ギャル
ギャルは、英語において若い女性を指す girl(テンプレート:IPA-en ガール)の、アメリカ英語における俗語 gal(テンプレート:IPA-en ギャル)に由来する外来語。日本語でも英語と同様の意味を持つ場合があるが、とりわけファッションやライフスタイルが突飛と見なされながらも、それらが同世代にある程度文化として共有されている若い女性たちを指す場合にも用いる。前者には文化的な意味あいはないが、後者には文化的な意味合いが強く、国外では世界の最先端とみなされることがあり、日本語のローマ字表記にあたる gyaru が英語に借用されている。近年、ギャル文化は新たな輸出産業として日本政府も注目しており、外務省などがリアル・クローズのファッションショーなどを後援している。
本項では後者について詳述する。
目次
概要
ギャルという言葉は、1972年(昭和47年)にラングラーよりGalsという女性用ジーンズが発売された時から広まった[1]。また、東京においては1973年(昭和48年)に渋谷PARCOが開店し、新宿に代わって渋谷が若者の街として流行の最先端を担うようになるという変化があった。当時、ギャルはニューファッションに身を包んだ女性を指し、逆に若い女性向けの最先端のファッションを「ギャルファッション」とも呼ぶ。
渋谷系のギャルを「109系」などファッションビルの名称を使用して細分化する例が見られ、特に地方のギャルファッションを取り扱う商業施設をこのように呼称する場合も多い。代表的な例としては愛知県名古屋市にある近鉄パッセや、福岡県福岡市にある天神コアなどこうした商業施設のファッションを109系と呼ぶ。この他に商業施設の名称を使用したギャルファッションの細分化に「丸井・パルコ系」などと呼ばれるものもある。
渋谷系ファッションに限らず原宿系ファッションに対してもギャルという言葉が用いられる場合もある。この理由は原宿系ファッションも10代中盤から後半、20代前半にかけての最先端ファッションの1つとして広く認識されているのが大きな理由でもあるが、ファッションのテイストやメイクの手法が根本的に違うために厳密には彼女らのファッションはギャルではない。ただし、原宿にはロック系のファッションを取り扱う店舗も多く、また、ロック系のメイクは細部の異なりはあるもののギャルのメイクを踏襲した手法が用いられるため、こうした女性が集まるために原宿系を「ギャル」と誤認されたともいえ、この場合のギャルの意味は広義におけるギャルに近い。
1990年代中期から末期にかけて、特に上記に該当する女子高生や女子中学生を指してコギャル、あるいはマゴギャルなどという語で呼ばれることが多かったが、現在ではどの世代もギャルを使用することで落ち着いている。なお、お姉系とは本来はギャルに該当する女性が趣味嗜好をそのまま維持して大人になった者を指し、その中間的な役割としてお姉ギャル(オネギャル)という存在もあったが、ファッションの系統の分類が明確化された現在ではギャルとお姉系が完全に別物もファッションとなっているため、現在ではお姉ギャルという言葉をファッション用語としてあまり用いられない。
「egg」や「Popteen」、「Ranzuki」、あるいはかつて発行されていた「Cawaii!」などといったファッション雑誌がギャルに対して大きく影響を与えており、これらの雑誌内にはギャルのアイデンティティなども色濃く書かれ、特に雑誌内に登場するモデルは他のティーンズ誌と比較するとオープンな活動を行っている者も多い。それらに影響された読者がサークル(ギャルサーとも呼ばれる)を作って活動している者も多くみられる。また、雑誌内のコラムやアイデンティティがしばしば性的描写が過度になってしまったために問題となる場合もあった。
これに相当する男性はギャル男(ギャルお)と呼び、彼らのファッションを取り扱う雑誌「men's egg」は、前述のギャル系ファッション雑誌「egg」の兄弟誌として創刊された経緯があり、当初のコンセプトの一つとして「ギャルの理想的な彼氏(または一緒に連れて歩く男性)」としてこの言葉を用いられた。現在ではギャル男をお兄系(おにいけい)と呼ばれるが、お兄系は本来ジャニーズ系ファッション(丸井・パルコ系)までの綺麗目なファッションを含む幅広い呼称であったが、次第に雑誌「MEN'S KNUCKLE」に登場するようなファッションを「強めのお兄」と呼ばれ始め、最終的にはお兄系という呼称に落ち着いた。前述のお姉系の経緯とは全く別の発展を遂げており、事実上「ギャル男」を後継していると言える。
歴史
ギャルファッションの多様性と分類
1970年代 -
1970年代は世界的にファッションの変革が強かった時代とも言える。ジーンズもストレートボトムのものからベルボトムが登場するようになり、よりファッションの幅や自由性が広がった期間ともいえる。また、ananやnon-noといった女性ファッション雑誌が相次いで創刊したのもこの時代であり、ニューファッションに身を包んだ女性が多く登場する。こうした女性の中で特に神戸を中心に発生したニューファッションをニュートラ( 和英:New Traditional ) と呼び最先端ファッションをして位置付けされる[2]。当時のファッションの最先端は女子大生や若手OLなど現在よりも年齢層が高いのも特徴である。
1980年代 -
1980年代後半の、バブル絶頂期にはボディコンと呼ばれる非常にタイトでボディラインを強調したワンピース、あるいはスーツに身を包んだ女性が登場するようになる。発祥は1980年代前半のヨーロッパファッションであったが、日本経済が潤沢な時期でもあったためにこうしたファッションが受け入れられてくるようになる。この時期まではこのようなニューファッションを女子大生やOLが特に着用し、ギャルという言葉は若い世代の女性になぞられた。ピチピチギャルという言葉も1980年代前期に登場した言葉である。
1990年代 -
1990年代に入っても、ギャルという言葉は使用され続けた。特に中尊寺ゆつこが描いた漫画『スイートスポット』登場するオヤジギャルは流行語大賞を獲得するまでの知名度を得た。このオヤジギャルとは、主に当時の若いOLを風刺した題材でもあり、1980年代の末期より流行していたジュリアナ族のように企業の就業時間の定時時刻である17時頃を迎えると挙って制服からボディコンに着替え、夜な夜な街に繰り出してはアバンギャルドな性質を見せる反面、どこか中高年男性(オヤジ)の様な性格を髣髴させる、云わば女性としてはどことなくルーズに見え、そして大和撫子的要素の欠損した女性を的確に描いていたものでもあった。この現象はギャルそのものファッションとはあまり関連はないものの、ギャルという印象を「見た目は最先端ながらも言動に秩序やマナーなどがどこか欠落している」といったもので植え付けたともいえ、後に流行するギャル、コギャルらは当時の比較対象としてオヤジギャルを引き合いに出されていた。
コギャル
1990年代に入ってからストリートファッションなど「カジュアル」というキーワードをもったファッションが注目される。また、10代の女性の間ではスーパーモンキーズの安室奈美恵の登場により彼女の装いを特に影響された者が続出した。この現象もしくは安室に心酔した彼女らのことをアムラーと呼び、10代の女性の多くが彼女のファッションである70年代風のサーファーファッション、LAファッションなど回帰的なファッションが流行を示した。特に大きな変化が当時の日本人にはあまり馴染みがなかった茶髪に対する抵抗感がなくなったことが日本人女性の大きな変化と言える。このファッションの流れを汲むのが狭義でのギャルの原点であるというのが定説となっている。また、一般的に安室を「初代ギャルのカリスマ」とされた。
コギャルという言葉は上記のアムラーの発生とほぼ同時期の1990年代中期からの流行語[3]、あるいは1993年頃からフライデーなどの媒体に記述が見られる。ただし、本格的にコギャルという言葉を使われ出したのは1996年頃からであり、特にファッションから若者の娯楽・風俗、あるいは経済効果まで既に1980年代までの女子大生・OLを中心とした女性の流行が女子高生・女子中学生を中心とした文化に変化していたことを認めざるを得ないのを象徴していた。この当時のギャル・またはコギャルの年齢層は1980年代前半生まれ(ポスト団塊ジュニア世代の後半)の女性に相当する場合が多い。コギャルの語源については諸説あるが[4]、有力な説としてはディスコ・クラブにおいてエントランスチェックの黒服が、本来は深夜入場が不可な女子高校生を成人女性と区別するための隠語として「格好はギャルだけど、未だ本物のギャルに成りきれていない、格好だけのギャル」から、「カッコ(格好)・ギャル」と呼ぶようになり、その「カッコギャル」が縮まって「コギャル」となったものや、マスメディアが「コギャル」の「コ」を「子」ないし「小」であると誤認した結果であるとする説、あるいは「高校生ギャル」を略して「コーギャル(高ギャル)」からコギャルという言葉に派生した説もある[5]。いずれも検証は不可能ではあるが、10代の女性(特に女子高生)に対して主に使用されることが多かった言葉である。しかしながら、本来の語源は1993年当時、黒服が、幼く見えるのギャルを「コ(子or小)ギャル」と隠語で呼んでおり(つまり1970年代後半の女性や、逆に1969年生まれの当時23歳であっても幼く見えればコギャルと呼んでいた)、見た目が成人女性と区別する意味で使い始めたのであり、実年齢は問わない(当時の時代背景として、警察の指導でも入らない限りID提示は求めない為。ちょっと古いが「きまぐれオレンジ☆ロード」には中学生がディスコに入る様子が普通に描写されていた。)。その後、上記のように一般的に女子高生を指すようになり、孫ギャルという言葉が生まれたが、本来の語源の意味とは違った解釈がなされ広まったものである。
この他にマスメディア主導によって誕生した派生語に「中学生のギャル」を指すマゴギャル(孫ギャル)があった。
1990年代末期には、既に高校を卒業した身分でありながらも、当時のコギャルとなんら変わりないメッシュを入れた髪で制服に身を包み、ルーズソックスにローファーを履いて街にくりだすという「なんちゃってコギャル」という女性も存在した。当時はコギャルブームと言って良いほどの流行ぶりで、ワイドショーや週刊誌を初めとして、メディアでは女子中高生やコギャルの特集が連日連夜と書き立て報道された。ただし、その影には若者の貞操概念や道徳観の欠落など様々な問題も同時に取り上げられ、特に「援助交際」に関しては児童買春・児童ポルノ禁止法が整備されていなかったり、あるいは青少年保護条例が現代ほど機能していない時代でもあって強く問題視された。その反面に先述のような黒い資金源があってこそ高校生や中学生の身分で非常に高価なファッションを装うことが出来る、あるいは目まぐるしく変化していく流行に順応してゆく彼女らを絡めて、多様なコギャル像が構築されていた(俗流若者論 も参照)。
1990年代を賑わせたコギャルであるが、2000年代に入るとマスコミ媒体ではほとんど聞かれなくなる。ただし、アメリカなどの諸外国では "Kogal" として日本の若い女性を表す一般的な言葉として認識されている。但し、どちらかというと諸外国では Kogal は性的嗜好やフェティシズムの1つとして認識されている[6]。 テンプレート:Clear
ヤマンバ
1990年代後半から2000年代初期ごろまで流行した[7]。語源は山姥(やまうば、転訛してやまんば)。日本の民話で紹介される山姥が総じて白髪で手入れをしていない長髪であったことから由来する。それまでギャルやコギャルにも採用されていたガングロや化粧に加え、髪の毛の脱色が特に顕著であり、部分的な着色・脱色をしたメッシュを施し、乱れたように形作った髪形が特徴であった。また、ネガポジ反転をしたかのようなメイクが流行となり、自身のタンニングされた黒い肌と対照的に白い色のグロスやアイラインを施すことがヤマンバの間で大流行した。
また、この頃から「汚ギャル(おギャル)」と呼ばれる何日も風呂に入らず下着も替えないような、不潔にしているギャルをテレビのバラエティ番組『学校へ行こう!』などで頻繁に取り上げられていた。特にヤマンバにあたるギャルにターゲットにされることが多かった。彼女らは化粧も上塗りを繰り返すためヤマンバや後述のマンバ以上に濃く、ショーツ(パンティー)の中にナプキンをあてがい、それを取り替えることで必要最低限の衛生を保っていた。このようなことがバラエティで紹介されていたのも、ギャルの社会風刺の1つであり特に当時のギャル・ヤマンバは家出をすることが日常的でこうした彼女らの行動パターンから「プチ家出」という流行語にも発展した。家出中は外泊を繰り返すがその間は渋谷や池袋などで野宿を行ったり、一人暮らしの男性の友達の部屋に上がっては「男女間のバーター取引」を条件に風呂や食事を提供してもらうなどの行為もマスコミなどに取り上げられた問題となった。 テンプレート:Clear
2000年代 -
マンバ
2003年から2012年現在まで継続しているギャルファッションの一つ。ヤマンバの進化系ファッションであり、ヤマンバにもあったガングロもさらに強くタンニングを行ってゴングロ、あるいはバチグロと呼ばれる更に黒く焼けた肌を求めた。ヤマンバを継承しているため、白い口紅やアイラインはそのまま使われるが、アイラインに関しては特に目の周りにも白の濃く幅広に引き、まるでフェイスペインティングに近い感覚で描きこむようにメイクがなされた。目自体は縁にマスカラや黒いアイラインやペンシルで色濃くラインを描かれた。口紅を、唇も白系のグロスなどを塗るなどといった化粧をしており、ヤマンバに比べると今までの常識では考えられないメイクとなった。ファッションではパンツルックよりも極端に短いミニスカートを中心にコーディネートされており、それらは原色系や派手な柄ものといったものでまとめているのが特徴。バービー人形のようなマンバスタイルをバンバ、セレブ系のファッションを取り入れたマンバをセレンバと呼ぶ。全盛期に比べ数は少なくなっているが、渋谷の「げーはーこ」に代表されるように今でも一部でこのファッションが見られる。また、マンバに相当するファッションを装った男性をセンターGUYと呼ぶ。
ビビンバ
ギャルファッションのひとつで未成年者を中心にマンバでかつB系の格好をしている。渋谷を中心に棲息し、一部ではギャルサーを作って活動している。 テンプレート:Clear
白ギャル
この時代のギャルファッションの大きな変革の1つとして「白ギャル」が登場した事によって、より幅広いギャル系の派生や進化を生むようになる。それまでのギャルとは日焼けサロンに通って自身のタンニング具合を維持するなどしていた。これは前述までの流れでも分かるとおりギャルが本来はサーファーファッションやLAファッションを源流としたためであった。しかし、初代ギャルのカリスマと謳われた安室奈美恵が出産を控えた産休でしばらく芸能界から離れることとなったため、その後に登場した浜崎あゆみが2000年ころよりブレイクし始めてくると、その容姿や風貌から「第2のギャルのカリスマ」となった。また、時同じくして化粧業界でも美白ブームが起こっており、浜崎のような白い肌にブリーチによって金髪に近い色にした髪は年頃の近い女性に大きく支持された。その反面、2000年以降に登場するギャルは「白ギャル」と呼ばれる系派が次第に勢力を増してゆくことになる。尚、白ギャルはお姉系ファッションに比較的近い感覚を好む傾向があり、黒ギャルに比べると落ち着いた印象があるために明確なテイストの違いを見た目に識別できる。
お姉ギャル(オネギャル)
S Cawaii!の創刊と共に特に高校を卒業したギャルをさして、2000年頃によく使われた。当時のギャル系とお姉系との間のファッションコンセプト自体に根本的な違いがあり、実際に1990年代末期当時に発売されていたお姉系の赤文字雑誌の中で最も発行部数を占めていたのはJJのようなお姉系の中でも上品な部類に位置されるファッション雑誌であった。そのため、ギャルからお姉系への移行を目的としたニッチ的なジャンルとしてお姉ギャルが誕生した。お姉ギャルは全体的にシンプルにまとめるのが特徴的で、ファッションに原色を中心にまとめているギャルとは見た目が全く違っていた。ただし、メイクに関してはギャルが好んだ「目力を強調したメイク」を踏襲しており、眉や目のラインを念入りに書き込んだ。また、お姉系への移行を兼ねていたために肌の色は当時より登場していた「白ギャル」の系統であった。その後、しばらくはお姉ギャルという言葉を耳に出来たが、2004年頃からCanCam、ViViなどのお姉系雑誌にギャルが直接移行し始めたため、2006年頃よりお姉ギャルという言葉自体は耳にしなくなったが、S Cawaii!というギャルと他のファッション系統と繋ぐ意味の中間的な位置付けのファッション雑誌は残った。なお、当時のお姉ギャルとは2010年代でのセレカジに近い着こなし。
スポギャル
「スポーティなギャル」の略で登場した系統の一種。2000年頃に登場。ONE*WAY、Jassie、ラヴァーズハウスなどのポップな印象の強いギャル系ブランドで活発な女性を強調したファッション。特にSkechersの厚底スニーカーを着用するのが定番となった。しかし、女子中学生やギャルに憧れる小学生など比較的若年者層からの支持が強かった反面、高校生以上からの評価はあまり芳しくなく、実際に数年後には女児のキッズ向けファッションとしてスポギャルのコンセプトを踏襲したために、中高生の間からスポギャル支持層が激減してしまった。なお、ONE*WAYと同じ「ヤングファッション研究所」が展開するブランドのone spoもスポーティかつセクシーをコンセプトとしているが、当時のスポギャルとは全く性質もファッションも違うものである。 テンプレート:Clear
アルバカ
2003年から2004年まで流行したギャルのファッション傾向の1つ。なお、アルバカとは中国語版の日本の若者用語辞典によると「全身をアルバローザで包んだ派手なギャルのこと」とある[8]。実際に語源はファッションブランドのALBA ROSAの略である「アルバ」と、それを熱狂的に好むものという意味から「馬鹿」を加えてアルバカと称した。ALBA ROSAは1980年代より続くリゾート系ブランドであり、1990年代のアムラー・コギャル世代でもカリスマ化されたブランドであった。したがって、当時の他のギャルブランドと比較して価格帯が高く、いわゆる高嶺の花状態になっていた。2003年に大判のツートンカラーのブロックチェックに同ブランドのロゴであるハイビスカスを描いた通称「大柄ハイビ」が大流行し、これを機に全身をALBA ROSAで包み込むアルバカというファッションが流行した。アルバカの傾向は白ギャル、黒ギャルを問わない流行となり一世を風靡していたが、2004年頃よりセンターGUYと呼ばれるマンバファッションをした男性が登場。そして彼らもALBA ROSAを好んで着用した[9]。このことからALBA ROSAというブランドが崩れ、あるいは当時より流行を見せていたインターネットオークションで前述の大柄ハイビだけが中古で出回って流通する事態にまで発展してしまい、最終的にはALBA ROSAが一時休業するまでの事態になった。
キグルミン
2004年限定で登場[10]。ただし、地域によっては2005年以降も見られた。キグルミンは主に黒ギャルに多く見られ、ピカチュウ、ケロロ軍曹などの着ぐるみを身にまとって市街地などの賑やかな場所を徘徊していた。語源は「着ぐるみ + 民」である。
ロマンバ
2005年頃より少数派ながら現れたマンバの派生。後に姫ロリと呼ばれるファッションの原点であるロマ系とマンバを融合させたもの。なお、ロマ系は2003年頃より誕生した言葉である。 テンプレート:Clear
サーフ系
女性のサーファーファッション自体は以前より存在していたが、2005年頃より再流行しはじめる。特徴としてはこの時期になると自身のファッションに対して「ギャル」と位置付けずにサーフ系と明確な位置付けを行っているのが特徴となった。なお、1990年代末期から2000年代初期にかけて男性の間で流行った「サーファー系」とは全く別物のジャンルのファッションである。特にブランドではCOCOLULUが流行し、ミニスカートやジーンズのヒップに同ブランドのロゴがプリントされた「ケツルル」が一世を風靡した。2005年当時のサーフ系は特にデニム素材を良く用いたファッションが流行し、先述のミニスカートもデニムであった。また、ボトムはバギーをヒップハングするような着こなしが流行していたのもあって、Aラインを意識したシルエットを構築していた。現在でもギャルの中には自身のファッションをサーフ系と明確な位置付けをするものがいる。
サイケギャル(ヒッピーギャル)
SLYやmoussyなどバロックジャパンリミテッドが展開する一部のブランドでサイケデリックをコンセプトとしたギャルが登場した[11]。民族的なファッションをモチーフとしたギャルで、当時の男性にも一部流行していたデリッカーと共通する部分も多い。サイケデリックトランスなどの音楽を好み、レイヴなどの音楽パーティーによく出席する。
age嬢(あげじょう)
ファッション雑誌『小悪魔ageha』が創刊した2006年から現在まで継続するギャルファッションのひとつ[12]。ただし、age嬢という言葉自体はファッションのジャンルではなく、後述のようなメイクやヘアスタイルに特化したギャルに対する称号的な呼称と言える。小悪魔agehaはキャバクラやクラブなど夜の仕事に従事するキャバ嬢(ギャル)をそのままモデルとして起用するという業界初の試みを行なった雑誌であり、誌面に登場する一般モデルを「age嬢」と呼んだことが語源となっている。なお、同誌が創刊される以前、ファッション雑誌『nuts』の増刊ムック本としていたころ、前述のようなキャバ嬢を「小悪魔系」と呼ばれていた。ギャルファッションの多くは一般的な企業からの理解を得るのが難しいといわれており、自身のファッションスタイルを貫き通しながら社会人として活動するためには、そのファッション系統のアパレル販売員になるか、キャバクラなど風俗営業を行う店舗に従事するかの狭い選択肢しかなかった。したがって、ギャルファッションをする多くが社会人となった後にキャバ嬢として就業し、また、109系アパレルショップの顧客にこうした職業の女性が多く見られ、ギャル系アパレルとキャバクラには需要と供給のニーズが合致していることや、さらにはギャル系アパレル業界に従事することを正職とすれば表裏関係にキャバ嬢としての副職があることも暗黙視された。この見方はギャルに憧れる女子高生、女子中学生、あるいは小学生などにまでキャバ嬢に対する支持を得て[13]、実際に小悪魔agehaが創刊される以前より「夜の仕事に従事する人のメイクやファッション」がギャルファッションにおいて一定の注目をされていたことでも、age嬢という流行の登場が必然的であったことがうかがえる。
小悪魔agehaが創刊されると、雑誌に掲載されたage嬢のセルフメイクや私服が女子高生以下の若い年齢層の女性を中心に好評を博した[13]。ヘアスタイルに関しては基本が盛り髪、巻き髪となり、メイクは目力を強調したものであるが、それまでのギャルと根本的な違いはそのメイク技術が非常に洗練されている点であり、また、服飾よりもメイクとヘアスタイルに特化した「美」そのものを追求した構成であったことが特に若い女性の間で評価された。又、それまでギャルが行うメイクに対して懐疑的、あるいは嫌煙していた層もage嬢のメイクを取り入れることによって、他のファッションジャンルへ変化を与えた要素も少なからずあった。その他にage嬢がメディアに注目されたことによって小学生が将来なりたい職業の1位にキャバクラ嬢がランクインされるなど世論の変化も見られ、さらには今までは小学生の女児はほとんど化粧をしないものであったが、age嬢の影響によって非常に濃い化粧をする女児が登場するようになるなど広い分野で美意識に対して変化が見られるようにもなった。着物、浴衣などの和服に関しても従来のギャルよりage嬢の方がより着用をするようになったともいわれる。
姫ロリ
2007年 - 現在まで流行[14]。過去にロマンティック系(「ロマ」とも)と呼ばれていたファッションが派生したもの。姫ギャルとも呼ばれる。現在は元ジーザスディアマンテの社員であり、小悪魔agehaの登場モデルである三添桂子の兼ね合いでage嬢の一種と認識されている。他のギャルブランドのようにボディラインの強調や露出によるセクシーさを追求したものではないが、リボンやレースをあしらい、フリルやファー、刺繍、シースルー素材などふわふわした着用感はまるでロリータそのものを連想させる。しかし、メイクやヘアスタイルがロリータと大きく異なり、特にヘアスタイルはage嬢よりも巻きが多く、比喩するならばお伽話に登場するお姫様をギャル化させたような容姿となる。したがって、先述のage嬢の一種と認識されている通りに特有の強いメイクが特徴であり、つけまつげを使用して垂れ目や、大きな瞳をとことん強調するため、まさしくギャルの系統のファッションであることが分かる。そのため、姫ロリはロリータ愛好者の中ではロリータファッションと認識されない傾向が強い。ロリータ愛好者の中での姫ロリとはBaby, The Stars Shine Brightのようなブランドを指すが、ギャル系としての姫ロリとは先述の三添桂子が以前店長を務めていた「ジーザスディアマンテ」や「LIZ LISA」、そのセカンドラインである「TRALALA」などを指すため、あるいはロリータファッションをギャルと同義に扱われることを忌避している、またはそのブランドの店員と顧客のファッションの温度差(店員は姫ロリなのに、客は似て非なる姫系であるなど)が大きいとも言われ、それらを合わせて批判の対象となる場合が多い。 テンプレート:Clear
2010年代 -
ギャルのカリスマが西野カナや加藤ミリヤなどの歌手を代表とするものから益若つばさなどモデルが支持される傾向にあった。 また最近は、ヤマンバギャルなどのような派手なメイクではなく、ナチュラルメイクが流行した。しかし、2000年代までに見られた劇的な変化や、奇抜な新しいギャルの系統の誕生はあまり見られなかった事や、他のファッションへ流行が流れた事も相まって消極化していくことになる。
アイドルグループ、原宿系の台頭と渋谷系ギャルの衰退
ギャル雑誌の相次ぐ撤退
2008年まで、ギャル誌は最盛であったがその後の売り上げは極端に落ち込み、小悪魔agehaを例にとれば2008年には30万部を発行していたものが2014年には12万部発行し5万部程度の売り上げにまで落ち込んだ。その結果、様々な雑誌編成や社員リストラなどを行うも同誌やHappie nutsを出版するインフォレストが4月15日に事業停止され、廃刊となる[15]。また、5月31日の7月号でeggが撤退することが発表され[16]休刊となった。
海外での評価
海外から見たギャルに対する評価は賛否両論である。
- 来日した留学生の内、ファッション先進国の1つであるフランス人を中心とした意見を抽出すると女性に対しては『限りなく露出し、ハイヒールを履いている様がコールガールを連想するため、男性としては見た目には嬉しいが、どこに目をやっていいか分からない。』と言われている。また、いわゆる「ギャル男」にあたるファッションをする男性に対しても『なぜ極端にやせ細っていて、しかも自身の貧弱さを強調するかのようにボディラインの薄っぺらい服を着るのか?』と評価がなされている[17]。
- 外国人からみて日本の若者文化の中で狂っている(理解できない)と判断されるものが6つ発表された。内訳はデコトラ、ギャル、ロリータ・ファッション、ホスト、ヤンキー、ヴィジュアル系で、ギャルはロリータ・ファッションよりも狂った文化と評価された。外国人から見たギャルではギャルという1つのジャンルの中に複数のサブグループ(つまりは「ヤマンバ」や「ガングロ」など)があると認識しており、この派生で登場するギャルのサブグループが去年のものよりもさらに奇妙なサブグループが登場するとしている。日本人のギャルへの印象や認識に関しては『ある日、普通の女子高生が足を踏み外し、自分の髪の色を金髪にし、自分の学校の制服を信じられないほど短いミニスカートと信じられないほど垂れ下がった靴下(ルーズソックス)を用いてセクシャライズに着こなし、顔を日焼けさせて自分の顔よりさらに濃い色のファンデーションでメイクをして、唇の色と同じ白いペイントで目にステッカーを描いている。』と、いわゆる制服の着崩しやメイクのあり方などさまざまなギャルというファッションに対して酷評をしている。また、マンバに関しては『パンダの売春婦のように見える。』と評価し、ヤマンバには『自分のことを日本語で「山のババア」と称する女性。』と散々に書き下ろした。ただし、ロリータやヤンキー、そしてお兄系にも関連するホスト、ヴィジュアル系など他のファッションにも風評をしているため、日本の若者文化の中でギャルだけが外国人に理解されていないとは限らない[18][19]。
- 逆に評価する向きとしては2009年9月29日放送のフジテレビ『めざましテレビ』の特集「渋谷に外国人ギャル流行」や、2010年3月20日放送のNHK総合テレビジョン『東京カワイイ★TV』の特集「続々上陸! 外国人ギャル軍団」などで、日本のギャル系ファッションがインターネットなどを通じて外国の若者たちから人気を集め、各国から実際に来日して渋谷でショッピングを楽しんでいる様子などが紹介された。身体的な特徴が似ているアジア系外国人ではなく、ヨーロッパ系外国人に流行していることが大きな特徴である。
- また、2010年1月14日放送のフジテレビ『めざましテレビ』の特集「英国ギャル渋谷道中」では、イギリスから初来日した一般人のギャルとギャル男の2名を、egg専属モデルの高橋由真(ゆまち)と田中愛奈が出迎えて渋谷を案内し、サンケイスポーツも取材している。なお、このイギリス人2名はイギリス国内でも有名であり特に日本の「マンバ」ファッションの熱狂的な崇拝者であり、母国イギリスの国営テレビ放送局BBCのインタビューでもマンバファッション特有のメイクやスタイルなどの魅力を伝えている[20]。
その他のギャルの傾向
パギャル
「中途半端なギャル」の略で用いられる言葉。この意味はかなり広義で使用される傾向が強く、ファッションが成長過程であることから用いられる場合もあれば、あるいはいわゆる「ダサい」からパギャルと呼ばれる場合もある。また、外見だけでなくギャルの精神をあまり受け継いでいない女性に対してもパギャルと呼ばれる場合もある。パギャルを決める尺度はかなり個人での開きがあり、一般的には自分が気に食わないギャルに対する否定的な呼称、あるいは侮辱する場合に用いられる。
ヤンギャル
ヤンキーからギャルに変移すること、あるいはギャルへ発展する過程段階のことを指す言葉。先述のパギャルと違うのは「ヤンキーからギャル」という明確な意味を持っている点である。容姿や外見に対してヤンギャルという言葉が用いられる場合は、そのファッションがどこかしらヤンキーファッションを彷彿とさせる要素がある場合であり、あるいは前述のパギャルと同様に「ダサい」ということで侮辱する意味合いで呼称される場合もあった。元々、ギャルファッションが流行する過程にはヤンキー系女性がギャル系に変移した者が多かったことが起因しており、特に1990年代に同様の流れでギャルになった女性のことを「脱ヤン」とも呼ばれた。ヤンキーファッションも社会的アンチテーゼが強かったため、金髪や濃いメイクなど共通する点が多く、そのためヤンキーからギャルへ変移しやすかったこともこの言葉が誕生する切っ掛けとなった。
2004年頃から登場した「女性のスウェット族」に対してもヤンギャルと呼ばれる傾向があった。スウェット族の女性が増えた原因の1つにキグルミンの流行と衰退があり、若い女性が着ぐるみを着用して街を徘徊していた層がほぼそのままスウェット族に移った。また、キグルミンの着ぐるみも、女性のスウェット族が好んだスウェット衣料も共通してドン・キホーテでよく販売されていた人気商品であったのも増加の原因になったともいえる。そのため、スウェット族の多くがメイクやヘアスタイルはギャル系のそれでありながらも、衣類は無地同色のスウェット素材の衣料上下(セットアップ)にキティサンという格好で外出するのが定番となった。これらを踏まえて、顔はギャルでありながらもファッションはヤンキーそのものであると評価された結果、あるいはその格好で深夜に駐車場などに座り込んで数人で談笑するギャルの習慣も相まって女性のスウェット族も同様にヤンギャルと呼ばれた。
その他の用途に、ヤンキーとギャルを大別せずに1つのジャンルに括った呼称として「ヤンギャル」と呼ばれる傾向もある。
ギャルみこし
大阪天満宮で開催される天神祭にて毎年7月23日に行われている行事。1981年から続いており、地域文化の発展・振興と地域の活性化の一環として天神橋筋商店街の四町会、四番街、天四北商店街、天五商店街、天六商店街の各商店街団体が中心となって企画された。このギャルみこしは毎年担ぎ手をオーディションにて募集する。オーディションでは参加者それぞれの得意とするかくし芸を面接審査で行って人選し、その中から優秀者は「ミス天神橋」(1名)「準ミス天神橋」(2名)として表彰される。なお、これら優秀者には副賞として海外旅行が贈呈される。2005年までの参加資格は満16歳 - 28歳の女性に限られていたが、2006年以降は年齢制限が撤廃された。また、ギャルみこしの担ぎ手に選ばれたメンバーはこの他に大阪市の各種公共イベントなどに出席したり、海外姉妹都市などへの招待を受けて演技することもある。2005年は第25回記念大会として、将来を担う子供たちと過去にギャルみこしを経験した母親との親子が参加する企画も行われた[21]。
ギャルママ
子を出産し、育児を行う母親になったギャルのことをギャルママと呼ぶ。近年では2010年に発足した日本ギャルママ協会に所属している人もいる。
ノギャルプロジェクト
ギャルから実業家となった藤田志穂が2009年より行っているプロジェクト。都心から地方に向けて農業を行う人材を育成しようと「ノギャル」というプロジェクトを発案し、藤田は一旦代表取締役を辞任してこのプロジェクトに動いた。語源は「農 + ギャル」である。この都心から地方に向けて農業や林業などに派遣を行うビジネスモデルは次第に定着しつつあり、実際に藤田の行いはギャルを含めた若者の農業に対する認識・関心が僅かずつではあるが高まりつつある[22]。
2010年には派生系として「ウギャル」(魚/海+ギャル。漁業)が現れた。
渋ギャル
渋谷を愛する雑誌モデル「えひゃん」が渋ギャルと名づけたといわれている。
また、シブギャル-SHIBUGALはSHIBUGAL株式会社の公式ページによれば商標登録済みといい、所属ブロガーや読者モデルの意見に基づき、完成した企画商品として、つけまつげ、フェイスマスク、クレンジングなどがシブギャルというブランド名で発売されている。 また、
ピンポイント・ファッション
ギャルファッションにおける時代毎の変移と流行
時代 | 名称 | 分類 | 説明 |
---|---|---|---|
1990年代 | ALBA ROSA | ブランド | 1990年代にギャル系が登場した際にカリスマブランドとして認識された。 |
アムラー | 流行 | 安室奈美恵のファッションスタイルを崇拝する女性の事。ギャル系の発展とコギャルの登場に大きく影響。 | |
ルーズソックス | アイテム | 履いている状態がゆるい印象を与える靴下で、主にブレザーやセーラー服を着用の上で、ローファーと組み合わせて履かれる。コギャルから制服の着くずしという文化が変化してゆき、それまでの制服の着こなし方が大きく変化させた現在でも定番的なアイテム。 テンプレート:Main | |
ロングブーツ | アイテム | コギャル初期のアイテム。特に黒のスエード風のロングブーツが流行した。ブーツの流行はバブル期以前では短命に終わっていたが、コギャルへブーツが流行したことによって2007年にブーティーなどのショートブーツ化したファッションが発生するまで10年以上も定番となった。 | |
パレオドレス | アイテム | パレオで女性が着るドレスが流行したもの。1枚布を結ぶだけの簡素なもので、夏に着用していた。 | |
ビキニ | アイテム | バブル期からしばらくは水着の流行はハイレグであったが、ギャル系ファッションがビキニを支持していた。その後、他のファッションも海でのファッションにはビキニを着用する人が多くなった。 | |
LOVE BOAT | ブランド | 1996年に創業したギャルブランドで、創業当時のこの時代は特に人気が高かった。移り変わりの激しいギャル系の流行にも定番的な地位を確立し、後にLDS(Love Drug Store[23])LB-03、LOVE GIRL MARKETなど展開している。 | |
CECIL McBEE | ブランド | 同じく1996年に創業したギャルブランドで、同じく移り変わりの激しいギャル系の流行にも常勝的な地位を確立しているブランド。現在では新ブランド「Fabulous CECIL McBEE」も展開。同ブランドの代表取締役である木村達央は1996年という年を「渋谷にセクシーカジュアルの突風が吹いた」と評しており、実際にこの年に創業したブランドも多く、さらにはギャル系ファッションがより進展し始めた時期も1996年と重なる[24]。 | |
アイプチ | アイテム | 二重まぶたにするための糊の一種で、特にギャルメイクを行う上で「目力(めぢから)を強める」というのは一つのキーワードとなっていた。アイプチをすることによって二重まぶたにすることが出来るが、その反面にギャルが好むメイクを行うには相応の技術が必要となりギャルによってアイプチが流行したものの、中にはメイクが難しくなるという理由でアイプチを使用することを嫌煙する者もいた。 | |
日焼けサロン | その他 | ガングロになるためには日焼けサロンは必要不可欠であった。若しくは黒系のファンデーションをタンニングした肌の上から厚塗りしていた。なお、ガングロの略称には諸説があり、「ガンガン黒い」の略称、あるいは「顔黒」から来ているという説もある。ガングロよりも焼いた肌をゴングロ、さらに焼いた肌をバチグロと呼んだ。ただし、このスタイルの流行は地域差があり、例えば関西地方においては、隆盛を極めた時期でさえも、街中でこのようなスタイルの少女を見かけることは稀であった。 テンプレート:Main | |
黒系のファンデーション | アイテム | ||
厚底ブーツ 厚底サンダル |
アイテム | ソール全体を厚くしたブーツとサンダル。1990年代末期に流行。厚底サンダルは1999年S/Sで流行したが、厚底ブーツは1998年 - 1999年A/Wと、1999年 - 2000年A/Wで流行した。ブーツに関しては前期と後期で種類が違い、初期はスエード調レザー用いたベージュかクリーム色のようなブーツが流行した。後期は前期のスエード調以外にレザー調の光沢感のある黒や茶色のブーツが流行った。特に後期は前期のものよりもスタイリッシュな造りが多く、編み上げブーツが特に流行した。 | |
アニマル柄 | 色彩 | 1998年頃より流行。特にヒョウ柄、ゼブラ柄が人気を博し、特にヒョウ柄はギャル系の代名詞的な色彩となった。当時、ギャルファッションのキーワードとしてワイルドなイメージを前面に押す、あるいは南国イメージが強いパッションな表現も多かった。この年のアニマル柄の大流行はギャルだけでなく他のファッションにも大きな影響を及ぼした。翌年以降より一旦はアニマル柄の流行は沈静化したが、ギャル系には散発的なヒットを繰り返すようになった。2005 - 2006年A/Wには再度ファッションと問わずにヒョウ柄が大流行している。 | |
メッシュ | ヘアスタイル | ガングロからヤマンバが登場する過程で登場した、部分的な色違いの毛染めを施したスタイル。それまでは頭髪は茶髪や金髪などに染色しているスタイルが多かったが、渋谷センター街を発祥として1999年頃に隆盛を極めた。 | |
パラパラ | 音楽 | 1990年代はパラパラは複数回流行したが、ギャルの間でパラパラが大きく流行したのは1990年代末期であった。特に当時はサークルを作って深夜徘徊を行っているギャル達が公園や路上などの公衆の面前でもパラパラの振り付けを行って楽しんでいる様子がうかがえた。 | |
2000年代 | 美白ブーム | その他 | 2000年頃より流行した肌の美意識傾向の一つ。1999年頃より放映され始めたポンズ・ダブルホワイトのCMによって翌年より白い肌が尊重される美白ブームに取って代わった。これによりギャルの傾向が「白ギャル」や「お姉ギャル」という新しいタイプのギャルが登場した反面、従来の黒い肌を基調としたガングロが激減し、その影響でマンバ系のギャルも減少傾向となった。 |
ミニ浴衣 | アイテム | ギャルブランドの多くが夏になると浴衣を販売しており、これによりギャルの間で夏に浴衣を着ることが定着したが、2000年ころに「ミニ浴衣」というものが登場した。ミニ浴衣は通常の浴衣と比べて身頃が極端に短くなっており、ちょうどミニスカートくらいの丈となっている。ギャル浴衣以外に甚平も良く好んで着る切っ掛けになったとも言われる。 | |
アユラー | 流行 | 安室奈美恵の信者を「アムラー」と称したことから、浜崎あゆみの熱狂的な信者を「アユラー」と称された。ギャル傾向の白ギャル化が際立って目立つ中、浜崎は多くの支持者に偶像化されていった。 | |
ミュールサンダル | アイテム | それまでは「ヘップバーンサンダル」と呼ばれていたものであったが、本格的に流行り始めたのは2000年代初頭からであった。当初流行ったものは非常にヒールが低いミュールが流行り、当時はヒールが低いサンダルのことをミュールと誤解する人も多かった。 | |
メイベリン | ブランド | 日本でも知られるマスカラブランドの一つ。1996年にロレアルグループの傘下となったために1999年ころより日本でのブランド展開を一新。2000年代よりCMが盛んになるとギャルもそのブランドの認知度が大きく向上した。これを危惧したコーセーはブランド「ヴィセ」のイメージキャラクターに浜崎あゆみを起用するなどして、マスカラ市場のギャルの動向はより激しいものとなり、同時にマスカラの性能はこの時期より飛躍的に向上した。 | |
ストレッチファイバー メザイク | アイテム | 二重まぶた矯正アイテムの一つ。2000年に登場して以来、アイプチと二極で覇を競っており、当時メザイクの登場の際にはアイプチでの問題点を解決できたアイテムであるとして好評を博した。 | |
金髪のショートヘア | ヘアスタイル | 浜崎あゆみの曲evolutionが発表された時期に起きたギャルの傾向。この時期に浜崎はロングヘアからショートヘアへとばっさり髪を切ったため、これに感化されたギャル(特にアユラー)が一斉に髪を切ってしまい、ギャルの中でショートヘアが大流行した。 | |
エクステ | ヘアスタイル | 2000年代初頭より流行。特に先述の浜崎のショートカット後にエクステをつけてロングヘア化したことが話題となって、多くのギャル(アユラー)達がマネをした。 これによりエクステをつけることが一般的となった。 | |
トラパラ | 音楽 | 2003年頃より流行。それまではパラパラが流行していたが、いつのまにかトラパラの流行に移行していた。ディスコには連日ギャルが多く居た。 | |
ネイルアート | 美容 | キャル文化の中で特にネイルアートが2003年頃より一般的となった。特にネイルチップからスカルプチュアを実施する層が増えた。当時はまだジェルネイルがないために加工に時間がかかっていたが、それでも己の美のために待つ労力も惜しまなかった。 | |
デコ電 | その他 | ネイルアート技術の発展により、携帯電話をデコレーションすることも流行した。それまでも携帯アートというものがあったが、本格的なものになるとエアブラシなどを使わなければならないために専門的な知識や技術が必要であったが、デコ電は個人でも比較的楽しめた。また、ネイリストがネイルアートの技術を用いて本格的なデコ電にすることも可能であったため、特に若い女性が好むデザインに仕立て上げることも可能であった。これにより当初はギャルの間で流行し、後に一般的な女性や幼い子供でもデコ電にする傾向が広まった。 | |
ケツルル | アイテム | サーフ系の復活により、2004年頃よりCOCOLULUの人気が高まる。同ブランドのジーンズで尻部にロゴがプリントされたものが爆発的にヒットし、これを「ケツルル」と呼ぶ。 | |
エロカワ | 流行 | 2005年頃より倖田來未がギャルのカリスマとして人気を博すと、当時の倖田が「エロかっこいい」と形容されはじめ、また、本人も女性へのメッセージとして性愛に対してオープンになるように発言したことから、女性達が「エロ」に対して非常に寛容になった。これにより、ファッションに関して「エロカワ」という要素が確立し、男性から見た性的興奮を狙ったファッションが評価されるようになり、挑発的な露出(例:胸の谷間が見える、太ももが見えるように強調した服装)をエロカワイイという位置付けとした。この現象は当初ギャル系が先行して受け入れたが、次第にSeventeenなどのコンサバなティーンズファッション雑誌や、ViViを中心にCanCam、JJ、Rayなどの赤文字雑誌(いわゆるお姉系)にも広がり、ファッションがより男性の視線を意識したものに変移していった。 | |
ショーパン | アイテム | 日本で1970年代に流行したホットパンツの再来。2006年頃より流行。当初の雑誌ではホットパンツと銘打ったが、次第にショートパンツと呼ばれ、やがては「ショーパン」と略されるようになった。従来のミニスカートよりも脚のコーディネイトの自在性が前面に出されることと、スカートと比べて活発な行動が可能であり、特にパンティを見られる可能性が極限に低下させることが出来る、あるいはスカートよりも防寒性があるのは大きなメリットでもあった。 また、同年より「ニーハイ丈」という一つのファッションキーワードが登場した。これは2006年当時の美脚ブームから派生するもので、ショートパンツで脚の露出を上げて膝上丈(ニーハイ丈)のロングブーツや、ニーハイソックスとコーディネイトすることによって、脚を長く見せる効果があった。特にニーハイソックスに関してはギャル系だけでなく他のファッションにも大きな流行を及ぼした。 | |
ニーハイ丈 | 流行 | ||
デカ目 | 流行 | 2006年に雑誌「小悪魔ageha」が創刊されて顕著になった傾向。メイク技術によって「目を大きく見せる」というものが1つの目標となり、この傾向を「デカ目」と呼んだ。アイメイク用の化粧品も販売競争が激化し、大手化粧品メーカーの資生堂も「MAJOLICA MAJORCA(マジョリカ マジョルカ)」などの若年者向けレーベルでラッシュ・エキスパンダーネオというマスカラを発表させるなど、ギャル(age嬢)のメイクには各化粧品メーカーが注目していたといえる。 また、この他にもカラーコンタクトレンズを取り扱うメーカーも注目しており、医療機器関連メーカーのジョンソン・エンド・ジョンソンも2005年2月にコンタクトレンズ「ワンデー アキュビュー ディファイン」を発売。黒目を大きくくっきり見せられるとして爆発的な人気を博した。翌年11月にはより目を大きく見せられる「VIVID STYLE」が発売された。しかし、しっかりとした医療機器として販売される商品がある中、雑貨として「おしゃれ用カラーコンタクトレンズ」が医師の診断なく販売され、特にインターネットや雑誌の広告などによって通信販売などがされた結果、購入者からその取り扱いの不備によってさまざまな事故(眼障害)が報告されるなどの事件が発生した。その結果経済産業省と厚生労働省が厳密に薬事法による取り扱いを行う製品にすることが発表されるなどデカ目から派生したカラーコンタクトレンズ問題は大きな物議を醸すこととなった[25]。 テンプレート:See also | |
ハイブランド | その他 | 小悪魔agehaによってキャバクラ嬢が注目されるようになると、彼女らが所持しているルイ・ヴィトン(特にモノグラム・マルチカラーやダミエ・アズールなどの柄)、クリスチャン・ディオール、シャネル(カンボンラインなど)、コーチなどのバッグや財布などを社会人のギャルだけでなく高校生や中学生のギャル達も所持することが非常に多くなった。しかし、高価なブランドであるために商品を安価に入手するためにインターネットオークションを利用して並行輸入品と呼ばれるものを入手する者も多く、その結果コピー商品を掴ませられるなどの問題ともなっている。 | |
ムートンブーツ | アイテム | 2007年頃より流行したブーツ。表面はスエードで起毛処理された革(ムートン)を使用し、内側にファーが施されているブーツで、長さは従来のロングブーツと比較するとふくらはぎ丈ほどしかないもの。「シープスキンブーツ」とも呼ばれる。元はアグ・オーストラリアが発売するアグブーツと呼ばれるものがこのデザインの原点であり、サーフィンをする者が足先を冷やさぬように施されたブーツで、2006年ころロサンゼルスで流行しサーフ系セレブファッションとして日本に伝わった。なお、日本では本物のムートンが使用されていなくても形状のみでムートンブーツと呼称される傾向がある。春先までブーツとして、特にブーツの履き口を折って中のムートン部を外に露出して使用することもできる2通りの使い方が出来るとして定番化しつつある。 | |
カラータイツ | アイテム | 2007 - 2008年に流行。ショートパンツが定番アイテムとなった結果、前年度にはレギンスやタイツと組み合わせてコーディネイトする女性が増えたが、翌年にはタイツのカラー版が登場した。さまざまな色やデニールの太さ細さによって透け感の演出など服飾のアクセントとして取り入れることが出来たため流行した。前述のムートンブーツと合わせやすかったのも人気の理由となっていた。 | |
ブーティー | アイテム | 2007年秋頃より流行。日本では1990年代中盤より10年以上もロングブーツが定番化してしまっていたために、当時ブーティーはかなり画期的かつ斬新なアイテムであり、同年夏から流行の兆しがあると予測されながらも当初はこれを新しいファッションアイテムとして使いこなせる女性が少なかった。形状はブーツを踝かアキレス腱辺りで切ったような形状をしており、ショートブーツに位置付けられる。これも前述のカラータイツの登場や、ミニスカートからショートパンツへボトムのファッションが切り替わったことによる「美脚化」の流れであった。次第にブーティーとの組み合わせが考えられた結果、翌年以降からも定番化した。 |
主なブランド
- ALBA ROSA(アルバローザ)
- かつてのギャルのカリスマブランド。ロゴにハイビスカスの花を用いている。宮下美恵がギャルのアイコンとなり、大流行[26]
- COCOLULU(ココルル)
- 現役のギャルのカリスマブランド。サーフ系を中心としている。かつて丸井に入っていたが、すでに閉鎖をし渋谷109に入っている。2004年頃には後ろにCOCOLULUのロゴが付いてあるジーンズが流行り、「ケツルル」と呼ばれた。
- BLUE MOON BLUE(ブルームーンブルー)
- 109やALTAなどに入っているサーフ系のカリスマブランド。ハイビスカスの花を用いたTシャツやパーカーなどが多い。
かつて丸井に入っていたが、北千住マルイは2012年2月をもって閉鎖をし、すでに丸井から姿を消した。
- ROXY(ロキシー)
- かつて渋谷109にも入っていたサーフ系ショップ。こちらも宮下美恵がギャルのアイコンとなり、大流行丸井のフィールドで取り扱ったり、渋谷109には2003年、4月にBLUE MOON BLUE(ブルームーンブルー)のサーフ系ショップがオープンをした関係で、ROXY(ロキシー)のショップは渋谷109から撤退となった。
- EGOIST(エゴイスト)
- 1999年に渋谷109にオープンをしたカリスマブランド。
- JSG(ジェイエスジー)
- 最近になって渋谷109にオープンをしたカリスマブランド。ハデ色パーカーやネコの耳がフードについたパーカーなどを取り扱っている。渋谷109以外には大宮アルシェに入っている。
- マープルQ
- 渋谷109内に入っているカリスマブランド。ハデ色パーカーやハデ色Tシャツなどを取り扱っている。
ギャルのメイク
ギャルになるための最低限の法則として、以下の手法が挙げられる。
- アイメイク
- 髪盛り
- ファッション
ファッションに関しては前述までのギャルの派生や系統で紹介したために割愛するが、上記のアイメイク、髪盛りはギャルファッションを行う上で必須といっても過言ではない[27]。ギャルメイクの手法は年代別に変化をしている。1990年代のギャルのメイクは2010年代に比べると比較的ナチュラルなメイクが流行し、1980年代のバブル期のメイクに比べるとパーツ毎に極端な色を表現するような(※:例、真っ赤な口紅やいかにも書いたような濃いブローなど)メイクが廃れ、ベージュ系など比較的柔らかい色のメイクが主流となった。また、チークを使用したりして肌のコントラストを表現して立体的に見せるメイクが多くなり、あるいはマスカラで目の大きさを強調したり、眉毛を形状を加工し、目元のシャープさを印象付けるものが多くなった[28]。
2000年代に入ると、化粧品が驚異的に進化を遂げ、また、ギャルなどの若年層が好む安価な化粧品もドラッグストアやコンビニエンスストアで販売されるようになる。また、資生堂なども大手ブランドも若年者向けレーベルが販売されるようになり、代表的なレーベルにマジョリカマジョルカなどが挙げられる。また、ギャル文化において、小悪魔agehaのようにメイクとヘアスタイルに突出したファッション雑誌の登場は必要不可欠なものであり、それまでにも各ギャル雑誌にてメイクの手法が取り上げられてはいたものの、キャバクラ嬢のメイクやヘアスタイルがクチコミ的に注目されていたのも相まって、このような雑誌の登場は自明の理であったとも言える。現在のギャルメイクはアイメイクに8割の時間と労力が掛けられているといわれる。これは1990年代のギャルの頃から「目で落とす(男を落とす)」というのもキーワードになっていたためでもあり、それから発展した現在のアイメイクは肌のコンディションも自在に操れる高等な技術といっても過言ではない[29]。
ギャルのヘアスタイル
ギャルのヘアスタイルも時代と共に大きな変化を見せた。コギャルブームの1990年代ではストレートヘアに茶髪が流行し、その後金髪が目立った。中でもメッシュと呼ばれる部分的な脱色が1999年頃に隆盛したが、2000年にはいってから次第に巻き髪のギャルが増え始めた。また、頭髪を金髪に見せる技術もこの頃より進歩を見せ、それまでは単にブリーチと呼ばれる漂白剤を何度も髪になじませて頭髪の色素を落として金髪に見せていたが日本人の髪は脱色を繰り返しても黄味だけが残り黄色く仕上がってしまうため、脱色後にカラーリングとして青みがかったヘアカラーリング剤を含ませることによってより自然な金髪に見せる。こうしたヘアカラー技術が発達し、金髪だけでなく「ミルクティ色」など甘めな印象を与えるカラーリングも登場し、次第にヘアカラーが10代や20代には一般的となり、それに伴って市販品でも新商品が続々と発売された。
前述のギャルのメイクでも記した「小悪魔ageha」の影響はヘアスタイルでも大きく作用し、巻き髪、盛り髪という概念が登場する[30]。これは2000年頃より愛知県を中心に発祥した名古屋嬢が起因しており、他の地区よりも早くから中部圏では女性が巻き髪や盛り髪を行っており、特にロングヘアに太い縦巻きのカールがついたヘアスタイルを「名古屋巻き[31]」と呼ばれ、これがキャバクラ嬢にとって必須のヘアスタイルとなった。また、小悪魔agehaが創刊されるとそれらのヘアスタイルが日本全国に流行することになり、市販品でもカーリングトングやストレーナーなどのヘアーアイロンがさまざまなメーカーから販売されるようになり、女性の間でも特にギャルにとっては必須のアイテムとなっていった。 テンプレート:Multiple image テンプレート:Clear テンプレート:Fashion-stub
安カワブランド
安カワブランドとは、「安くて可愛いブランド(やすくてかわいいブランド)」の略称。ギャル系のファッションアイテムやメイク用品などを安価で販売している店や安価で可愛い商品そのものを指して単に「安カワ(やすカワ)」と呼ぶ場合もある。
- 渋谷のギャル系や渋谷系のファッションビル
- 東京都渋谷区の渋谷駅ハチ公口前の地域に大小様々な店が集中している。主なエリアは、渋谷駅ハチ公口前の西側へ伸びる「渋谷マークシティ(京王井の頭線)」から時計回りに、道玄坂、百軒店、文化村通り(東急百貨店本店・Bunkamura前)、渋谷センター街、スペイン坂、井ノ頭通り、渋谷公園通り、北側へ伸びる「JR線(山手線)」手前のファイヤー通り(渋谷消防署前)あたりまで。
- J Machree
- ファッションビル。渋谷店は渋谷センター街奥にある。
- Jam Pixy
- ファッションビル。渋谷店は宮益坂の渋谷郵便局横にある。
- ドン・キホーテ
- ディスカウントストア。メイク用品や雑貨を扱う。略称は「ドンキ」、渋谷店は東急百貨店本店前にある。
- ユニクロ
- ファストファッション店。渋谷店は「渋谷駅中央口店」「道玄坂店」「スペイン坂店」の3店舗がある。
- ユザワヤ
- 手芸や工芸用品の専門店。ネイルアートやデコレーション携帯電話(デコ携帯)の素材などを扱う。渋谷店は渋谷BEAM内。
- マツモトキヨシ
- ドラッグストア。略称は「マツキヨ」、渋谷店は道玄坂下に「渋谷Part1店」「渋谷Part2店」の2店舗がある。薬局だが、メイク用品や美容関連商品などを扱う。
- しまむら
- ファストファッション店。この店を好む顧客層は「しまラー」と呼ばれる。
- ハニーズ
- ファストファッション店。この店はイトーヨーカドーやイオンやダイエーやLIVINなどの大型スーパーやショッピングモールなどに入っている。別名では、ハニークラブやクロスオーバーなどの名前で出している店舗もある。亀戸アトレや新宿のサブナードはハニークラブの名前で店舗を出していて、オリナス錦糸町店ではクロスオーバーの名前で店舗を出している。ここでも、安カワのギャル服や雑貨などを取り扱っている。
ギャルがよく行くショップビル
ギャル系や渋谷系のファッションを扱う大型のファッションビル。ファッション雑誌やマスメディアなどで取り上げられるブランドが多く出店しており、カリスマ店員などの特集が組まれることもある。
- 109
- 渋谷店は2店舗。道玄坂にある「SHIBUYA 109(しぶや・いちまるきゅー)」は通称「まるきゅー」。渋谷駅ハチ公口前にある「109-2(いちまるきゅー・つー)」は通称「きゅーつー」。
- 丸井
- 渋谷店は2店舗。神南一丁目の交差点を挟んで、渋谷駅側が「マルイジャム」、渋谷神南郵便局側が「マルイシティ」。
- パルコ
- 渋谷店は2店舗。渋谷公園通り前の「PARCO part1」と、その裏手の「PARCO part3」。「PARCO part2」は2007年に閉鎖。
- その他
主なギャル系雑誌
ギャル系や渋谷系のファッションを扱うファッション雑誌を挙げる。なお、記載順は月刊誌として定期刊行が開始された創刊年度に従った。詳細は各誌の項目を参照のこと。[32]
発刊中
- popteen
- 1980年に角川書店が創刊。ティーンエイジャーの女性向けファッション雑誌の先駆け的な存在。1990年代の「女子高生ブーム」に合わせ、編集方針を大幅に変更して現在に至っている。
- S Cawaii!
- 2000年に主婦の友社が創刊。同社の「Cawaii!」よりも高い年齢層を対象にした。
- Ranzuki
- 2000年にぶんか社が創刊。
- BLENDA
- 2003年に角川春樹事務所が創刊。
- GISELe
- 2005年に主婦の友社が創刊。
- 美人百花
- 2005年に角川春樹事務所が創刊。
- JELLY
- 2006年にぶんか社が創刊。
- ES POSHH!
- 2006年にリイド社が創刊。同社の「Ego system」の後継。
休刊
- Cawaii!
- 1996年に主婦の友社が創刊。2009年に休刊。
- Ego system
- 2004年にリイド社が創刊。2006年に休刊。
- Hana*chu
- 2002年に主婦の友社が「Cawaii!」の妹系の雑誌として創刊し、2003年に月発売として創刊、こちらはナルミヤインターナショナルのジュニア系ブランドを卒業しギャル系或いは109系ブランドを取り扱った雑誌でもある。2011年4月をもって休刊した。
- 小悪魔ageha
- Happie Nuts
- Happie Nutsは2004年、小悪魔agehaは2006年に共にインフォレストが創刊した。Happie Nutsは黒ギャルがメインのギャル雑誌で、小悪魔agehaは「age嬢」以降のギャル系ファッションに大きな影響を与えた雑誌であった。2014年4月15日に負債総額30億円を計上して事業停止となった為、これらの雑誌も休刊となった。
- egg
- 1995年に大洋図書が創刊。素人の読者モデルを積極的に採用し、スタジオ撮影ではなく渋谷の街中でスナップ撮影したポラロイドやプリクラの写真を多用するなど、「コギャル」以降のギャル系ファッションに大きな影響を与えた。1999年にはギャル男系雑誌「Men's egg」も姉妹誌として創刊した。読者の一人で、後に「小悪魔ageha」編集長となった中条寿子は当時の衝撃を「10代の頃いきなり出てきて(創刊されて)あれだけ売れた。(eggは)私にとって神様みたいな存在」だったと述べている。[33]2014年5月31日の7月号をもって休刊した。
関連人物
脚注
参考文献
- 西田善太 編集 「GIRL'S CULTURE-ギャルが日本を救う!?-」『BRUTUS』5月1日号、マガジンハウス、2009年。
- テンプレート:Citenews
関連項目
ギャル・ファッション
- アムラー
- ギャル男
- ギャル語
- ギャル文字
- ギャルサー
- ギャルサー (テレビドラマ) - 2006年に日本テレビで放映されたテレビドラマ。「エンゼルハート」という架空のギャルサーが登場する。
- 可愛い(かわいい、Kawaii) - エロかわいい - キモかわいい - ブスかわいい
- GALS! - 藤井みほなの少女漫画。連載された1999年から2002年までの当時のギャル文化やギャルファッションに傾倒する主人公達が描かれている。
- ギャルル - 藤田志穂がプロデュースしたギャル系アイドルグループ。ぁみみ、そねね、あべべで構成。初代リーダーはつじじ。
- ギャルカフェ
- ファストファッション
- ファッションモデル
- ファッション雑誌
- ブランド
- 盛り髪
地域・ショップビル
イベント・団体・番組
- 渋谷ガールズコレクション
- 東京ガールズコレクション
- 日本ギャルママ協会
- 東京カワイイ★TV (NHK 放送)
- 渋谷ギャル部 - 渋谷系ギャルファッションの読者モデル「SJK」によるトーク番組(ストリーミング放送)。テンプレート:Link GA