広島電鉄宮島線
|} 宮島線(みやじません)は、広島県広島市西区の広電西広島駅から、同県廿日市市の広電宮島口駅に至る広島電鉄の鉄道路線である。軌道線の市内線と直通するため、路面電車タイプの電車を使用する。日本におけるLRTの一つで、本線と併せ市中心部を併用軌道で走るトラムトレインにも分類される。
概要
当線は鉄道事業法が適用される鉄道線扱いで、かつては当線専用の車両(高床車)が在籍しており、各駅のプラットホームも鉄・軌道直通に使われる路面電車型の低床車用の低いものと、高床車用の高いものの2つを持っていた。しかし、1991年(平成3)8月8日以降、当線専用の車両は走ることが無くなり、軌道を走行する路面電車が広電西広島(己斐)を越えてほとんどが直通運転されるようになったため、高いプラットホームは撤去された駅が多い。
当線は西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線とほぼ並行し、JRの1駅間に広電は2 - 4駅ある。車両は路面電車タイプの3両連接車、5両連接車が使用されている。
- Suzugamine-joshidai-mae eqm.jpg
宮島線の駅名標の例(鈴峯女子大前駅)
- Jigozen sta 20121124-1.JPG
現在でも高いホームが残る地御前駅
- Jigozen sta 20121124-2.JPG
電光表示も「低いホーム」となっている
- 広島電鉄1070型電車.jpg
以前、宮島線を走っていた「高床車」と呼ばれる鉄道車両
路線データ
運行形態
大半の電車が2号線(ラインカラーテンプレート:Color赤)として運行されている。本線直通の広島駅 - 広電宮島口間の運転が基本だが、朝方を中心に荒手車庫からの出庫を兼ねた商工センター入口始発、さらに線内折り返し運転(広電西広島、JA広島病院前、広電廿日市の各駅発着)の列車も設定されている。以前は広電五日市発着の列車もあった。また、平日朝に「0号」として宇品線直通の広電本社前行が運行されている。
宮島線内は、日中は9分間隔で毎時6本程度、朝のラッシュ時は最高3分間隔の毎時18本となる。
終日、3両または5両連接車の「ぐりーんらいなー (GreenLiner)」「GREEN MOVER」「Green mover max」などの愛称のついた電車で運行されている。
正月三が日の昼間時間帯においては従来の2号線(広島駅 - 広電宮島口)はやや減便されるが、広電西広島・商工センター入口 - 広電宮島口間の区間列車も多数運転される。また、宮島競艇開催時には商工センター入口 - 広電宮島口間の臨時列車が運転されることがある。かつては宮島競艇の開催もしくは場外発売が行われるすべての日に西広島 - 広電宮島口(もしくは競艇場前駅)まで運行され、運賃は無料だった。
急行運転計画
2003年(平成15年)5月24日の中国新聞で、広電が宮島線の急行運転を計画していることが報道された。急行運転は2次計画に分けて進められ、第1次計画は、広電西広島 - 商工センター入口間で運転を開始。事業費約4億円をかけ、商工センター入口駅東側に隣接した広電社有地に待避線を設置し、通勤時間帯に1時間に4本を運転するとした。短縮時間は3分となる。
第2次計画は、商工センター入口 - 広電宮島口間で運転を行う。廿日市駅東側の社有地に待避線を設け、全線での急行運転によって6分の短縮が実現できるとした。
その後、待避線ではなく複線の間に渡り線を設けて経費削減をする案などが出たが、進展が無く、2013年(平成25年)現在も急行運転は実現していない。
鉄道ピクトリアル1965年7月増刊号『私鉄車輌めぐり 第6分冊』や、それの復刻版『私鉄車両めぐり山陽・山陰』によると1960年代には実際に急行が運行されており、朝夕ラッシュ時に運転されていた通勤急行の停車駅は西広島-広電五日市間では草津のみの停車[1][2]。観光シーズンに運転されていた急行の停車駅は、広電宮島・広電廿日市・楽々園・広電五日市・草津・西広島であった[1][2]。
歴史
- 1922年(大正11年)8月22日 己斐町(現在の広電西広島) - 草津間が開業[3][4]
- 1924年(大正13年)
- 1925年(大正14年)7月15日 廿日市町 - 地御前間が開業[7][8]
- 1926年(大正15年)7月15日 地御前 - 新宮島(現在の地御前 - 阿品東間にあった。のちに廃止)間が開業[3][9][8]
- 1931年(昭和6年)2月1日 新宮島 - 電車宮島(現在の広電宮島口)間が開業し全通[3][10]、新宮島駅廃止、阿品駅開業、己斐町駅を西広島駅に、五日市町駅を電車五日市駅に、廿日市町駅を電車廿日市駅に改称
- 1932年(昭和7年) 宮島線に踏切警報機が採用[11]。
- 1935年(昭和10年)12月1日 塩浜駅開業、隅ノ浜駅廃止
- 1936年(昭和11年)9月8日 塩浜駅を楽々園駅に改称
- 1941年(昭和16年)4月17日 実践女学校前駅開業
- 1944年(昭和19年)7月21日 皆実線敷設のため、電車廿日市 - 電車宮島間の下り線を撤去し、単線となる
- 1947年(昭和22年)4月1日 実践女学校前駅を鈴峯女専前駅に改称
- 1950年(昭和25年)
- 1951年(昭和26年)9月1日 荒手駅を中央魚市場前駅に改称
- 1954年(昭和29年)
- 1958年(昭和33年)
- 3月 貸し切り運用による市内線との直通運転開始。当初使用の車両は550型551号車と850型(現350型)
- 6月20日 広島駅前(現在の広島駅)・宇品十三丁目(現在の宇品二丁目) - 草津間で午前ラッシュ時のみ直通運転開始
- 1959年(昭和34年)1月1日 初詣輸送として、4日まで市内線と宮島線の直通運転を実施
- 1960年(昭和35年)8月11日 井口病院前駅開業
- 1961年(昭和36年)
- 2月8日 宮島線の全駅に低床ホームが完成
- 6月1日 電車五日市駅を広電五日市駅に、電車廿日市駅を広電廿日市駅に、電車宮島駅を広電宮島駅に改称
- 1962年(昭和37年)1月10日 宮島線の広電西広島駅と市内線の己斐電停が現在の場所に移転。恒常ダイヤで広島駅前 - 広電廿日市間の直通運転開始。この時に用意された車両は、550型551号車、850型、2000形、2500形
- 1963年(昭和38年)
- 4月1日 山陽女学園駅を山陽女子大前駅に改称
- 5月6日 市内線・宮島線直通運転区間を広電宮島まで延長
- 1964年(昭和39年)8月13日 東高須駅開業
- 1965年(昭和40年)
- この年以降 中央魚市場前駅を中央市場前駅に、井ノ口駅を井口駅に改称
- 7月20日 楽々園駅を楽々園遊園地駅に改称
- 1969年(昭和44年)10月1日 西広島駅を広電西広島駅に改称
- 1971年(昭和46年)
- 2月17日 草津駅の駅舎が火災で全焼。
- 9月1日 楽々園遊園地駅を楽々園駅に改称
- 10月? 井口病院前駅を荒手車庫前駅に改称
- 1972年(昭和47年)3月1日 地御前県病院前駅を阿品駅に改称
- 1978年(昭和53年)8月1日 田尻駅開業
- 1979年(昭和54年)11月1日 中央市場前駅を草津南駅に、荒手車庫前駅を商工センター入口駅に改称
- 1984年(昭和59年)11月1日 平良駅開業
- 1987年(昭和62年)3月27日 佐伯区役所前駅開業
- 1991年(平成3年)8月7日 宮島線専用車(高床車)運行終了、翌日より路面電車タイプに統一
- 1998年(平成10年)9月1日 JA広島病院前駅開業
- 1999年(平成11年)
- 6月9日 GREEN MOVER運行開始
- 8月17日 朝ラッシュ時にJA広島病院前駅折り返し電車を設定、同時に広電廿日市駅折り返し電車を廃止[12]。
- 2001年(平成13年)11月1日 田尻駅を隣接するJR阿品駅と駅名を揃えるため、広電阿品駅に改称、それに伴いこれまでの阿品駅を阿品東駅に改称、また、広電宮島駅を広電宮島口駅に改称
- 2003年(平成15年)4月20日 平日午前ラッシュ時の宮島線からの宇品二丁目行きが広島港まで延伸され、折り返し運行として広島港発宮島口行きを運行開始
- 2005年(平成17年)8月29日 午前・午後ラッシュ時の前中車掌を廃止、主要駅に集札員を配置
- 2006年(平成18年)6月1日 平良駅を廿日市市役所前(平良)駅に改称
- 2009年(平成21年)
- 2013年(平成25年)11月11日 ダイヤ改正により、平日午前ラッシュ時の宮島線から広島港までの直通電車がなくなる(宮島線からの直通運行はすべて広電前行きとなる)
駅一覧
全駅とも広島県所在。
番号 | 駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 系統 | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
M19 | 広電西広島(己斐)駅 | - | 0.0 | 30px | 30px | 広島電鉄:本線 西日本旅客鉄道:山陽本線(西広島駅) |
広島市西区 |
M20 | 東高須駅 | 1.0 | 1.0 | 30px | |||
M21 | 高須駅 | 0.4 | 1.4 | 30px | |||
M22 | 古江駅 | 0.7 | 2.1 | 30px | |||
M23 | 草津駅 | 0.8 | 2.9 | 30px | |||
M24 | 草津南駅 | 0.6 | 3.5 | 30px | |||
M25 | 商工センター入口駅 | 0.7 | 4.2 | 30px | 西日本旅客鉄道:山陽本線(新井口駅) | ||
M26 | 井口駅 | 0.6 | 4.8 | 30px | |||
M27 | 鈴峯女子大前駅 | 1.2 | 6.0 | 30px | |||
M28 | 広電五日市駅 | 0.6 | 6.6 | 30px | 西日本旅客鉄道:山陽本線(五日市駅) | 広島市佐伯区 | |
M29 | 佐伯区役所前駅 | 0.6 | 7.2 | 30px | |||
M30 | 楽々園駅 | 0.9 | 8.2 | 30px | |||
M31 | 山陽女子大前駅 | 1.1 | 9.2 | 30px | 廿日市市 | ||
M32 | 広電廿日市駅 | 0.7 | 9.9 | 30px | 西日本旅客鉄道:山陽本線(廿日市駅) | ||
M33 | 廿日市市役所前(平良)駅 | 0.8 | 10.7 | 30px | |||
M34 | 宮内駅 | 0.8 | 11.5 | 30px | 西日本旅客鉄道:山陽本線(宮内串戸駅) | ||
M35 | JA広島病院前駅 | 0.4 | 11.9 | 30px | |||
M36 | 地御前駅 | 0.5 | 12.4 | 30px | |||
M37 | 阿品東駅 | 1.5 | 13.9 | 30px | |||
M38 | 広電阿品駅 | 0.7 | 14.6 | 30px | 西日本旅客鉄道:山陽本線(阿品駅) | ||
競艇場前(臨時駅) | 1.3 | 15.9 | 30px | ||||
M39 | 広電宮島口駅 | 0.2 | 16.1 | 30px | 宮島松大汽船:宮島航路(宮島口桟橋) JR西日本宮島フェリー:宮島連絡船(宮島口桟橋) 西日本旅客鉄道:山陽本線(宮島口駅) |
※駅番号は本線からの通し番号である。
運賃
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。運賃後払い方式。2014年4月1日現在。
キロ程 | 運賃(円) |
---|---|
初乗り3km | 120 |
4 - 6 | 140 |
7 - 10 | 170 |
11 - 15 | 190 |
16 - 17 | 210 |
- 広電五日市 - 広電廿日市間は120円の特定運賃。
- 市内線にまたがって乗車の場合は、鉄道線運賃に50円を加算。
その他
1945年8月6日の原爆被災時、広島電鉄はわずか3日で一部ながらも運転再開した。同様に被爆した長崎電気軌道が再開まで3か月半を要したのに比べて、驚くほど短期間での再開であったが、これには郊外に延びた宮島線が大きな役割を果たしている。すなわち、郊外にあった車両や運転要員、そして変電所などの給電設備が無傷で残っていたからである。
脚注
関連項目
参考文献
- 『鉄道ピクトリアル』 鉄道図書刊行会
- 私鉄車両めぐり第6分冊(1965年7月臨時増刊号)
- アーカイブスセレクション21 私鉄車両めぐり山陽・山陰
外部リンク
テンプレート:広島電鉄の路線- ↑ 1.0 1.1 鉄道ピクトリアル1965年7月増刊号『私鉄車輌めぐり 第6分冊』77ページ
- ↑ 2.0 2.1 鉄道ピクトリアル『アーカイブスセレクション21 私鉄車両めぐり山陽・山陰』63ページ
- ↑ 3.0 3.1 3.2 テンプレート:Cite web
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年8月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 郷土出版社 『保存版 広島のチンチン電車』 p.227
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年4月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 官報では地御前より0.2哩先に地御前終点があり新宮島開業時に廃止されている「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年7月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 8.0 8.1 『帝国鉄道年鑑. 昭和3年版』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 官報では地御前-新宮島間に地御前終点があり新宮島開業時に廃止されている「地方鉄道運輸開始並駅廃止」『官報』1926年7月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1931年2月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 郷土出版社 『保存版 広島のチンチン電車』p.228
- ↑ さらに便利に8/17宮島線ダイヤ改正 - 広島電鉄(Internet Archive 2000年1月21日のアーカイブ)