豊後国

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テンプレート:Pathnav テンプレート:基礎情報 令制国 豊後国(ぶんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。

沿革

7世紀末に、とよのくに、とよくに)を分割して、豊前国とともに設けられた。豊後は、平安時代まで和名で「とよくにのみちのしり」と読んだ。

豊後国風土記』は、全国で5つだけのほぼ完全な形で残る風土記の1つである。

国内の施設

国府

国府は大分郡にあった。現在の大分市古国府と推定されるが、遺跡はまだ見つかっていない。

国分寺・国分尼寺

豊後国分寺
現在の金光明寺(大分県大分市国分)。

神社

延喜式内社
延喜式神名帳』には、以下に示す大社1座1社・小社5座4社の計6座5社が記載されている。大社1社は、名神大社ではない。
総社一宮

二宮以下は不詳である。

安国寺利生塔

地域

特記した以外は『豊後国風土記』での表記による。

江戸時代の藩

人物

国司

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守護

鎌倉幕府

室町幕府

戦国時代

戦国大名

豊臣政権の大名

  • 大友義鎮大友義統:豊後1国。1587年 - 1593年(22代当主大友義統が改易される)
  • 中川秀成:豊後岡城7万石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、所領安堵。豊後岡藩初代藩主なる)
  • 太田一吉:豊後臼杵6万5千石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易)
  • 福原長堯:豊後府内12万石→6万石。1597年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、自刃)
  • 早川長政:豊後府内→杵築2万石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易)
  • 毛利高政:豊後国内2万石。1595年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、豊後佐伯藩2万石に移封)
  • 垣見一直:豊後富来2万石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、大垣城にて殺害される)
  • 熊谷直盛:豊後安岐1万5千石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、大垣城にて殺害される)
  • 竹中重利:豊後高田1万3千石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、豊後府内藩2万石に移封)
  • 木村清久:豊後国内1万石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易)

武家官位としての豊後守

江戸時代以前

江戸時代

豊後国の合戦

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 和名類聚抄』での表記。
  2. 2.0 2.1 近世の表記。

関連項目

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