ザスパクサツ群馬
ザスパクサツ群馬(ザスパクサツぐんま)は、日本の吾妻郡草津町、前橋市を中心とする群馬県全県をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。2012年までの旧名称はザスパ草津(ザスパくさつ)である。
目次
概要
1995年に創設された「東日本サッカーアカデミー」に所属する選手を中心に編成されたリエゾン草津が前身[1]。2002年にアマチュア形態のままで「ザスパ草津」へ名称を変更[1]。2005年よりJリーグへ加盟している[1]。ホームタウンは吾妻郡草津町、前橋市を中心とする群馬県全県[1]、ホームスタジアムは正田醤油スタジアム群馬[1]、練習場はサンデンフットボールパーク[1] である(詳細は#スタジアム・練習場を参照)。また、運営会社は株式会社草津温泉フットボールクラブ(2003年2月設立)である[1]。
クラブ名は、英語で温泉を意味する「スパ(spa)」とチーム誕生の地である草津温泉に由来する[1]。なお、クラブマスコットは、2002年に誕生した湯友(ゆうと)である[1][2]。エンブレムは草津町の「前口諏訪神社」にて行なわれる伝統行事「前口の獅子舞」をモチーフにしている[2]。
歴史
JFL時代以前
1995年に専修学校の東日本サッカーアカデミーに所属する選手を中心として編成された「リエゾン草津」が前身となる[1]。選手の育成や将来のJリーグ加盟を目的としながら群馬県社会人サッカーリーグに所属していた[3]。
1999年に同アカデミーが閉鎖され、選手が4名へ減少したが、地元サッカークラブの協力を得てチームは存続[3]。また、選手が草津温泉の宿泊施設などでアルバイトの斡旋提供を受けて働きながら練習を続けた[2]。
2002年、「ザスパ草津」へ名称を変更[1]。2003年2月、運営法人となる株式会社草津温泉フットボールクラブを設立[1] し、指導者として元モンテディオ山形監督の植木繁晴を招き、元日本代表のGK小島伸幸、元鹿島アントラーズのDF奥野僚右ら、元Jリーグ選手を獲得。選手が働いて得た収入をクラブ運営費に充てて、この年の群馬県社会人リーグに優勝し、関東サッカーリーグ2部へ昇格した。
2003年、関東リーグ2部で優勝。また、「Jリーグ加盟を標榜するクラブに対する優遇措置(飛び級)」の適用を受けて出場した第27回全国地域サッカーリーグ決勝大会も優勝[3] し、2004年度からの日本フットボールリーグ(JFL)昇格を決めた[3]。また、天皇杯に初出場したが、1回戦で市立船橋高校に敗れた。
2004年8月、2005年からのJリーグ ディビジョン2(J2)参戦を念頭において、同9月までにJリーグ加盟申請を行うことを表明。JFLは3位で終了し、成績上のJ2昇格ラインである2位以内は確保できなかったが、12月6日のJリーグ臨時理事会で2位Honda FCと勝ち点・得失点差が同じであったことが考慮され、Jリーグ加盟が認可され、2005年からのJ2参加が決まった[1]。なお、JFL後期第10節(2004年10月23日、大塚製薬サッカー部戦、群馬陸)で当時の最多観客数となる13,743人を記録(現時点のJFL最多観客数は2008年後期第17節の栃木SC×FC刈谷で13,821人)。また、ホームゲーム年間観客数も74,131人(ホームゲーム15試合)を記録し、当時の動員記録(1999年、横浜FC:53,045人(12試合)を上回った[4](現時点のJFL年間最多観客数は2011年の松本山雅FCで128,900人)。
第84回天皇杯は、セレッソ大阪、同年のJリーグ年間王者である横浜FMに勝利して、ベスト8へ進出した。
2005年 -(J2)
テンプレート:Main2 2005年、ザスパ草津はJ2へ昇格し、手塚聡が監督に就任した。初勝利は同年4月2日、同じく昇格組の徳島ヴォルティス戦だった。3月5日の開幕後、草津は初勝利まで約1カ月、5戦を要した[5]。昇格初年度は最下位、植木が監督に再任した2006年、2007年も下位に低迷し、2005年後半には経営問題が浮上した(詳細は#2005年の経営問題を参照)。この間、リエゾン草津時代から在籍していた堺陽二が2006年にクラブを離れ、肺がんを患っていた社長兼GMの大西忠生が同年6月に死去した[6]。
2008年まで植木が監督を務め、2009年は佐野達、2010年からの3年間は副島博志が指揮を執った。2008年は一時期昇格争いに絡む時期もあったが、高田保則が離脱した終盤に失速した[7]。この間の最高成績は2008年、2011年の9位で、最多勝ち点は2011年の57。前述の高田のほか、中盤では熊林親吾や松下裕樹、FWでは都倉賢らが活躍した。都倉は2009年シーズンにリーグ2位となる23得点を挙げている。関東リーグ時代から在籍し、ミスターザスパと呼ばれた鳥居塚伸人は2008年に引退した[8]。
2013年2月にクラブ名称をザスパクサツ群馬へ変更(詳細後述)。副島の後任監督には秋葉忠宏が就任した。松下や熊林といった主力を放出したチームは、新加入の平繁龍一を中心にリーグを戦うも、残留争いから抜け出せずに20位でシーズンを終えた[9]。2014年度Jリーグライセンス審査では、正田醤油スタジアムの観客席増席工事・大型映像装置設置工事・諸室改修工事が決定したことによってJ1ライセンスの交付が決定したものの[10]、同時に債務超過かつ3期連続の赤字となった経営状況に対して是正通達が出された[11]。
2014年
- チームスローガン:「ひとつになって」
2月24日の臨時株主総会で経営陣が刷新され、都丸晃が新社長に、Tonan前橋代表の菅原宏が取締役に就任[12]。
チーム名変遷
チーム名の変更
2012年4月3日にマスコミを通じて2013年2月1日より「ザスパクサツ群馬」にチーム名を変更すると発表された。
クラブを運営する株式会社草津温泉フットボールクラブ(草津温泉FC)によれば、従来のチーム名だと、チーム発祥の草津町のチームというニュアンスが未だに強く(後述のとおり、現状草津町にはJリーグ開催スペック適合の競技場がなく、トップチームは前橋市が主戦場になっており、草津町はU-23など下部組織が拠点としている)、広く群馬県に愛されるチームを明確にしたいとした。また「ザスパ草津・群馬」にしてしまうと、略称が「ザスパ群馬」と略される可能性があるため、カタカナの「ザスパクサツ」とした[13]。
成績
タイトル・表彰
- リーグ戦
- カップ戦他
- 全国地域サッカーリーグ決勝大会:1回
- 2003年(第27回)
- 群馬県サッカー協会長杯サッカー大会:1回
- 2003年
選手・監督
永久欠番
- #31 奥野僚右 初代監督で選手兼任。2005年、永久欠番に制定。
表彰選手
- 日本フットボールリーグ
ダービーマッチ
- 北関東ダービー
水戸ホーリーホック、栃木SCとの対戦。 テンプレート:Main
スタジアム・練習場
当初ホームタウンは草津町のみであったが、同町にJ2を開催できる規格のスタジアムがないため、2005年のJリーグ加盟時から「草津町、前橋市を中心とする群馬県全県」へ変更・広域化した。同時にホームスタジアムを群馬県立敷島公園県営陸上競技場(正田醤油スタジアム群馬[1])としたが、2005年前半は改修により使用できなかったため隣接する群馬県立敷島公園サッカー・ラグビー場でホームゲームを開催した。また、2005年に足利市総合運動公園陸上競技場、2006年-2008年、2011年-2012年には熊谷スポーツ文化公園陸上競技場、2006年、2007年、2009年には長野県松本平広域公園総合球技場での県外開催を行なっている。
なお、草津町でのホームゲームは2004年10月23日(JFL後期第10節、佐川印刷SC戦)に草津町本白根第3グランドで開催されたのが最後である。当日は1,000人収容の常設スタンドに仮設席を加えて4,000人収容で対応した(観客数は2,174名)[14]。
練習場は「サンデンフットボールパーク」であり[1]、2008年3月にスポンサーの1社でもあるサンデン(伊勢崎市)のサンデングローバルセンター(旧本社工場)内に開設されている[15]。
なお、Jリーグ加盟以前は草津町の本白根第3グランド、東吾妻町のコニファーいわびつ、粕川村(現:前橋市)の西部グラウンド等を使用。2005年度から佐田建設(前橋市)のグラウンドを改修して「ザスパ前橋グランド」を練習会場に使用することになった。前述の草津町周辺のグラウンドは特に冬季は積雪などの影響から練習に使用することができないため、前橋市内の公営のグラウンドを借りていたが、「練習場を毎日転々としていると調整がおぼつかなくなる」という理由で、佐田建設に年間数十万円程度の使用料で賃借契約を結び使用を開始し、トップチームの主な練習拠点はこの前橋グランド、チャレンジャーズチームの主な練習拠点は草津町の小雨グランドとなっていた。
運営会社
テンプレート:Infobox クラブ運営会社の株式会社草津温泉フットボールクラブ(以下草津温泉FC)は、2003年2月5日に設立された[1][3]。本社所在地は設立当時の拠点である草津町だが、現在のフロント業務は前橋市に置かれた事務所で行われている。現在の代表取締役社長は4代目の都丸晃で、2014年2月24日より現職。都丸の社長就任と同時に、Tonan前橋代表の菅原宏が取締役(クラブライセンス対策本部長)に新任している[12]。
草津温泉FCの経営状況は後述の経営問題を発端として恒常的に不安定な状態にあり、2013年までに3期連続の赤字を計上。債務超過額は8700万円(-79.1%の自己資本比率)に上り、2013年のクラブライセンス審査に於いて、クラブライセンス交付第一審機関(FIB)から是正通達を出され、債務超過の解消に向け、(1)今期損益見通し詳細を報告し、Jリーグの指導を受けること(2)2014年度予算編成に際し、Jリーグの事前指導を受けることの2点が言い渡された[11]。
2005年の経営問題
- 2005年9月17日、草津温泉FCは、草津町より助成金500万円の返還請求を受けた。JFL後期第10節(2004年10月23日、佐川印刷SC戦)を「草津町本白根第3グランド」で開催[14] するに際して、草津温泉FCと草津町は「観客用の仮設スタンドを購入し、試合後も草津町が無償で使用できる」との協定を結び、草津温泉FCは草津町より補助金を受けたが、草津温泉FCは購入せずにレンタル(即日返却)で対応したことが判明し、左記協約に違反したことが理由である[16]。
- 2005年9月25日、前橋市内の競技場で草津温泉FCが主催したJ2リーグ公式戦14試合の使用料が、施設を所有する群馬県に対して未納であったことが明らかとなった。14試合の内訳は群馬県立敷島公園県営陸上競技場(以下「群馬陸」)開催分6試合(1試合当りの使用料は約100万円)と群馬県立敷島公園サッカー・ラグビー場(以下「群馬サ」)開催分8試合(1試合当りの使用料は約14万円)で、朝日新聞は草津温泉FCの未納総額を700~800万円としている。なお、草津温泉FCは、「未納ではなく、支払う予定があるもの」とコメントした[17]。
- 2005年9月27日、草津温泉FCは、2005年5月及び6月に群馬サで開催された5試合(12節:横浜FC戦、13節:京都戦、15節:水戸戦、17節:甲府戦、18節:湘南戦)について、群馬県に支払うスタジアム使用料の算定根拠となる有料入場者数や広告看板の設置数を群馬県に対して過少に申告していたことを公表した[18]。
2005年6月の経理担当社員による内部告発を発端に、上記の不正が次々と明るみになった。不正は賢持宏昭社長(当時)の指示の下で行われたものとされ[18]、大西忠生GMの要請によって賢持は7月26日に代表取締役を辞任[19]。同年11月20日の臨時株主総会で取締役を解任され、代行の大西が後任社長に就任した[20]。賢持は不正の指示に加え、2004年7月頃から出張費の仮払いおよび商標登録に関する費用として約400万円を着服していた。クラブは賢持の告訴も検討したが、着服金の全額が返還されたことを理由として刑事告訴を見送った[21]。 テンプレート:Sister 同年10月18日、Jリーグは草津に公式試合安定開催基金の適用第1号として5,000万円を低利融資することを決定。同時に熊地洋二常務理事と財務の専門職員が派遣され、経営再建が図られた[22]。なお、草津温泉FCは「スポーツ振興投票対象試合安定開催特別会計」からの追加融資を加えた総額1億6,000万円を、2008年1月までに完済。また、草津町からの補助金500万円、および群馬県への使用料等未納金1,730万円余についても、2005年12月までに返還・納付した。
下部組織
アカデミー
育成組織(アカデミー)として、U-18、U-15、U-15吾妻、U-12およびU-15レディースを有しており、U-18は2006年4月に発足した。また、小学生を対象としたサッカースクールを3ヶ所(前橋、伊勢崎および吾妻・草津)設置している[23]。なお、2012年3月までは草津温泉FCがアカデミーを運営していたが、2012年4月より特定非営利活動法人ザスパスポーツクラブ(2012年2月設立)に業務移管し、同法人が上述のアカデミーを運営している[23]。またザスパスポーツクラブでは年代別に運営カテゴリーを分けており、U-18を「強化部」、U-15(吾妻チームを含む)、U-12とレディースは「育成部」、サッカースクールは「普及部」が運営に当たっている。
このように、育成組織を親会社から分離して運営する方式は湘南ベルマーレなど数例あるが、ほとんどはユースについてはトップチームと同じ親会社が運営し、別法人(NPOや社団法人など)が営むのはジュニアユース以下のカテゴリーが主であるのに対し、ユースも含めた育成組織全体を別法人が運営するのはセレッソ大阪、松本山雅FC、ツエーゲン金沢(準加盟)を含め4つ目の例である。
ザスパ草津チャレンジャーズ
2005年のJリーグ加盟後、チームをトップチームとサテライトチームの2つに分割し、サテライト側は「ザスパ草津チャレンジャーチーム」の名称でJサテライトリーグに参加した。チャレンジャーズチームはアマチュア登録を主体としたため、選手たちは草津温泉のホテル・宿泊施設でアルバイト、かつ合宿(専用寮がある)しながら、サテライトリーグの試合・練習に臨むという形式を取った。2007年からチーム名を「ザスパ草津U-23」と改めて引き続きJサテライトリーグに参加してきた。2009年を以ってJサテライトリーグが廃止されたため2010年からは群馬県社会人サッカーリーグに参加している。公式な監督はおいておらず、「U-23コーチ」の木村直樹が指揮を執っているが、日本サッカー協会には名目上の監督を設置することが義務付けられており、「U-23コーチ」が事実上公式な監督とみなされている。試合会場には草津町本白根第3グランドが、練習場には同グラウンドをはじめ、吾妻郡・利根郡など、草津温泉に近い地域の市町村各地のグラウンドが用いられている。
県リーグ以外に、独立大会の「独立リーグG」(群馬県に本拠地を置くクラブチーム・専門学校の下部組織や大学チームとの交流大会)、「群馬県サッカー協会長杯サッカー大会」などに出場。群馬県サッカー協会長杯サッカー大会は2011年、2012年は準優勝、2013年は優勝した。また、2013年は天皇杯に初めて出場した。
2012年シーズンは群馬県リーグ2部へ昇格したが未登録選手を出場させたため最下位となり3部降格となった。
2013年2月より「ザスパ草津チャレンジャーズ」とチーム名を変更した[24]。現在でも所属選手は草津温泉での勤務を行っている。(社員選手参照)
年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 監督 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | JサテライトB組 | 2位 | 15 | 10 | 4 | 3 | 3 | 17 | 17 | ±0 | 佐野達 |
2006 | 5位 | 7 | 8 | 2 | 1 | 5 | 11 | 19 | -8 | ||
2007 | JサテライトC組 | 4位 | 7 | 8 | 2 | 1 | 5 | 7 | 10 | -3 | 木村直樹[25] |
2008 | 5位 | 6 | 8 | 1 | 3 | 4 | 8 | 12 | -4 | ||
2009 | JサテライトB組 | 4位 | 3 | 6 | 0 | 3 | 3 | 8 | 14 | -6 | |
2010 | 群馬県4部E | 優勝 | 24 | 8 | 8 | 0 | 0 | 91 | 0 | +91 | |
2011 | 群馬県3部A | 優勝 | 27 | 9 | 9 | 0 | 0 | 103 | 2 | +101 | |
2012 | 群馬県2部A | 10位 | 24 | 10 | 8 | 0 | 2 | 70 | 9 | +61 | |
2013 | 群馬県3部B | 優勝 | 30 | 10 | 10 | 0 | 0 | 130 | 3 | +127 |
ユニフォーム
チームカラー
- テンプレート:Colorbox 紺[1]、テンプレート:Colorbox 黄[1]
- ギラヴァンツ北九州が1stユニフォームを黄色、2011年は2ndユニフォームを濃紺としたいるため、同年の草津ホームの北九州戦では草津が2ndユニフォーム、アウェーの北九州が1stユニフォームを着用した。2012年は北九州が1stを着用、2013年は北九州の2ndが白色となっため、草津・群馬は1stユニフォームで試合を行っている。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
---|---|---|---|---|
胸 | カインズ | CAINZ | 2010年、2012年、2014年 | 2004年~2009年、 2011年、2013年は背中、 2010年より偶数年は背中、 奇数年は胸に掲載 2011年までは「CAINZ HOME」表記 |
背中 | ベイシア | Beisia | 2010年、2012年、2014年 | 2006年~2009年、 2011年、2013年は胸、 2010年より偶数年は胸、 奇数年は背中に掲載 |
袖 | グローバルピッグファーム | 和豚もちぶた | 2013年~ | 2005年~2012年まではパンツ |
パンツ | なし |
歴代ユニフォームスポンサー/サプライヤー
年度 | 胸 | 袖 | 背中 | パンツ | サプライヤー |
---|---|---|---|---|---|
2004 | Beisia | BUNSHINDO | 泉質主義 草津温泉 |
– | UNIQLO uhlsport(GKのみ) |
2005 | ITAGAKI | 和豚 もちぶた |
UNIQLO | ||
2006 | ITAGAKI | CAINZ HOME | Phiten | ||
2007 | K'BIX | ||||
2008 | |||||
2009 | A-LINE | ||||
2010 | CAINZ HOME | Beisia | |||
2011 | Beisia | CAINZ HOME | |||
2012 | CAINZ | Beisia | |||
2013 | Beisia | 和豚 もちぶた |
CAINZ | - | FINTA |
2014 | CAINZ | Beisia |
応援スタイル
サポーターは応援に湯揉みを採用している。湯揉みをする女性はゴール裏に伝統的な湯揉みのかすりの着物と姉さんかぶりをまとって登場する[26]。彼女達は草津温泉で実際に湯揉みをしている女性とは異なり、一般から募集した女性で構成されている。
又、Jリーグクラブはリーグ優勝など祝事があった際には水掛け(ウォーターファイト)を行う事が多いが、ザスパでは湯掛けが行われる。Jリーグ昇格決定時には、この湯掛けが選手・スタッフ・サポーター一体となって草津温泉の湯畑で行われた[27]。
その他
- ザスパ草津へ名称変更した2002年から、Jリーグ ディビジョン2昇格と天皇杯で活躍した2004年度までの出来事を漫画にした『ザスパ草津 〜夢は枯れない〜』が、2005年の週刊少年サンデー24号に掲載された。
- 2013年10月22日、同年8月に高崎市内の衣料品販売店で盗品が他の店に転売されていた事件でFW後藤涼の関与が判明し逮捕される。後藤は起訴猶予処分で釈放されたが、逮捕された同年10月22日付に遡って契約を解除、クラブが後藤の社会復帰に向けた支援を当面実施していくことが発表された[28]。同事件に伴い、大東和美Jリーグチェアマンが裁定委員会に諮問、12月3日、クラブに対しけん責(始末書提出)および制裁金100万円の制裁処分が下された[29]。
脚注
関連項目
外部リンク
- テンプレート:Official
- テンプレート:Twitter
- テンプレート:YouTube
- ザスパクサツ群馬オフィシャルファンクラブ
- 特定非営利活動法人ザスパスポーツクラブ
- ベイシア ザスパ草津 応援サイト
- 上毛新聞/ザスパ草津
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 テンプレート:Cite web
- ↑ 2.0 2.1 2.2 テンプレート:Cite web
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 引用エラー: 無効な
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- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 11.0 11.1 テンプレート:Cite press release
- ↑ 12.0 12.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 14.0 14.1 テンプレート:PDFlink 日本フットボールリーグ 2013年3月18日閲覧
- ↑ テンプレート:PDFlink サンデン株式会社 2013年3月18日閲覧
- ↑ 朝日新聞(2005年9月17日)、2013年3月17日閲覧
- ↑ 朝日新聞(2005年9月25日)、2013年3月17日閲覧
- ↑ 18.0 18.1 朝日新聞(2005年9月28日)、2013年3月17日閲覧
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 23.0 23.1 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 公式には「U-23コーチ」。2010年の群馬県社会人リーグ加盟に伴い、日本サッカー協会のチーム加盟届出上の監督とみなされている
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news