日 小林幸子名義のアルバムに「風といっしょに」を初収録
小林幸子全曲集 恋桜 2007年10月17日
小林幸子ゴールデンベスト 2008年6月18日
芸能生活45周年記念アルバム 絆 2008年10月1日
小林幸子全曲集 楼蘭 2008年11月19日
スーパーベスト 2009年5月20日
小林幸子全曲集 万葉恋歌 ああ、君待つと 2009年10月21日
小林幸子ヒット曲集2010 2010年6月23日
小林幸子全曲集 母ちゃんのひとり言 2010年10月20日
小林幸子 遠藤実を唄う 2011年3月23日
小林幸子カヴァー&オリジナル曲集 〜なつかしのヒット曲を唄う〜 2011年3月23日
小林幸子全曲集 おんなの酒場 2011年10月19日
小林幸子プレミアム・ベスト 2012 2012年5月23日
S 2013年9月4日 芸能生活50周年記念アルバム第1弾
K 2013年12月4日 芸能生活50周年記念アルバム第2弾
さちさちにしてあげる♪ 2014年8月17日 コミックマーケット86にて1500枚限定販売
VOCALOID曲のカバー

出演

NHK紅白歌合戦出場歴

1979年・第30回紅白歌合戦に初出場を果たしてから、2011年・第62回紅白歌合戦まで連続33回出場を果たし、紅組歌手における連続出場の歴代単独1位の記録となった。なお初紅組トリは出場10回目である1988年・第39回の「雪椿」であり、2回目の紅組トリは16年後の2004年・第55回で同じく「雪椿」で大トリを務めた(ただし、例年の豪華衣装の移動や設置の関係で、他の常連歌手に比べてトリを務めた回数は少ない)。

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1979年(昭和54年)/第30回 おもいで酒 18/23 千昌夫
1980年(昭和55年)/第31回 2 とまり木 22/23 森進一 トリ前(1)
1981年(昭和56年)/第32回 3 迷い鳥 19/22 内山田洋とクール・ファイブ
1982年(昭和57年)/第33回 4 おもいで酒(2回目) 20/22 北島三郎
1983年(昭和58年)/第34回 5 ふたたびの 20/21 森進一(2) トリ前(2)
1984年(昭和59年)/第35回 6 もしかして 19/20 五木ひろし トリ前(3)
1985年(昭和60年)/第36回 7 夫婦しぐれ 19/20 五木ひろし(2) トリ前(4)
1986年(昭和61年)/第37回 8 別離(わかれ) 19/20 五木ひろし(3) トリ前(5)
1987年(昭和62年)/第38回 9 雪椿 17/20 新沼謙治
1988年(昭和63年)/第39回 10 雪椿(2回目) 21/21 北島三郎(2) トリ(1)
1989年(平成元年)/第40回 11 福寿草 18/20 森進一(3)
1990年(平成2年)/第41回 12 天命(いのち)燃ゆ 19/29 さだまさし
1991年(平成3年)/第42回 13 冬化粧 22/28 槇原敬之
1992年(平成4年)/第43回 14 恋螢 22/28 米米CLUB
1993年(平成5年)/第44回 15 約束 21/26 小林旭
1994年(平成6年)/第45回 16 雨の屋台酒 20/25 美川憲一
1995年(平成7年)/第46回 17 母ひとり 18/25 美川憲一(2)
1996年(平成8年)/第47回 18 越後情話 18/25 シャ乱Q
1997年(平成9年)/第48回 19 幸せ 17/25 X JAPAN
1998年(平成10年)/第49回 20 風といっしょに 18/25 T.M.Revolution
1999年(平成11年)/第50回 21 やんちゃ酒 23/27 さだまさし(2)
2000年(平成12年)/第51回 22 泣かせ雨 23/28 郷ひろみ
2001年(平成13年)/第52回 23 夢の涯て~子午線の夢~ 15/27 Gackt
2002年(平成14年)/第53回 24 雪泣夜(せつないよ) 19/27 美川憲一(3)
2003年(平成15年)/第54回 25 孔雀 21/30 美川憲一(4)
2004年(平成16年)/第55回 26 雪椿(3回目) 28/28 五木ひろし(4) 大トリ(2)
2005年(平成17年)/第56回 27 越後絶唱 19/29 T.M.Revolution(2)
2006年(平成18年)/第57回 28 大江戸喧嘩花 19/27 DJ OZMA
2007年(平成19年)/第58回 29 恋桜 16/27 Gackt(2)
2008年(平成20年)/第59回 30 楼蘭 21/26 EXILE
2009年(平成21年)/第60回 31 万葉恋歌 ああ、君待つと 20/25 福山雅治
2010年(平成22年)/第61回 32 母ちゃんのひとり言 17/22 福山雅治(2)
2011年(平成23年)/第62回 33 おんなの酒場 17/25 西田敏行

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

歴代の衣装

シンプルな黒地や友禅などの高価な着物を着ることも多いが、普段からなにかときらびやかでゴージャスなファーやドレスなどの衣装を身にまとっており、音楽番組などでは衣装を何着も用意してコンサートのように度々衣装チェンジをして着替えている[12]。紅白歌合戦ではさらに趣向を凝らしたゴージャス衣装を数多く用意している。豪華衣装を着始めた理由は「ファンの皆さんに自分の歌以外にも派手な衣装を見ていただいてビジュアル面でも楽しんでいただきたかったから」と語っており視聴者の間で毎年話題となっている。小林自身も今までの衣装代に財産をつぎ込まなければ今頃は大豪邸を建てて住んでいるだろうと冗談で語ったことがある。

「ワイヤーで吊り上げたり、特殊リフトで上昇したりする」「電飾を大量に使用する」「毎年彼女専用に新規に製作される特注品であり、非常に高価なため1着しか存在しない」という特徴を持ち、紅白終了後は1ヶ月公演や全国ツアーでも披露されるのが習わしとなっている。

製作した衣装は処分したりせずに、湯河原の自宅や倉庫などに全て保管しており、維持費だけでも毎年かなりの金額になるとNHKスタジオパークからこんにちは』のゲスト出演時で語っていた。紅白で使われた歴代の豪華衣装は解体して保管している。

1992年の紅白では推定4億円とされる電飾衣装で登場したが、本番中にショートしてコンピュータが故障し、約3分の2が点灯しないというトラブルに見舞われている。

映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル』では、この派手な衣装を元ネタにした「小林幸子アクションミレニアムビーム発射装置」なる武器が劇中劇に登場。ビーム発射音は小林本人の声だった。また、この映画の主題歌も小林本人が歌っている。

アニメ『ヤッターマン(リメイク版)』2008年12月15日放送の第28話では、この派手な衣装をモチーフとしたドロンボーメカ「サチコDX(ディーエックス)」が登場。声も小林本人が担当しているほか、劇中では小林本人が「天才ドロンボー '08」を熱唱するシーンや2000から2007年までの衣装を再現するという演出があった。また、「ドクちゃんの豆知識」では、2008年の実際の紅白衣装で「世界一軽い布を探しているらしい」というヒントも披露された。

2011年の衣装は震災の影響で自粛を検討していたが被災者の私達を元気づけるつもりなら豪華衣装をやってください。との声により10月1日より製作開始し12月30日のリハーサル当日の朝に完成した。大きいトラックの荷台に乗せNHKホールの搬入口から搬入しようとしたところ獅子の頭が大きすぎで入らなかったため、トラックより下ろし鼻の一部分を削って搬入した。

衣装には毎年、曲目に合わせたコンセプトから名前が付けられている。衣装デザインは桜井久美子上迫美恵子、電飾部分に森脇裕之などが歴代参加している。

年度 衣装名 歌唱曲 備考
1985年(昭和60年) 『十二単』 夫婦しぐれ 赤い十二単を身にまとい「夫婦しぐれ」を歌う。
1986年(昭和61年) 『クレオパトラ・カムバック』 別離 金とエメラルドグリーンの衣装。小林の背後には多くの孔雀の羽根が付けてある。
1987年(昭和62年) 『平安王朝絵巻』 雪椿 紅白で初めて着物を身にまとう。色は白。
1988年(昭和63年) 『唐織の壺織装束』 雪椿 オレンジの着物のような衣装。頭に金や銀の髪飾りを使用。
1989年(平成元年) 『21世紀の天女』 福寿草 天女をイメージした衣装。歌い始める前に大きな羽衣のようなものをもっていた。1番を歌い終わると小林は自分で銀の衣装を脱ぐ。すると小林のドレスの袖にキラキラと光る飾りが出てくる。
1990年(平成2年) 『東洋の神秘』 天命燃ゆ インドの職人が何日もかけて織り上げた衣装。全体的に赤や黒で刺繍が施されており、小林の背後には炎をイメージしたカーテンが取り付けてある。そして、ヘッドドレスは高さが約30センチメートルあり、中には水晶が取り付けてある。
1991年(平成3年) 『冬の鳥』 冬化粧 この年は小林が紅白で初めて空中浮遊に挑戦した。金の冠と黒や銀に光る衣装で登場。一番を歌い終わると、直径5ミリのワイヤーで小林は上昇し、それと同時に衣装が鳥のように大きく開く。衣装になかには大きなバネが取り付けてあり、その力で衣装が開く仕組みになっている。
1992年(平成4年) 『光のファンタジー』 恋蛍 62500個の電球が色々な色に輝きながら衣装が動くはずだったのだが、紅白当日に衣装のコンピューターが故障し、電球が光らないという事態に見舞われた。しかし翌年、30周年記念リサイタルの際にオープニングでこの衣装を成功させた。
1993年(平成5年) 『ペガサス』 約束 大きな衣装の衣装の真ん中で青いドレスを着て登場。1番を歌っているときに青いドレスが金のドレスに早変わりする。その後、金の衣装の後ろにペガサスの絵が付いている金色の大きな羽が登場。真ん中から風が送られヒラヒラと揺れる。高さ8メートル。幅14メートル。
1994年(平成6年) 『人間ナイアガラ』 雨の屋台酒 ピラミッドのような物の上で青いドレスを着て登場。1番を歌い終わるとピラミッドのような物に取り付けてある青く丸いボールのような物が回転し、ドライアイスが大量に出される。
1995年(平成7年) 『21世紀の観音様』 母ひとり 銀色の衣装で登場。1番を歌い終わると同時に小林がリフトで上昇。衣装が銀から黒に早変わりする。2番の途中で小林の背後に大きな傘のようなものが現れる。くるくると回転をし続ける。
1996年(平成8年) 『雪女』 越後情話 1番は黒い着物で登場。間奏で着物が滑り落ち金のドレスが出現。それと同時に大きな雪の結晶が開く。最後に宇宙をイメージした星のカーテンが出現する。
1997年(平成9年) 『生命誕生』 幸せ 小林の入った卵が高い位置まで上がって1番が始まる。1番の途中でスカートが滑り落ち紫のスカートに早変わり。間奏で蝶々をイメージした大きな羽が舞台いっぱいに広がり前後に動く。同時に小林のスカートも紫からオレンジに変化する。最後に小林の頭上に角のような物が現れる。
1998年(平成10年) 『ヒューマンファンタジー』 風といっしょに 一番が始まる前に稲妻が割れ、その中から小林が黄緑とピンクのドレスを着て登場。歌い始めると小林の左右に24色に輝く光ファイバーの布が出現。歌う間に上下する。2番が終わるころに小林が黄緑とピンクのドレスから、緑でヒラヒラ揺れるドレスに変わりながらリフトで上昇。それからさらに薄さ0.1ミリのボディースーツのドレスが出現する。
1999年(平成11年) 『2000年のかぐや姫』 やんちゃ酒 赤い着物での登場。1番を歌い終わると赤い着物が滑り落ち、緑の着物が登場。同時に小林はリフトで上昇し、後ろに竹をイメージしたカーテンのようなものが現れる。最後、2番を歌い終わると同時に、舞台の左右から金に輝くカーテンのようなものが現れる。
2000年(平成12年) 『愛×2傘』 泣かせ雨 舞台袖から赤い傘を持ち歩いて登場。橋を登り真ん中で歌い始める。間奏で小林の下から緑色のカーテンが現れ隠す。それと同時に後ろに大きなピンク色の傘が登場。緑色のカーテンが開くと橋も開き大きなスカートになる。全体的にピンクの衣装。
2001年(平成13年) 『Flower of dream』 夢の涯て〜子午線の夢 小林の仮面をかぶったダンサー約20人が小林の下で赤いドレスを着て踊る。1番を歌い終わると小林の衣装が赤から金に変わり後ろには大きな花のようなものが出現する。
2002年(平成14年) 『氷の女王』 雪泣夜 赤いうち掛で登場。1コーラス歌い終えると、うち掛が滑り落ち、白い衣装に早変わり。背後にはパイプのようなもので形成された巨大なブロックが現れる。
2003年(平成15年) 『孔雀』 孔雀 金色の卵が割れて小林が赤いドレスを着て登場する。1番を歌っている途中で後ろに銀色の回転するものが出現。この後、左右に白く大きな羽が広がり、最後に孔雀をイメージしたカーテンのようなものが開く予定だったが本番、電気トラブルによりこの3つが作動せずに終わってしまった。しかし、その後何度も調整をして『NHK歌謡コンサート』でリベンジを果たした。その時小林は成功したことに嬉し涙を流していた。
2004年(平成16年) 『アテネの女神』 いそしぎ 2004年紅白未発表[13]衣装。2005年1月の『NHK歌謡コンサート』で披露した。炎をイメージした赤い衣装が間奏で滑り落ち、緑色の衣装にチェンジ。背後に羽根が生え背景にはヴィーナスをイメージしたものが現れる。
2005年(平成17年) 『冬から春へ』 越後絶唱 水色の衣装で登場。氷の岩のようなものの上で1コーラス歌い終えると、小林が下降し、つぼみと背景(冬)が上昇。つぼみが開くと小林がピンクの衣装で登場。2コーラス目を歌い終えると背景(冬)が滑り落ちてピンク(春)に変わる。
2006年(平成18年) 『火の鳥』 大江戸喧嘩花 黄金のドレスで登場。間奏でNASAが開発した特殊リフトで高さ8メートルまで上昇し、同時に青龍も上昇。青龍が倒れると、黄金の巨大ドレスが現れ、回転する。
2007年(平成19年) 『桜の万華鏡』 恋桜 桜の花びらが沢山あしらわれている黒い着物で登場。1番を歌い終わると銀色で光る布が小林を隠す。それと同時に回転する大きなブロックが出現。それからまもなく銀色の布が開き小林は青や水色に光るドレスに早変わりしリフトで上昇。小林の左右には桜の万華鏡をイメージしたカーテンが登場。総重量2トン。高さ8メートル。全幅15メートル。
2008年(平成20年) 『砂漠に突然現れるオアシスの女王』 楼蘭 砂漠をイメージした黄土色の衣装で登場。1コーラスの途中でオアシスのイメージのピンク・紫・水色の衣装に一瞬にして早変わり。間奏で高さ8メートルまで上昇。同時に羽根が生える。背景に巨大ジェット4機を使用して世界一軽いといわれる布が浮上。横12メートル、奥行き4メートル。
2009年(平成21年) 『メガ幸子』 万葉恋歌 ああ、君待つと 本人と同様の衣装を着用した高さ8.5メートル、横幅8メートル、奥行き5.4メートル、総重量3トンの巨大な胸像が登場。
2010年(平成22年) 『母鶴』 母ちゃんのひとり言 歌のタイトルどおり故郷とお母さん という暖かいイメージから鳥をイメージ、歌い始めは約5.5メートルの位置からのスタート。間奏で黒幕がはずれ後ろ向きのうずくまった鶴が登場、そのまま鶴のみが回転し前向きに。小林は鶴の背中に乗った状態。鶴は羽を広げ2番の歌唱中上下左右に動くほか首も動き羽もはばたく。鶴は羽を広げると幅13メートル、高さは最高8メートル。
2011年(平成23年) 『メガ獅子』 おんなの酒場 2009年に続くメガ第2弾。衣装のテーマは五穀豊穣となっている。暗闇に包まれながら一番を歌うと間奏部分で暗幕がはずれ大きく口を開けたメガ獅子が登場。小林は獅子の口の中に立った状態になり獅子のみが上昇。小林が獅子の口に飲み込まれ口が閉じた後、獅子の頭部から小林が登場し獅子も後ろの部分が大きく広がる。耳や獅子の顔や口、全体が本物の獅子舞のように動く。獅子は高さ6メートル全長8メートル重さ2・5トン。小林が身にまとっている衣装には幸子田で収穫された稲穂がちりばめられている。

歌手以外の活動

デビュー当初から女優業も行っており、座長としての舞台公演は勿論、テレビの2時間ドラマやNHK大河ドラマ花の乱』、連続テレビ小説ほんまもん』、テレビ朝日OL銭道』などのドラマでも活動している。

テレビドラマ

  • くらやみ五段(1965年9月 - 1966年3月、NET東映) - マツゲ
  • 特別機動捜査隊(1961年10月 - 1977年3月、NET・東映)
    • 第313話「佐渡の踊り子」(1967年)
    • 第316話「北国の女」(1967年)
    • 第451話「雨の中の慕情」(1970年)
    • 第548話「影を追う女」(1972年)
    • 第556話「若い男と女の坂道」(1972年)
    • 第605話「悪魔のような女」(1973年)
    • 第612話「誘惑の報酬」(1973年)
    • 第645話「ある女子大生・異常の愛」(1974年)
  • 青い太陽(1968年4月 - 9月、NET・東映)※主演 - 杉田和世
  • 刑事くん(第1シリーズ)(1971年9月 - 1972年10月、TBS・東映)第19話「冬の旅・青春の旅」(1972年)
  • プレイガール(1969年4月 - 1974年9月、東京12チャンネル・東映) 第164話「温泉風俗巡査」(1972年)
  • 荒野の素浪人(第1シリーズ)(1972年1月 - 1973年3月、NET・三船プロダクション)第30話「緋剣 三匹の女渡世人」(1972年)
  • キカイダー01(1973年5月 - 1974年3月、NET・東映)第35話「振袖娘ビジンダー地獄絵巻」(1974年)
  • 非情のライセンス(第1シリーズ)(1973年4月 - 1974年3月、NET・東映)第42話「兇悪の新曲」(1974年)
  • アイフル大作戦(TBS・東映)
    • 第41話「地震・雷・火事・亭主!日本沈没」(1974年)*小林さち子名義
    • 第46話 「スキーで婚約殺人旅行」」(1974年)*小林さち子名義
  • 旗本退屈男 第22話「潮風に紅い血が騒ぐ」(1974年)*小林さち子名義
  • 水滸伝(1973年10月 - 1974年3月、日本テレビ・国際放映)第4話「九紋竜の激怒」(1973年)
  • 銭形平次 第738話「晴れ姿神田祭り」(1980年、フジテレビ / 東映) - おさよ
  • 大江戸捜査網 第601話「隠密狩り! 殺しに誘う美女」(1983年、テレビ東京 / 三船プロ)
  • 木曜ドラマストリート「熱血女先生 まるでセンチな乙女のように…」(1986年1月16日、フジテレビ)
  • 特別企画「美空ひばり物語」(1989年12月30日、TBS)
  • 水戸黄門 第20部 第37話「悲願を秘めた水芸師 -長岡-」(1991年7月22日、TBS / C.A.L) - 瀬川小糸
  • 暴れん坊将軍IV SP「隠された壱千万両 家康の埋蔵金を追え!」(1992年、テレビ朝日 / 東映) - 桔梗
  • 花の乱(1994年、NHK) - ごう
  • ハロー張りネズミ(1996年、TBS)
  • 火災調査官・紅蓮次郎 第5話「雪が燃える?工場大爆発トリック!・女調査員が見た灰の中の嘘…、燃えない死体と求人情報の謎」(2005年、テレビ朝日 /大映テレビ)
  • 銀座高級クラブママ青山みゆき 第2話「ナニワクラブママ女帝バトル殺人事件」(2007年、テレビ東京) - 増山清美
  • 女子刑務所東三号棟8(2008年、TBS)
  • BS時代劇 テンペスト(2011年7月 - 9月、NHK BSプレミアム) - 花風女将
  • 七人の敵がいる!〜ママたちのPTA奮闘記〜(2012年4月 - 6月、東海テレビ) - 上条圭子(PTA会長)

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外部リンク

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  1. 毎週火曜日の夜7時半から30分間の一般視聴者参加の公開生中継番組。その週の出場者の中から挑戦者を決定し、前週からのチャンピオンと対決し、5週連続で勝ち抜くとグランドチャンピオンとなる。番組タイトル中の「読本」は、スポンサーだった製薬メーカー「トクホン」にちなんだ。司会は柳家小ゑん(後の立川談志)。
  2. 読売新聞 1966年7月30日付テレビ面(10頁)に解説記事が現存する。ちなみに、メンバーは小林と、桑原友美(東映・NETテレビ『ジャイアントロボ』のU-6:マリー花村役で知られた)、石崎恵美子(後年、日本テレビ『巨泉・前武のゲバゲバ90分!』にレギュラー出演していた)の3名。
  3. 『九ちゃん!』放送リスト 坂本九オフィシャルサイト参照
  4. テンプレート:Cite news
  5. 小林幸子が婚姻届提出「小林から林になりました」オリコンスタイル 2011年11月15日
  6. 被災地で活動した芸能人ベストサポート[1]日本財団
  7. テンプレート:Cite news
  8. サークル参加手続きを含め、全て一般参加者とまるっきり同じ手続きを踏んで参加したことから、ネット上では驚きを持って受け止められた向きがある。[2]
  9. ナタリー - [Power Push ニコナタ(音楽)小林幸子インタビュー (3/4)] - ナタリー、2013年11月12日閲覧
  10. 【初投稿】ぼくとわたしとニコニコ動画を夏感満載で歌ってみた【幸子】 - ニコニコ動画、2013年9月7日閲覧。
  11. 【大御所の犯行】小林幸子様、「歌ってみた」動画ニコニコに初投稿 - ニコニコニュース、2013年9月7日閲覧。
  12. あまりのきらびやかさに、マイケル・ジャクソンの遺品を展示するイベントにおいて小林の紅白歌合戦の時のドレスが飾られていたことがある。
  13. 同年10月に小林の出身地である新潟県で発生した新潟県中越地震の被災者に配慮して自粛した。
  14. 第14回東京スポーツ映画大賞特別作品賞の表彰式でのビデオレターより