豆腐
テンプレート:Redirectlist テンプレート:栄養価 豆腐(とうふ)は、大豆の搾り汁(豆乳)を凝固剤(にがり、その他)によって固めた加工食品である。
東アジアと東南アジアの広範な地域で古くから食され続けている大豆加工食品であり、とりわけ中国本土(奥地を含む)、日本、朝鮮半島、台湾、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、インドネシアなどでは日常的に食べられている。加工法や調理法は各国ごとに異なるが、このうち日本の豆腐は白く柔らかい食感を持つ「日本独特の食品」[1]として発達した。
名称
豆腐
『腐』という漢字は本来「納屋の中で肉を熟成させる」という字義から転じて、柔らかく弾力性があるものを意味するものであったが、日本では食品に「腐る」という字を用いることを嫌って、豆富や豆冨などと記すこともある(日本の豆腐は発酵していない。中国には豆腐を発酵させた腐乳や臭豆腐もある)。また、豆腐を好んだ日本の作家・泉鏡花は、極端な潔癖症でもあったことから豆府と表記した。
ときに俗説で「本来は豆を腐らせた(発酵させた)ものが『豆腐』、型に納めたものが『納豆』であったが、両者が取り違えられた」と名称の由来が語られることがあるが、これは明らかな間違いである。豆腐は中国から伝来した可能性の高い食品[2]であり、中国でもこの名前で呼ばれているのに対して、納豆は日本独自の言葉であり、取り違えられることはあり得ない。納豆の名称の由来については「納豆#名称」を参照のこと。
tofu
アメリカ合衆国やイギリスを始めとする英語圏のほか、ドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏等々、世界の様々な言語圏で、"tofu" (ドイツ語では "Tofu")が単語として定着している。なお、英語表記ではtofuのほかsoybean curdも用いられる[3]。
歴史と調理法
中国
豆腐は紀元前2世紀前漢時代の淮南王で優れた学者でもあった劉安にちなむ中国伝来の食品であるという説(16世紀に編纂された『本草綱目』による説)[2][1][4]がある。しかし、この説の真偽については明らかでなく[5]、前漢に原料の大豆はなかったとも言われる[2]。
豆腐の起源は8世紀から9世紀にかけての唐代中期に持つともいわれている[3][4]。実際、6世紀の農書『斉民要術』には豆腐の記述が見当たらず、宋代に入って『清異録』が「豆腐」の初見であるとされる[4]。
中国では伝統的には豆腐は生で食べるのではなく発酵豆腐などとして食べていたとされる[1]。また、中国の伝統的な豆腐は日本の豆腐よりも堅いとされるが、これは油による調理法が多かったため水分が少ないほうが都合がよかったためとされる[1]。
豆腐は南宋末期にかけて一般に普及し、明朝や清朝の時代になると豆腐の加工品も盛んに作られるようになった[1]。
今日、中国南部や香港・台湾では、滑らかな豆腐を冷やしてシロップを掛け、アズキやフルーツをトッピングして食べるデザートがあり、豆花と呼ぶ。
日本
現在の日本の豆腐は柔らかくて淡白な食感を特徴とする[1]独特の物で、これに対する中国や韓国の豆腐は炒めたり揚げたりして調理されることが多かったため、日本の豆腐に比べると水分が少なく堅いものとなっている[1]。
一般に豆腐は中国から日本へ伝えられたとされるが、空海によるという説、鎌倉時代の帰化僧によるとする説もあるなど様々な説がありはっきりとしていない[6][1]。ゆばやこんにゃくなどとともに鎌倉時代に伝来したとみる説もある[1]。ただ、1183年(寿永2年)の奈良・春日神社の供物帖の中に「唐府」という記述がある[7][3][4]。
鎌倉時代末期ごろには民間へ伝わり、室町時代には日本各地へ広がった。そして江戸時代には良く食べる通常の料理となったとされる[3][1]。この江戸時代の豆腐は、今日でいう木綿豆腐のみであった[3]。
天明2年(1782年)に刊行された『豆腐百珍』には、100種類の豆腐料理が記述されており、また様々な文学でも親しまれてきた。当時より、豆腐は行商販売もされており、前述の豆腐百珍は大きな人気を得て一般的な料理であった。行商の豆腐屋はラッパや鐘を鳴らしながら売り歩いていた。関東地方では、明治時代初期に乗合馬車や鉄道馬車の御者が危険防止のために鳴らしていたものを、ある豆腐屋が「音が”トーフ”と聞こえる」ことに気づき、ラッパを吹きながら売り歩くことを始めたものである。その由来のようにラッパは「豆腐」の高低アクセントに合わせて2つの音高で「トーフー」と聞こえるように吹くことが多いが、地域や販売店によっても異なり、「トー」と「フー」が同じ音高の場合もある。2つの音高を使うラッパの場合、1つのリードで2つの音高が出る仕組みになっており、呼気と吸気で音高が変わる。スーパーなどが増えて歩き売りをする豆腐屋が減ったものの近年では昭和の頃のように地域に密着した商売をする人も出て来ており豆腐屋のラッパが復刻されている[8][9][10]。近畿地方では、豆腐屋はラッパではなく鐘(関東ではアイスクリーム屋が用いていた)を鳴らしていた[11]。
江戸において豆腐料理屋は評判であり、江戸で初めて絹ごし豆腐を売った「笹の雪」はいまだに続いている老舗店である。当時、豆腐の田楽は庶民に親しまれたものであり、豆腐を串に刺して焼き、赤みそを付けて食べる料理であった[12]。
近代工業が発達するに連れて豆腐の製造作業の機械化も進み、わずかの大豆から効率よく豆腐が大量生産できるようになって、より安価で提供されるようになっていった。柔らかいタイプの豆腐は昭和時代以前には[13]個人経営の豆腐屋で毎日作られ、動かすことで形が崩れることの無いよう、売る間際まで店頭の水槽の中に沈められているものであった。
現代日本でも豆腐は非常に一般的な食品であり、そのまま調味料をかけて食べられるほか、様々な料理に用いられている。冷奴や湯豆腐、味噌田楽などのように主要食材になるほか、汁物や鍋料理の具材、料理のベースになる食材として使われるなど用途は多彩になっている。
豆腐製法の特徴は次の通りである。まず、水につけて柔らかくした大豆を水と共に摩砕し煮出す。水とともに摩砕した大豆を呉(ご)という(加熱する前の呉を生呉、加熱した後の呉を煮呉という)。呉を搾って得られる液体が豆乳であるが、豆乳を作る際、あらかじめ加熱して煮呉を漉す製法を「煮搾り」、生呉のまま漉す製法を「生搾り」という(この場合には漉した後に煮詰めることになる)。搾った後の滓はおからと呼ばれる。
この豆乳がまだ熱いうちに凝固剤を加えると蛋白分子が後述するように網目状に繋がり、豆乳はプリン状に固まる。これを切り分けて水にさらしたものを絹ごし豆腐という。また、固まった豆乳を崩しながら、内側に布を敷いた穴開きの型容器に容れ、水分を抜くと木綿豆腐となる。さらに、豆乳をいったん冷やし、凝固剤といっしょにプラスチック容器に流し込んでから加熱して固めると充填豆腐となる。
水にさらさず直接容器にすくい上げたものは「寄せ豆腐」・「おぼろ豆腐」と言う。ほぼ同様の沖縄の伝統食品として「ゆし豆腐(ゆしどうふ)」がある。
堅豆腐(固豆腐)・五箇山豆腐など、非常に硬い豆腐があり、これは濃度の高い豆乳を使用したり、多めに凝固剤を使用したり、重石で脱水する事による。
欧米諸国
20世紀末期以降のアメリカを始めとする欧米諸国では、高カロリー・高脂質の動物性食品や嗜好食品を多く摂る不健康な食習慣への反省と健康的な食品への関心の高まりによる健康ブームに伴い、健康の視点から優れた食品と言える豆腐が注目を集め、食料品店で日常的に売られる食品となった(アメリカなどではブームの到来以前から一定の人気はあったものの、食料品店で日常的に売られるような食品ではなかった)。
種類
豆腐には、薄い豆乳を凝固させて圧搾・成形した種類のもの(例:木綿豆腐、ソフト豆腐)と、濃い豆乳全体を凝固させた種類のもの(例:絹ごし豆腐、充てん豆腐)とがある[14]。
豆腐の一般的な分類
今日、豆腐は木綿豆腐、ソフト豆腐、絹ごし豆腐、充填豆腐の4種に大別される[3]。
- 木綿豆腐
- 豆乳に凝固剤を加えて凝固させ穴の開いた木綿豆腐用の型箱に布を敷いて流し込み圧搾・成形した豆腐[14]。表面に布目が付くことからこの名がある[14]。普通豆腐ともいう[15]。英語表記はregular tofu[15]。
- 絹ごし豆腐
- 濃い豆乳全体を凝固剤で凝固し絹ごし用の型箱に流し込んでゲル状に固めて水にさらした豆腐[14][16]。笹の雪ともいう[5]。英語表記はKinugoshi-tofuあるいはtofu with whey[16]。吸水総量は原料大豆重量の5倍から6倍となる[14]。
- 充てん豆腐
- 濃い豆乳に凝固剤を加えて合成樹脂製の角型の容器に充填して摂氏約90度で40分から50分加熱し成形した上で冷却した豆腐[17][15]。英語表記はpakaged-tofu[15]。衛生的で保存性が高いのが特徴[5][15]。
堅豆腐
堅豆腐 / 固豆腐 (かたとうふ[18])は、現在の日本で一般的となっている製法と異なり、濃度の高い豆乳を使ったり、にがりの代わりに海水を使うなど、さまざまな方法を用いて保存できるようにした種類の豆腐のことで、なかには荒縄で縛って持ち運びできるほど堅いものもある。狭義では日本各地で昔ながらに作られ続けている堅豆腐のみを指すが、広義では、文字どおりに同種の堅い豆腐全般を指す総称となっている。
狭義の堅豆腐、すなわち、日本の堅豆腐は、そもそも日本で作られ始めた当時のものに近い[18]のであり、つまり、本来的には豆腐は堅豆腐、もしくは、それに似て非なる「堅い豆腐」であった。例えば江戸時代の浮世絵に描かれた豆腐もその多くは大きくしっかりとした長方体の堅豆腐である[18]。現代では流通の不便な豪雪地帯や山岳地域あるいは離島などだけで変わらず作られ続ける伝統製法となっている[18]。堅豆腐を作る地域としてしばしば例に挙げられる場所としては、加賀地方(石川県)の白山麓の一円の各所がその一つであり[18]、なかでも旧・石川郡白峰村(現・白山市白峰)の石豆腐や、富山県五箇山の岩豆腐はよく知られている[18]。これらの地では、肉類を食べるように堅豆腐が調理され、食べられている[18]。
- 水分を減らしたもの
- 濃い豆乳
- 海水利用
製法
原料
大豆
大豆は唯一の原料とも言えるものである[19]。まず第一に、タンパク質の含有分の高い事が求められ、香り、また遺伝子組み換えをしているか否かなどの安全面が考慮される事が多い。米国産が多いが、日本産の大豆も多く使用されている。
凝固剤
化学的には豆腐の凝固は豆乳の蛋白質が凝固剤によりゲル化することで起こる。したがって、豆腐は架橋された蛋白質の網目構造に多数の水分子を取り込んだ構造である(#凝固剤参照)。
大別するとマグネシウムイオンあるいはカルシウムイオンが蛋白側鎖のカルボキシル基を架橋してゲルを形成する場合(塩析)と、酸が蛋白質の高次構造を変える(変性)ことによりゲルを形成する場合(酸凝固)とがある。前者には凝固剤として硫酸カルシウム、塩化マグネシウム、塩化カルシウム、硫酸マグネシウム等が使用され、後者はグルコノデルタラクトンが使用される。グルコノデルタラクトンの徐々に酸(グルコン酸)へと変化する性質が利用されている。なお、グルコン酸はグルコースの有機酸なので安全性は高い。
大陸中国では石膏(硫酸カルシウム)を粉末とし水に溶いたものを凝固剤とするが、古来の日本の伝統的な製法では製塩の過程で生じるにがりが主に使われていた。日本でも硫酸カルシウムやグルコノデルタラクトンなどの凝固剤が多く使われていた時期があったが、近年は見かけなくなりつつある。また、中国や韓国でもこの製法を用いる工場がある。
一般的ににがりと呼ばれているものは、塩化マグネシウムが主成分で、古くは、塩田で海水から塩を作るときに、いっしょに抽出される副産物であった。また、塩を運搬する途中でにがり成分が分かれて梱包した俵に染み出すこともあり、海から遠い街道沿いではよく利用されていた。
現在では、工業化されて塩化マグネシウムの純度の高いものや、海外の岩塩採掘場で採取されたもの、あるいは国内外の工業的な製塩の過程で抽出されたものが多く、実際に塩田から取っているものは少ない。また一部豆腐製造業者の間では、凝固剤の総称として「にがり」の呼称を使っている場合もあり、注意が必要である。
第二次世界大戦前までは、このにがりを凝固剤に使用するのが主流であったが(一部では硫酸カルシウム[すましこ]も使われていた)、やがて統制品に指定されたため入手が困難となった。そこで同じように凝固反応を起こし、入手の容易な硫酸カルシウム(すましこ)への転換が進んでいった。硫酸カルシウムはにがりの主成分である塩化マグネシウムと比べて適正な凝固反応が起こるいわゆる凝固のストライクゾーンが広いため、保水性が高く肌理の細かい高品質な豆腐が、比較的容易に作りやすかった。そのため、戦後も機械化が進むにつれ、凝固材として使いやすい硫酸カルシウムへの転換が進んでいった。1980年代後半になって、にがりで作られた豆腐の味が見直され始め、最近ではスーパーマーケットなどで容易に塩化マグネシウムやにがりを使った豆腐が入手できるようになった。
水
おいしい豆腐の条件として水が挙げられる[20]。豆腐の約80~90%は水であり、また、豆腐の製造工程でのさらし水が良くなければ淡白な豆腐の味を損ねることになるためである[1]。
古典的な製法
江戸時代の日本では、落語の題材になったり、『豆腐百珍』のような料理本まで出るほど、広く庶民の食べ物となっていた豆腐は、比較的加工の度合いも低く、経験さえ積めば誰にでも容易に製造できたため、大正時代から昭和時代の第二次世界大戦前にかけては、一つの町内に一軒ずつ製造業者が存在するほどであった。辺鄙な田舎であることを表すのに「酒屋へ三里 豆腐屋へ二里」という狂歌[21]もある。また、味噌などと同様に、各集落で共同で作られることもしばしばあった。
まず原料の大豆を、一夜(12時間ほど)真水に漬けておく。翌朝、十分に漬けあがった大豆を適度に水を加えながら石臼でクリーム状に磨り潰す、このクリーム状に磨り潰された大豆のことを「呉」と呼ぶ。次に呉をお釜に移し、適度に水を加えて濃度を調整し薪にて炊き上げる。この時、呉はサポニンの作用で激しく泡立つため、消泡剤として食用油に石灰を加えたものを適度に振りかける。十分に炊き上がった呉を、布で濾して豆乳を木桶に取る。この豆乳が冷えないうちに凝固剤としてにがりを適度に加え、櫂と呼ばれる木の板で撹拌する(にがりを打った以降の一連の作業を寄せと呼び、職人の技の見せ所である)。豆乳の濃度、温度、にがりの量、そして適度な「寄せ」がそろうと、豆乳は水と分離することなく固まり始め、やがておぼろ状、またはプリン状の豆腐となる。これを崩しながら内側に布を敷いた型の中に盛り込み、蓋をして重石を掛け、硬く水を切ると豆腐(木綿豆腐)となる[22]。
- 石臼
- 石臼で磨り潰されることにより、必要な蛋白分や糖分のみが液中に飛び出し、渋みの多い皮の部分はあまり細かくなることなく、おからとして排出されやすくなると言われている。工業化された製法では、グラインダーで豆を微細に削る。石臼を使うと、呉の焼け(酸化)が少なくなるとも言われている。
- お釜
- いわゆる地釜(五右衛門釜)である。直火で炊き上げるため、呉が非常に焦げ付きやすく、濃く粘度の高い呉を使って、現在のような高濃度の豆乳を作ることは、事実上不可能であった。大豆固形分濃度は推定7 - 8%であったと考えられる。現在は蒸気釜で炊き上げるため焦げることはなく、豆腐の場合10 - 13%の豆乳が一般的である。
- 消泡剤
- 呉を炊くと、大豆中のサポニンが激しく泡立つため、お釜から呉が容易に吹きこぼれてしまう。また泡立った呉から取った豆乳もメレンゲ状の泡に包まれてしまうので、まともににがりを打ち、寄せの作業をすることが出来ない。このため古くから豆腐製造業者においては、前記の消泡剤を使うのが一般的であった(『豆腐集説』 1872年[明治5年])。また消泡剤には乳化剤としての側面も持っていて、呉液を乳化させることにより大豆中の旨み成分(大豆油のアミノ酸等)を豆乳の中に引き出す重要な役割も担っている。他方、最近では無消泡剤仕様豆腐も注目を集めている。
- にがり、寄せ
- さまざまな寄せの方法があるが、典型的な例として、桶の中の豆乳をにがりと反応させながら、櫂で中心に「寄せる」作業を行う。この時、豆乳は、蛋白の分子がにがりに反応して水の分子を包みながら網の目状に繋がり始め、大きく見るとプリン状になり、豆腐となる。お釜で炊かれた豆乳は、前述の通り濃度が低いので、蛋白分子が繋がった網の目構造の網の目が粗いものとなる(濃度が高いと緻密な網となる)。このため水をその網に十分に捕らえることが出来ないので離水しやすく、木綿豆腐を作ると、水切れがよく非常に硬い豆腐が出来上がる。ゆえに、古来の豆腐というのは、このように非常に硬い木綿豆腐であったと考えられる。
またこの方法で作られた豆腐は、最近まで山間部や離島などに残っていた。1980年(昭和55年)前後の岐阜県の徳山村や根尾村などで、この古典的な製法が確認されている。最近では、山間部で、逆に濃度の濃い豆乳を使って作った硬い豆腐を土産物的に売っているが、これは近代的に作られた似て非なるものである。
現代日本の豆腐製造業
現代の日本における豆腐製造業者には、工場で大量生産する大手企業もあるが、中小企業や個人商店も非常に多い。これは、豆腐製造が微妙な技術を要することや、長期保存ができないなど、豆腐の特性が関係していると思われる[23]。
また、中小企業側は中小企業事業分野調整法により、大企業が進出しようとする場合、都道府県知事を通じて経済産業大臣に調整(進出計画の撤退、縮小)の申し出をすることができる[24][25]。そのため、当初大手メーカーは海外市場で販売を行っていた[24][25]。しかし、包装技術の向上(真空充填、チルドなど)により長期保存、大量輸送が可能となり、また流通構造が大きく変化した現在では牛乳販売店などの宅配網や、インターネット等を中心に販売している[24][25]。また、一部ではチルド製品を店頭販売している業者もある[26]。日本最大の製造業者は相模屋食料。
一方、中小企業を中心とする従来の店頭販売では、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの事業者の価格決定権が強く特売が当たり前になってしまい、特売が希望小売価格状態になってしまって経営を圧迫している。さらに、原料である大豆はそのほとんどをアメリカに依存しているが、原料である非遺伝子組み換え大豆生産量はアメリカにおける生産数の一割以下であり、遺伝子組み換え価格の約3倍の価格もする。また、アメリカのエネルギー安全保障政策でバイオ燃料作物への転作が進み急激な高騰や、包装等の資材の原油価格高騰[27]による原材料費高騰も経営を圧迫している。前述の影響もあり、2003年度の全国の豆腐業者は約14000軒だったが、9年後の2012年度には約9000軒まで減少している[28]。また、製造工程から出てくるおからは現在の法律上は産業廃棄物扱いであり、男前豆腐店の事件など不法投棄や処分費問題をかかえている。
豆腐の関連食品
豆腐の副産物
豆腐の二次加工品
- 焼き豆腐 :表面を焼いて、焼き目を付けたもの。
- 乾燥豆腐:豆腐を塩蔵乾燥、凍結乾燥したり、燻製で乾燥して保存性を高めた豆腐。
- 油揚げ :薄く切った豆腐を中心部まで火が通るように揚げたもの。
- 厚揚げ :厚く切った豆腐を揚げたもの。中が生の状態である事から「生揚げ」とも呼ぶ。
- がんもどき :豆腐を崩して野菜を混ぜあわせて成形し油で揚げた加工品。
- 滝川豆腐:裏ごしした豆腐や豆乳を寒天で固め、細長く突いたもの。素麺のようにつゆに漬けて食べる。
- 腐乳
- 豆腐よう
- 豆腐羹 :醤油や味噌などで煮しめた豆腐を熟成させたもの。豆腐ようや腐乳に類似する日本の発酵食品で、同名の中華料理とは異なる。
- 臭豆腐
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豆腐を模した食品
食品のなかには大豆とにがりを使用していなくても柔らかく豆腐状の物があり、「かわり豆腐」などと呼ばれる。
日本国外の豆腐
フィリピンには「タホ (taho) 」と呼ばれる菓子があり、水分の多い温かい豆腐(プリン状の豆乳)にタピオカと黒蜜をまぶして食べる。現地では朝食前にタホを食べる習慣があり、毎朝、天秤を担いだ「タホ売り」が家々を回る。この際、フィリピンのタホ売りは、かつての日本の豆腐の行商と同様にラッパを吹き鳴らして合図をする。
また、チェコのプラハでは、牛乳の代わりに豆乳を使って作ったチーズを "tofu" として売っている。プレーンタイプのほか、燻製タイプなど数種が、スーパーマーケットのチーズ売場で見られる。
豆腐料理
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種類
冷奴など生で食されることも多いが、調理される料理も非常に多い。
- 一般料理
豆腐を具材の一つとする一般料理は多い。豆腐をメインの具材とした料理もある。
- 湯豆腐
- 味噌汁
- 味噌田楽・木の芽田楽
- 豆腐の味噌漬け
- 揚げ出し豆腐
- 擬製豆腐
- 炒り豆腐(煎り豆腐)
- 豆腐ハンバーグ
- すき焼き
- 卯の花
- 夫婦炊き :豆腐(主に焼き豆腐)と油揚げの煮物。
- 空也豆腐 :豆腐入りの茶碗蒸し。「空也蒸し」とも言う。
- 郷土料理
- 外国料理
- 豆腐百珍
日本で江戸時代に著された『豆腐百珍』には、その名のとおり100種類の豆腐料理が紹介されている。 テンプレート:See also
- 甘露豆腐
- 埋豆腐 :味噌汁かけご飯。
- 榧の揚げ豆腐
- 真のうどん豆腐
- 再び田楽
豆腐の調理法
切り方
豆腐は、冷奴や湯豆腐などでは奴切り、味噌汁や吸い物などでは賽の目切りや色紙切りなどに調理される[29]。
水切り
豆腐を揚げたり、焼いたり、炒めたりする場合など豆腐料理の種類に応じて水切りが必要となる場合がある[29]。
栄養
植物性蛋白質が豊富。カロリーは比較的低いため、健康的な食品としてアメリカやヨーロッパなどでも食材として使われるようになっている。製法工程上、食物繊維の多くは製造過程で滓として分けられるおからのほうに含まれるため、豆腐は、大豆の加工品でありながら食物繊維の含有量は少ない。
絹ごし豆腐100g中には、水分89.4g、蛋白質5.0g、脂質3.3g、糖質1.7gが含まれ、58kcalのカロリーがあると言われている[30]。脂肪エネルギー比は51.7%であり、原料となる乾燥大豆の38.6%を上回る。
文化
慣用句
とても柔らかいものの例として用いられている。
- 豆腐に鎹
- 木材をつなぎ止めるものである鉄製の鎹(かすがい)を軟らかい豆腐に打ち込もうとする様を表す、日本語慣用句で、「手応えが無い」という意味。類似表現に「糠に釘」「暖簾に腕押し」がある。
- 豆腐の角に頭をぶつけて死ね
- 古典落語の演目『穴どろ』に登場する罵倒の台詞に由来する。角の尖った四角い物とは言え、柔らかな豆腐の角に頭を打ち付けても死ぬようなことは不可能であるのに、真に受けて本当に豆腐に頭をぶつけて死のうとする、それほどに愚かな者だと嘲る言葉である。類似表現として「うどんで首吊って死ね」「自分の耳齧って死ね」が存在する。
伝説
日本には、豆腐あるいは豆腐売りをモチーフにした豆腐小僧という妖怪の伝説がある。
落語
日本において、庶民の日常食材として使われた豆腐は落語にも登場する。
- 酢豆腐
- 通人ぶった若旦那に、腐った豆腐を「酢豆腐」と称して言葉巧みに食わせてしまう。
- 釜泥
- 大盗賊・石川五右衛門が釜茹でで処刑された後、子分たちが「親分の仇」とばかりに方々の大釜を盗み出して壊すという暴挙に出る。2度も大釜を盗まれ、商売上がったりの豆腐屋は・・・。
その他
家畜の飼育者や動物園の一部は、餌として豆腐やおからを与えている。
文献
- 『沖縄シマ豆腐物語』2014 林真司 潮出版社 ISBN 978-4-267-01968-5
脚注
外部リンク
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