四旬節
テンプレート:出典の明記 四旬節(しじゅんせつ、ラテン語:Quadragesima)は、カトリック教会などの西方教会において、復活祭の46日前(四旬とは40日のことであるが、日曜日を除いて40日を数えるので46日前からとなる)の水曜日(灰の水曜日)から復活祭の前日(聖土曜日)までの期間のこと[1]。聖公会では「大斎節」と呼び、プロテスタントの教派によっては「受難節」と呼ぶこともある。復活祭は3月22日から4月25日のいずれかの日曜日(年によって一定ではない)なので、四旬節は2月4日から3月10日のいずれかの日に始まる。
正教会の「大斎(おおものいみ)」に相当する。ただし、正教会における大斎の始まりは日曜日日没(教会暦でいう月曜日・教会暦は日没を一日の境目と捉える)であることや、東方教会の復活祭の日付は西方教会と必ずしも一致しないため大斎と四旬節は年によって1週から5週ほどのずれを生じていることなどにより、期間には相違がある。
概説
ラテン語においては、四旬節は「40番目」を意味する「クアドラゲシマ」(Quadragesima)という言葉で表されていた。ヨーロッパのいくつかの言語ではこのラテン語が変形した形が用いられている(スペイン語の「クアレスマ」(Cuaresma)、アイルランド語の「カルハス」(Carghas)、また英語の複合語「クオドラジェシマ・サンデー」(Quadragesima Sunday)など)。英語では一般的に「レント」(Lent)という語が用いられるが、この言葉はもともとゲルマン語で春を表す言葉に由来している。もともとカトリック教会の説教はラテン語で行われていたが、中世後期になって各言語での説教が行われるようになるとともに、四旬節の呼び名も各地の言語に基づいたものに変化していったと考えられる。復活祭はイエス・キリストの復活を祝い、四旬節は聖週間(復活祭前の1週間)を準備するものである。聖週間では、紀元29年頃にローマ帝国のユダヤ属州で起こったと考えられるイエスのエルサレム入城からその受難と死までが記念される。
起源
「40」という数字は旧約聖書の中で特別な準備期間を示す数字であった。例えば、モーセは民を率いて40年荒野を彷徨っている。ヨナはニネヴェの人々に40日以内に改心しなければ街が滅びると預言した。イエスは公生活を前に40日間荒野で過ごし、断食した。四旬節の40日間はそのような伝統に従い、キリスト教徒にとってはイエスに倣うという意義のある準備期間となっている。
「四旬節」の語源「クアドラゲシマ」はラテン語でもと「40番目」という意味で、元は初代教会で復活祭を前に行っていた「40時間」の断食のことであった。復活徹夜祭には成人の洗礼を行うのが初代教会以来の慣習であり、受洗者たちも初聖体に備えて40時間断食を行っていた。後にこの40時間(聖金曜日から復活祭まで)が6日間に延ばされた。さらに延びて6週間の洗礼準備が行われるようになった。四旬節は本来、復活祭に洗礼を受ける求道者のために設けられた期間であった。4世紀の終り頃のエルサレムでは復活祭前の7週間、毎週3時間の受洗準備が行われていたという記録がある。4世紀に入ってキリスト教が公認されると、受洗者の数が激増して一人ひとりに対しての十分な準備が行き届かないようになった。このような状況に対処するため、従来、求道者のみに課していた復活祭前の節制の期間を全信徒に対して求めるようになった。これが四旬節の起源である。
四旬節中の慣習
四旬節では伝統的に食事の節制と祝宴の自粛が行われ、償いの業が奨励されてきた。伝統的に、四旬節の節制は、祈り、断食、慈善の3点を通じた悔い改めの表明と解される。現在の多くの西方教会の教派では、そのような伝統的な考え方を否定するわけではないが、神に対しての祈り、自分自身に対しての節制、さらに他人に対する慈善の3つが四旬節の精神であるとして教えられている。現在でも一部の信徒たちが娯楽の自粛や慈善活動への積極的な参加を行っている。一方、東方教会の諸教派では、現在も、慈善の奨励や四旬節に固有な悔い改めを促す種々の祈りとともに厳格な食事の節制が行われる。その中で正教会の節制については大斎を参照のこと。
四旬節は基本的に節制の精神で自らを振り返る期間であるが、日曜日はイエスの復活を記念する喜びの日なので、四旬節の40日にはカウントされない。カトリック教会をはじめとする多くのキリスト教会では、復活祭前の木曜日(聖木曜日、洗足木曜日)と金曜日(聖金曜日)、土曜日(聖土曜日)の3日間は「聖なる3日間」と呼んで特別に扱っている。
四旬節中に食事の節制を行う慣習には実践的な意味もあるとされる。というのも、古代世界では秋の収穫が初春には少なくなることが多かったため、春に入る時期には食事を質素なものにして乗り切らなければならなかったのである。
喜びを抑える時期という伝統から、カトリック教会のミサやルーテル教会の礼拝では、四旬節中は「栄光唱」(グローリア)、「アレルヤ唱」が歌われない。福音朗読の前のアレルヤ唱は詠唱に変えられる。かつてはアレルヤ唱は四旬節を準備する七旬節(四旬節の3週間前)から歌われなかったが、第2バチカン公会議以降は四旬節にのみ歌わないことに改められた。
カトリック教会では四旬節中の金曜日に、イエス・キリストの受難を思い起こす儀式である「十字架の道行き」を行う習慣がある。
四旬節前の期間
四旬節に入る前に祝宴を行う習慣は、カーニバル(謝肉祭)として現代に至っている。もともとカーニバルはキリスト教と無関係な異教の慣習に由来するといわれているが、いつのまにか四旬節中の肉の節制に入る前にドンちゃん騒ぎをする習慣として根付くことになった。マルディグラと呼ばれる祝いは特に有名である。
節制の意義
四旬節中には厳格な断食をなすという習慣は、古代末期から中世にかけて確立する。肉はもちろん卵、乳製品の摂取が禁じられており、一日一度しか十分な食事を摂ることができないとされた。
今日では、社会の変化により、西方教会においてはそのような厳格な実施は求められていない。現代のカトリック教会における四旬節中の節制は以下のようなものである。まず、対象となるのは18歳から60歳までの健康な信徒である(教会法1251条)。教会法1253条は大斎の実施については各国の司教団の決定に従うよう書かれている。基本的には大斎の日には一日一度十分な食事をとり、あとの2回は僅かに抑える。大斎の日には肉を摂らないという小斎も同時に行われる。現行のカトリック教会法では毎週金曜日と灰の水曜日や聖金曜日に小斎を行うというのが基本的な形式である。
現代でもキリスト教徒にとって、四旬節中の節制にはキリストの苦しみを分かち合うという意味がある。キリスト教ではイエス・キリストの受難と死は人間の罪を贖うためであると考えてきた。古代以来、キリスト教徒たちはその苦しみに少しでもあずかろうとしてきたのである。中世に入ると、そのような意義が忘れられ、徐々にしぶしぶ行う義務的な節制という意識が強まってきたため、近代以降の西方教会では節制を「義務」でなく「自ら選び取る」ものであるということを強調するようになった。西方教会では食事の節制を形式的なものと考え、肉などの特定の食べ物でなく自分が好きな食べ物を節制する。あるいは自分が好きな娯楽を自粛する。節制の代わりに慈善活動を行う、などといったことが行われるようになった。これに対して東方教会からは、正教会の神学者から「人間は目に見える身体をもっており、形式を離れて人間性を考えることは不可能である。西方の兄弟たちは、精神性を重視するあまり、形式がもつ意味を軽視している」とするなどの批判がなされている。
四旬節中の重要な日
四旬節中の特別な日はいくつかある。まず四旬節の初日にあたる灰の水曜日。四旬節第四主日は灰の水曜日と復活祭の中間という位置づけがされることがあり、カトリック教会では「レタレ」(Laetare)と呼ばれていた。復活祭前の日曜日は「受難の主日」または「枝の主日」と呼ばれる。「受難の主日」から聖週間がスタートする。聖週間の木曜日は「聖木曜日」あるいは「洗足木曜日」と呼ばれ、最後の晩餐を記念する。次の金曜日は「聖金曜日」と呼ばれ、主イエスの受難に思いをはせる日になっている。翌日の土曜日は「聖土曜日」と呼ばれる。聖土曜日の深夜に「復活徹夜祭」が行われて、四旬節が終わり、復活祭が訪れる。