武上純希

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:日本の脚本家 武上 純希(たけがみ じゅんき、1955年2月26日 - )は日本脚本家小説家鹿児島県出身。

略歴

ラ・サール高等学校日活芸術学院技術科卒業。主にTVシリーズのアニメーションや特撮ヒーロー物の脚本、或いはシリーズ構成等を手掛けている。過去には、本名の山崎 昌三(やまざき しょうぞう)や谷本 敬次(たにもと けいじ)の筆名を用いた事もあり。

アニメーション製作会社葦プロダクションの社員として編集に携っていたが、1981年には初期の企画時から文芸スタッフも兼ねていた同社のTVシリーズ作品『戦国魔神ゴーショーグン』の第6話「光る眼の悪魔」にて、本名の山崎昌三名義で脚本家としてのデビューを果たすことになる。翌年の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』においても本名、もしくは谷本敬次の名義で脚本を担当。同シリーズの半ばまでは、編集のクレジットにも本名が記されている。

その後は影山楙倫や、いのまたむつみらと共にカナメプロダクションの設立へと参加。『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の頃には脚本家の首藤剛志に、『プラレス3四郎』では藤川桂介の両者にそれぞれ師事することで、職業脚本家としての様々なノウハウを学びとり、以降は本職としている。ただし、武上は『プラレス3四郎』の文庫版コミック解説で、藤川が自著で武上を弟子と書いたことに触れて「藤川の記憶違い」と弟子であることを否定している。

1983年のTVシリーズ作品『さすがの猿飛』第23話「ハチャメチャ? げんまん大戦!」からは、以前から使っていた武上純希のペンネームを公式に用いるようになる。翌年の『Gu-Guガンモ』を機にカナメプロダクションを退社し、フリーの脚本家として活動を開始。現在に至るまでアニメ、ドラマなどを中心に20年以上にわたって活動を続けている。

エピソード

  • いまではすっかり大家になった武上だが、まだ駆け出しの頃『スケバン刑事』シリーズでどれだけシナリオを書いてもそれをプロデューサーや監督にボツにされまくった。田中秀夫監督には脚本を床に叩き付けられ、「これのどこが面白いの? 教えてよ」と厳しくダメ出しされたことを述懐している。最初は田中監督と上手く仕事が出来なかったが、長い間その関係が続いた後に、お互いの妥協点が見つかってからはシナリオがスムーズに仕上がるようになったという。また田中は厳しいがそのぶん本が成功した場合とても喜ぶ監督であったという。武上はこのエピソードについては余程印象深かったのか複数のインタビュー[1]で語っており、「あの頃があるから今の自分がある。だから東映さんには本当に御恩が有るので、自分が出来る限りのご奉公はしていきたい」とも述べていた。
  • 星獣戦隊ギンガマン』の打ち合わせの際に、『ウルトラマンティガ』のスタッフコートを着てきてしまったことがある[2]

主な脚本作品

テレビ

実写作品

テレビアニメ

バラエティ番組

映画

ビデオ

小説

  • 純潔!!火柱マンション
  • 不死朝伝奇ZEQU
  • 不死朝伝奇ZEQU II
  • 古代幻視行 姫巫女
  • 古代幻視行 此花咲夜
  • 幼媛(ちいさひめ)
  • ミツルギ
  • 天空の鉄騎兵
  • 静 幻夢義経記
  • 辰子姫 人竜幻想
  • 孔明魔界異聞
  • ヴァルキューレの美騎士
  • ウルトラセブンEPISODE:0
  • ウルトラセブンEVOLUTION

学習漫画

  • アメリカの歴史(シナリオ設定)

出典

  1. 『Newtype THE LIVE 特撮ニュータイプ』2008年5月号(角川書店)他
  2. [1]

関連人物

  • 神戸一彦(アニメ・特撮等で共働する機会が多い脚本家の一人)