JR西日本207系電車

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テンプレート:鉄道車両 207系電車(207けいでんしゃ)は1991年平成3年)に登場した西日本旅客鉄道(JR西日本)の直流通勤形電車[1]

概要

JR西日本が民営化後に初めて設計した通勤形電車で、川崎重工業近畿車輛日立製作所・JR西日本後藤総合車両所で製造された。主回路制御にはJR西日本が導入した車両で初めてVVVFインバータ(0番台のみチョッパ制御併用)が採用され、最高速度は登場当時の通勤形では初の 120 km/h[2]対応となった。製造当初から、地下鉄対策(後述)や半自動ドア機能や耐雪ブレーキといった寒冷地対策が施されており、JR西日本アーバンネットワークの直流電化区域全域での使用が可能となっている。2009年まで東日本旅客鉄道(JR東日本)にも同方式で地下鉄対応車の207系900番台が運用されていたが、これとは無関係である。当系列の量産先行車は1から付番されているため、車両番号の重複は発生していない。

元々は片町線福知山線を短絡する片福連絡線(現在のJR東西線)が地下線で新設されたため、その乗り入れを念頭に旧来の通勤型主力車103系を駆逐すべく設計・導入された車両であったが、その後各線での共通運用や旧型車の置き換えのため、JR西日本の標準形通勤車両として広く導入・増備された。10年以上にわたって484両が製造され、車体は全車ほぼ共通のものを持つものの、駆動・制御系その他機器類は製造年次によって多くの点で異なっている。また、高速運用時の蛇行を防止する台車のヨーダンパが途中から追加装備されるようになり、当初準備工事だけであった初期車にも拡大装備されて、2003年までに取り付けが完了した。2004年までに強化型スカート(排障器)がすべての編成に設置されている。

207系の製造は2003年度で終了し、2005年度からは321系に移行している。JR福知山線脱線事故以降、実際に運用されているのは477両である。

構造

車体

JRの通勤形電車としては標準的な、片側4箇所に客用ドアを設けた 20 m 車体を有する。構体の材質は1988年阪和線用として投入された205系1000番台に続いてビード加工軽量オールステンレス構体で前頭部の前面は普通鋼製、側面および屋根面は FRP 製となっている。在来の通勤形電車が車体幅 2800 mm だったのに対し、本系列は定員増を狙った近郊形電車に見られるような 2950 mm のワイドボディが国鉄・JRで初めて採用された点が特徴である。

前面は中央に非常用貫通扉が設けられた半円筒形状で、中央が膨らんでおり、横から見ると扇型に見える形状で、事故時の衝撃吸収の役割を持たせて厚めに造られている。前照灯尾灯は四角型のものが横に合計4灯並べられている。

妻面には、妻壁外面に設置された消火器を車内に取り込む経路として、また非常時の換気用の開口面積を確保する目的で大型の一枚下降窓が備わっている。このため、車両間同士を繋ぐ客用貫通路が中央からJR神戸線走行時で北寄りにオフセット設置されており、左右非対称になっている。また、妻面壁の上部に通気孔が設けられている。

転落防止幌は2002年の2000番台の1次製造分から装備するようになり、2006年より非装備車への追加設置が始まっており、その後 S18 編成をのぞいた全編成に設置された。2003年の2000番台2次製造分から緊急列車停止装置(EB装置)を装備するようになり、2003年より非装備車への追加設置が始まった。

車体塗色

側面窓下には、JR西日本のコーポレートカラーと東海道本線・山陽本線(JR神戸・京都線)のラインカラーを表す濃淡ブルーと、境目に白色が入った帯を巻いていたが、2005年度に後継系列の321系と同様の[3]窓周りと窓下に紺色、窓下に上からオレンジ・白・紺の計4本の帯を巻くものに変更された。JRマークはない。

なお、これによって優先座席に名称変更後、窓へのステッカー表示になってからシールによって隠してあった戸袋部のシルバーシートマークが完全に撤去されている。

種別・行き先表示器

種別・行先表示器221系で採用した方式と同じ回転幕式と発光ダイオード (LED) 式との併用である。回転幕は列車の種別・線区、LED は行き先を表示している。221系にある号車番号表示は省略された。


主要機器

JR西日本初の VVVF 制御装置搭載形式である。製造期間が約10年の長期にわたっているため、製造時期により、例えば VVVF インバータの制御素子ゲートターンオフサイリスタ (GTO) 、絶縁ゲートバイポーラトランジスタ (IGBT) など差異がある。

パンタグラフはJR東西線内の剛体架線区間での離線対策で、下枠交差式の WPS27 形をクモハ207形およびモハ207形1両あたり2基搭載する。JR東西線以外では第1パンタグラフのみを上げて走行し、尼崎駅京橋駅で第2パンタグラフの昇降を行っている。

駆動装置は国鉄・JRを通して在来線電車としては初のWNドライブが採用された。JR西日本の新系列車両にはこの207系以降から一部の例外[4]をのぞいてWNドライブを標準採用するようになった。

屋根上機器は221系を踏襲した集約分散式冷房装置2基を全車に搭載している。

車内

テンプレート:Side box 客用ドアの室内側は化粧板仕上げで、室内照明である蛍光灯にはカバーが設置されているなど、国鉄時代の車輌よりソフトな印象になっている。座席は従来より座面高さ、奥行き、クッションの最適化を図り、座り心地改善が図られている。腰掛表地は従来のナイロンモケット地を使用し風合いと耐久性に配慮している。運転開始当初の座席は青色のモケットを採用していたが、福知山線列車脱線事故の遺族に配慮して、2010年4月19日から緑色の座席へと交換が順次進められている[5]

また、腰掛両サイドには、仕切りを兼ねた肘掛袖パネルを設置、仕切りパイプを高い位置まで伸ばすことで、立ち客への握り棒を兼ねている。国鉄時代にはスタンションポールを設けていたが、関西圏の私鉄の多くが、スタンションポールを設けず、車内見附を重視していたことから、周辺私鉄への対抗のほか、快速運用も考慮して長時間乗車に対応した車内設備としている。一部編成には、7人掛けの励行を促すべくバケットシートが試験導入された[6]。また、1993年3月以降に製造された車両は、座席が片持ち式となっている。

そのほか、側扉には半自動ドアスイッチを設け、夏季および冬季での車内温度維持のため閑散区間で使用されている。半自動ドアスイッチは、車内側は開閉可能であるが、車外側は開のみとし、安全性に考慮している。2010年に入り、車内のドア開閉ボタンが取り換えられている。

側窓は、空調効率や防音効果、冬季の結露防止のため複層ガラスの固定窓が採用された。その結果、緊急時に必要とされる換気量が側窓から確保出来なくなり、開閉可能な大型妻面窓が設けられた。これにより妻面の貫通扉が偏心している。大型化した妻面窓により、連結車両間の見通しが良くなるとともに、この車両のインテリアの特徴ともなった。

またバリアフリーへの対応として、ドア付近へのつり革設置およびドアチャイムが設置されている。ドアチャイムは、ドアの開閉ごとに4打点のチャイムが1回鳴動し、1000番台以前は閉扉時に、2000番台は開閉扉の両方が鳴動する。207系よりも後に製造された223系以降の同社の新型車両にも付けられている。また、ドア上部に LED 式の車内案内表示装置が千鳥配置で1両あたり計4か所設置されている。停車駅の案内のほか、広告媒体としても使用される。車椅子スペースは、2000番台のみ車端部に設置されている。

一部の編成では定期的に盲導鈴が鳴動しており、2009年度内をめどに枕木方向につり革を追加している。テンプレート:要出典範囲2011年10月19日から、本系列と321系の吊り手が225系仕様のものに順次交換および増設が行われている[7]

運転設備

運転台マスコン1989年の221系の設計を受け継いだ横軸ツインレバー型である。力行ノッチ6段、常用ブレーキ8段は、後継の321系と共にJR西日本の電車として最大である。2000番台をのぞき、圧力計などの各計器類はデジタル表示となっている。運転台右横に設置された液晶モニタ装置では、車両の様々な状態を一度に監視したり、空調等の各設定を行うことが可能で、運転・車掌業務をサポートしている。JR西日本の新系列車両にはこの207系以降から一部の例外をのぞいてミュージックホーンを標準装備するようになった。

改造

1997年3月に開業したJR東西線へ直通するため、既に製造されていた298両については、次のような改造が施工された[8]

  • 1000番台の先頭車両に、ATS-P車上装置の取り付け(JR東西線はいわゆるフルP区間で、ATS-P 未搭載の車両は走行できないため)
  • 0番台の全車両に1パンタ・2パンタの切換機能の追加
  • 1000番台の1パンタ取り付け車を2パンタ化
  • 0番台のM車の加速度を1000番台と同一化
  • 1000番台車両を0番台へ組み込み(#500+1500番台を参照)
  • 0番台のすべて先頭車に自動解結装置取り付け
  • 0番台全車両に耐寒耐雪仕様を整備

系列別概説

形式

クモハ207形 (Mc)
パンタグラフ、静止型インバータ(1000番台)、車両制御装置(2000番台)を有する京都・京田辺向きの制御電動車。モハ207形に運転台を取り付けた構造を持つ。1000・2000番台のみ存在。なお、2009年時点では3両編成のクモハ207形は和田岬線以外、営業運転で先頭に立つことはない[9]
モハ207形
0番台・1000番台・2000番台 (M1)
パンタグラフ、空気圧縮機、静止型インバータ(0・1000番台)、車両制御装置(2000番台)、補助電源装置を有する中間電動車。0番台は単独またはモハ206形とユニットを組み、500番台はモハ207形1500番台とユニットを組み、1000・2000番台は単独で使用される。
1500番台 (M2)
モハ207形500番台とユニットを組んで使用される中間電動車。他のモハ207形と異なりパンタグラフが撤去されている。
モハ206形 (M2)
モハ207形0番台からパンタグラフ、空気圧縮機、補助電源装置を省略した構造の中間電動車で、モハ207形0番台とユニットを組んで使用される。
クハ207形 (Tc)
京都・京田辺向きの制御車。0番台のみに存在する。当初から電気連結器を装備して製造された車両は100台の番号が付されたが、のちに試作編成以外の0台の車両にも追加装備され、結果的に番号による差はなくなっている。また、1000・2000番台は当該位置にクモハ207形が連結されるため存在しない。
クハ206形 (T'c)
西明石・新三田向きの制御車。0番台は試作編成の1両のみで、すべてのZ編成・H編成は100番台が連結されている。2000番台では4位側(連結面南側)に車椅子スペースが設置され、同部分の窓には手すりが取り付けられている。
サハ207形 (T)
付随車で、0番台は試作編成内の2両のみ在籍する。1000番台・2000番台では全編成に1両ずつ連結されている。また、1000番台T1 - T14編成のサハ207形は、製造当初は6両編成に連結されていたため、供給のために空気圧縮機が搭載された1100番台となっている。

「ユニット」とは隣り合う電動車同士で別々の機器を搭載し、2両で1組の機構とする方式。それまでの車両は2両は検査などがない限り切り離されなかったが、207系は機器を集約することでモハ207形またはクモハ207形単独での使用も可能な設計にされている。

  • 2011年4月1日現在の編成図

以下の表で「- #xxx」とあるのは、「xxx番台」の意味である(例:「クモハ207 - #1000」→「クモハ207 1000番台」)。また、背景色がテンプレート:Color黄緑の車両は女性専用車である。

番台 編成番号 テンプレート:TrainDirection
0番台 F1 クハ207
-1
(Tc)
モハ207
-1
(M1)
モハ206
-1
(M2)
サハ207
-1
(T)
サハ207
-2
(T)
モハ207
-2
(M1)
クハ206
-1
(T'c)
Z1 - Z15 クハ207
-#0
(Tc)
モハ207
-#0
(M1)
モハ206
-#0
(M2)
クハ206
-#100
(T'c)
 
H1 - H16 クハ207
-#100
(Tc)
モハ207
-#500
(M1)
モハ207
-#1500
(M2)
クハ206
-#100
(T'c)
 
Z17 - Z23 クハ207
-#100
(Tc)
モハ207
-#0
(M1)
モハ206
-#0
(M2)
クハ206
-#100
(T'c)
 
1000番台 T1 - T14 クモハ207
-#1000
(Mc)
サハ207
-#1100
(T1)
モハ207
-#1000
(M)
クハ206
-#1000
(T'c)
 
T15 - T19 クモハ207
-#1000
(Mc)
サハ207
-#1000
(T)
モハ207
-#1000
(M)
クハ206
-#1000
(T'c)
 
S1 - S55 クモハ207
-#1000
(Mc)
サハ207
-#1000
(T)
クハ206
-#1000
(T'c)
 
2000番台 T20 - T30 クモハ207
-#2000
(Mc)
サハ207
-#2000
(T)
モハ207
-#2000
(M)
クハ206
-#2000
(T'c)
 
S56 - S67 クモハ207
-#2000
(Mc)
サハ207
-#2000
(T)
クハ206
-#2000
(T'c)
 

編成の組み替え

1991年1月
207系の試作車として7両固定編成を1編成製造。淀川電車区(現・網干総合車両所明石支所淀川派出所、以下同じ)に配置し、1991年4月30日から片町線(学研都市線)松井山手駅 - 片町駅間で運用を開始した[10]
1991年12月
量産車として4両編成と3両編成が淀川電車区に配置され、片町線(学研都市線)全線で運用を開始。当時、松井山手駅 - 木津駅間は4両対応であったため、7両編成は松井山手駅で増解結が行われていた。
1993年3月
新たに宮原電車区(現・網干総合車両所宮原支所、以下同じ)にも4両編成が配置され、1993年3月18日から福知山線(JR宝塚線)で運用を開始[11]。淀川電車区にも4両編成が増備された。
1994年3月
1994年以降の車両は1000番台に移行した。吹田工場高槻派出所(現・網干総合車両所明石支所高槻派出所、以下同じ)に2両編成と6両編成を新たに配置して1994年3月1日から運用を開始した[12]。これにより、明石電車区の103系を置き換え、本線系統の普通から103系が運用を撤退した。日中は6両編成で、ラッシュ時は8両編成で運転されたが、運用開始から約1か月間は一部の駅でホームの延長が間に合わず、モハ207を抜くことにより7両編成で運転を行った。
1995年3月
宮原電車区に1000番台3両編成と4両編成が増備された。同年4月20日ダイヤ改正では、JR宝塚線での運用範囲が篠山口駅まで拡大された[13]
1997年3月
JR東西線の開業に備えて、淀川電車区・宮原電車区に配置されていた車両が、すべて吹田工場高槻派出所に転属した。また、試作車である7両固定編成を除いて、雑多な編成を組み替えて3両・4両編成に統一された。この時に3両および4両編成と、モハ207-1500番台2両の増備も行われた。
2002年3月
2002年以降の車両は、2000番台に移行した。片町線(学研都市線)の輸送改善によるダイヤ改正により207系の運用が増加するため、2000番台が増備された。2000番台は編成の組み替えは行われていない。
2011年7月
T18編成からモハ207-1032が外され、3両編成に減車された[14]
  • 207系 組成の変遷
テンプレート:TrainDirection
  • 1991年 -
クハ207
-#0
モハ207
-#0
モハ206
-#0
サハ207
-#0
サハ207
-#0
モハ207
-#0
クハ206
-#0
  • 1991年12月 -
クハ207
-#0
モハ207
-#0
モハ206
-#0
クハ206
-#100
クハ207
-#100
モハ207
-#0
クハ206
-#100
  • 1993年3月 -
クハ207
-#100
モハ207
-#0
モハ206
-#0
クハ206
-#100
  • 1994年3月 -
クモハ207
-#1000
クハ206
-#1000
クモハ207
-#1000
サハ207
-#1000
モハ207
-#1000
サハ207
-#1000
モハ207
-#1000
クハ206
-#1000
  • 1997年3月以降、組成変更した後の編成
クモハ207
-#1000
サハ207
-#1000
クハ206
-#1000
クモハ207
-#1000
サハ207
-#1000
モハ207
-#1000
クハ206
-#1000
クハ207
-#0
モハ207
-#0
モハ206
-#0
クハ206
-#0
クハ207
-#0
モハ207
-#500
モハ207
-#1500
クハ206
-#100

0番台

テンプレート:鉄道車両 テンプレート:Side box

ファイル:207kei Z8&F1 tukamoto.JPG
左が量産車右が試作車。      連結器を見ると試作車は電動連結器ではないことが分かる。

制御装置 (WPC1) は、GTOサイリスタの昇降圧チョッパ回路[15]+パワートランジスタ素子(PTr)による3レベルインバータで構成され、台車単位の制御を行っている。3ステップのインバータを搭載するJR東日本209系電車(910番台以外)や701系電車などによく似た音に加え、チョッパ制御特有の音を発する。

補助電源装置はトランジスタインバータで構成され、定格容量 122 kVA を備える WSC28 を、空気圧縮機にはレシプロ式の WMH3093-WTC2000A を搭載する[16]

主電動機は出力 155 kW の WMT100 を搭載する。

試作車

1991年(平成3年)に7両固定編成(当時はC1編成)として近畿車輛で3両、川崎重工業で4両が落成し、淀川電車区に新製配置された[17]

性能は量産車の項で記述する。

  • 試作車 編成表
編成番号 テンプレート:TrainDirection
F1 クハ207
-1
モハ207
-1
モハ206
-1
サハ207
-1
サハ207
-2
モハ207
-2
クハ206
-1

試作車であるが、国鉄の試作車の多くに付されていた「900番台」とはされておらず、量産先行車と呼ばれることもある。

当初は客用両開き扉のガラスにD字形の左右非対称の物が、丸みの無い側が左右で向かい合わせとなるように使用され、両者の間が窓周りが黒く塗装されて2枚が大型一枚窓風に見えるような工夫がなされていた[18]。運転台右横に設置されるモニタ装置がカラー表示ではなく、221系に準じた橙色の単色表示かつ非タッチパネル式で下部に10個のボタンがあった。運転台に南海電気鉄道30000系電車などに似た「デスク型」と呼ばれる独特な形状のマスコン・ブレーキハンドルが採用されたなどの試作編成のみの独特な装備を有していたが、後に同年登場の量産車に合わせた標準化工事が行われ、他の編成と同じ仕様となっている。また、冷房装置は221系と同じ集約分散式の WAU701 が採用された点も異なる。

1本だけが在籍し、片町線(学研都市線)は2010年3月12日まで京田辺駅 - 木津駅間は4両対応であったことから、7両固定編成である本編成は東海道本線・山陽本線(JR京都・神戸線)で半ば限定的に運用(毎日同じ運用に充当される)されていた。よってJR東西線・学研都市線に入る運用には原則充当されなかったが、JR東西線開業当初と2005年4月26日 - 2006年3月17日の間の脱線事故による車両不足時には松井山手駅までの運用に限って充当されたことがあった。

後継車の321系がある程度出揃った2006年3月18日のダイヤ改正より、321系と共通運用されるようになり、JR京都・神戸線主体の運用に戻ったが、2008年3月15日のダイヤ改正で321系のJR東西線・学研都市線(京橋駅 - 松井山手駅間)での運用が開始されたのに伴い、再度JR東西線・学研都市線でも運用されるようになり、学研都市線内のみの運用も復活している。その後、2011年3月12日のダイヤ改正より、207系と共通運用されている[19]

運用時に他編成を連結することがないので、電気連結器は装備しておらず、電気連結器用ケーブルの干渉が考慮されていないことからスカートの鉄板面積が他編成より大きくなっている。

7両固定編成ではあるが弱冷車は1・4号車に設定されていたが、2012年3月ダイヤ改正以降は通常の7両固定編成と同様に1・2号車に設定された。

量産車

学研都市線の103系の置き換えとして1991年から製造が始まったグループ。このグループからは4両編成および3両編成での製造となり、日立製作所が製造に加わっている。1993年には福知山線(JR宝塚線)にも新造投入され、JR東西線開業後は直通運転により東海道本線・山陽本線(JR京都・神戸線)でも使用されている。試作車が1からの番号を付されているので、2(モハ207形は3)以降の車体番号が与えられている。

計140両が製造された。所属車庫は淀川電車区・宮原運転所から吹田工場高槻派出所を経て、2000年までに全列車が網干総合車両所に変更された。現在は編成番号の変更が行われ、4両編成はZ編成、3両編成はS編成と称する。0番台量産車のみで組成された4両編成はZ編成として23編成在籍したが、クハ207-17以下4両のZ16編成(1992年・日立製作所製)はJR福知山線脱線事故で初の廃車となり、2010年時点では22編成が使用されている。

製造開始当時、4両編成のクハ206形と、3両編成のクハ207形およびクハ206形は自動解結装置・電気連結器を装備して100番台として区分されていたが、JR東西線開業前に4両編成のクハ207形 (2 - 17) にも同装備が追加されたため、仕様差はなくなった。また、当初3両編成で製造された編成はJR東西線開業前に後述の1500番台組み込み改造が行われ、すべて4両編成となっている。

製造当初、JR東西線開業前に同線以外の区間でもパンタグラフを2基使用していたことがあったが、2009年時点では他の番台同様、JR東西線区間のみの使用となっている。冷房装置は集約分散式のWAU702を1両につき2基搭載している。

1次車
1991年12月から1992年2月にかけて、4両編成16本と3両編成13本の計103両(B1 - B16・A1 - A13編成)が落成し、全編成が淀川電車区に配置された[17]
2次車
1993年2月から3月にかけて、4両編成7本と3両編成3本の計37両(B17 - B19・V1 - V4・A14 - A16編成)が落成し、B・A編成が淀川電車区に、V編成が宮原電車区に配置された[17]
V編成は、宮原運転所に所属していた福知山線用のカナリア色103系の置き換えにも充てられ、4両編成8本32両あった103系のうち、4本16両が玉突きで広島運転所へ転属している。このグループから仕様が若干変更され、下部が空洞の片持ち式座席となるとともに、4両編成のクハ207形も100番台で製造 (133 - 139) された。

1000番台

テンプレート:鉄道車両 テンプレート:Side box

JR東西線の開業を前に東海道本線・山陽本線(JR京都・神戸線)の103系の置き換え、および1997年のJR東西線開業にあわせての車両投入を目的として1994年から製造されたグループで、1994年3月1日から営業運転を開始した[20]

このグループから電動車ユニット方式が廃止され、同時に0番台には存在しなかったクモハ形式が設定され、一部の車両が後藤総合車両所で製造された(S54・S55編成)。0番台では電動車両に走行機器を集中搭載していたが、本番台では、クモハ形式設定による床下機器設置スペースの都合から電動車両(クモハ207形・モハ207形)には、VVVF 制御装置・補助電源装置を搭載し、付随車(サハ207形・クハ206形)の一部に空気圧縮機などの補機類を搭載する[21]

制御装置 (WPC3A) には、パワートランジスタ素子の VVVF インバータ制御装置を搭載した0番台とは異なり、東芝製の GTO サイリスタ素子が採用され、1台のインバータで1基のモーターを駆動する個別制御とした。この制御装置は281系223系0番台でも採用された。元々耐電圧の高いGTOを高周波スイッチングで使うことにより、2ステップ回路ながら独特な柔らかい音を発するが音自体は0番台より大きくなっている。

補助電源装置はGTOチョッパ+IGBTインバータで構成され、定格容量 122 kVA を備える WSC31 を、空気圧縮機には0番台と同様のレシプロ式 WMH3093-WTC2000A を搭載する[16]

急勾配の多いJR東西線に対応するため、主電動機は出力 200 kW の WMT102 、3次車および4次車は出力 220 kW の WMT104 にパワーアップしている。運転台パネルの計器配置も変更された。冷房装置は集約分散式の WAU702B を1両につき2基搭載している。角に丸いカバーが追加された点が外観上の変更点となっている。

集電装置は、耐寒・耐雪性能に配慮し、耐雪用カバーと架線追従性向上を目的としたダンパー取り付けが施された WPS27D 下枠交差式パンタグラフを電動車両に1基搭載する[22]。ただし、2基搭載できるように準備工事が施されており、1997年のJR東西線開通に合わせて2基搭載に変更された。

当初は基本6両編成と付属2両編成がそれぞれ14本ずつ112両製造され、吹田工場高槻派出所に配置されて6両または8両編成で使用されていた。この時のみ、1100番台の番号が付された、空気圧縮機を搭載したサハ207形が製造されている。JR東西線開業前に組み替えと追加製造が行われ、T編成4両×19編成計76両とS編成3両×55編成計165両となっている。この時、片側(加古川・篠山口側)にしか設置されていなかったパンタグラフが、0番台と同じ2個設置に変更された。その後、0番台同様に全車網干総合車両所に移管されている。

クモハ207-1033以下3両のS18編成(1995年・近畿車輛製)は福知山線脱線事故の時に連結されていたことから、兵庫県警が押収し保留車となっているため、2010年時点で1000番台S編成は54編成162両が営業運転に使われている。

弱冷車は0番台の量産車以降はクハ206形のみに設定されていたが、2012年3月ダイヤ改正以降は3両編成(S編成)のクハ206形とサハ207形に設定された。 テンプレート:-

500+1500番台

テンプレート:Side box

1996年(平成8年)に改造で誕生した、0番台3両と1000番台1両で混結の4両編成を組成したグループ。JR東西線開業に備えて全編成基本4両+付属3両に統一されることとなり、付属3両編成に1000番台が集中的に起用されたため(0番台は出力が若干低いために0番台の 1M2T の付属3両編成を残すと、単独で東西線を走らせた場合に急勾配区間で立ち往生する可能性があった)に発生した。制御装置は種車のものがほぼそのまま使われたため、電動車は同一編成でありながら走行音が異なる。機器等については上2項目を参照。

1000番台6+2両編成が4+3両編成に組み換えられた際に余ったモハ207形1000番台が、0番台3両編成に挿入されるという方法で登場した。共にパンタグラフを持つモハ207形0番台とモハ207形1000番台が連結されることとなり、保守費用低減のためユニット化されて1500番台のパンタグラフは撤去された。0番台の3両編成に対し、モハの1000番台が2両不足したため、2両(モハ207-1534・1535)が製造時からの1500番台車両として製造された。これら2両は当初からパンタグラフを持たないものの、屋根上にはほかの1500番台と同様のパンタグラフ用の配管が設けられている。

車両番号は元番号+500となっている。500番台+1500番台を組み込む4両編成はH編成として16編成が在籍する。 テンプレート:-

2000番台

テンプレート:鉄道車両 テンプレート:Side box 片町線(学研都市線)の輸送改善を目的とし、2002年から製造されたグループである。車両外観には大きな変化は見られないが、機器艤装は基本的に223系2000番台をベースとしている。

電動車両(クモハ207形・モハ207形)には、車両制御装置[23]を搭載し、付随車(サハ207形・クハ206形)に空気圧縮機などの補機類を搭載する。

車両制御装置 (WPC13) は、IGBT 素子を使用した3レベル電圧形 PWM インバータである。1基の装置中にインバータを5基(主回路部4基+補助電源部1基)搭載し、主回路部はインバータ1基で1台の主電動機を制御する 1C1M 制御方式を採用している。補助電源部は三相交流 440 V 、150 kVA の容量を有しており、主回路部と同じく IGBT を用いた2レベル電圧形 PWM インバータを CVCF 制御し、補助電源部が故障した際には主回路用インバータを CVCF 制御することで補助電源のバックアップとしている。

主電動機も同車のものと同型のWMT102Bを搭載している。電動空気圧縮機 (CP) は従来のレシプロ式から除湿装置一体型の低騒音型スクリュー式 (WMH3098-WRC1600) に変更された。のちに登場する225系や287系にも採用されている。台車も軸バネ部が乾式円筒案内式とされたWDT62(電動車両)、WTR239B(付随車)となった。

それまでのグループは運転台パネルにデジタル計器が使用されていたが、このグループはコスト削減や、乗務員から日光が当たると表示が見にくくなるという苦情があったために、旧来のアナログ計器が搭載された。また、0番台や1000番台と異なり、ドアが開く際もドアチャイムがなるように改良されている。また、落成時からATS-P保安装置を搭載している。

T編成4両×11編成44両とS編成3両×12編成36両が在籍。編成番号は1000番台の続番となっている。

1次車
東海道本線・福知山線(JR京都・宝塚線)の103系置き換えと車両増備のため、2002年に製造された。転落防止幌が製造時から設置されたほか、2000番台のみ車端部に車いすスペースを設置している。また、クモハ207形の戸袋部分に機器冷却のための風洞が設けられ、通風グリルが空けられている点が他番台との識別点となっている。
2次車
JR宝塚線で日中運行する普通列車を全面的に207系化するために2003年から製造された。1次車からの変更点として緊急列車停止装置(EB装置)の装備と、窓ガラスに緑がかった UV カットガラスが採用された。2次車の製造により東海道本線・山陽本線・福知山線(JR京都・神戸・宝塚線)から103系の運用が終了している(福知山線脱線事故後の代走をのぞく)。これらの増備を最後に207系の製造は終了した。

テンプレート:-

本系列を用いた試験

2010年12月17日に山陽本線(JR神戸線)舞子駅で旅客が列車の先頭車同士の連結部から転落し、列車にはねられ死亡する事故が発生した。この事故の対策で、一部の車種をのぞき本系列を含めた全車種で、先頭車同士を連結した部分の前照灯を終日点灯させる取り組みを2011年5月1日から始めたが[24]、ハード面での対策として207系1編成(3両+4両)の先頭車に転落防止カバーを取り付け、試行を行っている[25]。転落防止カバーは前照灯の下に合計4か所取り付けられ、約半年間効果を検証するとしている。

転落防止カバーの取り付けに合わせて音声警報装置も取り付けられた。

福知山線脱線事故による影響

ファイル:Jrw207 newcolor.jpg
帯色変更過渡期の207系2000番台
(2005年12月10日 住道駅)

テンプレート:See also 2005年4月25日の午前9時18分頃、福知山線(JR宝塚線)尼崎駅 - 塚口駅間で宝塚同志社前行上り快速5418M(7両編成)が右カーブで7両中5両が脱線し、うち先頭2両が進行方向左側の線路沿いにあるマンション1階に激突、大破する事故が起きた。

事故にあった7両は、Z16編成(4両)とS18編成(3両)である。2編成は、Z16編成を先頭に途中の京田辺駅まで併結して運転した後、京田辺駅でS18編成を切り離し、Z16編成のみの4両が同志社前駅まで向かう予定だった。7両のうち、Z16編成の先頭車がマンション1階の立体駐車場に横転した状態で突っ込み、前から2両目が横転した状態でマンション1階側壁に衝突、この2両は原形が全く残らないほどに大破した。3両目、4両目もすべての台車が脱線し、車体が歪むほどの衝撃を受けている。後方に連結されたS18編成も、クハ206-1033とサハ207-1019の塚口寄りの台車以外の全てが脱線した。

  テンプレート:TrainDirection
編成表
車両 クハ207
-17
モハ207
-31
モハ206
-17
クハ206
-129
クモハ207
-1033
サハ207
-1019
クハ206
-1033
編成番号 Z16編成 S18編成

脱線した車両のうちZ16編成の4両については事故当日に車籍を抹消され、鉄道線復旧時に事故現場で解体された。S18編成は塚口駅へ人力で回送された後、DD51の牽引で宮原総合運転所に搬入され、4両目がぶつかったため前面が破損していたクモハ207-1033にはブルーシートが掛けられた。この3両は重要証拠として兵庫県警に押収され、県警の施設で前4両の台車などと共に保管された。

鉄道書籍によると、これら3両は警察の指示で返却または除籍許可が出るまでは車籍抹消ができないため車籍こそあるものの[26][27]、車両が破損していること、事故の証拠として今後の裁判に使用される可能性があること、また事故を風化させない目的から、JR西日本では警察から返却され次第廃車とし、大阪府吹田市にある社員研修センター敷地内の鉄道安全考動館に保存する予定とされている。そして、2011年2月2日に神戸地方検察庁は保管していた同編成を同年2月1日付でJR西日本に返還し姫路市内に保管されている。

この7両が使用不能となったことにより森ノ宮電車区から103系が貸出され、さらに予備車確保のためにJR東日本から103系8両を購入し、代走車とした。その後は、207系を補充するのではなく、321系を予定より3編成21両多く投入し、湖西線運用に入っていた207系を捻出して車両不足を補った。

さらに、「事故を思い起こさせるような色を見たくない」という遺族や被害者の感情に配慮するためか[28]207系全車両の帯色が、当時製造途中だった321系と共に紺色とオレンジ色の帯に変更することとなった[29]。変更は2005年11月25日より始まり、2006年3月15日までに警察に押収され車籍の残る保留車3両以外の全車両が変更された。また2010年4月13日には、座席の色を青色から緑色に変更するという報道があり、順次座席の交換が進められている[5]

そのほか、脱線事故後に207系に搭載されていた非常管(自動空気ブレーキの原理を利用し、ホースが破裂するか乗務員室にある非常管スイッチを入れると非常ブレーキが作動する装置)のホースが交換期限を過ぎても取り替えられていないことが一部で報道された。そのため一斉に207系全車両において非常管の点検作業が行われた。

車両配置と運用線区

2011年10月1日現在、全車両が網干総合車両所に所属し、明石支所に配置されている[30]。2011年3月12日現在の定期運用は次の通り[31]和歌山県をのぞく近畿5府県で運転されている。

このほか、和田岬線では103系の代走として同線で運転したり[32]2002年8月31日には赤穂線相生駅 - 播州赤穂駅間でも臨時列車として運用された[33]

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

テンプレート:Sister

テンプレート:JR西日本の車両リスト
  1. データで見るJR西日本 - 西日本旅客鉄道 p.118
  2. 同時期に登場した、JR東日本209系電車が最高 110 km/h 。それ以前の国鉄形式は 100 km/h である。
  3. 321系も当初は本系列と同じデザインの帯で製造される予定だったが落成前に変更されている
  4. 営業用車両では223系5000番台N700系3000番台グリーン車が該当。
  5. 5.0 5.1 「事故思い出し、つらい」 JR座席を青から緑に - 神戸新聞 2010年4月13日
  6. その後、321系で本格的に採用されることになったが、座り心地を重視した6人掛けとなり、その導入目的とその形状は全く異なる。
  7. 在来線列車に「新しい吊り手」を導入します - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年10月18日
  8. 『新世紀へ走る JR西日本10年のあゆみ』西日本旅客鉄道
  9. 7両編成時は常に中間に連結され、2010年3月12日まで実施されていた京田辺駅での増解結時でも移動することなく別の4両編成と連結していたため。
  10. 『JR電車編成表 '92冬号』ジェー・アール・アール、1992年。ISBN 4-88283-016-7。
  11. 『JR電車編成表 '93夏号』ジェー・アール・アール、1993年。ISBN 4-88283-019-1。
  12. 『JR電車編成表 '94夏号』ジェー・アール・アール、1994年。ISBN 4-88283-021-3。
  13. 『鉄道ファン』1995年7月号、交友社、1995年、p.38
  14. 207系T18編成が3両編成に - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2011年7月25日
  15. パワートランジスタは耐圧・耐電流容量が低いため
  16. 16.0 16.1 『鉄道ファン』1996年4月号、交友社、1996年、p.64
  17. 17.0 17.1 17.2 『鉄道ファン』1996年4月号、交友社、1996年、p.63。
  18. D字形のガラスをやめた理由は、丸みがない隅に埃がたまりやすかったため。
  19. 直通快速運用に207系F1編成 - 『鉄道ファン』交友社 eailf.jp鉄道ニュース 2011年6月16日
  20. 『JR気動車客車編成表 '94年版』ジェー・アール・アール、1994年。ISBN 4-88283-115-5。
  21. 『鉄道ファン』1996年4月号、交友社、1996年、p.47
  22. 『鉄道ファン』1996年4月号、交友社、1996年、pp.44 - 45
  23. 主回路用インバータ(VVVF 制御装置)と補助電源用インバータ (SIV) を一体化したもの
  24. 転結部の前照灯を点灯 ホーム転落防止へ JR西日本 - 神戸新聞 2011年5月29日
  25. JR連結部に転落防止カバー 死亡事故受け導入 - 神戸新聞 2011年8月2日
  26. 『JR電車編成表』'06冬号 ジェー・アール・アール・『鉄道ファン』2006年7月号 交友社
  27. 『鉄道ファン』2008年7月号では未だに後ろ3両の車籍は残されており、クハ206-1033は保留車と表記されている。
  28. 各種報道ではそのように伝えられたが、JR西日本は公式な帯色変更の理由説明は一切していない。
  29. 「207系」電車塗色デザインの変更インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年8月29日
  30. 『JR電車編成表 2012冬』交通新聞社、2011年、ISBN 978-4-330-25611-5。
  31. 『鉄道ダイヤ情報』2011年6月号、交通新聞社。
  32. 和田岬線に207系が入線 - 『鉄道ファン交友社 railf.jp鉄道ニュース 2011年8月7日
  33. 兵庫県立赤穂海浜公園で開催された「モーニング娘。 CONCERT2002夏 “LOVE IS ALIVE”」の来場客輸送を目的とした臨時列車(一部は岡山 - 相生間直通の定期列車を播州赤穂駅で系統分割)として運行。