大阪府立天王寺高等学校
テンプレート:日本の高等学校 大阪府立天王寺高等学校(おおさかふりつ てんのうじこうとうがっこう、英称:Osaka Prefectural Tennoji High School)は、大阪市阿倍野区に所在する府立高等学校。「天高」(てんこう)の通称で呼ばれている。
目次
概要
1896年に旧制大阪府第五尋常中学校として創立した。大阪府内の公立高校の中でも古い歴史を持つ学校のひとつで、大阪市内の旧制中学校としては二番目の創立である。校章は旧制中学の「中」を表す六稜に「天」で、左右に付した二本線は「市内第二中学」であることを表している。
文部科学省から『スーパーサイエンスハイスクール(SSH)』に指定されており、学力の伸長、進路指導に重点をおく。希望する生徒への勉強合宿なども実施されている。卒業生のほとんどが4年制国公立大学への進学を希望する。全盛期には京都大学に三桁合格者を出した年が数年あった。2011年の京都大学合格者数では全国6位(全国の公立高校内、大阪府下の高校内では共に1位)となった。
全国高等学校ラグビーフットボール大会で2度の優勝経験がある。
沿革
略歴
大阪府第一尋常中学校(現在の大阪府立北野高等学校)の過密を解消する目的で、1896年に同校を分割する形で大阪府第五尋常中学校として開校した。
当時、大阪市内で唯一の府立中学校(旧制中学校)だった第一尋常中学校は、小学校制度の変更により3学年が同時に入学資格を得たことなどから志願者・入学者が急増し、学校が過密化し生徒収容が困難な状況だった。このため第一尋常中学校の学区を分割する形で、大阪市内に中学校を増設することになった。
1896年2月1日付で設置の大阪府第五尋常中学校は、初年度の入学試験を第一尋常中学校と合同で実施した。受験生の住所によって、市内北部在住者は第一尋常中学校に、南部在住者は第五尋常中学校へと振り分けた。また第一尋常中学校の在籍者についても、南部在住188人を第五尋常中学校へ転校させている。同年4月、東成郡西高津村(現在の天王寺区下寺町1丁目)の大蓮寺境内で授業を開始した。
翌1897年には東区東平野大字南平野(現在の天王寺区上本町8丁目、大阪国際交流センター所在地)へと移転した。さらに1919年、東成郡天王寺村大字天王寺字三明(現在の阿倍野区三明町2丁目4番23号)の現校地に移転している。
1927年1月22日には失火により校舎を焼失し、西区江之子島上之町(現在の西区江之子島2丁目)の旧大阪府庁舎、次いで天王寺区北山町の旧大阪府女子師範学校跡(現在の大阪府立夕陽丘高等学校の敷地)を使用して授業を継続した。1929年6月には校舎が復旧し、元の場所に復帰している。
第二次世界大戦の際には、戦時体制として4年制への短縮(旧制中学校は5年制)や勤労動員などが実施された。1945年3月13日の大阪大空襲では、食堂や倉庫など学校の一部を焼失している。
1947年には学制改革により新制中学校が発足したことに伴い、旧制中学校としての新入生募集はおこなわなかった。1947年時点の旧制中学校の第2学年・第3学年については新制中学校に移行し、過渡的に併設中学校を設置した。また空き教室の一部を、新制大阪市立東住吉第一中学校(現在の大阪市立東住吉中学校)と大阪市立東住吉第三中学校(現在の大阪市立田辺中学校)に貸し出した。
翌1948年に新制の高等学校制度が発足し、大阪府立天王寺高等学校となった。高校1年と併設中学校3年の2学年について、大阪府立夕陽丘高等学校(旧制夕陽丘高等女学校)と教職員・生徒を半分ずつ交換して男女共学になった。両校とも原則として関西本線線路を境に、北部在住者は夕陽丘高校・南部在住者は天王寺高校へ振り分けられることになった。しかし生徒の居住地分布に偏りがあったことなどから、例外もかなりあったという[1]。同年5月には、校舎を新制東住吉第一中学校・東住吉第三中学校の2校に全面転用するようGHQの指令があり、大阪府立夕陽丘高等学校内に移転して同校と同居する形になった。その後新制中学校が独立校舎を設置して退去したため、1950年から1951年にかけて段階的に元の校舎に復帰している。
1960年代後半には学生運動の影響を受け、受験偏重への教育課程への批判も高まった。受験偏重の教育課程を組んだために必修科目の履修漏れがあったなどと1970年2月に新聞で全国報道され、4月より教育課程を是正している[1]。旧制中学校時代より制服制度を導入していたが、1971年になり服装自由化を求める声が高まった。私服で登校する生徒も現れ、また自由化を求めて生徒自治会役員に当選した生徒もいた。生徒・教職員代表による協議会での合意を経て職員会議で承認され、同年11月22日より服装自由化を実施している[1]。
1991年12月には創立100周年を控えて「将来構想委員会」が設置され、学校の将来像や特色づくりが検討された[1]。「将来構想委員会」は1992年、特色づくりの一つとして理数科の設置を提言、それを受け1993年に実現の運びとなった。同年、「将来構想委員会」は学校週5日制への対応と学力向上を掲げ、2学期制の導入を提言、翌1994年度より実施されている。2学期制の導入は大阪府立の高校としては初めてだった(大阪府立布施高等学校と同時導入)。
2009年には大阪府教育委員会から「進学指導特色校」設置の構想が示され、天王寺高校も対象校となった。これに伴い2011年度入学生より理数科を改編し、文理学科を設置した。
定時制
1951年、「大阪市南部における全日制課程の高等学校教育を受けることの出来ない好学の者[1]」を対象に、普通科2学級・100名で発足した。2005年、大阪府の定時制高校再編方針により募集を停止し、2008年3月に閉課程となった。
年表
- 1896年2月1日 - 大阪府第五尋常中学校として創立。
- 1896年4月13日 - 東成郡西高津村(現天王寺区下寺町1丁目)の大蓮寺境内で授業を開始。
- 1897年12月22日 - 東区東平野町大字南平野(現天王寺区上本町8丁目)に移転。
- 1899年 - 大阪府第五中学校に改称。
- 1901年6月3日 - 大阪府立天王寺中学校に改称。
- 1919年 - 東成郡天王寺村三明(現・阿倍野区三明町2丁目4番23号)の現校地に校舎が完成し、移転。
- 1927年1月22日 - 失火により1棟を残し校舎が焼失。旧大阪府庁舎で授業継続。3月13日、旧大阪女子師範学校跡に仮校舎を設置。
- 1929年6月5日 - 新校舎が完成し、現在地に復帰。
- 1945年3月13日 - 第1回大阪大空襲により、校舎の一部が焼失。
- 1948年4月1日 - 学制改革により大阪府立天王寺高等学校に改称。
- 1948年4月24日 - 大阪府立夕陽丘高等学校(旧制夕陽丘高等女学校)と教職員・生徒を半分ずつ交換して男女共学となる。
- 1948年5月 - 校舎を新制中学校(東住吉中学校・田辺中学校)へ全面転用するため、夕陽丘高校内に仮移転。
- 1950年4月15日 - 1年生・3年生が現在地に復帰。
- 1951年4月1日 - 定時制課程(普通科)を併設。全日制課程に女子コース(家庭科コース)を併置。
- 1951年4月8日 - 全学年が現在地に復帰。
- 1952年4月8日 - 東住吉中学校が独立校舎に完全移転。これに伴い校舎は全面返還される。
- 1953年 - 交流先の夕陽丘高校との間で、体育系クラブの親善スポ-ツ大会「夕陽戦」(天高戦)が始まる(1985年まで毎年開催)。
- 1964年 - 全日制課程の女子コース(家庭科コース)を廃止。
- 1971年11月22日 - 服装自由化実施。
- 1992年 - 新校舎(現校舎)完成。
- 1993年 - 全日制課程に理数科を設置。
- 1994年 - 2学期制を実施。
- 1998年 - 台風により『あしび山荘』が損壊、2000年に新『あしび山荘』完成。
- 2002年 - 大阪府教育委員会よりエル・ハイスクール事業の指定を受ける(2003年度から2007年度までの5年間)。
- 2004年 - スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定される。
- 2006年 - 創立110周年、夕陽丘高校創立100周年を記念し、「夕陽戦」(天高戦)が21年ぶりに復活(以後、毎年開催)。
- 2007年4月 - 公立高の新4学区制導入に伴い、通学区が拡大。第三学区となる。スーパーサイエンスハイスクールに再び指定される(指定期間は5年間)。
- 2008年3月 - 定時制課程が閉課程。
- 2010年 - コアスーパーサイエンスハイスクール(SSH指定校の理数系教育における中核としての機能の強化を図るため、従来の「中核的拠点育成プログラム」及び「重点枠」を整理・統合の上平成22年度から新たに設けられた)に指定される(指定期間は2年間)。
- 2011年 - 全日制課程に文理学科を設置
設置課程
2011年度入学生から理数科を発展解消し、難関大学進学に重点を置く“文理学科”を設置した。4クラス160名。(普通科は5クラスで200名、計360名)また、医学部進学者のための、医系コースが新たに設置された。(今までは文系・理系コースに分かれていた。)
教育方針
校訓に『自由闊達 質実剛健』、生徒指導方針として『授業第一主義 鍛錬主義』を掲げる。2学期制で、完全学校週5日制(週休2日制)への対応として2002年より45分×7限という授業スタイルをとっている(早く授業を終わらせ、早く部活を開始し、早く家に帰って、少しでも多く勉強を出来るようにさせる為)。また、公立高校進学率日本一、呼応の教育の徹底を目標にしている。以上の方針で「天高魂」を育むことを最終目標としている。
- 私服での登校が可能だが、標準服のブレザーまたはそれに準ずる服装の着用が望ましい、とされている(たとえ私服であっても天高バッチを着けることが義務付けられている)。頭髪のパーマや染髪、携帯電話の所持、アルバイトも原則禁止である。
学校行事
「自由闊達」「質実剛健」をモットーに授業と同じく学校行事も重視しており、個性的な行事が多く存在する。
運動会
毎年5月末に実施。『祭(遊び)ではない』という考えから、体育祭ではなく「運動会」と呼ぶ。開始直後、当校独自の体操である『天高体操』を行う(通常の体育の授業でも行われている)。目玉種目はプログラム後半で、2年男子の『マスゲーム(高校生体操、組体操、棒倒し)』と3年男子の『陸上ボート』。地元では一種の名物となっている。2009年より2年生の創作物が在学生テントの上に設置されることになった。
水泳訓練
『臨海(学校)』とも呼ぶ。大阪のほとんどの学校で廃止されている伝統的行事。1年生のみ、泳力に応じて訓練する。ただし参加は希望制である。事前の班分けで1班(水泳の授業中に行われるタイム測定などで上位となった者だけで構成され、そのほとんどを水泳部員が占める場合が多い)になった者には最終日にシンクロが課される。
野外生活体験学習
『林間(学校)』とも呼ぶ。1年生のみの行事で、同校山岳会(OB会)が奈良県の山中に所有している『あしび山荘』にクラス単位で1泊する。同山荘には電気、水道、ガスが通っておらず風呂もない。飲み水も生徒たちで汲みに行かなければならず、料理には薪を使う。台風のため中止となるクラスが出る年がある。また雨天、霧の発生も多いが、晴天であれば鹿の群れなどに遭遇できる喜びもある。
文化展示発表会
略して『文展』と呼ぶ。上記運動会と同じ理由で『文化祭』とは呼ばない。毎年9月の初〜中旬の土曜日に1日だけ行われ、舞台発表、飲食模擬店、研究発表などを開催する。あくまでも「展示発表会」ということなので、他の学校にはない独特な雰囲気がある。毎年、生徒自治会が中心となって運営が行われていたが、文展の趣旨を踏まえ、2011年度から運営形態を見直し、文化展示発表会実行委員会の組織が強化された。 例年、1年生は舞台発表部門、2年生は飲食部門、3年生はイベント研究発表部門に分かれて発表を行っていたが、文理科設置に伴うクラス数増加の影響により、2011年度からは、飲食模擬店を行っていた2年生の一部のクラスがイベント研究発表に回ることになり、イベント研究発表部門の学年の障壁が撤廃された。1年生の舞台発表では、各クラスが約15分間の劇を行い、審査集計が行われる。審査方法は年度によって多少異なる。(毎年、アンケートを実施し改善を施しながらの実施となっている。)
海外交流
年に2、3度、海外(韓国・中国中心)から来日した高校生との交流を持つ。1998年から、春休み前後にオーストラリアの『ホーランドハイスクール』への海外留学も行っている。小論文や面接で選考された1年生3名、2年生2名の計5名が約2週間、派遣される。派遣にかかる費用は、そのほとんどが同校の同窓会から支出され、生徒個人の負担は少なくなっている。帰国後、次年度の生徒総会にて海外交流の報告会が行われ、海外留学前に事前に決めていた研究テーマの発表も併せて行われる。
その他
- 入学式
- 遠足(全学年で4月下旬に実施)
- 宿泊研修(修学旅行)(2年)
- 文楽鑑賞会(2年)
- 能楽鑑賞会(1年)
- 長距離走大会(長居公園にて、1月下旬に開催。男子10㎞,女子6㎞)(1・2年)
- 合唱コンクール(1年)
- 金剛登山(1年)
- 徒歩訓練(2年)
- 卒業式
- 球技大会(1・3年)
- 挌技大会(2年男子)
- 水泳大会(1・2年)
- 校内作品展(1・2年)
- 音楽祭(天高唯一の「祭」である。参加は希望制、運営は自治会が行う。)
- 勉強合宿(全学年の希望者)
- 職場見学・社会人講演会(1年)
クラブ活動
本学のおよそ9割の生徒がクラブ活動に所属している。 クラブ活動の形態によって、運動系、文化系に分類され、毎週1回運動系クラブは「キャプテン会議」、文化系クラブは「文化部部長会議」が開かれ、各クラブの活動状況の報告、対戦成績の報告などが行われる。また、文化展示発表会に関する決め事などもこの会議で行われる。
(詳細はhttp://www.osaka-c.ed.jp/tennoji/zennichi/tenkouseikatu/bukatudou/bukatsudo.htm )
運動系クラブ
陸上競技部、水泳部、体操部、野球部、ハンドボール部、ラグビー部、バレーボール部、バスケットボール部、サッカー部、ホッケー部、硬式テニス部、ソフトテニス部、柔道部、剣道部、卓球部、山岳・スキー部、ワンダーホーゲル部(H23現在)
文化系クラブ
数学研究部、物理研究部、化学研究部、生物研究部、社会研究部、鉄道研究部、美術部、文藝部、演劇部、吹奏楽部、軽音楽部、放送部、茶華道部、フォークソング部、音楽部、書道部、囲碁将棋部、家庭科部、リコーダーアンサンブル同好会、天文学同好会、FAN(H26現在) (現在活動休止中の部活は映画研究部、PPURI、図書部、園芸部 )
自治会活動
会長1名、副会長1名、書記2名、財政委員長1名、生活委員長1名、運動委員長1名、文化委員長1名の計8名で構成される、学生の自治組織である。役員選挙は学期ごとの生徒総会で、候補者の立会演説の後に行われる。様々な行事の企画・運営を行い、生徒の自主性を尊重した活動が行われている。
- 会長
- 自治会を代表し、執行部の部長を兼任する。
- 副会長
- 会長を補佐し、会長に何らかの事情が生じた場合、その職務を代行する
- 書記
- 自治会広報誌「瓦版」を発行している。
- 財政委員長
- 財政に関わる事柄の総括を行う。年度末には、「クラブ活動援助費」の振り分けを決定するための予算折衝も行う。
- 生活委員長
- 他の学校の風紀委員に相当する役目を担う。
- 運動委員長
- 毎週1回行われる「キャプテン会議」を主宰する。
- 文化委員長
- 毎週1回行われる「文化部部長会議」を主宰する。
リーダーズアセンブリー(リーダーズアッセンブリー)
3月の上旬におこなわれる。運動部リーダーズアセンブリーと文化部リーダーズアセンブリーとがあり、それぞれ運動部の部長と生徒自治会の運動委員長、文化部の部長と生徒自治会の生活委員長が出席する。目的は「キャプテンないしは部長のリーダーシップの育成と部活のより良い発展」であり、天王寺高校独自の行事である。
- 運動部リーダーズアセンブリー
現キャプテンと新キャプテン(キャプテン候補)と運動委員長が上の目的から一泊二日の合宿を行い、合計約7時間会議を行い、また各クラブの部員にもしものことがあった時のためにAEDの研修も開催される。ここで天王寺高校の運動部目標も決定する。
- 文化部リーダーズアセンブリー
運動部リーダーズアセンブリーとは異なり、一泊はせず、夕方には帰り、翌日の朝にもう一度集結する。主に来年度の文展のことについて話し合われる。
出身者
学者
- 南博方(東京大学法学博士、筑波大学名誉教授、一橋大学名誉教授、成城大学学長)1947年卒
- 首藤勝(大阪大学工学博士、大阪大学大学院基礎工学研究科元教授)1953年卒
- 上野俊樹(立命館大学経済学博士、立命館大学名誉教授)1961年卒
- 上林彌彦(京都大学工学博士、京都大学名誉教授)1961年卒
- 土居靖範(博士(経営学)(立命館大学)、立命館大学教授)1962年卒
- 徳永宗雄(京都大学名誉教授)1963年卒
- 平野俊夫(医学博士(大阪大学)、大阪大学医学部長)1966年卒
- 北村英男(理学博士(京都大学)、理化学研究所グループディレクター)1966年卒
- 湊博昭(医師、社会精神医学、一橋大学教授)1966年卒
- 上原鳴夫(東北大学大学院医学系研究科教授)1966年卒
- 川喜多喬(法政大学教授)1966年卒
- 西本清一(京都大学工学博士、京都大学大学院工学研究科教授)1966年卒
- 小牧省三(大阪大学工学博士、大阪大学大学院工学研究科教授)1966年卒
- 竹田晴見(大阪府立大学工学博士、大阪電気通信大学教授)1967年卒
- 山下彰彦(博士(工学)(東京大学)、日本文理大学教授)1967年卒
- 北井礼三郎(京都大学理学博士、京都大学大学院理学研究科准教授)1967年卒
- 奥乃博(博士(工学)(東京大学)、京都大学大学院情報学研究科教授)1968年卒
- 木田章義(京都大学文学修士、京都大学大学院文学研究科教授)1968年卒
- 笹尾勤(大阪大学工学博士、九州工業大学情報工学部教授)1968年卒
- 白川友紀(大阪大学工学博士、筑波大学大学院システム情報工学研究科教授)1968年卒
- 高田時雄(フランス社会科学高等研究院第三課程言語学博士、京都大學人文科學研究所教授)1968年卒
- 丹司敬義(大阪大学工学博士、名古屋大学エコトピア科学研究所教授)1968年卒
- 牧野哲(京都大学理学博士、山口大学大学院理工学研究科教授)1968年卒
- 水田啓子(京都大学理学博士、広島大学大学院生物圏科学研究科教授)1968年卒
- 谷野哲三(京都大学工学博士、大阪大学大学院工学研究科教授)1969年卒
- 馬野元秀(大阪大学工学博士、大阪府立大学大学院理学系研究科教授)1970年卒
- 山田良治(京都大学農学博士、京都大学経済学博士、和歌山大学教授)1970年卒
- 萩原兼一(大阪大学工学博士、大阪大学大学院情報科学研究科教授)1970年卒
- 福井康雄(東京大学理学博士、名古屋大学大学院理学研究科教授天文学者)1970年卒
- 高橋豊(京都大学工学博士、京都大学大学院情報学研究科教授)1971年卒
- 宮本和明(東京大学工学博士、東北大学名誉教授)1971年卒
- 中村祐輔(大阪大学医学博士、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター長)1971年卒
- 藤田和生(京都大学理学博士、京都大学大学院文学研究科教授)1971年卒
- 市川伸一(東京大学文学博士、東京大学大学院教育学研究科教授)
- 尺長健(京都大学工学博士、岡山大学工学部教授)1972年卒
- 仲谷達也(大阪市立大学医学博士、大阪市立大学大学院医学研究科教授)1973年卒
- 正高信男(学術博士(大阪大学)、京都大学霊長類研究所教授)1973年卒
- 青谷正妥(Ph.D(UCB)、京都大学国際交流センター准教授)1973年卒
- 前一廣(博士(工学)(京都大学)、京都大学大学院地球環境学堂教授)1975年卒
- 澤昭裕(元東京大学先端科学技術研究センター教授)1976年卒
- 前田陽一郎(博士(工学)(法政大学)、福井大学大学院工学研究科教授)1976年卒
- 岡田悦治(神戸大学理学博士、神戸大学大学院工学研究科准教授)1976年卒
- 加藤俊一(京都大学工学博士、中央大学理工学部教授)1978年卒
- 遠藤隆(京都大学理学博士、佐賀大学教授)1976年卒
- 大薗恵一(大阪大学医学部博士、大阪大学医学部教授)1976年卒
- 村井利昭(大阪大学工学博士、岐阜大学教授)1976年卒
- 崎山高明(東京海洋大学教授)1977年卒
- 内野隆司(博士(工学)(京都大学)、神戸大学大学院理学研究科准教授)1981年卒
- 三好哲也(博士(工学)(大阪府立大学)、豊橋創造大学教授)1982年卒
- 杉田米行(大阪大学大学院言語文化研究科准教授)1982年卒
- 阪井丘芳(博士(歯学)(大阪大学)、大阪大学大学院歯学研究科教授)1983年卒
- 田川辰也(博士(医学)(九州大学)、西南女学院大学保健福祉学部教授)1983年卒
- 藤原徹(博士(農学)(東京大学)、東京大学生物生産工学研究センター准教授)1983年卒
- 笹本幸祐(関西大学法学部教授、日本空法学会理事)1985年卒
- 道野真弘(近畿大学法学部教授)1985年卒
- 大橋俊介(博士(工学)(東京大学)、関西大学准教授)1988年卒
- 上田隆雄(博士(工学)(京都大学)、徳島大学准教授)1988年卒
- 岩橋小弥太(国史学者)
- 武田祐吉(国文学者)
- 西田直二郎(史学者、日本史)
- 金森順次郎(大阪大学理学博士、大阪大学総長・名誉教授)
- 広原盛明(京都大学工学博士、京都府立大学学長・龍谷大学教授)
- 阪野智一(政治学者、神戸大学教授)
- ?谷信三(京都大学名誉教授)
- 上田高弘(美術評論家、立命館大学文学部教授)
- 益澤秀明(東京大学医学博士、脳神経外科医、コメンテーター、元NTT東日本関東病院脳外科部長)
- 益澤学(大阪大学医学博士、肝臓医、元大阪警察病院副院長)
- 山下範久(歴史社会学者、世界システム論、立命館大学准教授)
- 宅田裕彦(京都大学工学博士、京都大学大学院エネルギー科学研究科教授)
- 畑山満則(博士(工学)(東京工業大学)、京都大学防災研究所准教授)
- 嶋好博(京都大学工学博士、明星大学教授)
- 藤原元典(京都大学薬学博士、京都大学薬学部名誉教授)
- 木村雅昭(京都大学法学博士、京都大学名誉教授)
- 森田優三(一橋大学名誉教授)
文化人
- 伊庭孝(演出家、俳優、音楽評論家)
- 宇野浩二(作家)
- 折口信夫(歌人、釈迢空)
- 小野十三郎(詩人、旧制中学時の生徒。現在の校歌の作詞者でもある)
- 開高健(小説家)
- 谷沢永一(書誌学者、関西大学名誉教授)
- 北康利(作家、山本七平賞受賞)
- 萩原遼(ジャーナリスト)
- 森下佳子(脚本家)
- 黒田勝弘(産経新聞論説委員。韓国事情通としても著名。)
経済界
- 川北禎一(日本興業銀行総裁・初代頭取、日銀副総裁)
- 町田勝彦(シャープ会長)
- 池原年昭(飛島建設社長)
- 阪田晃(USJ社長)
- 田中宏(クレハ(旧呉羽化学工業)会長)
- 上山善紀(近畿日本鉄道会長、本願寺門徒総代)
- 増倉一郎(高島屋社長)
- 浅井光昭(住友ゴム工業社長)
- 石本恵一(デサント会長)
- 泉谷裕(村田製作所副社長)
- 鈴木博之(丸一鋼管社長)
- 小野恵造(積水化成品工業社長)
- 山西健一郎(三菱電機会長)
政界・官界
- 泉井純一(石油商 / 政官(主に通商産業省)を巻き込んだ泉井事件)
- 鶴保庸介(参議院議員)
- 豊田貞次郎(海軍大将、商工相・外相など、貴族院議員)
- 奥村勝蔵(外務事務次官)
- 藤田国之助(内閣調査官、商工省官僚、中央大学法学部教授)
- 東龍太郎(東京都知事)
- 關淳一(医学博士(大阪市立大学)、医師、元大阪市長)
- 土肥孝治(検事総長)
- 小倉正三(裁判官)
- 浅見敏彦(日本酒造組合中央会副会長、元大蔵省印刷局長)
- 池川博士(総務省九州管区行政評価局長、旧郵政省出身)
- 高橋伸和(首都圏新都市鉄道社長、元運輸省自動車交通局長)
- 長田太(国土交通省総合政策局次長)
- 合田隆文(文部科学省官房審議官、高等教育局大学課長 / 国立大学法人法案に関わる)
芸能
スポーツ
- 岡田武史(サッカー日本代表元監督)
- 橋本英郎(ヴィッセル神戸MF)
- 東武雄(東大野球部投手 / 法大戦で六大学野球初本塁打放つ)
- 井上佳明(元プロ野球選手)
- 今井洋行(元プロ野球選手)
- 井石礼司(元プロ野球選手)
- 生山裕人(千葉ロッテマリーンズ育成選手)
- 岡仁詩(同大ラグビー部/ラグビー日本代表元監督)
- 青井達也(慶大ラグビー部/ラグビー日本代表)
- 松永敏宏(慶大ラグビー部前監督)
- 福本正幸(神戸製鋼コベルコスティーラーズ元PR / 元京大ラグビー部)
- 見先恒郎(大阪ガス在籍 / 元同大ラグビー部SH)
- 大錦卯一郎(大相撲元横綱)
- 西野綱三(ラグビー日本代表及び早稲田大学ラグビー蹴球部監督)
その他
- 草鹿龍之介(連合艦隊参謀長)
- 仁科関夫 (海軍中尉 「回天」考案者)
- 近藤信竹(連合艦隊参謀長・東宮武官兼侍従武官)
- 長友啓典(グラフィックデザイナー・東京造形大学客員教授)
- 松本暢章(元関西テレビ放送アナウンサー)
- 岸本多万重(NHKチーフアナウンサー)
- 合田倫子(フリーアナウンサー)
交通
- 地下鉄谷町線 文の里駅 北へ約700m
- JR阪和線 美章園駅 西へ約300m
- JR大阪環状線 寺田町駅南へ約1km
- 近鉄南大阪線 河堀口駅 南西へ約400m
- 大阪市営地下鉄御堂筋線 昭和町駅 北へ約1km