肉食
肉食(にくしょく、にくじき)とは、動物が他の動物の肉を摂食すること。本項目では主にヒトの肉食について取り上げる。
目次
概要
ヒトは雑食性の生き物であり、昆虫からクジラに至るまであらゆる動物を食べてきた。その適応能力の高さから、一部の有毒な種を除いて、ほとんど動物全てを対象にしていると言っても過言ではない。高度な文明を築いた現代では野生動物の狩猟・採取にとどまらず、畜産や養殖によって効率よく食肉を生産し、獲得している。その反面、所属する文明の価値観により食べる肉をより好みするようにもなった。特に宗教では戒律を設けて食せる肉の種類に制約を加える場合がよく見られる。
肉の生産は、植物性の食物よりも、多くの資源を必要とし、効率が低いため、多くの社会で、肉食は植物性食物よりも稀少で、価値の高い食物とされていた。定住文明において、肉を常食する階層は、近年にいたるまで、比較的高い地位に限られていた。
肉食の対象
家畜を食べる場合
家畜一覧より改変(2003-xij-20現在)。
- アルパカ(alpaca)
- イヌ(犬、dog)
- ウサギ(兎、rabbit)
- ウシ(牛、cattle)
- ウマ(馬、horse)
- スイギュウ(水牛、water buffalo)
- ネコ(猫、cat)
- ヒツジ(羊、sheep)
- ブタ(豚、pig)
- 山羊(ヤギ、goat)
- ヤク(yak)
- ラバ(騾馬、mule)
- ラマ(リャマ、llama)
- ロバ(驢馬、donkey)
- クイ(モルモット、天竺ネズミ)
- クマ(熊、bear)
- トナカイ(馴鹿、reindeer)
- ラクダ(駱駝、camel)など
家禽を食べる場合
- ニワトリ(鶏、fowl)
- アヒル(家鴨、duck)
- ガチョウ(鵞鳥、goose)
- ダチョウ(駝鳥、ostrich)
- ウズラ(鶉、quail)
- シチメンチョウ(七面鳥、turkey)
- ハト(鳩、dove)
- バリケン(muskovy duck)
- ホロホロチョウ(guinea fowl) など
養殖魚を食べる場合
その他の飼育動物を食べる場合
その他地域、文化により多数。
猟/漁によって得た肉を食べる場合
その生活環境によって色々な動物を捕獲して(近年は反対に、近くで取れたものを食べる事は少ない)食べてきた。
肉食への制限
多くの文化では、宗教的、政治的、衛生的な必要から肉食に対して制限・制約するという食のタブーがある。多くの文化の中で、ユダヤ教、キリスト教やイスラム教等のアブラハム系の宗教の場合は、特に著しい。
宗教による制限
仏教
テンプレート:出典の明記 仏教では肉食を「にくじき」と読む。原始仏教では、比丘(僧侶)は糧(かて)をその日ごとで乞食(こつじき)することにより食を得、与えられた余り物の食べ物に肉が入っていようがなかろうが差別なく食べることになっていた[1]。とくに南伝(上座部のパーリ経典)および北伝(大乗仏教)のなかでも古い経典においては、釈迦その人が肉食をしたことが記述されている。さらに、釈迦仏の弟子であった提婆達多が違背した原因は提婆達多が菜食主義を戒律に含める主張を釈迦が明確に否定したからであると記されているだけでなく釈迦が亡くなった原因は豚肉の食中毒であるとされている。(肉食を否定する大乗仏教においては豚の好むキノコを使った料理とされている。)
生き物の殺生を禁止する仏教において肉食が禁止されていない事は矛盾であるとように思われるがこれは当時の肉食に関する宗教論争と関係する。仏教の起こった当時のインドにおいては仏教だけでなくジャイナ教などの多くの宗派がアヒンサー(不殺生)を標榜していた。特にジャイナ教においては畑を耕すことによって虫が殺されることなどを指摘し、肉食する、しないにかかわらず生存する限り間接殺を免れぬことを理由に、無食による自殺を最上の行とした。これに対して仏教は間接殺を理論的に突き詰めることの限界を理由に中道を掲げ実際に生き物を殺す直接殺のみを明確に禁じ、間接殺においてはあくまでも貰い物の肉が、殺す所を見なかった肉、供養のために殺されたと聞かなかった肉、自分の為に殺された疑いの無い肉という「三種浄肉」であれば食しても問題はないとされた。さらにここで重要なのは古代仏教において比丘はあくまでも家庭の余った食事を物乞いすることによってのみ食を得るため、肉食=肉の購買による間接殺という矛盾が成り立たないことにある。
これに対し、北方に伝来した大乗仏教の経典、『楞伽経』では「浄肉というものは存在しない」と明確に説く。しかし、大乗の理論的基盤を提供した龍樹も肉食を禁ずるにおいて、肉食が殺生戒を破るという主張は行っていない。代わり肉食は慈悲心に基づく菩薩道において勧められるとの主張を行っている。すべての肉食を制限するという傾向が時代の経過とともにつれ強まり、中国では食物を「葷」(くん。肉や臭い野菜)と「素」(そ。精進料理)に分け、「葷」をはっきり禁制するようになった。したがって日本や朝鮮半島もこの影響を受けた。とはいえ、大乗仏教も上座部と同じく「悟りを得る」というのが最大の目的である。そのため、そのような細かい制戒にこだわるのは、かえって悟りを妨げると考える僧侶も現れた。たとえば一休は周囲の仏教界に反発心の表れで肉食や飲酒した風狂な例として有名である。また、特に親鸞は、戒律を守る人間が善人で救われるのであれば、戒律を守ろうとしても守れない悪人は救われない、悪人こそ救われるべきではないか、という疑問から自らを非僧非俗と呼んで、末法に戒律は不必要という立場から、ついに「肉食妻帯」を行った。日蓮も末法無戒から肉食を禁制していない(ただし日蓮系各宗派の在家信者のみで、日蓮自身は菜食主義者であることを表明しており、記録によれば、日蓮が摂取したと思われる飲食物は全て植物性である。また、日蓮の弟子の日興は明確に肉食を禁止している)。
親鸞の遺訓から真宗各宗派ではこれが常となったが、他宗派では明治時代に至るまで、「寺院法度」により原則的には肉食妻帯の禁制を守ったが、明治政府が仏教放置政策を打ち出し、その「勝手たるべし」という語句を逆手にとって、なし崩し的に肉食妻帯することを事実上容認するようになった。しかしながら、一定の厳しい修行期間に修行僧は精進料理のみで、一切肉食することはないという宗派によってはある。
道教
中国の道教も、仏教の影響を受けて肉食をしない精進料理が基本となっている。
ユダヤ教
ユダヤ教徒の場合、その聖典である聖書によって「食べることのできる物」と「食べることのできない物」が規定されている。カシュルートを参照のこと。
ユダヤ教徒にとっては、特に豚の肉は悪魔と同等にして忌むべきものである。 砂漠や周辺の乾燥した気候では、寄生虫を持つ豚肉を十分に加熱するための薪などの燃料の調達が困難であり、調理の不十分なまま豚肉を食べたことで健康を害し、あるいは死に至るなどした経験がその原点に存在するとも言われる。 現時点においても、現に豚をイスラエルの中で飼うことは制限があるようである。 また、鱗のない魚、エビ、猛禽類など細々とした禁忌がある。
その他に、シチューなど乳を肉と一緒に料理することへの禁忌もある。これは本来、律法の中で子羊をその母の乳で煮ることを戒めている(親と子を共に取って食べてはならない)ことに起因している。つまり母親が自らの子を養うために出す乳でその子の死体を煮るという事を非倫理的であるとしたことがもともとの姿である。したがってユダヤ教徒は、戒律に従う限り親子丼なども食べることはできない。また、チーズバーガーなど乳製品と肉類を同時に食べる事も禁止とされる。
キリスト教
ユダヤ教にルーツをもつキリスト教信者もその多くは、豚を食べる事を制限する傾向があったようである。
キリスト教信者の場合、四旬節の頃には、肉を食べる事を制限して、肉を食べないことの苦痛でキリストの死の苦しみに思いを寄せようとする習慣がある。新約聖書でも、イエスが悪魔に取りつかれた人間から悪魔を追い払い豚に乗り移らせ、湖に走り込ませて溺死させた事が書かれている。
また、第7日安息日イエス再臨教会では、ユダヤ教の戒律に準じた食品の摂取と菜食主義を勧めている。
イスラーム
キリスト教と同様にユダヤ教をルーツとし、キリスト教も内包するイスラーム信者の制限は、カシュルートを基にしたハラル (halāl) とハラム (harām) の考え方による。ハラルとは許されたと言う意味であり、神に食べることを許された食べ物をさす。ハラムとは禁止されたと言う意味であり、食べることを許されない食物の事をさす。イスラームの正式なやり方で屠殺された肉以外はハラムに該当し食べてはならない。豚や肉食動物、ウナギなどは無条件でハラムとされている。『親と子を一緒に食べてはならない』という戒律を守る人もいる。但し、どれぐらい厳格に守るかについては各個人や学派によってかなりのバラつきが有る。
日本では、野菜炒めやクッキーなどの洋菓子類にも動物由来の油脂が使われることがあり、料理そのものは一見植物(由来物)に見えても厳密にはハラムに該当する場合があるため、日本に滞在するイスラーム信者の間では、戒律への抵触を回避する為のリストが作られている。
イスラーム信者の中では豚は特に忌み嫌われており、ユダヤ教徒と同様に悪魔の化身に等しく扱われている。
近年では、日系企業が現地で生産していたうま味調味料(味の素)の製造過程で豚由来の酵素を使用(商品自体からは酵素は除去されていた)していたことが発覚し、イスラーム信者が多数を占めるインドネシアで大問題になった事がある。
ヒンドゥー教
ヒンドゥー教では牛を聖別するため、牛肉食に関する制限があるのみならず、多くが菜食主義者である。菜食主義者の例として、ガーンディー(インド独立の父)は、菜食主義者のカースト出身であった。
シク教
シク教では特に肉食の規制はない。ただし菜食を勧める傾向がある。
各国・民族について
日本
テンプレート:Main 日本では、『日本書紀』によると天武4年(676年)4月17日のいわゆる肉食禁止令で、4月1日から9月30日までの間、稚魚の保護と五畜(ウシ・ウマ・イヌ・ニホンザル・ニワトリ)の肉食の禁止が定められ、仏教の影響もあり、たびたび改正がなされて明治時代まで続いた。ただし、狩猟されたものは除外されており、常食ではないが肉食はされていた。一部山村など地域によっては狩猟による常食の風習が残った地域もあった。
なお、鯨は魚の一種と見られていた。また、沖縄、南九州などの地域では、養豚が行われ独自の肉食文化が発達した。
南九州・沖縄以外の地域でも、適度な肉食は体に良いという認識もあり、江戸時代後期にはももんじ屋が現れ、都市部においても肉食が流行した[2][3][4]。松本良順は新選組に養豚を奨めた。
大名家でも肉を食する習慣はあり、徳川家では正月にウサギ肉の吸い物が出されていた。江戸の薩摩藩邸では豚やイノシシが食用として飼われていた。また、その薩摩の豚肉を好んだことから、一橋慶喜は豚一様と渾名された。
中国
中華料理では、食材に関しては食べ物の制限は殆どないに等しいが、基本的に加熱して食べる事が求められる。例外として、順徳料理や客家料理の刺身に似た料理、上海料理のチュウゴクモクズガニ、シャコ、ブドウガイなどの粕漬け、台湾料理のシジミの醤油漬けなどの生肉の料理がある。半生の肉食品も嫌われるが、例外的に最低限火が通った、血の滴る状態が良いとされるものに、広東料理の「白切鶏」(蒸し鶏)や福建料理のアカガイ類の茹でものなどがある。また、ブタなど血を加熱して寒天状に固めた食品もよく食べられる。
広東省の食文化を語る場合、次のような冗談がよく言われる。「空を飛ぶものは飛行機以外、水に泳ぐものは潜水艦以外、二本足のものは人間以外、四本足のものはテーブル以外、全てを食べる」(という内容の記述が開高健『最後の晩餐』にあったと記憶。要確認)テンプレート:要出典。これは広東料理の多様性を示すものであるが、実際には他の地域の中華料理もその土地ならではの食材を使っており、ラクダ、ロバ、アジアゾウ、ハタネズミ、食用コウモリなどを食べる地域もある。犬食文化は吉林省、湖南省、貴州省などにも見られる。
古来からの伝統として広東省では蛇を食べることもあり、その習慣は他の地域にも広がりつつある。重慶市や広東省では猫肉料理もある[5]。中国でも香港では、条例[6]で犬や猫の虐待や吃食を禁止し、罰則も設けている。
モンゴル
モンゴル人の場合、その調理法に家畜の全てを利用するところで制限を受ける。
これは外部とのかかわりが薄い遊牧生活を続けるうえで、多くの物を自給する必要性があるからである。屠殺の方法として、血を一滴たりとも地面に落としてはならないそうである。
チベット
チベットの場合、家畜(山岳地帯のためにヤクという牛の仲間がいる)は、荷物の輸送やバター(バターティーを飲む習慣がある)を作るための乳を提供するために必要であった。
その一方で、冬が訪れる前には羊やヤクをつぶして大量の干し肉を作り、冬に備える。冷涼な山岳地帯ゆえに、食肉として適用できる家畜が限定されてきたという事情は十分に考えられるが、とくに禁忌とするものの話は寡聞にして聞かない。
韓国
朝鮮半島の屠畜食は高麗期の蒙古侵入から語られることが多い。李氏朝鮮期には屠畜が禁じられたが、この禁令は牛馬がおもに農耕に使役するための動力とみなされたことと飼育数が少なかったことによるもので、禁忌(タブー)を伴うものではなかった。漢城近在の貴族や宮中では肉料理が供じられ、「暖炉会」など屋外でバーベキューパーティのようなことをおこなう風習があったとされる。現代の韓国料理では、中国同様、食材に関しては食べ物の制限は殆どないに等しい。
韓国では毎年、約200万-400万頭の犬が食用として消費されており、ソウル市だけでも500軒の犬料理店がある。ソウル市は、犬に関する食品安全基準を定めるために、犬を食用家畜に分類する方針であり、それに反対する動物愛護団体は、「犬が食用家畜に分類された場合は、犬肉の消費量は急激に増大するだろう」と語っている。。[7]。
その他の地域での食事の中の肉食(情報不足)
アフリカ
アフリカでは、角長牛が飼われ現在でも人間と特別な共同体を作りながら生活している地方がある。このような環境下では牛は貴重な財産であり、神聖視されることもある。
アメリカ大陸
北米
北米に白人たちがやって来る前には、アメリカ先住民たちがバッファローの狩をしていた証拠が見つかっている。 また、鮭などを対象とする漁業も行われていた。
のちに北米に入植した西洋人たちは、西部で、スペイン語で「バケロ」や英語で「カウボーイ」と呼ばれる(牛の男という同じ意味、前者は西語でのジーンズを意味する)、特別な文化を作り上げた。
南米
南米では、先住民は弓矢や吹き矢を用いて鳥や魚を取っていた。取れる地方では、大小のアルマジロを捕らえる習慣があったらしい。 最大のげっ歯類である「カピバラ」を食べる地域もある。ペルーなどでは、モルモット大の「げっ歯類」の仲間の一種が山岳地帯で食べられるらしい(近年の移住で海岸地帯でも食べるようになってきた)
現地でテジュッと呼ばれるトカゲの仲間をから揚げにしたりして、鶏の肉に似ているといって食べることがある。南米では、パンパの大平原で牛を飼う習慣がスペイン人たちによって持ち込まれた。特にブラジル南部のシュハスコという牧童料理が有名で、シュハスカリアというレストランでは、ロジージオ(いわゆる食べ放題方式)で時間制限がなく、食べ残して冷たくなった肉は皿ごと取り替えてくれる。そのため肉に関しては贅沢である。ただし、日本にもシュハスカリアはあるが本国とは少し異なる。
オーストラリア
英国を中心とする西洋人が、牛や羊を飼う習慣を持ち込んだのは確かである。 近年ではやや下火で、州によっては禁止されているものの野生の鴨を銃器を以ってしとめ、食すこともある。 変わったものとして、カンガルーを家畜化しているところもある。さらには鰐や野生化したラクダまでもが食用とされ多彩な肉食文化がある。
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オーストラリアでのワニ肉料理
北極圏
イヌイットが、北極圏においてその環境下で最適化された生活を営んできた。小さい鯨、アザラシなどの肉を生のまま食べてビタミン類を補給する食文化は独特なものである。アラスカの島々において、何万人もの生活を捕鯨によって支える文化が存在していた。
衛生学的
- 寄生虫
- 豚の寄生虫のように時間を掛けて料理すれば死ぬが、薪に事欠く環境では、それは不可能であり、必然的に食べないこととなった可能性が高い。経験的に、豚肉が人間の体に不調を起こすことを知ったと思われる。
- 伝染病
- 多くの生き物は、病気を媒介することがあった。
- 反対に、天然痘流行前に牛痘に罹っていたため生き延びた乳絞りの女達がいたことからヒントを得て、種痘を思いつくなどした。
進化への貢献
人類の進化の過程での、肉食は脳の肥大を促進したとする説がある。人間、ヒトを参照。
地理的な関係
ユダヤ教においては、聖書(創世記第4章)で「神はアベルによる家畜の奉げ物を善しとし、農作物を奉げたカインを省みなかった」、という記述によって現われている。
ちなみに、深い森に包まれ牧畜を営めなかったヨーロッパでは、「神が人間のために動物を作りたもうた」とするキリスト教の解釈が導入され神聖化は起こらなかった。
砂漠地帯
家畜を飼わざるを得ない環境
砂漠と聞くと普通連想されるラクダを人間がこの地方で飼い始めたのは、歴史的に結構浅いらしい。それまでは、人間は主に馬に頼っていたものと思われるテンプレート:要出典。
もしも、移動の為の生き物がいなければ、人間はオアシス間の水の不足を補うために大量の水を自ら運ばねばならなかったであろう。しかし、ラクダの飼育がそれほど近世のもので無い証拠として、チーズの発見を「キャラバン(商隊)でラクダの乳が飲み残され、それが発酵して出来た」と記す書物がある。
ちなみに近年では、中東のラクダはほぼ絶滅状態にあり、大量に自然繁殖しているオーストラリアからの輸入に頼っている状態である。
人肉食
人間が同種である人間の肉を食べることを、カニバリズムという。
文化的には、宗教、儀式、もしくは勇気の証明(戦争や闘いなどの結果、自分の力の証明や他人への力の誇示のために、相手の死体を切り刻んで食べる)のために他人や親類の死体(生きている事もある)や体の一部を食べる習慣は、古来より存在していた。他には、性的快楽を得るために人肉を食べる場合もある。詳細はカニバリズムを参照
中国、朝鮮、ベトナムなどの中華文明圏では人肉が漢方の一種ともされていた。現在でも胎盤(プラセンタ)は健康や美容のために食される。
また、飢餓などの他に食物の無い極限状態において、やむなく死んだ人間の肉を食料にする事例もある。例えば、船舶が遭難し食料が無くなったために人肉を食べたミニョネット号事件やひかりごけ事件、豊臣秀吉が多用した兵糧攻めの際に攻められた側の兵士が餓死した人間の肉を食べた事例や、最近では北朝鮮で大規模な飢饉が起きた際に人肉を食べた事例が報道されている(東亜日報 2006年7月21日付記事)。
肉食と環境・食料問題
牧畜は、大量の資源を消費する。特に、直接間接を問わず水資源の消費が膨大である。例えば、小麦を1キロつくるには2トンの水が必要で、10キロの小麦から1キロの牛肉が採取できるため、牛肉1キロを生産するには20トンもの水を使用している。[8]。
実際に大規模な畜産業が発達しているアメリカでは牛肉を大量生産するために地下水を大量に使用している。オガララ帯水層はこの牛肉生産を支えるための穀物生産により急激に水位が低下している。このように肉食は環境破壊へつながる場合がある。また他国から食肉を輸入する国は、すなわち水資源を輸入しているのと同じことになるため関連がある(仮想水)。
一方、先述の様に肉を得るにはその10倍の重量の穀物が必要であり、単純に考えて肉食は直接穀物を食べるのに比べて1/10の数の人間しか養えない事になる。特に欧米の大規模畜産による穀物の大量消費は食糧問題の観点からも問題になっている。
肉食とヒトの健康
他の肉食動物の場合は、捕食する草食動物の血肉からビタミンDなどの微量栄養素も摂取できるが、人間の場合は加熱調理によってその大半が失われてしまうため、別に植物性の食物を摂る事で補う必要がある。逆に、野菜の育たない極地に住むエスキモーは生肉を食べる事で必要となる微量栄養素を摂取してきた。
また、極端な肉食によって諸々の癌や心臓疾患が引き起こされる事実が医学的に立証済みである。その一方、肉食でないと摂取しにくい鉄、亜鉛、ビタミンB類、必須アミノ酸類なども含まれ、極端な菜食主義ではミネラル類などの欠乏症を招くおそれがある。