鉄道事故
鉄道事故(てつどうじこ)とは、鉄道車両の運転時に発生する事故である。列車の遅れ等輸送障害を指して事故と称することもあるが、本項では衝突、脱線、火災など死傷者の発生に至る事故を指す。事故を惹起する危険が高い事態が発生し、なおかつ実際には事故が発生しなかった事象は、事故が発生するおそれがあると認められる事態=インシデントと呼ばれる。
目次
概要
鉄道は大量輸送が特徴であり、事故を起こすと多くの死傷者を出すだけでなく、運転ができなくなることによって社会的にも大きな影響を与える。
国土交通省令鉄道事故等報告規則では、鉄道運転事故としては列車衝突事故・列車脱線事故・列車火災事故・踏切障害事故・道路障害事故・鉄道人身障害事故・鉄道物損事故の7項目を定めている。鉄道による輸送に障害を生じた事態であって、上記の鉄道運転事故以外のものは鉄道事故ではなく輸送障害という。特に雨や雪などで休止や遅延が発生した場合には、輸送障害ではなく、災害と呼ばれる。
なお、国土交通省の運輸安全委員会(2008年10月に航空・鉄道事故調査委員会から改組)の「鉄道事故調査報告書」では鉄道事故について以下のような分類がなされている。
- 鉄道関連
- 軌道関連
- 車両衝突事故
- 車両脱線事故
- 車両火災事故
- 踏切障害事故
- 道路障害事故
- 人身障害事故
- その他の事故
なお、事故のうち乗客・乗務員等の死亡、5人以上の死傷を生じたものなど運輸安全委員会設置法施行規則1条に掲げられたものに該当する事故を「重大事故」という。
鉄道事故件数は近年減少しているものの、日本では些細なものも含めて年間500件以上起きており、そのうち半数近くが踏切障害事故である。
事故調査
従来、鉄道事故等においては警察による関係者の責任が問われていたが、個人責任の追及が中心になるあまり当事者の証言が歪められ本来の背後要因等の分析が不十分であるとの指摘があり、中立的な事故原因調査を行う機関の設立が望まれていた。現在、日本において鉄道事故が発生した場合には国土交通省内の運輸安全委員会(前身:航空・鉄道事故調査委員会)によって原因究明と再発防止のための調査が行われる。また、業務上過失致死罪などの容疑で刑事捜査が行われる場合もある。
しかし、刑事捜査が優先されるため、運輸安全委員会による調査は十分に行えず、さらに運輸安全委員会の事故調査報告書が刑事裁判の証拠として採用されることもあるため、事故関係者が責任波及を恐れて事故に関する証言を拒んだり黙秘する問題も出てきており、また、刑事捜査は関係者の処罰が目的のため事故の再発防止には役立たないという指摘もある。
そのため、委員会をアメリカの国家運輸安全委員会 (NTSB) のような国土交通省から独立した強い権限を持つ機関に改めることと、過失による刑事責任を問わないことで関係者の証言を得やすくするべきだという意見も根強い。
主な鉄道事故(日本)
日本の鉄道事故については下記を参照のこと。
1949年以前に発生した鉄道事故
1950年から1999年までに発生した鉄道事故
2000年以降に発生した鉄道事故
主な鉄道事故(日本国外)
ここでは特に社会的影響の大きかった事故に限り、便宜的に記載する。 テンプレート:Main2
19世紀
- 1815年7月31日
- イギリス・イングランド北東部サンダーランド郊外。実験段階の蒸気機関車「Mechanical Traveller」のボイラーが爆発し、見物人など13〜16人が死亡した(en:1815 Philadelphia train accident)。
- 1830年9月15日
- イギリス・イングランド北西部ランカシャーのパークサイド (Parkside) 駅で、リバプール&マンチェスター鉄道の開業当日、招待客の代議士ウィリアム・ハスキソンが、同じく招待客だった初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーに挨拶をしようと線路を横断しようとしたところ、機関車ロケット号に轢かれて死亡。史上初の鉄道死亡事故。
- 1831年6月17日
- アメリカ合衆国サウスカロライナ州チャールストン。圧力安全弁が火夫によって締め付けられ、「テンプレート:仮リンク」のボイラーが爆発。火夫が死亡、機関士がやけどを負い、他に3人が負傷した。この機関車はテンプレート:仮リンクで最初の蒸気機関車であった[2][3](w:List of rail accidents (before 1880)#1831)。
- 1833年11月8日
- アメリカ合衆国ニュージャージー州マーサー郡のカムデン&アンボイ鉄道が、軸焼けによる車軸の破損により脱線転覆し、乗客の死亡した最初の鉄道事故となった。死者2名。生存者に J.Q.アダムズ前大統領や後の鉄道王 C.ヴァンダービルトがいる(en:Hightstown rail accident)。
- 1841年12月24日
- イギリス・イングランド南東部バークシャーの Sonning Cutting にて、グレート・ウェスタン鉄道の貨客混合列車が地滑りに突っ込んで脱線し、無蓋車に乗っていた乗客が投げ出されて9人が死亡・16人が負傷した。この事故をきっかけに無蓋車で乗客を運ぶ危険が指摘され、1844年の鉄道法改正による議会列車制定の遠因になった(en:Sonning Cutting railway accident)。
- 1842年5月8日
- フランス・パリ郊外のムードン付近を走行中の列車を牽引していた蒸気機関車の車軸が折損して脱線転覆し、客車が次々と乗り上げた。機関車のボイラーの火が客車に延焼し、探検家のジュール・デュモン・デュルヴィルをはじめテンプレート:Refnest52人以上が死亡した。当時の客車は外開きで外から鍵で施錠されていたため、中から乗客が脱出できなかったのが惨事を大きくした。テンプレート:See
- 1847年5月24日
- イギリス・イングランド北西部チェスターのディー川に架かる橋が壊れ、通行していた列車が落下。死者5名。テンプレート:See
- 1853年5月6日
- アメリカ合衆国コネチカット州で、列車が開橋状態の旋回橋へ信号を無視して進入しノーウォーク川河口付近の船着き場に転落。死者48人。テンプレート:See
- 1853年8月12日
- アメリカ合衆国ロードアイランド州ポータケット郊外の Valley Falls でテンプレート:仮リンクの列車が正面衝突。死者13人。鉄道事故が写真撮影された最初の例と考えられている(w:List of rail accidents (before 1880)#1853)。
- 1856年7月17日
- アメリカ合衆国ペンシルベニア州 Camp Hill で列車が正面衝突し、炎上。ピクニックの行楽客など少なくとも59人が死亡(en:Great Train Wreck of 1856)。
- 1857年3月12日
- カナダ西部のテンプレート:仮リンク。90人が乗っていたテンプレート:仮リンクのトロント発ハミルトン行き列車が終点に近づいた時、デジャルダン運河にかかる橋が機関車前部の車軸が破損後に崩壊した。極寒の運河に投げ出された後、外傷や溺死により59人が死亡した(w:List of rail accidents (before 1880)#1857 de:Eisenbahnunfall auf der Desjardins-Kanalbrücke)。
- 1857年6月28日
- イギリス・ルイシャム・ロンドン特別区・ルイシャム駅の東側で、信号停車していた列車に後続列車が追突。死者11人。テンプレート:See
- 1864年6月29日
- カナダ・ケベック州モンテレジー地域で、列車が開橋状態の旋回橋へ信号を無視して進入しリシュリュー川に転落。主にドイツ人やポーランド人の移民など99人が死亡した。テンプレート:See
- 1865年6月7日
- イギリス・イングランド中西部シュロップシャー。下り勾配の先で保線作業中の区間に、警告を見落とした列車が進入し脱線。死者13人。テンプレート:See
- 1865年6月9日
- イギリス・ケントで、時刻表を誤読しての保線作業によりレールの外された高架橋に列車が進入して脱線。死者10人。生存者に小説家チャールズ・ディケンズがいる。テンプレート:See
- 1870年12月12日
- イングランド中部サウス・ヨークシャーの操車場で、貨車の固定が外れ12両が下り勾配を暴走。駅に停車していた列車に衝突した。死者15人。テンプレート:See
- 1872年10月2日
- スコットランド・ダンフリーズ&ガロウェイのカートルブリッジ駅構内の転轍器に連動していない信号の誤現示により、入換作業中の貨物列車に夜行列車が衝突した。死者12人。テンプレート:See
- 1873年8月3日
- イングランドのウィガン・ノース・ウェスタン駅を通過中に、客車が脱線し駅舎・プラットホームに衝突。乗客13人が死亡した。テンプレート:See
- 1874年1月27日
- イギリス・スコットランド・フォルカークの分岐点で切り離された先発列車が遅延して発車したのを、信号掛が後発列車の発車と誤認して待避線の貨物列車を発車させた。直後に発車した後発列車が、本線に進入していた貨物列車に衝突した。死者16人。テンプレート:See
- 1874年9月10日
- イギリス・イングランド東部ノーフォークのソープ・セント・アンドリューの単線区間で、電信のミスにより列車同士が正面衝突。死者25人。タブレットによる閉塞が開発される契機となった。テンプレート:See
- 1876年12月29日
- アメリカ合衆国オハイオ州アシュタビューラで列車の通過中に鉄橋が崩壊。92名が死亡[4](en:Ashtabula River Railroad Disaster)。
- 1877年3月25日
- イギリス・イングランド・ノーサンバーランドテンプレート:要曖昧さ回避の急カーブで列車が脱線。死者5名。テンプレート:See
- 1879年12月28日
- イギリス・スコットランド東部のテイ川河口の鉄橋「テイ橋」が強風のために崩落し急行列車が転落し死者78名。原因は鉄橋テンプレート:要曖昧さ回避に使用された鋳鉄と設計上の強度不足と建設上の施工不備が競合したためとされた。
- 1889年6月12日
- イギリス北アイルランド・アーマー州のグレート・ノーザン鉄道で、機関車から切り離された客車が坂を逆走し後続列車と衝突。死者88名。客車15両編成の列車が13‰の急勾配を登り切れなかったため、客車を分けて牽引しようと後ろ10両を切り離した。切り離された客車には動かないよう処置されていたが、機関車が発車しようとした際の衝撃で逆走した。この事故を契機に自動ブレーキや閉塞の導入が義務づけられる(en:Armagh rail disaster)。
- 1890年11月11日
- イギリス・イングランド南西部のサマセット、グレート・ウェスタン鉄道のノートン・フィッツワレン駅でプリマス発パディントン行きの臨時列車が、停車していた貨物列車と信号掛のミスにより衝突。10人が死亡。テンプレート:See
- 1893年8月12日
- イギリス・ウェールズで、下り坂を走行中に機関車のバネが外れて脱線。客車6両が築堤を落下し、13人が死亡した。テンプレート:See
- 1894年12月22日
- イギリス・イングランド北西部チェシャーのチェルフォード駅で入換作業中に、強風により貨車が隣線の貨車に衝突した。この貨車が脱線して本線を支障、進入してきた急行列車が衝突した。死者14人。テンプレート:See
- 1897年6月11日
- イギリス・イングランドシュロップシャーのウェールズ国境地帯で脱線。死者12人。テンプレート:See
20世紀前半
- 1900年7月4日
- ワシントン州タコマで過積載の路面電車が、カーブを曲がりきれず脱線し築堤を転落。43人が死亡した。テンプレート:See
- 1903年8月10日
- フランス・パリメトロ2号北線(現: 2号線)で列車火災。クロンヌ駅他で死者84人。テンプレート:See
- 1903年9月27日
- バージニア州ダンビルでサザン鉄道の列車が脱線、トレッスル橋から転落した。死者11人。テンプレート:See
- 1904年9月24日
- アメリカ合衆国テネシー州ジェファーソン郡ニューマーケット・ヒルの閉塞の導入されていない単線区間で、行き違い場所の変更に失敗しサザン鉄道の列車同士が正面衝突。この日は土曜日で、セントルイス万国博覧会から帰る乗客ら56人以上が死亡した。テンプレート:See
- 1906年10月28日
- アメリカ合衆国ニュージャージー州アトランティックシティ駅西側の可動橋の固定がずれ、列車が脱線し転落した。死者53人。テンプレート:See
- 1910年3月1日
- アメリカ合衆国ワシントン州キング郡のグレート・ノーザン鉄道ウェリントン駅で大規模な雪崩が発生、折りしも猛烈な吹雪で6日間立ち往生していた旅客列車と郵便列車が巻き込まれ、死者96人。鉄道施設が襲われた雪崩による事故[5]では最悪の事故である。テンプレート:See
- 1915年1月22日
- メキシコ革命による内戦中のメキシコにてカランサ派の家族ら900人を輸送する特別列車がコリマ〜グアダラハラ間にある長い下り坂を走行中、ブレーキ故障により暴走した。列車は屋根や床下の乗客を振り落としながら加速、脱線し、全車が峡谷に転落した。死者600人以上。テンプレート:See
- 1915年5月22日
- イギリス・スコットランド南部グレトナ・グリーン近辺のキンティンスヒル駅で、軍用列車を含む5本の列車が衝突し出火。兵士など227名が死亡[6]。イギリス史上最悪の鉄道事故。駅に列車が停車していたにもかかわらず、場内信号を進行現示にしてしまったため、上り軍用列車が進入して衝突。その弾みで衝突した列車が隣線を支障し、そこに下り急行列車が衝突した(en:Quintinshill rail disaster)。
- 1916年11月7日
- アメリカ・マサチューセッツ州ボストンにて路面電車が開橋状態の旋回橋から運河に転落。47〜52人が死亡(de:Straßenbahnunfall auf der Summer Street Bridge)。
- 1917年1月13日
- ルーマニア・ヤシ県にて難民とロシア負傷兵を乗せた列車内で、兵士が走行中に直通ブレーキのコックを閉めたため(乗客に踏まれたブレーキ管が損傷とも)暴走し機関車2両と26両中24両の客車が脱線、出火した。死者600〜1,000人。テンプレート:See
- 1917年12月12日
- フランス南東部サヴォワ県サン・ミシェル・ド・モーリエンヌ付近で、軍用列車がブレーキ制御を喪失し脱線、炎上した。死者427人以上(諸説あり)を出すフランスの鉄道史上最悪の惨事となった。テンプレート:See
- 1918年7月9日
- アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビル。閉塞の導入されていない単線区間で列車同士が正面衝突。死者101人。下記のマルボーン事故に並ぶ米国最大の鉄道事故。テンプレート:See
- 1918年9月13日
- オランダ北ホラント州ウェースプ付近のメルウェデ運河に架かる橋の、たもとの築堤が豪雨と手抜き作業により崩壊。このとき通過中だったアムステルダム行き列車が脱線し、法面を転落した。死者41人。テンプレート:See
- 1918年11月1日
- アメリカ合衆国ニューヨークのブルックリン高速鉄道 (BRT) の地下線でカーブに高速で進入した列車が脱線。死者93人以上。テンプレート:See
- 1918年11月19日
- 第一次世界大戦の休戦協定発効直後、ベルギー・リンブルフ州の駅に帝政ドイツの軍用列車2本が停車していたところ、弾薬が爆発した。「子供の焚き火が原因」「ドイツ復員兵など800〜2,000人が死亡した」とされるが詳細は不明(de:Eisenbahnunfall von Hamont)。
- 1926年3月14日
- コスタリカで橋を走行中に過積載の列車が脱線し、客車2両がヴィリヤ川峡谷へ転落。死者248人。テンプレート:See
- 1926年10月4日
- スイス・ザンクト・ガレン州の Ricken トンネルで一酸化炭素中毒事故。死者9名(de:Eisenbahnunfall im Rickentunnel、en:Ricken Tunnel)。
- 1928年10月12日
- イギリス・スコットランド最大の都市グラスゴーのグラスゴー・クイーンストリート駅北側に隣接したトンネル内で、油で汚れた急勾配と砂撒き装置の故障により列車が逆走。規則に違反してトンネル内に進入していた空の列車に衝突した。死者3名。テンプレート:See
- 1933年12月23日
- フランス・パリ郊外のラニー=シュル=マルヌ〜ポンポンヌ間で、クリスマス休暇で満員のナンシー行き普通列車に、ストラスブール行き急行列車が高速で激突。濃霧による信号の見落としが原因。「クロコディール」(Le Crocodile) と呼ばれる、接触式の自動列車警報装置(AWS)が設置されていたものの、凍結のため機能しなかった。さらに、普通列車の客車が木造車だったことが被害を大きくした。死者230人。当時の日本の鉄道雑誌「鐵道趣味」にも、大惨事の写真が掲載された。戦時中を除き、フランスの鉄道史上最悪の事故(en:Lagny-Pomponne rail accident)。
- 1937年12月7日
- イギリス・スコットランド・ノース・ラナークシャーのキャッスルキャリ駅で、停止現示の信号機を通り過ぎて駅構内に停車していた急行列車に、後からやってきた急行列車が追突。35名が死亡、179名が負傷した。駅の信号掛が、信号を無視した列車は既に駅を通過していってしまったものと思いこみ、後から来た列車を駅に入れようとしたことが原因だった。この事故の後 AWS(自動列車警報装置)を取り付けることが勧告された(en:Castlecary rail accidents#1937)。
- 1939年12月22日
- ドイツで死者100人を超える鉄道事故が、同日に2件発生。
- フリードリヒスハーフェン西部のリップバッハ(マルクドルフの南)で、臨時列車と貨物列車が衝突。死者101人。ドイツで最初の死者が100人を超えた鉄道事故(de:Eisenbahnunfall bei Markdorf)。
- ザクセン=アンハルト州のゲンティンで、灯火管制の中、遅延した先行列車に後続列車が信号を無視して接近。ゲンティン駅構内で駅員が後続列車の停車を試みたところ、先行列車が非常ブレーキを扱って停車し、後続列車が高速で追突した。公式には死者186人とされたが、当局内部では278人と記録されていた。ドイツの鉄道史上、最悪の事故。テンプレート:See
- 1940年11月4日
- イギリス・イングランド南西部サマセットのノートン・フィッツワレン付近。複々線が複線に合流する地点で、信号の誤認により脱線転轍器に進入し脱線。27人が死亡。テンプレート:See
- 1941年1月22日
- ドイツ・ニーダーザクセン州のイゼンビュッテル-ギフホルン駅に停車中の軍用列車に貨物列車が追突。ベルギー人捕虜ら122人が死亡。テンプレート:See
- 1943年9月6日
- アメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィア付近で、ペンシルバニア鉄道「議会特急」の客車の車軸が軸焼けにより折損。車体が上方に浮き上がりガントリー(門型支持)の信号に衝突した。79人が死亡。テンプレート:See
- 1944年1月3日
- スペイン・トーレ・デル・ビエルソ付近の第20トンネル内で、ブレーキの故障した列車が別の列車に衝突し出火。さらに石炭列車が突入し、二日に亘り炎上し続けた。公式では死者78人以上だが、500人以上とも言われる。テンプレート:See
- 1944年3月2日〜3日
- イタリア・バルヴァーノ付近のアルミ・トンネル内の急勾配で蒸気機関車牽引の貨物列車が立ち往生。違法に乗車していた約426人(諸説あり)が、一酸化炭素中毒で死亡した。テンプレート:See
- 1945年7月16日
- ドイツ・オーバーバイエルン行政管区のアスリングでアメリカ陸軍の戦車を輸送していた列車が停車していた列車に衝突。ドイツ軍捕虜約110名が死亡(de:Eisenbahnunfall von Aßling)。
- 1945年8月10日
- ソ連対日参戦の翌日、南満州鉄道の東安駅。弾薬の処分の際の事故とみられる爆発に避難列車が巻き込まれ、満蒙開拓団ら100人以上が死亡した。テンプレート:See
- 1946年3月20日
- ブラジル・セルジッペ州アラカジュ付近の急勾配を下っているときに機関車と荷物車、客車3両が脱線。185人が死亡。テンプレート:See
- 1948年5月28日
- 台鉄 (台湾鉄路管理局)。乗客の持ち込んだ危険物により、新店渓に架かる橋の上で列車火災。64人が死亡または行方不明(zh:新店溪橋燒車事故)。
- 1949年10月22日
- ポーランドで脱線。死者200人以上[6](w:List of rail accidents (1930–1949)#1949)。
1950年代
- 1950年8月27日
- イギリス・ウェールズのテンプレート:仮リンク。テンプレート:仮リンクの寝台列車が入れ替え機関車と衝突し6人が死亡(w:List of rail accidents in the United Kingdom#1948–1994: British Rail)。
- 1950年11月22日
- アメリカ合衆国ニューヨークのロングアイランド鉄道本線。キューガーデン駅付近で、ブレーキの故障により停車した列車に後続の列車が追突した。78人が死亡(キューガーデン駅 (LIRR)#歴史、en:Kew Gardens train crash)。
- 1952年10月8日
- イギリス・ロンドン近郊のハーロウ&ウィルドストーン駅で信号の見誤りにより列車が追突、脱線したところに別の列車が衝突し、112名が死亡。イギリスで自動列車警報装置(AWS)が普及するきっかけとなる(en:Harrow and Wealdstone rail crash)。
- 1953年12月24日
- ニュージーランドのテンプレート:仮リンクに架かるタンギワイ鉄道橋がルアペフ山からの泥流により損傷。直後に通りかかった、ウェリントン発オークランド行の列車とともに崩落し151名が死亡。ニュージーランド最大の鉄道事故(ルアペフ山、en:Tangiwai disaster)。
- 1955年4月3日
- メキシコ・グアダラハラで列車が脱線し渓谷へ転落。公式には死者13人以上だが、300人以上とも言われる[6](w:List of rail accidents (1950–1959)#1955)。
- 1957年9月29日
- パキスタン西部で急行列車が停車中の石油列車と衝突。死者250人[6](w:List of rail accidents (1950–1959)#1957)。
- 1957年12月6日
- イギリス・ルイシャム・ロンドン特別区の St Johns〜ルイシャム間で濃霧の夕方、跨線線路橋(鉄道同士の立体交差)の下で信号停車していた列車に、別の列車が追突。さらに線路橋が崩落した。死者90人。テンプレート:See
1960年代
- 1961年7月16日
- イギリス・イングランド北西部ランカシャーのウィートン付近。信号掛が連絡を誤解し、保線用の列車がいる区間に急行列車を進入させた。急行はバラスト運搬車に追突し、7人が死亡した。テンプレート:See
- 1961年12月23日
- イタリア・カタンザーロ近郊のカーブした高架橋を通過中、連結器の破損により客車が脱線し川に転落した。死者71人。テンプレート:See
- 1962年1月8日
- オランダ・ユトレヒト州のハルメレンで濃霧の朝、急行列車の運転士が(次の信号機が赤だと示す)黄色信号を見落とし125km/h で通過。次の赤信号に気づき急ブレーキをかけたものの107km/h で逆方向から来た普通列車と9時19分に正面衝突。双方の運転士を含む93名の死者(内2名は後日死亡)と54名の重軽傷者を出した。現在でもオランダ史上最悪の鉄道事故となっている。テンプレート:See
- 1962年6月11日
- アルゼンチンの首都ブエノスアイレスのビジャ・ソルダーティ。濃霧の朝に市営のスクールバスを踏切番が踏切に入れた結果、列車と衝突した。42人が死亡、83人が負傷。テンプレート:See
- 1964年4月30日
- インドネシア・西ジャワ州のバンドンで夜行列車が脱線転覆して渓谷へ転落。死者21名。負傷者108名テンプレート:要出典。
- 1967年7月6日
- 東ドイツ(当時)のマクデブルク南方の踏切で列車とタンクローリーが衝突し爆発。キャンプで移動中の学生など94名が死亡(en:Langenweddingen level crossing disaster)。
- 1967年11月5日
- イギリス・ルイシャム・ロンドン特別区の車両基地付近で、レールの破損により列車が脱線。死者49人。生存者に歌手でビージーズのメンバーのロビン・ギブと妻がいた。テンプレート:See
- 1969年2月7日
- オーストラリア・ヴィクトリア州バイオレット・タウン付近の単線区間での行き違い直前に、運転士が心臓発作により死亡したため旅客列車が貨物列車と衝突した。死者9人。テンプレート:See
- 1969年5月7日
- イギリス・イングランド・ノーサンバーランドの急カーブで列車が脱線。死者6人。テンプレート:See
1970年代
- 1970年2月1日
- アルゼンチンのベナビデスデ(首都ブエノスアイレスの北、約30km)で、エンジントラブルにより停車していた列車に別の列車が追突。公式では死者142人だが、236人とも言われる。アルゼンチン最大の鉄道事故(en:Benavidez rail disaster)
- 1971年2月9日
- 西ドイツのアイトラングで、TEE 列車がカーブ(制限80km/h)を130km/h で通過して脱線。運悪く複線の反対方向を走ってきたレールバスと衝突した。TEE のブレーキが凍結し、減速できなかったことが原因。死者28人、負傷42人(アイトラング#アイトラング列車事故、de:Eisenbahnunfall von Aitrang)。
- 1971年5月27日
- 西ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州の Radevormwald で、貨物列車と臨時普通列車が単線区間で正面衝突。臨時普通列車の運転でダイヤが変更され、貨物列車が臨時に停車すべき行き違い駅を通過してしまった(信号操作ミスが原因とも)ことが原因とされる。臨時普通列車が軽量のレールバスであることも被害を大きくした。死者46人 (遠足帰りの中学生41人を含む)、負傷25人。列車無線の拡大や、軽量のレールバスの淘汰が進められた(en:Dahlerau train disaster)。
- 1971年7月21日
- 西ドイツ・フライブルク行政管区の Rheinweiler 駅付近で、急行列車がカーブ(制限75km/h)を140km/h で通過して脱線し、何両かは築堤から転落して民家を押しつぶす。死者23人、負傷121人。当時、最新鋭の電気機関車だった103型の技術的欠陥が原因とされる(西ドイツ国鉄103型電気機関車#その他、de:Eisenbahnunfall von Rheinweiler)。
- 1972年6月16日
- フランスのパリ〜ランス間にあったビュルジトンネルのランス側入口300m 付近が老朽化のため12m にわたり崩壊し、そこに上下2本の列車がほぼ同時に110Km/h で突っ込んで脱線転覆し107名が死亡した(fr:Effondrement du tunnel de Vierzy)。
- 1972年10月30日
- アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ。朝のラッシュ時に列車が駅をオーバーランし、信号機を通過後プラットフォームまで後退した。このとき信号が自動的に進行現示となった事に気づかず通過列車が追突した。死者45人。テンプレート:See
- 1974年8月30日
- ユーゴスラビア鉄道のザグレブ(現在はクロアチアの首都)中央駅付近のカーブに、運転士と助手が過労の状態にあった列車が速度超過で進入し脱線した。153人が死亡。テンプレート:See
- 1975年2月28日
- イギリス・ロンドン地下鉄のムーアゲート駅で列車がトンネルの行き止まりに衝突。死者43名。事故原因は特定できなかった(en:Moorgate tube crash)。
- 1977年1月18日
- オーストラリア・ニューサウスウェールズ州シドニー近郊で列車が脱線し陸橋に衝突、陸橋が崩落し客車を押し潰した。死者83名。クラッシュ症候群による死者が多く出たことで知られる。オーストラリア最大の鉄道事故。テンプレート:See
- 1977年7月11日
- 韓国の京釜線芝灘駅構内で停車中の列車に場内信号を見落とした特急列車が衝突し、18名が死亡テンプレート:要出典。
- 1977年11月11日
- 韓国・裡里駅(現: 益山駅)に爆発物40t を積載して停車中の貨物列車において、火の点いたろうそくが火薬箱に転倒。死者59人、負傷者1,343人。1,647世帯、7,800人あまりが被災した。テンプレート:See
- 1978年4月15日
- イタリアのボローニャ~フィレンツェ間で山崩れに遭遇し、乗り上げて隣線を支障していた下り急行列車に上り特急列車が衝突。死者42人(it:Incidente ferroviario di Murazze di Vado)。
- 1978年7月6日
- イギリス・イングランド南西部のサマセットを走行中の寝台列車で火災が発生。12人が死亡。テンプレート:See
- 1978年12月16日
- 中国河南省蘭考県の隴海線楊庄駅付近で衝突事故。死者106人(w:zh:中国铁路事故列表)。
- 1979年11月10日
- カナダ・オンタリオ州ミシサガ市内の踏切で貨物列車が脱線。死者こそなかったものの、タンク車の塩素などが流出したことにより市民20万人以上が1週間に渡って市から避難した(en:1979 Mississauga train derailment)。
1980年代
- 1981年6月6日
- インド・ビハール州で列車が鉄橋からバグマティ川に転落。公式では死者200人以上だが、800人以上とも。災害[6][7]またはブレーキ不良が原因とみられている。テンプレート:See
- 1981年7月9日
- 中国四川省甘洛県・大渡河沿いを走る成昆線で支流に架かる鉄橋が土石流によって崩壊し、そこへ列車が突入した。東風3型ディーゼル機関車、荷物車、郵便車と客車1両が川に転落、客車2両が川岸に吊り下がり、客車1両が橋の直前のトンネル出口付近で脱線し大破した。乗務員4人を含む240人以上が死亡または行方不明(zh:1981年成昆鐵路列車墜橋事故)。
- 1983年6月5日
- ソビエト連邦のウリヤノフスク近郊でヴォルガ川に架かる橋(Императорский мост)に客船アレクサンドル・スヴォーロフ(定員400人)が衝突し上部構造物を大破。橋脚が移動し、走行してきた貨物列車の一部の車両が脱線、貨車の積荷が船に落下した。少なくとも176人が死亡。
- 1985年1月14日
- エチオピア・アファール州・アワッシュ川に架かる橋の上で列車が脱線し5両中4両が渓谷に転落。死者428人以上。アフリカ最大の鉄道事故。速度超過が原因とみられる。テンプレート:See
- 1985年8月3日
- フランス・ボルドーから150Km地点の単線で急行列車と普通列車が正面衝突。死者35名。事故原因は通信式による閉塞を駅の取扱者がミスしたため(w:List of rail accidents (1980–1989)#1985)。
- 1985年8月31日
- フランス・アンドル県のアルジャントンシュールクルーズ近郊で脱線した旅客列車に対向してきた貨物列車が衝突。43名が死亡(de:Eisenbahnunfall von Argenton-sur-Creuse)。
- 1986年2月8日
- カナダ・アルバータ州ヒントン郊外で、バンクーバー発エドモントン行の特急スーパーコンチネンタル号と貨物列車CN413号が正面衝突。スーパーコンチネンタル側21人、CN413号側2人の23人が死亡。直接な原因は、待避線におけるCN413号の乗務員の睡眠不足に伴う居眠りによる停止信号テンプレート:要曖昧さ回避無視であったが、その後の調べで、カナダ国鉄が、死亡した乗務員の病状を放置していた上に、デッドマンズペダルと呼ばれるデッドマン装置に乗務員が故意に荷物を置くなどして機能していなかったこと、また、車掌が非常停止装置を利用していなかったことが発覚。テンプレート:See
- 1987年8月7日
- ソ連ロストフ州カメンスク=シャフチンスキーの北カフカース鉄道カメンスカヤ駅。ブレーキの故障した貨物列車が、駅に停車中の列車に追突。死者106人。テンプレート:See
- 1987年10月19日
- インドネシア・ジャカルタ近郊で運行管理のミスにより列車が衝突し機関車が大破。死者156人を出した。インドネシア最大の鉄道事故(en:Bintaro train crash)。
- 1987年11月18日
- イギリス・ロンドン地下鉄のキングス・クロス・セント・パンクラス駅のエスカレーターから出火。死者31名(エスカレーター#安全性、en:King's Cross fire)。
- 1988年1月24日
- 中国雲南省宣威県の貴昆線で脱線。死者88人(w:zh:中国铁路事故列表)。
- 1988年3月24日
- 中国上海近郊で急行列車同士が正面衝突。日本の修学旅行生ら29名が死亡。原因は片方の列車運転士の信号無視とされたが、運転士はブレーキ故障と証言している。テンプレート:See
- 1988年6月4日
- ソ連ニジニ・ノヴゴロド州アルザマスで、爆発物(RDX、HMX 他)を積んだ貨物列車が原因不明(テロ説あり)の爆発。死者91人、負傷者1,500人(en:Arzamas train disaster)。
- 1988年6月27日
- フランスのムラン〜パリ間を走行していた列車の乗客が通過駅で降りようとして非常停止スイッチを作動させた。この時運転士が非常停止スイッチの解除手順を間違ったために下り勾配で列車が暴走。パリ・リヨン駅の地下ホームで車掌遅刻のために出発の遅れていた列車に衝突。死者56名。後の刑事裁判では運転士と車掌が有罪になったのも関わらず、違法に列車を止めた乗客が無罪になったため、フランス国鉄労組は抗議のストライキを決行した(リヨン駅#歴史、zh:巴黎里昂車站列車相撞事件、en:Gare de Lyon rail accident)。
- 1988年7月8日
- インド・ケーララ州のAshtamudi湖に架かる鉄橋で、急行列車が脱線し湖に転落。死者107名(en:Peruman railway accident)。
- 1989年5月12日
- アメリカ合衆国カリフォルニア州にあるカホン峠麓で貨物列車が速度超過のためカーブで脱線し横転。付近の住宅7棟に突っ込み、乗務員・住民合わせて4名が死亡。さらにこの事故の影響により同25日、事故現場の地下に巡らされていた高圧燃料パイプラインが破裂、吹き出した燃料が周辺の住宅地に飛散しながら引火して爆発し、住民2名が死亡した。事故原因は貨物の過積載によるブレーキの破損であり、事故後に積載量の虚偽申告があったことが判明している。さらに脱線の復旧工事の際、重機が地下2mに敷設されていたパイプラインを傷つけたことがパイプラインの破裂に繋がった。テンプレート:See
- 1989年6月3日
- ソビエト連邦のウラル山脈山中のアシア (Аша)〜ウファ間で液化天然ガスのパイプラインからガスがもれ爆発。偶然通りかかった列車2本が巻き込まれた。死者575名(645名とも)。テンプレート:See
- 1989年8月10日
- メキシコ国鉄のマサトラン発メヒカリ行き列車の走行中に、橋が崩壊し客車数両がサン・ラファエル川に転落した。112人が死亡。テンプレート:See
1990年代
- 1990年1月4日
- パキスタン・シンド州サッカル。分岐器の操作ミスにより、停車していた貨物列車に通過列車が衝突。死者307人。テンプレート:See
- 1991年10月16日
- フランス・ムラン。運転士の心臓発作により貨物列車が停止信号を冒進、ニース発パリ行き夜行列車に追突した。死者16人。デッドマン装置は正常に作動したが列車の追突は防止できなかった。この事故は不適切な列車の操縦を検出するKVB自動列車制御装置(KVB automatic train control system)の採用につながった(w:List of rail accidents (1990–99)#1991)。
- 1991年12月7日
- イギリス・イングランドとウェールズの間を結ぶセヴァーントンネル。信号の故障のためトンネル内を低速走行していた列車に、別の列車が追突した。185人が負傷(5人が重傷)。テンプレート:See
- 1993年3月28日
- 韓国・釜山の亀浦駅付近。無許可で実行された発破作業のため、ムグンファ号が脱線。死者78名、負傷者198名テンプレート:See
- 1993年9月22日
- アメリカアラバマ州のモービル近郊で濃霧によりはしけが橋に衝突。アムトラック(全米鉄道旅客輸送公社)のサンセット・リミテッド号がこの橋で脱線。一部の車両がバイユー(小川)に転落、出火した。死者47名。テンプレート:See
- 1994年9月22日
- アンゴラのベンゲラ鉄道でブレーキ故障による脱線。死者300人[6][7](pt:Caminho de Ferro de Benguela#Acidente)。
- 1995年8月20日
- インド・ウッタル・プラデーシュ州。牛との衝突により停車した列車に別の列車が追突。死者358名。テンプレート:See
- 1995年10月28日
- アゼルバイジャンのバクー地下鉄で列車火災。約300人が死亡。テンプレート:See
- 1996年11月18日
- 英仏海峡トンネル(ユーロトンネル)における列車火災事故(en:1996 Channel Tunnel fire)。
- 1997年4月29日
- 中国湖南省岳陽県の京広線栄家湾駅付近で信号の見誤りにより追突。死者126人(w:zh:中国铁路事故列表)。
- 1997年9月19日
- イギリス・イーリング・ロンドン特別区。インターシティー125が赤信号を見落とし冒進、貨物列車と衝突。死者7名。テンプレート:See
- 1998年2月14日
- カメルーンの首都ヤウンデ郊外で、燃料油を輸送する列車同士が衝突し脱線。流出した石油を群衆が集めていたところ爆発した。少なくとも200人が死亡。テンプレート:See
- 1998年6月3日
- ドイツ・ニーダーザクセン州のエシェデ近郊で、ICE-1高速列車が脱線し道路橋に衝突。死者101名。テンプレート:See
- 1998年11月26日
- インド・パンジャーブ州でレールの破損により脱線、対向列車に衝突。死者212人以上。テンプレート:See
- 1999年8月2日
- インド・アッサム州で、国境に向かう兵士や公安警察を乗せた列車が、駅に停車中の列車に衝突し爆発した。公式では死者285人以上だが、1000人以上とも。軍用の爆薬が爆発の原因との説は軍当局により否定。テンプレート:See
- 1999年10月5日
- イギリス・ロンドン・パディントン駅から約2.5km(ケンジントン&チェルシー王立区)の上下共用区間で列車同士が正面衝突。死者31名。テンプレート:See
2000年代
- 2000年8月17日
- イギリス・ハートフォードシャーのイースト・コースト本線でレールの損傷を放置し続けた結果、インターシティー225が脱線した。死者4名。テンプレート:See
- 2000年11月11日
- オーストリア・ツェル・アム・ゼー郡カプルンのケーブルカーでトンネル火災。日本人10名を含め155名が死亡。テンプレート:See
- 2001年2月28日
- イギリス・ノース・ヨークシャーで特急列車と貨物列車が衝突。死者10名(en:Great Heck rail crash)。
- 2001年5月15日
- アメリカ・オハイオ州で、毒性の高い物資を積載した貨物列車が機関士不在で暴走した。別名: クレイジーエイツ事故。映画「アンストッパブル(2010年)」のモデルとなった事故。テンプレート:See
- 2002年5月10日
- イギリス・ハートフォードシャー、イースト・コースト本線のポッターズ・バー駅構内で、分岐器の故障により通過列車が脱線し、プラットホームに突入した。死者7名[10](zh:波特斯巴火車事故、en:Potters Bar rail accidents#2002)。
- 2002年5月25日
- モザンビークの Tenga(首都マプトの北西40km)で、セメントを積んだ貨客混合列車の一部が切り離され勾配を逆走。停車していたセメント列車に衝突。死者192人(en:Tenga rail disaster)。
- 2002年6月24日
- タンザニア・ダルエスサラーム発ドドマ行の列車が勾配を登りきれず逆走、低速で走行していた貨物列車に衝突。死者281人。テンプレート:See
- 2003年1月31日
- オーストラリア・ニューサウスウェールズ州シドニーで列車脱線事故。死者7名(en:Waterfall rail accident)。
- 2003年3月1日
- 台湾・阿里山森林鉄道。ブレーキ故障、脱線転覆事故。死者17名(zh:阿里山森林鐵路#意外事故)。
- 2004年2月18日
- イラン・ニーシャープール近郊で留置してあった無人の貨車51両が暴走、脱線し沿線の村に突入。積荷(石油、原綿、硫黄、肥料)の爆発により1村が壊滅し、3村が大きな被害を受けた。少なくとも295人が死亡。テンプレート:See
- 2004年4月22日
- 北朝鮮・龍川駅で貨物列車が爆発。積荷の硝酸アンモニウムまたはANFOが流出し引火したものと推測されている。テロ説も有り。公式では死者54人以上だが、160人以上とも言われる。テンプレート:See
- 2004年11月12日
- フィリピン・ケソン州テンプレート:仮リンク付近で夜行列車が脱線、一部の車両が渓谷へ転落[11][1]。死者13名(フィリピン国鉄#近年)。
- 2004年12月26日
- スリランカでコロンボ〜ゴール間を往復していた列車がスマトラ島沖地震による津波のため脱線転覆。列車内や屋上に避難していた地元住民を含め、約1,700人が死亡する鉄道史上最悪の惨事となった(zh:海洋女王號火車意外、en:2004 Sri Lanka tsunami-rail disaster)。
- 2005年1月6日
- アメリカ合衆国サウスカロライナ州で、側線に停車中の貨物列車に別の貨物列車が衝突。塩素ガスが放出され、9人が死亡、250人以上が負傷、約5,400人が避難した。テンプレート:See
- 2005年2月3日
- インド・ナーグプル郊外。結婚式から戻る参列者約70人を運ぶトレーラーを牽引車で牽引していたところ、踏切で列車と衝突した[8]。死者55人(en:Nagpur level crossing disaster)。
- 2005年7月12日
- パキスタン・シンド州で駅に停車中の列車に別の列車が衝突、さらに3本目の列車が突入した。公式では死者109人だが、500人以上とも言われる(en:Ghotki rail crash)。
- 2005年10月29日
- インド・アーンドラ・プラデーシュ州で、鉄砲水で橋が流失したことにより急行列車が転落。死者114人以上(en:Valigonda train disaster)。
- 2005年11月29日
- コンゴ民主共和国・マニエマ州、ルアラバ川の支流ルフル川に架かる橋の骨組みに、列車の屋根にいた乗客多数が衝突し川に転落した。約50人が死亡した可能性があるとされる。テンプレート:See
- 2006年7月3日
- スペインバレンシアの地下鉄メトロバレンシアの車両が、速度超過が原因で脱線。死者43名。テンプレート:See
- 2006年9月22日
- ドイツ北部のラーテンで磁気浮上式高速鉄道(トランスラピッド)のエムスランド実験線で試運転中のトランスラピッドが、200km/h 前後と推定される速度で保線用車両と衝突、作業員2人と、リニアに乗車していた見学者ら29名の計31名が巻き込まれ、死者21名。リニアモーターカーで初めて死者が出た大事故[12](トランスラピッド#事故、zh:德國磁浮試驗線碰撞事故、en:Lathen train collision)。
- 2006年10月11日
- フランス北東部モゼル県のズフトゲンで、特急列車と貨物列車が正面衝突。両列車の運転士と特急列車の乗客の計5名が死亡、乗客15名が重軽傷を負った(en:Zoufftgen train collision)。
- 2006年10月17日
- イタリアローマのローマ地下鉄A線で、ヴィットーリオ・エマヌエーレ駅に停車中の列車に後続の列車が追突、1名が死亡、日本人4名含む約170名が負傷(en:2006 Rome metro crash)。
- 2007年6月15日
- 台鉄 (台湾鉄路管理局)・宜蘭線の大里駅で列車正面衝突事故、死者5名。テンプレート:See
- 2007年8月1日
- コンゴ民主共和国・西カサイ州で貨物列車がブレーキの故障により脱線。違法に乗車していた100人以上が死亡。テンプレート:See
- 2007年11月3日
- 韓国釜山駅で停車中のKTX(韓国高速鉄道)の列車に回送列車が衝突。死者なし。テンプレート:See
- 2009年6月22日
- アメリカ合衆国・ワシントンD.C.のワシントンメトロのレッドラインで、列車同士が衝突。死者8名、負傷者80名。テンプレート:See
- 2009年6月29日
- イタリア・ヴィアレッジョ駅構内で、LPガスを積んだ貨物列車が脱線し、爆発した。火災が駅舎や沿線の住宅、通行人などを巻き込み、31名(心臓発作の2名は含まない)が死亡した(en:Viareggio train derailment)。
2010年代
- 2010年4月12日
- イタリア北部メラーノ付近で、列車が地すべりに突入し脱線。死者9名。テンプレート:See
- 2010年6月21日
- コンゴ共和国・ブラザヴィル〜ポワントノワール間を往復していた列車が脱線し、峡谷に転落。少なくとも76人が死亡(zh:2010年揚加列車脫軌事故、en:Yanga derailment)。
- 2011年2月11日
- 韓国の高速鉄道 KTX の光明駅付近のトンネルで、分岐器の整備不良が原因で脱線(韓国高速鉄道#トラブル・課題、テンプレート:仮リンク)。
- 2011年4月27日
- 台湾の阿里山森林鉄路で脱線・横転。5人が死亡(zh:阿里山森林鐵路#意外事故)。
- 2011年7月23日
- 中国浙江省・温州市で落雷により停車中の杭州駅発福州南駅行きの高速鉄道 D3115列車(CRH1B・乗客1072名)に、北京南駅発福州駅行きの高速鉄道 D301列車(CRH2E・乗客558名)が追突し、D3115列車の後部2両が脱線、D301列車の前部4両が高架から転落。死者40人(国営新華社通信)、負傷者192人。テンプレート:See
- 2011年9月13日
- アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの Flores 駅付近で列車が踏切に侵入したバスに衝突し脱線、さらに対向列車にも衝突。11人が死亡。テンプレート:See
- 2011年9月27日
- 中国・上海市で、信号機故障中だった地下鉄10号線において追突事故が発生。日本人2名を含む260人以上の負傷者が出た。上記の温州市の追突事故と酷似しており、中国国内では、鉄道省に対する非難が集中している(zh:2011年上海地鐵追尾事故)。
- 2012年2月22日
- アルゼンチンの首都ブエノスアイレスのテンプレート:仮リンク構内で、ブレーキの故障により列車が頭端式ホームの車止めに衝突。51人が死亡。テンプレート:See
- 2012年2月26日
- カナダ・オンタリオ州バーリントンで、VIA鉄道 (VIA Rail Canada) の旅客列車が脱線。牽引機関車と1両目の客車が横転。乗務員3人が死亡、乗客46人が負傷(en:2012 Burlington VIA derailment)。
- 2012年3月3日
- ポーランド・ザヴィエルチェ郡で旅客列車同士が正面衝突。16人が死亡。58人が負傷(zh:2012年什切科齊內火車相撞事故、en:Szczekociny rail crash)。
- 2012年4月21日
- オランダの首都アムステルダムで列車2本が正面衝突。1人が死亡し、少なくとも117人が負傷(en:Sloterdijk train collision)。
- 2012年11月9日
- エジプト・アシュート県。故障した踏切でスクールバスが列車と衝突。51人が死亡(en:Manfalut railway accident)。
- 2013年1月15日
- スウェーデン・ストックホルム県。アリーヴァ社(SL 社から請負)の清掃員1名のみ乗車の列車が暴走。約1.6km 走行後、終点の車止めを乗り越えてアパートに衝突。清掃員1名が負傷(en:2013 Saltsjöbanan train crash)。
- 2013年5月17日
- アメリカ東部コネチカット州フェアフィールド(Fairfield)近郊で、路盤の整備不良を原因とするレールの破損により、通勤列車が脱線し反対車線を支障、直後に対向してきた通勤列車と衝突した。少なくとも72人が負傷。当該車両は双方ともに川崎重工業製で2011年から投入された最新型であった。(en:Fairfield train crash)
- 2013年7月6日
- カナダ・ケベック州エストリー地域のラック・メガンティックで原油を輸送していた列車が無人で暴走、脱線して爆発炎上。47人が死亡または行方不明。テンプレート:See
- 2013年7月12日
- フランス・エソンヌ県のブレティニー=シュル=オルジュ駅構内で、パリ発リモージュ行の列車が脱線してプラットホームに激突し大破。死者7名。テンプレート:See
- 2013年7月24日
- スペイン・ガリシア州。マドリード発フェロル行の高速鉄道 AVE(Alvia)がサンティアゴ・デ・コンポステーラ駅手前のアングロイス地区、在来線との共用区間のカーブに速度超過で進入し脱線。79人が死亡。テンプレート:See
- 2013年8月19日
- インド・ビハール州で列車から降りた乗客(大半が巡礼者)が駅構内の線路上を歩いていたところ、通過列車が突入し37人が死亡した。生存者が暴徒化して列車に放火、運転士にも重傷を負わせた(en:Dhamara Ghat train accident)。
- 2013年8月25日
- メキシコ合衆国タバスコ州 Huimanguillo。金属スクラップと密入国者を載せて米国国境に向かう貨物列車「La Bestia」が、線路の部品の盗難により脱線。11人が死亡[13](en:2013 Mexico train accident)。
- 2013年12月1日
- アメリカ・ニューヨーク市のスピュトン・ダイビル駅付近で脱線。死者4名(en:December 2013 Spuyten Duyvil derailment)。
- 2013年12月9日
- インドネシア・ジャボデタベック(ジャカルタ首都圏)で KAI Commuter Jabodetabek 社の元営団7000系と、渋滞で踏切上に立ち往生していたプルタミナ社のタンクローリーが衝突。1両が全焼し、7人が死亡、63人が負傷した(zh:2013年賓塔羅火車事故、en:2013 Bintaro train crash)。
- 2014年1月7日
- カナダ・ニューブランズウィック州ヴィクトリア郡 Plaster Rock。CN(カナディアン・ナショナル鉄道)の石油とガスを積んだ貨物列車が脱線、炎上。乗務員2人(機関士と車掌)にけがなし。
- 2014年5月2日
- 韓国ソウルメトロ2号線上往十里駅で車両トラブルのため停車していた電車に後続の電車が追突[14]。死者はなし、負傷者約200名[15]。テンプレート:See
- 2014年7月4日
- アメリカ合衆国モンタナ州ミネラル郡で航空部品、大豆、変性アルコールを載せた貨物列車が脱線。737胴体部がクラークフォーク川に転落。死傷者なし(en:List of rail accidents (2010–present)#2014)。
- 2014年7月15日
- ロシア・モスクワ地下鉄アルバーツコ=ポクローフスカヤ線スラヴャンスキー=ブリヴァル駅の東、200m付近で脱線。少なくとも21人が死亡(en:2014 Moscow Metro derailment)。
脚注
外部リンク
- 運輸安全委員会
- アメリカ合衆国国国家運輸安全委員会 (NTSB)
- 鉄道事故 - Yahoo!ニュース
- 回答する記者団「鉄道人身事故マップ」
- 原因解明を妨げる警察の「押収主義」─美浜事故に関して - JANJAN
- 鉄道解析ATS・ATC
関連項目
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関連する事件・事故
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- マナサス駅作戦
- 1877年の鉄道大ストライキ
- ↑ 1.0 1.1 引用エラー: 無効な
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タグです。 「Whale
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ Derrick, Samuel Melanchthon, "Centennial History of South Carolina Railroad", The State Company, Columbia, South Carolina, 1930, pages 83-84. ISBN 978-0-87152-190-3
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:失敗知識データベース
- ↑ 日本でも、1922年(大正11年)に90人が死亡している。「北陸線列車雪崩直撃事故」を参照。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 6.6 6.7 引用エラー: 無効な
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タグです。 「Telegraph
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ テンプレート:失敗知識データベース
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 比で列車転覆、10人死亡 斜面転落、130人負傷 - 47NEWS(共同通信)2004年11月12日
- ↑ テンプレート:失敗知識データベース
- ↑ メキシコの貨物列車脱線、原因は部品の盗難 - AFPBB News
- ↑ 追突した車両、された車両共にソウル特別市地下鉄公社2000系電車であった。
- ↑ ソウル 地下鉄で追突事故200人けが - NHKニュース、2014年5月2日閲覧。