揖斐藩
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揖斐藩(いびはん)は、美濃国(現在の岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪)に存在した藩。居城は揖斐城[1]。
藩史
西尾光教は斎藤氏、織田氏、豊臣氏に仕えて曽根に2万石を領していた。関ヶ原の戦いで光教は西軍の大谷吉継の制止を振り切って徳川家康に与したため、怒った吉継によって曽根は焼き払われた。その後、光教は岐阜城・大垣城攻撃などで戦功を挙げたため、1万石を加増されて曽根城から揖斐に移って3万石を領する大名となり、ここに揖斐藩が成立した。元和元年(1615年)の大坂夏の陣においても徳川方に与して戦功を挙げたが、同年11月19日、駿府にて73歳で死去。光教には嗣子が無く、甥の西尾嘉教が後を継いで藩主となった。このとき、嘉教は信長から拝領していた「唐絵茄子」の掛軸を家康に献上して、家督相続を認めてもらったとも言われている。なお、光教の養子である西尾氏教は大野・加茂両郡において5000石を分与された。
しかし元和9年(1623年)4月2日、嘉教は嗣子無くして34歳で死去。ここに揖斐藩は無嗣断絶となり、廃藩となった。
歴代藩主
西尾(にしお)家
外様。3万石→2万5000石。