東京都立青山高等学校
東京都立青山高等学校(とうきょうとりつ あおやまこうとうがっこう)は、東京都渋谷区神宮前二丁目に所在する都立高等学校。
目次
概要
概観
1940年(昭和15年)に開校した府立十五中を前身とする都立進学校。学校群制度時代は戸山高校と同じ群に属した。1970年代から1980年代半ば前頃には東京大学合格者数が30 - 40人前後[1]を数えることもあった。富士・国立と同様に学校群制度によって進学実績を伸ばした一校である。2003年(平成15年)11月に教育委員会による進学指導重点校に指定された。2004年度(平成16年度)より一般入試に於いては、国語・数学・英語の3科目で自校作成問題を導入。 難関国立大学合格を目指し、予備校によるサテライト講座、土曜授業、外部模試、東大特別講座(2007年より)、教員の指導力向上のための外部講師を利用した研修会、大学キャンパスツアーが実施されている。
教育目標
「身体」「知性」「情操」「個性」「社会性」が涵養すべき項目として定められている。教育目標は、「健康な身体をつくり 知性を高め 情操をゆたかにし 個性を伸ばし 社会性を培う」である。
各項目は、2007年度(平成19年度)の学校経営計画において以下のように定義されている。
- 「身体」とは忍耐力、精神力、心身の自己管理能力、危険回避能力である。
- 「知性」とはそれ以前の「知識人」あるいは「知識」を疑い、本質を求める知力である。
- 「社会性」とは他人に対する洞察力。人の話を聴き、自分の意見を伝えるコミュニケーション能力。公共心、道徳心である。
- 「情操」とは美・自然・他者を感じる力である。
- 「個性」とは他との交わりの中で自分自身を刻み出す力である。
校名の由来
1946年(昭和21年)3月30日、東京都立多摩中学校を廃止統合し、東京都立第十五中学校を改称して東京都立青山中学校が発足した。「青山」という校名は、第十五中学校が東京市赤坂区青山北町五丁目に開校したことに由来する。なお、設立に伴い赤坂区青山北町四丁目に校地が移された。新制高校に移行する際も「青山」の名称はそのまま用いられている。
校章の由来
校章は笹の葉、雪の結晶、ペンを図案化したものである。雪の結晶は学び舎、ペンは勤勉、笹の葉は強さをそれぞれ意味している。
沿革
- 1940年
- 1942年2月6日 - 市立多摩中学校設立(東京市立渋谷商業学校内)
- 1943年7月1日 - 都制移行にともない都立第十五中学校及び都立多摩中学校にそれぞれ改称。
- 1945年5月24日 - アメリカ軍による東京大空襲によって青山北町の校舎を焼失
- 1946年3月30日 - 都立多摩中学校が廃止され第十五中学校に統合、「東京都立青山中学校」として、以前と同じ青山北町内にある旧東部第七部隊跡(旧近衛歩兵第4連隊跡)に移転。
- 1947年4月1日 - 新制中学校の渋谷区立外苑中学校が開校し、同居。
- 1948年4月1日 - 学制改革により都立青山新制高等学校を設置、過渡期の措置として旧制青山中学校と併設
- 1950年
- 1952年 - 学区合同選抜制度導入。
- 1959年4月1日 - 定時制を設置。在校生杉本清治作詞、昭和20年卒業小杉太一郎作曲により校歌制定。
- 1967年 - 学校群制度導入、戸山高校と22群を組む。
- 1969年 - 学園紛争激化で機動隊250名が導入される。
- 1982年 - グループ合同選抜制度導入、戸山・駒場・新宿・都立大附属・広尾・目黒・赤城台の各校と21グループを組む。
- 1994年 - 単独選抜制度へ移行。
- 1999年11月24日 - 創立60周年記念式典挙行。
- 2003年5月22日 - 東京都立青山高等学校後援会が設立される。
- 2003年11月27日 - 東京都教育委員会より進学指導重点校に指定される(2007年4月1日に2013年3月31日まで指定延長。2012年6月14日に2016年3月31日まで指定延長。2014年5月22日に2018年3月31日まで延長)。
- 2004年 - 国語・数学・英語の三教科で独自入試を導入。
- 2008年3月 - 定時制を閉課。
- 2010年10月30日 - 創立70周年記念式典挙行(於:日比谷公会堂)。
- 2014年4月1日 - 東京都教育委員会よりオリンピック教育推進校に指定される。
交通
部活動
文化部
運動部
- 硬式野球部
- バレー部(男・女)
- バスケット部(男・女)
- ダンス部
- バドミントン部
- 柔道部
- 剣道部
- 陸上競技部
- 水泳部
- サッカー部
- ラグビー部
- 硬式テニス部(男・女)
- ソフトテニス部
- アルペン部
- 卓球同好会
学園祭
概要
- 青山高校最大の催事で、「外苑祭」と呼ばれる。
- 「外苑祭」の名前は、1970年(昭和45年)に決められた。理由は、「青山高校らしさを表現するとともに青山学院と混同されない」というものであった。
- 2004年度(平成16年度)より毎年9月の第一週に行われ、2日間の会期中に延べ6000人以上の来場者がある。主な内容は全21学級による劇ないしミュージカルの上演、青山フィルハーモニー管弦楽団による「外苑祭コンサート」、演劇部、軽音楽部などによる公演、生物部、美術部などによる展示などが行われる。
- 来場時に配られる冊子の中に、アンケート用紙が同封されており、このアンケートの2日間の投票結果で、各学年の学年大賞、クラブを対象とするクラブ大賞、そして最優秀賞に当たる外苑大賞を決める。投票結果は最終日の最後に在学生のみを対象として行われる後夜祭において発表される。
歴史
- 青山高校では1947年(昭和22年)に第1回目の文化祭が開催された。1948年(昭和23年)は資金難により中止となったが、1949年(昭和24年)からは毎年開催されている。
- 1961年(昭和36年)にはそれまで文化祭の一部門であった運動会が単独開催となり、これを契機として応援団が結成された。
- 1969年度は1969年(昭和44年)9月12日に起きた学校紛争の影響で文化祭は中止となった。
- 1970年度には文化祭が再開され、新たに「外苑祭」の名称で1970年(昭和45年)10月3、4日に開催された。
- 1991年度に初めて全クラスが劇ないしミュージカルの上演を行い、現在までこの開催形式が維持されている。
- 2011年度の第65回外苑祭は東日本大震災による節電対策を目的として一般公開が中止され、生徒が配布する入場券などを持つ者のみが入場できる変則開催となった。
同窓会
名称
- 東京都立青山高等学校同窓会
沿革
- 1945年3月 - 第1回生卒業とともに四組によるクラス会が発足。
- 1946年9月 - 「四組会報」創刊。
- 1954年1月 - 同窓会名簿発行。(収録者数約2000件)
- 1954年5月 - 日本青年館において第1回同窓会総会が開催され、会則が制定される。同窓会の初代会長に中村健之助(1945年卒業)が就任した。
- 1961年5月 - 第2回同窓会総会が開催され、2代目会長に長屋稔(1945年卒)が就任した。
- 1976年11月6日 - 第3回同窓会総会が東京証券会館内ホテルオークラ・レストラン・ニホンバシにおいて開催される。
- 1980年3月 - 同窓会名簿作成。
- 1980年5月17日 - 第4回同窓会総会が椿山荘にて開催される。
- 1985年3月15日 - 昭和60年版同窓会名簿発行。
- 1985年6月23日 - 母校新体育館において同窓会総会を開催。
- 1991年3月30日 - 目白椿山荘において創立50周年記念同窓会総会を開催。
- 1992年3月16日 - 同窓会会報創刊号発行。
- 1993年6月12日 - 母校食堂にて総会開催。以後総会が従来の5年ごとの開催から毎年の開催に変更される。
- 1995年6月10日 - 第3代会長に清原國雄(1951年卒業)が就任する。
- 2000年6月10日 - 母校創立60周年を記念し赤坂プリンスホテル・クリスタルパレスにおいて同窓会総会を開催。
- 2001年6月9日 - 第4代会長に廣田浩雄(1955年卒業)が就任する。
- 2007年6月9日 - 第5代会長に山本滋夫(1964年卒業)が就任する。
- 2010年6月26日 - センチュリーハイアット東京において創立70周年記念同窓会総会・懇親会を開催。
高校関係者一覧
関連項目
注釈
外部リンク
- ↑ 「サンデー毎日」各号、「東大合格高校盛衰史」(小林哲夫、光文社新書、2009年)