恵那市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
恵那市(えなし)は、岐阜県南東部の市である。景勝地として有名な恵那峡がある。
目次
地理
気候は、夏は比較的冷涼であり、冬の寒さが厳しい。山間地に入れば入るほどその傾向は大きくなる。冬の降水量は少なく、即ち降雪の少ない乾燥した気候となる。山岡町ではその気候を生かし、細寒天の生産量が日本一である。
現在の恵那市は、旧恵那市と旧恵那郡南部が合併した姿であり、市街地はそれぞれの旧市町村中心地に分散しているが、事実上の市の中心部は旧恵那市の市街地である大井町および長島町であるといえる。市役所をはじめ市の行政機関や、市の代表駅であり乗降客が最も多いJR東海恵那駅、大型ショッピングセンターや金融機関、中央自動車道恵那インターチェンジも大井町・長島町に位置している。
地域
- 長島町(おさしまちょう):大井町に隣接して共に恵那市の中心市街地を形成している。現在も住宅地・商業地として発展している。
- 明治22年に正家村・中野村・永田村・久須見村が合併して長島村となり、明治31年に町制を施行し長島町となった。
- 東野(ひがしの):大井町の南に位置し、旧恵那市の南端。旧岩村町と中津川市に接している。比較的平坦な田園地帯だが旧岩村町、中津川市との境界は山がちで、根ノ上高原や阿木川ダムを擁している。明知鉄道の沿線。
- 三郷町(みさとちょう):長島町の西、武並町の南に位置し、合併前の旧山岡町と瑞浪市に接している。概ねなだらかな丘陵地勢で、田園が広がる。旧恵那市市域。
- 明治22年に佐々良木村・野井村・椋実村が合併して三郷村となった。
- 武並町(たけなみちょう):市の西部に位置し、瑞浪市と接している。のどかな田園地帯が広がる竹折地区と、北部で木曽川に接する山がちな藤地区からなる。中央本線武並駅や中央自動車道、国道19号線、国道418号線が通っており通過交通量が多い。旧恵那市市域。
- 明治30年に竹折村が藤村を吸収合併したが、明治33年に武並村と改名した。
- 笠置町(かさぎちょう):木曽川の北岸に位置し、笠置山の南麓に散在する「姫栗(ひめぐり)」「河合(かわい)」及び「毛呂窪(けろくぼ)」という3つの集落により形成される。中津川市に接している。旧恵那市市域。
- 明治30年に姫栗村・毛呂窪村・加茂郡河合村が合併し笠置村となった。
- 中野方町(なかのほうちょう):木曽川北岸、恵那市最北部に位置する地区。笠置山の西北麓に位置し、中野方川に沿った東西に長い盆地内に集落を形成している。日本棚田百選の一つ坂折棚田がある。白川町、中津川市と接している。旧恵那市市域。
- 飯地町(いいじちょう):木曽川の北岸、市の北西部に位置する。恵那市への合併前は加茂郡に属していた。町域は中野方川に沿って西北-南東方向に走る赤河断層崖の連なりによって他地区から隔絶された山上にあり「飯地高原」とも呼ばれる。商業地はなく、目だった観光資源も地区人口も通過交通も少ないひっそりとした山里である。八百津町、白川町と接している。旧恵那市市域。
- 岩村町(いわむらちょう):旧恵那郡岩村町。東野の南に位置する。鎌倉時代に築城された岩村城の城下町で、江戸時代には岩村藩が置かれ、かつては商業の中心地として賑わった。岩村町本通りの歴史ある町並みは平成10年(1998年)国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されており、観光業に力を入れている。明知鉄道の沿線。
- 明治22年に岩村町が町制を施行。
- 明治5年に下飯羽間村・中飯羽間村・上飯羽間村・根上村が合併して飯羽間村となる。
- 明治30年に飯羽間村・富田村が合併し本郷村となる。
- 昭和29年(1954年) 本郷村が岩村町に編入された。
- 山岡町(やまおかちょう):旧恵那郡山岡町。岩村町の西に位置する。冬期の乾燥した気候を生かした寒天製造が盛んで、細寒天の生産量は日本一。良質の陶土を産することでも知られる。西部で瑞浪市と接し、市境に小里川ダムがある。明知鉄道の沿線。
- 明治30年に馬場山田村・上手向村・久保原村が合併し遠山村となる。
- 明治30年に下手向村・釜屋村・原村・田代村が合併し鶴岡村となる。
- 昭和30年に遠山村と鶴岡村が合併し山岡町となった。
- 明智町(あけちちょう):旧恵那郡明智町。山岡町の南に位置する。中馬脇街道の宿場町で、大正時代に生糸産業の集積地として発展した名残が残る町並みを生かして「日本大正村」を名乗り、観光に力を入れている。西部で瑞浪市と接するほか、南部で愛知県豊田市(旧小原村・旭町)と接する県境でもある。明知鉄道の終点・明智駅がある。JR瑞浪駅までバスが走っており、瑞浪市との結びつきが強い。
- 明治22年に明知町が町制を施行。
- 明治7年に馬坂村・馬木村・高波村・峰山村・小杉村・落倉村・澤中村が合併し東方村となる。
- 明治8年に杉平村・門野村が合併し杉野村となる。
- 明治30年に東方村・杉野村・野志村が明知町に編入された。
- 明治38年に東方村・杉野村・野志村が明知町より分離し静波村となる。
- 明治6年に才坂村・土助村・安主村・岩竹村・上柏尾村・下柏尾村・颪村が合併し横通村となる。
- 明治22年に横通村・浅谷村・野原村が合併し三濃村となる。
- 明治8年に上田良子村・下田良子村・大栗村・上田村が合併し大田村となる。
- 明治8年に大船村・小泉村が合併し大泉村になる。
- 明治30年に大田村・大泉村・吉良見村・阿妻村が合併し吉田村となる。
- 昭和29年に明知町と静波村が合併して明智町となる。
- 昭和30年に吉田村が明智町に編入された。三濃村は旧横通村が明智町に吸収され、旧浅谷村・野原村は愛知県東加茂郡旭村(現在は愛知県豊田市)に分割編入された。
- 串原(くしはら):旧恵那郡串原村。明智町の南に位置し、矢作川を挟んで愛知県豊田市(旧稲武町・旭町)と接する。キノコや蜂の子(へぼ)といった山里ならではの特産物がある。矢作ダム・奥矢作湖を擁し、豊田市との結びつきが強い。
- 上矢作町(かみやはぎちょう):旧恵那郡上矢作町。岩村町の東南・明智町の東に位置し、長野県下伊那郡平谷村・根羽村、愛知県豊田市(旧稲武町)と接する岐阜県最南東端の町でもある。町域の95%が山林、標高差は1400mに達し、平地が少なく林業が盛ん。上村川などの清流に恵まれているが、風化花崗岩主体の地質は脆く、2000年の東海豪雨では甚大な被害を受けた。
- 明治5年に小笹原村・島村・横道村・飯田洞村・上村・木実村が合併し上村となる。
- 明治22年下村・漆原村・小田子村が合併し下原田村となる。
- 昭和31年(1956年)上村と下原田村が合併し上矢作町となった。
旧恵那郡岩村町・山岡町・明智町・串原村・上矢作町の4町1村を、恵南(けいなん)という。
方言
恵那市は東海東山方言の中の美濃弁に属するが、濃尾平野で話されているような連母音の融合は無い。愛知県に接している旧明智町、旧串原村、旧上矢作町は三河弁の影響が見られる。
- アクセントについては、木曽川を境として南側は東京式中輪アクセントであるが、北側は東京式内輪アクセントに分かれている。
歴史
沿革
- 1954年(昭和29年)4月1日 恵那郡大井町、長島町、東野村、三郷村、武並村、笠置村、中野方村、飯地村の2町6村の合併により誕生
- 2004年(平成16年)10月25日 (旧)恵那市と恵那郡南部(恵南(山岡町・明智町・岩村町・串原村・上矢作町))の1市4町1村が合併し現在の恵那市となる。
人口
教育
高校
- 岐阜県立恵那高等学校
- 岐阜県立恵那農業高等学校
- 岐阜県立恵那南高等学校(岐阜県立明智商業高等学校と岐阜県立岩村高等学校が統合されてできた高校)
特別支援学校
- 岐阜県立恵那特別支援学校(旧岐阜県立岩村高等学校の跡地に立つ。校舎もそのままである)
公共施設
行政
文化
体育
- 岐阜県クリスタルパーク恵那スケート場
- まきがね公園体育館
- まきがね公園野球場
- まきがね公園テニスコート
- まきがね公園弓道場
- まきがね公園多目的運動広場
- 槙ヶ根体育センター
病院・診療所
交通
鉄道
なお、1906年から1935年には「岩村電気軌道」という路面電車も存在した。
バス
- 東濃鉄道
- 恵那市自主運行バス
- 豊田市旭地域バス生駒線(火・木曜日運行)
- 豊田市稲武地域バス押山線・川入線(川入線は水曜日運行)
- 中央道高速バス新宿線(名鉄バス)・中央高速バス名古屋線(京王バス)(名鉄バスと京王バスの共同運行)
- 名鉄バスセンター - 恵那インター - 新宿高速バスターミナル
- ※ 「恵那インター」停では、新宿方面行きは「乗車」のみ、名古屋方面行きは「降車」のみ。
- 名鉄バスセンター - 恵那インター - 新宿高速バスターミナル
- 中央道高速バス飯田線(名鉄バス)・高速名古屋線(信南交通)(名鉄バスと信南交通の共同運行)
道路
高速道路
一般国道
都道府県道
主要地方道
一般県道
その他
道の駅
名所・旧跡・観光スポット
- 中山道大井宿
- 恵那峡
- 阿木川ダム・阿木川湖
- 中山道広重美術館
- 横井照子ひなげし美術館
- 恵那銀の森
- 東濃牧場
- 坂折棚田
- 岩村城址
- 岩村町本通り重要伝統的建造物群保存地区
- 岩村醸造酒蔵見学
- 岩村町歴史史料館
- 日本大正村
- ささゆりの湯
- 矢作ダム・奥矢作湖
- 達原渓谷
- 福寿の里モンゴル村
- 茅の宿とみだ
- 五毛座
- 熊野座 (熊野会館)
主な神社・仏閣
名物・地域グルメ・特産物
出身有名人
- 古屋慶隆(政治家)
- 荒木清寛(参議院議員)
- 佐藤一斎(儒学者)
- 下田歌子(実践女子学園創立者)
- 山本芳翠(画家)
- 三好学(植物学者)
- 勝川克志(漫画家)
- 宮嶋麻衣(女優)
- 恵那司千浩(大相撲力士)
- 牧野剛(予備校講師、評論家)
- 熊﨑健翁(運命学者)
- 伊藤喜美(株式会社バロー創業者・現相談役名誉会長、恵那名誉市民)[1]
- ラジオヤジ(株式会社プレコオンライン代表取締役、動画投稿サイトYouTube、ライブ配信サービスTwitCastingにて動画を配信)
こころの合併プロジェクト
合併で市域が広範囲に及ぶようになったことで、地域の意識はひとつになるのだろうかと感じた市民グループにより、人々の融和を目指した映画『ふるさとがえり』の制作が行われた[2][3]。
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 彼は財団法人伊藤青少年育成奨学会の理事長として恵那市中央図書館を建設して恵那市へ寄付している。
- ↑ 映画 ふるさとがえり
- ↑ えな"心の合併"Project