ビートたけしのスポーツ大将
『ビートたけしのスポーツ大将』(ビートたけしのスポーツたいしょう)は、1985年4月16日から1990年2月27日までテレビ朝日系列局で放送されたテレビ朝日製作のスポーツバラエティ番組で、ビートたけしの冠番組でもある。
番組概要
ビートたけしとその弟子軍団であるたけし軍団&たけし軍団セピアの面々が、野球、陸上競技、サッカーなど様々なスポーツに挑戦、番組で募集した一般視聴者チームや芸能人チームなどと対戦したり、スタジオでの実技挑戦などに取り組んでいた。プロ野球シーズンオフになるとプロ野球選手も草野球対決などで登場することがあった。
中断・再開
1986年12月のフライデー襲撃事件でたけしが芸能活動を自粛、番組も「ビートたけしの」のクレジットを外し、単に「スポーツ大将」として放映された。留守を預かったのはフリーアナウンサーの志生野温夫と事件に不参加のたけし軍団メンバー、つまみ枝豆、井手らっきょ、ラッシャー板前である[1]。たけしが復帰しないまま、1987年3月に番組はいったん終了。
たけしが芸能活動を再開するのにあわせて、約1年後の1988年2月10日から番組を再開し、1990年まで放映された。
1985年の大晦日にはこの番組の延長線的なスペシャル番組「ビートたけしの元祖マラソン野球中継」が放送された。1987年大晦日にも放送。
番組終了後「ビートたけしのスポーツのススメ」と言うタイトルで特番で数回放送された。
放送時間
- 第1期(1985年4月-1987年3月)
- 毎週火曜20:00-20:54(JST)
- 第2期(1988年2月-1989年3月)
- 毎週水曜20:00-20:54(JST)
- 第3期(1989年4月-1990年2月)
- 毎週火曜19:00-19:55(JST)
主な競技
- 陸上競技
- 軍団・セピアが募集に応募した一般視聴者と対戦。
- バレーボール
- 軍団・セピアに加えて白井貴子を中心としたモントリオールオリンピック女子代表選手が一般視聴者と対戦。主にママさんバレーのチームと対戦した。当初は弱かったが徐々に上達し、番組後期にはAクイックを繰り出すなど強くなった。
- サッカー
- 軍団・セピアに加えてセルジオ越後やカルロス・ニコトラ(ラモス瑠偉のいとこ)、カルバリオ等、当時のサッカー日本リーグ経験者が一般視聴者と対戦。助っ人として奥寺康彦や帰国したばかりの三浦知良が参加した事もある。また特番では明石家さんま率いる芸能人ドリームチームのザ・ミイラや、ジャッキー・チェン率いる香港スター軍団と対戦した事もある。
- ゴルフ
- たけしと軍団メンバー1人が芸能人とペア同士で対戦。長嶋茂雄、大橋巨泉、和田アキ子などが参加。ジュニア時代の東尾理子も参加した事があり、たけしに圧勝している。
- 水泳
- 軍団・セピアが一般視聴者と対戦。たけしの当時のマネージャーだった菊地忠が「ジキル菊地」の名で参加した事もある。
- スキー
- 軍団・セピアが一般視聴者と共にスキー教室を行い、スラロームのスピード対決などを行った。応募した家族参加者に混じって間寛平一家が参加した事もある。
- スケート
- 軍団・セピアが一般視聴者と対戦。渡部絵美がコーチとして参加した事もある。
- ソフトボール
- 番組企画で募集した女たけし軍チームと一般視聴者チームが対戦。
- ハンドボール
- 国体出場経験もあるそのまんま東を中心に、学生等のアマチュアチームと対戦。当時の実業団強豪チームとも対戦した。
- バスケットボール
- 軍団・セピアが一般視聴者チームと対戦。特番では松山千春率いるチームと対戦した事もある。
- 卓球
- たけしと軍団が予選を勝ち抜いた一般視聴者家族チームとペアで対戦。特番では芸能人やプロ野球選手チームとも対戦した。
- 野球
- たけし軍団の草野球チームが一般視聴者チームと対戦。助っ人としてアニマル・レスリー(元阪急)や富田勝(元巨人)などプロ野球OBも参加。特番では所ジョージチームや仰木彬率いるプロ野球現役選手チーム等と対戦した事もある。初期には番組企画で井手らっきょが日本ハムの入団テストを受け、合格した事もある。番組後期にはプロ野球入団テスト受験を目的に「プロ野球予備軍」を募集。稲尾和久や江夏豊などをコーチに迎え実際に入団テストを受験したが、こちらは一人も合格者を出す事は出来なかった。また大森うたえもんが完全試合を達成している。
- ボウリング
- 大橋巨泉や所ジョージらと対戦。2対2のチーム戦の場合、たけしは軍団の中でもボウリングがうまいガダルカナル・タカとペアを組んでいた。大橋巨泉は、ボディアクションが激しく、総集編のときにアクションをまとめたVTRが流され、たけしたちは大笑いしていた。
- たけしの穴
- 主にスポーツが苦手な子供を対象に、プロのコーチが教室を開いて苦手を克服しようという企画。水泳、スキー、スケート等で行われた。
人形キャラクター
この番組ではいわゆる人形キャラクターも繰り出して視聴者と対決するコーナーもあった。後年にシルシルミシルにてカール君・小カール君ターボ・ツヨイナーちゃんが登場したが、この内、カール君とツヨイナーちゃんだけ非常に状態が悪く(ほとんどの部分で骨格が露出している)、唯一状態が良いものは小カール君ターボのみである。
- カール君
- 100m走の優勝者が、カール・ルイスを模した人形と対戦するもので、カール君は100mのトラックをレール上で走るというものだった。その後、人形は対小学生用に開発された少年型の小カール君、小カール君の胸元に赤いパトライトが取り付けられレース後半で急加速する仕様になった小カール君ターボへと変更された。レール上を走る特性上、レース中に脱線してリタイヤすることがしばしばあった(特にカール君に多かった)。
- ダイナマイトジョンソン君~ツヨイナーちゃん
- 第2期開始時にカール君に替わって登場したベン・ジョンソンを模した人形。モデルのジョンソンがソウルオリンピックでのドーピング違反で金メダルを剥奪された事から、その後フローレンス・グリフィス=ジョイナーを模したツヨイナーちゃんへと変更された。
- トビウオ君
- 水泳において挑戦者と一騎討ちする人形。スクリュー付きの人形なのだが、水上で浮いており操縦できないのでよく方向が逸れてコースアウトしていた。
- 球道君
- 番組にも数回ゲスト出演した水島新司の野球劇画「球道くん」の主人公をモチーフにした人形を張り合わせたピッチングマシーンを使い、草野球選手がそれを打てるかという企画だった(ちなみに新司の子息である新太郎はたけし軍団セピアのメンバーの一人だった)。
エピソード
- 野球コーナーでは特別編として1986年8月頃に「たけし軍対名球会」が行われた。しかし放映予定時がフライデー襲撃事件と重なってしまい、1988年秋に約1年半遅れで放送された。試合結果は先発の金田正一は好投したものの、引退間もない平松政次などが打ち込まれて完敗。金田がリベンジを誓い、これが後に正月恒例の「名球会VSビートたけし&芸能界ドリームチーム」に繋がる。
- 野球コーナーでは、後に阪神タイガースに入団する麦倉洋一が中学生時代に出演したことがある。試合はたけし軍団と対決し1安打完封、たけしに「君はプロでやっていける」と絶賛された。
- 1986年9月23日には「'86オールスター!!秋の番組対抗スポーツ大将スペシャル」という番組対抗形式の特番が行われた。これはそれまでテレビ朝日が期首特番として放送していた「オールスター番組対抗ボウリング大会」の流れを汲む形で企画されたが、レギュラー版の一旦終了も相まって1回きりの開催に終わった。ちなみに参加番組は当番組の他に、
などであった。
- 1988年10月19日、系列局の朝日放送と東日本放送は川崎球場で行われたロッテオリオンズ対近鉄バファローズ戦(10.19)を放送した為休止。共に振替放送をした。
- 1989年、サッカーコーナーで助っ人として参加した三浦知良がゴールを決めた際にカズダンスを披露した。これが日本のテレビで初めてカズダンスが放送された場面である。
- 回数は少なかったがボウリングも行われていた。番組後期には大橋巨泉が参戦、独特のボディーアクションが笑いを誘った。総集編のときに巨泉のボディーアクションをまとめたVTRが流され、たけしたちは大笑いしていた。
- たけしが番組内のトークで「実は跳び箱が出来ない」と語った事から『オールナイトニッポン』と共同で、オリンピックイヤーに因んで「たけしの跳び箱オリンピック」なる企画が放送された。ニッポン放送松本秀夫アナの実況・森末慎二の解説でニッポン放送スタジオ内で行われ、最終的に8段をクリアして克服に成功した。この模様は『オールナイトニッポン』では1988年12月1日に、『スポーツ大将』では同年12月14日に放送された。
番組ネット局
- 系列は放送当時のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
関東広域圏 | テレビ朝日 | テレビ朝日系列 | 制作局 | |
北海道 | 北海道テレビ | 同時ネット | ||
青森県 | 青森放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
遅れネット | |
宮城県 | 東日本放送 | テレビ朝日系列 | 同時ネット | |
秋田県 | 秋田テレビ | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
遅れネット | 第1期のみ |
秋田放送 | 日本テレビ系列 | 第2期・第3期を放送 | ||
山形県 | 山形放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
||
福島県 | 福島放送 | テレビ朝日系列 | 同時ネット | |
山梨県 | 山梨放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
新潟県 | 新潟テレビ21 | テレビ朝日系列 | 同時ネット | |
長野県 | テレビ信州 | テレビ朝日系列 日本テレビ系列 |
||
静岡県 | 静岡けんみんテレビ | テレビ朝日系列 | 同時ネット | 現:静岡朝日テレビ |
富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
石川県 | 石川テレビ | フジテレビ系列 | ||
福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1988年4月から 1989年3月までは日本テレビ系単独加盟局 | |
中京広域圏 | 名古屋テレビ | テレビ朝日系列 | 同時ネット | |
近畿広域圏 | 朝日放送 | |||
鳥取県・島根県 | 日本海テレビ | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
遅れネット | 1989年9月まで |
山陰放送 | TBS系列 | 1989年10月から 日本海テレビのNNSマストバイ局化に伴う移行 | ||
広島県 | 広島ホームテレビ | テレビ朝日系列 | 同時ネット | |
山口県 | 山口放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
遅れネット | |
徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | ||
香川県・岡山県 | 瀬戸内海放送 | テレビ朝日系列 | 同時ネット | |
愛媛県 | テレビ愛媛 | フジテレビ系列 | 遅れネット | |
高知県 | 高知放送 | 日本テレビ系列 | ||
福岡県 | 九州朝日放送 | テレビ朝日系列 | 同時ネット | |
長崎県 | 長崎放送 | TBS系列 | 遅れネット | |
熊本県 | 熊本放送 | 1989年9月まで | ||
熊本朝日放送 | テレビ朝日系列 | 同時ネット | 1989年10月の開局から | |
大分県 | 大分放送 | TBS系列 | 遅れネット | 第1期のみ |
テレビ大分 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
同時ネット →遅れネット |
第2期・第3期を放送[2] | |
宮崎県 | 宮崎放送 | TBS系列 | 遅れネット | |
鹿児島県 | 鹿児島放送 | テレビ朝日系列 | 同時ネット |
- 沖縄テレビ(フジテレビ系列)は、遅れネットで放送された日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などが野球中継やスペシャル番組のための穴埋め番組として一時期不定期で放送された。
スタッフ
- 企画:北野武、皇達也
- 構成:笠博勝
- 音楽:安久雄滋
- 実況:志生野温夫、吉沢一彦(テレビ朝日アナウンサー)
- TD:江原克彦
- カメラ:須永高義
- 映像:戸塚信也
- 音声:宮沢庸介
- 照明:高橋孝男
- 効果:高本英慈
- 編集:IMAGICA
- 美術:黒田信彦
- 大道具:深谷浩造
- 小道具:樋口光四郎
- 衣装:高橋喜一郎
- タイトル:盛合正典
- 技術協力:東通/海老谷充
- 製作協力:森昌行
- 企画協力:オフィス北野
- ディレクター:市川秀和、沢将晃
- 演出:青山幸光
- プロデューサー:湧口義輝
- 製作著作:テレビ朝日