日本カー・オブ・ザ・イヤー
日本カー・オブ・ザ・イヤー(にほんカー・オブ・ザ・イヤー、略称COTY; Car of the Year Japan)は、日本国内で市販される乗用車のなかから年間を通じて最も優秀なものに授賞する自動車賞(カー・オブ・ザ・イヤー)である。
1980年(昭和55年)に始まった。選考は二段階で行われ、第一次選考で10車種(10ベスト)を選考、この中からイヤーカーが決定される。
概要
- 主催者:日本カー・オブ・ザ・イヤー実行委員会(雑誌を中心とした37媒体で構成)
- 実行委員:主催媒体を発行、発売、制作、放送する法人に属する常勤役員または社員
- 選考委員:60名を上限とし、実行委員の推薦・投票により決定される。特定の自動車会社・輸入業者・販売会社等と金銭を伴う契約関係にある場合、それのみで除外対象とはならない
- 対象車:前年の11月1日から当年の10月31日までに日本国内で発表、発売された乗用車のうち、ノミネートされたもの
- 方法:自動車評論家を中心とする選考委員60名による投票により決定
- 最終発表:毎年11月
選考の実際
選考対象となる自動車は、前年の11月1日から当年の10月31日までに日本国内で発表または発売された乗用車すべてとされるが、「ノミネート」(2007年に実施された第28回の場合には55台)の基準・方法の詳細は必ずしも明確でない。始めにノミネート車のなかから上位10車種(「10ベスト」)が選出され、最終投票の直前には選考委員によるそれらの試乗会が行われる。最終投票では、各委員は持ち点25点のうち最上位の1車種に10点を投じることが義務付けられ、残り15点が2位以下の4車種に配分できる。理論上の最高得点は 10点x60名=600点であり、最も高い得点を得た自動車が「イヤーカー」として受賞する。
選考の基準として、実施規約では「選考委員は対象車についてコンセプト、デザイン、性能、品質、安全性、環境負荷、コストパフォーマンス等を総合的に評価して選考する」と定めている。
輸入車の扱い
第15回(1994年)以降、輸入車は日本国産車から区別して選考されていた。別枠での第一次選考(「輸入車10ベスト」)が行われた後に、「インポート・カー・オブ・ザ・イヤー」を決定するというものであった。しかしながら、このような二重基準は諸外国にも類例がなく(ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーや北米カー・オブ・ザ・イヤーなど)、第23回(2002年)からは統一した平等な評価が為されるようになった。
これに対して、輸入車業界から「輸入車は本国より遅れて輸入されるのが多いので不公平だ」という反発があり、第25回(2004年)からは、輸入車のなかで最高得点の車種に対しては「インポート・カー・オブ・ザ・イヤー」が無条件に授与されることとなった。
一例として、2006年に「イヤーカー」を受賞したレクサスLS460の得点は516点であったが、輸入車であるシトロエン・C6が「インポート・カー・オブ・ザ・イヤー」獲得に要したのはわずか199点であった。
第33回(2013年)では、フォルクスワーゲン・ゴルフVIIが輸入車として初めて2013-2014「日本・カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。
特別賞
日本カー・オブ・ザ・イヤーではイヤーカーの他に「特別賞」が設けられ、「Most fun賞」「Most Advanced Technology賞」「Best Value賞」などが設定されていた。大賞である「カー・オブ・ザ・イヤー」(あるいは「インポート・カー・オブ・ザ・イヤー」)と同時に受賞することもあるほか、特別賞に該当車がない年もある。この賞は、前述の「10 BEST CAR」に選出されたか否かを問わず(ノミネート対象外であっても可能)選考される。
第33回(2013年)では、「特別賞」の他に「イノベーション部門賞」「エモーショナル部門賞」「スモールモビリティ部門賞」が設けられた。
受賞車
- 1980年(第1回:1980年-1981年)
- 1981年(第2回:1981年-1982年)
- 1982年(第3回:1982年-1983年)
- 1983年(第4回:1983年-1984年)
- 1984年(第5回:1984年-1985年)
- カー・オブ・ザ・イヤー:MR2(トヨタ)
- 1985年(第6回:1985年-1986年)
- 1986年(第7回:1986年-1987年)
- 1987年(第8回:1987年-1988年)
- 1988年(第9回:1988年-1989年)
- カー・オブ・ザ・イヤー:シルビア(日産)
- 1989年(第10回:1989年-1990年)
- カー・オブ・ザ・イヤー:セルシオ(トヨタ)
- 1990年(第11回:1990年-1991年)
- 1991年(第12回:1991年-1992年)
- 1992年(第13回:1992年-1993年)
- 1993年(第14回:1993年-1994年)
- 1994年(第15回:1994年-1995年)
- 1995年(第16回:1995年-1996年)
- 1996年(第17回:1996年-1997年)
- 1997年(第18回:1997年-1998年)
- 1998年(第19回:1998年-1999年)
- 1999年(第20回:1999年-2000年)
- 2000年(第21回:2000年-2001年)
- 2001年(第22回:2001年-2002年)
- カー・オブ・ザ・イヤー:フィット(ホンダ)
- 特別賞:エスティマ・ハイブリッド(トヨタ)
- 2002年(第23回:2002年-2003年)
- 2003年(第24回:2003年-2004年)
- 2004年(第25回:2004年-2005年)
- 2005年(第26回:2005年-2006年)
- 2006年(第27回:2006年-2007年)
- 2007年(第28回:2007年-2008年)
- カー・オブ・ザ・イヤー:フィット(ホンダ)
- インポート・カー・オブ・ザ・イヤー:Cクラス セダン(ダイムラー・クライスラー【現:ダイムラー】)
- Most Fun賞:ランサーエボリューションX(三菱)
- Best Value賞:ミラ(ダイハツ)
- Most Advanced Technology賞:ゴルフGT TSI/ゴルフトゥーラン/ゴルフ ヴァリアント(フォルクスワーゲン)
- 2008年(第29回:2008年-2009年)
- 2009年(第30回:2009年-2010年)
- 2010年(第30回:2010年-2011年)
- 2011年(第31回:2011年-2012年)
- 2012年(第32回:2012年-2013年)
- 2013年(第33回:2013年-2014年)
- カー・オブ・ザ・イヤー:ゴルフ(フォルクスワーゲン)
- 特別賞:ムーヴ フロントシートリフト(ダイハツ)
- イノベーション部門賞:アウトランダーPHEV(三菱)
- エモーショナル部門賞:アテンザ(マツダ)
- スモールモビリティ部門賞:スペーシア&スペーシアカスタム(スズキ)/フレアワゴン(マツダ)
選考委員経験者
カッコ内は、選定委員を務めた年次[1]。
- 青山尚暉 (09-10)
- 家村浩明 (09-10)
- 石川真禧照 (04-05, 09-10)
- 石川芳雄 (09-10)
- 岩貞るみこ (06-07, 09-10)
- 岡崎五朗 (09-10)
- 岡本幸一郎 (09-10)
- 小沢コージ (09-10)
- 片岡英明 (09-10)
- 桂伸一 (09-10)
- 金子達仁 (09-10)
- 金子浩久 (09-10)
- 神尾寿 (09-10)
- 川上完 (09-10)
- 川上浩平 (09-10)
- 河口まなぶ (02-03~09-10)
- 川島茂夫 (09-10)
- 川端由美 (09-10)
- 河村康彦 (07-08, 09-10)
- 木下隆之 (09-10)
- 木村好宏
- 日下部保雄 (09-10)
- 国沢光宏 (09-10)
- 熊野学 (09-10)
- 菰田潔 (09-10)
- 五味康隆 (09-10)
- 斉藤聡 (09-10)
- 佐藤久実 (09-10)
- 島崎七生人 (09-10)
- 島下泰久 (07-08~09-10)
- 嶋津敏一
- 清水和夫 (09-10)
- 瀬在仁志 (09-10)
- 高橋国光 (09-10)
- 竹岡圭 (09-10)
- 竹平素信 (09-10)
- 舘内端 (09-10)
- 田畑修 (09-10)
- 千葉匠 (09-10)
- 津々見友彦 (04-05, 09-10)
- 長嶋達人 (09-10)
- 中谷明彦 (89-90~09-10)
- 西川淳 (09-10)
- 萩原秀輝 (09-10)
- 橋本弘 (09-10)
- 服部尚貴 (09-10)
- ピーター・ナン (94-95)
- ピーター・ライオン (99-00~09-10)
- ピストン西沢 (09-10)
- 平田勝 (09-10)
- 伏木悦郎 (87-88~02-03)
- 藤島知子 (09-10)
- ボブ・スリーヴァ (94-95~09-10)
- ポール・フレール (81-?)
- 前澤義雄 (09-10)
- 松下宏 (09-10)
- 松田秀士 (09-10)
- 松任谷正隆 (09-10)
- 丸茂亜希子 (09-10)
- 御堀直嗣 (09-10)
- 三好秀昌 (09-10)
- 森口将之 (09-10)
- 森野恭行 (09-10)
- 山内一典 (09-10)
- 山口京一
- 横越光廣 (09-10)
- 吉田匠 (09-10)
- 米村太刀夫
- 徳大寺有恒
エピソード
- 1989-90年の第10回受賞は初代セルシオであったが、1989年の夏にトヨタは日本の自動車評論家120人を一人あたり120万円の費用をかけてドイツに招待し試乗会を開催。当時選考委員であった福野礼一郎は、これに参加した上でセルシオに10点を入れた自らの行動を後に回顧し「まったく面目ありません」とコメントしている[2]。
- 同じく1989-90年のカーオブザイヤーのユーノス・ロードスターによる受賞を目論んだマツダは、カーオブザイヤー選考委員を対象に30台の長期無償貸し出しを実施。これは新車のユーノス・ロードスターを1年間無償で選考委員に貸与し、1年経過時に希望者にはその時点での中古車価格で売却するというものであった[3]。
その他
2008年のカー・オブ・ザ・イヤーは、「iQ」の発売前であり一般者が実車をまだ目にしない車が受賞することはきわめて稀である。この大賞受賞という異例の結果に対し下記などの理由により、賞自体を宣伝媒体とするような結果について、ネット上では「賞を金で買った」、「出来レースを絵に描いたような内容」と、賞自体の意義などを疑問視する声も多く出た。(GT-R:R35も同年発売)
- メディアや評論家以外の一般人が接する機会も全く無く、正式な登録出荷が1台も無い車種の選出について評価の妥当性に説明がつかない。
- この回については、毎回公表されていた各選考委員の投票内容も明かされない(各委員個人分の自己投票分公表は許可)。
また、近年は大賞受賞車がトヨタかホンダの車に集中し、日産自動車に至っては1992年のマーチ以降、2011年のリーフ受賞まで約20年間受賞車がなかった。
このような受賞結果に対し、主に本賞に批判的な関係者の組織により、1991年からは日本における第二のカー・オブ・ザ・イヤーである「RJCカー・オブ・ザ・イヤー」も行われている。
前史
元々日本における「カー・オブ・ザ・イヤー」は、三栄書房発行の自動車雑誌「モーターファン」で行われていたもので、1970~1979年まで実施されていた。「日本における一年間を代表する乗用車」選考の元祖である。 この間のカー・オブ・ザ・イヤーは、審査員および採点方法は公開、審査員の配点は原則非公開というものであった。 採点法は「プラスマイナス5点法」という、一風変わった方法だった。具体的には以下のようなルールで行われた。
- 審査員の持ち点は「0点」
- 審査員はノミネート車に対して、「+5点」の車を必ず1台、「-5点」の車を必ず1台選定すること
- 他のノミネート車に対しては、-4.5点~+4.5点の範囲で0.5点を単位として自由に配分できるが、一審査員の配点の合計が必ず 0点になること
- 配点を公表する際には、マイナス点の車がマイナス評価との印象を与えぬよう、それぞれの配点に+5点を加算して修正する
ノミネートカーは、当該年の前年11月~当年10月末までに発表された新車を対象に、10車を選ぶというものであった。 下記、歴代のイヤーカーを次に示す。()内は当時の総評である。
■モーターファン誌主催「Car Of The Year」歴代の受賞車
- 1970年: 日産・スカイライン 2000GT 2ドアハードトップ
- (日本における本格的GTカーの確立を評価)
- 1971年: マツダ・カペラ ロータリークーペ
- (ロータリーエンジンを排ガス規制対策に適応させて量産モデルに搭載したことにより)
- 1972年: ホンダ・シビック 1200GL
- (ベーシックカーに対する新しい概念の提案を評価)
- 1973年: ホンダ・シビック 1200GL オートマチック
- (「☆(スター)レンジ」を採用し「無段変速」を謳ったホンダマチックに対する評価)
- 1974年: ホンダ・シビック 1500CVCC GF オートマチック
- (主に CVCC に対する評価)
- 1975年: マツダ・コスモAP
- (オイルショック後の先陣を切って動力性能と低燃費を志向し、51年排ガス規制を最初にクリアした。ロータリーエンジンモデルよりは、レシプロエンジンのモデルまたは「コスモ」ブランド全体への評価)
- 1976年: ホンダ・アコード 1600EX
- (引き続き社会の要求であった低公害、低燃費に加え、ユーティリティ、走りの良さ、乗り心地、安全性をクラスレスなスタイルに調和させたことを評価)
- 1977年: ダイハツ・シャレード
- (3気筒エンジンを採用し、「5平米カー」というキャッチフレーズに示す最大限の居住性を実現、ベーシックカーの新基準を確立したことに対する評価)
- 1978年: マツダ・サバンナRX-7
- (ロータリーエンジン車としての本質を具現化し、センセーショナルかつ羨望を以て市場の評価を得た)
- (「省エネ時代」に突入する中、2リッターで3リッター車並みの出力を実現し、同一出力で3リッター車よりも低燃費、そのキーテクノロジーであるターボを日本の量産乗用車で初めて採用した車として)
ここにはイヤーカーのみを示したが、並行して同じ採点法による部門賞も制定された。中でもシビックは72~74年に渡り、イヤーカーと大衆車部門賞を3年連続で受賞するという快挙を達成している。また「リーダーズ・ベストカー」という読者投票により選出される部門賞も併設しており、これは、現在の「あなたが選ぶ~」につながるものと言える。 1979年には、全イヤーカーを対象とした「カー・オブ・ザ・ディケイド」が選考され、RX-7が受賞した。
当時はこのほかにも、多くの自動車雑誌が各々のタイトルを制定してイヤー・カーが乱立していた。その中で下記のものは「四大タイトル」と称されたこともあった。
- カー・オブ・ザ・イヤー (モーターファン 1970~1979 …専門委員選考)
- 日本自動車大賞 (モーターマガジン 期間不明 …読者人気投票、1982年からはワールド・カー・オブ・ザ・イヤーの日本車総合部門として存立)
- グランプリカー (月刊自家用車 ~1980? …前年の読者人気投票総合結果を当該年で発表)
- クルマ大賞 (ピットイン 1977~1984? …専門委員選考および読者人気投票の総合)
1980年からは多くの自動車雑誌が連合し、前述の通り「日本カー・オブ・ザ・イヤー」が始まった。 ところがその後、三栄書房が離脱したが、もうひとつのRJCカー・オブ・ザ・イヤーはその三栄書房に事務局を置いて、RJC(日本自動車研究者・ジャーナリスト会議)の会員が独自に運営を行った。
注
- ↑ 2009-2010日本カー・オブ・ザ・イヤー 選考委員 日本カー・オブ・ザ・イヤー 2009-2010 公式サイト
- ↑ 福野礼一郎『自動車ロン頂上作戦』双葉社、2004年、145-146ページ
- ↑ 福野礼一郎『自動車ロン頂上作戦』双葉社、2004年、148ページ