筑前国
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テンプレート:Pathnav テンプレート:基礎情報 令制国 筑前国(ちくぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。
目次
沿革
筑紫国(つくしのくに)の分割によって、筑後国とともに7世紀末までに成立した。7世紀後半のものと見られる太宰府市で出土した最古の「戸籍」木簡に「竺志前國」とある。
国内の施設
国府
国府は御笠郡にあった。現在の太宰府市、大宰府に近い所に置かれたと推定されるが、遺跡はまだ見つかっていない。
易林本の『節用集』には、「上座郡に国府並びに大宰」と記載ある。
国分寺・国分尼寺
- 筑前国分寺
- 福岡県太宰府市国分。
神社
- 宗像郡 宗像神社三座 (現 宗像大社、宗像市)
- 宗像郡 織幡神社 (宗像市)
- 那珂郡 八幡大菩薩筥埼宮 (現 筥崎宮、福岡市東区)
- 那珂郡 住吉神社三座 (福岡市博多区)
- 糟屋郡 志加海神社三座 (現 志賀海神社、福岡市東区)
- 御笠郡 筑紫神社 (筑紫野市)
- 御笠郡 竈門神社 (筑紫野市・太宰府市)
- 下座郡 美奈宜神社三座 - 福岡県朝倉市に論社2社。
一宮とされる筥崎宮・住吉神社よりも上位に香椎宮・宗像大社などがあるが、これらは国家的な崇敬の対象であり、筑前国一国のものとは考えられていなかったようである。二宮以下は不詳である。
安国寺利生塔
- 景福安国寺 - 福岡県嘉麻市下山田。
地域
郡
15郡
- 志摩郡(しまぐん)
- 怡土郡(いとぐん)
- 早良郡(さわらぐん)
- 那珂郡(なかぐん)
- 席田郡(むしろだぐん)
- 御笠郡(みかさぐん)
- 糟屋郡(かすやぐん)
- 宗像郡(むなかたぐん)
- 遠賀郡(おんがぐん)
- 鞍手郡(くらてぐん)
- 穂波郡(ほなみぐん)
- 嘉麻郡(かまぐん)
- 夜須郡(やすぐん)
- 上座郡(じょうざぐん)
- 下座郡(げざぐん)
- 安佐久良/朝座郡(あさくらぐん)。延喜式までに上座郡と下座郡に分割。
江戸時代の藩
人物
国司
筑前守
守護
鎌倉幕府
室町幕府
- ?〜1334年 - 少弐貞経
- 1334年〜1352年 - 少弐頼尚
- 1352年〜1355年 - 一色直氏
- 1357年〜? - 菊池武光
- 1359年〜1361年 - 少弐頼尚
- 1361年〜1375年 - 少弐冬資
- 1375年 - 少弐頼澄
- 1375年〜1387年 - 今川貞世
- 1387年〜1404年 - 少弐貞頼
- 1408年〜? - 少弐満貞
- ?〜1441年 - 大内持世
- 1441年〜1465年 - 大内教弘
- 1465年〜1495年 - 大内政弘
- 1496年〜1528年 - 大内義興
- 1528年〜1551年 - 大内義隆
戦国時代
戦国大名
- 少弐氏:平安以来の名門だが、戦国時代には周防の大内氏の侵攻を受け、肥前に後退する。1559年、家臣であった龍造寺氏に攻められ滅亡。
- 大内氏:周防を本拠とし、豊前も領国としていたが、応仁の乱後に筑前にも進出、豊後の大友氏と戦いを繰り広げた。
- 大友氏:豊後を本拠とするが、大内氏滅亡後、筑前国内の大内領を自領に組み入れ、1559年には筑前守護となった。龍造寺、島津に敗北後、衰退に向かい筑前への影響力も失った。
- 秋月氏:少弐氏、大内氏、大友氏と主家を変えたが、戦国末期には島津氏と結んで大友氏に対抗し、筑前・筑後・豊前に推定36万石の所領を得た。豊臣秀吉の九州征伐に敗北、日向国高鍋に移封された。
- 宗像氏:宗像大社大宮司。有力な水軍を有していた。秀吉の九州征伐直前に滅亡。
豊臣政権の大名
武家官位としての筑前守
江戸時代以前
江戸時代
筑前国の合戦
- 1019年 : 刀伊の入寇
- 1274年 - 1281年 : 文永・弘安の役
- 1336年 : 多々良浜の戦い。北朝(足利尊氏、少弐頼尚) x 南朝(菊池武敏、阿蘇惟直)
- 1567年 : 休松の戦い。秋月種実 x 大友(戸次鑑連他)
- 1569年 : 多々良浜の戦い (戦国時代)。大友宗麟 x 毛利元就
- 1586年 : 岩屋城の戦い。島津(島津忠長) x 高橋紹運