北海道鉄道 (初代)
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北海道鉄道(ほっかいどうてつどう)は、明治時代に存在した私鉄。現在の北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の函館駅と南小樽駅の間を建設した。1906年(明治39年)公布の鉄道国有法により1907年(明治40年)7月1日に国有化された。
なお、現在の千歳線などを建設した北海道鉄道(1943年に国有化)は、別の会社である。
開業の歴史
- 1902年12月10日 【開業】函館(初代)-本郷 【駅新設】函館(初代)、桔梗、七飯、本郷 【開業】然別-蘭島 【駅新設】然別、仁木、余市、蘭島
- 1903年6月28日 【延伸開業】本郷-森 【駅新設】大沼、宿野辺、森 【延伸開業】山道(然別-銀山間、現在廃止)-然別 【駅新設】山道 【延伸開業】蘭島-小樽中央(現・小樽) 【駅新設】塩谷、小樽中央
- 1903年11月3日 【延伸開業】森-熱郛 【駅新設】石倉、野田追、山越内、八雲、黒岩、国縫、長万部、二股、黒松内、熱郛
- 1904年7月1日 【延伸開業】函館(2代)-亀田 【駅新設】函館(2代) 【駅名改称】函館(初代)→亀田
- 1904年7月18日? 【延伸開業】小沢-山道 【駅新設】小沢
- 1904年10月15日 【延伸開業】歌棄-小沢 【駅新設】赤井川、山崎、紋別、蕨岱、磯谷、蘭越、昆布、真狩、比羅夫、倶知安 【駅名改称】宿野辺→駒ヶ岳、山越内→山越、熱郛→歌棄、蘭島→忍路、小樽中央→高島
- 1905年1月29日 【駅新設】銀山
- 1905年8月1日 【延伸開業】高島-小樽(北海道炭礦鉄道、現・南小樽)
- 1905年12月15日 【駅名改称】歌棄→熱郛、磯谷→目名、真狩→狩太、忍路→蘭島、高島→小樽中央
- 1907年7月1日 【買収・国有化】→官設鉄道
被買収路線
下記の開業線158M77Cが買収された[1]。買収直前(1907年6月30日)における区間及び駅は次のとおり。
- 函館-小樽 158M77C
輸送・収支実績
年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) |
---|---|---|---|---|---|
1902 | 20,089 | 406 | 10,572 | 4,562 | 6,010 |
1903 | 364,100 | 43,047 | 161,956 | 289,042 | ▲ 127,086 |
1904 | 502,921 | 83,246 | 403,082 | 450,006 | ▲ 46,924 |
1905 | 660,064 | 154,750 | 701,436 | 534,319 | 167,117 |
1906 | 836,491 | 255,158 | 900,974 | 603,424 | 297,550 |
1907 | 240,680 | 84,190 | 299,443 | 267,418 | 32,025 |
- 「国有及私設鉄道運輸延哩程累年表」「国有及私設鉄道営業収支累年表」『鉄道局年報』明治40年度(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)より
車両
国有化時には機関車27、客車44、貨車300が引き継がれた[1]。
蒸気機関車
- A1形 - 1
- 0-6-0 (C) 形タンク機
- 米ボールドウィン社製
- 鉄道院1180形
- 旧高野鉄道7
- A2形 - 2
- 0-6-0 (C) 形タンク機
- 英ナスミス・ウィルソン社製
- 鉄道院1170形
- B1形 - 3, 4
- 2-4-2 (1B1) 形タンク機
- 汽車製造製
- 鉄道院230形
- B2形 - 5
- 2-4-2 (1B1) 形タンク機
- 英ナスミス・ウィルソン社製
- 鉄道院600形
- A3形 - 6-8
- 0-6-0 (C) 形タンク機
- 英ダブス社製
- 鉄道院1850形
- C1形 - 9, 10
- 2-6-0 (1C) 形テンダ機
- 英ベイヤー・ピーコック社製
- 鉄道院7700形
- D1形 - 11
- 0-4-4-0 (B+B) 形タンク機(マレー式)
- 独マッファイ社製
- 鉄道院4510形
- C2形 - 12-17
- 2-6-0 (1C) 形テンダ機
- 英ノース・ブリティッシュ・ロコモティブ社製
- 鉄道院7800形
- E1形 - 18-22
- 0-6-2 (C1) 形タンク機
- 英ノース・ブリティッシュ・ロコモティブ社製
- 鉄道院2120形
- E2形 - 23-27
- 0-6-2 (C1) 形タンク機
- 英ノース・ブリティッシュ・ロコモティブ社製
- 鉄道院2120形 - 旧鉄道作業局1016-1019, 1046
客車
木製2軸車
- イロ3.4 2両 天野工場製 定員一等8人二等18人 国有化後フイロ370.371(形式370) 一二等車(手用制動機附)形式図
- ロハ1-6 6両 東京車輌会社工場製(1-5)東京天野工場製(6) 定員(二等10人三等20人) 国有化後フロハ930-935(形式930) ニ三等車(手用制動機附)形式図
- ハ7-14 8両 東京車輌会社工場製、東京天野工場製 定員36人 国有化後フハ3434-3441(形式3434) ニ三等車(手用制動機附) 形式図
- ヨユ1-6 6両 製造所不明 国有化後フユ3775-3780(形式3775) 郵便車(手用制動機附) 形式図図面無し
- ヨユ7-11 5両 新橋工場製 国有化後フユ3781-3785(形式3781)郵便車(手用制動機附) 形式図図面無し
- ユニ1.3 2両 天野工場製 国有化後ユニ3980.3981(形式3980) 郵便手荷物緩急車 形式図
- ユニ4 1両 北海道鉄道会社函館工場製 国有化後ユニ3982(形式3982) 郵便手荷物緩急車 形式図
木製ボギー車
- イロ1.2 2両 東京天野工場製、汽車製造会社製 定員一等18人二等32人 国有化後フホイロ5450.5451(形式5450) 一二等車(手用制動機附) 形式図
- イロ5 1両 東京車輌製造会社工場製 定員一等18人二等28人 国有化後フホイロ5460(形式5460) 一二等車(手用制動機附) 形式図
- イロ6.7 2両 東京天野工場製 定員一等19人二等30人 国有化後フホイロ5470.5471(形式5470) 一二等車(手用制動機附) 形式図
- ハ1-6 6両 東京天野工場製(1-3)汽車会社製造製(4-6) 定員80人 国有化後フホハ7980-7985(形式7980) 三等車(手用制動機附) 形式図
- ハ15-18 4両 東京車輌製造会社工場製(15.16)東京天野工場製(17.18) 定員80人 国有化後フホハ7990-7993(形式7990) 三等車 形式図
- ユニ5.6 2両 東京車輌製造会社工場製 国有化後ホユニ87300.8731(形式8730) 郵便手荷物緩急車 形式図
- ユニ7.8 2両 東京天野工場製、汽車会社製造製 国有化後ホユニ8740-8741(形式8740) 郵便手荷物緩急車 形式図
リンク先は国立国会図書館近代デジタルライブラリーの『客車略図 上 下巻』
車両数の推移
年度 | 機関車 | 客車 | 貨車 |
---|---|---|---|
1902 | 4 | 10 | 50 |
1903 | 10 | 30 | 150 |
1904 | 17 | 39 | 210 |
1905 | 22 | 44 | 250 |
1906 | 27 | 44 | 265 |
- 「私設鉄道現況累年表」『鉄道局年報』明治40年度(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)より
参考文献・脚注
- ↑ 1.0 1.1 開業線158M77C、機関車27、客車44、貨車300 『鉄道国有始末一斑』 p. 673(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)