米原駅

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:駅情報 米原駅(まいばらえき)は、滋賀県米原市米原(まいはら)にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)・近江鉄道である。

乗り入れ路線

テンプレート:独自研究

ファイル:Maibara-station 2002-04l.jpg
通過する新大阪方面行き700系(新幹線ホーム)

JR東海に所属する東海道新幹線と、JR西日本およびJR東海に所属する東海道本線、JR西日本に所属する北陸本線、近江鉄道の本線が乗り入れている。北陸本線と近江鉄道本線は当駅が起点となっている。なお、東海道本線と北陸本線はJR貨物の第二種鉄道事業路線にもなっている。滋賀県内で唯一の新幹線停車駅である。

JR在来線における当駅の所属線は東海道本線となっている[1]。東海道新幹線・東海道本線・北陸本線は、1987年3月まではすべて日本国有鉄道(国鉄)の路線であったが、同年4月の国鉄分割民営化によってJR東海とJR西日本に分割された。当駅がJR西日本とJR東海の会社境界駅となり、東海道本線は当駅より大垣名古屋方面がJR東海、草津京都方面がJR西日本の管轄となった。JR西日本とJR東海の共同使用駅であり、在来線構内はJR西日本、新幹線構内はJR東海の管轄である。このため名古屋以遠に乗り入れる列車に対しても「名古屋方面浜松行き」といったJR西日本方式のアナウンスがなされており、発車標についても同様である。またJR西日本の東海道本線の当駅 - 京都駅間と北陸本線の当駅 - 長浜駅間には合わせて「琵琶湖線」の愛称が設定され、一体化した運転系統となっている。なお当駅では北陸本線に対しては案内上「琵琶湖線」を使用していない。

駅構造

JR西日本・JR東海

テンプレート:駅情報

在来線・新幹線とも地上駅である。現在の駅舎は2009年3月21日より供用開始となった橋上駅舎である。米原市管理の東西自由通路が駅の東西を結び、自由通路から在来線改札口(JR西日本)・新幹線改札口(JR東海)を利用できる。また改札内には新幹線・在来線の乗り換え改札がある。

在来線のりば

島式ホーム3面6線を使用する。1番線・4番線にはホームがなく、島式ホームはそれぞれ、2・3番線(東海道線・琵琶湖線下り発着)、5・6番線(北陸線)、7・8番線(琵琶湖線・東海道線上り発着と一部の北陸線列車)となっている。

北陸線の列車は2 - 8番線のいずれからも発着でき、折り返しが可能。一方、東海道線の列車は上り下りどちらの場合も一旦北側の電留・客操線に引き上げないと折り返しができない。また橋上駅となった後も、これまで通り7・8番線ホームには階段およびエスカレーターが片方向1か所しかない。

国鉄時代は名古屋鉄道管理局管轄の駅であったが、分割民営化直前に在来線部分が大阪鉄道管理局に移管された。もともと米原駅が名古屋・大阪・金沢の各鉄道管理局に接しており、大阪と金沢がJR西日本になったため、それに合わされたものである。国鉄時代の名古屋・大阪局境は、米原駅 - 彦根駅間(旧仏生山トンネルの付け替え区間)にあった。境界駅では下り場内信号機を会社境界とすることが原則であるが、これでは米原機関区の設備区分が複雑になるため、分割時に設定された会社境界は駅東方(醒ヶ井方)の、東海道本線の上り線と下り線とが合流するカーブ付近の下り第1閉塞信号機(東京起点443k995m)である。このため、これより西にある善光寺踏切・岩脇道踏切は米原駅より東方に位置するが、JR西日本の管理下にあり、踏切を横断する通行者向けの看板もJR西日本仕様のものが使われている。

2009年7月1日から、在来線を管轄するJR西日本は京阪神近郊エリアの在来線駅のホーム上の喫煙コーナーを廃止した関係で、当駅も同日以降、在来線ホームは全面禁煙となっている[2]。ただし、JR東海が管轄する新幹線ホームにおいては、喫煙所は存置されている。

なお当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として北陸本線の坂田駅 - 近江塩津駅間の各駅を管理している。

JR米原駅 在来線プラットホーム
ホーム 路線 行先 備考
2・3 テンプレート:Color琵琶湖線 草津京都大阪方面
5・6 テンプレート:Color北陸線 敦賀福井金沢方面 一部7番のりば
7・8 テンプレート:Color東海道線 大垣岐阜名古屋方面
  • 路線名は旅客案内上の表記で記載している。前述した通り「琵琶湖線」の愛称は東海道本線京都方面のみ用いられている。
  • ラッシュ時の北陸本線方面の新快速・普通の一部が7番のりばから発車する。
  • 夜間滞泊設定列車が多い。

新幹線のりば

東海道新幹線は島式ホーム1面2線と単式ホーム1面1線、合計2面3線のホームを使用する。11番線が下り(新大阪・博多方面)、12番線が上り(名古屋・東京方面)で、13番線は通常使われていない。

JR米原駅 新幹線プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
11 東海道新幹線 下り 新大阪博多方面
12 東海道新幹線 上り 名古屋・東京方面
13 (予備ホーム)
ファイル:Series 313-5000 for hamamatsu.JPG
米原駅8番線を発車する新快速浜松行き(313系5000番台)

ダイヤ

ここで示した「1時間あたりの本数」はデータイムのものであり、朝晩および夕方は本数が増加する。

東海道新幹線

ほぼ全時間帯で「ひかり」と「こだま」が毎時1本ずつ停車する。最速達列車の「のぞみ」は全列車が通過する。

琵琶湖線

日中時間帯は1時間あたり4本(2本は当駅発着)が停車する。北陸本線に入る列車は大半が新快速であり、夕ラッシュ時は普通列車の一部が東海道本線の大垣まで乗り入れる。

東海道本線(大垣・岐阜・名古屋方面)

日中時間帯は1時間あたり2本が発着する。大垣行きの列車が大半を占めるが、土日ダイヤにはわずかながら米原発豊橋行きあるいは浜松行きがある。

近江鉄道

テンプレート:独自研究 テンプレート:駅情報

近江鉄道の米原駅は、駅周辺の整備工事に伴い2007年6月8日始発よりJR東口駅舎に隣接する場所に移転し、線路も駅手前の約1600m部分についてJR東海道本線下り本線沿いに移設されたが、営業キロの変更は行われていない。ホームは頭端式ホーム1面2線で、駅舎は仮設のものが設置され、移設工事のため6月1日 - 7日の間は米原駅 - フジテック前駅間がバス代行となった。駅舎は2012年4月5日に新築移転し、米原市管理の東西自由通路東口(旧JR東口駅舎)と直結した[3]

なお、1998年のJR駅縮小前はJRの駅と隣り合っており、JR東口改札から階段を上がり旧1番ホーム経由で入るようになっていた。JR東口の移設後は完全に分離され、駅前広場を挟んで向かい合う形となっていた。駅舎は以前のままの二階建てで入り口が二階部分にあったため、駅前とは階段でつながっていた。

駅係員配置は7:00 - 18:00となっている。

近江鉄道米原駅プラットホーム
ホーム 路線 行先
1・2 テンプレート:Color本線(彦根・多賀大社線) 多賀大社前八日市近江八幡貴生川方面

米原操車場

テンプレート:独自研究 米原操車場は、米原駅構内の南方1.1kmに存在するJR貨物の操車場で、上下本線の間に数本の入換線を有している。東海道本線と北陸本線の結節点であり、一部の高速貨物列車専用貨物列車の機関車交換や機回しなどの入換作業が行われている。作業はJR西日本が行っている。電報略号はマイソである。

改良前の米原駅は貨車仕訳線が東部・中部・西部の3グループに分かれており、貨車中継・組成作業が扱い量の増大により困難になってきた。そこで、新たに駅南側のかつての入江であったところを埋め立て、新たな操車場を建設することになった。軟弱な地盤であり、しかも平均3mの盛土が必要であった。1955年に完成したこの改良により、貨物列車と旅客列車の平面交差もなくなり、作業能力は飛躍的に向上した。構内の東西に上下の発着線を持ち、中に広い仕訳線を持つ配線で、ハンプは持っていなかった。新鶴見・稲沢や吹田と富山・新潟などの各操車場間を結ぶ地域間急行貨物なども設定されていた。がその後湖西線開業による通過貨物の減少、さらにはヤード系貨物列車の廃止などにより1984年2月1日のダイヤ改正から列車の組成をすることはなくなってしまった。

現在は一部の発着線を残し縮小され、仕訳線などの撤去により生じた跡地利用の基盤整備が行われており、鉄道総合技術研究所(鉄道総研)の大型風洞施設などが跡地に作られている。また、2002年にはコンテナ荷役のできる米原貨物ターミナル駅設置が新規事業化された[4]

なお、この基盤整備中に跡地から大量のを含んだ土と石炭がらが出土し問題になった。建設当時、機関区の蒸気機関車石炭がらを埋め立てに利用したものと思われる。鉄道建設・運輸施設整備支援機構が跡地を購入した滋賀県土地開発公社と米原市にそれぞれに1億7000万円を支払うことで和解している。

駅弁

JRの駅では株式会社井筒屋北九州市にある百貨店井筒屋とは無関係、5・6番のりばの立ち食いそば屋も運営)が販売している[5]

  • 鯖寿し
  • 元祖鱒寿し
  • 近江の味
  • 牛肉弁当
  • 伊吹釜めし
  • 近江牛大入飯
  • 湖北のおはなし
  • ステーキ弁当
  • てき重(加熱式)

利用状況

滋賀県統計書による近年の一日平均乗車人員の推移は下記の通り[6]。JR西日本のみの乗車人員では、特急「しらさぎ」一部通過駅の長浜駅と同程度であるが、JR東海と合わせた乗車人員では当駅の方が多くなる(JRグループのうち、2社以上乗り入れの駅では両社を足して算出することが多い)。なお、在来線と新幹線を乗り換える利用者は双方にカウントされるため、米原駅から乗る利用者はこの数より遙かに少ないと思われる。在来線同士の乗り換え客はこの数字には含まれていない。

年度 JR西日本
(在来線)
JR東海
(新幹線)
1992年 4,733[7] 5,361[7]
1993年 4,764[8] 5,251[8]
1994年 4,693[9] 5,210[9]
1995年 4,712[10] 5,441[10]
1996年 4,704[11] 5,351[11]
1997年 4,551[12] 5,272[12]
1998年 4,419[13] 5,064[13]
1999年 4,377[14] 4,954[14]
2000年 4,463[15] 5,007[15]
2001年 4,416[16] 4,926[16]
2002年 4,243[17] 4,848[17]
2003年 4,310[18] 5,216[18]
2004年 4,380[19] 5,778[19]
2005年 4,441[20] 6,017[20]
2006年 4,434[21] 6,151[21]
2007年 4,416[22] 6,302[22]
2008年 4,395[23] 6,087[23]
2009年 4,434[24] 5,537[24]
2010年 4,503[25] 5,679[25]
2011年 4,544[26] 5,851[26]
2012年 4,758[27] 6,111[27]

駅周辺

テンプレート:Ambox かつて駅東側に米原郵便局があった。滋賀県内の郵便の窓口であったほか、近江鉄道線を経由する郵便路線の始発でもあった(そのため近江鉄道には郵便車があった)。現在は米原郵便局は湖岸側に移設され、また旧ホームから郵便局への通路も取り壊され当時を偲ぶものはない。

西側

テンプレート:独自研究 新幹線利用予定客相手に早朝から営業を始める駐車場が多い。 テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-break

テンプレート:Col-break

テンプレート:Col-end

東側

バス路線

乗り場 系統 主要経由地 行先 運行会社 備考
米原駅西口   木之本米原線 中多良・多良口・長浜市立病院・長浜駅・木之本バスターミナル 湖北病院 テンプレート:Color湖国バス
岩脇・多良口・長浜市立病院・長浜駅・木之本バスターミナル 湖北病院
醒ヶ井養鱒場 米原高校・息郷小学校前・醒ヶ井駅 養鱒場 湖国バス
米原高校・西番場・息郷小学校前・醒ヶ井駅 養鱒場
びわこドリーム号 横浜(YCAT)池袋駅東口大宮駅西口 大宮営業所 テンプレート:Color西日本JRバス
テンプレート:Color西武観光バス
夜行
米原駅(東口)   醒ヶ井養鱒場 米原高校・息郷小学校前・醒ヶ井駅 養鱒場 湖国バス
米原高校・西番場・息郷小学校前・醒ヶ井駅 養鱒場
醒ヶ井養鱒場   米原駅西口 湖国バス

歴史

テンプレート:独自研究 1889年、現在の東海道本線に当たる関ヶ原駅 - 馬場駅(現在の膳所駅)間と、北陸本線の長浜駅 - 米原駅間が開業したことに伴い、両線の接続駅として設置された。それまでは関ヶ原駅 - 長浜駅間に鉄道が存在し、大津から長浜の間を結ぶ太湖汽船鉄道連絡船もあわせて長浜駅がその役割を担ってきたが、その役目を引き継いだ形になる。

かつては、東海道本線における急勾配区間の一つであった大垣駅 - 関ヶ原駅間を越えるための補助機関車を留置する基地、それに北陸本線の起点として機関区が設けられ、多数の蒸気機関車が在籍していた。

東海道線本線稲沢駅 - 当駅間電化の際には、新たに電気機関車も当駅に配置され、ここで電気機関車と蒸気機関車の付け替えが行われた。さらに北陸線が交流電化された際は、当駅 - 田村駅間で蒸気機関車による列車継走が行われ(その後ディーゼル機関車に移行)、EF81形交直流電気機関車による直通運転が始まるまで、交直接続のつなぎとして大きな役割を担った駅である。

また、北陸線列車の始発駅として大きな役割もあった。客車区が置かれ北陸線の普通列車に運用されていたほか、郵便や荷物の積み替えも多かった。1955年には貨物操車場が駅南側に移転拡張され、東海道線と北陸線の貨車の授受作業とともに貨物列車の仕立ても行われていた。

駅の開業時は東海道線と北陸線の3面5線の規模で、駅舎と各ホームは地下道で結ばれていた。

1955年、稲沢駅 - 米原駅の電化開業に合わせ操車場の移設を含む大幅な改良工事が行われ、上り線は大きく湖側に離れ、上下線間に操車場を抱き込む形になった。このとき上り線の2面4線のホームが新たに設けられ、北陸線と東海道線上りは駅の北側で立体交差することになった。下り側1 - 5番線と上り側7 - 10番線の間には操車場への通路線が複数入り、長い跨線橋が新設され、下り側ホーム群と上り側ホーム群を繋いでいた(6番線は欠番)。機関区も電気機関車対応の施設が新設され、EF58形や、後にはEF65形電気機関車などが配置されていた。

1964年には、新幹線が開業した。在来線上りホームに隣り合う湖岸側に駅舎(西口)が設けられ、駅は西側に大きく広がることとなる。ただし、新幹線に出入りできる直接の改札はなく、一旦在来線構内を通って新幹線改札に進むものであった。この形は国鉄分割時にもそのまま引き継がれ、東西の駅舎はJR西日本が、構内の新幹線部分をJR東海が管理することになった。

JR化後客車列車の減少とともに機関区・客車区は廃止され、跡地は電留線になっている。1998年には操車場の縮小整理と基盤整備に合わせて下りホームが上り側に移設され、新たに1面2線のホームを設けるとともに、東口駅舎も移設新築された。旧の下りホーム3面5線と東口駅舎は解体され、跡地は新しい駅前広場として整理されている。

さらに2009年には橋上化が完成し、東西自由通路上に在来線(JR西日本)と新幹線(JR東海)の駅舎が並ぶ形となった。

年表

  • 1889年明治22年)7月1日 - 官設鉄道関ヶ原駅 - 当駅 - 馬場駅間・当駅 - 長浜駅間の開通と同時に開業。一般駅
  • 1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年に東海道本線に改称)の所属となる。
  • 1902年(明治35年)11月1日 - 当駅から長浜方面への東海道線支線が北陸線(1909年に北陸本線に改称)に編入。
  • 1931年昭和6年)7月4日 - 近江鉄道の駅が開業。
  • 1954年(昭和29年)2月 - 構内改良工事着手。
  • 1955年(昭和30年)4月 - 操車場の使用を開始。
  • 1955年(昭和30年)7月25日 - 稲沢駅 - 当駅間電化完成。
  • 1956年(昭和31年)11月19日 - 当駅 - 京都駅間が電化され、東海道本線全線電化。
  • 1957年(昭和32年)10月1日 - 田村駅 - 敦賀駅間電化、E10形蒸気機関車による北陸本線列車継走が始まる。
  • 1962年(昭和37年)12月28日 - 当駅 - 田村駅間電化、ED30形交直流機関車による北陸本線列車継走が始まる。
  • 1964年(昭和39年)
    • 10月1日 - 東海道新幹線開業。
      • 当初は、当駅より人口の多い彦根駅に開設する計画だった。しかし予算面で断念したことや、また北陸線からの乗客には当駅停車の方が便利であり[28]、「ひかり」停車の要望が敦賀・福井・金沢方面から出されたこともある。当時の東海道新幹線では珍しい(「市」ではなく)「町」にある駅として誕生した。
    • 拡張後1998年までの在来線は1番ホーム(下り本線)、2・3ホーム(東海道下り1番・2番線)、4・5番ホーム(北陸線上り本線・上り1番線)、7・8ホーム(北陸線下り1番線・本線)、9・10ホーム(東海道上り1番線・本線)であった。北陸線の米原折り返しは主に4・5・7番線を使用し、北陸発大阪行きは3・4番線、名古屋発北陸行きは2・3番線を主に使用していた。
    • 12月25日 - 北陸線電車特急「雷鳥」「しらさぎ」運転開始。
      • 交流区間を走行する初めての電車特急として誕生。ただし、その使用車両である481系電車の落成が遅れ、当初新幹線開業に合わせ運転開始予定が12月までずれ込んだもの。
  • 1972年(昭和47年)
    • 3月1日 - 貨物の取扱いを廃止。
    • 10月2日 - 「ひかり」3往復が米原に新規停車となる。
  • 1975年(昭和50年)3月10日 - 関西 - 北陸間の特急列車が湖西線廻りに変更され、米原駅からの北陸特急は名古屋駅発着のしらさぎとこの日新設の米原駅始発の加越(2003年10月しらさぎに統合)となる。特急列車の米原駅始終着は初めて。
  • 1986年(昭和61年)11月1日 - 荷物取扱いを廃止。
  • 1987年(昭和62年)
    • 3月1日 - 国鉄分割民営化を控え、名古屋鉄道管理局から大阪鉄道管理局に移管される。
    • 3月31日 - 貨物の取扱いを再開。ただし、以降の貨物取扱の実績はなかった。
    • 4月1日 - 国鉄分割民営化により、在来線はJR西日本、新幹線はJR東海、貨物営業はJR貨物が承継。
  • 1989年平成元年)3月11日 - 大阪・京都方面からの新快速の乗り入れを本格的に開始。
  • 1991年(平成3年)9月14日 - 北陸本線田村駅 - 長浜駅間直流化。これにより当駅発着の一部の新快速を長浜駅へ延長。
  • 1998年(平成10年)
    • 3月17日 - 新幹線乗換改札口に自動改札機を導入[29]
    • 9月1日 - 東口新駅舎使用開始。
      • これに先立つ改築で、旧7・8番ホーム横に新1 - 4番線を敷設、2・3番線の間にホームを設置、新下りホームとなる。旧1番 - 5番ホームを廃止。旧7 - 10番ホームを5 - 8番に改称。
  • 2003年(平成15年)11月1日 - JR西日本でICカードICOCA供用開始[30]
  • 2007年(平成19年)6月8日 - 近江鉄道の駅舎・ホーム移転。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月21日 - 自由通路・在来線橋上駅舎供用開始。
      • 橋上化にあたり、まず2008年(平成20年)2月9日に改札内に限り自由通路暫定供用開始。さらに2009年3月7日には新幹線改札の移動、JR西日本5・6・7・8番のりばの彦根寄りの階段の使用を開始し、新幹線の旧改札口と自由通路設置に伴い仮設された7・8番ホーム階段を廃止。なお、工事中の2008年12月10日にはホーム上工事囲いのフェンスが貨物列車通過の風圧で飛散し、ホーム上の乗客2名とホーム誘導員1名が怪我をする事故が起きている。
    • 6月1日 - 新幹線橋上駅舎・改札口供用開始。これにより東西自由通路から直接新幹線改札を通ることができるようになった。
    • 7月1日 - 在来線ホームが全面禁煙となる。

その他

  • 夏季と冬季、米原駅以北の新快速および普通のドアは冷暖房保温及び虫侵入防止を目的に半自動扱いとなる。ドア横のボタンを押してドアを開閉する(JR西日本車両のみでJR東海車両はない)。
  • ホーム有効長の制限により、米原駅以北長浜駅までは8両、虎姫駅以北は4両のみ入線可能である。そのため多くの列車で増解結作業が行われている。下り列車は第二場内信号機に併設された誘導信号機でホームに進入するため、坂田駅 - 米原駅間の所要時分が増結のない列車に比べて長く設定されている。
  • 駅掲示の在来線時刻表はJR東海の管轄となる大垣方面も含めてJR西日本仕様である。JR東海公式サイト上ではJR東海版時刻表が閲覧可能である。また以前はJR東海フォーマットの各方面の在来線時刻表が新幹線・在来線乗換口のJR東海管理部分に設置されていたが、現在掲示はない。
  • 橋上化完成で、それまで改札内のみだったJR東海の窓口が、改札外にも設けられ、併せて新幹線にも直接入場できるようになった。
  • かつて「町」(滋賀県坂田郡米原町)にある新幹線の駅として小郡駅(現・新山口駅)とともに有名であった。2005年に市制施行により「町」ではなくなったが、その際に知名度の高い駅名に合わせ従来の米原(まいはら)町を米原(まいばら)市と読み替えている。このため、駅周辺の住所は「米原市米原(まいばらしまいはら)」となっており、旧町名の読み方が残っている。
  • 各種ICカード乗車券は琵琶湖線(京都・大阪方面)または北陸本線(近江塩津まで)がサービスエリアである(近江塩津から湖西線近江今津方面への利用は可能)。当駅から東に4駅目の関ヶ原駅以東はJR東海のICカード乗車券であるTOICAの利用可能エリアであるが、ICOCAとTOICAのそれぞれのエリアをまたぐ利用は不可能。例えば、ICOCAエリアである当駅でICカード乗車券で入場し、そのICカード乗車券でTOICAエリアである大垣駅などで降車することは不可能である。ただしエリアをまたぐ方法として、ICカード対応自動券売機であらかじめカードでの切符を購入しておけばエリアをまたいで利用可能である。当駅には最近までICカード対応の自動券売機がなく、「ICカードによりあらかじめ切符を買う」ことができなかったが、2011年2月にICカード対応自動券売機が設置され、ICカードを自動券売機に挿入することにより切符を購入することが可能となった。
  • 米原駅北方の岩脇(いおぎ)山に太平洋戦争末期に掘削された蒸気機関車の避難壕跡が残る[31][32]
  • 米原機関区にあった大神宮は、米原市米原の湯谷神社へ遷宮されている[33]

隣の駅

※西日本旅客鉄道・東海旅客鉄道の在来線特急・急行と、新幹線の停車駅については各列車記事を参照のこと。

西日本旅客鉄道
テンプレート:Color琵琶湖線(東海道本線)
テンプレート:Color新快速・テンプレート:Color普通(京都駅または高槻駅以西は快速、もしくは野洲駅以西は新快速となる列車を含む)
坂田駅(北陸本線)/醒ヶ井駅(東海旅客鉄道) - 米原駅 - 彦根駅
テンプレート:Color琵琶湖線(北陸本線)
テンプレート:Color新快速(北陸本線区間は各駅に停車)・テンプレート:Color普通(京都駅または高槻駅以西は快速となる列車を含む)
彦根駅(東海道本線) - 米原駅 - 坂田駅
東海旅客鉄道
テンプレート:Color東海道新幹線
岐阜羽島駅 - 米原駅 - (栗東信号場) - 京都駅
テンプレート:Color東海道本線
  • 特急「ひだ」「しなの」「しらさぎ」停車駅
テンプレート:Color特別快速・テンプレート:Color新快速・テンプレート:Color快速・テンプレート:Color区間快速・テンプレート:Color普通(すべて岐阜駅まで各駅に停車、区間快速は到着列車のみ)
醒ヶ井駅 - 米原駅
近江鉄道
テンプレート:Color本線(彦根・多賀大社線)
米原駅 - フジテック前駅

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

辻良樹『関西鉄道考古学探見』JTBパブリッシング 2007年発行「鉄道の町 米原を歩く」90 - 99頁。

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:鉄道路線ヘッダー テンプレート:Navbox テンプレート:東海道本線 (JR東海) テンプレート:Navbox テンプレート:北陸本線 テンプレート:近江鉄道

テンプレート:鉄道路線フッター
  1. 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  2. 在来線特急列車などの全席禁煙化ならびに在来線ホームの禁煙化の拡大について - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年3月26日
  3. 辻良樹「近江鉄道米原駅舎が新築移転」『鉄道ピクトリアル』2012年9月号 トピック・フォト110頁。
  4. テンプレート:PDFlink滋賀国道事務所、2002年
  5. JR時刻表2010年8月号(交通新聞社刊)182ページより。
  6. 近江鉄道についてはデータが載せられていないため不明。
  7. 7.0 7.1 平成4年滋賀県統計書
  8. 8.0 8.1 平成5年滋賀県統計書
  9. 9.0 9.1 平成6年滋賀県統計書
  10. 10.0 10.1 平成7年滋賀県統計書
  11. 11.0 11.1 平成8年滋賀県統計書
  12. 12.0 12.1 平成9年滋賀県統計書
  13. 13.0 13.1 平成10年滋賀県統計書
  14. 14.0 14.1 平成11年滋賀県統計書
  15. 15.0 15.1 平成12年滋賀県統計書
  16. 16.0 16.1 平成13年滋賀県統計書
  17. 17.0 17.1 平成14年滋賀県統計書
  18. 18.0 18.1 平成15年滋賀県統計書
  19. 19.0 19.1 平成16年滋賀県統計書
  20. 20.0 20.1 平成17年滋賀県統計書
  21. 21.0 21.1 平成18年滋賀県統計書
  22. 22.0 22.1 平成19年滋賀県統計書
  23. 23.0 23.1 平成20年滋賀県統計書
  24. 24.0 24.1 平成21年滋賀県統計書
  25. 25.0 25.1 平成22年滋賀県統計書
  26. 26.0 26.1 平成23年滋賀県統計書
  27. 27.0 27.1 平成24年滋賀県統計書
  28. 北陸方面からの乗り換え需要のため、新幹線開業前の1961年10月のダイヤ改正の時点で既に彦根駅を差し置いて当駅が一部の特急列車の停車駅となっていた。
  29. NEWS SUMMARY 1998. 3. - 鉄道友の会名古屋支部
  30. 「ICOCA」いよいよデビュー! ? 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします ?インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日
  31. 『関西鉄道考古学探見』JTBパブリッシング 2007年発行 94~95頁。
  32. 辻良樹「旧蒸気機関車避難壕の整備が完成」『鉄道ピクトリアル』2010年1月号 144~145頁。
  33. 『関西鉄道考古学探見』JTBパブリッシング 2007年発行 92~93頁。