名寄本線
|} 名寄本線(なよろほんせん)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)/日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道名寄市の名寄駅で宗谷本線から分岐し、紋別市を経て紋別郡遠軽町の遠軽駅で石北本線に接続する本線と、湧別町の中湧別駅で分岐し湧別駅に至る支線からなっていた。国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、1989年に廃止された。廃止された特定地方交通線の中では唯一、「本線」を名乗っていた。
路線データ
廃止時
- 管轄:北海道旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):全長143.0km
- 名寄 - 上湧別 - 遠軽 138.1km
- 中湧別 - 湧別 4.9km
- 駅数:40(起終点駅を含む)
- 軌間:1067mm
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:タブレット閉塞式(本線)・スタフ閉塞式(支線)
- 交換可能駅:8(下川・上興部・中興部・興部・沙留・紋別・小向・中湧別)
- 上名寄、一ノ橋、西興部、渚滑、元紋別、開盛の各駅にはかつて交換設備が設置されていたが、後に撤去された。
- 交換可能駅:8(下川・上興部・中興部・興部・沙留・紋別・小向・中湧別)
- 簡易委託駅:西興部・渚滑・上湧別・湧別
- 中興部と小向は運転職員が配置されていたものの、切符の発売は一切行っていなかったが、路線末期には入場券を発行していた。
運転
廃止直前は普通列車のみの運転であったが、宗谷本線・旭川駅直通の列車などは、一部区間を快速運転していた(旭川に直通する列車は、宗谷本線内で快速運転していた。関連記事を参照。これは札幌駅まで直通していた急行「紋別」の名残であった)。
全線通しの列車が多く遠軽に向かうほど本数が増え、1-3時間に1本程度運転されていた。末期には交換設備が削減されたため、便数の割に国鉄時代より時間調整が増えていた。渚滑線廃止前は、渚滑線からの直通列車も設定されていた。
- 名寄 - 下川間 上下8往復(下りのみ区間列車1本、休日運休)
- 下川 - 紋別間 下り7本、上り8本(上りのみ興部で接続便あり)
- 紋別 - 中湧別間 下り9本、上り10本(上りのみ紋別で接続便あり)
- 中湧別 - 遠軽間 下り10本、上り11本
- 湧別 - 中湧別間 朝夕の上下2往復(すべて遠軽直通、一部は紋別方面の列車と併結)
湧別-中湧別間は、湧網線廃止前は湧網線と一体でダイヤが組まれほぼ直通運転していた。
優等列車
- 1962年(昭和37年)5月1日 札幌 - 遠軽間の急行「紋別」(もんべつ)、旭川 - 遠軽 - 名寄 - 旭川間の循環準急「旭川」(あさひかわ)、興部 - 網走間の準急「天都」(てんと)運転開始。
- 1963年(昭和38年)6月1日 急行「紋別」紋別 - 遠軽間を普通列車化。
- 1966年(昭和41年)3月5日 準急列車制度の変更に伴い、「旭川」「天都」が急行列車化。
- 1968年(昭和43年)10月1日 下り急行「紋別」の普通列車区間を興部→遠軽間とする。また、「旭川」の運行区間を変更し、旭川 - 遠軽 - 興部 - 名寄間の急行「オホーツク」に名称を変更する。ただし、興部-名寄間は普通列車となる。
- 1970年(昭和45年)10月1日 急行「オホーツク」の名寄本線内は普通列車となる。下り急行「天都」の運転区間を名寄→網走間に延長するが、名寄→興部間は普通列車として運行。
- 1972年(昭和47年)10月2日 急行「オホーツク」が「大雪」に名称変更するが、名寄本線内は普通列車となる。
- 1980年(昭和55年)10月1日 急行「天都」廃止。上り急行「紋別」の普通列車区間を遠軽→興部間とする。
- 1986年(昭和61年)11月1日 急行「紋別」廃止。このほか、旭川直通で石北本線回りの急行「大雪」(名寄本線内は普通列車)も廃止。これにより、名寄本線を経由する優等列車はすべて消滅した。
歴史
名寄本線は、北海道鉄道敷設法に規定する「天塩国奈与呂ヨリ北見国網走ニ至ル鉄道」の一部であり、道央とオホーツク海沿岸方面を結ぶ幹線鉄道として建設されたものである。
湧別軽便線(ゆうべつけいべんせん)の延長として、1915年に野付牛(現在の北見駅)方面(下生田原、現在の石北本線安国駅)から社名淵(後の開盛)へ延長された路線を発端とする。国有鉄道の軽便線は、軽便規格とはいいながら他路線と同じ軌間1067mmで建設されたが、湧別軽便線だけは、軌間762mmであった。翌年(1916年)には、軌間1067mmに改軌されたが、私鉄買収線を別にすれば国有鉄道が軌間762mmで建設した唯一の例である。この年、社名淵 - 下湧別(後の湧別)間が軌間1067mmで延伸開業し、全通。1922年に軽便鉄道法の廃止により湧別線(ゆうべつせん)に改称された。
一方、名寄 - 中湧別間は難所であった石北峠・北見峠を避けて、名寄方は名寄西線(なよろさいせん)、中湧別方は名寄東線(なよろとうせん)として両側から建設が進められ、1919年から1921年にかけて名寄線(なよろせん)として全線が開通した。1923年に支線(渚滑線)の開業にともない名寄本線に改称している。
しかし、1932年に北見峠を克服して石北線(当時の名称。1961年に石北本線と改称)が全通すると湧別線は遠軽を境に分割され、遠軽 - 下湧別間は名寄本線に、遠軽 - 野付牛間は石北線に編入された。同時に、名寄本線は幹線鉄道としての役目を石北線に譲ることとなった。
仮乗降場が多数設置され、ローカル線としてはこまめに駅を設けていた路線であった。
1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定されたが、冬季の代替輸送に問題があるとして他の3線(天北線、池北線、標津線)と共に一時、廃止承認が留保された。しかし、結局1985年に問題がなくなったとして追加廃止承認された。国鉄分割民営化後、比較的乗降客の多かった名寄駅 - 下川駅、紋別駅 - 遠軽駅間を第三セクター化して部分存続させる案が浮上したが、廃止区間となる興部町などが全線存続を強く主張したため折り合いがつかず、結局1989年に全線廃止された。
名寄線
- 1919年(大正8年)10月20日 名寄 - 下川 (16.5km) が名寄線として開業、上名寄・下川の各駅を新設
- 1920年(大正9年)10月25日 下川 - 上興部 (22.4km) が延伸開業、一ノ橋・上興部の各駅を新設
- 1921年(大正10年)
- 1923年(大正12年)11月5日 名寄線を名寄本線と改称
湧別線
- 1915年(大正4年)11月1日 (下生田原 - )遠軽 - 社名淵 (4.5km) が湧別軽便線(軌間762mm)として延伸開業、遠軽・社名淵の各駅を新設
- 1916年(大正5年)
- 1922年(大正11年)9月2日 軽便鉄道法廃止により湧別軽便線を湧別線に改称
両線統合後
- 1932年(昭和7年)10月1日 湧別線の遠軽 - 下湧別間を名寄本線に編入し、名寄本線(名寄 - 遠軽・中湧別 - 下湧別)とする
- 1934年(昭和9年)2月5日 社名淵を開盛に改称
- 1935年(昭和10年)6月1日 中湧別-下湧別間ガソリンカー運転開始[1]。
- 1947年(昭和22年)
- 1950年(昭和25年)1月15日 中名寄・二ノ橋・豊野の各仮乗降場を駅に改める
- 1954年(昭和29年)11月10日 下湧別を湧別に改称
- 1955年(昭和30年)
- 12月1日 一区中通仮乗降場を新設
- 12月25日 一本松・厚生病院前・四号線の各仮乗降場を新設
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)
- 1959年(昭和34年)
- 1961年(昭和36年)
- 3月20日 瀬戸牛を西興部に改称
- 1966年(昭和41年)10月1日 厚生病院前仮乗降場を廃止、北湧仮乗降場を新設(厚生病院仮乗降場の代替)
- 1978年(昭和53年)12月1日 中湧別 - 湧別の貨物営業を廃止。中名寄・上名寄・二ノ橋・中興部・宇津・小向・沼ノ上・開盛の各駅を無人化
- 1985年(昭和60年)
- 8月2日 第2次特定地方交通線として廃止承認
- 1986年(昭和61年)11月1日 名寄 - 紋別間の最終を1時間以上繰上げ。上湧別・元紋別・渚滑・西興部・一ノ橋・湧別の各駅を無人化
- 1987年(昭和62年)
- 4月1日 国鉄分割民営化に伴い北海道旅客鉄道が承継、名寄 - 遠軽の貨物営業を廃止、幸成・六興・旭ヶ丘・富丘・一本松・弘道・北湧・四号線の各仮乗降場を駅に、班渓仮乗降場を臨時駅に改める
- 12月1日 班渓臨時駅を駅に改める
- 1989年(平成元年)5月1日 全線を廃止、バス転換
駅一覧
接続路線の事業者名・駅の所在地は名寄本線廃止時点のもの。名寄本線廃止以前に廃止された路線はその路線の廃止時点のもの。全駅北海道に所在。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|
名寄駅 | - | 0.0 | 北海道旅客鉄道:宗谷本線・深名線(1995年9月4日廃止) | 名寄市 | |
中名寄駅 | 5.8 | 5.8 | |||
上名寄駅 | 3.9 | 9.7 | 上川郡下川町 | ||
矢文駅 | 2.4 | 12.1 | |||
岐阜橋駅 | 1.7 | 13.8 | |||
下川駅 | 2.7 | 16.5 | |||
二ノ橋駅 | 4.9 | 21.4 | |||
幸成駅 | 3.6 | (25.0) | |||
一ノ橋駅 | 2.9 | 27.9 | |||
上興部駅 | 11.0 | 38.9 | 紋別郡西興部村 | ||
西興部駅 | 6.3 | 45.2 | |||
六興駅 | 3.6 | (48.8) | |||
中興部駅 | 3.4 | 52.2 | |||
班渓駅 | 3.1 | (55.3) | 紋別郡興部町 | ||
宇津駅 | 3.3 | 58.6 | |||
北興駅 | 5.7 | 64.3 | |||
興部駅 | 3.5 | 67.8 | 日本国有鉄道:興浜南線(1985年7月15日廃止) | ||
旭ヶ丘駅 | 1.3 | (69.1) | |||
豊野駅 | 3.9 | 73.0 | |||
沙留駅 | 4.7 | 77.7 | |||
富丘駅 | 3.7 | (81.4) | |||
渚滑駅 | 7.5 | 88.9 | 日本国有鉄道:渚滑線(1985年4月1日廃止) | 紋別市 | |
潮見町駅 | 3.0 | 91.9 | |||
紋別駅 | 1.2 | 93.1 | |||
元紋別駅 | 4.6 | 97.7 | |||
一本松駅 | 4.9 | (102.6) | |||
小向駅 | 3.3 | 105.9 | |||
弘道駅 | 2.3 | (108.2) | |||
沼ノ上駅 | 4.4 | 112.6 | |||
旭駅 | 4.6 | 117.2 | 紋別郡上湧別町 (現:紋別郡湧別町) | ||
川西駅 | 2.1 | 119.3 | |||
中湧別駅 | 2.6 | 121.9 | 北海道旅客鉄道:名寄本線(湧別方面) 日本国有鉄道:湧網線(1987年3月20日廃止) | ||
北湧駅 | 3.1 | (125.0) | |||
上湧別駅 | 1.5 | 126.5 | |||
共進駅 | 3.2 | 129.7 | |||
開盛駅 | 3.9 | 133.6 | |||
北遠軽駅 | 1.8 | 135.4 | 紋別郡遠軽町 | ||
遠軽駅 | 2.7 | 138.1 | 北海道旅客鉄道:石北本線 |
支線
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
中湧別駅 | - | 0.0 | 北海道旅客鉄道:名寄本線(名寄・遠軽方面) 日本国有鉄道:湧網線(1987年3月20日廃止) |
紋別郡上湧別町 (現:紋別郡湧別町) | ||
四号線駅 | 3.0 | (3.0) | 紋別郡湧別町 | |||
湧別駅 | 1.9 | 4.9 |
※()内は実キロ。営業キロの設定はされていなかった。
転換先のバス事業者
- 名士バス
- 市立病院前 - 名寄駅前 - 下川バスターミナル - 興部
- 転換時は名寄側は西3条南6丁目起終点
- 紋別や遠軽への直通便も設定された
- 北紋バス
- 興部 - 紋別高校前 ※一部便は興部から雄武まで直通し興浜南線代替も兼ねる
- 紋別 - 遠軽
- 転換時は名寄より直通便もあり
- 北海道北見バス
- 紋別 - 遠軽
- 名寄本線廃止当時は北見バス
- 北高前→潮見町3丁目への直通便も設定された
- 湧別町営バス
- 中湧別小学校 - 旭
- 転換当時は上湧別町営バス
脚注
関連項目
- 日本の廃止鉄道路線一覧
- 国鉄の特殊狭軌線:遠軽 - 開盛間が該当、旧線名「湧別軽便線」
- オホーツク海縦貫線
- ↑ 『鉄道省年報. 昭和10年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 後に移転し旭丘仮乗降場(改称時期不明)となった後、旭ヶ丘仮乗降場と改称(改称時期は1980年頃とされる)。
- ↑ 学田仮乗降場の設置時期は不明。