三木顕綱

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三木 顕綱(みつき あきつな、天文14年(1545年)? - 天正11年(1583年))は戦国時代の武将である。姉小路頼綱の弟。豊後守と称す。

飛騨の小豪族、鍋山氏の養子となり鍋山城を領した。 後に義父である鍋山安室を毒殺、義母と安室の実子を追放し、鍋山氏を名実共に乗っ取った。 貪欲で兄と折り合いが悪かったという。このため1583年、兄に謀反の嫌疑をかけられて、放たれた刺客(荒川甚平)に妻と共に殺された(飛騨国治乱記ほか)。