ロサンゼルス

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テンプレート:Pathnav テンプレート:世界の市 ロサンゼルステンプレート:Lang-es-shortテンプレート:Lang-en-short)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州にある都市。同州最大の都市かつ全米有数の世界都市であり、国内ではニューヨークに次いで人口が多い[1]

概要

ロサンゼルスはロサンゼルス郡内にある。同郡には他にビバリーヒルズサンタモニカロングビーチなどが含まれる。郡の面積は12,308km²で、人口は約976万人。市内にはハリウッドザ・バレーなどがある。

ロサンゼルスを中心とする広域都市圏は、グレーター・ロサンゼルス・エリアあるいはグレーター・ロサンゼルス、またはサウスランド[2]などと呼ばれるが、単にロサンゼルスと呼ばれることもある。広域都市圏の範囲は、ロサンゼルス郡とオレンジ郡ディズニーランドで有名なアナハイムがある。人口約306万人)を合わせた2郡のみとする場合と、さらに周辺のリバーサイド郡サンバーナーディーノ郡ベンチュラ郡を合わせた計5郡を指す場合とがある。2郡の面積は12,562km²で、人口は約1292万人であり、5郡の面積は87,941km²で、人口は約1763万人である。ロサンゼルス都市圏は、日本の京阪神大都市圏(面積11,169km²、人口1864万人(2000年国勢調査))より小規模であるが、映画産業を初めとして世界への情報発信力が強い。ちなみに、2010年の近郊を含む都市的地域の人口は1,477万人であり、世界第14位、北米ではニューヨークに次ぐ第2位である[3]

ロサンゼルスに滞在(永住者と3ヶ月以上の長期滞在者)する日本人は、2003年10月1日時点で29,809人と、トップのニューヨーク(49,748人)に次いで2番目に多い。なお、2011年10月1日時点では、ロサンゼルス郡とオレンジ郡の合計で70,629人の在留日本人がいる[4]

2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第6位の都市と評価された[5]都市の経済規模 (GDP) では東京、ニューヨークに次いで世界第3位である[6]

ちなみに、アメリカ合衆国統計局の地域分担における「Los Angeles Region」には、上記5郡を含むカリフォルニア州南部の19郡およびハワイ州も含まれており、さらに2013年1月1日付で、カリフォルニア州北部、ネバダ州オレゴン州ワシントン州アイダホ州アラスカ州も含まれることになった[7]

名称

Los Angeles」という都市名は、スペイン語los ángeles、すなわち「天使」を意味するángel(アンヘル。男性名詞)の複数形ángeles男性複数定冠詞losを前置したものに由来する。英語直訳すると the angels である。

Los Angeles」の発音は、スペイン語では テンプレート:IPA-esサンヘレス)、アメリカ英語では テンプレート:IPA-enローサンジャラス)、イギリス英語では テンプレート:IPA-enサンジャリーズ)、フランス語では テンプレート:IPA-frロサンジュレース)のように発音する。日本語では、外務省など政府機関においては「ロサンゼルス」としているが、「ロサンジェルス」「ロスアンゼルス」「ロスアンジェルス」なども見られる。

略称は、英語とスペイン語ではLA(英語: テンプレート:IPA-en 、スペイン語: テンプレート:IPA-es )、日本語では「ロス」(Los) が用いられる。ただし、「los」はスペイン語の男性複数定冠詞であるためそれ自体は意味を持ち得ず、スペイン語、英語いずれでも「ロス」をロサンゼルスの略称として用いない。

19世紀中国語では音訳して「羅省枝利」(普通話ではLuóshěngzhīlì(ルオションヂィリー)と発音)と表記していたが、1894年にロサンゼルス在住の船橋義七という漢詩の得意な日本人が「羅府」(らふ)と省略して日本人社会で使用することを提唱した[8]1903年創刊の邦字新聞羅府新報』は、現在では全米最大の日本語新聞であり、「羅府」の認知度は依然として高い。なお現在の中国語では「洛杉磯(簡体字では洛杉矶)」(普通話ではLuòshānjī(ルオシャンヂー)と発音)と表記する。

歴史

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先住民の時代

もともとは沿岸部で、テンプレート:仮リンクテンプレート:仮リンクテンプレート:仮リンクテンプレート:仮リンクテンプレート:仮リンクなどのインディアン部族が豊富な漁猟資源を糧に漁猟採集生活を営んでいた。彼らはカヌーを使って周辺部族と交易し、貝殻の装飾品や滑石の器や彫刻を作り、魚の他にアシカカワウソクジラを狩った。

1542年、白人で初めてテンプレート:仮リンクが船でこの地を訪れ、トングヴァ族に歓迎された。この探検家はサンタカタリナ島で死去した。

スペイン人による征服とアメリカ領へ

テンプレート:Main 1769年から1771年に、スペイン人はこの地に「テンプレート:仮リンク」を建設した。1777年、スペイン人のテンプレート:仮リンク総督が一般市民の居住する村落 (civic pueblos) を計画した。1781年に、テンプレート:仮リンク ("townspeople") が現ロサンゼルス市ダウンタウンのオルベラ街あたりに小さな村落を建設した。一方、地名はそれ以前にこの地に踏み入れ、モンテレー湾を目指していたポルトラという男が、聖母マリアに因んでLos Angeles(ポルシンウラの天使達の女王)と名付けていたのを、そのまま利用したといわれる。

スペイン人はこの地に農場を作り始め、前述のインディアンたちを捕え、彼らをキリスト教に強制改宗させて十把一絡げに「テンプレート:仮リンク(伝道インディアン)」と名付け、農場労働や周辺部族の監督役に使役した。彼ら「ミッション・インディアン」は現在では、カリフォルニア独自のインディアン集団となっている。

1804年、スペイン領ヌエバ・エスパーニャテンプレート:仮リンクLas Californias1770年-1804年)が分割されアルタ・カリフォルニア (Alta California) になった。1821年にはメキシコ帝国が独立し、メキシコ帝国領となったが1年程でメキシコ合衆国に移行した。1848年アメリカ・メキシコ戦争1846年-1848年)中にジョン・C・フレモントテンプレート:仮リンクをきっかけに独立したカリフォルニア共和国 (California Republic) は、グアダルーペ・イダルゴ条約によりメキシコ割譲地(アリゾナ・ニューメキシコなど)とともにアメリカ合衆国領となった。1850年には市制が敷かれたが、当時の人口はまだ1610人であった。1853年ガズデン購入に際し、米墨国境線が確定した。

飛躍的発展

その後鉄道網の発達に伴って、とりわけ柑橘類を始め、野菜、穀物、牧畜などを東部に運び出すための集散地として北部のサンフランシスコと共に発展、同時にパサデナバーバンクサンタモニカなどの郊外都市も発展し、メトロポリス形成の基盤となる。しかしロサンゼルスが飛躍的に発展したのは20世紀に入ってからであり、様々な要因がある。1つ目は19世紀末の油田発見による石油化学工業の発達、2つ目は大戦中に急伸した航空機産業の発達、そして3つ目はハリウッドに代表される映画産業の発達が大きい。そして自動車交通の発展である。ロサンゼルス都市圏は非常に広域であるため、交通手段にマイカーは欠かせない。そのため、他の都市よりいち早くフリーウェイ高速道路)を整備し、10本以上の幹線が市街を網羅している。一方、市街交通手段として発達していたパシフィック電鉄などの路面電車は、1930年代から1960年代に次々と撤去され、世界的に例のないほどの自動車交通偏重の都市となった。そのため、1980年代大気汚染が深刻であったが、今日ではかなり改善されてきている。

こうして、市街地は急速に発展していった。しかし、一方で飲料水、工業用水の確保が急務となった。そこで1913年シエラネバダ山脈の東部を流れるオーエンズ川と市を結ぶ水路を建設、1936年には豊富な水量を持つコロラド川から水を供給し、この問題は解決された。

第二次世界大戦

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ダウンタウンのオフィス街
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サンセット大通りの看板(2001年)

第二次世界大戦中は日本軍の上陸や空襲に備えて対空砲や防空レーダー、防空シェルターの整備が行われ、さらには日本軍の上陸や空襲を恐れるあまり日系人の強制収容が行われたものの、ロサンゼルスへの日本軍の上陸や空襲を受けることはなかった。しかし開戦翌年の1942年にかけては、沿岸部において日本海軍潜水艦が活発な活動を行い、多くの艦艇が攻撃、撃沈されたほか、近郊のサンタバーバラの製油所が日本海軍艦艇の砲撃を受けた上に、「ロサンゼルスの戦い」のような悲劇も起きた。

なお、第二次世界大戦時を通じてロサンゼルスは軍事物資や原油の供給地として発展し、とりわけ地元に工場を構えるダグラス・エアクラフトロッキードなどに対する軍用機の需要によって市況は大きく潤った。

商業、金融拠点

1900年には10万人だった人口は1960年には248万人まで膨れあがった。その一方で、住宅供給が課題となり、郊外に大規模な一戸建て住宅地を提供していったが、テンプレート:仮リンク発生を機に1957年に市街の高度制限を撤廃、地価高騰も相俟って中高層集合型住宅(日本で言ういわゆるマンション)が急増していった。そしてダウンタウンにはニューヨークやシカゴに引けを取らない高層ビル群がそびえ立つようになり、今日に見る大都市へと成長している。その後、ノースリッジ地震などでも被害を受け、災害対策がさらに充実された[9]

それに伴い、商業も発展していき、西海岸最大の商業、金融拠点となった。しかし中東メキシコ湾沿岸からの廉価な原油の供給の増加により、原油の掘削はあまり行われなくなった。更に今日では電子機器半導体宇宙産業など最先端工業が発展している。これは学術、文化都市として培っていた技術力の蓄積、また軍事産業や航空機産業関係者が持つ高度な技術力の産業形態転換によるものが大きく、今日におけるロサンゼルス経済の主力にもなっている。

また、貿易の拠点としての地位も高まり、今日では太平洋側では最大の貿易窓口となっている。アジア向け市場の窓口としての役割は大きく、シアトルオークランドサンディエゴらと共に機能を果たしている。

アジア系移民

古くから労働力としてのアジア系移民を受け入れてきており、ダウンタウン近辺に第二次世界大戦前からあった日本人街であるリトルトーキョーチャイナタウンのほか、戦後の韓国系移民の急増を受けて広がってきたコリアタウンなどいくつかのアジア系タウンがある。また、郊外のオレンジ郡近辺にはベトナム系移民街であるテンプレート:仮リンクもある。一方、様々な人々が共存する社会ゆえに人種、民族間の対立も存在し、ロサンゼルス暴動などの事件も起きている。

日系移民

ロサンゼルスで日本人の定住が公式に認められたのは1888年である。1900年には150人の日本人が住んでいたが、1906年のサンフランシスコ地震により、ロスに移動してくる日本人が増え、この急激な増加によって排日ムードが高まった。サンフランシスコからの移住組は身を守るためロサンゼルス街とアラメダ街の間にある通りに集まって暮らしはじめ、1908年にはリトルトーキョーと呼ばれるようになった。1930年代には2万人を超える日本人が暮らし、リトルトーキョーはアメリカ最大の日本人町になった。その後日本人の数は4万人近くまで膨らんだが、戦争により、日系人の強制収容が始まり、日本人のいなくなった町には黒人が住みついた。戦後、日系人が戻ってきたが、土地を奪われたことや日本人漁業禁止法などによって生業を奪われたことから、以前のような勢いには戻らなかった。[10]

ヒスパニック移民とスペイン語圏

もともとメキシコ領だったこともあり、スペイン語地名も多く、古くからヒスパニック系が存在するが近年のメキシコなどからの移民の流入により、今では全人口の46.5%がヒスパニックもしくはラテン系である。また全人口のうち41.7%[11]がスペイン語話者であり、英語の42.2%とほぼ同数であるなど、全米一のスペイン語人口を抱える都市としてヒスパニック文化の中心地となっている。

地理

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ロサンゼルスの夜景

ロサンゼルスはカリフォルニア州の南部に位置し、西は太平洋に面する。広大な平地が広がるが、大きな河川は流れておらず、コロラド川などから水路を引っ張っている。市の北東にモハーベ砂漠、北西にコースト山脈、東にシエラネバダ山脈がそれぞれ広がる。

衛星都市は30以上を有し、ロサンゼルス都市圏は北はパームデール、西はヴェンチューラ、東はサンバーナーディーノ、南はサンディエゴ都市圏との境界であるエスコンディードあたりに至る。有名な都市にアナハイムリバーサイドロングビーチサンタアナなどがあり、これらはいずれも人口30万人を超える。なお、カリフォルニア州にはサンフランシスコ大都市圏(700万人)を形成しているが、サンフランシスコとは約500km離れているため(東京-大阪間位)、基本的に商圏における競合は起こりえない。

アメリカ合衆国統計局によると、この都市は総面積1,290.6km² (498.3mi²) である。このうち1,214.9km² (469.1mi²) が陸地で75.7km² (29.2mi²) が水地域である。総面積の5.86%が水地域となっている。

周辺都市

気候

ケッペンの気候区分ではダウンタウンや沿岸部は地中海性気候 (Csa)、内陸部は砂漠気候 (BWh) に属する。年間降水量は300mm程度と少ない。特に夏の降雨が少なく、統計年によっては7月、8月の降水量が0mmであったこともある。1年を通して温暖だが、冬は雨も多く朝晩は10°C前後まで下がる。夏の日中は40°C近くまで上がることもあるが、乾燥しているため夕方を過ぎると涼しくなり、夜は15°C近くまで下がって肌寒くなることもある。 テンプレート:Infobox Weather

見どころ

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チャイニーズシアター

交通

テンプレート:Main アメリカの多くの都市と同様、ロサンゼルスの主要な移動手段は自動車である。市内をフリーウェイが縦横に走っている一方で、1990年代まで公共交通機関バス以外ほとんど発達していなかった。また、流しのタクシーも殆ど無い。旅行者の場合、移動手段としてはレンタカーが一般的である。1990年代後半から地下鉄網や近郊電車が整備されつつあり、渋滞や公害の解消が期待されている。

2008年11月、ロサンゼルスとサンフランシスコを結ぶ高速鉄道の建設の是非を問うカリフォルニア州民の住民投票が行われ、賛成票が過半数を占めて可決した。

航空

アメリカ西海岸への主な玄関口の一つとして、毎日多数の航空便がロサンゼルス国際空港に発着している。ほかにもロサンゼルス周辺にはロングビーチ空港ボブ・ホープ空港ジョン・ウェイン空港などいくつかの空港があり、国内線や国際線が各空港へ乗り入れている。またホーソンなどの小型機専用の空港も多数存在している。

現在、日本航空全日空アメリカン航空デルタ航空ユナイテッド航空シンガポール航空マレーシア航空(週4便)が東京成田空港)から直行便を運航している。

長距離鉄道

ダウンタウンにはアムトラックユニオン駅がある。

長距離バス

グレイハウンドのバスターミナルはダウンタウンの東外れに位置している。サンフランシスコ、サンディエゴ、フェニックスラスベガスをはじめ多くの都市へのバスが発着する主要なターミナルである。しかし、イーストロサンゼルスに近く、スラム街の中に位置するため周辺の治安が非常に悪い。

ロサンゼルス国際空港シャトル便"フライアウェイ"

ロサンゼルス国際空港から市街地へ向かう手段として最も速く、そして低価格で抑えられる手段として便利なフライアウェイ (FLY AWAY) がある。大型バス・ミニバン・VIPセダンの3種用意されているが、種類によって料金が異なる。ロサンゼルス国際空港からの乗り場はターミナル1から8とTBITから発着する。一例からすると料金は以下の通りとなる。

  • 空港 - ダウンタウン(ユニオン駅)
大型バス - 7.00米ドル
VIPセダン - 12.00米ドル

街並み

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産業

代表的な産業は主に5つある。1つ目は石油化学工業である。1892年、実業家のエドワード・L・ドヒーニーが現在のダウンタウン近隣で石油を発見[12]、以後石油産業が発展し、石油精製工場、化学薬品工場が相次いで建てられた。今日ではメキシコ湾岸の都市が豊富な産出量を誇っており、産油地としてのカリフォルニアの地位は低下しているが、今もなお健在で、近年は内陸の都市でも油田採掘が行われている。

2つ目はロッキードボーイング(旧マクドネル・ダグラス)などの航空産業や宇宙産業半導体などの最先端工業である。これは特に第二次世界大戦中の各種軍用機の需要と共に飛躍的に発展、戦後は数多くの旅客機も造られた(現在はロッキードは旅客機製造を行っていない)。また、その技術は多方面に利用され、自動車組立工業やタイヤ、チューブ製造などの関連工業などに派生していった。更に戦後にはスプートニク・ショックによる宇宙開発産業の促進やシリコンバレーから飛び火してきた電子機器、半導体産業があり、シリコンバレーに倣って、テックコーストという俗称がある。

3つ目はハリウッドに代表される映画などのエンターテイメント産業や観光産業である。初期の映画撮影では高い光度が必要であり、曇天・雨天や室内撮影では多くの照明が必要であったが、ロサンゼルスの夏季に降雨が少ない気候は戸外撮影には最適の地であった。そのため、ニューヨークから逃れたユダヤ系の映画会社が当地で撮影を行うようになり、ワーナーブラザーズRKOパラマウントなど多くの映画製作会社が誕生、市の経済を支える一つとなった。また、郊外におけるユニバーサルスタジオ建設やディズニーランド進出などのレジャー観光都市としての発展を促し、今日ではリゾートや保養都市としての性格も強い他、コンベンションなどの誘致も盛んである。

4つ目は商業金融業である。工業、娯楽産業の発展が同市に与えた影響は大きいが、商業中枢としての地位はアメリカ西海岸随一である。更に前述したように海運、貿易の拠点としての重要性も高い。

5つ目はサービス業で、ファッションや宝飾などのデザイン業は特に進んでいる。今日ではニューヨークと並ぶファッション最先端基地として知られており、高度な技術を持った専門家の移住が多い。特にユダヤ系白人が多くの職に就いている。

また、地の利の良さなどから、日本企業や韓国企業などアジアの大企業の多くがアメリカにおける本社機能をロサンゼルス近郊に置いており、これらの企業による雇用の創出や税収が地域経済を大きく潤している。なお、古くから機能していた農業(農産物)の加工、集散地としての機能はフレズノベーカーズフィールドなど、他の都市に移転している傾向が見られる。

人口動勢

人種構成 2010[13] 1990[14] 1970[14] 1940[14]
白人 49.8% 52.8% 77.2% 93.5%
—非ヒスパニック 28.7% 37.3% 61.1%[15] 86.3%
黒人 9.6% 14.0% 17.9% 4.2%
ヒスパニック(肌の色問わず) 48.5% 39.9% 17.1%[15] 7.1%[16]
アジアン 11.3% 9.8% 3.6% 2.2%

テンプレート:USCensusPop 2000年現在の国勢調査で、この都市は人口3,694,820人、1,275,412世帯および798,407家族が暮らしている。人口密度は3,041.3/km² (7,876.8/mi²) である。1,101.1/km² (2,851.8/mi²) の平均的な密度に1,337,706軒の住宅が建っている。この都市の人種的な構成は白人46.93%、黒人11.24%、インディアン0.80%、アジア9.99%、太平洋諸島系0.16%、その他の人種25.70%および混血5.18%である。このうち白人の人口の46.53%はヒスパニックまたはラテン系であり、29.75%はヒスパニックまたはラテン系でない白人となっている。

この都市内の住民は26.6%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が11.1%、25歳以上44歳以下が34.1%、45歳以上64歳以下が18.6%および65歳以上が9.7%にわたっている。中央値年齢は32歳である。女性100人ごとに対して男性は99.4人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は97.5人である。

この都市の世帯ごとの平均的な収入は36,687米ドルであり、家族ごとの平均的な収入は39,942米ドルである。男性は31,880米ドルに対して女性は30,197米ドルの平均的な収入がある。この都市の一人当たりの収入 (per capita income) は20,671米ドルである。人口の22.1%および家族の18.3%は貧困線以下である。全人口のうち18歳未満の30.3%および65歳以上の12.6%は貧困線以下の生活を送っている。

また、ホームレスの数は全米最大の規模であり、2007年10月11日に発表された調査によると、ロサンゼルス市内に40,000人以上、ロサンゼルス全域では73,000人のホームレスが居住している。そのうち10,000人が未成年、24,505人が精神疾患、8,453人が退役軍人、約7,200人が家庭内暴力の被害者である[17]

犯罪

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ストリートギャング「クリップス」のグラフィティ

テンプレート:Infobox UCR 犯罪件数がアメリカの都市の中でも上位に位置するが、過去最悪であったロサンゼルス暴動の時期と比較すると、警察官の増員、治安部隊であるジョイント・タスク・フォースの導入などもあって年々減少傾向ではあり、ロサンゼルス市警察の発表によると、2008年度では犯罪件数が過去最も低い。しかし、ダウンタウンのスキッド・ロウなどはスラム街と化し、局地的に強盗窃盗などの犯罪が増加しており、強盗が21%増加、窃盗などの一般犯罪が6%増加している。また、人種民族宗教などの偏見や差別によって引き起こされる殺人や暴行などの暴力犯罪であるヘイトクライムの2008年度犯罪件数は、前年と比較すると5%減少しているものの514件も起こっており、黒人ヒスパニック系の総数は減っているのにもかかわらず、アジア系に対するヘイトクライムは前年と比較すると50%も増加しており深刻な問題となっている。

ロサンゼルス市警察によると、45,000人ものストリートギャングメンバーが存在し、450のギャング組織がロサンゼルスを本拠地としている。その中でも最も有名な、アフリカン・アメリカンクリップスブラッズサウスロサンゼルスを本拠地としている。ラテン系ではメキシカンギャングのスレーニョスがロサンゼルスを発祥としている。そのため、ロサンゼルスは「アメリカにおけるギャングの首都」と呼ばれている。

2013年現在、CQプレス社におけるランキングでは、日本では治安が良いというイメージを持たれているサンフランシスコよりスコアを下げており(危険度ランキングは164位である)、一部のスラム地域を除いて、そこまで危険ではない。

暴動

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ロサンゼルス暴動では4,000人を超える連邦軍(陸軍、および海兵隊)部隊までが投入された。
ファイル:Wattsriots-burningbuildings-loc.jpg
ワッツ暴動で燃える建物

ロサンゼルスでは何度も大規模な暴動が発生している。有名なものでは1965年のワッツ暴動では死者34人・負傷者1,032人、逮捕者は約4,000名を出し、1992年のロサンゼルス暴動では、被害は死者58人、負傷者約2,000人を出し、放火件数は3,600件、崩壊した建物は1,100件にも達した。

スポーツ

ロサンゼルスは1932年および1984年に2度夏季オリンピックの開催都市となった。

アメリカ4大スポーツで最も人気が高いとされるアメリカンフットボールNFLのチームは1995年以降は存在せず、市は積極的に誘致活動を行っている。しかし、市民は熱狂しない土地柄であるとされ、過去に既存NFLチームの移設構想が2度浮上したが、いずれも実現しなかった。それゆえ、市民と自治体の熱は乖離しているのが現状である。

スポーツ種別 チーム 所属団体 リーグ ホーム競技場
野球 ロサンゼルス・ドジャース MLB ナショナルリーグ ドジャー・スタジアム
ロサンゼルス・エンゼルス MLB アメリカンリーグ エンゼルスタジアム
バスケットボール ロサンゼルス・レイカーズ NBA ウェスタン・カンファレンス ステイプルズ・センター
ロサンゼルス・クリッパーズ NBA ウェスタン・カンファレンス ステイプルズ・センター
ロサンゼルス・スパークス WNBA ウェスタン・カンファレンス ステイプルズ・センター
アイスホッケー ロサンゼルス・キングス NHL ウェスタン・カンファレンス ステイプルズ・センター
サッカー クラブ・デポルティボ・チーヴァス・USA MLS テンプレート:仮リンク スタブハブ・センター
ロサンゼルス・ギャラクシー MLS ウェスタン・カンファレンス スタブハブ・センター
アリーナフットボール ロサンゼルス・アベンジャーズ AFL アメリカン・カンファレンス ステイプルズ・センター

 ※ロサンゼルス・アベンジャーズは2012年シーズンは参加していない。

1962年から1968年にかけて、オリンピック・オーデトリアムを中心に興行を開催したプロレス団体WWAがあり、フレッド・ブラッシーザ・デストロイヤー力道山豊登道春大木金太郎がWWA世界王座となった。

教育

大学

ロサンゼルスには、カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA)、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校 (CSULA) およびカリフォルニア州立大学ノースリッジ校 (CSUN) を含む、いくつかの州立単科大学および総合大学がある。

ロサンゼルスの私立大学には南カリフォルニア大学 (USC)、ペパーダイン大学ロヨラ・メリーマウント大学 (LMU)、アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン (Art Center College of Design)、オクシデンタル・カレッジ (Oxy)、オーティス芸術大学 (Otis College of Art and Design) およびサウスウェスタン法科大学 (Southwestern University School of Law) などがある。

コミュニティ・カレッジとしては、ロサンゼルス・シティー・カレッジ (Los Angeles City College; LACC)、ロサンゼルス・ピアース・カレッジ (Los Angeles Pierce College)、ロサンゼルス・ヴァレー・カレッジ (Los Angeles Valley College)、サンタモニカ・カレッジ (Santa Monica College; SMC) およびロサンゼルス・ミッション・カレッジ (Los Angeles Mission College) がある。

初等・中等教育

ロサンゼルスの主要な初等中等教育の公立学区は、ロサンゼルス統一学区 (Los Angeles Unified School District) である。また、多数の日本企業の駐在員の子弟が在住することから、日本語補習校が周辺に数多く存在する。

メディア

ロサンゼルスの主要な日刊新聞は「ロサンゼルス・タイムズ」(LA Times) である。主要なスペイン語新聞として「ラ・オピニオン」(La Opinión) がある。また、日本語新聞としては「羅府新報」、テレビ局では24時間放送の「ユナイテッド・テレビジョン・ブロードキャスティング・システム」(UTB) 18.2チャンネルがある。

出身者およびゆかりのある人物

姉妹都市

ロサンゼルスは25の姉妹都市を有している[18]。ここでは、姉妹都市になった年代順に並べる。 テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-2

テンプレート:Col-2

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2007年に当時のビヤライゴーサ市長はイスラエルのテルアビブとの文化交流提携を正式に認めた[19]

脚注

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関連項目

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外部リンク

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公式
日本政府
観光

テンプレート:- テンプレート:ロサンゼルス都市圏 テンプレート:カリフォルニア州 テンプレート:カリフォルニア州の郡庁所在地 テンプレート:夏季オリンピック開催都市 テンプレート:アメリカ50大都市

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テンプレート:Link GA

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  1. Census Bureau Announces Most Populous Cities(アメリカ合衆国国勢調査局)
  2. テンプレート:Lang-en-short
  3. Demographia: World Urban Areas & Population Projections
  4. 在ロサンゼルス日本国総領事館、在留邦人数調査結果
  5. 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook(2014年4月公表)
  6. Top 30 urban agglomeration GDP rankings in 2008
  7. Los Angeles Region United Census Bureau 2012年8月28日閲覧
  8. 『南加州日本人七十年史』45ページ、南加日系人商業会議所編(1960年)
  9. カリフォルニア州議会は州内全ての公立病院が救急医療部を備え、救急室が耐震構造を持つことを義務化する法律を2005年1月1日に通過させた。
  10. 日系チャプスイレストランにおけるフォーチュンクッキーの受容 中町泰子、神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター年報非文字資料研究 (5), 173-186, 2009-03
  11. http://www.mla.org/map_data_results&state_id=6&county_id=&mode=&zip=&place_id=44000&cty_id=&ll=&a=&ea=&order=r Modern Language Association Data Center Results of Los Angeles, California Modern Language Association
  12. Discovery of Oil in Los Angeles (USC)
  13. テンプレート:Cite web
  14. 14.0 14.1 14.2 テンプレート:Cite web
  15. 15.0 15.1 From 15% sample
  16. Hispanic origin based on the White population of Spanish mother tongue.
  17. テンプレート:Cite news
  18. ロサンゼルス市の姉妹都市
  19. テルアビブ・ロサンゼルスの協力関係 グレーター・ロサンゼルスのユダヤ連合