山口県立下関西高等学校
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テンプレート:日本の高等学校 山口県立下関西高等学校(やまぐちけんりつ しものせきにしこうとうがっこう テンプレート:Lang-en)は、山口県下関市にある公立高等学校。略称は、下関市内では「西高」(にしこう)、市外では「下西」(しもにし)。
概要
- 設置課程・学科
- 全日制課程 2学科
- 定時制課程(夜間) 1学科
- 普通科(全県学区)
- 定時制課程の修業年限は4年であるが、山口県立山口高等学校の通信制課程を併修する(合わせて学ぶ)ことにより3年での卒業が可能である。
- 山口県立山口高等学校 通信制課程の協力校となっており、月2回のスクーリングの会場となっている。
- 校地
- 校地は下関市内の高校が集中する東駅(駅名ではなく地名)にあり、「旭が陵」(あさひがおか)と呼ばれる高台に校舎が建つ。そのことにちなみ、文化祭は旭陵祭(きょくりょうさい)、同窓会組織は旭陵同窓会と称する。
- 校訓・校是
- 「天下第一関」を創立当初(旧制中学時代)より校是とする。この語は、万里の長城の最東端にある山海関に掲げてある扁額に由来。
- 校章
- 「高」を形どったシンプルなデザインである。また、「高」の字の下の口の部分のカーブが笑った顔を表している。
- 校歌
- 1962年(昭和37年)に制定。作詞は五味智英、作曲は平井康三郎による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「西高」が登場する。1番の歌詞は県外の山(福岡県北九州市門司区にある「風師山」(かざしやま))で始まるユニークなものとなっている。また3番の最後に校訓の「天下第一関」が登場。
- 校則・校風
- 校則の内容は普通のもので、比較的自由な校風である。「自主・自律」
- 通学(全日制課程)
- 自転車通学が認められているが、駐輪場のスペースの関係から学校より3km以遠に住む生徒に制限されている。
- 制服(全日制課程)
- 男子が校章入りの金ボタンが5個付いた黒色の詰襟学生服、女子が紺色のブレザー。夏服は校章入りのワイシャツ及びブラウス。2003年(平成15年)より裾をズボンやスカートに入れないタイプの夏服が制定された。
- 進学(全日制課程)
- 国公立大学をはじめとする上級学校への進学を目指している。国公立では、地元である山口大学・広島大学・九州大学、私立では近畿地方に位置する関関同立へ進学する生徒が多い。また、東京大学・京都大学を始めとする旧帝国大学には毎年30 - 40名、早稲田大学・慶應義塾大学には毎年13 - 32名ほど合格している。
- 同窓会
- 校地にちなみ「旭陵(きょくりょう)同窓会」と称している。
沿革
- 1920年(大正9年)
- 1923年(大正12年)
- 3月22日 - 下関市後田町長六(現・山口県立下関南高等学校校地)に新校舎が完成。
- 4月1日 - 県立移管により、「山口県立下関中学校」と改称。
- 1930年(昭和5年)
- 1932年(昭和7年)7月6日 - 図書館が完成。
- 1936年(昭和11年)4月20日 - 工業科教室が完成。
- 1938年(昭和13年)
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令が施行される。
- この時の入学生から修業年限が4年となる。
- 「山口県立下関第二中学校」(夜間課程)を併設(定時制課程の始まり)
- 1944年(昭和19年)- 軍需工場等への学徒動員が始まる。
- 1945年(昭和20年)
- 3月 - 4年生(1941年(昭和16年)入学生)と5年生(1940年(昭和15年)入学生)の合同卒業式を挙行。
- 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、中等学校令施行以前に入学した生徒にも修業年限4年が適用されるようになったため。
- 4月 - 学校での授業を停止。ただし学徒動員は継続。
- 9月 - 終戦により、授業を再開。
- 3月 - 4年生(1941年(昭和16年)入学生)と5年生(1940年(昭和15年)入学生)の合同卒業式を挙行。
- 1946年(昭和21年)4月 - 修業年限が5年に戻る(4年で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧制中学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設し(名称:山口県立下関中学校併設中学校、以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(ただし4年で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により旧制中学校が廃止され、新制高等学校「山口県立下関高等学校」(男子校)が発足。
- 旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校を継承し(名称:山口県立下関高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 通信教育部を開設。
- 夜間課程の下関第二中学校は「山口県立下関第二高等学校」となる。
- 1949年(昭和24年)4月21日 - 山口県立下関高等学校と山口県立下関第二高等学校の2校が統合され、「山口県立下関西高等学校」となる。
- 通常制普通課程(全日制課程 普通科)、定時制普通課程(定時制課程 普通科)、通信教育部を設置。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 山口県立下関南高等学校を統合し「南校舎」とする。定時制(夜間部)、定時制黒井分校と定時制東部分校の2分校を設置。
- 1951年(昭和26年)3月31日 - 東部分校を山口県立下関東高等学校に移管。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 南校舎が分離し「山口県立下関南高等学校」として独立(再設置)。
- 1955年(昭和30年)12月20日 - 校旗を制定。
- 1959年(昭和34年)10月2日 - 創立40周年を記念して図書館が完成。
- 1962年(昭和37年)
- 4月1日 - 黒井分校の定時制課程の募集を停止し、全日制課程を設置。
- 12月24日 - 校歌を制定。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 通信制課程を山口県立山口高等学校へ移管し、協力校となる。
- 1965年(昭和40年)3月31日 - 黒井分校の定時制課程を廃止。
- 1968年(昭和43年)
- 1970年(昭和45年)
- 1972年(昭和47年)11月1日 - 黒井分校を小串に移転し、「響分校」に改称。
- 1974年(昭和49年)11月13日 - 第二運動場が完成。
- 1976年(昭和51年)11月29日 - 響分校の特別教室棟が完成。
- 1980年(昭和55年)4月1日 - 響分校が分離し、「山口県立響高等学校」として独立。
- 1982年(昭和57年)7月6日 - 本館棟が完成。
- 1983年(昭和58年)3月25日 - 特別教室棟が完成。
- 1984年(昭和59年)3月27日 - 普通教室棟が完成。
- 1986年(昭和61年)10月9日 - 部室が完成。
- 1994年(平成6年)3月29日 - 武道場が完成。
- 1995年(平成7年)4月25日 - 弓道場が完成。
- 2006年(平成18年)7月14日 - 武道場の2階に新体育館が完成。
- 2008年(平成20年)3月25日 - 屋内運動場兼講堂を解体撤去。
- 2013年(平成25年)7月 - 福岡県立小倉高等学校・福岡県立東筑高等学校と3校合同学習会を開始。
学校行事
- 全日制課程
- 3学期制
- 定時制課程
- 4月 - 新体力テスト、新入生を囲む会
- 5月 - 新入生歓迎遠足
- 6月 - 進路ガイダンスⅠ、定時制通信制全国大会山口県予選
- 7月 - クラスマッチ(球技大会)
- 8月 -
- 9月 - 体育祭、生徒生活体験発表会
- 10月 - 山口県定時制通信制体育大会
- 11月 - 芸術鑑賞会、進路ガイダンスⅡ
- 12月 - クラスマッチ(球技大会)
- 1月 - 成人激励式
- 2月 - 予餞会、進路ガイダンスⅢ
- 3月 - 卒業式
部活動
- 全日制課程
- 運動部
- 定時制課程
- バスケットボール部
- 卓球部
- バドミントン部
著名な出身者
- 南幸治(元大成建設社長)
- 長谷川修(小説家)
- 西山太吉(ジャーナリスト、西山事件当事者、毎日新聞記者)
- 町田顯(前最高裁判所長官)
- 豊田行ニ(小説家)
- 中部銀次郎(アマチュアゴルファー)
- 倉重英樹(プライスウォーターハウスクーパースコンサルタント会長兼社長、日本IBM副社長、日本テレコム社長、リップルウッド日本法人社長)
- 船戸与一(小説家)
- 島泰三(類人猿学者)
- 岡村定矩(東京大学副学長、天文学者)
- 山下晋司(東京大学教授)
- 桝屋敬悟(政治家・公明党衆議院議員、元厚生労働副大臣)
- 河田正也(日清紡ホールディングス社長)
- 木村宏(日本たばこ産業社長)
- 渡邊敏夫(岩谷産業 副会長)
- 横溝洋一郎(テレビ山口アナウンサー)
- 田中良哉(産業医科大学医学部教授)
- 林芳正(政治家・自民党参議院議員、元防衛大臣)
- 三隅隆司(一橋大学商学研究科教授)
- 小幡英之(作詞家)
- 大庭昭彦(アクサローゼンバーグ取締役)
- 青池良輔(アニメーター)
- 貞包みゆき(フリーアナウンサー)
- 小坂俊史(漫画家)
- 河村太朗(NHK大分放送局)
- 益岡徹(俳優)
- 勢一智子(西南学院大学法学部教授)
- 寺川奈津美(気象予報士)
- 砂山圭大郎(文化放送アナウンサー)
- 三坂知絵子(女優)
(卒業年度順)
交通
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- サンデンバス 「東駅」バス停より徒歩5分
- 最寄りの道路
- 山口県道248号下関港垢田線
- 山口県道258号武久椋野線
- 山口県道57号下関港線
- 中国自動車道・関門橋「下関IC」より車で10分
周辺
- 梅光学院大学
- 山口県立下関中央工業高等学校
- 下関市立下関商業高等学校
- 山口県立下関南高等学校
- 山口県立下関南総合支援学校(旧・山口県立盲学校)
- 下関市立生野小学校・幼稚園
- 下関市立向山小学校
- 山口県下関自動車学校
- 戦場ヶ原公園
関連項目
外部リンク
- 山口県立下関西高等学校
- 山口県立下関西高等学校(旧ウェブサイト)