遠軽町
テンプレート:Infobox 遠軽町(えんがるちょう)は、オホーツク総合振興局管内の町。2005年(平成17年)10月1日、旧遠軽町と生田原町、丸瀬布町、白滝村の3町1村が合併して発足した。
町名は当地で瞰望岩(がんぼういわ)を指していた見晴らしの良い高台を示すアイヌ語「インカルシ」(inkar-us-i、見る・いつもする・所)に由来する[1]。1901年、郵便路線整備にともなう新郵便局設置のため現地視察した札幌郵便局管理課員が、瞰望岩を示すアイヌ語名称を意義深いとして、新局をこれにちなんだ「遠軽郵便局」と名付けたことが始まりで、のち新設された官公庁や学校などもこれにならい、地名として定着した[2]。
目次
概要
オホーツク総合振興局管内中部の内陸に位置する。上川管内上川町との町境にそびえる北大雪山系東麓の湧別川およびその支流域にあたる東西47km、南北46kmが町域で、武利岳(標高1,876m)はオホーツク管内の最高峰である。町内は旧4町村の遠軽、生田原、丸瀬布、白滝の4地域に分かれ、市街地の標高はもっとも低い遠軽(町役場本所)で74m、もっとも高い白滝(白滝総合支所)で357mである。
農業に適した地で、道央圏とオホーツク海側を結ぶ交通の要衝としても栄えた。旧石器時代には国内有数の黒曜石およびそれを原材料にした石器の産地であり(白滝ジオパーク)、大正時代には合気道創始者の植芝盛平が入植し武術の道に入ったゆかりの地としても知られる。
2005年の4町村合併によって生田原村分村(1925年)以前の遠軽村村域に復する形となり、オホーツク総合振興局管内では人口で美幌町を超え最大の町である。面積では北海道内市町村のうち、留別村、北見市、足寄町、釧路市につぎ5番目に広く、町の人口としては2013年現在、音更町、七飯町、幕別町、新ひだか町、中標津町につぐ6番目である。
旧遠軽町は過疎地域の適用を受けていなかったが、他の3町村がいずれも過疎地域の適用自治体だったことから、新町発足後は基準によりすべての地域で過疎地域の適用を受けている。
地理
- 山: 武利岳(1,876m) 、支湧別岳(1,688m) 、平山(1,771m)、チトカニウシ山(1,446m) 、北見富士(1,306m)
- 河川: 瀬戸瀬川、生田原川、湧別川、社名淵川、武利川、丸瀬布川
- 滝: 山彦の滝、鹿鳴の滝、十三の滝、白滝
- その他: 瞰望岩(がんぼういわ) - 約700万年前の新生代新第三紀中新世後期、海底火山から噴出した安山岩質の水中溶岩(ハイアロクラスタイト)と火山性の砂岩礫岩の堆積物で形成された遠軽市街地の岩丘[3]。断崖頂部から地表まではおよそ78mの高さがある。アイヌ人の古戦場となった伝説がある。北海道自然百選選出。国指定名勝「ピリカノカ」の構成資産に指定[4]。
気候
ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候 (Dfb) に属する。夏は晴天の日が多く、内陸部のため日中の最高気温が30℃を超えることもよくみられるが、日平均気温は比較的低く湿度も低い。冬は最低気温が-20℃を下回ることが多いが、降雪量は道央の日本海側より少なく、雪質は軽い。2014年5月30日には最高気温33.7℃を記録し、この日の全国の観測地点での最高温を記録した。 テンプレート:Weather box
歴史
遠軽町は1896年(明治29年)、プロテスタントの日本基督教会(現・日本キリスト教会)が東北学院(仙台市)の神学部出身者を中心に創設した北海道同志教育会のキリスト教徒によって開拓が始まった道内でも珍しい歴史を持つ[5]。当地にキリスト教主義の私立大学を設立することをめざして1897年、学田地と名付けた現在の遠軽市街地に最初の集団入植を行ったが、翌年大水害に見舞われ、最終目的の大学建学は果たせなかった。1902年に遠軽教会を創設し、現在も日本キリスト教会遠軽教会(1931年建設、大通南二丁目)として伝道活動を行っている[6]。また学田の入植者らが基礎を築き、1913年に設立された救世軍遠軽小隊は、国内最北の小隊である。学田の名は今も地名(遠軽町学田)として残っている。
- 1869年 - 北見国紋別郡と命名され、和歌山藩の支配地となる。
- 1875年 - 湧別村の一部となる。
- 1893年 - 湧別原野植民地解放。
- 1896年 - 北海道同志教育会が結成され、湧別原野第四小作地を学田農場予定地として認可を受ける。
- 1897年 - 5月7日、北海道同志教育会の入植団30世帯(新潟県・山形県出身)が湧別海岸に到着。学田農場に最初の入植。
- 1919年 - 紋別郡上湧別村(後に上湧別町、現湧別町)から分村、二級町村制施行し紋別郡遠軽村となる。
- 1925年 - 遠軽村から生田原村が分村。
- 1934年 - 遠軽村が町制施行、一級町村制施行し遠軽町となる。
- 1946年 - 遠軽町から丸瀬布村、白滝村が分村
- 1953年 - 丸瀬布村が町制施行、丸瀬布町となる。
- 1954年 - 生田原村が町制施行、生田原町となる。
- 2005年 - 遠軽町、生田原町、丸瀬布町、白滝村の3町1村が対等合併。遠軽町となる。
経済
主な産業は商業と農業、林業、木材加工業である。開拓期に学田農場入植者の手で始められたハッカ栽培が戦後にかけて盛んだったほか、1935年には農林省北見種馬所(のち遠軽種畜牧場)が設置された。1950年に設置された北海道農業試験場遠軽試験地(遠軽町福路、1997年廃止)では寒地向けニホンハッカ8品種が開発され、寒冷地のハッカ産業に貢献した。
遠軽駅はかつて、旧名寄本線と石北本線の接続駅として栄え、国鉄遠軽機関区などの現業機関が多く設置されていた。1951年には町が旧農林省遠軽種畜牧場跡に警察予備隊駐屯地を誘致し、陸上自衛隊遠軽駐屯地が置かれている。
産業分類別就業者数
2010年国勢調査における産業分類別就業者数の上位区分(500人以上)は次の通りである。
区分 | 人数 |
---|---|
医療・福祉 | 1,497人 |
卸売業・小売業 | 1,344人 |
公務 | 1,234人 |
建設業 | 1,008人 |
製造業 | 858人 |
農業・林業 | 844人 |
サービス業 | 548人 |
教育・学習支援業 | 506人 |
金融機関
大型小売店
- Aコープえんゆう(遠軽店、生田原店) - えんゆう農協系列の株式会社エーコープえんゆう(本社・湧別町)が運営。
- コープさっぽろ (プラザ店、遠軽みなみ店) - 旧・道東市民生活協同組合本部(コープどうとう)運営。2006年、コープさっぽろに経営統合。
- 坂本ホーマ(遠軽店)
- サッポロドラッグストアー(遠軽店)
- シティえんがる
- ツルハドラッグ(遠軽店)
- ファッションセンターしまむら(遠軽店)
- ホーマック ニコット(遠軽店)
- マツヤデンキ(遠軽店)
立地企業
- 北見木材 - ヤマハが製造するグランドピアノ用木製部材の生産・供給を行う。
- 新エヌケイフーズ - ベル食品子会社。レトルト食品製造。レトルトスープカレー商品を初めて開発。
- ノルディックファーム
- 北海道あけぼの食品遠軽工場
- 森永乳業遠軽事務所
農協
- えんゆう農業協同組合(JAえんゆう)
- 遠軽支所
- 生田原支所
- 丸瀬布支所
- 白滝支所
- オホーツク農業共済組合遠軽家畜診療所
郵便
- 遠軽郵便局(集配局)
- 丸瀬布郵便局(集配局)
- 白滝郵便局(集配局)
- 瀬戸瀬郵便局
- 安国郵便局
- 生田原郵便局
電力
宅配便
- ヤマト運輸(道北主管支店) - 遠軽北センター、遠軽南センター
メディア
商工団体・観光協会
- 遠軽商工会議所(岩見通南二丁目)
- えんがる商工会(丸瀬布中町) - 生田原支所・白滝支所
- えんがる町観光協会 - 遠軽支部・生田原支部・丸瀬布支部・白滝支部
官公庁
遠軽町役場
- 本所(1条通北三丁目1番地1)
- 生田原総合支所(旧生田原町役場・生田原339番地1)
- 生田原総合支所安国出張所(旧生田原町役場安国出張所・生田原安国32番地)
- 丸瀬布総合支所(旧丸瀬布町役場・丸瀬布中町115番地2)
- 白滝総合支所(旧白滝村役場・白滝138番地1)- 遠軽町埋蔵文化財センター・遠軽町白滝ジオパーク交流センターを併設
国・道の機関
- 法務省
- 厚生労働省
- 北見公共職業安定所遠軽出張所
- 農林水産省
- 北海道森林管理局網走西部森林管理署
- 生田原合同森林事務所
- 丸瀬布合同森林事務所
- 白滝合同森林事務所
- 北海道森林管理局網走西部森林管理署
- 国土交通省
- 北海道開発局網走開発建設部遠軽開発事務所
- 白滝管理所
- 北海道開発局網走開発建設部遠軽開発事務所
- 防衛省
- オホーツク総合振興局
- 遠軽合同庁舎
- 保健環境部紋別地域保健室遠軽地域保健支所
- 保健環境部社会福祉課遠軽社会福祉事務出張所
- 網走農業改良普及センター遠軽支所
- 西部森林室遠軽事務所
- 網走建設管理部遠軽出張所
- 遠軽合同庁舎
警察
- 遠軽警察署 - 駅前交番、生田原警察官駐在所、安国警察官駐在所、丸瀬布警察官駐在所、白滝警察官駐在所
消防
- 遠軽地区広域組合消防本部 - 事務局・消防本部・消防署、生田原出張所、丸瀬布出張所、白滝出張所
地域
人口
医療
- 総合病院 - 北海道厚生農業協同組合連合会(JA北海道厚生連)の2病院がある。
- 遠軽厚生病院
- 丸瀬布厚生病院
教育
- 高等学校 - 町立の北海道遠軽郁凌高等学校は2009年に閉校した。
- 中学校
- 遠軽町立遠軽中学校
- 遠軽町立南中学校
- 遠軽町立生田原中学校
- 遠軽町立安国中学校
- 遠軽町立丸瀬布中学校
- 遠軽町立白滝中学校
- 小学校
- 遠軽町立遠軽小学校
- 遠軽町立南小学校
- 遠軽町立遠軽東小学校
- 遠軽町立瀬戸瀬小学校
- 遠軽町立生田原小学校
- 遠軽町立安国小学校
- 遠軽町立丸瀬布小学校
- 遠軽町立白滝小学校
- 遠軽町立支湧別小学校
- 養護学校
- 北海道紋別養護学校ひまわり学園
公営住宅
道営団地
- 中央団地
町営団地
- 遠軽地域 - 山の手、豊里、末広、川岸、学田、北2丁目、向遠軽、寡婦住宅、瀬戸瀬、ふくろ(2013年度完成予定)
- 生田原地域 - 学校通、大和、北区、コーポ白樺、栄行、共進、生野、伊吹高原定住、林友定住、安国中央定住、日進
- 丸瀬布地域 - 新町第1号、新町第3号、新町、新町緑ヶ丘、若葉、若葉第2号、水谷、天神、天神第2号、元町、新町定住1号、新町定住2号、新町定住4号、新町定住5号、新町定住6号、西町定住、天神定住、天神定住2号、上武利定住2号、フレッシュ若葉
- 白滝地域 - あけぼの、中央、東区、南区、西区、西区第2、上白滝、上支湧別、アゼリアハイツ、しらかば、南区定住
交通
空港
鉄道
かつて名寄本線(名寄 - 遠軽)が遠軽駅で接続していたが、1989年5月1日に廃止された。
バス
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
文化財
史跡
- 白滝遺跡群 - 白滝地域は後期旧石器時代から縄文時代にかけての一大黒曜石産地で、ここで生産された細石刃の特殊技法は、「湧別技法」として世界的に知られている。2010年に白滝ジオパークとして日本ジオパークに加盟。
重要文化財
- 北海道白滝遺跡群出土品 - 石器1,423点、接合資料435組(遠軽町埋蔵文化財センター収蔵)
名勝
- ピㇼカノカ
- 瞰望岩(インカルシ)
観光
遠軽地域
生田原地域
- 生田原温泉「ホテルノースキング」
- ノルディックファーム
- オホーツク文学館
- オホーツク文学碑公園
丸瀬布地域
- 森林公園いこいの森 - 北海道遺産指定の武利森林鉄道蒸気機関車「雨宮21号」を動態保存
- 丸瀬布温泉
- 丸瀬布昆虫生態館 - 丸瀬布温泉の廃熱を利用した昆虫館
- 平和山公園
- 山彦の滝
- 鹿鳴の滝
- 十三の滝
- 道の駅まるせっぷ
白滝地域
祭事など
- コスモスフェスタ(9月 - 10月)
- コスモス開花宣言花火大会(8月下旬)
- 湧別原野100kmクロスカントリースキー大会(2月下旬)
- 遠軽がんぼう祭り(桜祭り・夏祭り・冬祭り)
- ヤマベまつり(7月中旬)
- Engaru Hokkaido May 2004 2.jpg
瞰望岩から望む遠軽市街地と湧別川
- Engaru, Hokkaido, March 2004.JPG
JR遠軽駅前の遠軽市街地
- Amemiya 21gou Steam Locomotive Hokkaido Japan.jpg
丸瀬布いこいの森の蒸気機関車
- Setose spa 2011.JPG
瀬戸瀬温泉
- North King 2011.JPG
生田原温泉「ノースキング」
- 北大雪スキー場2.JPG
北大雪スキー場
- 遠軽高校.JPG
北海道遠軽高校
姉妹都市・提携都市
出身者
- 本橋浩一(1930年 - 2010年) - 日本アニメーション創業者、前社長。アニメ「フランダースの犬」、「母をたずねて三千里」などの『世界名作劇場』を制作
- 堀達也(1935年生) - 前北海道知事(1995年 -2003年)。前・札幌大学理事長
- 若美山三雄(1936年生) - 元力士、旧丸瀬布村出身。
- 岸本健(1938年生) - スポーツ写真家、フォート・キシモト代表。1964年東京オリンピックからトリノオリンピックまで連続22大会取材
- 安彦良和(1947年生) - アニメーター、漫画家。アニメ「機動戦士ガンダム」、「宇宙戦艦ヤマト」などの制作に従事
- 川端民生(1947年 - 2000年) - ベーシスト。「ネイティブ・サン」、「渋谷毅オーケストラ」で活躍
- 高柳薫(1950年生) - 連合北海道前会長、北海道労働金庫理事長
- 湖川友謙(1950年生) - アニメーター、演出家。アニメ「伝説巨神イデオン」、「聖戦士ダンバイン」、「さらば宇宙戦艦ヤマト」などの制作に従事
- 甲田益也子(1960年生) - モデル、女優、歌手
- 木村俊昭(1960年生) - 前農林水産省企画官、東京農業大学教授
- 恩田尚之(1962年生) - アニメーター、キャラクターデザイナー、作画監督
- 田中雅美(1979年生) - 元競泳選手。シドニーオリンピック 女子競泳メドレーリレー銅メダリスト
その他の著名人
- 植芝盛平(1883年 - 1969年) - 合気道の創始者。和歌山県田辺市出身。1912年(大正元年)に紀州団体54戸の団体長として紋別郡上湧別村白滝原野(現・遠軽町白滝)に入植し、7年間にわたり白滝地域の開拓・発展に尽力するかたわら、この地で武術の道に入る。元・上湧別村会議員。