山下達郎のサンデー・ソングブック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 ラジオ番組

山下達郎のサンデー・ソングブック』(やましたたつろうのサンデー・ソングブック)は、TOKYO FMキー局としてJFN系列で放送されているラジオ番組ミュージシャン山下達郎唯一の出演ラジオ番組である。略称は「サンソン」。

概要

“山下達郎の個人コレクションを使って発信される日本最高のオールディーズ・プログラム”。自身がミュージシャンである関係で自身や竹内まりや、あるいはミュージシャン仲間の曲がオンエアされることもあるが、基本的には山下の音楽ルーツである1950-60年代のオールディーズを中心に、リスナーからのリクエストとお便りで構成されている[注 1]

沿革

1992年
  • 10月3日、『山下達郎のサタデー・ソングブック』(土曜日15:00 - 15:55)としてスタート。
1994年
  • 4月3日カウントダウンステーション枠の確立によりラヴ・ステーションゾーンの日曜日14:00-14:55に放送枠が移動となり『山下達郎のJACCSカード サンデー・ソングブック』と改められた(ただし半年間は一部のネット局で時差放送)[注 2]。以来長寿番組となり、19年目の2011年12月11日に放送1000回を迎えた[1]。番組開始時より長らくJACCSがスポンサーだったが[注 3]12月25日放送をもってスポンサーを降板[2]
    • 1000回放送の際にはJACCSカードのCMもすべて、この回だけの特別バージョンが放送されたが、その翌週の12月18日放送[3]で、同社提供での放送は12月25日で終了となり、2012年1月1日からは新しいスポンサーの下で放送されることが発表された。12月25日放送の最後のCMは、JACCSからリスナーへ向けて、19年間の感謝のコメントで締めくくられた。
2012年
  • 1月1日、「2011年のリイシューで棚からひとつかみ・前編」(1003回)から、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(同社が運営する東京都渋谷区猿楽町の大型商業複合施設「代官山T-SITE」の中核店舗「代官山蔦屋書店」の提供クレジットで)がスポンサーとなり『山下達郎のTSUTAYAサンデー・ソングブック』となった。番組中盤のCMがなくなり、放送中のCMは冒頭とエンディングの2本のみとなっていた。
  • 1月22日、「ジョージ・フィショフ(George Fischoff)特集・前編」(1006回)からはJA共済が共同スポンサーとなる(ただし番組タイトルは変更無し。その後、3月4日放送からCMジングルと中盤のCMが復活(3月11日放送を除く))。更に6月24日放送「ベタなリクエスト&普通のリクエスト&棚からひとつかみのごった煮プログラム」(1028回)からは昭和電工がスポンサーに加わり[注 4]、この回をもって「冠スポンサー付き」の番組タイトルが一旦終了。
  • 7月1日、「レイ・ブラッドベリ追悼特集・その1」[4](1029回)からは正式に冠スポンサー無しの『山下達郎のサンデー・ソングブック』と変更[注 5]10月7日(1043回)で20周年を迎え、同放送からJXグループがスポンサーに加わり4社提供となる。また、提供読みのナレーターが交代。
2013年
  • 3月31日、「年度末リクエスト特集・その3」(1069回)をもってカルチュア・コンビニエンス・クラブ(代官山蔦屋書店)がスポンサーから降板、3社提供に戻る。
2014年
  • 4月6日、「新年度リクエスト特集・その1」(1121回)からJXグループが筆頭スポンサーとなり(3社提供は変わらず)、タイトルが『山下達郎のJXグループ サンデー・ソングブック』に変更。
  • 6月29日、「リクエスト特集」(1133回)をもって昭和電工がスポンサーから降板、2社提供になる。

タイムテーブル

スタート

オープニング

  • オープニング・テーマ「ONLY WITH YOU」のインストが流れ、出だしから8小節終わったところで挨拶(口上は「皆さんこんにちは、ご機嫌いかがでしょうか。山下達郎です。毎週日曜日の午後2時からの55分間は私、山下達郎がお送りいたします、『(冠スポンサー名)サンデー・ソングブック』の時間であります[注 7]。TOKYO FMをキーステーションと致しまして、JFN全国38局(放送時のネット局数)ネットでお送りしております」)。
  • そして近況などを簡単に語り[注 8]おなじみのフレーズ「日曜午後のひと時を素敵なオールディーズ・ソングでお楽しみいただきます『山下達郎(の)サンデー・ソングブック』。きょうも最高の選曲と最高の音質でお送りします」[注 9]。リクエストハガキを読み上げつつ、まず1曲(山下達郎竹内まりやのリクエスト曲、又は新譜)を流す。
  • スポンサーの60秒CM(1)[注 10]

前半

  • CM明け、楽曲からスタート。曲紹介の後、リスナーからのはがきを紹介。再び楽曲の後、ハガキ紹介とトークを挟みながら、このゾーンでは曲を2、3曲程度オンエア。
  • CMに入る前に『お知らせの前に、もう1曲』と、リクエストのハガキを読んで1曲オンエア。本人の一人アカペラのジングルが流れてCMに入る。
  • スポンサーの60秒CM(2)[注 11]

後半

  • 14:28頃、ここでCM明けの口上「山下達郎がお送りいたしております、『サンデー・ソングブック』[注 12]」とコメントし、「業務連絡」と称して、山下・竹内をはじめ関係者のリリース、ライブ、オンエア、インタビューなどのインフォメーション、来週以降の放送予定、プレゼント告知と当選者発表など。その後再び曲のオンエア、リスナーからのはがき紹介。
  • 14:40頃、「といったところで、今日はこの辺で」という言葉でその日の特集を一旦締める。それから2枚程度ハガキを読むこともある。時々、『今日一番ウケたヤツ』と称して山下が気に入った内容のハガキを読むことがある。最後に山下達郎竹内まりやのリクエスト曲、又は新譜を流す。
  • スポンサーの60秒CM(3)[注 10]

エンディング

  • CM明けの口上は「お送り致してまいりました『山下達郎 サンデー・ソングブック』」。次回予告などのコメントの後、エンディング・テーマ曲「Groovin'」かかり、ここで時間の許す限り「お祝いメッセージ」を紹介し、最後は「『山下達郎 サンデー・ソングブック』、来週もsame time,same channel(同じ時間・周波数の意)で、皆さんごきげんよう、さようなら」とのコメントで締められ、女性ナレーターが「山下達郎 サンデー・ソングブック」とコールした後スポンサーの提供クレジットを出し、BGMがフェードアウトしながら終了。ただし、クリスマス当日、あるいはその直前の放送のみ最後が「メリークリスマス」になる場合がある。また、その年最後の放送では「それではみなさん、良いお年を」で締める(年末最後の放送は「年忘れ夫婦放談」で竹内まりやが出演しているため、「良いお年を」のあいさつは声をそろえて、という場合が多い)。
    • エフエム群馬全国高等学校野球選手権群馬大会開催時、あるいは日曜日日中にザスパクサツ群馬主管のJリーグ試合中継を行う場合(2012年等該当)は、この番組の放送時間が19:00-19:55に繰り下がるため、それに配慮する形で「来週もお楽しみに、さようなら」、ないしは「Same Time」の件を削り「来週もSame Channelで、皆さんごきげんよう」と締められる。2009年まではエフエム北海道(AIR-G')が8月最終日曜に開催の北海道マラソンのローカル中継を行っていたため、同様の配慮がされていた(2010年からマラソン中継は廃止された)。このような場合、番組途中の「業務連絡」でも「(当該局)でお聞きの皆さんにお知らせです。来週○日のサンデー・ソングブックは(当該イベント名)の中継のため、午前(午後)△時からの放送となります。いつものSame Timeでの放送ではありませんのでご注意ください」との告知が入る。

スポンサーの読み上げクレジット

  • JA共済 - 「くらしの保障、相談をするならJA共済」(提供開始の極初期は「助け合い、ともに明日へ」→「ひと・いえ・くるまの総合保障」)
  • JXグループ - 「エネルギー・資源・素材のX(みらい)を」
過去
  • 昭和電工 - 「科学の力で夢を具体化」
  • 代官山蔦屋書店 - 「都会の森・おとなの時間」
  • ジャックス - 「あなたの信用No.1を目指す」

番組内容

レギュラープログラム

以下の2つが「定番中の定番」のプログラムである。それ以外は山下自身のスケジュール、その他により流動的に変更される。

棚からひとつかみ
  • 通称「タナツカ」。自身の所蔵音源からアトランダムに選曲しオンエアする。このプログラムの中でも楽曲解説に挿んでリスナーからのハガキが紹介される。また「リクエスト特集」と折衷的に「棚つか+リクエスト」とする場合や、時間的にまとまった特集が組めない状況下に1つのテーマを決めて「○○で棚からひとつかみ」(例えば「ライブで棚からひとつかみ」や放送1000回記念の「『1000』にちなんだ曲で」、あるいは「特定のアーティストやジャンルで棚からひとつかみ」など)と暫定的な特集として組まれる場合も少なくない。2012年6月24日放送では「タナツカ+普通のリクエスト+ベタなりクエスト大会」の「3種混合・何でもアリ放送」となった[5]
  • 2011年12月11日放送は「サタデー・ソングブック」として放送を開始してから1000回目の放送だったが、「1000回記念のイベントはコンサートの関係で(コンサートツアー中のため)行えない」との理由から、「『1000』にちなんだ曲で棚からひとつかみ」が2週(12月4日・11日)にわたって放送された(「記念イベントについては2012年10月の20周年の時に行いたい」旨のアナウンスがあった)。イベントに代わり、JFN加盟38局それぞれで1組2名(合計38組76名)をそれぞれの加盟局に近い地域[注 13]で開催される、自身のコンサートツアー<PERFORMANCE 2011-2012>へ招待する記念キャンペーンを行った。
リクエスト特集
  • リスナーからの投稿ハガキを紹介しながらリクエストに応えていく。このプログラムについても、1つのテーマを設けて「○○でリクエスト」あるいは「リクエスト特集・○○編」として組まれる場合や「オールリクエスト」「年度末リクエスト」など、変則的に組まれる場合がある。
  • 毎年の定型化した特集としては、7月下旬(年度によってはそれよりも早めに始める場合がある)-8月中旬の「納涼リクエスト大会」、12月期の「年忘れリクエスト大会」、あるいは1月期の「新春リクエスト特集」がある。ただ、この「納涼」「年忘れ」のリクエスト大会を始めるとハガキが殺到してしまうことが多く、その分を「レギュラープログラム」の「棚からひとつかみ」の週に延長戦的に「棚つか+リクエスト」とすることも少なくない。またスペシャルウィーク期間には山下・竹内の曲に限定し、大切なあの人へのメッセージを添えてリクエストを寄せてもらう「山下家の歌の贈りもの〜山下家の曲をあの人にプレゼント」(1011回、2012年2月26日放送)、「山下家の曲をあの人にプレゼント〜父の日&ジューン・ブライド編」(1027回、6月17日放送)といった変則的な「企画ものリクエスト大会」が放送されたことがある。
  • 後述する通り、2012年度から大瀧詠一との「新春放談」が事実上終了したため、この年から正月の数回の放送も「新春リクエスト」にすることが多く、事実上年末年始をまたいで「リクエスト大会」をテーマに集中放送するケースもある。
    • 2013年度は9-12月に自身のコンサートツアー「山下達郎 PERFORMANCE 2013」の公演日程[6]が詰まっており、特に11月下旬-12月は北海道新潟県石川県富山県青森県(以上公演順)と地方公演が続き、東京で収録ができないことから、数週分をまとめて「前倒し収録」せざるを得なかった事や、12月4日発売の竹内まりや芸能生活35周年記念コンピレーション・アルバム『Mariya’s Songbook』の特集を組んだこと、そして年末最終2回は恒例の「年忘れ夫婦放談」(前・後編)という状況で、スケジュール的に余裕がない[注 14]との理由から、「年忘れリクエスト」は行わず、2014年1月に「新春リクエスト」を行っている。

バリエーション

“テーマ限定リクエスト”の最たるものが以下の2つである。

ベタなリクエスト特集
  • 通称「ベタリク」。コアな洋楽ファンならずとも「誰でも知っているおなじみの(ベタな)あの曲」へのリクエストに応える、通常のプログラムでは「絶対にありえない」特集。2004年6月20日放送が初であり、毎年6月期の定番特集になっている。ビートルズのナンバーをオンエアした際には「なんだか自分の番組じゃないみたい」と語っていた。2010年6月27日放送のあと、2011年度は震災の影響もあり休止されていた。2012年6月10日放送で再開。
わがままリクエスト
  • 通称「わがリク」。自身のライヴ音源や未発表テイクなどに関するリスナーからの「わがまま、無理難題な」リクエストに応える。1998年2月22日放送「オール山下達郎、わがままな御要望リクエスト大会」からスタートした特集企画である(それ以前にも「未発表・未発売アイテムへのリクエスト」や「ライブ音源へのリクエスト」は組まれているが、「わがまま」という名称は使われていなかった)。
  • 「フルOA前提のレア音源録音コーナー」や「普段絶対に請け負ってくれないであろうリクエスト」と言った意味で、他の番組でも「わがままリクエスト」といった名称の企画が組まれるなど浸透している。しかし、当番組のわがままリクエストは2004年10月31日放送で「次のアルバムが完成するまでしばらく出来ない」とのコメントを最後に現在まで再開されていない[7][注 15]。ただ、それ以降も「ライブ(あるいはツアー)で棚つか」のような変則的なプログラムで、ライブ音源は継続してオンエアされている。また、2011年5月1日放送の「リクエスト大会・山下家ライブ編」[8]では、久々にリクエストに応える形で2010年のツアーでの音源(PAアウト)が放送された[注 16]。ちなみに、この「わがままリクエスト」で、過去1人のリスナーが書き続けた最もしつこいリクエストは357回である。

テーマ特集

通常「テーマ特集」(後述の放談シリーズも含む)については前・後編の2週をひとくくりとすることが多いが、まれに1週だけ、あるいは3週以上にまたぐ場合もある。

  • 3月のひな祭り前後には「ガールシンガー・ガールグループ特集」が恒例になっている(当然ながら、毎回必ず竹内まりやの曲が入っている)。また梅雨時には「『雨の唄』特集」、夏場には「サーフィン&ホットロッド特集」秋(あるいは冬)の「Doo-Wop特集」など季節感に合わせた特集も定番であるが、ここ数年、特にライブ活動を再開して以降は、これまたスケジュールの都合などで「2大レギュラー・プログラム」や「テーマ付き・タナツカ」にとって替えられる事が多くなっている。
  • ツアー中など、リクエストハガキをチェックする時間がとれない時期に特定の作曲家・作詞家・歌手・アレンジャー・シンガーソングライターごとの特集や、特定のカテゴリーによる特集(「スイート・ソウル特集」、「モータウン特集」)、さらに数年に1度のペースで「珍盤・奇盤特集」をテーマにしたりするなどが組まれることが多い。特に、「珍盤・奇盤」は「年1回やる年もあれば、そういったネタがないために数年間間隔を開けた状態になってしまうこともある」と、2014年4月27日放送の同テーマで放送したときにコメントしている。また同じ放送で、「赤坂さんの番組でやっていた"きな臭いポップス特集"と、この番組の"珍盤・奇盤"で戦っていた時代があるほど、東京FMが誇るおバカ路線のテーマである」とも話していた。ただしこうした特集もこの番組では定番である。
  • TOKYO-FMの聴取率週間SPECIAL WEEKで統一テーマが決められている場合は、その内容に沿った選曲での特集やコーナーが組まれる。例えば、2010年4月25日放送ではTOKYO-FM創立40周年記念企画として「私が選ぶ五大アーティスト」が放送された。また2006年6月のFIFAワールドカップ ドイツ大会開催時のスペシャルウィークでは「Eyes on Japan」を中心に「ミラクル・プロジェクト”もし日本がブラジルに勝ったら、○○します”宣言!」が展開されていたが、この時には「もし日本がブラジルに勝ったら、『演歌で棚からひとつかみ』をやる!!」と公言。結果、日本は敗退したが「気が向いたらやります」とコメントした。
  • 2000年3月26日4月2日には2週に渡り「盗作 パクリ 似たもの特集」が放送された[9][10]。3月26日放送では、洋楽中心のプログラムながらも、冒頭から大泉逸郎」と水沢明美「二度惚れ酒」という、メロディーの冒頭4小節が酷似している演歌2曲の聴き比べでスタート。4月2日放送ではさらに邦楽中心となり、菊池桃子「ナイル・イン・ブルー」やチェキッ娘ドタバタギャグの日曜日」がオンエアされるなど、かなり異色の内容だった。この中で、山下自身が「何故、竹内まりや「ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風〜」アルバム・バージョンの編曲に携わるに至った経緯を紹介している。また、2007年6月17日に放送された「ジューン・ブライド特集 邦楽編」でも高田渡「結婚」、Zeebra「結婚の理想と現実」、The Yellow Monkey「Wedding Dress」、SMOOTH ACE「無敵」などの楽曲がオンエアされた。
  • 自身の新アルバム発売に際しては、その発売前に特集を組み、個々の収録曲について解説を行っている。ただ近年、番組を録音した音源がYouTubeなどへアップされることが増えている傾向にレコード会社側が警戒を強めており、制作者側の立場から、少なくともブログでの放送内容の文字起こしなど、ネタバレはアルバム発売後に行ってほしいと2011年7月31日8月7日に放送された「Ray Of Hope特集」[11][12]でリスナーへ向けて要請している。
    • 2012年9月23日放送(1041回)では「『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』 8倍速試聴会」と題して、9月26日発売のベストアルバム『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』のアルバム特集を行った[13]。「本来であれば2週間をまたいで全楽曲の解説などの御託を述べたいところであるが、これまでの37年間(シュガー・ベイブ時代を含む 49曲収録<ボーナストラック6曲を入れると55曲>)の集大成で抜粋したベストアルバム、しかも全収録時間3時間半を超える大作であるためわざわざ改めて解説する必要もないだろう」との理由から、初の試みとして、Disk-1〜3に収録した各楽曲について、収録順にイントロやサビの部分を抜粋したものを編集メドレーで紹介する形式をとった。[注 17]
    • 同じく『OPUS』に関連した特集として、2012年10月21日放送では「ライブでOPUS」と題して、山下がこれまで行ったライブの音源から、同アルバム収録曲のライブ・ヴァージョン、計7曲がオンエアされた。初回限定盤ボーナスディスクに収録された『硝子の少年』についても、2000年1月30日に『ON THE STREET CORNER 3』発売記念として高田馬場ESPホールで行われた新星堂イン・ストア・ストリートライブの音源(ア・カペラ音源での歌以外に、余興としてオフィシャルな“TVサイズ版カラオケ”をバックに歌ったもの)が紹介された[14]
    • また「OPUS」特集の番外編として、2013年2月24日3月3日には「OUT of OPUS」と題して前・後編の特集が放送された。これは『OPUS』の収録時間の都合上、やむを得ず収録できなかった数多くの楽曲から、前編は山下自身が厳選したもの[15]、後編はリスナーのリクエストから選曲し構成した内容だった[16]

追悼特集

  • 洋・邦問わず、音楽シーンに多大な影響を与えた人物や、自らの音楽に重要な位置を占めた人物の訃報に際しては、シンガー、ソングライター、アレンジャー、ミュージシャンなど音楽関係者に限らず、急遽「追悼特集」が組まれることがある(例:2006年11月26日放送、「元・KBC九州朝日放送ディレクター岸川均氏 追悼特集」[17])。
    • 2012年7月1日7月15日の放送では[4][18]、山下が10代の頃に最も感銘を受けた作家レイ・ブラッドベリ6月20日に死去したことに伴い、ブラッドベリの作品に影響を受けた音楽家の楽曲、あるいはブラッドベリ作品をイメージした作品を前半は洋楽、後半は邦楽とに分けて紹介した[注 18]
    • また、個人的に親しかった、あるいは1ファンとして特に山下の音楽活動に多大なる影響を与えた音楽家をテーマにして取り上げる場合には、「私家版」[19][20]「極私的版」[21][22]のタイトルで特集を組む事もある。

夫婦放談

  • 原則として毎年8月[23]と12月の末尾2週には、「納涼夫婦放談」「年忘れ夫婦放談」と題して妻の竹内まりやをゲストに迎えて、ハガキで寄せられるリスナーからの質問に答えながら二人で番組が進行される。
  • 番組開始当初から竹内は不定期に出演していたが、開始当初は「ゲストコーナー」、年末スペシャルゲスト的な扱いだった。1997年12月21日放送(273回)「年忘れ夫婦放談」で初めて「放談」のタイトルが使用されたが、その後もサブタイトルは「夫婦対談」「竹内まりやさんをゲストに迎えて」など流動的に変わり、現在のように定着したのは1999年8月22日放送(360回)の「納涼夫婦放談その1」から。
  • 現在のところ、竹内の唯一のレギュラー出演番組であり、山下家の日常についてのエピソードや、「竹内まりやによる野原しんのすけの真似」(2008年12月21日放送、846回「年忘れ夫婦放談その2」)のように他の番組では聞けないような内容も含まれる。一方で番組中、こうした「日常的でたわいもない話」などを自虐的に「薄い内容」と称してネタにしている。
  • この特集では、竹内が友人・知人のライブにゲスト出演したときの音源や、自宅スタジオでこの放送のために録音された、洋楽カヴァー(洋楽カラオケを使用したものや、センチメンタル・シティ・ロマンスがバックを務めたものなど)や他人の提供曲のセルフ・カヴァーなどの「未発表音源」「レア音源」がオンエアされることがある。
    • 「納涼夫婦放談」の番組最後のナンバーとして、前編には山下・竹内のデュエットによる「Summer Vacation」[注 19]、後編には山下の「さよなら夏の日」が選曲されるのが恒例になっており、リクエストも多数寄せられる。
    • 「年忘れ夫婦放談」は原則12月末尾2週の放送だが、まれに第2・3週の放送、あるいは12月が5週ある場合の第3・4週の放送となる場合は、最終週の放送も竹内が引き続きゲストとなる(内容は通常のリクエスト特集)場合がある。また、クリスマス直近の放送回では、山下の「クリスマス・イブ」と竹内の「素敵なホリデイ」に多数のリクエストが寄せられ、ほぼ毎年の様に放送される。
  • 山下が「公だから」という理由で「竹内まりやさんをゲストにお迎えして」と敬称を付けて紹介し、番組中は「あぁた(あなた)」と呼ぶのに対して、竹内は「達郎」、「たっつぁん」と日常的な呼び名を通している。
  • 2011年2月27日には、2010年12月3-4日(日本武道館)、12月21-22日(大阪城ホール)に行なわれた竹内のスペシャル・ライブ「TOKYO FM/FM OSAKA 開局40周年記念スペシャル『Souvenir again』 竹内まりや LIVE 2010」を振り返る、960回「夫婦放談番外編」が放送された[24]
  • 竹内の新作アルバムの発売に際しては、「夫婦放談」の形式で2週にわたって発売記念の特集が組まれる。この時には山下のアルバム特集同様に、個々の収録曲について解説が挿まれる。
  • この特集の締めは、誕生日メッセージ代読の「皆さんおめでとうございます」、及び最後の挨拶「さようなら」の部分だけ、声を揃えて言うのが通例になっているが、年忘れ夫婦放談の1週目は「メリークリスマス」、年内最後の放送となる2週目は「よいお年を」にそれぞれ変わる。

新春放談

  • タイトルはTBS時事放談」から拝借したもの。初期の頃には、山下が小汀利得の「やっぱ〜りね」というフレーズを真似ていた。
  • 毎年1月の第1・2週、大瀧詠一をゲストに迎えて行なわれる対談である[注 20][25]。共通の話題である1950〜60年代の英米日の音楽、映画、落語、相撲、そして無類の長嶋ファンである大瀧ならではの野球に関する話やマイ・ブームに関する話が展開された。この番組での第1回は『サタデー』時代の1993年1月2日(第14回放送)である[26]
  • 元々、大瀧とのセッションや対談はこの番組がスタートではなく、1981年8月NHK-FM夏休み特別番組として放送された『サウンド・オブ・ポップス』最終日に行われたライブセッションである。
  • その後1984年1月12日、同局で放送された『サウンドストリート(サンスト)』(山下は1983年4月から1986年3月まで、毎週木曜日担当)で初めて「新春放談」のタイトルで対談が放送され[27]、以後山下の出演番組での正月恒例企画として定着、山下の番組降板後も佐野元春の『サンスト』(1987年)や音楽評論家・萩原健太のラジオ番組『ミュージック・シティ』(NHK-FM、1988年-90年)、山下が月2回パーソナリティを務めた『プレミア3』(TOKYO FM1990年-92年)で継続された。こうした経緯から、1994年にはこの番組での2年目にも関わらず「新春放談10周年」とサブタイトルが付けられている。ただ、特別な企画がある訳ではなく、内容は一切変わっていない。
  • 一般リスナーは基本的に大瀧の前年の動向を知ったり、声を聞くことが出来るのはこのコーナーのみで、山下本人ですら大瀧の活動を完全に把握しているわけではなく、「最近はどうしているのか」という質問からスタートする。
  • このプログラムでかけられる音源は、大瀧自身の持ち込みである場合も少なくない(洋楽以外に、大瀧自身の曲や提供曲、プロデュース作品のバージョン違いなどで、時には「未発表音源」という場合もある)。
  • 2011年12月18日の放送で2012年は「諸事情により行わない」ことが発表され、この企画はひとまず26年で休止することになった。
  • その後、山下のOFFICIAL WEB SITEの2012年12月23日分の更新分で、新春放談の終了が発表された[28]。その理由として「時代的な役割を全うし得たと思えますので」としており、放送20周年、自身の60歳という節目で、本来の純粋な「音楽番組」として、今後も長く番組を継続するために、番組構成をスリム化・整理する意味合いであることを明らかにしており、2013年1月6日放送では「震災を経て、思うところもあった」と、心境の変化があった事も語っている。一方で、「大瀧詠一さんと不仲とか、そういう理由ではありません。念のため」と、一説と噂された「不仲説」については否定、「大瀧さんにはまた違う形でご登場願う予定でおります」と、再登場も示唆していたが、2013年12月30日に大瀧が急死[29]したため、2011年1月2日9日放送が、最後の登場となった。
  • 2014年1月5日放送の冒頭、山下による大瀧急死に関するアナウンスが挿入されたが、当日と1月12日放送の『新春リクエスト大会』は事前収録であるため、番組内でこの話題に触れていないこと、追悼特集については後日放送することが説明された。その後、番組宛のハガキで『大瀧詠一追悼特集』に対する要望が寄せられ、それに応える形で、1月26日放送の『極私的・青山純追悼 後編』[22]の終わりに、自身の考えを話している。

テンプレート:Quotation

  • 2014年3月2日放送『ひなまつり、ガールシンガー・ガールグループ特集』では、毎年3月恒例のテーマ特集の体裁でスタートしながら、当日のナンバーを聴き進めると、「実は『大瀧詠一が好きだったガールシンガー・ガールグループ特集』だった」という趣向が施され、番組後半に実際のタイトルが『ひなまつり・ガールシンガー・ガールグループ特集 (EIICHI'S FAVORITES SPECIAL)』であり、変則的な追悼特集であることを明かしている[30]。これはこの特集の放送音源を揃えていくうちに、以前、大瀧と話していた内容を思い出し、「それでは大瀧のお気に入りでまとめてみよう」と思い立った事から企画・構成した内容で、直接的・形式的な追悼特集ではなく、こうした形で洒落を交えて「実は…」という展開こそ大瀧の喜びそうな内容であり、山下は番組の最後、「(大瀧はきっと)『よくやった』と褒めてくれております。確信しております」と結んでいる。

東日本大震災関連

  • 2011年3月13日放送は、11日に発生した東日本大震災による特別編成から、1992年の番組開始以来初めて放送休止となった[注 21]。震災後初となる3月20日放送は「鎮魂プログラム」として、JACCSの厚意によりCMを一切カット、山下の選曲による楽曲のみ10曲が時間いっぱい放送された(中盤には仙台で被災したリスナーのハガキを1枚紹介。エンディングに楽曲紹介があった)[31]。冒頭、被災者へのお見舞い・お悔やみのコメントとともに、山下自身の母親が仙台市出身で、縁戚・関係者が在住しているものの、皆無事であった事を話している。また、オンエアにあたって「小さなラジオでもなるべく良い音でお聴きをいただけるように」と、音圧など、通常の放送よりも調整した旨の説明があった。なお、被災地にあるDate FMふくしまFMではこの日も報道特別番組を放送していた為、この内容は3月27日に改めて放送された。
  • 2012年3月11日放送は東日本大震災から1周年にあたり、放送中に当該時刻を迎えることになったため、「東日本大震災一周年 追悼と復興祈念プログラム」と題して、特別プログラムが放送された[32][注 22]
    • 前半では山下自身が日常的に心の平安に役立てているオールディーズ・ナンバーから4曲が選曲され、曲間には実際に被災したリスナーや震災に関わるエピソードの投稿ハガキを紹介。後半は山下のライブ1曲(2003年3月21日に行われた『放送10周年記念アコースティック・ライブ』時の「蒼氓」)と、この放送のために新録された「希望という名の光〜2012 ACOUSTIC VERSION」がオンエアされた。午後2時46分の震災発生時刻に1分間の黙祷のあと、竹内の「いのちの歌(PIANO & VOCAL VERSION)」をバックにエンディングとしている(誕生日メッセージ紹介は放送内容を考慮し休止)[32]。なおこの放送に限り、CMは開始時の提供クレジット直後と挨拶の直後にのみ挿入され、番組中盤とエンディングではカットされている。
    • なお、この「追悼と復興祈念プログラム」は高い評価を受け、2012年6月22日に行われた『第38回 放送文化基金賞』(主催:公益財団法人 放送文化基金)において、「(番組部門)ラジオ番組 優秀賞」と「(番組部門 個別分野) 出演者賞」の2部門を受賞した[33][注 23]

こだわり

  • 「職人」とも言われる山下らしく、放送時の音質にもこだわり、所蔵するレコードやCDを単にかけるのではなく、事前に自宅でPro Toolsを使ってラジオのオンエアに適した音質にミックスし直したWAV形式の音源を、USB-RAMに保存してTOKYO FMのスタジオに持ち込んでいる。
    • 1994年4月の放送枠移動当初、前の番組枠(13:30 - 13:55)にSMAP木村拓哉の『木村拓哉のWhat's up SMAP』、後の番組枠(15:00-15:55)には中村正人DREAMS COME TRUE)の『中村正人のKDD Sunday Network』という編成で、オールディーズの音源をそのままオンエアすると前後に放送されるSMAPやドリカム、最新洋楽ヒット[注 24]などの音源とは音圧で全く敵わないため、リミッターやイコライザを自ら買い込んでリマスタリングを行って音質を改善し、音圧を上げたDATテープを作ったものをオンエアするようになった[34]とのことで、DATの製造終了に伴い、以降は前述の方式が採られている。
  • 上記のことも含め番組ではTOKYO FMにあるライブラリーからの音源は一切使用しない。また関係者、番組企画のものを除いて、邦楽や最近の曲は原則オンエアされないが、山下自身や竹内まりやの新曲、またスマイルカンパニー所属のシンガー、ミュージシャン、山下夫妻が関わっている楽曲や、他のシンガーによるカバーなどはどこよりも早く紹介する。この際、フルサイズでの楽曲編集が間に合わなかった場合は、エディット版に編集したトラックをオンエアすることがある。なお新曲のうち、テレビ番組やコマーシャルとタイアップしたもの(竹内まりやの物を含む)については、CD発売日の前からリクエストが寄せられるため、CD発売前はワンコーラスやテレビサイズ、CMサイズをオンエアし、CD発売後に改めてフルコーラスが放送される。
  • ライブ感覚でやりたいという意図で、きっちり55分間の生放送進行(同時パッケージ)で収録している(途中噛んだり、詰まったりすることもあるため、その箇所は不自然にならないよう、再録、編集している)。そのため、曲だけでなく、オンエア間のジングルや、CMも流しながら収録している。時にはCM明けに「今シーズンのジャックスのCMはいいですね」など、CMの感想を語っていたことがある。
  • スタジオ内にアコースティックギターを持ち込んでおり、楽曲のギターフレーズなどを解説するときに弾くことがある。

選曲ジャンル

  • 従来から1950-70年代のロック、R&B、ポップスなどへのリクエストがその中心だが、竹内まりやのカヴァーアルバム『Longtime Favorites』の発売前後からはフレンチポップスやカンツォーネ、イタリアンポップス、ジャズ・スタンダードなどへのリクエストも寄せられるようになった。
  • ハードロックヘヴィメタル系の曲がオンエアされたこともある[35]。これに関しても「ハードロックはデジタルでは重低音の厚みが薄っぺらい為、アナログ盤で聴くべし」とのこだわりを持っている。
  • 原則として上記の通り1950-70年代の洋楽が中心で、邦楽は山下・竹内夫妻自身や他歌手へプロデュースした楽曲などに限られ、日本人歌手や作詞・作曲家関連の特集は極めて稀である。しかし2013年11月10日[注 25]11月17日放送の「私家版・岩谷時子追悼特集(前・後編)」[19][20]では山下が岩谷のファンである為、ほぼ全て岩谷作詞・作曲の邦楽で統一された。11月10日の前編で「日本の邦楽の職業作詞家を取り上げた特集はこの番組では初めてだと思います」と述べ、「今日は、いつもでしたら論評めいたことで、いろいろ解説とか多めにやるんですが、そういうことはなるべく止めにして、1ファンとして岩谷時子を楽しみつつ、偉業を偲びたいと思います」と、一曲でも多く岩谷作品がかかるよう配慮がなされた。また17日放送では加山雄三への提供作品中心の選曲の中、11月8日に死去した島倉千代子「ほんきかしら」(岩谷作詞)も選曲された[20]

はがき・手紙

  • リスナーからのリクエスト、質問等は本名で書かれたハガキでのみ受け付けている(=ペンネーム使用は採用しない)が2012年2月、聴取率週間のリクエスト企画「山下家の歌の贈りもの〜山下家の曲をあの人にプレゼント」で、初めてメールでのリクエストを試験的に採用した。これは「企画の内容的に老若男女から広く募りたい」という事で踏み切ったものだが、今後も特集内容によっては取り入れたい、と語っている。
    • 過去に時代の流れということで、本人は一度Eメールなどでの投稿も受け付けようかと発言したところ、予想以上の反対意見が寄せられた経緯がある。
    • その後、2014年4月1日付で消費税が8%に引き上げられるために、郵便料金が値上げ(はがき52円、封書82円<定型25gまで>)されることを受けて「少し経済的な問題を考えると、電子メールも導入したほうがいいかなと思いますが」ということでリスナーからの投書を募集するとした。そこでもやはりはがきにしたほうが全部目をとおし、お便り紹介ができるが、メールだと応募される人数が増えるため、人任せになってしまうとする意見も多くあったが、メール導入については引き続き意見を聞くとしている。
    • 一枚一枚本人が自宅で読み、収録日には番組で読み上げるハガキを紙袋に入れて持ってくるという。
    • 2007年時点で、一週間に届く葉書の数は「うん百枚」とのこと(2007年放送の山下達郎の発言による)。
    • ほぼ毎週読まれる人もいれば、何度投稿しても読まれない人もいる。
  • 毎週投稿してくるような人に対しては、必ず「超常連」、「常連」という言葉を名前の前に付け加える。
    • リスナーと竹内まりやから「この番組の『超常連』の基準って何ですか?」と問われた際に山下は「文章の書き方や文字にはそれぞれ葉書を書く人の癖があって、それだけで誰が書いたか分かるようになったら『超常連』」と述べている(2008年12月28日放送「年忘れ夫婦放談・後編」より)。
    • 2012年12月9日放送「年忘れリクエスト大会・前編」で、山下は「ここ最近よくお便りを沢山いただくようになったが、新しいリスナーでも、字体やアクセントとなるものをはがきに飾ることによって、その人の投稿の特徴がよくわかるようになった」ことを話している。
    • リクエストに関しても特徴があり、同じ日の放送で「ある曲に偏って大勢の組織票のようなリクエストをいただくことがある」と述べているほか、同12月16日「テーマ同上・後編」でも「棚つかコーナーで取り上げることがない曲へのリクエストも多く寄せられている」ことを話している。また前述した「OUT of OPUS」(「OPUS オールタイムベスト」に収録することができなかった曲の特集)を計画する段階から、アルバムに収録できなかった曲へのリクエストが殺到し「ほぼ1人1曲でリクエストをされる方が多かった」と話している
    • 同じ楽曲のリクエストが被ることも少なくなく、別のリスナーがそれに応募したケースも決してまれではない。(2013年7月28日「納涼リクエスト・その4」より)
    • また、基本的に山下・竹内夫妻に関連する楽曲を除き、たいていは同一楽曲の放送は(棚つか、リクエストを通して)年1回に事実上制限しており、「しつこ」で同じ楽曲にリクエストされても、その年度に関してはかかることがないことを先述と同じ「納涼リクエスト・その4」で話している。
  • 番組のエンディングの「さようなら」の前には、リスナーから寄せられた、その放送日近辺で誕生日(投稿者本人だけでなく、家族・親族・親戚らの誕生日についても)や記念日(結婚記念日や還暦・古希・喜寿などの長寿祝い)を迎えた相手へのメッセージを読み上げる(例、「○○市の××さんから、▲▲さんへ、12月15日ハッピーバースデイ」)。
    • ただし、「新春放談」については、年末年始の郵便事情と「事前収録による対談」という形式のため、できるだけ編集を抑えて、時間いっぱい放送したいということから休止としている。
    • 山下のOFFICIAL WEB SITEの2012年12月23日分の更新でこの「誕生日・結婚記念日メッセージ代読コーナー」を2013年3月いっぱいで終了することが発表された[28]。「もともと自然発生的に始まったものでしたが、近年はご要望が増えすぎて対応しきれなくなりました」と、放送20周年、自身の60歳という節目で、本来の「音楽番組」として、今後も長く継続させていくため、番組構成をスリム化・整理する意味合いであることを明らかにしている。2013年1月6日放送では、「人の名前なので間違える事もできず、慎重さを期すと、本来の放送内容よりも手間暇がかかり、支障を来たしかねなくなってきた」と、ハガキ投稿数が多くなった事で、負担が増大してきた事を明らかにしている。
このコーナー終了発表後、リスナーから「なぜこのコーナーをやめるのか」「ぜひ続けてほしい」と継続を希望するハガキが数多く寄せられ、山下もこうした要望の多さに翻意し、2013年3月31日の放送でコーナー継続を決めた。一方で継続の条件として「乳幼児についてはご家族身内でお祝いをするようにしてほしい」「有名人<芸能人や政治家など>のお祝いメッセージは読まない」ということを呼び掛けた。

その他

  • サタデー・ソングブック時代、番組冒頭のコーナーとして"ロックン・ロール版今日は何の日"、"DAY BY DAY"が設けられていた。これは「プレミア3」で始まったコーナーをそのまま引き継いだ形でスタートしたが、日曜日への枠移動に伴って廃止された。
  • 音楽とは関係ないことや、素朴な疑問、山下(あるいは山下家)のプライベートに関する質問など、全くどうでもいい内容のハガキに対して山下は、「そんなこと聞いてどうするんだ!!」という半ば投げやりなコメントをする。リスナーもその点は十分承知しており、『「そんなこと聞いてどうするんだ」とおっしゃるかと思いますが』と書いていたり、さらには「そんなこと聞いてどうするんだのコーナー御中」などと書いてくることがある(最近では、それに対して「だから、そんなのは無いって」と答えるようになっている)。「夫婦放談」の際には竹内まりやがわざわざこうしたハガキを選んで採用することがある。
  • 2012年9月23日、ベスト盤『OPUS』の宣伝も兼ねてTOKYO FMのラジオドラマ『NISSAN あ、安部礼司〜BEYOND THE AVERAGE』とサンソンとのコラボ企画が実現。サンソンに『あ、安部礼司』の登場人物からハガキが送られてきたという設定で山下がゲスト出演している。劇中では「踊ろよ、フィッシュ」「悲しみのJODY」「あまく危険な香り」「ドーナツ・ソング」「愛を描いて-LET'S KISS THE SUN-」「ゲット・バック・イン・ラブ」「希望という名の光」「DOWN TOWN」が放送された。

テーマソング

  • オープニング「ONLY WITH YOU」 - 『BIG WAVE』収録曲のギター・インストゥルメンタル。ファンクラブ通販CD『山下達郎CM全集 Vol.2』に収録、その後『BIG WAVE (30th Anniversary Edition)』にボーナストラックとして収録された。
    時報後のタイトルコールのバックには「アトムの子」のイントロが使用されている。
  • エンディング「GROOVIN'」 - 『ARTISAN』収録曲。以前にパーソナリティを務めていた『プレミア3』でもテーマ曲として使われていた(サタデー・ソングブック時代は、オープニングと同じく「ONLY WITH YOU」だった)。

ネット局

放送対象地域 放送局 備考
東京都 TOKYO FM 制作局
北海道 AIR-G'  
青森県 FM青森  
岩手県 FM岩手  
宮城県 Date fm  
秋田県 AFM  
山形県 Rhythm Station  
福島県 ふくしまFM 1995年10月開局から
栃木県 RADIO BERRY  
群馬県 FMぐんま  
長野県 FM長野  
新潟県 FM-NIIGATA  
静岡県 K-MIX  
愛知県 FM AICHI  
岐阜県 Radio 80 2001年4月開局から
三重県 レディオキューブFM三重 1994年4月から。「サタデー・ソングブック」時代はローカル編成のために未ネット。
富山県 FMとやま  
石川県 HELLO FIVE  
福井県 FM福井  
滋賀県 e-radio 1996年12月開局から
大阪府 FM OSAKA  
兵庫県 Kiss FM KOBE JFN加盟の2003年4月から
島根県
鳥取県
V-air  
岡山県 FM岡山 1999年4月開局から
広島県 HFM  
山口県 FMY  
徳島県 FM徳島  
香川県 FM香川  
愛媛県 JOEU-FM  
高知県 Hi-Six  
福岡県 FM FUKUOKA  
佐賀県 FMS  
長崎県 fm nagasaki  
熊本県 FMK  
大分県 Air-Radio FM88  
宮崎県 JOY FM  
鹿児島県 μFM  
沖縄県 FM沖縄  

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

注釈

テンプレート:Reflist

出典

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

前後番組

テンプレート:前後番組

テンプレート:山下達郎


引用エラー: 「注」という名前のグループの <ref> タグがありますが、対応する <references group="注"/> タグが見つからない、または閉じる </ref> タグがありません
  1. テンプレート:Cite episode
  2. テンプレート:Cite episode
  3. テンプレート:Cite episode
  4. 4.0 4.1 テンプレート:Cite episode
  5. テンプレート:Cite episode
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite episode
  8. テンプレート:Cite episode
  9. テンプレート:Cite episode
  10. テンプレート:Cite episode
  11. テンプレート:Cite episode
  12. テンプレート:Cite episode
  13. テンプレート:Cite episode
  14. テンプレート:Cite episode
  15. テンプレート:Cite episode
  16. テンプレート:Cite episode
  17. テンプレート:Cite episode
  18. テンプレート:Cite episode
  19. 19.0 19.1 テンプレート:Cite episode
  20. 20.0 20.1 20.2 テンプレート:Cite episode
  21. テンプレート:Cite episode
  22. 22.0 22.1 テンプレート:Cite episode
  23. 2013年のように、9月最初の日曜日が夏休み最終日と重なる場合には8月最終と9月第1週にまたぐ場合もある。
  24. テンプレート:Cite episode
  25. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「hagiwara」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  26. テンプレート:Cite episode
  27. テンプレート:Cite episode
  28. 28.0 28.1 テンプレート:Cite web
  29. テンプレート:Cite news
  30. テンプレート:Cite episode
  31. テンプレート:Cite episode
  32. 32.0 32.1 テンプレート:Cite episode
  33. テンプレート:Cite web
  34. 雑誌『BRUTUS2009年3月1日号ラジオ特集、TOKYO FMタイムテーブル「80.Love」2012年9月号での山下の寄稿文による。山下によれば「50年代の音楽を90年代の音圧とどうすれば拮抗させられるか」を研究したとのこと。
  35. テンプレート:Cite web