日本の宗教
日本の宗教(にほんのしゅうきょう)では、日本における宗教について解説する。
目次
概要
政府と宗教
日本国憲法第二〇条には
- 一 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
- 三 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
との条文があり、日本では信教の自由が認められ、国教は定められていない。政府と宗教に関する問題は「宗教#日本の主な宗教問題」の項を参照のこと。
国民と宗教
日本における宗教の信者数は、文部科学省が宗教法人に対して行った宗教統計調査によると、神道系が約1億700万人、仏教系が約8,900万人、キリスト教系が約300万人、その他約1,000万人、合計2億900万人となり、これは日本の総人口の2倍弱にあたる。神道系と仏教系だけで2億人にせまる[1]。しかし個々の国民へのアンケート調査等では、「何らかの信仰・信心を持っている、あるいは信じている」人は2割から3割という結果が出ることが多い[2]。
こうした数値になる要因として、以下が挙げられている。
- 統計調査は申告制で行うため、各宗教団体が必然的に自団体の信者数を多めに申告する傾向にある。
- キリスト教やイスラム教などでは定期的に礼拝に参加していても、洗礼やシャハーダなどの入会儀式を受けるまでは信徒として扱われない。しかし神道や日本の仏教では、地域住民をすべて氏子とみなす例、他教の信者となったり無宗教を表明する者でも生家が所属する寺院の檀家にカウントされている例、初詣の参拝者も信徒数に含める例、御守りや御札等の呪具の売上数や頒布数から算出した想定信徒数を計算に入れる例がある[2]。
- 現在の日本社会では一般的に、どの宗教・宗派を信仰しているかはさほど重視されず、また個々人も自らの信仰を殊更に意識することが少ない。そのため、上記のような杜撰ともいえる調査方法にも抗議の声が上がることは少なく、また実生活で不都合が起こることも少ない。加えて宗教一般に対する否定的な見方もあり、他人に信仰を尋ねること自体がタブー視される風潮もある。
個々の宗教
神仏習合
前述の通り、日本では神道、仏教の信徒が大多数を占めている。ただし、日本では長く神仏習合(シンクレティズムの一種)が行われたため、明治初期に神仏分離がなされた後も神道と仏教の間の区別には曖昧な面が残っている。例えば、神棚を祀り仏壇も置いている家庭、仏教寺院の檀家であると同時に神社の氏子でもある家庭は少なくない。これが、神道を信仰する者と仏教に帰依している者を合わせると2億人を超えるといわれる所以である。
考え方を変えると、神道と仏教という2つの宗教が日本に存在したと捉えるのではなく、神道が仏教を飲み込んで渾然一体となった土着の信仰があった(あるいは今もある)と捉える方が自然であるともいえる。歴史的に見ても現在においても、神道と仏教はその機能を分担して担っており、両者を合わせて一つの宗教観を構成しているともいえる。
神道
神道(神社神道)は明確な教義が存在せず(教派神道系のセクト宗教(新宗教)には明確な教義が存在する)、厳密な入信規定もない。氏子入りがこれに近いが、特定の神社の氏子でない日本人が神棚の設置、神社への寄付、祭事への参加などを行うこともあり、これをもって信者と見る向きが多い。
仏教
テンプレート:Main 日本の仏教は大部分が大乗仏教である。鎌倉時代に成立した宗派(鎌倉仏教)が今日のものの礎となっており、日本の歴史に深く影響を与え、現在に至るまで信者数も多く、日本の仏教徒の大部分を占める。
歴史を遡れば、仏教は6世紀に日本に伝来したとされている。奈良時代には「南都六宗」と呼ばれた三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、律宗、華厳宗などが広まった。平安時代には遣唐使とともに唐(中国)に渡り仏教を学ぶ僧が多くいた。代表的な存在として、最澄は帰国後に法華経や密教を中心とした天台宗を開き、空海は太陽を神格化して生み出された大日如来を宇宙の中心と説く密教を学び、帰国後に真言宗を開いた。仏典には、釈迦が教えを説いてから千年間は正しく教えが伝わり実践されるが(正法)、その後千年は教えが形骸化し(像法)、像法の後は末法すなわち仏法を正しく聞くことが出来ず、正しく理解するものがいなくなるという、すなわち暗黒時代が到来するとの思想が記されている(末法思想)。日本では平安時代、(いくつか見方はあるものの)1051年などに末法に入ったと見なし、すでに末法に入った、という痛切な意識は人々の中にいくつかの動きを生んだ。ひとつの動きは、この世に絶望し来世の幸福を願い阿弥陀如来にすがる信仰(浄土思想)で、これは貴族や貧しく力のない一般庶民の間にも広がり、この信仰に基づいた寺院が全国規模で建立された。
すでに末法に入ったとされていた鎌倉時代、実際に世は戦乱や疫病で乱れ、人々は絶望の淵にいた。そうした人々の間では「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え続けることで阿弥陀如来に救済され、極楽浄土に往生することが出来るとする法然の浄土宗や、男尊女卑や女人不浄が当然と考えられていた時代に男女平等や女人往生を説き、罪深い自分たちだからこそ女性も男性もありのままの生き方のまま浄土往生できるとする悪人正機を説いた親鸞の浄土真宗が全国に広がっていった。こうした後に日蓮は、末法に入ったからこそ「南無妙法蓮華経」と日々題目を唱えることで菩薩に至ることができ、安寧を得ることができると説き、日蓮宗を開いた。これら方向性の異なる2つの思潮は、それぞれ現代社会にまでつづく大きな潮流をかたちづくり、今もなお大きな影響力を持っている。またこの時代に中国から禅宗が伝わり、臨済宗と曹洞宗という2つの流れが生まれた。日本の仏教は、全体的に見れば戒律も厳しくなく、他宗派との表立った論争も少ない。テンプレート:要出典
キリスト教
テンプレート:Main 史料によって、確実に日本にキリスト教が伝わったことがわかるのは、イエズス会のフランシスコ・ザビエルによる布教である。戦国時代のさなか、1549年のことであり、当初はほぼザビエルたちイエズス会の宣教師のみで布教が開始された、とされている。ザビエルたちは初め鹿児島に入り、そこから布教を開始した。その後、フランシスコ会なども来日し、布教を行った。これらはカトリックがほとんどで、当時はまだ新興の教えであったプロテスタントはほとんど入ってきていなかったと思われる。
当初、勢力拡大に明け暮れていた各地の戦国大名たちは、最新の知識や技術を持った彼らヨーロッパ人たちを基本的に歓迎しており、キリスト教も比較的スムーズに広まっていった。大名の中には、新しい思想であるキリスト教に惹かれて入信した者もおり、彼らはキリシタン大名と呼ばれた。しかし、サン=フェリペ号事件などいくつかの事件をきっかけに、権力者から忌避されるようになり、やがて天下統一を果たした豊臣秀吉によって禁止されることとなった。
その後、江戸時代が訪れるとキリスト教は一時的に解禁されたが、すぐに禁止された上に、江戸幕府が鎖国政策が敷いたため、宣教師ばかりか一般の外国人も入国できなくなり、日本国内のキリスト教は衰退した。当時の日本人キリスト教徒は、棄教するか隠れキリシタンとなった。この隠れキリシタンたちは、密かに信仰を伝えていくこととなった。江戸幕府はヨーロッパ諸国の中で、プロテスタント国家のオランダとだけ、オランダ商館を通じて貿易を継続した。オランダは幕府のキリスト教禁教政策を尊重したため、幕末まで日本にキリスト教が広がることはなかった。
明治政府も当初はキリスト教禁教政策を引き継いだが、1873年、いくつかの制限がつきながらも布教が公に認められることとなった。1889年に発布された大日本帝国憲法において信教の自由が明文化されたが、政府は「神道は宗教ではなく(神道非宗教説)国家の祭祀であり臣民に義務がある」として宮城遥拝を国民に強制し、キリスト教団体もこれを受け入れざるを得なかった。第二次世界大戦後、日本ではほぼ完全な形での信仰の自由が保証された。
明治時代以来、キリスト教は日本の文化に様々な影響を与えている。しかしキリスト教の信者そのものは、カトリック・プロテスタント・正教会の全てを合わせても、日本人全体の1%前後と言われている。文化庁の宗教年鑑では、信者数の割合で約1%となっている[3]。また、アメリカ合衆国のCIAの調査によると、日本のキリスト教徒の割合は2%ほどと推定されている[4]。いずれにしてもこの割合は、近隣のアジア各国と比較しても際立った低さである(これに匹敵するタイなどの国もある)。日本のキリスト教団体の多くは、ヨーロッパやアメリカはもちろん、韓国と比べても小規模である(特にプロテスタント教会)。
儒教
テンプレート:Main 神道、仏教に加えて、宗教として意識されることは少ないものの、葬儀、死生観を中心に儒教も大きな影響を残している。先祖霊などの観念は現在では仏教に組み込まれているが、本来は仏教哲学と矛盾するものであり、古来の民間信仰と儒教に由来する。位牌、法事など、先祖供養に関わる重要な習慣が儒教起源である。思想、道徳としての儒学は支配階級を中心に学ばれ、明治時代以降は一般庶民にも直接、間接に影響を与えた。
新宗教
テンプレート:Main 明治時代および第二次世界大戦後には、日本国内で様々な新宗教・新新宗教が登場した。新宗教は現在においても新たに作られており、その状況は「カルトのラッシュアワー」と呼ばれているが、あまりに数多くの宗教が発生したために、どの宗教も大量の信者を獲得しているとはいいがたい。また、そうした新宗教の中には、海外での活動の奇抜さにより、一部の国からカルト宗教のレッテルを貼られ危険視されている宗教団体もあり、日本国内でもこうして生み出された新宗教団体や信者が関与していると思われる犯罪やトラブルがあとをたたない。
民間信仰
民間信仰的要素は歴史的経緯もあり、複雑な様相を成している。これらは主にアニミズムを基盤としており、社殿以前の磐座や山岳信仰などに顕著であるが、神仏習合の影響も受け、形を変えて受け継がれているものも多い(道祖神と地蔵菩薩、えびす信仰など)。密教などの影響を受け、仏教や神道の枠に収まりがたい発展を遂げた宗教には、修験道、陰陽道などがあり、真言陀羅尼や功徳を積んだ法力への期待から御霊会など怨霊の鎮魂を担っていた。現代でも地鎮祭などにはこの考えが残っている。
その他の宗教
テンプレート:出典の明記 テンプレート:See also 上記以外の信徒はまれであるが、日本国内に外国人主体の宗教施設を持つ教団は複数確認され、それらの宗教の信徒との結婚などで改宗した人々も存在する。世界的に有力な外来宗教では、イスラム教信者が約12万人[5]から18万人[6]、バハーイー教信者が約1万2000人[7]、ヒンドゥー教信者が約5000人、ユダヤ教信者が約2000人[8]、シク教信者が約2000人と言われている。
日本人のイスラム教徒人口はさまざまな数字が出されているが、いずれも正確な数字ではない。日本には、国内のイスラム教徒の動向を把握している、統一された組織や団体が存在しないためである。5万人とする説もあれば[9]、20万人近い数字を挙げる者もいる[6]。いずれの数字もかなり多めに見積もられた数字だとも考えられ、「実際に日本国内でイスラムを実践している日本人信徒の数は数百人から、多くても1000人は超えないのではないか」とも言われているテンプレート:誰。日本国内で催されるイスラム教関係の行事、祭典の日本人信者の出席者、日本各地の礼拝所の日本人の礼拝参加者の数から推測してもそれに近い。
日本は韓国と並んで、アジアでは最もイスラム教が普及していない国のひとつであり、現地人(日本人)が主体になって運営されているイスラム教組織や宗教施設はほとんど存在しない。タイ南部・フィリピン南部・ベトナム南部のようなイスラム教を信仰する少数民族が住む地域もなく、中国の回族やインドのムスリムのような現地の文化や言語、民族に同化したイスラム教徒の集団も存在しない。
日本国内に存在するイスラム教組織や宗教施設の信者の大半は、パキスタン人、バングラデシュ人、トルコ人、インドネシア人、スリランカ人、イラン人などの在日外国人とその日本人配偶者である。大半がスンニー派であるが、その中でもハナフィー学派とシャーフィイー学派が日本には多い。パキスタン、バングラデシュ、トルコなどの出身者にはハナフィー学派の信者が多く、インドネシア人、スリランカ・ムーア人などにシャーフィー学派の信者が多い。ハナフィー派は比較的自由な解釈を行う学派であり、シャーフィーはそれよりもクルアーンなどイスラム法に解釈に重きを置く。両者は対立することはなく、互いに尊重しあい一緒に礼拝しているが、礼拝の方法や戒律に小さな違いが見られる。宗派や学派の違いとは別に、トルコ出身者は日本国内においてもトルコ共和国内で採用された暦を採用する者が多く、他国出身のイスラム教徒と行事の日程などがずれることがある。イラン人にはシーア派の信者が多く、スンニー派とは別に礼拝所や宗教団体を運営しているケースが多いが、スンニー派の宗教施設を利用したり、行事に参加するシーア派の信者も少なくない。
日本で比較的、熱心に布教活動をしているイスラム教系グループにアフマディーヤ教団がある。主にパキスタン出身者により、街頭で布教活動などがなされている。ただし、アフマディーヤ教団は正統派のイスラム教徒からはイスラム教とはみなされないことが多い。
2013年から、日本ではビザ緩和などによって、東南アジア諸国からの観光客が急増している。ムスリムの多いマレーシアやインドネシアも例外ではなく、彼らに対応するために、ハラルなどムスリムの習慣に対する勉強会が各地で開かれるようになっている[9]。イスラム式の礼拝堂の設置も増えてきている[10]。
日本人の宗教観
もともと日本においては、平安時代から明治維新以前は浄土真宗を除き神仏習合が基本で、神道と仏教が分けられない場合が一般的だった。寺院内に鳥居があったり、「八幡大菩薩」と神社の神を菩薩の呼び方で呼ぶ事例などに名残を見ることができる(ただし、どの時代にも熱心な仏教信者がいた)。
江戸時代に戸籍管理を目的として、仏教宗派のいずれかの寺院か、神社への帰属が義務付けられた(寺請制度)ことによって様々な習慣が生まれたが、今日では希薄となっている。また、七五三や結婚式が神社で行われるようになったのは明治以後のことで、宗門改めに起因するわけではない。
二宮尊徳(1787年 - 1856年)の話をまとめた『二宮翁夜話』という書物には、宗教多元主義を示すような譬え話も書かれている。
世の中に本当の真理はただ一つしかないが、その真理に近づく入り口はいくつもある。仏教、神道、あるいは仏教でも天台宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗などいろいろあるが、これらは何れも一つの真理へ到達するための道に付いている沢山の入口の名前に過ぎない。例えば富士山に登るのに、吉田から、須走りから、須山から、それぞれ登れるが、最終的に頂上に至れば同じ所である。これを、違う目的に到達できる別々の道がある、と考えるのは誤りなのだ。入り口が幾つかあっても、最終的に到達する場所は同じ一つの場所なのだ。ところが世の中では、これらを別々な道であると言い真理が幾つもあるかのように解釈されがちなのだが、もともと仏教思想は紀元前に一人のブッダ釈尊によってとかれたもので、そうして顕された沢山の教義のなかから根本経典を選び出し、それぞれの宗派に分かれて守り伝えていっているに過ぎないのだ。
小説家の芥川龍之介(1892年 - 1927年)は、日本にいくら宗教を根付かせようとしても無理なのは、日本が古来から「八百万の神」を崇める、神道などに見られる独特の宗教観を持つからで、釈迦もイエス・キリストも日本にくれば神々の一人という扱いになる、といった主旨のことを短編小説「神神の微笑」[11]の中で登場人物に語らせている。また同時に、日本人が海外の思想に変化を加えて自分のものにする様子を「造りかへる力」とも表現している[12]。
小説家の井沢元彦は、日本には無意識の強烈な「怨霊」信仰と、怨霊を発生させない「和」への信仰があり、神道はその上に成立し、仏教も結局は怨霊を鎮魂するための道具として活用されたと解説している。来日した外国人や、熱心な宗教信者となった日本人は、多くの日本人が無意識のうちに「和」を至上のものとする思想を持つことを見い出すことができるという。また井沢は日本人の持つ「言霊」への特異な信仰を見出している[13]。
現代
「読売新聞」が2005年8月6日、7日に行った「宗教」に関する世論調査では、「宗教を信じていない」という選択肢を選んだ人が75%に上り、「信じている」を選んだ人は23%と、1979年の調査の34%と比べて11%減った。「神や仏にすがりたいと思ったことがあるか?」に関しては、54%の人が「ある」と答え、44%の人が「ない」と答えた(「宗教を信じていない」を選択した人でも47%が「ある」と答えた)。「幸せな生活を送るうえで宗教を大切に思うか?」に関しては、35%の人が「大切に思う」を選び、60%の人が「思わない」を選んだ[14]。
現代の日本人の大多数は、実際にはいわゆる宗教儀礼に参加してはいるものの、特定の宗教組織に対する帰属意識は薄く、自分のことを「無宗教」と考える者も多い。この場合の「無宗教」は、神や仏の存在を否定する無神論とは異なり、何かしらそれなりに信じているが、特定の宗教組織や教義に全人格的に帰属してはいないということである。
現代日本における宗教団体
日本において宗教団体は、宗教法人として法人格を得ることができる。宗教法人の認証は、宗教法人法に基づいて行われており、主たる事務所の所在地を管轄する都道府県知事が行う。ただし、他の都道府県内に境内建物を備える場合や他の都道府県内にある宗教法人を包括する宗教法人の場合などは、文部科学大臣が認証を行う。認証の後、事務所の所在地において設立の登記をすることにより成立する。ただし、民間信仰や新宗教などの宗教団体には法人格を得ていない場合も多い。
2006年の時点で、日本には、神道系88,788団体、仏教系85,994団体、キリスト教系9,330団体、諸教39,858団体が存在している[1]。
脚注・出典
参考文献
- 『日本宗教事典』弘文堂、1985年(現在は縮刷版あり。『縮刷版 日本宗教事典』弘文堂、1994 ISBN 978-4-335-16024-0)
関連項目
外部リンク
テンプレート:日本関連の項目- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ http://www.missionislam.com/knowledge/japan.htmテンプレート:Cite web
- ↑ 6.0 6.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ Golub, Jennifer, JAPANESE ATTITUDES TOWARD JEWS. PACIFIC RIM INSTITUTE OF THE AMERICAN JEWISH COMMITTEE
- ↑ 9.0 9.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 青空文庫で閲覧可(http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/68_15177.html])。他にISBN 4101025045 ISBN 4480020845など。
- ↑ これに類似する現象としては、(インドの圧倒的な大衆が信奉する)ヒンドゥー教のシステムでも、他の宗教の究極の信仰対象を勝手に、ヒンドゥーの神々の一人という扱いにしてしまうことが知られている(ブッダがヒンドゥー教の考え方を乗り越えるのに成功した)。その結果、仏教が台頭した時も、ヒンドゥー教の指導層のバラモン階級は(対抗策として)ブッダもあくまでヒンドゥーの神々の一人という扱いにしてしまったことが知られている。また、現代ではイエス・キリストもヒンドゥー教の神々の一人という位置づけにされることもあると知られている(NHKのある番組でもヒンドゥー教徒らがヒンドゥーの神々の一人としてのイエス・キリスト(の肖像)に、他の神々同様に蝋燭の火を捧げる様子が放送されたことがある)。
- ↑ 『世界の宗教と戦争講座』徳間書店2003年 ISBN 4198919062。『逆説の日本史』シリーズ。『井沢式「日本史入門」講座 1(和とケガレの巻)』徳間書店2006年 ISBN 9784198622312。など
- ↑ 宗教信じない75% 神仏すがりたい54% 読売新聞が世論調査 - CHRISTIAN TODAY 2005年09月02日2009年5月22日閲覧。