生田原駅
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ファイル:Ikutahara station02.JPG
ホームの様子
ファイル:生田原駅待合室.jpg
待合室(2004年7月)
ファイル:Ikutahara eki.jpg
1977年の生田原駅と周囲約500m範囲。下が網走方面。少しずれた単式ホーム2面2線と駅裏に短めの4本の留置線と、駅舎横遠軽側に貨物ホームと2本の引込み線を有している。駅裏の留辺蘂側には、留辺蘂との間で運用されていた常紋峠越え補機用蒸気機関車用の転車台の丸く白い跡と、留置用に転用されているかつての待機線が見える。
駅裏には営林署管轄の広大なストックヤード(土場)があり、かつて南西方向(左下)の生田原川上流やその支流の浦島内川上流から上生田原森林鉄道が、本線を跨いで北上し、ヤードの南へ乗り入れていた。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
駅裏には営林署管轄の広大なストックヤード(土場)があり、かつて南西方向(左下)の生田原川上流やその支流の浦島内川上流から上生田原森林鉄道が、本線を跨いで北上し、ヤードの南へ乗り入れていた。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
生田原駅(いくたはらえき)は、北海道紋別郡遠軽町生田原にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線の駅。
2002年(平成14年)12月1日から特急「オホーツク」を含む全列車が停車するようになった[1]。駅番号はA53。電報略号はイハ。
歴史
- 1914年(大正3年)10月5日:官設鉄道下生田原 - 留辺蘂間開業にともない設置。当時の駅名は上生田原駅(かみいくたはら)。一般駅。
- 1928年(昭和3年):上生田原森林軌道(馬鉄)開設。
- 1942年(昭和17年):森林軌道が機関車を導入して森林鉄道となる。
- 1946年(昭和21年)3月1日:生田原駅に改称。
- 1954年(昭和29年):上生田原森林鉄道廃止。
- 1984年(昭和59年)11月10日:簡易委託化。
- 1985年(昭和60年)6月1日:貨物・荷物扱い廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承。
- 1992年(平成4年)4月1日:簡易委託廃止。
- 1993年(平成5年)3月25日:文学館・図書館併設のコミュニティセンターとして駅舎改築[2]。
- 2002年(平成14年)12月1日:特急「オホーツク」の全列車が停車するようになる[1][3][1]。
駅構造
単式・島式ホーム2面2線の複合ホーム。ホーム間の線路は両方と接するが、島式ホーム側での乗降は行わない。2番のりばへは構内踏切を渡る。
1 | ■石北本線 | (上り) | 遠軽・旭川・札幌方面 | |
---|---|---|---|---|
2 | ■石北本線 | (下り) | 留辺蘂・北見・網走方面 | |
(上り) | 遠軽方面 | (当駅始発) |
遠軽駅管理の無人駅。駅舎には図書館、オホーツク文学館が併設されている。
駅名の由来
アイヌ語の「イキタラ」(笹)が転訛したもの。この地域には笹が多く生えていることから。
駅周辺
- 北海道道592号湯里生田原停車場線
- 国道242号
- 遠軽町役場生田原総合支所(旧・生田原町役場)
- 遠軽警察署生田原駐在所
- 生田原郵便局
- 遠軽信用金庫生田原支店
- えんゆう農業協同組合(JAえんゆう)生田原支所
- ちゃちゃワールド(木製のおもちゃをテーマとする観光施設[4]。1998年(平成10年)4月28日に開館[4]。
- 生田原温泉ノースキング
- 北海道北見バス「生田原」停留所
隣の駅
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- テンプレート:Color石北本線
脚注
参考文献
関連項目
- 日本の鉄道駅一覧
- 列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜 - 当駅にてテレビ中継が行われた。
外部リンク
テンプレート:石北本線- ↑ 以下の位置に戻る: 1.0 1.1 1.2 “JR生田原駅 1日から全特急停車 「交流人口増え活性化」 町、長年の悲願達成喜ぶ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2002年11月29日)
- 元の位置に戻る ↑ 北海道630駅 小学館 1993年発行。
- 元の位置に戻る ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ 以下の位置に戻る: 4.0 4.1 “「ちゃちゃワールド」28日開館 木製がん具1万点 生田原に まるで世界旅行”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1998年4月3日)