興浜南線
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|} 興浜南線(こうひんなんせん)は、日本国有鉄道が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。 興浜線の先行開業部分として、北海道紋別郡興部町の興部駅で名寄本線から分岐し、同郡雄武町の雄武駅まで開通していたが、1980年の国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され、1985年(昭和60年)7月15日に廃止された。
終点の雄武駅の読みは「おむ」であるが、所在地の自治体名は「おうむ」である。
路線データ
- 管轄:日本国有鉄道
- 区間(営業キロ):興部 - 雄武 (19.9km)
- 駅数:6(起点駅を含む。駅4、仮乗降場2)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:タブレット閉塞式
- 交換可能駅:なし(全線1閉塞)
歴史
改正鉄道敷設法別表第145号に規定する予定線の一部で、本来は興浜北線と結んで興部 - 浜頓別間のオホーツク海沿岸を縦貫する鉄道の一部(興浜線)となる計画であった。1935年に雄武までが開業したが、太平洋戦争末期の1944年には不要不急線として全線が休止、戦後すぐに復活した。
北見枝幸と雄武間の未成区間の一部で建設工事も行なわれていたが、沿線の開拓計画の頓挫などから建設は進まず、結局接続する予定であった興浜北線ともども第1次特定地方交通線に指定され、両線とも1985年に廃止。一部で完成していた未成区間の路盤等も放棄された。また、両線が接続していた名寄本線、天北線も第2次特定地方交通線に指定され、廃止されている。
廃止協議の過程で、未成区間を完成させ接続する天北線や名寄本線、湧網線などと一体化させた「オホーツク縦貫鉄道構想」も立案されたが、開業しても毎年数億円単位の赤字が発生することが判明し、結局断念されている。
- 1935年(昭和10年)9月15日:興部 - 雄武間 (19.9km) を興浜南線として開業。沢木駅・栄丘駅・雄武駅を新設。
- 1944年(昭和19年)11月1日:全線 (19.9km) を休止[1]。
- 1945年(昭和20年)12月5日:全線 (19.9km) の営業を再開。
- 1948年(昭和23年)7月1日:栄丘仮乗降場を新設。
- 1955年(昭和30年)12月25日:元沢木仮乗降場・雄武共栄仮乗降場を新設。
- 1956年(昭和31年)9月20日:栄丘仮乗降場を駅に改める。
- 1975年(昭和50年)3月 : 蒸気機関車の運転を廃止[2]。
- 1981年(昭和56年)9月18日:第1次特定地方交通線として廃止承認。
- 1984年(昭和59年)2月1日:全線の貨物営業を廃止。
- 1985年(昭和60年)7月15日:全線 (19.9km) を廃止[3]
駅一覧
接続路線の事業者名・駅の所在地は廃止時点のもの。全駅北海道に所在。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
興部駅 | - | 0.0 | 日本国有鉄道:名寄本線 | 紋別郡興部町 |
沢木駅 | 8.3 | 8.3 | 紋別郡雄武町 | |
元沢木仮乗降場 | - | (10.3) | ||
栄丘駅 | 5.1 | 13.4 | ||
雄武共栄仮乗降場 | - | (16.2) | ||
雄武駅 | 6.5 | 19.9 |
※仮乗降場には営業キロが設定されていなかった。括弧内に実キロを記す。
脚注
- ↑ 「運輸通信省告示第483号」『官報』1944年10月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「国鉄蒸気線区別最終運転日一覧」『Rail Magazine 日本の蒸気機関車』1994年1月号増刊
- ↑ “興浜南線 半世紀の歴史閉じる”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1985年7月15日)
- ↑ “代替バスが発車 国鉄興浜南線”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1985年7月15日)