豊後国
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テンプレート:Pathnav テンプレート:基礎情報 令制国 豊後国(ぶんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。
目次
沿革
7世紀末に、豊国(とよのくに、とよくに)を分割して、豊前国とともに設けられた。豊後は、平安時代まで和名で「とよくにのみちのしり」と読んだ。
『豊後国風土記』は、全国で5つだけのほぼ完全な形で残る風土記の1つである。
国内の施設
国府
国府は大分郡にあった。現在の大分市古国府と推定されるが、遺跡はまだ見つかっていない。
国分寺・国分尼寺
- 豊後国分寺
- 現在の金光明寺(大分県大分市国分)。
神社
二宮以下は不詳である。
安国寺利生塔
- 豊後安国寺 - 大分県国東市国東町安国寺。
地域
郡
- 特記した以外は『豊後国風土記』での表記による。
江戸時代の藩
- 杵築藩、小笠原家(4万石)→能見松平家(3.2万石)
- 高田藩、能見松平家(3.7万石→3.2万石で杵築藩に移封)
- 日出藩、木下家(3万石→2.5万石)
- 森藩、来島家(1.4万石→1.25万石)
- 府内藩、竹中家(2万石)→日根野家(2万石)→大給松平家(2.1万石)
- 臼杵藩、稲葉家(5万石)
- 佐伯藩、毛利家(2万石)
- 岡藩、中川家(7万石)
- 立石藩、木下家(5千石)
人物
国司
- 陽候史真身、天平7年(735年)任官
- 小治田諸人、天平10年(738年)任官
- 榎井子祖父、天平宝字元年(757年)任官
- 佐伯久良麻呂、天平神護元年(767年)任官
- 紀鯖麻呂、宝亀2年(771年)任官
- 多治比継兄、天応元年(781年)任官
- 藤原園人
- 藤原豊彦
- 難波頼経、1180年頃
- 源光季
守護
鎌倉幕府
室町幕府
- 1333年 - 大友貞宗
- 1334年 - 1352年 - 大友氏泰
- 1352年 - 1364年 - 大友氏時
- 1364年 - 1367年 - 大友氏継
- 1371年 - 1416年 - 大友親世
- 1372年 - 1376年 - 大友氏継
- 1416年 - 1426年 - 大友親著
- 1427年 - 1429年 - 大友持直
- 1444年 - ? - 大友親繁
- 1453年 - 1458年 - 大友親綱
- 1469年 - 1482年 - 大友親繁
- 1482年 - 1484年 - 大友政親
- 1484年 - 1496年 - 大友義右
- 1496年 - 1501年 - 大友親治
- 1501年 - 1516年 - 大友義親(義長)
- 1525年 - 1550年 - 大友義鑑
戦国時代
戦国大名
豊臣政権の大名
- 大友義鎮・大友義統:豊後1国。1587年 - 1593年(22代当主大友義統が改易される)
- 中川秀成:豊後岡城7万石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、所領安堵。豊後岡藩初代藩主なる)
- 太田一吉:豊後臼杵6万5千石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易)
- 福原長堯:豊後府内12万石→6万石。1597年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、自刃)
- 早川長政:豊後府内→杵築2万石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易)
- 毛利高政:豊後国内2万石。1595年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、豊後佐伯藩2万石に移封)
- 垣見一直:豊後富来2万石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、大垣城にて殺害される)
- 熊谷直盛:豊後安岐1万5千石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、大垣城にて殺害される)
- 竹中重利:豊後高田1万3千石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、豊後府内藩2万石に移封)
- 木村清久:豊後国内1万石。1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易)