邦ちゃんのやまだかつてないテレビ
『JOCX-TV PRESENTS 邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(ジェイ・オー・シー・エックス・ティーヴィープレゼンツ くにちゃんのやまだかつてないテレビ)は、1989年10月18日から1992年3月25日までフジテレビ系列局で放送されたフジテレビ製作のバラエティ番組である。
愛称は、『やまかつ』もしくは『邦ちゃんのやまかつTV』。
目次
番組概要
1988年から『火曜ワイドスペシャル』にて『いきなり!フライデーナイト』の兄弟特番として数回放送。この番組のMCであった山田邦子のカラーをより全面に押し出す形で、『夜のヒットスタジオDX』終了により空白となった水曜21時台に昇格。当初はつなぎ番組の予定で放送していたが、視聴率が好調だったため1992年3月まで放送された。
タイトルは、当時山田が出演していた大塚製薬[1]の『ファイブミニ』のキャッチフレーズ「やまだかつてない味」に由来している[2]。『フライデーナイト』時代から引き続き、山田をサポートするサブキャスト的役割として渡辺徹が続投した。
番組の人気
レギュラー出演者に、バラエティーへの本格出演は初であった高橋英樹[3]や高岡早紀、ミュージシャンの大江千里、バラドルとして売り出していた森口博子など異色の人材を擁し、最高視聴率20.4%を獲得する人気番組となり、同時にNHKの好感度タレント調査でも明石家さんまと並んで1位に選出されるなど、山田邦子の人気は絶頂期を迎えた。
1990年には、山田が当時人気の女性デュオ・Winkを自身の物真似のレパートリーとしていたことと、ミュージシャンや音楽関係者を多く出演者・スタッフとして登用していたことが縁で、山田とオーディションで合格した横山知枝で「やまだかつてないWink」を結成。同ユニット名義の「“T”intersection 〜あなたに戻れない〜」、「さよならだけどさよならじゃない」がオリコンチャートのベスト10にランキングされる等、一時は社会現象的な人気を誇っていた。
番組終了とその後
その後も、本番組をきっかけとしてKANの「愛は勝つ」が大ヒットするなどの話題を振りまき、安定した人気を堅持していた。
しかし、同年末の『FNS歌謡祭』を音楽ショー形式に転換して予想外の高視聴率を獲得したことと、KANの「愛は勝つ」がTBS「第33回日本レコード大賞」を受賞したことでフジテレビ社内に「ゴールデンタイムの音楽番組復活」の機運が高まり、また当時の鹿内宏明会長がゴールデンタイムの番組改編を示唆したことから[4]、1992年春の改編をもって同番組は終了した。その結果生まれたのが、後番組である『SOUND ARENA』であった。
『やまかつ』の早期終了は、山田を初めとする主要出演タレントの人気にも影を落とすこととなった。またテレビ雑誌の見出しは、「好評なのに…やまかつ打ち切り」だった。
番組終了後、山田は『クイズ!年の差なんて』や『カモナ・マイハウス』等の既存のフジテレビのレギュラー番組が残っていたものの、タイトル違いのオマージュも含めて特番形式の復活が一切行われておらず、2000年の大晦日に放送された『FNS年末スペシャル フジテレビにしか出来ない20世紀の黄金バラエティ大全集!』と題された特別番組でも、この『やまかつ』と『ダウンタウンのごっつええ感じ』だけが除外されていた。
なお、本番組終了から数日後に、山田と渡辺はテレビ朝日の『ビデオあなたが主役』で再度コンビを組み、司会を務めている[5]。
また、横山知枝もその後、渡辺が司会を務める『スーパーマリオクラブ』(テレビ東京)にてゲスト出演を果たしている。
再放送
そして番組終了から10数年後の2006年9月からフジテレビ721で再放送が行われるようになった。ただ、権利の問題をクリアできなかったものはカットされるため、放送時間の長さにはバラツキがある。また、募集告知にはボカシがかけられている[6]。
- オープニング、エンディングの一部
- 次週予告
- ものまねコーナーの一部(VTR中のゲスト出演者の関係? 特に肖像権が厳しいタレント)
- 地方CMコーナー(当時はアナログ放送で、岩手めんこいテレビやさくらんぼテレビジョン、高知さんさんテレビの開局前だった)
- 海外の番組紹介コーナー
- 1990年3月7日、5月30日、8月8日、11月21日、12月5日、1991年12月4日分はまるまる1回分カットされた。
- さらに1990年3月28日分と1991年4月10日分のスペシャルもまるまる1回分カットされた。
- その他、一部コーナーのカットがある。
- ついにはフジテレビ721でも最終回を放送せずに放送終了。(#53となる1992年3月4日と3月11日の回まで放送)
受け継がれるコンセプトと手法
そのコンセプトと手法は、番組終了後にスタートした『夢がMORIMORI』と『うれしたのし大好き』→『SMAP×SMAP』に受け継がれる。『夢がMORIMORI』のメインキャストには、この『やまかつ』で山田のいわば「妹分」として登場していた森口博子が抜擢され(山田と同じ誕生日でもある)、以後森口は「ポスト山田邦子」の急先鋒としてバラエティータレントとしての絶頂期を迎えることとなる。
出演者
レギュラー
準レギュラー
番組初期
番組中期
番組末期
本番組にゲスト出演したハリウッド男優
やまだかつてないバンド
主なものまねネタ
- 武田鉄矢
- 坂本金八の格好で髪をかき上げながら「なんですかぁ〜」。当番組に武田本人が出演して激怒した。
- 薬師丸ひろ子
- KAN
- 「愛は勝つ」の替え歌
- 「愛はチキンカツ」「愛は勝海舟」「愛は桂三枝(現・六代桂文枝)」など。正確にはものまねではなく、KAN自身も歌っていた。
- 「愛はチキンカツ」では、KANに扮装した渡辺が歌詞にある食材を一品ずつ食した。
- 「愛は勝つ」の替え歌
- 大江千里
- 「たわわの果実」をネタに。
- 田原俊彦
- 「抱きしめてTONIGHT」を歌った。
- 久保田利伸
- 「You were mine」を歌ったが、顔は猿に似せてメイクをしていた。
- その他
主なコーナー・コーナードラマ・コント
主な番組構成
- 初期1:「大江千里or高岡早紀とのトーク」→「恋愛ロマンor所さんの爆笑しっぺシャルorくにとん」→「ものまねベスト10」(のちに「ものまねベスト5」に改題)
- メインコーナーだった「ものまねベスト10」→「ものまねベスト5」を中心に、若手俳優と競演する「やまだかつてない恋愛ロマン」や「くにとん紅鯨団」、所ジョージの「しっぺシャル」などのコーナーがあった。
- 初期2:「OPトーク(アニメ実写ネタの場合も)」→(所さんの爆笑ロシアンルーレットが入る場合もあり)「十二単に着替えたら」→「ものまねランド」
- 徐々にスタンスが変化し、コーナーを放送する回数が減少。やまかつWinkの誕生により、「ベスト10」から続いてきたものまねコーナーは自動消滅してしまう。
- 中期-末期:ストーリーコント、ドラマコーナー、ショートコーナー、所さんの爆笑ロシアンルーレットなど多岐に渡る。最後のコーナーは大体「やまかつLIVE」の場合が多い。
- ものまねはショートコーナーとして放送することが多くなり、定番ネタが多くなる。
- 「タイムパトロール牛若丸子」などストーリーコントがメインになったころから視聴率でも上昇傾向が出てきて、KANの愛は勝つをネタにした「愛はチキンカツ」や、やまかつWinkの「さよならだけどさよならじゃない」など爆発的なヒット作も登場。
- 日本武道館で収録を行なうなど、番組は絶頂期を迎える。
- その後もハリウッド俳優のゲスト出演や、大事MANブラザーズバンドの「それが大事」など話題は多かったが、フジテレビの番組改編により終了を迎えることになる。
番組全期を通して行われたコーナー
- 所さんの爆笑○○対談 → 所さんの爆笑○○しっぺシャル → 所さんの爆笑○○ロシアンルーレット
- 単発スペシャル1(1988/7/19) 爆笑スイカ対談(この時は実が黄色いスイカを引いたほうがしっぺ。邦子の負け)
- 単発スペシャル2(1989/1/31) 爆笑なべ対談(所の負け)
- 単発スペシャル3(1989/5/30) 爆笑おにぎりシッペシャル(この回からシッペシャルという名称になり、ゲストが初登場<島倉千代子>2回行い(1回目はスイカ、2回目はチョコ。2回とも邦子の負け)
- #3.4(1989/11/1.11/8) 爆笑たい焼きシッペシャル(1回目はスイカ、2回目はハンバーグ。ゲスト:斉藤由貴、2回とも所の負け)
- #6.7(1989/11/22.11/29) 爆笑大福しっペシャル(ゲスト:森口博子、倉田保昭がしっぺ帝王としてバラエティ初登場、所の負け)
- #10(1989/12/20) 爆笑クリスマスしっぺシャル(ゲスト:永井真理子、所の負け)
- #11(1989/12/27) 爆笑福引きしっぺシャル(年末スペシャルでフジテレビ女子アナウンサーが登場した)
- #15(1990/1/31) 爆笑コロッケしっぺシャル(ゲスト:戸川純、所の負け<6連敗>)
- #17(1990/2/14) 爆笑バレンタインしっぺシャル(ゲスト:西田ひかる、2回とも西田ひかるの負け)
- #27(1990/5/2) 爆笑かしわもちロシアンルーレット(ゲスト:西村知美、邦子の負け<罰ゲーム>整体)
- この回から爆笑ロシアンルーレットにモデルチェンジ。しっぺシャルからの変更点は以下の通り。
- ゲームに使われる食材が12個から6個に減少。
- それまではくじを引いて食べる順番を決めていたが、挑戦者の似顔絵が書かれたサイコロを振って出た人が食べるというルールに変更。ただし、末期は6つの紐がついているスイカ型のクラッカーを鳴らした人が食べるというルールに再変更された(つまり1回も出なければ食べなくても良い)。
- 罰ゲームがしっぺだけではなくなった。
- 観客を招いての収録になった。
- #33(1990/6/13) 爆笑バースデーケーキロシアンルーレット
- #35(1990/6/27) 爆笑シェイクロシアンルーレット(ゲスト:渡辺満里奈、渡辺満里奈の負け。罰ゲームは観客と鏡越しにキス)
- #35(1990/6/27) 爆笑ハンバーガーロシアンルーレット(2回戦。邦子の負け。罰ゲームはスタッフと鏡越しにキス)
- #37(1990/7/11) 爆笑アイスキャンデーロシアンルーレット(ゲスト:喜多嶋舞、3回行い、3人とも負け。罰ゲームはしっぺ)
- #38(1990/7/18) 爆笑シュークリームロシアンルーレット(ゲスト:相原勇、所の負け。罰ゲームは人間キャンパス)
- #41(1990/8/8) 爆笑ゼリーロシアンルーレット(ゲスト:酒井法子)<CS再放送では欠番>
- #44(1990/8/29) 爆笑ホットドッグロシアンルーレット(ゲスト:松本伊代、所の負け、罰ゲームはしっぺ)
- #47(1990/9/19) 爆笑お月見ロシアンルーレット(ゲスト:高岡早紀、邦子の負け、罰ゲームはしっぺ)
- #48(1990/9/26) 爆笑フランス料理ロシアンルーレット(ゲスト:加賀まりこ、所の負け、罰ゲームはしっぺ)
- #56(1990/11/28) 爆笑中華まんロシアンルーレット
- (今回は牛若丸子の劇中で登場、牛若チームVSサキスキーチームでの対戦だったが、所も参加させられて敗北。罰ゲームはしっぺ)
- #60(1991/1/16) 初笑いひつじ年ロシアンルーレット(ゲスト:WINK、WINKの負け)
- #62(1991/1/30) 爆笑節分ロシアンルーレット(ゲスト:浅田美代子、所の負け)
- #64(1991/2/13) 爆笑バレンタインロシアンルーレット(ゲスト:千堂あきほ、千堂あきほの負け)
- #66(1991/2/27) 爆笑ひなまつりロシアンルーレット(ゲスト:深津絵里、深津絵里の負け)
- #69(1991/3/20) 爆笑お花見ロシアンルーレット(ゲスト:小川範子、2回戦行い、1回目邦子、2回目は所が負け)
- #70(1991/4/03) 爆笑ちらし寿司ロシアンルーレット(ゲスト:工藤静香)<CS再放送では欠番>
- #72(1991/4/24) 爆笑シュークリームロシアンルーレット(ゲスト:松坂慶子)
- #73(1991/5/01) 爆笑ピクニックロシアンルーレット(ゲスト:南果歩)
- #78(1991/6/05) 爆笑クレープロシアンルーレット(ゲスト:中山忍)
- #80(1991/6/19) 爆笑アイスクリームロシアンルーレット(ゲスト:古手川祐子)
- #82(1991/7/10) 爆笑シェイクロシアンルーレット(ゲスト:横山知枝)
- #85(1991/7/31) 爆笑アップルパイロシアンルーレット(ゲスト:冨田靖子)
- #87(1991/8/14) 爆笑トロピカルドリンクロシアンルーレット(ゲスト:中山美穂)
- #89(1991/8/28) 爆笑菓子パンロシアンルーレット(ゲスト:佐野量子)
- #92(1991/9/18) 爆笑おはぎロシアンルーレット(ゲスト:高橋由美子)
- #93(1991/9/25) 3年目突入記念大感謝祭爆笑たいやきロシアンルーレット925(クニコ)スペシャル(ゲスト:蓮舫、小田茜)
- #95(1991/10/16) 爆笑プリンロシアンルーレット(ゲスト:渡辺美奈代)
- #98(1991/11/20) 爆笑ドラ焼ロシアンルーレット(ゲスト:小牧ユカ)
- #102(1991/12/18) 爆笑ハンバーガーロシアンルーレット(ゲスト:渡瀬マキ<LINDBERG>)
- #103(1992/1/15) 爆笑めでたいロシアンルーレット(ゲスト:田中美奈子)
- #105(1992/1/29) 爆笑大パイロシアンルーレット(ゲスト:かとうれいこ)
- #108(1992/2/19) 爆笑日本チャチャチャロシアンルーレット(ゲスト:中山博子)
- 関根くんのかつてないCMランド(1989年11月15日、12月6日、12月27日、1990年3月28日、6月6日、8月1日、9月5日、9月26日、1991年1月16日、4月3日、9月25日)
番組初期のみに行われたコーナー・コント
ものまねコーナー
いずれも渡辺徹が司会を務め、ゲスト数名がコメンテーターとして参加した。
- 邦ちゃんのものまねベスト10(1988年7月19日、1989年1月31日、5月30日、10月18日 - 11月8日)
- 山田邦子がランキング形式でものまねを披露する番組初期のメインコーナー。
- 第1位のものまねについては生で歌を披露するのが決まり。
- 邦ちゃんのものまねベスト5(1989年11月15日 - 1990年2月28日)
- 上記のものまねが5種に減少。
- 「やまだかつてないWink」が結成。
- 邦ちゃんのものまねランド(1990年3月7日 - 4月25日、5月9日 - 5月30日、6月20日、7月25日、8月15日、8月22日、9月12日)
- ランキング形式を廃し、「冒険の国」、「ファンタジーの国」、「野生の国」、「妖怪の国」、「音楽の国」というカテゴリーに分けて披露された。ちなみに最後は「音楽の国」と題し、山田が生で歌を披露した。
- 「やまだかつてないWink」名義でオリジナル曲が発表され、同ユニットは独立アーティスト化。
ドラマコント
- やまだかつてない恋愛ロマン(1989年10月18日 - 11月1日)
- やまだかつてない大河ドラマ(1989年11月8日、11月15日、12月6日、12月27日、1990年1月10日、1月17日)
- 上記恋愛ロマンの時代劇版。ゲストの俳優とさまざまなシチュエーションで行なうコント。主に邦子姫平安絵巻など。
- 十二単衣に着がえたら(1990年2月7日 - 6月27日、9月26日)
- アニメ実写版劇場(さまざまなアニメのパロディコント)
- 番組中期にはセルアニメと実写の合成によるアニメキャラとの競演もあった。一作品に付き山田自身が一人で役を多くこなしていくため、編集等に時間が掛かることや当時忙しかった山田のスケジュール確保のためか、不定期の放送となった。
森末慎二出演コーナー
元体操選手の森末慎二とともにスポーツに挑戦するシリーズ。
- 森末慎二のスポーツタイム(1990年1月17日 - 1月24日)
- 森末慎二の司会で新しいスポーツに挑戦するコーナー。
- モリモリの金メダルへの道(1990年7月11日、7月18日、8月1日、8月8日、8月29日、9月5日)
- ゲスト(主にアイドル)と山田邦子、森末慎二がいろいろな体操をするコーナー。
- OPに「パタパタママ」のイントロが使われていた。
その他のコーナー
- 日本全国早智子を探せ(1989年12月13日)
- 前述の「邦ちゃんのものまね - 」から派生したコーナー。このオーディションコーナー(送られてきたビデオ映像を流す形式)で横山知枝が鈴木早智子役に合格し、山田邦子とやまだかつてないWinkを結成。
- 同姓同名子供ショー くにとん紅鯨団(1989年1月31日、5月30日、10月25日、11月29日、12月13日、1990年1月10日、2月21日、2月28日)
- 『ねるとん紅鯨団』のパロディコーナー。芸能人と同姓同名の子供がねるとん風のお見合いをする。内容も本家ねるとんに倣い、「ご対面」→「フリータイム」→「告白タイム」という流れだった。
- なんですか物語(1990年6月6日、7月11日、8月1日、8月15日、8月29日、9月5日)
- 武田鉄矢に扮した山田邦子が演じる学園コント。ダダネタ[9]、赤いきつね・緑のたぬきネタが定着。
- Hey!神様ビデオ鑑賞会(1990年6月27日 - 8月29日)
- 前述の「十二単衣に着がえたら」からの派生コーナーであり、川村かおりの「神様が降りてくる夜」をBGMに視聴者が集団で踊りを披露する。
- のちにNo1を決める「Hey!神様ビデオ大賞」を開催。
番組中期のみに行われたコーナー・コント
ドラマコント
- タイムパトロール牛若丸子 - やまだかつてないテレビの中でも一番人気のストーリーコント。
- 第1章(1990年10月31日 - 12月5日)
- 日本の江戸時代が舞台の時代劇風ストーリーで、悪の組織・ダークサキスキー党とタイムパトロール隊との戦いを描く。
- 第2章(1991年1月23日 - 3月24日)
- 未来が舞台のSFストーリーで、地球滅亡の謎を探る。
- 配役:牛若丸子[10](山田邦子)、牛若丸蔵人[10](真木蔵人)、牛若丸洋介[10](江口洋介)、弁慶[11](高橋英樹)、サッキー(高岡早紀)、セッキー(関根勤)、ナベッキー(渡辺徹)、モリッキー(森口博子)、シュワルツェネッガー(ダークサキスキー党の真の総統)(アーノルド・シュワルツェネッガー)、そば屋の主人(森末慎二)、そば屋の娘(横山知枝)、伝令師(中島唱子)、なぞの男俊さん(川合俊一)
- テーマ曲:「翼をください」 川村かおり
- 第1章(1990年10月31日 - 12月5日)
- やまかつファジー劇場 クニ18番街の青春(1991年4月17日 - 9月18日)
- 贈り物シリーズ(1990年9月19日、10月17日 - 11月28日) - 男と女がキスするまでのドラマ。主に当時の若手俳優と若手女優の組み合わせが多かった。
- キスの贈り物 → クリスマスの贈り物 → バレンタインの贈り物 → さよならの贈り物 → キッチンの贈り物
- サインは2V(1990年11月21日、12月5日、12月12日、1991年1月23日 - 2月6日、2月20日、2月27日、3月13日)
その他のコーナー
- ギバちゃんのスターゴルフ(1990年9月12日 - 9月19日、10月17日 - )
- 柳葉敏郎とゲスト(主にものまねしている関根勤)がゴルフをするコーナー。
- 日本全国やまかつVOICE(1991年2月20日、3月6日)
- 視聴者からの投稿ビデオなどを紹介するコーナー。
- やまだかつてないライブ(1990年10月17日 - )
- ゲストが歌を披露するコーナー。このコーナーから、KANの「愛は勝つ」がヒット。ほかに、西田ひかるや、江口洋介などもゲストで登場している。
- ポパイのママ(1990年9月19日、10月17日 - 11月21日)
- 上唇と下唇が合わさった数を当てるゲーム(例:ポパイのママ→PoPainoMaMa→4、山田邦子→yaMadakuniko→1)。
- 「愛は勝つ」替え歌シリーズ(1991年1月16日 - 3月20日)
- 「愛はチキンカツ」(食べ物ネタ)に始まり、「愛は勝海舟」、本物の桂三枝が登場する「愛は桂三枝」、レギュラー陣がKANに扮する「愛はKANだらけ」など、社会的にも話題になった名作。
番組末期のみに行われたコーナー・コント
ドラマコント
- フジテレビ社員食堂物語(1991年9月25日 - 11月6日)
- やまかつファジィミュージカル(1991年11月13日 - 12月18日)
- 上記の「フジテレビ社員食堂物語」をリニューアル。舞台はそのままに、毎週さまざまなストーリーコントを放送。
- 最後は「みんなで歌おうフォークボックス」と題し、ゲストと歌を歌う。
- アイ・ラブ・ユー 奥様はコメディアン(1991年9月25日 - 12月18日)
- やまかつ痛快ミニドラマ ガコちゃん(1992年1月15日 - )
- 末期のメインコント。いたずら好きなガコちゃんと周囲の人間とのやり取りを描く。
- OPには大事MANブラザーズバンドの「それが大事」が使用された。
その他のコーナー
- きんさん・ぎんさん日記
- きんさん・ぎんさんのパロディコント。きんさん役を山田が、ぎんさん役を森口が演じた。ちなみに最終回では、本物のきんさん・ぎんさんこと成田きんと蟹江ぎんが登場。
- YAMAKATSU SUIKA PINBALL GAME → やまかつスイカ時限爆弾ピンボール(1991年9月4日 - )
- 超ひっかけ早押しクイズに挑戦し、正解者が投げたボールが入ったマスの人が罰ゲームを受けてしまうというゲーム。主な罰ゲームは、くさややタライなど。後半はスイカの時限爆弾を用いた古今東西ゲームを行ない、敗者がスイカピンボールに挑戦。ボールが入ったマスの罰ゲームを受ける内容にリニューアル。
- 大事MAN集合
- ゲストが大事MANブラザーズバンドの「それが大事」に乗せて、自分の大事なものを紹介するコーナー。
- クイズ!年の差なんちゃって(1991年9月25日、11月6日)
- 当時山田邦子が司会を務めていた『クイズ!年の差なんて』のパロディ。本家のセットを忠実に再現。
- 内容は出てくる素人2人の年の差を当てる。10歳以上離れるとNGワード扱い。
- クイズ役人に聞きました
- 『クイズ100人に聞きました』のパロディ。関口宏(関根勤のものまね)の進行で、山田さんチームと、渡辺さんチームの対戦形式で争う。
- バーコードバトラーを使用した対戦コーナーもあった。
CMパロディ
多くの場合、本家CMの出演タレントのものまねを兼ねていた。
- 薬師丸ひろ子関係
- ダスキン「100番100番」 - きんさん・ぎんさんのものまねで登場。
- ネッスル日本(現:ネスレ日本)「ネスカフェ ゴールドブレンド」 - 小田和正のものまねで登場。
- コニカ(現:コニカミノルタ[13])「ビッグミニ」 - クニカ「ビッグクニ」として登場。
- 求人雑誌
- セブン-イレブン「私のそばにセブン-イレブン」
- 小泉今日子関係
- JR東日本「ジャンジャカジャーン」(1991年ダイヤ改正) - 「さよならジャーンない」(「さよならだけどさよならじゃない」)、または「ジャーンまかつ」(やまかつ) になっている。
- 武田薬品工業「ベンザエースカプセル」 - 「ベンザエースの歌」の代わりに「かつてないソング」を歌う。
- 三菱電機「霧ヶ峰」(エアコン) - エアコンの名前が「邦ヶ峰」になっており、スイカの模様がかかっている。
- JR東海「クリスマス・エクスプレス」
- ノエビア「コスメティック・ルネッサンス」 - 「コスメティック・ルネッサンス」が「バラエティ・ルネッサンス」になっている。
- 山之内製薬(現:第一三共ヘルスケア)「カコナール」 - Winkのものまね(やまかつWink)で登場。
特番、または季節限定で行われたコーナー
- やまかつビーチバレー(1990年、1991年の夏のみ)
- 一般視聴者の選抜チームとやまかつのレギュラーチームがトーナメント形式でビーチバレーを行なうコーナー。ちなみに当時のレギュラーとして、元バレーボール選手の川合俊一が参加していた。
主題歌
- 愛は勝つ/KAN
- それが大事/大事MANブラザーズバンド
- ハートをWASH!/永井真理子(オープニングテーマ:出演者の顔がはめ込まれた手の生えたTV同士が競争するCGが、バックに流れていた)
- 涙のスイカ日記(秋ヴァージョン)/やまだかつてないバンド(初期テーマ曲。火曜ワイドスペシャルの際は、夏・冬バージョンがあった)
- かつてないソング/番組中に大江千里と山田邦子の2人で完成させた曲。CD化はされていない。
オープニングテーマ
- 涙のスイカ日記/山田邦子<1989.10.18 - 1990.11.21>
- クリスマスクリスマス/やまだかつてないWink<1990.11.28 - 12.19>
- 愛は勝つ/KAN<1991.1.16 - 3.20>
- ハートをWASH!/永井真理子<1991.4.17 - 9.25>
- For you/横山知枝<1991.10.30 - 11.27>
エンディングテーマ
- 涙のスイカ日記(秋ヴァージョン)/山田邦子&やまだかつてないバンド<1989.10.18 - >
- クリスマスソングメドレー/山田邦子&高岡早紀&やまだかつてないバンド<1989.12.20>
- お正月/山田邦子&やまだかつてないバンド<1989.12.27>
- GLORY DAYS/大江千里<1990.8.22>
- “T”intersection〜あなたに戻れない〜/やまだかつてないWink< - 1990.9.12>
- ZUTTO/永井真理子<1990.9.19 1991.2.13>
- さよならだけどさよならじゃない/やまだかつてないWink<1991.2.20 - 3.20>
- Happy Birthday/横山知枝<1991.4.17 - 9.18>
- Christmas in the Blue/山本英美<1991.10.16 - 12.18>
- それが大事/大事MANブラザーズバンド<1992.1.15 - >
スタッフ
- 構成:鶴間政行、加藤芳一、岩立良作、大田一水、内田英一、舘川範雄、西条昇/岩立良作/自転車キンクリート(飯島早苗、鈴木裕美)、水橋文美江、明石典子、中山乃莉子
- ブレーン:鈴木清一、武上純希、神林素子、栃内克彦、本多優雄
- ナレーション:堀内賢雄(スペシャル1 - 3・レギュラー)、光岡ディオン(レギュラー)、折笠愛(スペシャル2)
- タイトル:岩崎光明
- ディレクター:清水淳司、山田洋久、代々木明徳、荒井昭博
- プロデューサー・演出:小畑芳和
- 技術協力:ニユーテレス、共同テレビ、ビジョンユニバース
- 制作協力:太田プロダクション
- 制作:フジテレビ第二制作部
- 制作著作:フジテレビ
CD
やまだかつてないCD(1991年3月21日発売/2枚組、2枚目はカラオケ)
- 1.愛は勝つ/KAN
- 2.神様が降りて来る夜/川村かおり
- 3.さよならだけどさよならじゃない/やまだかつてないWink
- 4.ZUTTO/永井真理子
- 5.翼をください/川村かおり
- 6.“T”intersection〜あなたに戻れない〜/やまだかつてないWink
- 7.涙のスイカ日記(夏ヴァージョン)/山田邦子
- 8.クリスマス クリスマス/やまだかつてないWink(作詞・作曲:大江千里 編曲:清水信之)
同一内容のカセットテープ版として、『やまだかつてないCASSETTE』も同時発売された。なお『やまだかつてないCD2』も開発予定だったが、放送終了が近づくために幻となった。
DVD
- フジテレビ50周年記念DVD企画の1つとして、2009年10月21日に『やまだかつてないDVD』が3枚組DVD-BOXで発売された。
脚注
テンプレート:山田邦子 テンプレート:所ジョージ テンプレート:関根勤
テンプレート:Wink- ↑ ただし同社は当番組のスポンサーではなかった。
- ↑ ちなみに「やまだかつてない」とは、「山田」+「いまだかつてない」からきている。
- ↑ 高橋のバラエティ初レギュラーはTBS系で1986年10月から1987年3月まで放送された『ドキド欽ちゃんスピリッツ』だが、『やまだかつてないテレビ』が実質的バラエティ路線への進出であった。
- ↑ 上記の理由は表向きで、実際はKANの「愛が勝つ」が売れたことがきっかけで音楽中心の番組構成が編成された際、初期メンバーである大江千里が降板、その後大事MANブラザーズバンドの「それが大事」がヒットするとKANが降板と、次々にメンバーを入れ替える番組サイドの姿勢に腹を立てた山田が、「一緒に頑張ってきたメンバーを簡単に降板させるのはおかしい」と自ら番組降板を申し出たことが番組終了の本当の理由だと、『あいまいナ!』の放送の中で山田本人の口から語られた。なお、「愛は勝つ」、「それが大事」とも、『やまかつ』以前にテレビ朝日系列の番組のエンディングテーマに起用されながら、それほど話題にならなかった過去がある。
- ↑ このことは番組最終回の最後のところで山田が自ら明かしたが、実はテレビ朝日の正式発表前だった。
- ↑ 終了していることと、住所が旧社屋(河田町)時代のものであったことから。
- ↑ 元ネタは「高岡早紀」+「紫式部」。
- ↑ 「かんこん」とは「関根」の音読み。ちなみに「カンコンキンシアター」(関根本人が毎年夏に開催する舞台公演)の「カンコンキン」も、やはり「関根勤」を音読みしたものである。
- ↑ これがきっかけで、『テレビ探偵団』(TBSテレビ)にて『ウルトラシリーズ』が取り上げられた際、「ダダが武田鉄矢に似ている」ということでウルトラマンとダダの対決シーンが紹介された。
- ↑ 10.0 10.1 10.2 第1章では牛若丸(源義経)風の姿で登場。第2章では戦闘員姿で登場。
- ↑ 第1章では武蔵坊弁慶風の姿で登場。第2章ではスーツ姿で「弁慶長官」として登場。
- ↑ コーナーにレギュラー出演していた大沢樹生が当時ジャニーズ事務所所属だったため。
- ↑ 現在、コニカミノルタはカメラ事業から撤退。