岩村町
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テンプレート:Infobox 岩村町(いわむらちょう)は、岐阜県恵那郡にあった町である。2004年10月25日に周辺市町村との合併により恵那市となった。
目次
地理
岐阜県の南東端部に位置する恵那市の一部の地区である。愛知県・長野県とも近く、美濃三河高原に含まれており平均標高は約500m。夏は涼しいが、冬は乾燥し寒さが厳しい。町域は山に囲まれた盆地を成し、面積の65%は山林である。木曽川の支流である岩村川・飯羽間川・富田川が盆地内を北へと流れる。 岩村町は大きく分けて「岩村」、「飯羽間」、「富田」の3地区に分かれており、これは岩村町の史的成り立ちにも由来している。
隣接していた自治体
歴史
- 平安時代より美濃国遠山荘の一部。
- 平安時代末期の文治元年(1185年)後に鎌倉幕府の有力な御家人となった加藤景廉が源頼朝より遠山荘を与えられ地頭となる。
- 鎌倉時代初期に加藤景廉の嫡子、景朝が遠山景朝と称し遠山氏の初代となり、岩村城を築城し遠山氏の本拠地となる。
- 南北朝時代の建武2年(1335年)に富田村に遠山氏の菩提寺として大圓寺が臨済宗妙心寺派の高僧 峰翁祖一により開創。
- 戦国時代末期の元亀3年(1572年)、武田軍が恵那郡に侵攻して遠山氏が敗れ、飯羽間遠山氏の飯羽間城、大圓寺等が武田軍の兵火により消失。当時、岩村城主は既に亡くなっており、信長の叔母のおつやの方(修理夫人)が女城主を務めていたが、武田軍の軍勢の前に降伏し、武田方の秋山虎繁と政略結婚して岩村城を明け渡すこととなる。遠山氏は武田方となったが、1576年に織田信長が岩村城を攻めて武田軍を降伏させるとともに、おつやの方と秋山虎繁等を逆さ磔にして処刑。
- 江戸時代は岩村藩領。岩村藩と城下は廃藩置県まで三万石の城下町として栄えた。
- 1871年(明治4年)7月14日(旧暦)(8月29日)、廃藩置県で岩村県が設置されるが、その後岐阜県に編入される。
- 1889年(明治22年)、町村制施行により恵那郡岩村町、飯羽間村、富田村 が成立。
- 1897年(明治30年)4月1日、飯羽間村・富田村が合併し本郷村となる。
- 1954年(昭和29年)9月10日、本郷村が岩村町と合併し岩村町となる。
- 2004年(平成16年)10月25日、恵那市、恵那郡岩村町・山岡町・明智町・串原村・上矢作町の1市4町1村で合併し恵那市となる。
行政
歴代町長
- 伊藤謙蔵(1954年10月 - 1978年10月)
- 深萱泰一郎(1978年10月 - 1990年10月)
- 山上哲司(1990年10月 - 2004年10月)
産業
商業、工業が中心だが、歴史有る町を活かした観光業に地区を挙げて力を入れている。
教育
小学校
- 恵那市立岩邑小学校
中学校
- 恵那市立岩邑中学校
高等学校
交通
鉄道
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 岩村城址 - 松山城(備中)、高取城(奈良)とともに日本三大山城の一つ、平成18年日本百名城として日本城郭協会から認定される。
- 城下町の町並み岩村町本通り - 1998年重要伝統的建造物群保存地区として国から48番目の認定を受ける。
- 城下町の町並み美しい日本の歴史的風土100選に選定される(平成19年3月財団法人古都保存財団)
- 富田地区の日本一の農村景観(平成10年、第7回美しい日本のむら景観コンテスト農林水産大臣賞)