紀元前2世紀
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千年紀: | 紀元前1千年紀 |
世紀: | 紀元前3世紀 - 紀元前2世紀 - 紀元前1世紀 |
10年紀: | 紀元前190年代 紀元前180年代 紀元前170年代 紀元前160年代 紀元前150年代 紀元前140年代 紀元前130年代 紀元前120年代 紀元前110年代 紀元前100年代 |
紀元前2世紀(きげんぜんにせいき)とは、紀元前200年から紀元前101年までの100年間を指す。
目次
できごと
東アジア
- 紀元前200年 - 匈奴の冒頓単于が前漢の劉邦を破る。
- 紀元前195年 - 前漢で恵帝が即位(- 紀元前188年)。呂后の専横が始まる。
- 紀元前195年 - 燕の衛満が箕子朝鮮を滅ぼし、衛氏朝鮮を建てる。(-108年)
- 紀元前180年 - 前漢で呂后死去。呂氏一族が誅殺され、文帝が即位(- 紀元前157年)
- 紀元前157年 - 前漢で景帝が即位(- 紀元前141年)
- 紀元前154年 - 前漢で呉楚七国の乱。
- 紀元前141年 - 前漢で武帝が即位(- 紀元前87年)
- 紀元前139年 - 前漢の張騫が大月氏に派遣される。
- 紀元前136年 - 前漢は五経博士を置き儒教を重用する。
- 紀元前121年 - 河西の匈奴が前漢の霍去病に討たれる。
- 紀元前111年 - 前漢の武帝が南越を滅ぼす。
- 紀元前110年 - 前漢の武帝が泰山で封禅の儀を執行する。
- 紀元前108年 - 前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼし楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の漢四郡を設置する。
地中海世界
- 紀元前200 - 190年頃 - ヘレニズム時代の彫刻「サモトラケのニケ(ルーブル美術館蔵)」が作られたか。
- 紀元前192年 - 共和政ローマとセレウコス朝のアンティオコス3世が戦争(‐紀元前188年)。
- 紀元前190年 - バクトリアが西北インドに進出。
- 紀元前188年 - アパメアの和約。セレウコス朝、ヨーロッパから撤退する。
- 紀元前167年頃 - ユダ・マカバイがエルサレム神殿を回復。ハスモン王家によるユダヤ支配のはじまり。
- 紀元前150 - 100年頃 - ギリシアでアンティキティラ島の機械が製作される。現在確認できる世界最古の歯車式アナログコンピュータ。
- 紀元前148年 - ローマがマケドニアを属州にする。
- 紀元前146年 - 第3次ポエニ戦争によりカルタゴがローマに滅ぼされる。
- 紀元前146年 - コリントスの戦いによりコリントスがローマに滅ぼされる。ギリシア各都市は属州アカエアに編入される。
- 紀元前130 - 100年頃 - ヘレニズム時代の彫刻「ミロのヴィーナス(ルーブル美術館蔵)」が作られたか。
- 紀元前133年 - ローマでティベリウス・グラックスが護民官となる。
- 紀元前129年頃 - パルティアがクテシフォンを首都とする。
- 紀元前123年 - ローマでガイウス・グラックスが護民官となる。
- 紀元前113年 - キンブリ・テウトニ戦争(‐紀元前101年)
人物
地中海世界
共和政ローマ
カルタゴ・ヌミディア
- ハンニバル・バルカ(前247年 - 前183年) - カルタゴの政治家・将軍・第二次ポエニ戦争でローマを翻弄する
- マシニッサ(前238年 - 前148年) - ヌミディアの王(前202年 - 前148年)・第二次と第三次のポエニ戦争でローマに協力
- ユグルタ(前160年 - 前104年) - ヌミディア王(在位前118年 - 前106年)・マシニッサの孫・ユグルタ戦争でローマと戦う
ギリシアとヘレニズム諸国
- ナビス(? - 前192年) - 最後のスパルタ王(在位前206年 - 前192年)・スパルタの再興を目指すがアカイア同盟とローマに敗北
- アンティオコス3世(前241年 - 前187年) - セレウコス朝の王(在位前223年 - 前187年)・ローマ・シリア戦争で敗北
- エウメネス2世(? - 前159年) - アッタロス朝ペルガモンの王(前197年 - 在位前159年)・ペルガモンの大図書館を充実させる
- アンティオコス4世(前215年? - 前163年) - セレウコス朝の王(在位前175年 - 前163年)・マカバイ戦争を誘発
- ユダ・マカバイ(?- 前160年) - セレウコス朝支配下にあったユダヤでマカバイ戦争を指揮しハスモン朝の基礎を築く
- ペルセウス(前212年頃 - 前166年) - アンティゴノス朝マケドニア最後の王(在位前179年 - 前168年)・ピュドナの戦いで敗北
- ポリュビオス(前204年? - 前125年?) - ギリシアの歴史家で『歴史』の著者・ピュドナの戦いで捕虜となりローマに送られる
- ヒッパルコス(前190年頃 - 前120年頃) - ギリシアの天文学者・46星座を決定し視等級や歳差運動などの分野で業績を残す
- アレクサンドリアのヘロン(生没年不詳) - エジプトの工学者・数学者・クテシビオスの弟子か・「ヘロンの公式」や「ヘロンの噴水」で有名
- アッタロス3世(前170年頃 - 前133年) - アッタロス朝ペルガモンの最後の王(在位前138年 - 前133年)・ローマにペルガモンを遺贈
- ミトラダテス2世(前123年 - 前88年/87年) - アルサケス朝パルティアの王・クテシフォンに遷都し「諸王の王」と呼ばれる
中央アジア・インド
- デメトリオス1世(在位前200年頃 - 前180年頃) - ギリシア系バクトリア王国の国王・ガンダーラを制圧し最盛期をもたらす
- プシャヤミトラ(在位前180年頃 - 前144年頃) - インドの国王・マウリヤ朝を滅ぼしシュンガ朝を立てる
- パタンジャリ(生没年不詳) - インド(シュンガ朝時代)の文法学者・ヨーガ学派の重要文献である『ヨーガ・スートラ』の編纂者
- メナンドロス1世(在位前155年頃 - 前130年頃) - 西北インドのギリシア系王国の国王・仏典の『ミリンダ王の問い』でも有名
- ナーガセーナ(生没年不詳) - インドの仏教僧(比丘)・『ミリンダ王の問い』では王と問答し仏教に帰依させたと伝えられる
中国と周辺諸国
- 叔孫通(生没年不詳) - 前漢の儒者・博士・太常・高祖劉邦のもとで廃絶された儀礼を組織し儒教の振興に尽くす
- 衛満(生没年不詳) - 衛氏朝鮮の建国者・燕王盧綰が呂后政権を恐れ匈奴に出奔した後に朝鮮北部で自立する
- 利蒼(? - 前186年) - 前漢の政治家・長沙国の相をつとめ初代軑侯となる・発掘された馬王堆漢墓にその妻子と葬られていた
- 呂雉(? - 前180年) - 前漢の高祖劉邦の皇后・恵帝の母・劉邦の死後に政権を恣にし呂氏一族を登用する
- 冒頓単于(? - 前174年) - 匈奴の単于(在位前209年 - 前174年)・月氏や東胡を討ち国家統一・秦から前漢の中国を圧倒する
- 趙佗(? - 前137年) - 南越の初代王(武帝)(在位前203年 - 前137年)・楚漢戦争で独立・60余年在位で100余歳で逝去?
- 陳平(? - 前178年)- 前漢の政治家・丞相・呂雉没後に周勃らとともに政変を起こし呂氏一族を粛清した
- 周勃(? - 前169年) - 前漢の武将・丞相・呂雉没後に陳平らとともに政変を起こし呂氏一族を粛清した
- 劉濞(前215年 - 前154年) - 前漢の皇族・劉邦の甥で呉王となる・景帝時代に楚王劉戊らと呉楚七国の乱を起こす
- 文帝(前203年 - 前157年) - 前漢の第5代皇帝(在位前180年 - 前157年)・呂氏一族が誅滅された後に即位・「文景の治」を現出
- 河上公(生没年不詳) - 前漢の隠者・文帝に『老子』の注釈書である『老子道徳経章句』を開示したと伝わる
- 公孫弘(前200年 - 前121年) - 前漢の学者・丞相・武帝の治世を補佐する一方で主父偃や董仲舒を失脚させる
- 景帝(前188年 - 前141年) - 前漢の第6代皇帝(在位前156年 - 前141年)・諸侯への領土削減策から呉楚七国の乱を招く
- 鼂錯(? - 前154年) - 前漢の政治家・諸侯の勢力削減策を進め呉楚七国の乱を招く・反乱鎮圧のためと称して殺される
- 袁盎(生没年不詳) - 前漢の政治家・文帝から景帝に仕える・呉楚七国の乱に際し政敵であった鼂錯の処刑を進言する
- 周亜夫(? - 前143年) - 前漢の将軍・政治家・周勃の子・呉楚七国の乱を鎮圧したが景帝と不和になり餓死する
- 劉安(前179年 - 前122年) - 前漢の皇族・劉邦の孫で淮南王となる・『淮南子』の著者・武帝に叛意を疑われ自害
- 主父偃(生没年不詳) - 前漢の政治家・諸侯の領土を細分化する「推恩の令」を建策・諸侯に憎まれ武帝に誅殺される
- 司馬相如(前179年 - 前117年) - 前漢の文章家・武帝に仕え「天子游獵賦」など賦で知られる
- 董仲舒(前176年? - 前104年?) - 前漢の儒学者・五経博士の設置などでいわゆる儒教の官学化に貢献
- 劉勝(? - 前113年) - 前漢の皇族・武帝の庶兄で中山王(靖王)となる・埋葬した墓地から金縷玉衣が出土・蜀の劉備の遠祖
- 武帝(前156年 - 前87年) - 前漢の第7代皇帝(在位前141年 - 前87年)・匈奴に対する外征を行い西域に勢力を拡大
- 張騫(? - 前114年) - 前漢の政治家・外交官・武帝の命で匈奴に対する同盟のため大月氏へと赴き西域を踏破する
- 衛青(? - 前106年) - 前漢の武将・大将軍大司馬・甥の霍去病とともに匈奴征討に大きく貢献・姉の衛子夫は武帝の皇后
- 東方朔(前154年 - 前92年) - 前漢の政治家・文人・その滑稽と機知で武帝に愛された・死後は伝説化し仙人とされる
- 司馬遷(前145年 - 前87年) - 前漢の歴史家・『史記』の著者・武帝の前で李陵を弁護して怒りを買い宮刑に処せられる
- 霍去病(前140年 - 前117年) - 前漢の武将・大司馬・叔父の衛青とともに匈奴征討に大きく貢献・霍光は異母弟